西暦1852年(嘉永5年)は、漂流から帰国したジョン万次郎が長崎から高知藩に戻り、第15代藩主山内容堂に西洋事情を語った年である。取り調べには蘭学に通じた画家河田小龍が立ち会い、聞き取った内容は後に「漂巽紀畧」全4巻にまとめられた。万次郎は士分に取り立てられて藩校教授館の教授となり、後藤象二郎や岩崎弥太郎らがその指導を受けた。アメリカではフィルモアがマシュー・ペリーを第10代東インド艦隊司令官に任命し、ペリーはノーフォークから上海へ向けて出航した。長崎ではオランダ商館長クルティウスがアメリカ艦隊の来航を予告する別段風説書を長崎奉行に提出し、国内では梅田雲浜が小浜藩主酒井忠義に海防策を建言して士籍を剥奪された。

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年月日 出来事
1,852 梅田雲浜が第12代小浜藩主酒井忠義に海防策を建言した所、幕政批判と捉えられ、士籍を剥奪される。
1,852 1 24 ミラード・フィルモアが、ジョン・オ-リックの後任として、マシュー・ペリーを第10代アメリカ東インド艦隊司令官に任命する。
1,852 7 21 第166代オランダ商館長ヤン・ドンケル・クルティウスが、以下の主旨の内容の別段風説書を長崎奉行に提出する。
①最近の情報では、アメリカより艦隊を派遣し、交易を行う為に日本に参上するとの事である。又、アメリカから徳川家慶に使節を派遣し、ミラード・フィルモアの親書を提出し、日本の漂流民を連れて来るそうである。此の使節は、アメリカとの民間貿易の為、日本国内の1〜2ヶ所の港の利用許可を願い出ると共に、適当な港を、石炭貯蔵所とする許可を得て、カリフォルニアと清との間を往来する蒸気船用に提供する事を望んでいる。
②アメリカの軍艦で現在清の海域に停泊しているものは以下の通りである。
❶サスケハナ(軍用蒸気フリゲート艦)
❷サラトガ(コルベット艦)
❸プリマス(コルベット艦)
❹セント・メアリーズ(コルベット艦)
❺ヴァンダリア(コルベット艦)
此れ等の船は、使節を江戸に送る様命じられているとの事である。最近の情報では、此れ等の諸軍艦の総督が、ジョン・オーリックからマシュー・ペリーに交代した様である。更に、此れ等の軍艦に加え、以下の軍艦を追加する様である。
❶ミシシッピ(蒸気外輪船、旗艦艦長M・S・クルーニーが指揮、ペリーが同乗)
❷プリンストン(蒸気スクリュー船、指揮官はシドニー・スミス・リー)
❸ペリー(ブリッグ船、指揮官は海軍中尉ハイルハキス)
❹サプライ(輜重船、指揮官はアーサー・シンクレア)
或る情報では、陸軍の装備及び攻城武器も積み込んでいるとの事である。但し、西暦1,852年4月下旬以前には出帆しないであろうし、恐らくもっと先になるであろうと聞いている。
1,852 8 10 以下3名が、高知藩へ向けて長崎を出発する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
1,852 8 25 以下3名が、高知藩に到着する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
第15代高知藩主山内容堂は、万次郎から直接西洋事情を聞き取った。其の際、異国の服装で召し出し、見物した。又、吉田東洋が取り調べを行うが、3名が日本語を殆ど忘れていた為、取り調べが出来ず、蘭学の知識のあった画家河田小龍を立ち合わせた。河田は、高知藩の許可を得て、万次郎を自宅に寄宿させ、日本語の読み書きを教育しつつ、万次郎から英語や西洋事情等を学び、聞き取った。其の後河田は、聞き取った内容を「漂巽紀畧」として全4巻の書物に纏め、山内に献上した。
1,852 11 2 以下3名が、宇佐に到着する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
万次郎は母汐と兄弟に再会した。汐は溢れる涙を止めず、姉と妹は、万次郎を失って置いた苔むした墓石を抱いて咽び泣いた。万次郎は以下のお土産を持参した。
①訪れた全ての海岸で拾った貝殻(汐)
②鏡(長姉)
③ボタン(妹)
④賽子一組(長姉の夫)
⑤白砂糖の小さな袋(弟)
⑥針
⑦鋏
⑧薬
⑨本
⑩地図
1,852 11 5 ジョン万次郎が、高知藩の上席定小者に召し抱えられ、定小者となり士分に取り立てられる。そして、高知城下の藩校「教授館」の教授となる。以下2名等が指導を受けた。
①後藤象二郎
②岩崎弥太郎
1,852 11 24 マシュー・ペリー一行が、以下4隻の船で、ノーフォーク(アメリカのバージニア州)から上海へ向けて出航する。
①蒸気外輪フリゲート艦ミシシッピ(旗艦)
②スループ型帆船プリマス
③スループ型帆船サラトガ
④補給艦サプライ
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