西暦1709年は、前々年の富士山噴火の傷が癒えぬまま、被災地の村々が困窮に喘いだ年である。火山灰の深さに応じて支給されてきた御救金は打ち切られ、須走村をはじめ御厨地方や駿東郡の村々では、田畑を厚く覆う灰のために作物が実らず、餓死者が相次いだ。困り果てた村人たちの中には、他領へ働きに出て身を落とす者もあった。関東郡代の伊奈忠順は、目付の河野通重らとともに幾度も酒匂川や被災地を巡見し、灰を除く普請の見積りをまとめて、勘定奉行の荻原重秀にその窮状を切々と訴えた。しかし、わずかな御救金が下されたのみで、抜本的な砂除け普請が実現することはなかった。

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年月日 出来事
1,709 須走村の西暦1,703年から本年に掛けての平均年貢は以下であった。
①永5貫564文
②山役米1石3斗
1,709 4 富士山噴火の被災地支援の一環で行われていた、火山灰の高さが0.9m以上の村への金銭の支給「御救夫食石代金」及び0.9m未満の村への金銭の支給「砂退け御救金」が終了する。4月頃と12月頃の年2回、火山灰の深さに応じて300文〜1分/aの支給が行われた。
1,709 4 須走村を始めとする現在の静岡県駿東郡の39村の代表が、江戸の伊奈忠順の屋敷に出訴する。食糧が碌に無く、餓死者が多数出ており、他藩に働きに出て乞食に身を落としたり、行き倒れとなりその死骸が送り届けられたりする事を訴えた。そして、以下2点のどちらかを実施する事を求めた。
①前年に提出した見積り通りの御普請の実施
②村人全員に3年間1人につき銀1匁/日の御救金の支給
此れを受け、本月から翌月にかけて、伊奈の家臣が現地を視察し、飢え人1人に対し、5文/日を5日分の御救金が支給された。更に、此れとは別に翌月以降御救金が支給されたが、焼け石に水であった。
1,709 6 以下2名が、度々水害を起こす酒匂川を視察する。
①目付河野通重
②伊奈忠順
1,709 6 22 以下2名が、御厨地方へ向けて酒匂川を出発する。
①河野通重
②伊奈忠順
1,709 6 28 以下2名が用沢村(現在の静岡県駿東郡小山町)を視察する。
①河野通重
②伊奈忠順
其の際、同村によって、以下2点が提出された。
①砂除け御普請願
②村絵図
1,709 7 伊奈忠順の家臣が御厨地方を視察し、砂除け普請見積帳を作成する。結果、金額は58村で170,000両に上った。しかし、僅かな御救金が支給はあったものの、砂除け普請は実現しなかった。
1,709 10 伊奈忠順が、荻原重秀の屋敷の勘定所に御厨地方の村々の代表3名を連れて来て、荻原以下の役人に窮状を聞かせる。
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