西暦1864年(元治元年)は、日本国内外で激動が続いた年である。7月8日、京都の旅館・池田屋に集まっていた尊王攘夷派の志士を新選組が襲撃する池田屋事件が起こり、近藤勇・沖田総司・永倉新八らが宮部鼎蔵・吉田稔麿らを討った。中国では、清軍との戦いの末に天京(南京)が陥落し、十数年に及んだ太平天国が滅亡した。ヨーロッパでは、9月28日にロンドンのセント・マーティン・ホールで、カール・マルクスらが国際的な労働運動の組織である第1インターナショナル(国際労働者協会)の設立を宣言した。アメリカでは11月、南北戦争のさなかにエイブラハム・リンカーンが大統領に再選された。インドの大商人デイヴィッド・サスーンがプネーで病没し、長男のアルバート・サスーンが事業を継いだ。また、ジューニアス・モルガンがジョージ・ピーボディの事業を引き継いでJ.S.モルガン商会と改称した。日本では、小栗忠順や栗本鋤雲がフランス公使レオン・ロッシュと諮り、横須賀を造船所の建設地に決定した。技術面では、アルフレッド・ノーベルがストックホルムでニトログリセリンAB社を設立した(同年、ヘレネボリの工場で起きた爆発事故により弟エミールらが亡くなっている)。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,864 ジューニアス・モルガンがジョージ・ピーボディから事業を完全譲渡され、ピーボディ・モルガン・アンド・カンパニーを、ジューニアス・スペンサー・モルガン・アンド・カンパニー(J.S.モルガン商会)に社名変更する。
1,864 鹿児島藩が洋学校「開成所」を設立する。
1,864 6 新選組諸士調役兼監察の山崎丞・島田魁らが、四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する古高俊太郎の存在を突き止め、会津藩に報告。俊太郎は梅田雲浜とも親交があった。この頃、萩藩の人間が、京都三条木屋町にあった旅籠の池田屋周辺で見掛けられていた。
1,864 7 グリーンバック紙幣が、度重なる増刷により39セントに下落する。
1,864 7 8 新撰組一番隊組長沖田総司、二番隊組長永倉新八、十番隊組長原田左之助等隊士20数名を率いて壬生の屯所を出発し、池田屋に突入した。寝込みを襲ったものの、万が一に備えていた雇人達は素早く逃げた。ただ主の古高俊太郎だけは、書類に火をつけていた。そこを捕えられ、屯所まで連行される。副長土方歳三が拷問を加え、萩藩浪士が、7/23前後の風の強い日を選んで京都御所を中心に京都の町への放火、松平容保の殺害、孝明天皇を拉致して萩藩に連行する計画を自白する。それを受け、副長山南敬助等6名が屯所に残り、午後に局長近藤勇以下34名が出動する。会津藩との取り決めでは祇園町会所を20時に出動、新選組は会津藩兵と共に四条から三条へ北上、会津藩は二条から三条に南下しつつ、捜索していく計画であったが、会津藩の対応が遅い為、近藤と土方が19時に先に出動する。一方、会津藩内では、新選組と共に出動する事によって、萩藩との対立が深刻化する事を懸念する声もあったが、病床にあった容保の指示で出動が決まり、22時頃に捜索を開始した。近藤が9名、土方が23名を率いる事とし、土方はさらに自隊を2つに分けた。また新選組には一番から八番までの組があり、それぞれを8人の副長助勤が組長となって率いたが、その8人が近藤隊(沖田、永倉、藤堂平助、安藤早太郎)と土方隊(井上源三郎、斎藤一、原田、松原忠司)に分かれた。土方の2小隊は井上と松原がそれぞれ指揮する事となった。近藤が1小隊、土方が2小隊を率いる事としたのは近藤隊が鴨川西の木屋町筋を探索するのに対し、土方隊が鴨川東岸の茶屋の多い縄手通を担当する為である。浪士らの出入りしそうな場所を探索するも近藤隊、土方隊ともに空振りが続いた。そして、22時頃四条から木屋町筋を探索しつつ北上していた近藤隊が、三条の池田屋に到達する。近藤は踏み込む前に池田屋の間取りを確認し、表口、裏口を3名ずつで固めさせ、近藤、沖田、永倉、藤堂の4名で、古高を奪還する為の相談で集まっていた約30名の尊攘派を襲撃する。結果尊攘派の宮部鼎蔵、吉田稔麿、高知藩北添佶摩等が命を落とした。
1,864 7 19 天京にて清と太平天国の戦いにより天京が陥落し、太平天国が滅亡した。
1,864 9 3 イマヌエル・ノーベルが所有するヘレネボリ工場(スウェーデンのストックホルム県)にて、ニトログリセリンの準備に使用されていた小屋が爆発し、イマヌエルの四男エミール・ノーベルを含む5名が死亡した。此の事故により、アルフレッドは爆発物の製造免許を剥奪された。其の後アルフレッドは、より孤立した場所で作業を続ける為に、同年、ヴィンテルヴィーケン(スウェーデンのストックホルム県)に「ニトログリセリンAB社」を設立した。
1,864 9 14 坂本龍馬が、勝海舟の使者として京都で西郷隆盛と会談する。
1,864 9 28 カール・マルクスが、第1インターナショナル(国際労働者協会)の設立を、セント・マーティン・ホール(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターのロング・エイカー)で宣言する。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの長男ライオネル・ド・ロスチャイルドもメンバーに名を連ねていた。
1,864 11 7 デイヴィッド・サスーンが、プーナ(現在のインドのマハーラーシュトラ州プネー)にて熱病で死去する。長男アルバート・サスーンが後を継いだ。
1,864 11 8 第20回アメリカ大統領選が行われ、エイブラハム・リンカーンが再選を果たす。オーガスト・ベルモントはリンカーンに対し多額の資金提供を行なっていた。
1,864 11 21 エイブラハム・リンカーンが、友人に「国際金融権力は平和時には国家を食い物にし、逆境の時には国家に対して陰謀を企てる。君主制よりも横暴で、独裁政治よりも身勝手だ」という主旨の書簡を送る。
1,864 12 8 小栗忠順が第2代駐日フランス公使レオン・ロッシュに造船所建設を委ねる。
1,864 12 24 小栗忠順、栗本鋤雲、レオン・ロッシュが造船所建設地を横須賀に決定する。長浦(現在の千葉県袖ケ浦市蔵波)、横須賀にて実地検分を行っていた。
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