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≈は「頃」を意味しています。
ロスチャイルド5兄弟で一番の商才の持ち主。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,708 | トマス・ニューコメンが、蒸気によって真空を作り出し、地下水を汲み上げる揚水機を発明し、その解決にあたった。しかしこの段階では、まだ熱量の損失が大きく、汎用的な蒸気機関としては実用にならなかった。 | |||
| 1,708 | 1 | 1 | 未明、富士山の噴火が終息する。其の後小田原藩は、被災地の田畑の耕作を再開する為の火山灰除去に係る労力の見積書を提出させた。どの村も膨大な数値であった事から、領主達は救恤米の支給こそ行なったものの、根本的な対策は江戸幕府に委ねざるを得なかった。 | |
| 1,708 | 1 | 4 | 小田原藩の支藩であった松長藩(現在の静岡県沼津市)が、棚頭村(現在の静岡県駿東郡小山町)へ西暦1,708年3月21日頃迄数度に分けて、御蔵から飢人扶持を支給する。25戸・150名の内、13戸・41名が支給を受けた。しかし、米の支給量は少なく、大人と子供で差が有った。 | |
| 1,708 | 1 | 17 |
小田原藩の以下2名が、山家筋(現在の神奈川県足柄上郡山北町)に飢人扶持の支給を通達する。 ①中筋代官青木仁右衛門 ②中筋代官大西角野右衛門 具体的には以下の内容であった。 ①皆瀬川村・都夫良野村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)・湯触村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)は、川村山北村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)で扶持米を受け取る。 ②世附村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)・中川村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)・玄倉村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)は川西村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)で扶持米を受け取る。 |
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| ≈ | 1,708 | 2 | 皆瀬川村にて、1合/人を10日分の支給を559名が受ける。しかし、同村では餓死者が発生し、体力のある者は小田原や沼津へ出稼ぎや奉公へ行った。 | |
| 1,708 | 2 | 5 |
現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村の代表が、品川にて、小田原藩の役人から以下の支給を取り付ける。 ①御救米:20,000俵(7,400石相当) ②飢人扶持 |
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| 1,708 | 2 | 7 |
若年寄稲垣重富が、武蔵・相模・駿河に於ける富士山噴火の被災地の領主に対し以下を命じる。 ①降った火山灰をその儘放置している村は、今春の耕作前に取り除く様、言い付ける。 ②自力で火山灰を除去する事が困難な村も、先ず取り掛からせる。 ③今後調査した上で支援を行うが、其れ迄領民を飢えさせない様にする。 ④詳細は勘定奉行荻原重秀に相談する。 |
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| 1,708 | 2 | 8 | 中筋代官が川村山北村へ出向き、大久保忠増の御意を説明する。 | |
| 1,708 | 2 | 10 | 飢人扶持支給の為、現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村の名主が小田原城下の御蔵前に呼び出される。名主達は、自村の飢人帳を書き上げ持参したが、飢人基準がばらばらであった為、此の日の支給は見送られた。代官は、飢人帳を書き直し、前年の人別帳の控えを持参して再提出する様通告した。 | |
| 1,708 | 2 | 13 | 現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村の惣代数名が、地方役所に呼び出され、杉山小右衛門等4名の郡奉行から御救米支給の説明を受ける。郡奉行は、村の石高と火山灰の厚さに応じて割り付けるとし、東・中・西の筋毎の割り付け帳が提示された。更に「20,000俵の内、10,000俵は米で直ぐに支給するが、残り10,000俵は後日金銭で渡すので、速やかに飢え人に御救米を渡す様に」と口頭での説明があった。飢人扶持の支給もあると期待していた惣代達であったが、「御救いは此れだけではない。追加がある。支給を希望する村は西暦1,708年2月16日に小田原の地方役所に出頭し、再度飢人帳を書いて提出し、各村村方三役で御救米割り付け帳に捺印する様に」との郡奉行の言葉を信じ、此の場は引き下がった。 | |
| 1,708 | 2 | 15 | 東・中・西の筋の惣代が、金子村(現在の神奈川県足柄上郡大井町)にて、郡中寄合が開かれる。2日前の郡奉行の対応から、西暦1,708年2月5日の品川での約束が守られなかった為、現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村に対し回状を送付していた。此の寄合では、品川での約束通りに飢人扶持を貰うべきだという意見が出た。 | |
| 1,708 | 2 | 16 | 荻窪村(現在の神奈川県小田原市)寺町の観音堂にて寄合が開かれる。西暦1,708年2月5日の品川での約束が守られなかった事に関し、訴状を作成した。不参加であった村の名主には召喚状が送付された。 | |
| 1,708 | 2 | 18 |
以下の5村が、現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村から離脱し、青木仁右衛門と大西角野右衛門宛に独自に訴状を提出する。 ①川村山北村 ②川村岸村(現在の神奈川県足柄上郡山北町) ③川村向原村(現在の神奈川県足柄上郡山北町) ④松田庶子村(現在の神奈川県足柄上郡松田町) ⑤松田惣領村(現在の神奈川県足柄上郡松田町) 訴状では、御救米は末々まで行き渡り、当分飢え申さず、としつつも、今後も本田畑の御朱印高を基準に御救いが行われるのであれば、山畑や新田畑の多い山付きの村は平野部よりも被害が甚大であるにも拘らず、米の支給量等が少なく見積もられてしまうので、被害面積を基準に算出して欲しいという要望を出した。 |
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| 1,708 | 2 | 24 | 川村山北村が、小田原藩から137俵の米の支給を受ける。配分を算出した上で、西暦1,708年3月10日に村人へ配給された。 | |
| 1,708 | 2 | 24 |
江戸幕府が、前年の富士山噴火の被害の大きかった足柄地方(現在の神奈川県)と御厨地方(現在の静岡県御殿場市)の村を上知し、天領とする。小田原藩は天領との村替えとなり、56,384石が上知された。上知された村の数は以下の通り。 ①197村(現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡) ②1村(神奈川県淘綾郡(現在の神奈川県中郡大磯町・二宮町、平塚市の一部)) ③3村(現在の神奈川県高座郡) ④79村(現在の静岡県駿東郡) 代わりに以下の村が与えられた。 ①15村(現在の岐阜県加茂郡) ②16村(現在の岐阜県可児郡) ③13村(岐阜県土岐郡(現在の岐阜県多治見市・土岐市、瑞浪市の大部分)) ④53村(現在の静岡県賀茂郡) ⑤51村(現在の愛知県設楽郡) ⑥4村(那賀郡(現在の静岡県賀茂郡西伊豆町・松崎町)) ⑦55村(現在の兵庫県赤穂郡) ⑧2村(印南郡(現在の兵庫県高砂市の大部分・姫路市の一部・加古川市の一部)) ⑨6村(現在の兵庫県佐用郡) ⑩6村(加西郡(現在の兵庫県加西市、西脇市の一部・多可郡多可町の一部)) 又、小田原藩の支藩であった松長藩(現在の静岡県沼津市)も領地6,000石を以下に移された。 ①君沢郡(現在の静岡県三島市の大部分・沼津市の一部・伊豆の国市の一部・伊豆市の一部) ②現在の静岡県田方郡 更に、小田原藩旗本稲葉正辰領も、天領との村替えとなった。 |
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| 1,708 | 2 | 28 | 第7代関東郡代伊奈忠順が砂除川浚奉行に就任し、富士山噴火の被災地に於ける最高責任者となる。職制上、荻原重秀の配下にあった。 | |
| 1,708 | 2 | 28 |
江戸幕府が、富士山噴火の被災地を支援する為、天領・諸国に対し、100石当たり金2両の高役金を課す。結果、金488,770両・銀1貫870目が集まり、240,000両は江戸城北の丸御殿建設費用として備蓄された。以下の通り、石高で上納期限が異なった。但し50石未満の端数は切り捨て、寺社領は除外とした。 ①大名(1万石以上) 西暦1,708年5月19日 ②旗本(1万石未満) 西暦1,708年8月15日 被災地支援には160,000両が使われた。主な内訳は以下の通り。 ①武蔵・相模・駿河の被災地:6,225両 ②須走村:1,850両 ③武蔵・相模の火山灰除去:54,480両 |
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| 1,708 | 3 | 1 |
大久保忠増が、以下の大名5名に対し、御手伝い普請として、酒匂川・内山川・皆瀬川・川音川・金目川の浚渫工事を命じる。 ①第6代大野藩主土井利知 ②第5代岡山藩主池田綱政 ③第5代熊本藩主細川綱利 ④第2代熊本新田藩主細川利昌 ⑤第2代鳥取新田藩主池田仲央 此れとは別に第4代小倉藩主小笠原忠雄も、御手伝い普請として、狩川の浚渫工事を命じられた。此の6藩は、同年7月頃迄工事に従事した。 |
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| 1,708 | 3 | 7 |
小田原藩の村役人が地方役所に招集され、前年分の以下の納入が免除される。 ①年貢米 ②小物成(入会山の山銭や家並薪等) 更に以下の同年末迄の延納が許可された。 ①前年の田植え用の御貸米 ②御救米 ③村筒 |
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| 1,708 | 3 | 10 | 小田原藩が各村に対し、西暦1,708年2月24日の上知に関する通知を行い、江戸幕府への上知された領地の引き渡しが実施された。又同日、江戸幕府は、火山灰の除去を督励していない領主は知行との引き替えは認めないものとした。結局、西暦1,708年2月5日の品川での飢人扶持の約束は果たされなかった。 | |
| ≈ | 1,708 | 4 | 須走村に対し、惣人別と馬を対象として14両2分757文が支給される。 | |
| ≈ | 1,708 | 4 | 伊奈忠順の家臣が、元松長藩は自力では田畑の火山灰を除去する事が出来ないので、江戸幕府による御普請を実施して欲しいとの依頼を受ける。 | |
| 1,708 | 8 | 8 | 大雨により、大量の火山灰が酒匂川に流入する。そして、岩流瀬(現在の神奈川県足柄上郡山北町岸)と大口(現在の神奈川県南足柄市斑目)の堤が決壊し、下流右岸の村々が土砂で埋まった。 | |
| ≈ | 1,708 | 9 |
富士山噴火の被災地支援に関し、須走村に対して以下の「家作御救金」が支給される。 ①焼失した37戸:1,333両(計1,333坪、1両/坪) ❶甚太夫:126両(126坪) ❷冨士浅間神社神主小野家:119両2分(119坪半) ②倒壊した39戸:1,811両(計3,622坪、2分/坪) ❶香積寺・西寿院・永昌寺:478両(計956坪) |
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