西暦1846年は、アメリカで学んだジョン万次郎がバーレット・アカデミーを優秀な成績で卒業し、捕鯨船フランクリン号に給仕係として乗り込んで母に会うための帰国を決意した年である。同年7月、アメリカ海軍のジェームズ・ビドルが戦列艦コロンバス号とスループ ビンセンスを率いて浦賀に来航し、通商を求めた。アメリカでは米墨戦争が勃発し、オーガスト・ベルモントが財務省の貸付金引受人となった。日本では徳川斉昭が老中首座の阿部正弘とオランダからの国書とその返書をめぐって意見を交わし、開国前夜の緊張が高まった。フランクリン・デラノ・ローズヴェルトの祖父ウォーレン・デラノ・ジュニアもこの年アメリカへ帰国し、フェアヘイブンの万次郎をしばしば訪ねた。海外ではシク戦争でラホール軍がイギリスに敗れ、清はフランスと黄埔条約、アメリカと望厦条約を結んだ。長崎に来航したオランダ船を通じて、これらの情勢が風説書として日本へ伝えられた。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,846 ウィリアム・ラッセルが、本年から翌年にかけて、コネチカット州議会にてニューヘイブンの代表として、ホイッグ党の議員を務める。
1,846 ウォーレン・デラノ・ジュニアがアメリカに帰国する。其の後家族を作り、株式投資により安泰な生活を送った。度々、フェアヘイブンで暮らしていたジョン万次郎の下を訪れていた。
1,846 ジョン万次郎が、バーレット・アカデミーを優秀な成績で卒業する。
1,846 重助が病死する。オアフ島のカネオヘ(現在のアメリカのハワイ州)に埋葬された。
1,846 3 15 予てから徳川斉昭が、オランダから届いた国書とそれに対する幕府の返書を内緒で見せて欲しいと老中首座阿部正弘に申し入れていたが、この日それが実現し、阿部は徳川から意見を受ける。
1,846 3 26 再度徳川斉昭が、オランダから届いた国書と、それに対する幕府の返書を阿部正弘から見せてもらい、阿部は徳川から意見を受ける。
1,846 4 25 米墨戦争が勃発する。此の頃には、オーガスト・ベルモントはアメリカ財務省が借り入れた大部分の貸付金の主要な引受人となっていた。
1,846 5 3年前にジョン・ハウランド号にジョン万次郎と共に乗船していたアイラ・デービスが、万次郎の下を訪ね、万次郎に捕鯨船フランクリン号の乗組員に誘う。万次郎は、日本近海に向かう事を知り、母に会う為に帰国を決意した。
1,846 5 16 フランクリン号が、アイラ・デービスを船長として、ニューベッドフォードを出港する。ジョン万次郎は、荷物の中に遭難以来、大切に持ち続けていた母の作った一枚の着物を詰め込み、給仕係として乗船した。
1,846 7 第164代オランダ商館長ヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーンが聞き、通詞目付・大通詞・小通詞によって別段風説書として、以下の主旨の内容が和訳され、老中宛に発送される。
①ウィレム2世は、偉大且つ武勇に優れ、大変しっかりした性格であり、当然ながらオランダは安定しており、益々繁栄している。
②ウィレム2世は、国務大臣に東インド領の総督を命じ、政治を任せている。
③バリ島の国王が東インド総督府に対して反抗的で、争乱の兆しが有るので、オランダ軍の軍艦数隻を征伐の為派遣した。ロンボク島(現在のインドネシア西ヌサ・トゥンガラ州)の国王等は、此れに理解を示し、協力を申し出たが、オランダ軍だけで十分であり、礼を尽くして断った。
④アルジェリアでは、アブド・アルカーディルの軍勢が20,000名増加している。フランスとイギリスは協力してメリナ王国(現在のマダガスカル)のタマターフェに軍を派遣した。此れは、タマターフェの女王が、現地のフランスとイギリスの商人を理由無く追放した事に拠る。タマターフェの女王に対する交渉は、近くのイギリス領マンテイラエス島・ボウルホン島より行った。
⑤フランスの公使ラケンネと清が黄埔条約を結び、外国向けに開港した5港をフランスも使用する事となった。又非常時には、其れ以外の港に入っても良い事になった。
⑥フランスはタヒチ及びエイモーの島に自国の旗を立てて、領有を目論み、現地の島民と戦争を始めた。従って、マルキーズ諸島に居住するのは不安定である。
⑦アヘン戦争による清の5港開港条約前後のイギリスの交易銀高は以下の通り。但し、売上高には、アヘンが含まれておらず、此れを加えると倍の売上高になる。
❶西暦1,831年以前:売上高9,236,223ドル、買入高13,176,537ドル
❷西暦1,844年開港以降:売上高20,356,580ドル、買入高20,765,514ドル
⑧広東では数度混乱が起きている。原因は、イギリス人が市中を徘徊する事を清国民が嫌い、もしイギリス人が市中を徘徊するなら、イギリス商館を焼き払う姿勢を見せている。此れを受けて清の役所は、西暦1,846年3月9日に御触書を出して鎮めた。又イギリスが、アヘン戦争の賠償金を清が支払う迄という名目で舟山(現在の中国浙江省)を占拠しており、イギリス軍の舟山からの撤退時期も絡み、不満が高まっている。
⑨西暦1,845年10月頃、イギリスの蒸気船プシゲトン号の艦長ロスは、第12代イギリス領インド総督ヘンリー・ハーディングの使いとして、第3代阮朝皇帝紹治帝への書簡と贈り物を運んだ。此れは過去にイギリス船2隻が阮朝海岸で難破した際、人道的取扱を受けた事に対するお礼であった。ロスは、阮朝で厚遇を受け、紹治帝からヴィクトリアへ宛てた書簡を受け取って帰った。
⑩イギリスと東インド・清との定期航路便として、蒸気船2隻が投入された。1隻はイギリスからアレクサンドリア(現在のエジプト)に2回/月通い、もう1隻は、エジプトとの航路を通う。同様の方法で、香港→マニラ→バタヴィアの便は、オランダ蒸気船で航路を確保する。又、ジャワ島とオランダ領東インド所属の島々との定期便航路が有る。イギリス当局は、インドと清への蒸気船航路をニューリードアフレスへ延長したい考えである。
⑪イギリス領東インド総督府より、配下数百名を、ボルネオ島(現在のインドネシア・マレーシア・ブルネイ)の北岸に派遣した。ブルネイよりラブアン島(現在のマレーシア)を引き渡す取り決めが有った。但し此の北岸は、元々オランダ領では無かった。イギリスは序に、北岸の海賊を攻め、海賊は度々敗北した。第24代ブルネイ国王オマル・アリ・サイフディン2世は、イギリスにラブアン島を引き渡す取り決めに関わり、利を得た大臣達を皆殺しにした。
⑫フランス使節ラケンネと・フランス提督セシルが、バシラン島(現在のフィリピンのバシラン州)を譲る件で、ルイ・フィリップ1世は乗り気では無い。
⑬ニュージーランドでは、現地民とイギリス人との争いが絶えない。
⑭イギリスがハワイ島を領有する事にヴィクトリアは反対している。
⑮西暦1,845年12月13日、ヘンリー・ハーディングが、ラホールの役所の兵が理由無くイギリスの領地を占領した為、高札を立て、ラホールの役所へ軍を派遣する事を通告した。其の後、西暦1,845年12月18日・21日・22日に、イギリス兵とラホール兵が戦ったが、双方共予想以上に苦戦した。だが軈てイギリス軍が優位になり、大砲79門を奪取した。其の後西暦1,846年1月29日に再戦し、イギリス軍が大砲67門を奪取した。西暦1,846年3月12日には、最後の決戦が有り、10,000名のイギリス兵がラホールを包囲し、ラホール軍の大将は自領に退却した。
⑯フランス王国の新聞によれば、ステイルレソイドセーとインド洋を通行するのに、パナマを越境する蒸気車と鉄道の技術、或いは運河を掘削するかによって便利にする方法が有ると述べている。此の為の費用は10,000,000フランであるとの事である。
⑰アメリカと清の条約概略は末尾に示す。
⑱メキシコの属国であったテキサスがアメリカに編入した。カリフォルニアは此の通りにならなかった。しかしアメリカは、カリフォルニアを領有する意思が有る。
⑲コロンビア川の北方に当たるオレゴンは、イギリスとアメリカの争点であり、此れは将来争乱の火種になると人々は考えている。
⑳ロシア当局は、カスピ海の航海の為、蒸気船3隻を建造した。此れはコーカサス・ペルシャ・ミロデラーシーへの通行の利便性を向上させる為である。
㉑第3代ガージャール朝シャーのモハンマド・シャーが老衰を理由に、嗣子後見を依頼する為、カスピ海に所在する属国の1つをロシア帝国に譲った。其処は、石炭が大量に産出される場所であった。
㉒コーカサス地方の山岳民族は、ロシア帝国に服従する事を嫌っている。先般ロシア帝国が山林を焼き払った。
㉓北米へ移住するドイツ人は、年々500名ずつ増加し、特にテキサスへの移住者が多い。
㉔オーストリアでは、紅海と地中海の通行に運河を通す事をエジプトの支配者と打合せ、同意を得ている。
㉕琉球王国にフランスの者が居住し、キリスト教を広めようとしている件に就いては、フランス政府からの指示である、という事は明らかにしていない。
㉖提督ジェームズ・ビドルの指揮するアメリカのフリゲート艦コロンバス号が日本へ向かった事が広東の新聞に出ている。アメリカ国民の取り扱いに就いて改善を要望する為と云う。
㉗フランス王国の提督セシールが、フリゲート艦サピーネ号で日本へ向かうとの事である。此れは日本の海岸でフランス王国の鯨漁船が難破したとの噂が有り、其の乗組員を捜索する為である。
清・イギリス・フランス王国・アメリカと締結した条約文を此処に添付する。先ずは西暦1,844年10月24日に締結された黄埔条約である。
①両国の人民は代々平和を守り、親密たる事。
②フランス人及び其の家族は、広東・厦門・舟山・寧波・上海に居住する事が出来る。
③②で挙げた5港に於いて、フランス人の所有物を盗んではならない。
④②の5港にフランス軍艦を停泊させる事が出来る。
⑤輸出入の全ての荷物は、関税表に照らし、此の関税率に従い運上銀を定める。此の件に関し、税関の役人に贈り物等をしてはならない。又此の運上銀は、他国の納める金額よりも増額してはならない。現地の業者と同様に扱う事。
⑥輸入品は、運上銀を支払い次第フランス王国内に取り入れる。もし他所に送る際は別途運上銀を支払う必要が有る。其の際、清の税関の役人に贈り物をしてはならない。
⑦密輸入貨物は税関の役人が取り上げる事。
⑧全ての荷物は勝手に清と売買してはならない。
⑨売買荷物の償銀に関し、双方の奉行所は保障しない。担当役人の監督の下、お互い約束違反無く支払う事。
⑩港内の水先案内人に就いては取り決めて置く事。
⑪清の役人の指揮でフランス船が港に停泊している間は、護衛する事。護衛の者は、フランス船への乗船や小船での護衛を行って構わない。但し護衛費用は、船主が支払うのでは無く、其の港の運上所が負担する事。
⑫フランス船は入港後2日以内に船名・船の大きさ・積荷書を差し出す事。もし遅延した場合は罪となる。
⑬入港したフランス船が、荷上げ前2日以内に港から出航する場合は、使用料としての運上銀を支払う必要は無い。商売をした港で支払う事。
⑭港の使用料は、150t以上の船の場合、銀18.75g/t、其れ以下の場合、3.75g/tと定める。停泊日数に関わらず一度支払えば良い。又、乗組員や、郵便・食糧を運搬する船は支払う必要は無い。
⑮清の税関の役人は荷物検査と関税徴収を行う事。
⑯関税は荷上げの際に支払う事。支払い済みとなれば、荷物を再度積み入れて持ち帰る際は再度の支払いは不要である。
⑰買入荷物の関税は、荷積みの際に支払う事。此れは清の貨幣でも、他国の銀でも良い。
⑱②の5港の運上所に於いて、広東で定めた度量衡を適用する事。
⑲積荷を別の船に移す際の規則を作る事。
⑳フランス船主及び商人は、荷物の上げ下ろしの為に、清の小船や労働者を自由に雇い入れて良い。
㉑フランス人が②の5港に於いて、住居や土地を借りて、造作を行い、且つ寺院・病院・墓所等を建てた際、もし清人が乱妨狼藉を働いた場合、厳しく罰する事。
㉒②の5港に滞在するフランス人は、両国の役人の取り決めた場所以外に妄りに徘徊してはならない。
㉓フランス人は②の5港に於いて、通訳・手芸職人・水夫・清の諸地方の方言に熟達した者を雇ったり、フランスの書物の販売・清の書物の購入は自由である。
㉔フランス人と清人の間で争いが起きた際、フランスの役人が解決する事。但し、止むを得ない場合は、清の役人も解決に当たる事。
㉕清は、フランス人に対し妨害を行わぬ様、関係当局は注意を払う事。もし盗賊・フランス商館・病人養生所・居宅等に暴行や放火を行った場合、其の罪に応じて厳刑に処する事。
㉖㉕に於いて、罪を働いた清の者は、清の奉行所に捕らえられ、其の罪は赦されてはならない。
㉗フランス人同士の争いを含む、外国人同士の争いを、清の役人に処理させてはならない。
㉘清の奉行所より、フランス船に対する海賊行為が為されぬ様対策を行う事。もし発生した場合は、海賊を捕らえ、荷物は関係者に返還する事。
㉙フランス軍艦の乗組員は、②の5港の何れでも客分として扱われる事。商船に問題が有れば丁重に扱い、破損が有れば、修理を補助する事。
㉚フランス人で逃げた者が居たら、逮捕してフランスの役人に引き渡す事。又清の罪人がフランス人の居宅や船中に隠れていた場合は、清の役人の要求で引き渡す事。
㉛清と、フランス以外の外国との間で争乱が発生した場合、フランスは何方にも加担せず、中立を守る。
㉜清・フランス両国の取り交わしの文体を定め、文通を含めて、両国が平等な立場で接する事。
㉝フランス政府から北京政府へ文通する際、フランス領事より、広東の欽差大臣又は両広総督の役所へ提出する事。返書も然りである。
㉞上記取り決めは12年間変更してはならない。但し、他国がより良い条件で清と条約を締結した場合、フランスにも適用される事。
次に、西暦1,844年7月3日に望厦村(現在の中国マカオ花地瑪堂区)にて、特命全権公使ケイレブ・クッシングと、第43代両広総督と通商事務を兼任していた耆英によって締結された望厦条約に就いて記す。
①アメリカと清の両国の人民は、代々に渡り平和である事。
②売買する商品の関税に当たる運上銀は、取り決めた箇条書に定めた価格に沿って決める事。運上銀に関しては、どの国も定めた金額よりも増加してはならず、且つ進物の代金は除外する事。尚、清からアメリカを除く他国に便宜を図った場合、アメリカにも同様の対応を行う事。
③アメリカ人及び其の家族は、広東・厦門・舟山・寧波・上海の5港への入港・居住を自由に行う事が出来る。
④③の5港に於いて、領事と関係役人は、相互に公用・私用の文通を対等に行い、不都合有れば都度改める事。
⑤アメリカ人が自国或いは他国の商品を売り込み、且つ買い入れた商品を自国或いは他国へ持ち出す際、取り決めから漏れていない商品に関しては、運上銀を支払い次第、自由に取引を行って良い。
⑥港の使用料は、1,500t以上の船の場合、銀18.75g/t、其れ以下の場合、3.75g/tと定める。使用料は、一度支払えば、仮令別の港に入港して取引を行っても使用料を払う必要は無い。
⑦乗組員の移動・郵便・食糧運送に用いる船は、港の使用料を支払う必要は無い。
⑧荷物を運送する船の借り入れ・港の水先案内人の補助・商品を売り込む際の通訳・各職種の職人を雇うのは自由である。
⑨清は税関に役人を配備し、港に停泊している船に注意を払う事。其の際役人は、船中に居ても小船に居ても良い。但し乗組員から贈り物や食糧を受け取ってはならない。
⑩入港する船は、2日以内船名等を届け出なければならない。怠った場合は罪となる。定例の手続きが済んだら荷上げは自由に行って良い。もし荷上げ前2日以内に出港する場合は運上銀の支払いは不要であるが、其れを過ぎた場合は所定の運上銀を支払う事。
⑪荷物の荷上げや船への積み込みに関し、揉め事が起きた際は詮議する事。
⑫③の5港に於いて、清と自由に取引しても良いが、買い占めて売り捌くのは禁止とする。
⑬両国の商人が借金で揉めても、奉行所は補填しない。当事者同士で債務が履行される様計らう事。又、一度取り決めしたのであるから、違背の無い様気を付ける事。
⑭アメリカ人の居住・生活の為に、住居・寺院・病院・墓所や土地を貸す事。又、アメリカ人は③の5港及び近隣の往来は自由とする。但し、地方の村へ行く事は禁止とする。
⑮アメリカ人は、清の各地の学者を招いて其の地方の方言を学習したり、清の書籍を購入しても良い。
⑯清の奉行所は、現地民がアメリカ人に対し不埒な事をせぬ様、護衛の役人を手配する事。
⑰荷物を他の港へ移動させる際は、関税に当たる運上銀を支払う必要は無い。
⑱両国の奉行所は、罪人が在れば逮捕し、刑を執行する事。
⑲清とアメリカ以外の外国との間に戦争が発生した場合、アメリカは何れにも加担しない。
⑳③の5港に駐在する領事は、毎年貿易高を北京の役館に報告する事。
㉑アメリカとアメリカ以外の外国人の間で発生した揉め事には清は干渉しない。
㉒アメリカ人が清の役人へ文通する場合は、事前に領事に報告して指示を受ける事。又、清の役人からの書簡も同様に、清の外国掛の指示によって提出される。
㉓商船の乗組員はアメリカの役人の管轄であり、清の奉行所では、アメリカ人とアメリカ以外の外国人との争いの裁定には関与しない。但し、清に関係する海賊等は防御の事。もし海賊行為が有れば、犯人を逮捕し、盗難品を取り上げて持主に返還する様にする事。
㉔難破船に関し、乗組員や荷物に不都合が無い様に警固し、船の修理にも協力し、荷物の紛失が有れば変換する事。
㉕居住者や船中に於いて、どの様な問題が起きても、清側から包囲をしない事。
㉖アメリカ船乗組員が逃げ出した場合は逮捕し、領事又は他の役人に引き渡す事。清の罪人がアメリカ船若しくは居宅に隠れた場合、清の役人の要請によって引き渡す事。
㉗往復の文書の形式を定め、全て平等と心得、両国の奉行所は互いに贈り物をしない事。
㉘アメリカ政府から清政府への書簡は、清の外交を司る欽差大臣或いは両江総督・両広総督の指示により差し出す事。
㉙軍艦は、清の何れの港でも客分の扱いとし、食糧調達に気を配り、不自由の無い様にする事。
㉚通商が認められていない港で、停止された品物を売り払ったり、アヘン等の禁止された品物を持ち込んだ場合、清の奉行所では取り扱わない事。
㉛上記の取り決めた条文は12年間変えず、アメリカ人が清に来た時は、総督が取り仕切る事。
1,846 7 19 アメリカ海軍士官ジェームズ・ビドルが戦列艦「コロンバス」および戦闘スループ「ビンセンス」を率いて、マカオから浦賀に入港した。事前にオランダ風説書で予告されていた。
1,846 8 12 オランダ船が1隻長崎に来航する。オランダ船長・事務長が語った内容を、ヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーンが聞き、以下の通詞目付によって風説書として和訳された。
①本木昌左衛門
②西与一郎
③楢林鉄之助
④森山源左衛門
⑤植村作七郎
⑥中川索左衛門
⑦西記志十
⑧志筑龍吉
⑨岩瀬弥七郎
⑩名村貞五郎
⑪横山源吾
⑫楢林寛一郎
以下の主旨の内容が老中宛に発送された。
①当年来日のオランダ船1隻、西暦1,846年7月14日バタヴィアを出港し、海上異常無く、西暦1,846年8月12日に長崎に到着した。此の1隻のみで仲間船は無い。
②西暦1,845年11月2日に長崎を出港したデンユルスホウト号は、海上事故無く、西暦1,845年11月29日にバタヴィアに到着した。清へ向かうヨーロッパ商船を数隻見掛けた。
③昨年帰国したオランダ船が預かった江戸幕府からウィレム2世に宛てた返書は、ブリックのスワーリユ号で西暦1,845年12月2日にオランダ本国へ送った。此の船の艦長はヘットホーフト中佐。又返書と一緒に頂いた贈り物は西暦1,846年1月10日にフリゲートのヤーソン号で送った。
④ピーター・メルクスの後任として、ウィレム2世の命で、ヤン・ヤコブ・ロシュッセンがオランダ領東インド総督として、西暦1,845年9月28日にバタヴィアに赴任した。即日、オランダ領東インド総督代理ジョアン・コーネリス・ラインストから引継ぎを行った。
⑤2年前、ジャワ島への船は1,706隻入港した。此の内1,375隻はオランダ船で、331隻は外国船である。同年ジャワ島から1,658隻が入港し、内1,238隻がオランダ船、320隻が外国船であった。
⑥西暦1,845年7月3日、オスマン帝国の港で大火が有り、17時間で5,000軒の家が焼失し、24,000,000ギュルデンの損害が出た。
⑦西暦1,845年7月頃に、ウィレム2世がイギリスを表敬訪問した所、ヴィクトリアの大変丁寧な饗応が有り、元帥として扱われた。
⑧西暦1,845年8月頃、ヴィクトリアがプロイセン王国を表敬訪問した。其の道中、ライン川付近で第4代プロイセン王国国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が待ち受けて面会した。帰路、ヴィクトリアは、ルイ・フィリップ1世を短時間表敬訪問した。
⑨北米のケベック(現在のカナダ)で出火し、2,000戸が焼失し、9,000,000ギュランの損失が出た。又、ニューヨークでも100戸の家が焼失した。
⑩西暦1,846年1月頃、ニコライ1世がイタリアを訪問した。
⑪西暦1,845年7月1日から西暦1,846年2月下旬にかけて、81隻の船で清からヨーロッパに以下の茶を運んだ。
➊黒茶:33,656,317ポンド
❷青茶:5,807,524ポンド
⑫西暦1,846年2月16日夕暮れ、イギリス領セントヘレナ島で地震が有った。最初は其れ程激しく無かったものの、夜になり次第に激しくなり、翌日になって13隻の船が破損し、陸地でも被害は少なく無かった。
⑬バリ島の近海で、オランダ領ヒリリング(現在のインドネシア)の船とオランダの船が出会った時、旗を揚げなかった事で問題が起こった。ヒリリングの酋長とはオランダ領東インド政庁との決め事も有ったのにも拘わらず此れに背いた。此れを受けて、此れ迄の約束を実行させる為、陸海軍の一隊をバリ島へ派遣した。西暦1,846年6月28日、ハレイン村の東方に陣を構え、海軍の援兵で大砲60挺を備えた。結果、ハレイン村を占拠した。翌日、軍勢はシンガレデイヤに赴き、ヒリリングの王の城を取り囲んで焼き払った。恐らくヒリリング王は僅かの近習と共に山中に逃れたものと思われる。ジャワ島全体は静謐である。
⑭此度バタヴィアから長崎への航海中、清船は見掛けなかった。
1,846 9 ウィリアム・ホイットフィールドが、ホノルルに上陸する。其の後以下2名を日本に帰国させるべく船を手配した。
①筆之丞
②五右衛門
帰国の件は当初は寅右衛門には知らされなかったが、筆之丞によって伝えられた。
1,846 12 以下2名を乗せた船が、日本へ向けてホノルルを出港する。
①筆之丞
②五右衛門
寅右衛門は当初は帰国に傾いていたが、出港直前に翻意した。
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