西暦1819年は、後に大きな富や思想を生む人物たちの動きが交差した年である。アメリカの貿易商サミュエル・ラッセルは高い収益を見込んで広州に到着し、エドワード・キャリントン・アンド・カンパニーに代わってアヘンをはじめとする物品の貿易に従事し、非合法であるがゆえに大きな利益を得た。ドイツでは、ハインリヒ・マルクスの長男モーリッツ・マルクスが世を去り、九人兄弟の三番目であったカール・マルクスが男兄弟のなかで年長となった。同じ頃、カール・マルクスの三従兄弟ハインリヒ・ハイネがボンのライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学へ進学し、伯父サロモン・ハイネの意向で法律を学ばされながらも歴史と文学に傾倒し、急進的なリベラル派として、メッテルニヒが同年9月に導入したカールスバッド法令に違反するパレードに加わった。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,819 清は高い収益が見込めると考えたサミュエル・ラッセルが、広州に到着する。以下2名の提携によって設立された「エドワード・キャリントン・アンド・カンパニー」に代わり、アヘン等の様々な物品の貿易に従事した。非合法であったが故、高い利益を得た。
①プロビデンス(アメリカのロードアイランド州)のエドワード・キャリントン
②ミドルタウンのサミュエル・ウェットモア
1,819 ハインリヒ・マルクスの長男モーリッツ・マルクスが死去する。9人兄弟の3番目で弐男であったカール・マルクスは男兄弟の中で年長となった。
1,819 10 カール・マルクスの三従兄弟ハインリヒ・ハイネが、ボン(現在のドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州)に所在するライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボンに進学する。伯父サロモン・ハイネが、ハインリヒに貿易の才能が無いと判断し、法律を学ばせた。しかし、ハインリヒは法律よりも歴史と文学に興味を持っていた。当時のドイツの政治は、保守派とリベラル派に分かれており、保守派は世の中をフランス革命前の状態に戻したかった。保守派は、ドイツ統一が革命思想の犠牲になるかも知れないと感じた為、ドイツ統一に反対した。ドイツの殆どの国家は、絶対主義君主制であり、報道機関は検閲されていた。対するリベラル派は、絶対主義を代表制・立憲政治・法の下の平等、報道の自由に置き換える事を望んでいた。ハイネは、急進的なリベラル派で、入学後即、クレメンス・フォン・メッテルニヒが西暦1,819年9月20日に導入した、カールスバッド法令に違反するパレードに参加した。
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