西暦1847年は、アメリカで教育を受けたジョン万次郎が、捕鯨船フランクリン号での航海の途上で琉球王国への上陸を試みたが鹿児島藩の役人に断られ、ホノルルで漂流仲間の寅右衛門・筆之丞・五右衛門と再会した年である。清では洪秀全が拝上帝会を創設し、後の太平天国へと繋がる運動が芽生えた。ドイツではヴェルナー・フォン・ジーメンスがJ・G・ハルスケとともにジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造所を設立し、電磁式指針電信機を発明した。フランスの天文学者ユルバン・ルヴェリエは新惑星を海王星と名付け、アメリカではAMA(アメリカ医師会)が設立され、麻酔も発明された。アヘン戦争後の清では舟山返還条約が結ばれ、米墨戦争やオレゴン条約をめぐる動きも続いた。長崎に来航したオランダ船を通じて、これら海外情勢が風説書として日本へ伝えられた。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,847 洪秀全が拝上帝会を創設。
1,847 ヴェルナー・フォン・ジーメンスが、モールス符号を使わずに針で文字盤の文字を指す事で電文を伝える電磁式指針電信機と、地下ケーブルを発明する。
1,847 寅右衛門が、オアフ島の現地の女性と結婚する。寅右衛門は大工に就いていた。
1,847 ヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーンが聞き、本木昌左衛門・西与一郎によって別段風説書として、以下の主旨の内容が和訳され、老中宛に発送される。
①ウィレム2世は益々尊敬され、親族に至る迄恙無く暮らしている。
②オランダ領インドの船が難破した時、酋長ボーダーが、乗組員を拘束し、積荷を奪取する事件が有った。元々ボーダーは、東インドの奉行所の支配下であるビーマー王に仕えていた。
③ヤン・ヤコブ・ロシュッセンが、ビーマーに軍艦を派遣し、ビーマー王・ボーダーを襲撃した。ビーマー王・ボーダーは、奪った荷物を返し、犯した罪を反省し、赦免を請うた。荷物が返された後、ロシュッセンは集会を開き、ビーマー王・酋長達も列席した。其の中でボーダーは赦免を公に願い出て、奉行所は赦免を認めた。
④マカッサル(現在のインドネシア南スラウェシ州)に、外国船の通商の為の港が設置され、荷物の積卸が自由になり、陸海共に運上する必要が無くなった。
⑤一昨年にインドからオランダ本国に160隻で以下の荷物が送られ、奉行所が勘定に当たった。
❶コーヒー豆:932,667樽
❷砂糖:223,860俵
❸青黛:12,623箱
❹ジャワ産茶8,419箱
他にも多数の荷物が有った。
⑥清とイギリスの間で、アヘン戦争の和睦が整った際、舟山を戦費賠償の質としてイギリスに渡した。其の後賠償が支払われたので、西暦1,846年4月4日、舟山返還条約が締結され、イギリスは舟山を返還した。
⑦イギリスは、清が約定を守るものと考えていた。しかし広東では、下輩の者が、外国人が勝手に入る事に反発し、混乱が絶えない。此の混乱を鎮める為、第2代香港総督ジョン・デイビスが、西暦1,847年4月2日、蒸気船3隻・其の他軍艦を含む海軍一隊を率いての川に赴いた。ホッカーテイクルヌの砦をいとも簡単に奪取し、其の夜、イギリス船はワンポーに停泊した。翌朝、蒸気船2隻で広東に赴き、砦を占領した。西暦1,847年4月6日、耆英がジョン・デイビスの下を訪れ、以下が取り決められた。
❶今後2年間、イギリス人の広東への出入りは自由である。
❷イギリス人が広東近隣の地に、職業又は発散の為、上海同様に居住する事を許可する事。もし居住を妨げる者が居れば厳罰を科す事。
❸西暦1,846年11月29日に船員に乱暴した者、西暦1,846年4月7日に福州で大佐セスネイ等に乱暴した者に就いては、見せしめの罪に処す事。但し、セスネイに乱暴した者に就いては、広東に引き連れ、ヴィクトリアの執政から其の為に派遣された者の立ち合いの下、刑を執行する事。
❹川より江南側に在る広地は、イギリス商人達に家屋倉庫建設の為に貸し渡す。但し、場所に関しては、執政が広東を去る前に決定する事。
❺外国商館が有する土地の近隣は、寺院の為貸し渡し、黄埔の中で相応しい土地を墓地として定める事。
❻両花地間に、橋等の構造物を造るのは構わない。但し、海辺に店を造ってはならない。
❼混雑を避ける為、川の入口に停泊する船は商館より離す事。
⑧イギリス人達は、奪取した砦の大砲800挺の火門に釘を打ち込み使用不能にした。
⑨西暦1,846年12月6日、香港からイギリスへ向けて、清船1隻が出港した。「ケイング号」と称し、船長はイギリス人のケルレッテだが、乗組員は主に清人であり、此の様な遠海危難の波涛を清船が航海する事は此れ迄無かった。
⑩新任の駐清アメリカ公使エヴェレットが、清との取り決めの為マカオに赴き、広東総督ケイイングと会談を行った。
⑪フォルトローネンが、駐清フランス公使に任ぜられた。
⑫東インドに駐留するイギリス海軍の多数が、2~3度フーロービナングに集結した。軍艦フェルーンに乗り込み、ボメオとトロクの間に赴いている。
⑬阮朝のファウロンネの港内で、フランス王国軍艦4隻と阮朝軍艦5隻の戦闘が有った。フランスの執政を陸に呼び寄せ、其の隙にフランス王国軍艦を奪おうと、順化(現在のベトナムのトゥアティエン・フエ省フエ市)から派遣された者が襲ったと見られる。僅かな時間で阮朝軍艦3隻が飛散し、残り2隻はフランス王国軍が奪って焼き捨てた。フランス王国側は死者1名・負傷者1名を出し、阮朝側は1,000名程度が討死した。
⑭ラーマ3世は、外国との商売を重要と考えている様である。ラーマ3世の命で、美しいフリゲート艦を建造し、暹羅からイギリスへの砂糖の輸送に使用している。他にも現在4隻を、雑用の為建造中である。
⑮オーストラリア国内のイギリスの領有する土地が次第に拡がっている。其の為、アデレート(現在のオーストラリアの南オーストラリア州)の港は取引で入港する隻数の割には狭いという説が有る。
⑯スタヲールフォレスの北方に在るニューカッスル(現在のオーストラリアのニューサウスウェールズ州)の港に保税倉庫を設置する事となった。
⑰西暦1,846年7月頃、イギリスが多数の艦船で、オマル・アリ・サイフディン2世がブルネイ近海で悪事を働く海賊に加担したという理由によりブルネイを攻撃した。
⑱イギリスが、清やシンガポールを往復する蒸気船の為の石炭を採取する石炭山を開拓する事を意図し、ラブアン島(現在のマレーシアのサバ州)を領有した。
⑲フランスはタヒチ島を取り鎮めようとしているに違い無く、援軍を求めている。
⑳イギリス人とニュージーランド国民との確執は収まらず、加勢する者が在り、勢力が増している。又、退役した兵に土地を渡し、家族を呼び寄せ居住させる計画が有るとの噂を聞く。
㉑ロンドンから東インドへ航海する際、シンガポール・ヤーフハ・ティモール・ホルトエス・セングトン・トレス海峡・ネウストレ・シティレイを経由する事が有る。又、セイロン(現在のスリランカ)・スワン川(現在のオーストラリアの西オーストラリア州)・アデレートを経由して速やかにオーストラリアに到着出来るとは最早言えない。ところが、掘切りを大船の水路とすれば非常に便利になる。此の事業は現在イギリス・フランス・オーストリアによって進められている。
㉒ムハンマド・アリー朝では、原野に水を注ぐ為に、ナイル川に堰を造る事に精を出している。
㉓シベリア、特にウラル川(現在のロシア・カザフスタン)流域では、現在大量の金を掘り出している。其の量は昨年12,893.363kgに及んだ。
㉔コロンビア川(現在のカナダのブリティッシュコロンビア州~現在のアメリカのオレゴン州)にて、イギリスとアメリカの間で、国境に関する両国の確執が有ったが、西暦1,846年6月15日のオレゴン条約により、オレゴンはアメリカに属する事となった。
㉕テキサスをアメリカに併合しようとした際、アメリカとメキシコの間で戦闘となった。当初はアメリカが優勢であったが、メキシコの防御も予想以上に堅固であった。モンテレイ(現在のメキシコのヌエボ・レオン州)を4日で陥落させた。西暦1,847年2月22日、メキシコ軍最高指揮官アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ率いる軍と、メキシコ北部軍最高司令官ペドロ・デ・アンプディア率いる軍が戦闘となった。アメリカ軍の1組の軍勢と共にサルティーヨ(現在のメキシコのコアウイラ州)まで進軍し、戦いは2日に渡って続いた。ベラクルス(現在のメキシコ)とサンタ・クルス・ウアトゥルコ(現在のメキシコのオアハカ州)は、アメリカ軍指揮官の将軍スコットに奪取されたとの噂が有る。
㉖カリフォルニアには昨年、アメリカ軍が駐留していた。
㉗スペインでは、イサベル2世とカルロス4世の弐男カルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボンの王位継承争いが起きたが、漸く穏やかになった。イサベル2世は、カディス公フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボンと結婚した。フランシスコは、イサベル2世の叔父でカルロスの弟のフランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボンの弐男である。カルロスは本来自分が王位を継ぐべきと考えていたが、カルロスの兄のフェルナンド7世は、女王を禁じた法律を変えてカルロスを追放し、自身の娘であるイサベル2世に王位を継がせた。
㉘ブラガンサ王朝では、最近暴動が起こった。様々な対策が講じられているが、今の所鎮まっていない。
㉙ヨーロッパ諸国ではじゃが芋が不作で、ドイツ・フランス、取り分けスコットランド・アイルランドでは食糧が乏しくなった。此れを受けて、北米から玉蜀黍と麦粉が送られた。
㉚ロシア帝国とコーカサスの山に住む人々の争乱は未だ鎮まっていない。ロシア人にとってコーカサスは住みにくい場所の様である。
㉛フランス人とアブド・アルカーディルとの争乱はまだ鎮まっていない。唯、アルカーディルの勢力はかなり衰えてきた。アルカーディルは僅かに残った部下と共に荒野へと去っていった。
㉜イブラーヒーム・パシャが、パリとロンドンを表敬訪問し、其々歓迎された。フェーニスの国主もフランスを表敬訪問したが、此方も歓迎された。
㉝フランスの天文学者ユルバン・ルヴェリエが、新しい惑星を発見し「ネプチューン」と名付けた。
㉞ドイツの医学者ボッツセルは、綿に硫黄酸を染み込ませ、爆発する力を蓄える発明をした。此の綿を少量小銃に込めて発射すれば、塩硝を込めて発射した時と同程度の威力が有る。
㉟アメリカで、人体を萎えさせる「麻酔」が発明された。此れを使えばどんなに厳しい治療を受けても痛みを感じない。此の方法はヨーロッパにも伝わった。
㊱ヨーロッパからバタヴィアに紙製の人形が送られて来た。人体の各器官を細かく模型にして作ってある。此れは人体の内部を理解する為のものである。
㊲ヨーロッパ及び北米では、次第に鉄道が敷設され始めた。此の計画はアメリカ東部各地から西側各地へ、又、ニューヨークからコロンビア川まで往来する為である。鉄道を使えば、重い荷物を一度に6~12時間で運送する事が可能である。
1,847 1 7 マリア・アンナ・シックルグルーバーが死去する。
1,847 3 ジョン万次郎が、以下を経由して琉球王国に上陸する。
①ボストン
②ファイアル島
③カーボベルデ群島
④ニューアムステルダム島(現在のフランスのアムステルダム島)
⑤クパン(現在のインドネシアの東ヌサ・トゥンガラ州)
⑥セラム島(現在のインドネシア)
⑦ニューアイルランド島
⑧グアム
⑨父島
しかし、鹿児島藩の役人に、外国船から降りて来た人間を上陸させられないと言われ断られる。これまでの事情を説明しようとするも、片言の日本語しか話せなくなっていた。
1,847 3 31 以下2名が八丈島への上陸を試みるが、波風が強く失敗する。
①筆之丞
②五右衛門
1,847 4 以下2名が蝦夷の東海岸に上陸したが、全く人がおらず、船長の指示で引き上げた。
①筆之丞
②五右衛門
1,847 4 14 西暦1,843年8月30日に江戸幕府が通達した「海外で救助された日本人漂流者は清船・オランダ船以外は受け取ってはならない」という内容がオランダ政府から第17代アメリカ国務長官ジェームズ・ブキャナンに口上書にて伝えられる。
1,847 5 7 世界三大医学雑誌であるJAMAの発行元であるAMA(アメリカ医師会)がニューヨーク・メディカル・ソサイアティによって、アメリカ各州の医師会の連合体としてイリノイ州シカゴにて設立される。AMAは自然医学に反対の立場を取っており、西洋医学を推し進めた。
1,847 8 6 オランダ船が1隻長崎に来航する。オランダ船長が語った内容を、ヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーンが聞き、通詞目付・大通詞・小通詞によって風説書として、以下の主旨の内容が和訳され、老中宛に発送された。
①当年来日のオランダ船1隻、西暦1,847年7月7日にバタヴィアを出港し、海上異常無く、西暦1,847年8月6日に長崎に到着した。此の1隻以外に仲間船は無い。
②台湾で清船約12隻、日本の陸地近くで4隻見掛けた。
③西暦1,846年11月24日に長崎を出港したファンネイ号は、西暦1,846年12月14日にバタヴィアに到着した。バンカ島(現在のインドネシアのバンカ・ブリトゥン州)付近で清船1隻を見掛けたが、此の船は西暦1,846年12月20日にバタヴィアに到着した。
④昨年報告した様に、ヒリリング王とカランガスム(現在のインドネシアのバリ州)を支配しているヒリリング王の兄弟は、山中に隠れて其処から出られず、ヤン・ヤコブ・ロシュッセンの赦免を得る為に使者を送って来た。ヒリリング王が改めて奉行所の指示に従う様取り決め赦免した。ゼリング中に砦を築き、オランダ兵を一部残し、残りの兵と軍艦はジャワ島に引き揚げた。
⑤ウィレム2世は、④の内容の報告を受け、特別軍功の有った兵への表彰を行う。
⑥西暦1,846年7月頃~1,847年1月頃迄の間、清はイギリスに、茶を29,618,285ポンド輸出した。
⑦ジャワ島は静謐である。其の他変わった事は無い。
1,847 10 以下2名がホノルルへ帰港する。
①筆之丞
②五右衛門
1,847 10 フランクリン号が、マニラを経由してホノルルに寄港する。ジョン万次郎は、別れた漂流民に会う為に役所に行き、日本人1名が住んでいるという場所を教えて貰い、其処へ向かい、寅右衛門と再会した。更に以下2名とも会い、本年3月に八丈島への上陸に失敗した旨を聞いた。
①筆之丞
②五右衛門
万次郎は「また機会がある、3人で日本に帰ろう」と言って励ました。
1,847 10 12 ヴェルナー・フォン・ジーメンスとJ・G・ハルスケが、ドイツのベルリンに「ジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造所」を設立する。
1,847 11 フランクリン号が、ホノルルを出港する。此の頃からアイラ・デービスが精神病になり、刀や鉄砲を振り回す様になった。デービスは乗組員によって監禁された。其処で、新しい船長を選ぶ為に投票を行い、一等航海士アイザック・エーキンとジョン万次郎が同票でトップとなった。結果、年長のエーキンが船長となった。
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