西暦1,868年は、王政復古の大号令が発せられ、勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸城が開城した年である。1月3日、王政復古の大号令が発せられた。3月18日に西郷隆盛の軍が駿府に進軍し、4月1日には幕臣山岡鉄舟が徳川家処分の交渉の使者として西郷隆盛に会い、此の際山岡に同行した薩摩藩益満休之助が山岡と西郷の仲介を行った。同じ4月1日、有栖川宮熾仁親王から西郷隆盛に対し西暦1,868年4月7日に江戸を攻撃する様命令が下る。4月3日に西郷隆盛の軍が江戸攻撃の為駿府を出発し、4月5日には高輪の薩摩藩下屋敷で勝海舟と西郷隆盛が会談した。翌4月6日、勝海舟が田町の薩摩藩蔵屋敷を訪ね西郷隆盛と会談し、西郷は翌日に予定していた江戸攻撃の中止を約束する。4月12日には西郷隆盛が京都御所を参内し、明治天皇から徳川慶喜助命の勅裁を得た。5月1日に勝海舟が旧幕府軍の処遇等について嘆願する為本門寺を訪れ、木梨精一郎・海江田信義と会談し、翌5月2日に西郷隆盛も加わって会談した。5月3日、朝、徳川慶喜は謹慎先の寛永寺から新たな謹慎先である水戸へと出発し、同日江戸城が開城する。徳川慶喜は5月7日に水戸に到着し、弘道館の至善堂に入り再び謹慎を開始した。開港と改称では、1月1日に、イギリス海軍ネルソン級戦艦「ロドニー」等イギリス・アメリカの戦艦十八隻から祝砲が撃たれ、神戸が開港する。小栗忠順・レオン・ロッシュもその場にいた。7月17日に江戸府が東京府に改称され、11月4日に明治天皇が多くの公卿の反対を押し切り東京への行幸の為京都を出発し、11月26日に明治天皇が江戸城を行幸中の皇居と定め東京城と改称した。火薬では、5月26日にアルフレッド・ノーベルが、ニトログリセリンと、珪質泥・酸化ケイ素を主成分とする研磨剤トリポリ・金属やガラスの研磨に使用される研磨剤ロットンストーンの非爆発性の多孔質物質を混合する事で、ニトログリセリンの爆発力を失う事無く、爆発や其の他特性が大幅に変わり、輸送・保管・使用の安全性を向上させる事に関する特許を取得した(US78317A)。ノーベルは、重量の75%がニトログリセリン・25%がロットンストーンという組成が取り扱いや爆発力の面で理想的である事を発見している。時計では、アメリカのボストン出身のフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズがシャフハウゼン(現在のスイス)にて「IWC」を設立した。ジョーンズはジュネーヴにて時計工房を一箇所に集約する事をプレゼンしたが懐疑的に受け止められ、そんな中時計職人インリッヒ・モーザーと出会い、モーザーは滝の水の力を利用した水力発電をジョーンズに提案し受け入れられている。人物では、吉田健三が英一番館の横浜支店長に就任し、以降3年間日本政府を相手に軍艦・武器・生糸の売買に従事した。アロイス・シックルグルーバーはオーストリア帝国の官吏となり、アルバート・サスーンはボンベイ立法評議会のメンバーとなっている。

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年月日 出来事
1,868 アメリカのボストン出身のフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズがシャフハウゼン(現在のスイス)にて「IWC」を設立する。ジョーンズはスイスの時計職人の職人技や時計製造の専門知識を活かし、当時ヨーロッパで一般的であった安い人件費を利用する算段を立てていた。ジョーンズはジュネーヴにて時計工房を一箇所に集約する事をプレゼンしたが、時計は自宅や時計工房で製作するのが一般的であった為懐疑的に受け止められた。そんな中時計職人インリッヒ・モーザーと出会い、モーザーは滝の水の力を利用した水力発電をジョーンズに提案し受け入れられた。
1,868 吉田健三が英一番館の横浜支店長に就任し、以降3年間日本政府を相手に軍艦・武器・生糸の売買に従事し、目覚ましい業績を上げる。
1,868 アロイス・シックルグルーバーが、オーストリア帝国の官吏となる。
1,868 フレデリック・テイラー・ゲイツが学校教師となる。其の後5年間、農家に馬鍬を販売したり、村の乾物店や銀行の事務職として働く等、様々な仕事をした。
1,868 アルバート・サスーンが、ボンベイ立法評議会のメンバーとなる。
1,868 1 1 正午、イギリス海軍ネルソン級戦艦「ロドニー」等イギリス・アメリカの戦艦18隻から祝砲が撃たれ、神戸が開港する。小栗忠順、レオン・ロッシュもその場にいた。
1,868 1 3 王政復古の大号令が発せられる。
1,868 3 18 西郷隆盛の軍が駿府に進軍する。
1,868 4 1 ハリー・パークスの部下で通訳のアーネスト・サトウが、江戸の情勢を探る為勝海舟に会う。
1,868 4 1 幕臣山岡鉄舟が徳川家処分の交渉の使者として西郷隆盛に会う。この際山岡に同行した薩摩藩益満休之助が、山岡と西郷の仲介を行った。
1,868 4 1 有栖川宮熾仁親王から西郷隆盛に対し西暦1,868年4月7日に江戸を攻撃する様命令が下る。
1,868 4 3 西郷隆盛の軍が江戸攻撃の為駿府を出発する。
1,868 4 5 萩藩木梨精一郎が西郷隆盛の命令でハリー・パークスを訪ね、江戸攻撃の際山手(現在の神奈川県横浜市中区山手町)に駐留しているイギリス兵1,000名を動かさない様依頼する。
1,868 4 5 高輪の薩摩藩下屋敷で勝海舟と西郷隆盛が会談を行う。会談の提案、場所の指定は勝海舟が行った。
1,868 4 6 勝海舟が田町の薩摩藩蔵屋敷を訪ね、西郷隆盛と会談する。西郷は、翌日に予定していた江戸攻撃の中止を約束した。
1,868 4 7 西郷隆盛が京都へ向けて出発する。
1,868 4 8 西郷隆盛が駿府に到着する。
1,868 4 11 西郷隆盛が京都に到着する。
1,868 4 12 西郷隆盛が京都御所を参内し、明治天皇から徳川慶喜助命の勅裁を得る。
1,868 4 14 西郷隆盛が京都を出発する。
1,868 4 20 西郷隆盛が横浜でハリー・パークスと会談する。
1,868 4 20 西郷隆盛が本門寺(現在の東京都大田区池上)に到着する。
1,868 4 27 西郷隆盛が大久保利通に対し勝海舟に会わない旨の手紙を書く。
1,868 5 1 勝海舟が旧幕府軍の処遇等について嘆願する為本門寺を訪れ、木梨精一郎、海江田信義と会談する。
1,868 5 2 勝海舟が前日に続き本門寺を訪れ、木梨精一郎、海江田信義、西郷隆盛と会談する。
1,868 5 3 朝、徳川慶喜は謹慎先の寛永寺(現在の東京都台東区上野桜木)から、新たな謹慎先である水戸へと出発する。この日は松戸に宿泊した。
1,868 5 3 江戸城が開城する。
1,868 5 4 徳川慶喜が我孫子で昼食を摂り、取手で休息、藤代に宿泊した。
1,868 5 5 徳川慶喜が土浦に宿泊する。
1,868 5 6 徳川慶喜が堅倉に宿泊する。
1,868 5 7 徳川慶喜が水戸に到着し、弘道館の至善堂に入り再び謹慎を開始する。
1,868 5 26 アルフレッド・ノーベルが、ニトログリセリンと、以下の非爆発性の多孔質物質を混合する事で、ニトログリセリンの爆発力を失う事無く、爆発や其の他特性が大幅に変わり、輸送・保管・使用の安全性を向上させる事に関する特許を取得する(US78317A)。
①珪質泥
②酸化ケイ素を主成分にとする研磨剤トリポリ
③金属やガラスの研磨に使用される研磨剤ロットンストーン
ノーベルは、重量の75%がニトログリセリン、25%がロットンストーンという組成が、取り扱いや爆発力の面で理想的である事を発見した。今回発明された組成物は、通常の梱包で空気中に晒されて火が付いても、火薬と異なり爆発せずに燃焼するだけであり、安全な物であった。此の組成物を爆発させるには、パッケージに確りと封止し、発破用の導火線で点火した雷管で爆発させる必要が有った。此の技術は、鉱業や交通網の建設に於いて、世界中で使用された。
1,868 7 17 江戸府が東京府に改称される。
1,868 11 4 明治天皇が多くの公卿の反対を押し切り、東京への行幸の為、京都を出発する。
1,868 11 26 明治天皇が江戸城を行幸中の皇居と定め、東京城と改称する。
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