西暦1759年は、ポルトガルでターヴォラ事件が結末を迎え、イエズス会追放が始まった年である。1月12日、西暦1758年9月3日のジョゼ1世銃撃事件に関し、ターヴォラ家の当主フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラと妻レオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラ、及び其の息子・娘・孫達に大逆罪と王政復古未遂で死刑判決が下った。判決理由は、処刑された暗殺者の自白、第8代アヴェイロ公爵の所有する凶器、当日ジョゼ1世の居場所を知っていたのはターヴォラ家だけであるという推測の3点であり、ターヴォラ家は容疑を否認していた。息子・娘・孫達は王妃マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーンと其の娘マリア1世の執り成しで助命されたが、1月13日、ジョゼ1世と困惑する宮廷人の見守る中、夫妻の死刑がリスボン郊外の野原で執行された。ターヴォラ家は財産の王宮への没収、リスボンの宮殿の破壊、土壌の塩漬け、貴族名簿からの除名、紋章の禁止という処分を受けている。家そのものを地上から消す為の刑であった。9月13日には、カルヴァーリョの助言によりジョゼ1世がポルトガル王国の全領土からの「イエズス会士追放令」を発布し、イエズス会士は逮捕・投獄され、国籍を剥奪され、多くの修道士がイタリア半島のカトリック国家へ送還された。西暦1534年8月15日のモンマルトルの誓いに生まれ、西暦1540年9月27日に認可され、西暦1549年8月15日にはザビエルを鹿児島へ送り出した修道会が、西暦1587年に豊臣秀吉のバテレン追放令を受けてから百七十二年、今度は自らを世界へ送り出した国から追われた事になる。又、9月17日と9月18日、ヤコブ・フランクがリヴィウとワルシャワでポーランド王アウグスト3世から洗礼を受け、洗礼名「ヨゼフ」を得た。西暦1756年にラビ裁判で断罪された男が、今度は教会の側へ身を寄せた形である。

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年月日 出来事
1,759 1 12 ジョゼ1世の銃撃事件に於いて、以下の人間に対し大逆罪と王政復古未遂の罪で死刑判決が下る。
①フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ
②レオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラ
③フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ夫妻の息子・娘・孫達
しかし王妃マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーンとその娘マリア1世(ポルトガル女王)の執り成しで以下は助命された。
③フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ夫妻の息子・娘・孫達
判決理由として以下3点が挙げられた。ターヴォラ家は容疑を否認していた。
①処刑された暗殺者の自白。
②第8代アヴェイロ公爵の所有する凶器。
③当日、ジョゼ1世の居場所を知っていたのはターヴォラ家だけであると推測される。
さらにターヴォラ家は以下の処分を受けた。
①財産は王宮への没収
②リスボンの宮殿の破壊
③土壌の塩漬け
④貴族名簿からの除名
⑤紋章の禁止
1,759 1 13 ジョゼ1世と、困惑する宮廷人の見守る中、以下の人間の死刑がリスボン郊外の野原で執行される。
①フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ
②レオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラ
1,759 9 13 ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの助言により、ジョゼ1世がポルトガル王国の全領土からの「イエズス会士追放令」が発布する。イエズス会士の逮捕・投獄が行われ、国籍を剥奪され、多くの修道士はイタリア半島のカトリック国家に送還された。
1,759 9 17 ヤコブ・フランクがリヴィウ(現在のウクライナ)にてアウグスト3世(ポーランド王)から洗礼を受ける。洗礼名は「ヨゼフ」であった。
1,759 9 18 ヤコブ・フランクがワルシャワ(ポーランド)にてアウグスト3世(ポーランド王)から洗礼を受ける。洗礼名は「ヨゼフ」であった。
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