西暦1851年(嘉永4年)は、ポール・ジュリアス・ロイターがロンドンでロイター通信を設立し、最初の顧客にライオネル・ド・ロスチャイルドを迎えた年である。中国では洪秀全が金田で挙兵して太平天国を建国し、ドーバー海峡には世界初の海底電信ケーブルが敷かれた。日本では漂流民のジョン万次郎らが琉球に上陸して鹿児島・長崎へ護送され、アメリカではフィルモアがジョン・オーリックを遣日特使に任命したものの、スキャンダルにより同年中に解任した。アルフレッド・ノーベルはアメリカに留学した。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,851 ジョージ・ピーボディが「ピーボディ商会」を設立する。
1,851 ジョン・エマリーが、ロンドンの高級住宅地であるリージェント・ストリートに、紳士服店を開業する。
1,851 アルフレッド・ノーベルが、1年間アメリカに留学する。其処で、蒸気機関の開発や軍艦の設計を行なっていた機械技師ジョン・エリクソンの下で働いた。
1,851 アロイス・シックルグルーバーが、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの下を離れ、ウィーンにて靴職人の見習いとして働き始める。其れ以前からシュピタルの靴職人の下で靴作りを教わっていたシックルグルーバーは、約5年間働いた。
1,851 ウォーレン・デラノ・ジュニアが、バルムビル(アメリカのニューヨーク州オレンジ郡ニューバーグ)に約0.24㎢の土地を購入し、邸宅を建設する。デラノ・ジュニアは其の邸宅を「アルゴナック」と命名した。
1,851 1 11 洪秀全が広西省桂平県金田村(現在の中国広西チワン族自治区)で挙兵、太平天国を建国した。
1,851 2 2 ジョン万次郎がホイットモアに頼み、喜屋武岬(現在の沖縄県糸満市)の沖合でアドベンチャー号を下ろして貰う。其の際万次郎は、寅右衛門に対し、英語で書いた書簡を託した。
1,851 2 3 以下3名がアドベンチャー号で、摩文仁間切の小渡浜(現在の沖縄県糸満市大度)に上陸する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
3名は小渡の村人に歓迎され、ふかし芋をご馳走された。又、3名は、持参してきた牛肉やコーヒーを火に掛け、其の場で食して見せた。其の後3名は、摩文仁間切番所(現在の沖縄県糸満市米須)の役人に以下の所持物等を没収された。
①航海術書
②数学書
③ジョージ・ワシントン伝記
④地図
⑤八分儀
⑥コンパス
⑦ピストル
1,851 2 以下3名が、摩文仁間切番所から取り調べを受ける。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
役人からご飯とお箸を渡され、3名共上手に使い熟した事から、日本人であると認められた。其の後は那覇へ向けて、以下を経由して護送された。
①真壁(現在の沖縄県糸満市)
②兼城(現在の沖縄県糸満市)
③高嶺(現在の沖縄県豊見城市)
④豊見城間切(現在の沖縄県豊見城市)
しかし道中、3名が、キリスト教宣教師バーナード・ジャン・ベッテルハイムと会う事を恐れた鹿児島藩・琉球王国の役人が豊見城間切に戻す様指示し、翁長(現在の沖縄県豊見城市)の高安家に幽閉された。囚われの身ではあったが、綱引きや毛遊び等の行事に参加し、現地の人々と交流していた。曽て琉球の進貢船が遭難した際、高知藩に助けられた事から、第19代第二尚氏王統琉球国王尚泰王は、3名を手厚く保護し、以下の品目等を贈った。
①豚
②鳥
③魚
④泡盛
⑤衣服
1,851 4 30 駐米オランダ代理公使バロン F. テスタが、第19代アメリカ国務長官ダニエル・ウェブスターに対し、西暦1,842年8月28日に江戸幕府が発した薪水給与令の事を伝える。
1,851 5 9 ジョン・オーリックがダニエル・ウェブスターに対し、サンフランシスコの日本人漂流民を日本開国交渉の材料として活用する提案を行う。
1,851 5 10 ダニエル・ウェブスターが、ミラード・フィルモアから徳川家慶に宛てた書簡を起草する。其処には、ジョン・オーリックが宗教宣教師としてでは無く、徳川と日本国民との貿易と友情の条約を築く為だけに来ている事が明確にされていた。
1,851 5 29 第13代アメリカ大統領ミラード・フィルモアが、日本の開国と通商関係を結ぶ為に、ジョン・オーリックを遣日特使に任命する。
1,851 6 10 以下2点が発行され、ジョン・オーリックが正式に日本開国任務を委任される。
①ダニエル・ウェブスターが記した指示書
アメリカと清の貿易ルートの間に位置する日本を、蒸気船の燃料である石炭の貯蔵場として活用する為に開国させる旨が記されていた。
②ミラード・フィルモアの徳川家慶宛の書簡
1,851 8 27 以下3名が、鹿児島藩に護送される。以降西田町下会所(現在の鹿児島県鹿児島市西田)に留置され、交代で見張りに来る鹿児島藩の足軽から監視された。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
第11代鹿児島藩主島津斉彬の命により、鹿児島藩士は3名を丁重に扱い、毎日の様に山海の珍味佳肴で饗応し、美酒を振る舞う等して厚遇した。又、島津は田原直助と船大工数名を毎日派遣し、以下を学ばせた。
①造船術
②捕鯨術
③航海術
更に、島津は3名を鹿児島城に招き、万次郎に対し直々に海外の情勢や文化等について質問した。其の後島津は、万次郎とのやり取りを書簡に纏め、長崎奉行所に送付した。其の報告を、第104代長崎奉行内藤忠明が、第36代韮山代官江川英龍に知らせ、最終的に、万次郎の存在は江戸幕府に認識される事となった。
1,851 9 27 以下3名が、長崎に護送される。以降長崎奉行所による取り調べを受けた。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
長崎奉行所は、海外から持ち込んだ書物を全て没収し、キリスト教徒では無い事を確認する為に踏み絵を行った。長崎奉行所は、最終的に3名に対し、無罪の裁定を下した。
1,851 10 10 ポール・ジュリアス・ロイターが、ロンドンのシティ地区にある王立取引所の裏に「ロイター通信」を設立する。最初の顧客はライオネル・ド・ロスチャイルドであった。世界中に広がるイギリス植民地の商人ネットワークから届く情報をイギリスの投資家や政府に提供する事で、彼らを儲けさせ、大きな利益を得た。イギリス政府や商社はロイターの力で成長する事となる。
1,851 11 13 世界初の海底電信ケーブルがドーバー海峡(イギリス-フランス間)に敷かれる。
1,851 11 17 ミラード・フィルモアがジョン・オーリックを、ブラジル外交官を虐待したとして告発されたスキャンダルが発覚した事を理由に、日本開国任務から外す決定を下す。
1,851 12 6 コシュート・ラヨシュがニューヨークに到着し、アメリカへの亡命を果たす。此れによる外交的緊張により、ヨハン・ゲオルク・リッター・フォン・ヒュルゼマンが、オーストリア帝国駐アメリカ代理公使職を辞任し、後任として、オーガスト・ベルモントが此れを引き継いだ。ベルモントは、オーストリア帝国側の代理として、ラヨシュへの支援を拒否し、非干渉主義を維持する立場を取るミラード・フィルモア政権との仲介役を果たした。其の過程で、ベルモントとフィルモアは知己を得た。
1,851 12 28 以下2名の間に長男ペリー・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
ペンタゴンが主導した日本テレビ放送網設立に関する電子書籍 3S政策の一環。