西暦1843年は、ジョン万次郎がアメリカで学び始め、カール・マルクスがパリでハインリヒ・ハイネと出会った年である。5月7日、ジョン・ハウランド号がタヒチ・フィジー・グアムを経てニューベッドフォードへ帰港し、万次郎はフェアヘイブンのウィリアム・ホイットフィールドの自宅で一晩を過ごした。5月8日、ホイットフィールドは結婚の為にシピオの叔父の下へ向かうに際し、万次郎を友人エベン・アキンの自宅へ下宿出来る様手配し、5月31日に西暦1839年に婚約したアルベルティーナ・キースと結婚した。以降万次郎はホイットフィールドの自宅や農場で暮らし、初級学校のオールド・ストーン・スクールへ入学している。西暦1841年2月4日に鳥島へ漂着し6月27日に救われた少年が、学び舎を得た事になる。8月30日には江戸幕府が、海外で救助された日本人漂流者は清船・オランダ船以外から受け取ってはならないと定め、オランダ商館のカピタンにも通達して外国へも伝えさせた。西暦1842年8月28日に薪水給与令へ戻りながら、人の受け取りには線を引いた事になる。西暦1837年のモリソン号の様な船を、二度と迎え入れぬ為であった。10月にはカール・マルクスと妻イェニー・フォン・ヴェストファーレンがパリのヴァノー通りへ移住した。ラインラント・ニュースへのプロイセン王国政府の弾圧が切っ掛けである。12月にはハインリヒ・ハイネと知己を得た。マルクスはハイネを崇拝し、ハイネはマルクスにプロレタリア革命思想を植え付けている。ハイネは西暦1819年10月頃にボンの大学へ進み、西暦1831年にパリへ移ってジェームス・ド・ロスチャイルドの下で働き始めた三従兄弟であり、西暦1835年10月に同じボンの大学へ入った従弟と、二十四年を経て同じ都で会った事になる。清では、ウォーレン・デラノ・ジュニアがラッセル商会のヘッドパートナーに就任し、アヘン貿易を再開させて戦後の混乱の中で最大の利益を上げた。西暦1833年の入社、西暦1839年の軟禁、西暦1841年の名誉領事就任を経ての頂である。1月にはキャサリン・ロビンズ・ライマンと結婚している。又、ノーベル家の3兄弟が家庭教師の指導を受け始め、アルフレッドは特に化学と語学で優秀な成績を収めて英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語を流暢に話す様になった。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,843 以下3名の兄弟が、家庭教師の指導を受け始める。西暦1,850年迄続いた。
①ロバート・ノーベル
②ルートヴィヒ・ノーベル
③アルフレッド・ノーベル
アルフレッドに関しては、特に化学と語学に於いて優秀な成績を収め、以下の言語を流暢に話せる様になった。
①英語
②フランス語
③ドイツ語
④ロシア語
⑤イタリア語
1,843 ウォーレン・デラノ・ジュニアが、ラッセル商会のヘッドパートナーに就任する。デラノ・ジュニアはアヘン貿易を再開させ、アヘン戦争後の混乱の中で最大の利益を上げ、巨額の富を築いた。
1,843 1 以下2名が結婚する。
①ウォーレン・デラノ・ジュニア
②キャサリン・ロビンズ・ライマン
1,843 5 7 ジョン・ハウランド号が、以下を経由して、ニューベッドフォード(アメリカのマサチューセッツ州ブリストル郡)に帰港する。
①タヒチ
②フィジー
③グアム
此の日、ジョン万次郎は、フェアヘイブンのチェリーストリートのウィリアム・ホイットフィールドの自宅で一晩を過ごした。
1,843 5 8 ウィリアム・ホイットフィールドが、結婚の為、シピオ(アメリカのニューヨーク州カユガ郡)に居る叔父ジョージの下へ向かう。ホイットフィールドは、其の間ジョン万次郎を、フェアヘイブンのオックスフォードストリートにある、ホイットフィールドの友人エベン・アキンの自宅に下宿出来る様手配した。又、アキンの提案により、万次郎は、隣にある「オールド・ストーン・スクール」の教師を務めていた、以下の姉妹の家に通い、英語の読み書きを教わった。
①ジェーン・アレン
②チャリィティー・アレン
ジェーンは、本年の秋から、正式な学校教師になる予定であり、其の準備として万次郎を指導した。又万次郎は、アレン家の半地下室兼台所で、姉妹手作りのお菓子をご馳走になったりしていた。
1,843 5 31 以下2名が結婚する。
①ウィリアム・ホイットフィールド
②アルベルティーナ・キース
以降ジョン万次郎は、ホイットフィールドの自宅や、スコンティカット・ネック(アメリカのマサチューセッツ州フェアヘイブン)にあるホイットフィールドの所有する農場で生活した。其の後万次郎は、初級学校のオールド・ストーン・スクールに入学した。万次郎以外は全員ネイティブで、英語の読み書きに苦労したが、優秀な成績で卒業した。更に、高等学院である「バーレット・アカデミー」に入学し、以下を学んだ。
①航海術
②測量
③造船学
1,843 8 4 オランダ船が1隻長崎に来航する。オランダ船長が語った内容を、ピーター・アルバート・ビックが聞き、通詞によって風説書として、以下の主旨の内容が和訳され、老中宛に発送された。
①当年来日のオランダ船1隻、西暦1,843年7月2日バタヴィアを出港し、海上事故無く西暦1,843年8月4日到着した。此の1隻以外の仲間船は無い。
②昨年長崎を発った船は西暦1,842年12月13日、海上事故無くバタヴィアに到着した。
③初代フランス王国オルレアン朝王太子フェルディナン・フィリップは、馬車から落ち、其れが元で死去した。
④西暦1,842年9月1日、清とイギリスの和睦が整った。
⑤ウィレム2世の長女ソフィー・ファン・オラニエ・ナッサウは、第5代ザクセン・ヴァイマル・アイゼナハ大公国大公カール・フリードリヒ弐男で公太子のカール・アレクサンダーとの婚姻が成立した。
⑥台湾辺りに漂着したイギリス船2隻を清国民が破壊し乗組員を殺害した件で、イギリスは軍艦を派遣して調査し、清政府の報告をした。道光帝より厳命が有り、台湾の清総督を逮捕し、取調べの上処罰した。
⑦今回途中で清船は見掛けなかった。他に変わった情報は無い。
1,843 8 30 江戸幕府が、海外で救助された日本人漂流者は清船・オランダ船以外は受け取ってはならないと定め、オランダ商館のカピタンにも通達し、外国にも伝えさせた。
1,843 10 以下2名がパリのヴァノー通りに移住する。
①カール・マルクス
②カール・マルクスの妻イェニー・フォン・ヴェストファーレン
移住の切っ掛けとして、カールが寄稿していたラインラント・ニュースのプロイセン王国政府による弾圧があった。
1,843 12 ハインリヒ・ハイネと以下2名が知己を得る。
①カール・マルクス
②イェニー・フォン・ヴェストファーレン
マルクスはハイネを崇拝していた。ハイネは、マルクスにプロレタリア革命思想を植え付けた。
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