西暦1,841年は、ジョン万次郎が鳥島に漂着して米国捕鯨船に救われ、渡辺崋山が世を去った年である。ジョン万次郎を巡っては、1月27日に筆之丞・筆之丞の弟重助・五右衛門・寅右衛門・ジョン万次郎の五名が足摺岬での鯵・鯖を対象とした漁の為に宇佐浦を出港したが、1月30日に漁船が強風により難破し、2月4日に鳥島に漂着した。五名は其の日の内に洞窟を発見して住居とし、アホウドリを捕まえて食すなどして飢えを凌いだ。6月27日、鳥島に居た五名は、海亀を食糧として捕獲する為に立ち寄った、船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の乗組員に発見され救助された。此の船は、ホイットフィールドと親友ウォーレン・デラノ・ジュニアが共同で船主を務め、メイフラワー号の乗組員の一人であったジョン・ハウランドの子孫に当たるハウランド家がオーナーを務めた船であった。7月3日には救助された五名の体力が回復し、五名の中で唯一万次郎だけが貪欲に英語を覚えようとしたのを見た船員ポールが万次郎に英語を教え始めている。ジョン・ハウランド号は10月に鯨漁の季節が終わってホノルルへ向かい、11月20日にハワイ王国のホノルルの港に寄港した。ホイットフィールドは五名に洋服や銀貨を与え、万次郎の聡明さを見抜いて北米大陸に連れて行き教育を受けさせたい旨を筆之丞に伝え、自身の故郷フェアヘイヴンへと誘った。万次郎はホイットフィールドから世界地図を見せられて日本が如何に小さいかを自覚し、好奇心から同行させて欲しいと願い出ている。日本では、11月23日に渡辺崋山が、第11代田原藩主三宅康直に罪が降りかかるのを恐れ、餓死るとも二君に仕ふべからずという遺書を残して切腹した。田原藩の池ノ原屋敷で蟄居中の渡辺の一家の貧窮ぶりを憂慮した高弟福田半香等の計らいで渡辺の絵を売る義会を始めていたが、罪人身を慎まずと悪評が起こり、田原藩が問題視していたものである。決闘では、7月にニブロズ・ガーデンでオーガスト・ベルモントが不倫相手を巡ってエドワード・レイト・ヘイワードに決闘を申し入れ、9月にブラデンスバーグで決闘が行われた。結果、ヘイワードは無傷であったが、ベルモントは太腿への被弾で重傷を負い、以降杖無しでは歩けなくなっている。対外情報と人物では、マカオにいた原田庄蔵と寿三郎が九州の家族へ向けた書簡をオランダ人に託し、フェルディナント・アドルフ・ランゲが時計職人修行の旅を終えてドレスデンに戻り、イマヌエル・ノーベルの参男アルフレッド・ノーベルがストックホルムの聖ヤコブ学校に通った。ノーベルが学校教育を受けたのは此の時が唯一である。又、ウォーレン・デラノ・ジュニアがアメリカの名誉領事に就任し、ラッセル商会の船をアヘン倉庫として香港沖や珠江デルタに停泊させ、清側のアヘン禁輸措置を回避して密輸を継続しつつ、合法貨物の輸出を強化してリスク分散を図った。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,841 マカオにいた原田庄蔵と寿三郎が九州の家族へ向けた書簡をオランダ人に託して送って貰う。主に以下の内容であった。
①西暦1,835年12月20日に天草から長崎へ船で向かっている途中で悪天候で漂流開始。
②西暦1,836年1月10日に米・水を切らし苦しい日々を過ごす。
③西暦1,836年1月24日にルソン島に漂着。
④マカオに送られ、尾張の漂流民3名と出会い、帰国の為日本に向けて出航したが、江戸・薩摩で砲撃を受け、岩吉が危うく命を落とす所であった。
⑤現在はマカオに住んでいる。
1,841 フェルディナント・アドルフ・ランゲが時計職人修行の旅を終え、ドレスデン(現在のドイツのザクゼン州)に戻る。
1,841 イマヌエル・ノーベルの参男アルフレッド・ノーベルが、本年から翌年にかけて18ヶ月間、ストックホルムの聖ヤコブ学校に通う。ノーベルが学校教育を受けたのは、此の時が唯一であった。
1,841 ウォーレン・デラノ・ジュニアが、アメリカの名誉領事に就任する。清寄りの態度を取り、イギリス軍による攻撃情報を伍秉鑑の家族に警告する事で、避難を助けたり、貨物の損失を防いだりした。又、アヘン戦争中は、ラッセル商会の船をアヘン倉庫とし、其の船を清政府の管轄外である香港沖や珠江デルタに停泊させ、取り締まりの緩い清船にアヘンを引き渡し、清側のアヘン禁輸措置を回避して密輸を継続しつつ、清産の茶・絹等の合法貨物のアメリカやヨーロッパへの輸出を強化し、リスク分散を図った。
1,841 1 27 早朝、以下5名が足摺岬(現在の高知県土佐清水市)での鯵・鯖を対象とした漁の為、宇佐浦(現在の高知県土佐市宇佐町宇佐)を出港する。
①筆之丞(船頭)
②筆之丞の弟重助(漁撈係)
③五右衛門(櫓係)
④寅右衛門(櫓係)
⑤ジョン万次郎(炊係)
1,841 1 30 以下5名の乗った漁船が、強風により難破する。
①筆之丞
②重助
③五右衛門
④寅右衛門
⑤ジョン万次郎
1,841 2 4 以下5名の乗った漁船が鳥島(現在の東京都伊豆諸島)に漂着する。
①筆之丞
②重助
③五右衛門
④寅右衛門
⑤ジョン万次郎
その日の内に洞窟を発見し、寒さを凌ぎ、以降その洞窟を住居とした。鳥島は火山島の為、岩から水が染み出してくる場所があり、そこで水分を摂り、海藻を食べた。また、鳥島はアホウドリの繁殖地あり、アホウドリを捕まえて天日干しで食したりもした。
1,841 6 27 鳥島に居た以下5名が、海亀を食糧として捕獲する為に鳥島に立ち寄った、船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の乗組員に発見され、鳥島から救助される。海亀のスープがアメリカ人にとって珍味であった。
①筆之丞
②重助
③五右衛門
④寅右衛門
⑤ジョン万次郎
ジョン・ハウランド号は、ホイットフィールドと親友ウォーレン・デラノ・ジュニアが共同で船主を務め、西暦1,620年11月21日にプリマス(現在のイギリスのデヴォン州)からプロビンスタウン(アメリカのマサチューセッツ州)に上陸したメイフラワー号の乗組員の一人であったジョン・ハウランドの子孫に当たるハウランド家がオーナーを務めた船であった。飢えていた5名は以下の食糧を与えられた。
①麦の粉と油
②塩を入れて蒸した餅
1,841 7 ニブロズ・ガーデン(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン)にて、オーガスト・ベルモントが、自身の不倫相手である既婚女性をニューヨーク市とサリバンズアイランド(アメリカのサウスカロライナ州)で二拠点生活をしていたエドワード・レイト・ヘイワードに侮辱され、ベルモントが抗議する。するとヘイワードはベルモントを殴った。ベルモントは、ヘイワードに決闘を申し入れた。
1,841 7 3 鳥島にて救助された以下5名の体力が回復してくる。其れに連れて、ウィリアム・ホイットフィールドを始めとする船員達の働きぶりを目の当たりにした。
①筆之丞
②重助
③五右衛門
④寅右衛門
⑤ジョン万次郎
また5名はこの頃から、以下の食糧を与えられる様になった。
①白飯
②野菜の煮付け
③肉
5名の中で唯一万次郎だけが、貪欲に英語を覚えようとした。これを見たポールという船員が、万次郎に英語を教え始めた。ポールは船内を案内して器具等の名前を教えて、万次郎は貰ったノートに名前を記していった。
1,841 9 以下2名が、ブラデンスバーグ(アメリカのメリーランド州)にて決闘を行う。
①オーガスト・ベルモント
②エドワード・レイト・ヘイワード
結果、ヘイワードは無傷であったが、ベルモントは太腿への被弾で重傷を負い、以降ベルモントは杖無しでは歩けなくなった。
1,841 10 ジョン・ハウランド号が、鯨漁の季節が終わった為、ホノルルへと向かう。
1,841 11 20 ジョン・ハウランド号がハワイ王国のホノルル(現在のアメリカのハワイ州)の港に寄港する。此の航海で15頭の鯨を捕獲した。ウィリアム・ホイットフィールドは役所へ行き、以下5名を連れて事情を説明した。
①筆之丞
②重助
③五右衛門
④寅右衛門
⑤ジョン万次郎
ホイットフィールドは、当面の生活が出来る様、各々に対し以下を与えた。
①洋服1着
②50セント銀貨
又、他の船員達もお金を出し合い、外套を与えた。ホイットフィールドは、万次郎の聡明さを見抜き、筆之丞に対し、万次郎を北米大陸に連れて行き、教育を受けさせたい旨を伝えた。筆之丞は、万次郎に判断を委ねさせた。ホイットフィールドは、自身の故郷であるフェアヘイヴン(アメリカのマサチューセッツ州)へと誘った。万次郎は、ホイットフィールドから世界地図を見せられ、日本が如何に小さいかを自覚し、好奇心から同行させて欲しいと願い出た。
1,841 11 23 渡辺崋山が、第11代田原藩主三宅康直に罪が降りかかるのを恐れ「餓死るとも二君に仕ふべからず」という遺書を残し切腹する。田原藩の池ノ原屋敷で蟄居中の渡辺崋山の一家の貧窮ぶりを憂慮した渡辺の高弟福田半香等の計らいで渡辺の絵を売る義会を始めていた。以下の作品等を描くが「罪人身を慎まず」と悪評が起こり、此れを田原藩は問題視していた。
①于公高門図
②千山万水図
③月下鳴機図
④虫魚帖
⑤黄粱一炊図
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