西暦1858年(安政5年)は、タウンゼント・ハリスと下田奉行井上清直・目付岩瀬忠震らの間で日米修好通商条約が締結され、日本が本格的な開国へと踏み出した年である。井伊直弼が大老に就任し、将軍継嗣問題と条約勅許問題をめぐって朝廷・幕府・諸藩が激しく対立した。海外では清とイギリスが天津条約を結び、フェルディナン・ド・レセップスが国際スエズ運河会社を設立。サスーン家がロンドンへ進出し、ジョン万次郎が箱館で捕鯨指導にあたるなど、世界の金融・通商・政治が大きく動いた。

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年月日 出来事
1,858 デイヴィッド・サスーンが、イギリスでの事業拡大を意図し、上海でサスーン商会中国支店の貿易業務を行なっていた自身の参男サスーン・デイヴィッド・サスーンをロンドンへ送る。サスーン・デイヴィッド・サスーンは、レドンホール・ストリート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ロンドン)に銀行を開設し、以下2ヶ所にもサスーン商会の支店を設立し、サスーン家の貿易事業を拡大した。
①リヴァプール
②マンチェスター
其の後、南北戦争中に事業が成長し、イギリス国内の紡績工場・イギリス市場への綿花の主要な供給者となった。軈て、デイヴィッド・サスーンの四男ルーベン・サスーンもイギリス事業の運営に携わる様になった。
1,858 アダム・オペルが、修行の為、リュッセルスハイム(現在のドイツのヘッセン州グロース・ゲーラウ郡)を出発する。以下を経由して、目的地のパリに到着した。
①リエージュ(ベルギー)
②ブリュッセル
③ロンドン
1,858 1 1 ジョン万次郎が箱館に到着する。
1,858 1 2 ジョン万次郎が病気の名目で出勤せず。箱館の住民は余所者は乗せないとして、万次郎の西洋式帆船「箱館丸」への乗船を拒否した。また、万次郎はアメリカ式の捕鯨を根付かせようとしたが、箱館の技術の方が優れていた。
1,858 1 6 ジョン万次郎が出勤する。其の時来航したアメリカ船に対しては、万次郎は直接捕鯨指導せず、他の人間を派遣して指導させた。
1,858 1 11 ジョン万次郎が、江戸へ向けて箱館を出発する。
1,858 1 25 タウンゼント・ハリスと下田奉行井上清直、目付岩瀬忠震の間で通商条約の交渉が始まる。
1,858 1 27 江戸幕府が、朝廷に通商条約を締結する旨を伝える。
1,858 2 27 日米修好通商条約の調印勅許を得る目的で堀田正睦が上京する為、第121代天皇の孝明天皇が、左大臣近衛忠煕、右大臣鷹司輔煕、内大臣三条実万及び議奏、武家伝奏へ開国か鎖国か下問をする。
1,858 3 2 孝明天皇が関白九条尚直に対し、「アメリカの思い通りになってしまっては、天下の一大事だ。朕の代にこの様な事になるのは、後代までの恥となる」と表明する。
1,858 4 25 関白九条尚忠が朝廷に条約の議案を提出するが、堂上公家137家の内、岩倉具視や中山忠能等計88名が条約案の撤回を求めて抗議の座り込みを行う。
1,858 5 21 シャルル・ルイ・アヴァスがブージヴァル(現在のフランスのイヴリーヌ県)で死去し、弐男のオーギュスト・アヴァスがオーナーの座を引き継ぐ。
1,858 6 4 井伊直弼が老中から大老職拝命を伝えられ、大老に就任する。
1,858 6 26 清とイギリスの間で天津条約が署名される。主な内容は以下である。
①外交使節の北京常駐
②内地旅行と揚子江沿岸開港場への自由往来
③新たな貿易規則と関税改正の為の会議の開催(アヘン貿易が合法化される)
④牛荘、登州、漢口、九江、鎮江、台南、淡水、潮州(後に同地方の汕頭に変更)、瓊州、南京の開港
⑤キリスト教布教の自由と宣教師の保護
⑥軍事費の賠償(イギリスに対し4,000,000両、フランスに対し2,000,000両の銀)
1,858 7 6 タウンゼント・ハリスと井上清直が下田協約を締結する。主な内容は以下の通り。
①日米貨幣交換比率改定
②下田・箱館における米人居住権
③長崎港の追加開港
④領事の日本国内旅行権
⑤領事裁判権の承認
1,858 7 29 日米修好通商条約が、タウンゼント・ハリスと井上清直、岩瀬忠震との間で締結される。 日本側には不利な不平等条約であった。内容は以下の通り。
①下田・箱館・神奈川等の開港
②江戸・大坂の開市
③下田・箱館の外国人居留地の設定
④治外法権、自由貿易を認める
⑤関税自主権を否定
1,858 8 1 日米修好通商条約締結が諸大名に公表される。
1,858 8 2 堀田正睦、松平忠固両老中が罷免される。
1,858 8 2 御三卿による将軍への公式な面会日であった徳川慶喜が登城し、条約締結を違勅として井伊直弼を詰問する。
1,858 8 3 徳川斉昭、第16代福井藩主松平春嶽、第14代尾張藩主徳川慶勝が不時登城を行う。入れ替わり立ち代わり井伊直弼に面会しその失政を追求したが、井伊直弼はひたすら平身低頭を繰り返す老獪な戦法で、これをかわす。春嶽は老中久世広周に将軍継嗣発表の延期を勧説した。
1,858 8 4 徳川家定の意思により、徳川家茂の継嗣発表が為される。
1,858 8 6 日米修好通商条約調印の旨が、宿継奉書で朝廷に知らされる。
1,858 8 7 日米修好通商条約の締結を聞いた孝明天皇は、左大臣、右大臣、内大臣の三役等に「天皇の位から降りる」と伝えるほどの怒りを見せる。孝明天皇が九条尚忠に譲位の意思を示した宸翰を下す。
1,858 8 8 朝議が開かれ、公家たちの説得で孝明天皇が譲位を思いとどまる。
1,858 8 13 徳川家定から、徳川慶喜に登城停止、徳川斉昭、松平春嶽等に隠居謹慎処分が発表される。
1,858 8 14 徳川家定が死去。
1,858 8 14 第10代水戸藩主徳川慶篤に登城停止処分が下される。
1,858 8 30 孝明天皇が近衛忠煕に譲位の意思を示した宸翰を下す。
1,858 10 9 フランスの外交官のジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵と日本の外国奉行(水野忠徳、永井尚志、井上清直、堀利煕、岩瀬忠震)及び野々山鉦蔵との間で日仏修好通商条約が締結される。
1,858 11 12 以下2名の間に参男オリバー・ハザード・ペリ-・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,858 12 15 フェルディナン・ド・レセップスが、資本金200,000,000フランの「国際スエズ運河会社」を設立する。400,000株が公募されたが、其の内207,160株をフランス人が、177,642株をムハンマド・アリー朝が引き受けた。此の頃イギリスは、インドへのルートとして、スエズ-アレクサンドリア間の鉄道建設を始めており、レセップスの運河計画に反対していた為、スエズ運河を重要な貿易ルートと認識していたものの、申込みをしなかった。国際世論は懐疑的で、イギリスの他にも、以下の国は国際スエズ運河会社の株を一切購入しなかった。
①アメリカ
②オーストリア帝国
③ロシア帝国
イギリスは、此のフランスのスエズ運河プロジェクトを、自国の地政学的及び財政的利益に対する脅威と見做した。
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