西暦1,526年5月25日、今川氏親が分国法「今川仮名目録」を制定した。自身の死去後、嫡男今川氏輝が幼年である事から家督争いが勃発する事を危惧しての事であり、全33ヶ条から成る。定めは領国の暮らしの全般に及ぶ。土地に関しては、名田の没収の禁止と年貢増を条件とする競望の扱い、田畑や山林原野の境界争いの裁き方、荒れ地を開き直す際に元の境界が判らぬ場合は双方の主張の中間を境とする事、訴訟中の土地への実力行使の禁止と判決から3年を経ての再審が置かれた。人に関しては、譜代の家臣を元の主人に断り無く召し使う事の禁止、逃亡した被官人を追う権利の20年の時効、夜中の屋敷への不法侵入の扱いが定められている。中でも知られるのが第8条の喧嘩の法理で、喧嘩に及んだ者は理非を問わず双方とも死罪とし、仕掛けられても堪忍して傷を受けた場合は罪を免ずるとする。喧嘩に加担した者の処罰、家臣の不法行為に対する主人の責任、子供の喧嘩と15歳以後の刑事責任にも条文が割かれた。経済の面では、知行地の売却の禁止と止むを得ぬ場合の許可、売却された土地への検地の禁止、井戸・溝用地の借地契約、借米と借銭の利息と弁済の年限、困窮した家臣が出家遁世や逐電を称して救済を強要する事の禁止、他人の知行地における差し押さえの手続が並ぶ。更に、守護不入地の扱いと駿府における其の特権の解消、駿河国・遠江国の港の津料と遠江の荷駄の通行税の廃止、国質の私的な取立の禁止、難破船と河川の流木の所有権の帰属といった、流通と所有に関わる条項が続く。信仰と身分の面では、諸宗派間の宗教論争の禁止、寺院の住職の相続、他国との婚姻の禁止、他国人の軍陣参加の禁止、今川館内での家臣の席次、他国商人を家臣とする事の禁止が定められた。慣習や其の場の力関係に委ねられていた事柄を条文として書き下し、領国の全体へ及ぼすという遣り方は、西暦438年にテオドシウス2世が法典を公布して身分と信仰に関わる規定を成文化したのと同じく、統治を文書によって固定する試みに当たる。8月1日、今川氏親が駿府今川館にて死去する。家督は今川氏輝が継いだ。西暦1,524年の遠江国の検地と併せ、土地を測って支配の実を確かにし、法度を定めて争いの筋道を示すという二つの手立てを遺した上での最期であった。

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年月日 出来事
1,526 5 25 今川氏親が、自身の死去後、自身の嫡男今川氏輝が幼年である事から、家督争いが勃発する事を危惧し、以下の33ヶ条から成る分国法「今川仮名目録」を制定する。
①名田の没収の禁止と、年貢増を条件とする競望
譜代の家臣が持つ名田を地頭が正当な理由も無く取り上げる事は、既に禁じてある。又「今より多くの年貢を納めるから、あの名田を自分に与えて欲しい」と申し出る者が現れた場合は、地頭が現在の権利者である本百姓に対し、申出人と同額まで年貢を増やす意思があるかどうかを確かめる。本百姓が承知しなければ、名田を取り上げて申出人に与えて良い。但し、地頭が本百姓を入れ替えたいが為に、新しい百姓と示し合わせて年貢増額の話をでっち上げた時は、地頭の所領を没収し、共謀した新しい百姓も相応に処罰する。
②土地の境界争い
田畑並びに山林原野の境界を巡る争いは、元の正しい境界をきちんと究明した上で裁く。原告・被告の何れかが道理のない不当な訴えを起こしたと判定された場合は、其の者の所領の1/3を没収する。此れは先年既に定めた事である。
③荒れ地を開き直す時の境界争い
元々田畑だった土地が荒れて河原や浜辺になり、開墾する際、旧百姓同士で境界争いが生じる事が有る。年月が経って元の境界が判定し難い場合は、双方が主張する境界の中間を新たな境界と定める。其れでも双方が承知しない時は、権利を取り上げて、其々別の給人に与える。
④訴訟中の土地への実力行使
訴訟中で権利が凍結されている土地を、判決を待たずに実力で耕し、或いは他人の耕作を妨げる事は、道理の有無に拘らず違法である。此れは旧法からの定めである。但し、道理が明らかになって判決が確定した後まで、咎で権利を失った儘とし、其の不利益が子孫の代迄残るのは不憫であろう。今後は、判決から3年を経た所で裁判をやり直し、正当な権利者に権利を確定させる。
⑤譜代の家臣の主人替え
譜代の家臣を、元の主人に断り無く他の主人が召し使う事は、既に先規にて禁じてある。此の場合は、必ず道理に従い、裁判によって身柄を引き受けなければならない。又、元の主人が其れを知って新しい主人に抗議した時、当の家臣が罰を恐れて逐電したならば、新しい主人は別の被官人1名を代わりとして元の主人に弁済する。
⑥逃げた家臣を追う権利の時効
譜代の家臣以外で、自由に召し使っている被官人が逃亡した場合、20年を経た後は、元の主人は捜索も連れ戻しもしてはならない。但し、過失を犯して逃亡した者には此の定めを適用しない。
⑦屋敷への不法侵入
夜中に他人の屋敷の門から中に入り、独りで佇んでいる様な者は、知人でも無く、予めの約束による来訪でも無ければ、取り敢えず捕らえて良い。抵抗されて、図らずも殺害してしまったとしても、屋敷の主人の咎にはならない。又、他人の屋敷の下女と夫婦になった下人が、下女の主人に届け出ず、同僚にも知らせない儘夜中に通ってくる場合、屋敷の者が捕らえ、或いは殺害に及んでも咎にはならない。但し、捕らえて究明した結果、下女との婚姻が明らかになったならば、其の者は分国から追放する。
⑧喧嘩の法理と処罰
喧嘩に及んだ者は、理非を問わず双方とも死罪に処す。但し、相手から喧嘩を仕掛けられても堪忍して堪え、其の結果として傷を受けるに及んだ場合は、喧嘩の原因を作った事は非難されるべきだが、取り敢えず穏便に振る舞った事は道理に適う幸運として罪を免ずる。又、双方の与力の者が現場に居合わせて傷を受け、或いは死亡したとしても、加害者に対して訴訟を起こす事は出来ない。此れは先年に定め置いた所である。次に、喧嘩人の成敗は、取り敢えず本人1人に掛かる事であって、妻子家族には関わらない。但し、本人が現場から逐電した後は、妻子らに咎が及ぶ事も有り得よう。しかし其の場合でも、死罪にまですべきでは無かろう。
⑨喧嘩に加担した者の処罰
喧嘩の相手を詮議する際、双方の方人があれこれ言い立てて、喧嘩の張本人が明らかにならない事が有る。其の場合、詰まる所、現場に居合わせて一方に味方し走り回った者は、仮令自分が傷を受けていても、その罪科は張本人と同じく死罪に及ぶ。後になって張本人が露見した場合は、其の主人たる者の覚悟により処分する。
⑩家臣の不法行為に対する主人の責任
被官人の喧嘩並びに盗賊行為の咎が、主人に関わらないのは勿論である。しかしながら、喧嘩の子細が明らかにならない内に「子細を詮議する」等と称して、其の儘保護し、抱え置く内に、其の被官人が逐電した場合は、主人の所領の1ヶ所を没収する。所領が無い場合は、然るべき罪科に処する。
⑪子供の喧嘩
子供の喧嘩は、子供の事であるから、是非の詮議には及ばない。但し、両方の親が制止すべき所、却って喧嘩を嗾け、剰え鬱憤晴らしの行為にまで及ぶならば、父子共に同罪として処刑する。
⑫子供の刑事責任年齢
子供が誤って友人を殺害した場合、元々意趣有っての事では無いから、処刑には及ばない。但し、15歳以後に就いては咎を免れ難いであろう。
⑬知行地の売却の禁止と許可の特例
主人より知行を許された田畑を、無思慮に身勝手に売却する事は、既に禁止されている。但し、止むを得ない事情で売却したいならば、其の子細を申し出させ、買戻しの年期を定めた上で許可すべきであろう。今後、我が儘勝手な売却は罪科に処す。
⑭売却された土地に対する検地の禁止
知行の田畑を、年期を定めて売却した後、其の年期が明けない内に検地を行う事は禁止する。但し、売却に先立って検地を行う旨を契約し、其の事を売渡状に記した場合、又百姓が私的に売地として保有する名田の場合は此の限りでは無い。 ⑮井戸・溝用地の借地契約
新たな井溝を巡る争いは近年多く、毎度の事となっている。結局の所、他人の知行地を通さざるを得ないのだから、或る者は代替地を、或る者は井料を用意するのが当然である。其処で奉行人を仲介に立て、速やかに通水による利害を算定させよ。奉行人は罰文を以って、私的な介入をしない事を表明した上で事に当たるべきである。但し、古くからの用水路で、井料を巡る争いの生じない場所に就いては此の限りでは無い。
⑯他国出身の家臣の知行の保護
他国出身の被官人に許した知行地を、謂れ無く奪って売却する事は、頗る理不尽の次第である。今後此れを禁止する。
⑰古文書を根拠とする知行権主張の禁止
正当な理由も無く、古文書を根拠として名田の知行権を望む事は、皆々に禁止してある。但し、正当な譲状が存在する場合は格別である。
⑱借米の利息と弁済
借米の利息は、其の年1年間は契約によって定めた利率に依る。翌年からは本米計り単利計算とし、本米約150kgに付き利米約150kg、5年の間に本米・利米合わせて約900kgと定める。6年に及んでも元利弁済の沙汰が無い場合は、契約時の奉行並びに領主に断った上で譴責(実力による差し押さえ)を行う。
⑲借銭の利息と弁済
借銭は、元利合計が元本の2倍になった後、2年間は貸主が弁済猶予を承知しなければならない。6年に及んでも元利弁済が無い場合は、契約時の奉行並びに領主に断った上で、譴責(実力による差し押さえ)を行う。其の場合は、米・銭共に利息の事は双方の契約次第で定める。
⑳困窮した家臣による救済強要の禁止
借金の質に知行を入れ置き、進退窮まった末に、或いは出家遁世と称し、或いは逐電と称して今川家に詫言を入れて救済を要求する者が在る。先年は、庵原周防守が其の事を求め、譜代の忠功も黙視し難く捨て置けぬとして、一旦は求めに応じ、今川家が借金を肩代わりした。西暦1,525年は庵原安房守が頻りに救済を言上しており、聞き入れられなければ御前を去り難いと申すので、一応は一応は救済の下知を下した所である。一家といい面々といい、一度は此の種の願いを聞き届けて来た。しかし今後、此の様な覚悟をなす輩は所帯を没収する。
㉑他人の知行地に於ける差し押さえ
他人の知行地の百姓に譴責(実力行使による借米・借銭の債務の差し押さえ)を行う事は、予め領主と奉行人に断りの届け出が無ければ、仮令正当の権利が有っても不法行為として処罰する。
㉒守護不入地の扱い
守護不入地に就いては、改めるには及ばない。但し、其の領主に落ち度が有って成敗に相当し、守護の役人が調べに入った場合は、定めの通り成敗する。数年前に此の法を定めたが、尚領主に落ち度が有るならば、重ねて成敗する。
㉓駿府に於ける守護不入特権の解消
駿府内の守護不入地は、此れを破棄した。各々異議を申し立ててはならない。
㉔海上・陸上の運搬税の統制
駿河国・遠江国両国の港の津料、又遠江の駄の口(荷駄の通行税)は廃止した。此れに異議を唱える輩は罪科に処する。
㉕国質の私的な取立の禁止
国質(債権者が、別の地域に住む債務者が借金を返さない時、其の本人だけで無く、同じ地域に属する無関係な第三者の財産や身柄を代わりに差し押さえる事)を取る事に就いて、今川家及び奉行に断りを入れない儘、私的に国質を取る者は罪科に処す。
㉖難破船の所有権の帰属
駿河国・遠江国の海岸に流れ着いた難破船は、異議異論を挟まずに船主に返還せよ。もし船主が不明の場合は、船の材木を、大破した神社仏閣の造営の資材として寄進すべきである。
㉗河川の流木の所有権の帰属
河川の流木は、知行に拘らず、流れ着いた土地の者の所有とする。
㉘宗派の論争の禁止
諸宗派間の宗教論争は、今川家の領国内では禁止である。此れは既に定めてある。
㉙寺院の住職の相続
諸宗の僧侶が、法系を継がせる弟子と称して、智恵の器量を糾さない儘寺を譲り与える事は、今後は禁止する。但し、弟子の器量次第の事である。
㉚他国との婚姻の禁止
駿河国・遠江国の者が、私事として他国より嫁を取り、或いは婿に取り、又嫁に出す事は、今後は禁止する。
㉛他国人の軍陣参加の禁止
今川家の許可なしに、他国の者が一度たりとも戦闘行為及び其の他の軍事行動に加わる事も、同様に禁止してある。
㉜今川館内での家臣の席次
三浦氏満・朝比奈泰能の出仕の座敷が定まった以上は、他の面々は無理に席次を定めるには及ばず、其々が互いに判断して良い様に計らうべきである。総じて、弓矢の事でも無いのに遺恨を持ち合い、座敷の席次の事等を気にする者は、卑怯と言うべきである。尚、神仏勧進の猿楽・田楽・曲舞等の見物の桟敷の席次は、今後は籤引きで定めて沙汰すべきである。
㉝他国商人を家臣とする事の禁止
他国の商人を、取り敢えずの被官人として契約する事は、全て禁止してある。
1,526 8 1 今川氏親が、駿府今川館にて死去する。家督は今川氏輝が継いだ。
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