西暦1876年は、日朝修好条規が結ばれ、電話が声を伝えた年である。2月26日、日本の全権大使黒田清隆・副使井上馨と李氏朝鮮簡判中枢府事申櫶・副総管尹滋承の間で条約が締結され、同日発効した。外交使節の首都派遣、釜山以外二港の開港と自由貿易、開港場に於ける居留地の設定、領事による居留民の管理等が定められている。西暦1875年9月20日の江華島での砲撃から五ヶ月での条約であり、西暦1854年3月31日に自らが結ばされた日米和親条約と同じ形を、隣国へ差し出した事になる。3月10日にはアレクサンダー・グラハム・ベルが特許公告の3日後に電話の実験へ成功した。西暦1844年のチャールズ・ホイートストンの電信、西暦1851年11月13日のドーバー海峡の海底ケーブル、西暦1866年7月13日の大西洋横断ケーブルと符号を運んできた線が、此処で声そのものを運び始めた事になる。石油ではロバート・ノーベル・ピーター・フォン・ビルダーリング男爵・スタンダートスキョルド男爵の共同出資によりバクーに石油の蒸留所が設立され、ルートヴィヒ・ノーベルが石油事業へ参加した。ルートヴィヒは石油生産ではなく輸送に着目し、バラハニ油田から製油所迄の15kmに及ぶパイプラインを敷設し、船倉にタンクを作り直接石油を詰め込む「タンカー」という輸送手段を考案してスウェーデンの造船会社へ発注している。西暦1873年にバクーで油井が噴いてから三年、掘る技から運ぶ技へ関心が移った訳である。マーカス・サミュエルはイギリスのサミュエル商会の横浜支店を開設し、弟のサムと共に日本製雑貨類のイギリスへの輸出を開始した。10月には東京築地活版製造所所主で横浜製鉄所の共同経営者の平野富二が、石川島修船所の跡地を海軍省から借用して「石川島平野造船所」を設立した。西暦1854年1月3日に徳川斉昭の命で興された造船所の跡地である。3月21日には海軍省の外郭団体として「水交社」が築地に設立された。アメリカでは、アメリカ南部の11州で黒人の一般公共施設の利用を禁止・制限する人種差別法であるジム・クロウ法が制定された。西暦1863年1月1日の奴隷解放宣言から十三年後の事である。初代ドイツ帝国帝国宰相となったオットー・フォン・ビスマルクは「南北戦争は欧州の金融権力によって誘発された」と話した。西暦1869年6月10日にヴォルフ電報局と提携した宰相である。又、ベルタ・フォン・ズットナーがアルフレッド・ノーベルの秘書兼家政婦として働き始めた。短期間で去ったものの、ノーベルが死去する迄文通を続け、ノーベル平和賞の創設へ繋がってゆく。同じ年ノーベルはバーデンで花屋に働くソフィア・ヘスと出会い、其の後も経済的な支援を続けた。6月6日にはアロイス・シックルグルーバーがヨハン・ネポムク・ヒュットラーと共にヴァイトラへ赴き、公証人の下でヒュットラーとヨハン・ゲオルク・ヒードラーの名に因みアロイス・ヒトラーへの違法な改姓を行い、6月7日にはドーレスハイムでヒードラーを父親として登録する違法な手続きを行った。此の時点でヒードラーも西暦1847年1月7日に死去したマリア・アンナ・シックルグルーバーも既に世に無く、証人となる人物は誰も存在していない。

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年月日 出来事
1,876 マーカス・サミュエルがイギリスのサミュエル商会の横浜支店を開設し、弟のサムと共に日本製雑貨類のイギリスへの輸出を開始する。
1,876 以下3名の共同出資によりバクーに石油の蒸留所が設立される。
①ロバート・ノーベル(25,000ルーブル)
②ピーター・フォン・ビルダーリング男爵(300,000ルーブル)
③スタンダートスキョルド男爵(150,000ルーブル)
1,876 ルートヴィヒ・ノーベルが石油事業に参加する。ルートヴィヒは、石油生産でなく石油輸送に着目し、バラハニ油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設する。又、船倉にタンクを作り直接石油を詰め込む「タンカー」という輸送手段を考案し、スウェーデンの造船会社に発注した。
1,876 初代ドイツ帝国帝国宰相となったオットー・フォン・ビスマルクが、「南北戦争は欧州の金融権力によって誘発された」と話す。
1,876 アメリカ南部の以下の11州が、黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限する等の人種差別法であるジム・クロウ法が制定される。州により法規は異なる。
①バージニア州
②ノースカロライナ州
③サウスカロライナ州
④ジョージア州
⑤フロリダ州
⑥アラバマ州
⑦ミシシッピ州
⑧ルイジアナ州
⑨テキサス州
⑩テネシー州
⑪アーカンソー州
1,876 ベルタ・フォン・ズットナーが、アルフレッド・ノーベルの秘書兼ノーベルの自宅の家政婦として働き始める。ノーベルの募集広告に応募した事が切っ掛けであった。ベルタは、アルトゥール・グンダッカー・フォン・ズットナーと結婚する為に、短期間でノーベルの下を去ったが、ベルタは、ノーベルが死去する迄文通をし、関係を継続して、ノーベル平和賞創設に関する助言をした。
1,876 アルフレッド・ノーベルが、バーデン(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州)にて、花屋で働いていた、キリスト教に改宗したユダヤ人ソフィア・ヘスと出会う。其の後ヘスは、別の男性との間に子供を身籠ったが、ノーベルはヘスを経済的に支援し続けた。
1,876 イギリス国家債務削減局会計監査官チャールズ・リバーズ・ウィルソンが、ムハンマド・アリー朝を訪問し、国際スエズ運河会社の政府取締役に任命される。
1,876 2 26 日本の全権大使黒田清隆、副使井上馨と、李氏朝鮮簡判中枢府事申櫶、副総管尹滋承の間で、以下の内容の条約が締結され同日発効される。
①外交使節の首都派遣
②既に日本公館が存在する釜山以外二港(具体的な開港地は後に協議)の開港と自由貿易
③開港場における居留地の設定
④領事による居留民の管理
⑤開港場における領事裁判権
⑥朝鮮沿海の測量、海図作成の権利
⑦開港場から4km以内への内地旅行、通商権
⑧開港場における日本通貨の使用
⑨朝鮮からの米穀輸出の自由
⑩輸出入税の免除
1,876 3 10 アレクサンダー・グラハム・ベルが特許公告の3日後、電話の実験に成功。
1,876 3 21 海軍省の外郭団体として、「水交社」が現在の東京都中央区築地5丁目6番付近に設立される。
1,876 6 6 アロイス・シックルグルーバーが、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーと共にヴァイトラ(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡)に赴き、公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下で、ヒュットラーとヨハン・ゲオルク・ヒードラーの名に因み、アロイス・ヒトラーへと違法な改姓を行う。其の際ヒュットラーは、ヒードラーが極度の貧困の為子供を養う事が出来ず、自身がシックルグルーバーを引き取ったと宣言した。
1,876 6 7 アロイス・シックルグルーバーが、ドーレスハイム(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡)の司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下で、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーを父親として登録する、違法な手続きを行う。此の時点でヒードラーもマリア・アンナ・シックルグルーバーも既に死去しており、証人となる人物が誰も存在していなかった。証人として立てられたのは、ヒードラーと面識の無い文盲の以下3名であった。
①ヨゼフ・ロメダー(西暦1,853年1月25日にヨハン・ネポムク・ヒュットラーの娘ヴァルブルガと結婚)
②ヨハン・ブライテンダー
③エンゲルベルト・パウク
1,876 10 東京築地活版製造所所主で横浜製鉄所の共同経営者の平野富二が、石川島修船所の跡地を海軍省から借用し「石川島平野造船所」を設立する。設立に当たり、以下の人間が協力した。
①内務大丞で第6代東京府知事の楠本正隆(平野富二の拝借願書を海軍省に取り次ぐ仲介役を果たした)
②東京築地活版製造所の取締役松田源五郎
③阿蘭陀通詞を務めた岩瀬公圃(海軍省関連の契約保証人として名を連ねた)
しかし翌年頃には、平野は造船技術者不足に悩み、友人の杉山徳三郎の紹介で福澤諭吉に接触し、塾生の中から造船技術者を紹介して欲しいと依頼した。
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