万物の系譜

紀元前1,000〜1年

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ヘブライ王国一元化

年月日 出来事
998 ダビデが、エブス人の居るエルサレムへ侵攻する。エブス人は「足の萎えた者でもお前を倒せる」とダビデを挑発した。ダビデは、地下水道を通り、エルサレムの中心部へ出て、エルサレムを攻略して占領した。此れによりヘブライ王国は、ヘブロンからエルサレムへ遷都した。
998 ダビデが、預言者ナタンに「見なさい。私はレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いた儘だ」と言い、唯一神ヤハウェの為に、神の箱を置くレバノン杉の神殿を建てたいと打ち明ける。ナタンは「心に有る事は何でも実行為さると良いでしょう。ヤハウェは貴方と共に居られます」と返した。其の夜、ナタンはヤハウェの声を聞いた。後にナタンはダビデに対し「此れ迄どの部族の1つにでも『何故ヤハウェの為にレバノン杉の神殿を建てないのか』と言った者はいなかった」とし、ダビデの驕り高ぶりを牽制しつつも、神殿を建てる事自体は否定しなかった。しかし、神殿を建てるのは、ダビデでは無く、其の子孫で、跡を継ぐ者であると告げた。
993 アモン人の王ハヌンは、ダビデとの戦闘に備えゾバ(現在のシリアのホムス県サダド)の王ハダデゼルを呼び寄せた。ユーフラテス川の東からアラム人が援軍としてハダデゼルに合流した。ヨアブは以下2点を現地で確認した。
①アモン人が自分達の首都ラバ(現在のヨルダンのアンマン)に向かっている
②シリア人傭兵がマダバ(現在のヨルダン)付近に居る
ダビデは挙兵し、シリア人傭兵と戦い勝利した。シリア人傭兵は散り散りになった。此れを知ったアモン人は、ダビデと戦うのを止め、ラバに逃げ帰った。ハダデゼルは、国境を取り戻す為に北へ向かった。アモン人とシリア人の勢力は崩壊し、ヘブライ王国の領地はユーフラテス川まで拡大した。此のヘブライ王国軍勝利の報を聞いたハマト人の王トウは、祝辞と贈り物を息子のハドラムに託して、ダビデの下に遣わせた。
993 以下を掌中に収めたダビデが、中央集権君主制を確立し、傭兵部隊の強化をしてヘブライ王国は繁栄した。
①ペリシテ人
②モアブ人(ヘブライ王国軍が戦闘に勝利)
③エドム人(ヘブライ王国に朝貢して属国となる)
④アマレク人
⑤アモン人
990 ヘブライ王国軍がラバを包囲する。総司令官はヨアブであった。其の間ダビデはエルサレムに残っていた。或る夕方、宮殿の屋上から街を見下ろしていたダビデは、水浴中のヒッタイト人ウリヤの妻バト・シェバを見つけ、情欲に駆られた。ダビデは、バト・シェバを呼び寄せ、一緒に寝て妊娠させた。
990 ダビデが、バト・シェバの妊娠を知りウリヤを戦場から帰還させる。ダビデは自身の悪行を隠す為に、ウリヤが、バト・シェバの身籠った子供が自分のものであると認識させようとした。しかし、ウリヤは規律正しい兵士であった為、戦闘中の兵士を律する古来よりの習わしに背く事を望まず、バト・シェバと会わず、王宮の兵士達と共に滞在した。此れを受けダビデは、ヨアブに、ウリヤを戦いの一番激しい所に配置する様指示した。更にウリヤに、彼自身の死を命ずる書簡を持参させ、ウリヤの仲間全員に、ウリヤを見捨てる様命じた。結果、ウリヤは戦死し、ダビデはバト・シェバを8人目の妻として迎え入れた。
990 ダビデとバト・シェバの間に息子が産まれる。ナタンはダビデの下へ出向き、富者と貧者の譬え話を聞かせる。以下の内容であった。
「ある富者は多くの家畜を所有していたにも拘らず、客人を持て成す時、自分の家畜を屠殺するのが惜しくなり、貧者が自分の家族同様に可愛がっていた雌羊を盗んで持て成した」
ダウィデは其の男の事を非常に怒り「彼は殺されるべき」と言った。ナタンはダヴィデに「貴方は其の男だ」と告げた。そしてナタンは、「剣は貴方の家から決して離れない」と言い、更に「ダビデが自らの罪を認めると赦免され、死ぬ事は無いが、子供は死ぬだろう」と、ダビデに下る罰を予言した。子供は重病に罹り、出産後数日で死去した。ダビデは此の出来事を自らに対する罰であると受け入れた。
987 ダビデの長男でアヒノアムを母に持つアムノンが、ダビデの参男でマアカを母に持つアブサロムの同母妹タマルを自らの宮殿に呼び、タマルを凌辱する。タマルはダビデに許可を得る様説得したが、アムノンは聞き入れなかった。アブサロムはダビデに対し、アムノンを処罰する様要望するが、ダビデは怒りこそしたものの、処罰は下さなかった。
985 アブサロムが、ダビデの息子全員が招待された宴席で酔ったアムノンに対し召し使いを差し向け、殺害させる。3年前にタマルを凌辱された事に対する復讐であった。其の後アブサロムは、母方の祖父であるタルマイの居るゲシュル(現在のゴラン高原(イスラエルの北部地区、シリアのクネイトラ県・ダルアー県、ヨルダンのイルビド県付近))へ逃亡した。
982 アブサロムがヨアブの仲介でエルサレムに帰還する。しかし、ダビデはアブサロムが宮殿に入る事を認めなかった。
980 ダビデとアブサロムが和解する。
980 シバの女王マケダが、父がダビデで母がバト・シェバであるソロモンの宮殿を訪れる。ソロモンはマケダの美貌に惹きつけられた。ソロモンとマケダとの間にメネリク1世がハマシエン(現在のエリトリア首都圏)にて生誕した。
979 フェニキア(現在のシリアのタルトゥース県〜現在のイスラエルのハイファ地区カルメル山付近)のティルス(現在のレバノンの南レバノン県スール)の王ヒラムが、ダビデの王宮建設の為に石工・木工をエルサレムに派遣し、レバノン杉を送る。
977 ダビデが30,000名の兵を率い、神の箱をキルヤト・エアリム(現在のイスラエルのエルサレム地区)のアビナダブの自宅から、アビナダブの子供の以下2名が卸した新品の車でエルサレムに運び込む。
①ウザ
②アフヨ
977 ダビデが、ヤハウェと契約の箱の永住の地として、エルサレムに神殿を建設する為の資材調達を開始する。以下を手配した。
①金:3,400t
②銀:34,000t
③青銅
④鉄
⑤木材
⑥石材
⑦宝石
⑧石切工
⑨細工師
⑩各種職工
⑪神殿の仕様書
976 アブサロムが、ダビデに対し、ヘブロンに礼拝に行くと称してエルサレムを離れる許可を求める。ダビデは此れを認め、アブサロムは200名の護衛と共にエルサレムを去った。アブサロムは、ヘブロンに到着するなり、ヘブライ王国中の指導者や、部族の君主の下に使者を送り、支持者を集めた。そして、王室評議員の1人でギロ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ヘブロン県)に居たバト・シェバの祖父アヒトフェルの支援を受ける等、勢力を拡大していった。
976 アブサロムがヘブロンで挙兵し、王を宣言する。ダビデは逃げるのが得策であると考え、以下を率いエルサレムを出発した。
①クレタ人・ペレテ人から成る王室警備隊
②ガト人イッタイ率いる600名の傭兵部隊
ダビデは、イッタイにエルサレムに残る様説得したが「ヤハウェは生きて居られ、王なる我がヤハウェも生きて居られます。王なる我がヤハウェの居られる所に,生死何れの為でも、此の私も必ず其処に居ります」という主旨の発言をし、ダビデはイッタイが同行するのを認めた。以下2名はエルサレムに残った。
①祭司ザドク
②アビアタル
以下2名はダビデの為に諜報活動に従事した。
①アビアタルの息子ヨナタン
②アヒマアツ
ダビデは、オリーブ山(現在のイスラエルのエルサレム地区)を登っている最中、衣服が破れ、頭に埃を被っているフシャイと出会った。ダビデはフシャイをスパイとしてエルサレムに派遣した。其の後ダビデは、ヨルダン川を越えて避難した。そんな中、アブサロムはダビデと入れ替わりでエルサレムに入り、アヒトフェルに助言を求めた。アヒトフェルは以下2点の助言を行った。
①王位の奪取を誇示する為にダビデの側室と寝る
②今夜12,000名の兵でダビデの軍を急襲し、ダビデだけを狙い、他の全ての民を連れ戻す
フシャイは「王様万歳、王様万歳」と言い、アブサロムに接近した。そして12,000名の兵を使った急襲作戦に対し、ダビデ達の戦闘準備の時間を取る為の時間稼ぎを意図し、ダビデ軍の勇猛さを誇張し、決して急ぐ事無く全国から兵を招集すべきと説いた。アブサロムの高官達が此れに賛同し、フシャイの目論見は成功した。アヒトフェルは、自身の助言が採用されなかった為、驢馬に鞍を置き、故郷に帰って自宅を整理して首を吊って自害し、父祖達と共に葬られた。アブサロムは助言通りに、新しい王である事を明確に示す為に人前でダビデの側室の内10名と性交をした。
976 エフライムの森(現在のヨルダンのイルビド県・バルカ県付近)にて、アブサロムの軍とダビデの軍が交戦する。
ダビデは軍を3手に分け、以下3名を司令官に命じ、各人に1/3を指揮させた。
①ヨアブ
②ダビデの妹ゼルヤの長男アビシャイ
③イッタイ
アブサロムの軍は、生い茂る樹木に足を取られ大敗し、1日で20,000名の兵を失った。アブサロムの軍は、農作業に従事している者や小家畜を飼育している若者達の寄せ集めであり、兵士の集団であったダビデの軍に戦力で劣っていた。アブサロムは騾馬に跨り敗走するが、樫の木を通過する際、髪が枝に引っ掛かり宙吊りになった。其れをダビデの部下が目撃し、ダビデがアブサロムに手を出さない様厳命していた為、ヨアブに報告した。ヨアブは、司令官にアマサを任命し、アブサロムの心臓を3本の矢で刺し負傷させた。其の後ヨアブの鎧持ち10名によって殺害された。ダビデは、アブサロムが殺害された事を聞き大変悲しみ、マハナイムに籠り喪に服した。しかし、アムノン殺害の件でダビデに同情したヨアブは、今回は「王国よりもアブサロムが大事なのですか」と苦言を呈し、民に対する義務を果たす様ダビデに求め、奮い立たせた。其の後ダビデは、ヨアブに代えて甥のアマサを軍司令官に据えた。しかし、ヨアブはアマサを殺害した。
971 ダビデが病気になり、服を重ね着しても体が温まらなくなる。臣僕達は、ダビデに若い処女を抱かせて体を温めようと考え、シュネム(現在のイスラエル北部地区)出身のアビシャグを招いた。アビシャグはダビデに仕えたが、性交する事は無かった。此の頃ヨアブは、ダビデから距離を置き、ダビデの四男でハギトを母に持つアドニヤ​に接近した。ダビデはソロモンに、裏切り者であるヨアブの殺害を命じた。
971 アドニヤ​が、自身が次代ヘブライ王国国王になる事を宣言する。アドニヤは以下2名を味方に付けていた。
①アビアタル
②ヨアブ
しかし、以下の人間はアドニヤに従わなかった。
①ザドク
②祭司エホヤダの息子ベナヤ
③ナタン
ナタンはバト・シェバに対し「アドニヤが国王となったのをお聞きになりませんでしたか。ダビデは其れをご存知ないのです。貴方は直ぐにダビデの下へ行き「ソロモンを次代の国王とすると仰ったのに、何故アドニヤ​が国王となったのですか」と聞きなさい。私も後から入って貴方の言葉を確認しましょう」という主旨の発言をした。バト・シェバはダビデの寝室に入った。其処にはアビシャグも居た。バト・シェバはナタンから言われた通りに何故アドニヤ​が国王となったのかを聞いた。そして予定通り後からナタンが入って来てバト・シェバに続いた。ダビデは「ソロモンを次代国王とする。ザドク・ナタン・ベナヤを呼びなさい」と言った。ザドク・ナタン・ベナヤがダビデの下へやって来ると、ダビデは「家来達を連れてソロモンを騾馬に乗せ、ギホン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)に下り、ザドクとナタンはソロモンに油を注いで国王としなさい。そしてラッパを吹いて「ソロモン王万歳」と言いなさい」と言った。
971 ザドクが、幕屋から油の角を取って来て、ナタンと共にソロモンに油を注ぐ。此れにより、ソロモンが第4代ヘブライ王国国王に即位した。周囲の者はラッパを吹き鳴らし、「ソロモン王万歳」と言った。ソロモンは以降18,125kg/年の金の貢物を集めた。
971 ダビデがソロモンに以下の遺言を残し崩御する。
①神の戒めを守り神殿を建設する
②以下3点の理由によりヨアブを殺害する
❶ダビデと契約を結びダビデ側に就いていたアブネルを殺害した
❷自身の後任として将軍に就いたアマサを殺害した
❸ダビデの命に背きアブサロムを殺害した
③ダビデがマハナイムに行った際に呪ったベニヤミン人ゲラの子シメイを殺害する
④ダビデがアブサロムから逃げてマハナイムに来た際、以下を与えて援助したギルアデ人バルジライに恵みを施す
❶寝床
❷小麦
❸大麦
❹麦粉
❺炒った穀物
❻そら豆
❼ひら豆
❽蜂蜜
❾バター
❿羊
971 ソロモンが、シメイを呼び付け「エルサレムに家を建て、定住しなさい。そしてエルサレムから出てはならない。キドロン(現在のヨルダン川西岸地区エルサレム県・ベツレヘム県)を超えたら貴方は直ちに死を迎えるだろう」という主旨の発言をする。
971 アドニヤ​が、アビシャグと結婚したいと思い、異母弟のソロモンの許可を得る為にバト・シェバに取り成しを依頼した。ソロモンは「アビシャグをアドニヤに与えてしまうと、王国を与えたも同然である。アドニヤは私の兄であり、祭司であったアビアタルやヨアブと組んで私を出し抜くに違いない」という主旨の発言をし、其の日の内に、ベナヤに剣でアドニヤを殺害させた。更にソロモンは、アビアタルに対し「アナトテ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)の実家に帰りなさい。貴方は殺されて当然だが、今はそうしたくない。何故ならダビデが王位にあった時、ヤハウェの箱を担ぎ、ダビデと共に苦難を共にしたからだ」という主旨の発言をし、アビアタルを祭司職から罷免した。アドニヤが殺害された事を聞いたヨアブは、ヤハウェの幕屋に逃げ込み、祭壇の角にしがみ付いた。ソロモンからヨアブを処刑する様命じられていたベナヤは、ヨアブを追って幕屋に入り「ソロモンが出てくる様仰せだ」と声を掛けたが、ヨアブは「此処で死なせてくれ」と言って応じなかった。ベナヤはソロモンの下へ戻り、指示を仰いだ。ソロモンは「では、ヨアブの言う通りにせよ。祭壇の側でヨアブを殺し、葬るが良い。斯うして、ヨアブの殺人の罪を、私とダビデの家から取り除くのだ。 彼より立派な2人の人物を殺した責任は全て彼にある。ダビデは、アブネルとアマサの死には、全く関わりがなかった。ヨアブと其の子孫は、此の殺人の罪を永久に負わなければならない。どうかヤハウェが、ダビデと其の子孫には、此の2人の死に就いて一切責任が無い事を明らかにして下さるように」という主旨の発言をした。ベナヤは幕屋に引き返してヨアブを殺害し、荒野に有るヨアブの自宅の近くに葬った。ソロモンはベナヤを軍司令官に任命し、ツァドクをアビアタルの後任として祭司に据えた。
968 シメイの家来2名が、ガトの王アキシュの下に逃亡する。其れを聞いたシメイは、家来を追ってガトへ向かった。そして家来を連れてエルサレムに帰還した。シメイがガトへ行きエルサレムに戻って来た事を聞いたソロモンはシムイに対し「前にも言った筈です。エルサレムを出ると直ちに死ぬと。何故貴方はヤハウェの前で宣誓して与えた律法を守らなかったのですか?」という趣旨の発言をした。ソロモンはベナヤに命じ、シムイを撃ち殺させた。
968 ソロモンが、第6代エジプト第21王朝ファラオのシアメンの娘を娶る。ソロモンは合計で700名の妻と300名の妾が居た。ソロモンはギブオンで盛大な捧げ物をした。其の夜、ソロモンは就寝中の夢の中にヤハウェが現れ、ソロモンに「願いを叶えよう」と申し出た。ソロモンはヤハウェに知恵を求めた。するとヤハウェは「貴方に、民を裁いて善悪を区別出来る様知恵と賢明な心を授けた。貴方の様な賢い人は、過去に居なかったし、今後も現れないでしょう」という主旨の発言をした。
968 ソロモンが、シアメンからエツヨン・ゲベル(現在のエジプト南シナイ県)で船団を編成する許可を得る。エイラート(現在のイスラエル南部地区)を支配していたソロモンは、紅海に出る機会を窺っていたヒラムに、シアメンとの交易で得た利益を共有する事を持ち掛けた。ヒラムは其の話に乗り、フェニキアから航海士を遣わせる等して、ソロモンの手助けをした。数隻の船を建造したが、一部を除いてソロモンの船隊に用いられた。ソロモン率いる船隊とヒラム率いる船隊は3年置きにオフィル(現在のソマリア)へと航海した、此の交易により莫大な利益を得たソロモンは、ヘブライ王国の苦しい国家財政を建て直し、黒字に転換させた。ソロモンは3年に一度、以下をオフィルに持ち込んだ。
①金
②銀
③象牙
④猿
⑤狒々
968 ソロモンの下に2名の売春婦がやって来る。一方の売春婦が「私達は同じ屋根の下で暮らしているのですが、私は最近出産しました。其の3日後に隣の女も出産しました。ところが此の女は就寝中に自分の子供に覆い被さってしまった為、子供は夜中に窒息死してしまいました。そして有ろう事か、私の子供と入れ替え、死んだ子供を私の腕に抱かせました。翌朝、起きて乳を飲ませようとすると、子供が死んでいる事に気付いたのです」と主張すると、もう一方の売春婦が「死んだのは貴方の子供で、生きているのが私の子供よ」と言い返した。ソロモンは「剣を持って来なさい。生きている子供を半分にし、両者に分け与えよ」と言った。すると、先程最初に発言した売春婦が「其の子を決して殺さないで下さい。隣の女に与えて下さい」と懇願すると、もう一方の売春婦が「其れは良いアイデアですね。其の子供を2つに引き裂いて下さい」と言った。其の瞬間ソロモンは「生きている子供を殺さない様願い出た女性に与えよ。其の子は決して殺してはならない。彼女こそ其の子の本当の母親なのだ」と審判を下した。其の後、見事に売春婦達の争いを裁いたソロモンの話は王国全土に伝わり、ソロモンは賞賛された。
967 シアメンが、ゲゼルに攻め上って占領し、火を放って焼き払い、其の町に住んでいたカナン人を殺害する。そして其の土地をソロモンに嫁いだ自身の娘に贈る。ソロモンはゲゼルを要塞化し、更に以下の土地に町を築いていった。
①下ベト・ホロン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)
②バアラト(現在のイスラエル中央地区)
③荒れ野であるタドモル(現在のシリアのホムス県タドムル)
又、補給基地の町・戦車隊の町・騎兵隊の町といった、役割を明確にした町も開発した。ソロモンは国民に対して以下の地位への登用を実行していった。
①王の家臣
②将軍
③戦車隊長
④騎兵隊長
⑤戦士
⑥工事現場監督(550名)
其の一方で、以下の民族を奴隷として使役した。
①アムル人
②ヒッタイト人
③ペリジ人
④ヒビ人
⑤エブス人
966 4 オフェル(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)にて、ソロモンによるヤハウェの神殿の工事が着工される。ソロモンは資材調達の為、ヒラムと契約を結び、レバノン杉と糸杉の供給を受けた。ヒラムは、紀元前979年のダビデの王宮建設と同様にヘブライ王国に協力した。ヒラムは、見返りに小麦・オリーブ油とガリラヤ地方(現在のイスラエル北部地区、現在のヨルダンのイルビド県付近)の20の町々を贈られた。ヒラムは、ティルスからガリラヤ地方に足を運び、贈られた町々を視察した。ヒラムは此の町々が気に入らなかった。建設資材とは別に4.1tの金をソロモンに贈っていたヒラムは、其の見返りとしては安いと感じた。神殿の寸法は以下の通り。
①本殿
長さ:26.64m
幅:8.88m
高さ:13.32m
②玄関
長さ:8.88m
幅:4.44m
③脇屋1階
幅:2.22m
④脇屋2階
幅:2.66m
⑤脇屋3階
幅:3.11m
神殿の通気性を良くする為に、講師を取り付けた窓を設置し、神殿の壁を梁で支えずに済む様に、神殿の外周りの壁に段を造った。又、石切場で完全に仕上げられた石で神殿を建てた為、槌・斧・其の他鉄の工具の音は一切神殿の中に漏れなかった。神殿の右側に2階の脇間に通じる入口を造り、螺旋階段と接続した。其の螺旋階段を使って3階に上がる事も可能であった。神殿の屋根は、杉材の雨水溝の列で覆い造られた。神殿の側面には、祭司達の部屋兼礼拝に必要な物を保管する為の倉庫として3階建ての脇屋を建て巡らし、其の各階の高さは2.22mにして、杉材で神殿に固定させた。神殿の内装は、内壁には瓢模様と花模様が浮き彫りされた杉の板、床には樅の板が使われ、石材は隠された。板は全て純金で覆われた。更に、神殿の奥部分の長さ・幅・高さを何れも8.88mとし、床から天井に至るまで杉の板が使われ、杉材の祭壇も含めて純金で覆って至聖所とし、ヤハウェの契約の箱を置いた。至聖所には、ヤハウェの契約の箱を守る役割としてオリーブの板で2体のケルビムが造られ、純金で覆われた。2体共高さは4.44m、両翼は各々2.22mで、翼を広げてもう一方の壁に届かせる様にした。両翼は神殿の真ん中で触れ合っていた。
959 10 ヤハウェの神殿が完成する。其の神殿でソロモンは、3回/年、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を捧げ、神前で香を焚いた。ソロモンは、ヤハウェの神殿が完成すると同時に、以下の施設から成る自身の王宮の建設に着手した。
①レバノンの森の宮殿
長さ:44.4m
幅:22.2m
高さ:13.32m
②柱の広間
長さ:22.2m
幅:13.32m
③ソロモン夫妻の住居
ヤハウェの神殿よりも豪華な造りであった。レバノンの森の宮殿は、レバノンから来た杉材で造られた為名付けられた。延金で盾を300帖作り、570g/帖の金を使った。柱の広間は前に玄関が有り、玄関の前には柱と庇が有った。柱の広間にはソロモンが公務を行う為の「裁きの広間」を造り、床の隅々から天井まで杉材を用いた。ソロモン夫妻の住居は柱の広間の後ろの庭に在り、礎から頂上、更には外庭から大庭に至るまで鋸で4.44m程度に切り揃えられた高価な石が用いられた。大庭の周囲には、ヤハウェの神殿の内庭・玄関広間と同じ三段の切り石と一段の杉角材が使われた。又、シアメンの娘であるソロモンの妻がこの住居に移り住んだ頃、ソロモンはシェケム(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ナーブルス県)の塔を建設させた。更に、エルサレムに城壁を築き、以下の2ヶ所を要塞化した。
①ハツォル(現在のイスラエル北部地区)
②メギド(現在のイスラエル北部地区)
又、ヒラムはスコテ(現在のヨルダンのバルカ県)とツァレタン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エリコ県)の間の粘土の地で以下の鋳物を鋳造し、ソロモンに貢献した。
①レバノンの森の宮殿の入口の高さ7.99m・円周5.33mの青銅の柱2本(左:ボアズ、右:ヤキン)
②①の柱の頂に載せる高さ2.22mの百合の花の細工を施した柱頭
③南北に5台ずつ設置する長さ1.78m・幅1.78m・高さ1.33mのテーブル10台
④③のテーブルに載せる為の直径1.78m・容量920Lの洗盤
⑤レバノンの森の宮殿の手前に設置する縁から縁まで4.44mの海
⑥3頭ずつ東西南北を向いた牛12頭
⑦灰壺
⑧十能
⑨鉢
946 ソロモンの王宮が完成する。
946 ヒラムが、自身の家臣で航海の心得の有る船員達をソロモンの下へ派遣する。そしてソロモンは、エツヨン・ゲベルで船団を編成し、オフィルとの交易により以下の品目をヘブライ王国に齎した。
①金14.4t
②白壇
③宝石
928 ソロモンが、ダビデの町の破れ口を塞ぐ為に、ミロ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)に砦を築かせる。其の際ソロモンは、ヤロブアム1世の働きぶりを見て、ヨセフ族の労役全体の監督に任命した。
928 ヤロブアム1世がエルサレムを出た所、真新しい外套を着ていた預言者アヒヤと出会う。アヒヤは其の外套を手に取り、12切れに引き裂いて「10切れを取るが良い。イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『私はソロモンの手からヘブライ王国を取り上げ、10部族を貴方に与える。唯1部族だけは、我が僕ダビデの故に、又私が全部族の中から選んだ都エルサレムの故にソロモンのものとする。私が斯うするのは、ソロモンが私を捨て、シドン人の女神アシュトレト・モアブ人の神ケモシュ・アモン人の神モレクを伏し拝み、私の道を歩まず、私の目に適う正しい事を行わず、ダビデの様には掟と法を守らなかったからである。しかし私は、ソロモンの手からヘブライ王国の全てを奪いはしない。私の戒めと掟を守った、私の選んだ僕であるダビデ故に、ソロモンを其の生涯に渡って君主とする。私は、レハブアムの手から王権を取り上げ、其れを10部族と共に貴方に与える。レハブアムには1部族を与え、私の名を置く為に私が選んだ都であるエルサレムで、我が僕ダビデの灯が私の前に絶えず燃え続ける様にする。だが、私は貴方を選ぶ。自分の望み通りに支配し、イスラエル王国の王となれ。貴方が私の戒めに悉く聞き従い、私の道を歩み、私の目に適う正しい事を行い、我が僕ダビデと同じ様に掟と戒めを守るなら、私は貴方と共に居り、ダビデの為に家を建てた様に、貴方の為にも堅固な家を建て、イスラエル王国を貴方のものとする。斯うして私はダビデの子孫を苦しめる。しかし、いつ迄もという訳では無い』と」と預言した。ヤロブアム1世は、ヤハウェの神殿やソロモンの王宮の建設の為にヘブライ王国民が駆り出され、重税を課せられている現状に強い憤りを覚え、ソロモンに対し反旗を翻した。ソロモンはヤロブアム1世を殺害しようとしたが、ヤロブアム1世は、初代エジプト第22王朝ファラオのシェションク1世の下に逃亡し、ソロモンが崩御する迄其処に留まった。
928 ソロモンが崩御する。此れにより、ソロモンとアモン人ナアマの息子であるレハブアムが、シェケムにて第5代ヘブライ王国国王に即位した。ソロモンの治世下で、ソロモンの属していたユダ族を除く部族が、ヤハウェの神殿やソロモンの王宮の建設に駆り出され、更には重税も課せられ、人心が離れていた。北部の人々がレハブアムに謁見し「ソロモンは私達に過酷な軌を負わせました。今、ソロモンが私達に課した過酷な労働、重い軌を軽くして下さい。そうすれば私達は貴方にお仕え致します」という主旨のお願いをした。レハブアムは「3日後にまた来る様に」と返答し、ソロモンに仕えていた長老達に「軌を軽くする様訴える民にどう答えたら良いと思うか」と問うと、長老達は「もし貴方が今日此の民の僕となり、彼らに仕えてその求めに応じ、優しい言葉を掛けるなら彼らは何時迄も貴方に仕える筈です」という主旨の返答をした。更にレハブアムは、自身に仕えている若者達に長老達と同じ問いを投げ掛けた。若者達は「私の小指はソロモンの腰より太い。ソロモンがお前達に重い軌を負わせたのだから、私は更に其れを重くする。ソロモンがお前達を鞭で懲らしめたのだから、私は蠍で懲らしめる、と言えば良い」と返答した。
928 3日前にレハブアムに軌を軽くする様訴えた北部の人々が、再度レハブアムに謁見する。レハブアムは、自身に仕える若者達の意見を採用し、其の通りの発言を行った。此れを受けて北部の人々は、レハブアムによる支配を拒否し、レハブアムが事態収拾の為に遣わせた役務長官アドニラムを石撃ちで殺害した。レハブアムは身の危険を感じ、戦車に乗り込み這々の体でエルサレムに逃亡した。そして北部の人々は「イスラエル王国」を建国し、首都をシェケムに置いた。そして、ヤロブアム1世を初代イスラエル王国国王に擁立した。此れによりヘブライ王国が分裂し、北部がイスラエル王国、南部が「ユダ王国」となり、レハブアムが初代ユダ王国国王に即位した。首都はヘブライ王国の首都エルサレムを引き継いだ。レハブアムは、ユダ族とベニヤミン族から成る180,000名の兵を招集し、イスラエル王国を征伐しようとしたが、預言者シェマヤがレハブアムに「ヤハウェは、上って行くな。貴方達の兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。各々自分の家に帰れ。こうなる様に計らったのは私だ、と言っておられる」と伝えると、レハブアムは作戦を中止した。
928 ヤロブアム1世が、ベテル(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)にて金の子牛を造る。ヤロブアム1世は「今の儘なら、此の王国はダビデの家に帰るだろう。此の民が、エルサレムに在るヤハウェの宮で生贄を献げる為に上る事になっているなら、此の民の心は彼等の主君であるレハブアムに再び帰り、彼等は私を殺して、レハブアムの下に帰るだろう」と考えていた。そして、其の金の子牛の為の祭壇を以下の2ヶ所に造った。
①ダン(現在のイスラエル北部地区テル・エル・カディ)
②テル・ベイティン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)
ヤロブアム1世は、此の儘では人心が離れ、エルサレム神殿へ巡礼するのではないかという危機感が有った。ヤロブアム1世は「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。此処に、貴方をエジプト第22王朝から連れ上った、貴方の神々が居られる」と語り、ユダ王国の祭りに倣い、仮庵の祭りの日を第7の月の15日から第8の月の15日に変更し、祭壇で捧げ物を捧げ、香を焚いた。更にヤロブアム1世は、幕屋で仕える事が出来る祭司はアロンの子孫から選ばれるという定めを無視し、レビ人では無い一般人を祭司に任命して、新宗教を作ってヤハウェに背いた。
928 1人の神の人が、ユダ王国からベテルにやって来る。丁度其の時、ヤロブアム1世は香を焚く為に祭壇の側に立っていた。神の人は祭壇に向かい「祭壇よ、祭壇よ。ヤハウェは斯う言われる。『見よ。1人の男の子がダビデの家に生まれる。其の名はヨシヤ。彼はお前の上で香を焚く偶像崇拝の祭壇の祭司達を生贄としてお前の上に捧げ、人の骨がお前の上で焼かれる』と」と預言した。更に神の人は「此れがヤハウェの告げられた印である。見よ。祭壇は裂け、其の上の灰は零れ出る」と言って1つの印を与えた。ヤロブアム1世は、祭壇から手を伸ばして「彼を捕らえよ」と言った。しかし、其の伸ばした手が動かせなくなり、戻す事が出来なくなった。すると、神の人が与えた印の通り、祭壇は裂け、灰が祭壇から零れ出た。ヤロブアム1世は神の人に「どうか貴方の神、ヤハウェにお願いをして、私の為に祈って下さい。そうすれば私の手は元に戻るでしょう」と言った。神の人はヤハウェに願い、ヤロブアム1世の手は元に戻った。そしてヤロブアム1世は「私と一緒に来て、食事をして元気を付けて下さい。貴方に贈り物をしたい」と神の人を誘った。神の人は「仮令貴方の家の半分を私に下さったとしても、貴方と一緒には参りません。此処ではパン・水は口にしません。ヤハウェからはパン・水を口にしてはならず、又、元来た道を通って帰ってはならないと命じられているからです」と告げ、行きとは違う道を通って帰って行った。
928 ベテルに住んでいた或る年寄りの預言者の息子達が、父である其の預言者の所へ来て、神の人がベテルで行った事を、ヤロブアム1世への預言も含めて話す。年寄りの預言者は、神の人がどの道を使って帰って行ったか尋ねた。更に「驢馬に鞍を置いてくれ」と頼んだ。息子達が驢馬に鞍を置くと、年寄りの預言者は驢馬に乗り、神の人の後を追って去って行った。そして、年寄りの預言者は神の人が樫の木の下に座っているのを見つけ「貴方はユダ王国からおいでになった神の人ですか」と尋ねた。神の人は「私です」と答えた。年寄りの預言者は神の人に「私と一緒に来てパンを食べて下さい」と誘った。すると神の人は「私は貴方と一緒に引き返す事は出来ません。又、其処では貴方と一緒にパンを食べず、水も飲みません。何故なら此れ等はヤハウェに命じられているからです」と答えた。年寄りの預言者は「私も貴方と同じく預言者です。御使いがヤハウェの言葉を受けて私に『神の人を貴方の家に連れ帰り、パンを食べさせて水を飲ませよ』と告げました」と偽の預言をして神の人を騙した。此れを聞いた神の人は翻意し、年寄りの預言者と共にベテルへ引き返し、年寄りの預言者の家でパンを食べ、水を飲んだ。そして年寄りの預言者は「ヤハウェは斯う言われる。『貴方は私の言葉に背き、私の命令を守らず、引き返して禁じた場所でパンや水を口にした。よって貴方の亡骸は、貴方の先祖の墓には入らない』と」と預言した。神の人が食事を終えると、年寄りの預言者は、神の人の為に驢馬に鞍を置いた。神の人が出発すると、獅子が道で神の人を殺した。死体は道に放り出され、獅子と驢馬は其の側に立っていた。通り掛かった人々はベテルへ行き、此の事を話した。年寄りの預言者は此れを聞いて「其れはヤハウェの言葉に背いた神の人だ。ヤハウェが彼に告げた言葉通りにヤハウェが彼を獅子に渡し、獅子が彼を裂いて殺したのだ。年寄りの預言者は息子達に「驢馬を鞍に置いてくれ」と言った。息子達が驢馬に鞍を置くと、年寄りの預言者は驢馬に乗り去って行った。年寄りの預言者が道に投げ出されている神の人の遺体と、其の遺体の側に立っている驢馬と獅子を見付けた。獅子は神の人の遺体を食べたり、驢馬を殺したりはしなかった。年寄りの預言者は、神の人の遺体を驢馬に乗せてベテルに持ち帰り「嗚呼、我が兄弟」と言って悲しみ、自身の墓に葬った。其の後年寄りの預言者は息子達に「私が死んだら、あの神の人を葬った墓に私を葬り、神の人の側に私の骨を埋めてくれ。神の人がヤハウェの命によって、ベテルの祭壇とサマリアの町々に在る全ての偶像崇拝の祭壇に向かって放った言葉は必ず成就するからだ」と言った。ヤロブアム1世は、此の様な事が有っても、ヤハウェの道に立ち返らず、偶像崇拝の祭壇の祭司に志願した民衆を望み通りに就けた。
928 ヤロブアム1世の息子アビヤが、致死性の高い病気を患う。ヤロブアム1世は妻に「ヤロブアム1世の妻と知られない様変装してシロに行ってくれ。其処にはアヒヤが居る。パン10個・菓子・蜜1瓶を持ってアヒヤから、アビヤに何が起こるかを教えて貰ってくれ」という主旨の命令を下した。ヤロブアム1世の妻がテルザを出発してアヒヤの下に辿り着いた時、アヒヤは、老齢で目が見えなくなっていたにも拘らず、足音でヤロブアム1世の妻が来た事を認識し、ヤロブアム1世の妻が一言も発しない内に「ヤロブアム1世の妻よ、入りなさい。何故其の様な変装をしたのか。私は、貴方に辛い事を告げる様命じられている。ヤロブアム1世は、此れ迄の誰よりも悪を行い、自分の為に他の神々や鋳物の像を造り、ヤハウェを怒らせ、ヤハウェを後ろに捨て去った。貴方は立って家に帰るが良い。貴方が町に足を踏み入れる時、アビヤは死ぬ。イスラエル王国民はアビヤを弔い、葬るだろう。ヤロブアム1世に属する者で墓に入るのは、アビヤのみであろう。ヤロブアム1世の家の中でヤハウェに幾らか良いとされるのはアビヤだけだからである」と預言した。アビヤは、ヤロブアム1世の妻が帰るのを待って死去した。
923 シェションク1世が、騎兵60,000名と戦車1,200台の戦力でベニヤミン族の領地に侵攻する。要塞の町々を占領した。
922 シェションク1世が、本年が翌年にかけて、パレスチナに侵攻する。以下の土地を荒らし回った。
①ネゲヴ(現在のイスラエル南部地区)
②エドム人の領地
③イスラエル王国の領土
更にレバノンの森の宮殿に有った延金の盾も奪った。レハブアムは、エルサレム神殿や王宮の宝物庫に有った財宝を捧げ、代わりに青銅の盾を作る事にした。其の後シェションク1世率いる軍は、イスラエル王国にも侵攻し、旧ヘブライ王国の領地はエジプト第22王朝軍に蹂躙された。ヤロブアム1世は、ヨルダンに逃亡し、ペヌエル(現在のヨルダンのアジュルーン県)に遷都させた。又、預言者シェヤマはレハブアムに「貴方達は私を捨てた。私も貴方達を捨て、シェションク1世の手に渡す」とヤハウェの言葉を伝えた。するとレハブアム達は「ヤハウェは正しい」と謙った。結果、ユダ王国は滅亡を免れたもののエジプト第22王朝の属国となった。
922 ヤロブアム1世が、イスラエル王国をティルツァ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ナーブルス県テル・エル・ファラ(北))に遷都させる。
913 レハブアムが崩御する。後任として、レハブアムの息子のアビヤムが第2代ユダ王国国王に即位した。其の後は敵対していたイスラエル王国と戦い続ける事となった。
910 アビヤムが400,000名の兵を率い、ヤロブアム1世率いる800,000名の兵から成るイスラエル王国軍に攻撃を仕掛ける。ヤロブアム1世は、伏兵を迂回させてユダ王国軍を挟み撃ちにした。不意を突かれたユダ王国軍は、ヤハウェに助けを求め、祭司達はラッパを吹き鳴らした。するとイスラエル王国兵は混乱し、ユダ王国軍は、其の機に乗じて剣で500,000名を殺害した。そして以下と其の周辺の村落を領地として獲得した。
①ベテル
②エシャナ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)
③オフラ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)
910 アビヤムが崩御する。後任として、アビヤムの息子のアサが第3代ユダ王国国王に即位した。アサは伝統的なヤハウェ崇拝を守り、偶像崇拝とそれに伴う不道徳の根絶に努めた。
910 ヤロブアム1世が崩御する。後任として、ヤロブアム1世の息子ナダブが第2代イスラエル王国国王に即位した。ナダブは、ヤロブアム1世が始めた金の子牛の崇拝を踏襲した。
908 ナダブが、ペリシテ人に奪われた、嘗てのレビ族の都市ギベトン(現在のイスラエル中央地区)を攻囲する。しかし、イッサカルの家のアヒヤの子でイスラエル王国軍司令官のバシャが謀反を起こし、ナダブを殺害した。バシャは、ティルツァにて、第3代イスラエル王国国王に即位した。そして、ヤロブアム1世の家系の者を全員殺害し、国王の地位を揺るぎ無いものとした。バシャは、ヤロブアム1世の道を歩み、ヤハウェに背いた。
908 ハナニの子で預言者のエヒウがバシャに対し「私は貴方を塵から引き上げ、私の民イスラエルの君主としたが、貴方はヤロブアム1世の道に歩み、私の民イスラエルに罪を犯させ、其の罪によって私の怒りを引き起こした。其れで今、私はバシャと其の家族を除き去り、貴方の家をヤロブアム1世の家の様にする。バシャに属する町で死ぬ者は犬が此れを食らい、野で死ぬ者は空の鳥が此れを食らう」という預言を行う。
901 エチオピアの族長ゼラ率いる軍が、1,000,000名の兵と300台の戦車でユダ王国を攻撃する。アサ率いるユダ王国軍は、盾と槍を使うユダ族300,000名と小盾と弓を使うベニヤミン族280,000名で迎撃した。ユダ王国軍は劣勢に立たされたが、アサは「ヤハウェよ、助ける事に就いては多く居ようが、力の無い者達が居ようが、貴方にとっては変わりはありません。私達の神ヤハウェよ、私達を助けて下さい。貴方は私達の神です」と叫び、ユダ王国軍は勝利し、多くの戦利品を獲得した。
900 水稲作が揚子江下流の江南地方若しくは朝鮮南部を経て九州北部に伝わる。
876 5 イスラエル王国からユダ王国に亡命する者が多数居る事を背景に、アサが以下の人間をエルサレムに招集する。
①ユダ王国民
②ベニヤミン族
③エフライム族
④マナセ族
⑤シメオン族
875 バシャの命により、国境に位置していたユダ王国領のラマに石材・木材が運ばれ、城塞を築く工事が着工される。アサの下に国民が亡命するのを防ぎ、ユダ王国の動きを封じる狙いがあった。此れに対しアサは、家臣にエルサレムの神殿と王宮の宝物庫の金と銀を持たせ、イスラエル王国と同盟を結んでいた、ダマスコ(現在のシリアのダマスカス)に住む第3代アラム王ベネハダデ1世に派遣した。使者はダマスカスでベネハダデ1世に謁見し「アサの父と貴方の父の間には同盟が結ばれていました。即ち、アサと貴方にも同盟が結ばれていると考えて良いでしょう。金と銀の贈り物を貴方にお届けします。バシャとの同盟を破棄し、バシャをアサから離れさせて下さい」と、賄賂を渡し、アラムとイスラエル王国の同盟を破棄させた。ベネハダデ1世は、全軍を集め以下の諸都市を襲撃させた。
①イヨン(現在のヨルダンのナバティーエ県付近)
②ダン(現在のヨルダンのナバティーエ県付近)
③アベル・ベト・マアカ(現在のヨルダンのナバティーエ県付近)
④キネレト(現在のイスラエル北部地区ガリラヤ湖)
⑤ナフタリ族の領地(現在のイスラエル北部地区・現在のヨルダンのナバティーエ県付近)
バシャは、城塞工事を中止し、ラマから兵を引き上げ、ティルツァに帰還した。ユダ王国軍はイスラエル王国に侵攻し、ラマの建築資材を奪い、以下2ヶ所の砦の建設工事に用いた。
①ゲバ
②ミツパ
斯うして、ユダ王国軍はラマの奪還に成功した。しかし、預言者ハナニはアサに対し「貴方はヤハウェに拠り頼まなかった。今から数々の戦いに巻き込まれる」と告げた。アサはハナニを投獄した。
874 バシャが崩御する。ティルツァに葬られた。後任として、バシャの息子エラが第4代イスラエル王国国王に即位した。
873 エラがティルツァの宮廷長アルツァの家で酒に酔っていた或る日、エラの部下で2つ在る戦車隊の内の1つの戦車隊長ジムリが、部下を連れてアルツァの家を攻囲し、侵入してエラを殺害した。此の時エラの主力部隊は、ペリシテ人の領地であったギベトンに侵攻する為出撃しており、ティルツァが手薄となっていた。ジムリは王を名乗り、第5代イスラエル王国国王に即位した。ジムリは即位後直ぐに、バシャの家の一族を捕らえて皆殺しにし、其の親族・友人も、男子は1人残らず殺害された。同日中に、ギベトンに進軍していたイスラエル王国軍が、エラが殺害された事を知った。此れを受けて司令官オムリが王として擁立された。オムリは、ギベトン侵攻を中止させ、全軍を率いてティルツァに引き返して攻囲した。イスラエル王国軍はティルツァを占領し、王宮を包囲した。勝ち目が無いと悟ったジムリは、王宮内の城郭に入り、自ら王宮に火を放って自害した。ジムリの在位期間は僅か7日間で、ヤロブアム1世と同じく偶像を崇拝した。斯うしてオムリは、第6代イスラエル王国国王に即位した。しかし、オムリの即位を認めず、ギナトの子ティブニを推す派が起こり、イスラエル王国は二分され、オムリの支配権はティルツァに限定された。オムリは、銀2タラントでセメルから山を購入して町の建設を開始した。町の名はセメルに因んで「サマリア」と名付けた。又オムリは、ヤハウェの目の前に悪を行い、先人の誰よりも勝って悪事をした。
872 アサが痛風を患い、両足が不自由となる。アサはヤハウェの代わりに医者を求めた。アサは、自身の息子ヨシャファトに政務を任せ、自身は第一線から退いた。
870 アサが病没し、自身が掘った墓に先祖と共に葬られる。後任として、ヨシャファトが第4代ユダ王国国王に即位した。ヨシャファトは軍備の増強を図り、砦の在る町の全てに軍隊を配置し、エフライム族の領地の町々にも守備隊を置いた。
869 ティブニが死去する。此れにより、オムリはイスラエル王国の支配を確立した。
869 オムリが、モアブ人の領土を征服する。オムリはモアブ人に対し、以下の貢物を課した。
①子羊100,000頭分の羊毛
②雄羊10万頭分の羊毛
867 ヨシャファトが、ユダ王国全土に公的な宗教教育プログラムを実行する為、以下の高官・レビ族・祭司から成る委員会を結成させ、町々へ遣わせる。
高官
①ベン・ハイル
②オバドヤ
③ゼカルヤ
④ネタンエル
⑤ミカヤ
レビ族
①シェマヤ
②ネタヌヤ
③ゼバデヤ
④アサエル
⑤シェミラモテ
⑥ヨナタン
⑦アドニヤ
⑧トビヤ
祭司
①エリシャマ
②ヨラム
此の委員会の構成員達はヤハウェの律法の書の写しを持参し、人々に聖書を教えた。
867 オムリが、イスラエル王国の首都をティルツァからサマリアに遷都する。
861 オムリが崩御し、サマリアに葬られる。後任として、オムリの息子アハブが第7代イスラエル王国国王に即位した。アハブは、フェニキア人との同盟を強化した。更に、シドン人の王エテバアルの娘のイゼベルと結婚し、王妃として迎えた事で其の同盟は一層強固なものとなった。イゼベルは、シドン人の領地と同様に、サマリアにバアルの神殿を建設させ、アシェラ像を築かせ、バアル礼拝を推し進め、アハブはイゼベルの言うが儘となった。
861 預言者エリヤがアハブに対し「私の仕えているヤハウェは生きておられます。私の言葉が無い内は、数年雨の露も無いでしょう。又、植物も育たないだろう」と、飢饉の到来を警告する預言を行う。
861 ツァーラアトに罹っていた、第4代アラム王ベネハダデ2世が全幅の信頼を寄せていた軍の最高司令官である将軍ナアマンが、自身の妻の召使でイスラエル王国を侵略した際に捕虜とした少女から「旦那様はサマリアに居る預言者の所へ行かれたら宜しいのではないでしょうか。きっと其の方がツァーラアトを治して下さいます」と提案される。ナアマンはベネハダデ2世に、少女の提案を話した。ベネハダデ2世は「其の預言者の所へ行くが良い。アハブに宛てて紹介状を書こう」と同意した。ナアマンは、以下の贈り物と「此の書簡を貴方に手渡す者は、私の家臣ナアマンです。是非とも、ナアマンのツァーラアトを治して下さい」という主旨の紹介状を携え、イスラエル王国へ向けて出発した。
①金68.4kg
②銀340kg
③着物10着
アハブは紹介状を読むと、服を裂いて「ベネハダデ2世め。ツァーラアトの者を寄越して、病気を治してくれと無理難題を吹っ掛けて来ている。私は生かしたり殺したり出来る神だろうか。此れは侵略の口実を見付ける罠に違いない」と言った。此れを受けて預言者エリシャは、アハブの下に人を遣わせ「何故そんなに取り乱しているのですか。ナアマンを寄越して下さい。彼は、イスラエル王国には神の預言者が居る事を知るでしょう」と進言した。
861 ナアマンが、馬と戦車を従えてエリシャの自宅の玄関に立つ。エリシャは、使いの者を遣わせ「ヨルダン川へ行って、体を7回洗いなさい。そうすればツァーラアトは跡形も無くなり、完治します」と助言をした。此れを聞いたナアマンは立腹し、不機嫌そうに「何という事だ。預言者が直々に出て来て挨拶し、患部に手を当て、彼の神の名を読んでツァーラアトを治してくれると思ったのに川で洗えだと?それならバラダ川(現在のシリアのダマスカス県・ダマスカス郊外県)やパルパル川の方がよっぽど綺麗じゃないか。どうしても川で洗わなければならないというのなら、故郷の川でやった方がまだましだ」と言って憤慨して去っていった。其の際ナアマンの部下が「もしあの預言者に何か難しいことをせよと言われたら、そう為さるお積もりだったのでしょう。それなら、体を洗って清くなれと言われただけの事ですから、其の通りに為さってみては如何ですか」と説き伏せた。ナアマンは、部下の説得を受け入れ、ヨルダン川へ行き、7回水に身を浸した。すると、ナアマンの皮膚は幼子の様に艶々とし、ツァーラアトが完治した。ナアマン達はエリシャの下を訪れ、恭しくエリシャの前に立ち「イスラエル王国の他に、世界の何処にも神は居られない事が分かりました、どうぞ此の贈り物をお受け取り下さい」と感謝の意を表した。エリシャは「ヤハウェに懸けて、其の様な物を頂く訳には参りません」と断った。ナアマンは頻りに勧めたが、エリシャは受け取ろうとしなかった。其処でナアマンは「では、此れだけはお聞き届け願えないでしょうか。2頭の騾馬に載せられるだけの土を分けて下さい。国に持ち帰りたいのです。此れからはもうヤハウェの他には、どの神にも生贄を捧げたくはありません。但し1つだけお許し頂きたい事がございます。ベネハダデ2世がリモンの神殿に参拝する際、私の腕に寄り掛かります。其の時私も一緒に身を屈めますが、其の事をヤハウェがお許し下さいます様に」と言った。エリシャは「宜しい。安心してお帰りなさい」と許可した。エリシャの従者ゲハジは「エリシャ様のお人好しも困ったものだ。贈り物を1つも受け取らずにナアマンを帰してしまうのだから。よし、ナアマンの後を追い掛け、何か頂いて来よう」と走ってナアマンの後を追った。ナアマンは、ゲハジが向かって来る事に気付くと、戦車から降り、走り寄って迎え「何か有ったのですか」と問い掛けた。エリシャは「はい。エリシャがお伝えしたい事が有ると、私を遣わせたのです。たった今、若い預言者が2人、エフライム族の領地の山地から来まして、彼らに何か土産をと思ったものですから。宜しければ銀34kgと着物2着を分けて頂けませんか」という主旨の主張を行った。ナアマンは「宜しいですとも。何なら銀68kgをお持ち下さい」と強く勧め、銀68kgと着物2着を自身の2名の家来に持たせてゲハジと同伴させた。エリシャの自宅の在る丘に到着すると、ゲハジは銀の袋と着物を受け取り、2名を帰した。そして其れ等を隠して何食わぬ顔でエリシャの前に出た。エリシャは「ゲハジ、何処へ行っていたのか」とゲハジに尋ねた。ゲハジは「何処にも参りません」と答えた。エリシャは「ナアマンが戦車から降りてお前を迎えるのを私は心の目で見ていたのだ。今は銀・着物・オリーブ畑・葡萄畑・羊・牛・男女の奴隷を受け取る時だろうか。そんな事をしたからには、ナアマンのツァーラアトはいつまでもお前とお前の子孫に降り掛かる事になる」と言った。ゲハジは忽ちツァーラアトに冒され、肌が雪の様に白くなり、エリシャの部屋から出て行った。
861 サマリアで飢饉が始まる。エリヤは、ケリテ川(現在のヨルダンのイルビド県・アジュルン県付近)に身を隠した。エリヤは、ケリテ川の水を飲んでいたが、軈てケリテ川の水が枯れた。エリヤは、イゼベルの出身地であるシドン(現在のレバノンの南レバノン県)に属するザレパテ(現在のレバノンの南レバノン県)へ向かった。エリヤは、ザレパテの門に到着すると、薪を拾っていた寡女に声を掛け「水を少し持って来て、私に飲ませて下さい」と頼んだ。更に続け様に「一口のパンを持って来て下さい」と頼んだ。寡女は「私はパンを持っていません。只甕に一握りの小麦粉と瓶に少しの油が有るだけです。薪を拾い其れを調理し私と子供は其れを食べて死のうとしているのです」と、飢饉の中で僅かな食糧しか持ち合わせていない実情を訴えた。エリヤは「恐れるには及ばない。貴方が言った通りにしなさい。しかし先ず、私の為に小さいパンを1つ作って持って来なさい。其の後貴方と子供の為に作りなさい。ヤハウェは『雨を地表に降らす日迄は、甕の小麦粉は尽きず、瓶の油は絶えない』と言われます」と言うと、寡女はエリヤの言った通りの事を行い、最後の2人分の食材を先ずエリヤに作って食べさせた。其の後、エリヤと寡女の家族は久しく食べる事が出来た。
859 ヨシャファトが平和維持を意図し、自身の息子ヨラムとアハブの娘アタルヤを結婚させる。
858 アラム王ベネハダデ2世が全軍を召集する。其の中には32名の王侯と、馬・戦車が含まれていた。そして、サマリアへ進軍し、包囲して攻め、アハブの下に使者を遣わせた。使者は「ベネハダデ2世は、貴方の銀と金は私のもの。貴方の妻達や子供達の最も美しい者も私のものだと言われています」とアハブに言った。アハブは「ベネハダデ2世よ。仰せの通りです。此の私、及び私に属するものは全て貴方のものです」と返答した。使者は帰って行き、暫くすると又戻って来た。使者は「ベネハダデ2世は、明日の今頃、私の家来達を遣わせ、貴方の家、貴方の家臣の家の中を探し、貴方の目が喜びとしている物を全て奪い取る」と予告した。此れを受けてアハブは、イスラエル王国内の全ての長老を招集し「ベネハダデ2世が困った事を要求しているので良く知って貰いたい。ベネハダデ2世は、人を遣わせ、私の妻達や子供達、及び私の銀や金を求めたが、断り切れなかった」と言った。すると、長老達や民衆は「聞かないで下さい。承諾しないで下さい」と訴えた。斯うしてアハブは使者に対し「ベネハダデ2世に、貴方が初めに僕に言って寄越された事は全て其の様にするが、此度は出来ませんと伝えよ」と言った。使者は、ベネハダデ2世に報告する為に帰って行った。ベネハダデ2世は、アハブの言葉を聞くと、再度使者を遣わせた。使者はアハブの下へやって来て「もしサマリアに残る塵が私と行動を共にする全ての民の掌を満たす事が出来るなら、神々が幾重にも私を罰して下さる様に」と、ベネハダデ2世の言葉を伝えた。アハブは使者に「ベネハダデ2世に、武装しようとする者は、武装を解く者の様に誇ってはならないと伝えてくれ」と言った。王達と仮小屋で酒宴を行なっていたベネハダデ2世は、使者から此の言葉を聞くと、家来達に「配置に就け」と命じた。
858 或る預言者がアハブに「ヤハウェは斯う言われる。『貴方は此の夥しい大軍を全て見たか。私は今日此れを貴方の手に渡す。斯うして貴方は、私こそヤハウェである事を知る」と」と預言した。アハブは「其れは誰によってでしょうか」と尋ねた。預言者は「ヤハウェは斯う言われる。『諸国の首長に属する若い者達によって』である」と預言した。アハブは重ねて「誰が戦いを仕掛けるのでしょうか」と尋ねた。預言者は「貴方です」と答えた。アハブが諸国の首長に属する若い者達を調べると、232名居た。其の他イスラエル王国民を調べた所、7,000名居た。昼、イスラエル王国軍は出陣した。ベネハダデ2世は32名の王達と酒宴を行なっていた。諸国の首長に属する若い者達が、先陣を切った。ベネハダデ2世は、使者から「人々がサマリアから出て来ている」との報告を受けた。ベネハダデ2世は「和平の為に出て来たとしても生け捕りにし、戦う為に出て来たとしても生け捕りにせよ」と命じた。諸国の首長に属する若い者達、そして後続の部隊が各々アラム軍を撃ち、アラム軍は敗走した。イスラエル王国軍は追撃した。ベネハダデ2世は馬に跨り、騎兵達と共に逃亡した。アハブは馬と戦車を分捕ってアラム軍を撃ち、大損害を与えた。戦闘後、同じ預言者がアハブに「さあ、奮い立って、此れから為すべき事を弁え、知りなさい。来年の今頃、ベネハダデ2世が貴方を攻めに上ってくるから」と言った。其の頃、ベネハダデ2世の家来が、ベネハダデ2世に「イスラエル王国の神は山の神です。だから彼等は私達よりも強いのです。ですが、私達が平地で彼等と戦うなら、私達の方が屹度彼等より強いでしょう。斯うして下さい。王達を退位させ、彼等の代わりに総督を任命し、失った軍勢と馬を補充して下さい。平地で戦うなら屹度私達の方が彼等より強いでしょう」と進言した。ベネハダデ2世は此れを聞き入れ、其の様にした。
857 ベネハダデ2世が、兵を招集し、アフェク(現在のイスラエル北部地区)へ進軍する。対するイスラエル王国も、兵を招集して、食糧が配給され、アラム軍を迎えた。其々が向かい合って布陣した。或る時、神の人がアハブに「ヤハウェは斯う言われる。『アラムが、ヤハウェは山の神であって、低地の神ではない、と言っているので、私は此の夥しい大軍を全て貴方の手に渡す。其れによって貴方方は私こそがヤハウェである事を知るであろう』と」と預言した。両軍は向かい合った儘、7日間膠着状態が続いた。軈て戦闘が始まったが、僅か1日でイスラエル王国軍がアラム軍の歩兵100,000名を打ち殺した。アラム軍の残党27,000名は、アフェクの町中に逃げたが、彼等の上に崩れた城壁が落下した。ベネハダデ2世は、アフェクの町中の奥の間に逃げ込んだ。ベネハダデ2世の家来達はベネハダデ2世に「歴代のイスラエル王国国王は憐れみ深い王であると聞いています。腰に荒布を纏い、首に縄を掛け、アハブの下に出て行かせて下さい。そうすれば、貴方の命を助けてくれるかも知れません」と進言した。ベネハダデ2世は此れを許可し、ベネハダデ2世の家来達は、腰に荒布を巻き、首に縄を掛け、アハブの下を訪ね「貴方の僕であるベネハダデ2世が、命を助けて欲しいと申しています」と言った。アハブは「ベネハダデ2世はまだ生きているのか。彼は私の兄弟だ」と返した。ベネハダデ2世の家来達は「ベネハダデ2世は貴方の兄弟です」と同意するとアハブは「行って、ベネハダデ2世を連れて来なさい」と言った。其の通りにベネハダデ2世がアハブの下へやって来ると、アハブは、ベネハダデ2世を戦車に乗せた。ベネハダデ2世は「ベネハダデ1世がオムリから奪い取った町々をお返しします。貴方は、ベネハダデ1世がサマリアにした様に、ダマスカスに市場を設ける事が出来ます」という主旨の発言をした。アハブは「では、契約を結んで貴方を帰そう」と言って、ベネハダデ2世と契約を結び、帰らせた。そしてアハブが目の上に包帯をして誰か分からない様にして歩いていると、道端で待ち伏せしていた或る預言者がアハブに「僕が戦場に出て行くと、丁度其処に、或る人が1人の者を連れてやって来て斯う言いました。『此の者を見張れ。もし此の者を逃がしでもしたら、此の者の命の代わりに貴方の命を取るか、又は銀1タラントを払わせるぞ』と。ところが、僕が何かしている内に、其の者は居なくなってしまいました」と叫んだ。アハブは「貴方は其の通りに裁かれる。貴方自身が決めた通りに」と其の預言者に言った。アハブは急いで包帯を外し、相手が預言者の1人である事を確認した。其の預言者は「ヤハウェは斯う言われる。『私が聖絶しようとした者を貴方が逃したから、貴方の命は彼の命の代わりとなり、貴方の民は彼の民の代わりとなる』と」と預言した。アハブは、機嫌を損ねて、激しく怒って、サマリアの自宅へ帰った。
857 エリヤがアハブの下を訪ねる。エリヤがアハブに飢饉の到来を警告してから3年6ヶ月の間、サマリアは飢饉に襲われていた。アハブは、イゼベルがヤハウェの預言者達を殺害した際に100名の預言者を救い出し、50名ずつ洞窟に匿ってパンと水で彼等を養った宮廷長オバデヤを呼び寄せた。オバデヤは「此の地の全ての泉、全ての渓谷に行ってみなさい。もしかすると、草を見付けて、馬や騾馬を生かす事が出来、家畜を殺さずに済むかも知れない」とアハブに言った。其処で、オバデヤとアハブは二手に分かれて巡る事にした。オバデヤが道を進んでいると、エリヤが訪ねて来た。オバデヤは、エリヤを認識すると、其の前に平伏し「貴方は我が主、エリヤ様ではありませんか」と言った。エリヤは「そうだ。私が此処に私が居ると、アハブに伝えなさい」と返した。オバデヤは「私がどの様な罪で、貴方は僕をアハブの手に渡して殺そうとされるのですか。貴方の神、ヤハウェは生きておられます。アハブが貴方を捜し出す為に人を送らなかった民や王国はありません。そして『エリヤは居ない』と言う時は、其の国や民に貴方が見つからないと言う誓いをさせるのです。貴方は今『私が此処に居るとアハブに告げよ』と言われます。しかし私が此処を離れると、ヤハウェの霊が貴方を私の知らない所へ連れて行くでしょう。私がアハブに告げ、アハブが貴方を見付ける事が出来なければ、アハブは私を殺すでしょう。しかし、僕は幼い時からヤハウェを恐れている者です。私が、イゼベルがヤハウェの預言者達を殺害した際に100名の預言者を救い出し、50名ずつ洞窟に匿った時、パンと水で以って生き残った預言者達を養った事をヤハウェはお聞きになっていないのでしょうか」と訴えた。エリヤは「私の仕える万軍の主、ヤハウェは生きて居られる。私は今日、必ずアハブの前に姿を現すだろう」と宣言した。オバデヤはアハブにエリヤの居場所を告げた。アハブはエリヤに会い「イスラエル王国を悩ます者よ、貴方は此処にいるのですか」と言った。エリヤは「私がイスラエル王国を悩ますのではありません。貴方とオムリが悩ましたのです。貴方方がヤハウェの命に背き、バアルに従った為です。其れで今、人を遣わせて、全てのイスラエル王国民・バアルの預言者450名・アシェラの預言者400名・イゼベルの食卓で食事を摂る者達をカルメル山に集めて、私の所に来させなさい」と命じた。アハブはエリヤに従い、人々をカルメル山に集めた。エリヤは「貴方方はいつまで2つのものの間で迷っているのですか。ヤハウェが神なら其れに従いなさい。バアルが神なら其れに従いなさい」と言った。人々は無言であった。続けてエリヤは「私は唯1人残ったヤハウェの預言者です。しかし、バアルの預言者は450名居ます。2頭の雄牛を用意して下さい。1頭はバアルの預言者達の為、もう1頭は私の為です。1頭の雄牛を彼等に選ばせ、其れを切り裂いて、薪の上に載せて、火を付けずに置かせなさい。私の雄牛も同様にします。斯うして、貴方方は貴方方の神の名を呼びなさい。私はヤハウェの名を呼びましょう。そして、火を以って答える神を神としましょう」と語った。人々も同意した。エリヤはバアルの預言者達に「貴方方は大勢居るから、最初に1頭選び、其れを整え、貴方方の神の名を呼びなさい。但し、火を付けてはなりません」と言った。バアルの預言者達は、エリヤの言う通りにし、朝から昼迄バアルの名を呼び「バアルよ、答えて下さい」と言った。しかし、何の声も無く、答える者も居なかった為、彼等は、自分達の造った祭壇の周辺で踊った。エリヤはそんなバアルの預言者達を嘲って「バアルは神なのだから、大声を上げて呼びなさい。バアルは考えに耽っているのか、他所へ行ったのか、旅に出たのか、又は眠っていて起こされなければならないのか」と言った。バアルの預言者達は、大声を上げ、習わしに従い、刀と槍で其の身を傷付け、血を流した。そして、バアルを呼んでいる間に夕方の供物を捧げる時間に至った。エリヤは人々に「私に近寄りなさい」と言った。人々が近寄るとエリヤは、破損したヤハウェの祭壇を修繕した。そして、イスラエルの12部族に因んで、12の石を取り、其の石で祭壇を築き、溝を掘って薪を並べ、雄牛を切り裂いて薪の上に載せ、4つの甕に水を満たし、雄牛と薪に注ぐ様指示した。エリヤが3回水を注がせると祭壇の周囲に水が流れ始めた。更に溝にも水を注いだ。そしてエリヤは「アブラハム・イサク・ヤコブの神であるヤハウェよ。イスラエル王国では、貴方が神である事、私が貴方の僕であって、貴方の言葉に従って、此れ等を実行しました。ヤハウェよ。私に答えて下さい。ヤハウェよ、此の民に貴方が神である事、又貴方が彼等の心を翻意させました。其の時雄牛・薪・石が焼き尽くされ、火は溝にも及んだ。人々は平伏して「ヤハウェが神である。ヤハウェが神である」と言った。エリヤは「バアルの預言者を捕らえよ。1人も逃してはならない」と指示した。捕縛が完了すると、エリヤはキション川(現在のイスラエル北部地区)に下り、バアルの預言者達を剣で殺害した。エリヤはアハブに「大雨の音がするから、上って行って、食事を摂りなさい」と言った。アハブは上って行った。しかしエリヤは、カルメル山の頂上に登り、平伏して顔を膝の間に入れ、僕に「上って行って海の方を見なさい」と言った。僕が上って行って、帰って来て「何もありません」と答えた。其の遣り取りを繰り返し、7度目に僕が「海から人の手程の小さな雲が発生しています」と報告した。エリヤは僕に「上って行って『雨に留められない様に車を整えて下れ』とアハブに伝えなさい」と指示した。間も無くして、雲と風が発生して、空が黒くなって大雨となった。アハブは車に乗って、エズレル平野(現在のイスラエル北部地区)へ向かった。エリヤも、腰を絡げて、エズレル平野へ走って行った。
857 アハブがエズレル平野の宮殿に到着する。アハブはイゼベルに対し、エリヤが預言者を皆殺しにした事を告げた。但アハブは、ヤハウェには言及しなかった。イゼベルは怒り狂い、エリヤの下に使者を遣わせた。
857 夜、嵐の中、エズレル平野の質素な場所で眠っていたエリヤの下に、イゼベルが使者が到着する。使者はエリヤに「もし私が明日の今頃迄に貴方の命をあの人達の1人の命の様にしなかったら、神々が此の私を幾重にも罰せられる様に」と告げ、24時間以内にエリヤを殺害すると脅迫した。此の時点で、エリヤの預言者仲間が大勢処刑されていた。恐れたエリヤは、南西へ約150km逃亡し、ベエルシェバ(現在のイスラエル南部地区)に到着した。そしてエリヤは、其処に従者を残し、朝、1人で荒野の中に入って行った。天気は快晴であった。起伏の多い荒れ地を進み、日の沈む頃に力尽き、疲れ果てて、エニシダの木の下に座った。荒涼とした地で、休める場所は其処しか無かった。エリヤは、死ぬ事を願い「私は父祖達に勝っていません」と呟いた。軈て、エリヤが眠っている所に、其処に御使いがやって来て、エリヤを起こし「起きて食べなさい」と言った。焼き立てのパンと水を差し出されたエリヤは、其れを食べ、再び眠りに付いた。暫くして、再度御使いがエリヤを起こし「起きて食べなさい。旅は貴方にとって大変だからです」と言った。再度食事を摂ったエリヤは、力を得て、再び歩き始めた。
857 40日間何も食べずに約300km歩き続けたエリヤが、ホレブ山(現在のエジプトの南シナイ県)に到着する。エリヤは其処の洞穴に入り、一夜を過ごした。其処に、霊者がやって来て「エリヤよ。何の用で此処に来たのか」と問うた。エリヤは「私は万軍の神、ヤハウェの為に徹底的に妬んで来ました。イスラエル王国の者達は、貴方の契約を捨て、貴方の祭壇を壊し、貴方の預言者達を剣で殺した為、只私だけが残ったからです。彼等は私の魂を取ろうと探し始めています」と答えた。霊者は「ヤハウェは斯う言われる。『外に出て、山の上でヤハウェの前に立て。そして、ダマスコの荒野へ帰って行け。其処でハザエルに油を注いでアラム王とせよ。又、ニムシの子イエフに油を注いでイスラエル王国国王とせよ。又、アベル・メホラ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区トゥーバース県・現在のヨルダンのイルビド県・現在のイスラエル北部地区付近)の出のシャファテの子エリシャに油を注いで預言者とせよ。彼は軈て貴方の後を継ぐであろう。ハザエルの剣を逃れる者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れる者をエリシャが殺す。私はイスラエル王国の中に7,000名を残しておいた。全て其の膝がバアルに屈まなかった者、皆其の口が其れに口付けしなかった者である』と」と預言した。
857 エリヤがアベル・メホラに到着する。其処で、12頭の軛の牛を前に行かせて、其の12番目の牛の側で畑を耕しているエリシャに会った。エリヤは、エリシャの側を通り過ぎる時、自身の外套を掛けた。エリシャは、牛を捨ててエリヤの後を追い「私の父と母に接吻をさせて下さい。其れから貴方に従って行きますから」と言った。するとエリヤは「行って来なさい。私が貴方に何をしたというのか」と返した。そして、エリシャは引き返して来て、1頭の軛の牛を屠り、其の牛の装具を燃やして、肉を調理し、家族の者達に振る舞った。其れからエリシャは立ち、エリヤに付いて行って、仕えた。
853 ヨシャファトが、挨拶の為アハブの下を訪れる。アハブは、アラム人に奪われたラモト・ギルアデ(現在のシリアのクネイトラ県付近)を奪還する為に戦闘に参加する様ヨシャファトを説得した。ヨシャファトは共に戦う事を約束するが、条件として「先ずヤハウェの言葉を求めて下さい」と訴えた。アハブは400名の預言者を集めたが、多くはアハブに都合の良い事しか言わない偽預言者であった。其れを見抜いたヨシャファトは「ヤハウェの預言者は居ないのですか?」と尋ねた。アハブは預言者イムラの息子で同じく預言者のミカヤの名を挙げた。アハブは「ミカヤは私に都合の悪い預言をするので憎んでいます」と言うと、ヨシャファトは「アハブよ、其の様な事を言ってはいけません」と諫めた。サマリア(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ジェニーン県)の城門の入口に在る麦打ち場」に正装で王座に着いていた以下2名の前で、預言者達は「ラモト・ギルアデで攻め上って勝利を得て下さい。ヤハウェは敵をアハブの手にお渡しになります」とアハブの勝利を預言した。
①アハブ
②ヨシャファト
ミカヤを呼びに行った使者は、ミカヤが他の預言者と違う預言を語るのを心配し、他の預言者と口裏を合わせ、アハブに幸運を告げる預言のみを語る様要請した。ミカヤはアハブの前で他の預言者と同じ預言を語ると、アハブは心底から発した言葉では無いと見抜き「何度誓わせたら、お前はヤハウェの名によって真実だけを私に告げる様になるのか」と怒った。するとミカヤは「イスラエル王国民が羊飼いの居ない羊の様に山々に散っているのを私は見ました。ヤハウェは「彼らには主人が居ない。彼らを其々自分の家に無事に帰らせよ」と言われました」と告げた。此れはアハブの死を暗示するものであった。アハブは「ミカヤは災いばかり預言する」と非難した。預言者の1人であるツィドキヤはミカヤの頬を殴り「ヤハウェの霊はどの様に私を離れ去って、お前に語ったというのか」と迫った。アハブは、此の遣り取りを見てミカヤを捕縛させ「ミカヤを獄に繋ぎ、私が無事に帰って来るまで、僅かな食べ物と飲み物しか与えるな」と言って出撃を決意した。ミカヤは「もし貴方が無事に帰って来る事が出来るなら、ヤハウェは私を通して語られなかった筈です」と言った。
853 イスラエル王国・ユダ王国連合軍がラモト・ギルアデ奪還の為出陣する。アハブは変装し、自身がイスラエル王国国王である事に気付かれない様にし、代わりにヨシャファトをイスラエル王国国王に変装させた。対するベネハダデ2世は、配下の戦車隊長32名に「兵士や将軍には目もくれず、唯イスラエル王国国王を狙って戦え」と指示を出していた為、変装していたヨシャファトが真っ先に狙われた。しかし、ヨシャファトは大声を上げて助けを求めた為、戦車隊長達は偽者であると気付き、ヨシャファトは一命を取り留めた。又アハブは、変装し甲冑で身を固めていたものの、敵兵の放った矢が草摺の隙間を射抜き、深手を負った。イスラエル王国・ユダ王国連合軍の士気は低下し、日没頃には「各々自分の町、自分の国へ帰れ」という声が陣営の中で漏れ始めた。斯うして、事態はミカヤの預言通りとなった。此の戦いの後預言者イエフは、エルサレムに帰還したヨシャファトに「悪人を助け、ヤハウェの憎むアハブと友になるとは何事ですか。しかし、此のエルサレムから偶像を取り除くという善行をした事もヤハウェはご存じです」と言った。其の後、ヨシャファトは二度とイスラエル王国へ出向く事は無かった。ヨシャファトは、ベエルシェバからエフライム族の領地の山地まで巡り、ヤハウェに立ち返る様国民に説いた。
853 夕方、アラム軍の矢が致命傷となり、アハブが崩御する。100,000匹の子羊と雄羊100,000匹分の羊毛を貢物としてイスラエル王国に納めていたモアブの王メシャは、此れを切っ掛けにイスラエル王国に背き、子羊・雄羊を貢ぐのを止めた。アハブの後任として、アハブの長男アハズヤが、第8代イスラエル王国国王に即位した。アハズヤは、ヤハウェの目に悪とされる事を行い、アハブの道・イゼベルの道を歩んだ。そして、バアル宗教に走り、バアルに仕えて平伏し、ヤハウェの怒りを引き起こした。
853 アハズヤが、サマリアにて、屋上の部屋の欄干から転落して重体となる。アハズヤは「エクロン(現在のイスラエル中央地区・エルサレム地区・南部地区の境付近)の神ベルゼブブの所へ行き、此の病気が治るかどうか尋ねよ」と言って使者を遣わせた。一方、ヤハウェの御使いは、エリヤに「立って上って行って、アハズヤの使者に会って『貴方達はエクロンの神ベルゼブブに尋ねようとしているが、イスラエル王国には神が居ないとでも言うのか。其れ故ヤハウェは斯う言われる。"貴方は上った寝台から降りる事は無い。貴方は必ず死ぬ"と』と言え。斯うしてエリヤは出発した。軈て、アハズヤの使者達がアハズヤの下に帰って来た。アハズヤは「お前達は何故帰って来たのか」と尋ねた。使者達は「1人の人が私達に会いに上って来て、斯う言いました。『貴方達を遣わせたアハズヤの下に帰って告げよ。エクロンの神ベルゼブブに尋ねようとしているが、イスラエル王国には神が居ないとでも言うのか。其れ故ヤハウェは斯う言われる。"貴方は上った寝台から降りる事は無い。貴方は必ず死ぬ"』と」と訴えた。アハズヤは「お前達に会いに上って来て、其の様な事を告げたのはどんな男か」と尋ねると、使者達は「毛衣を着て、腰には革帯を締めていました」と答えた。アハズヤは「其れはエリヤだ」と言った。
853 アハズヤが、五十人隊長を、其の部下50名と共にエリヤの下に遣わせる。五十人隊長は山の頂に座っていたエリヤと対面する為に上って行き、エリヤに「神の人よ。アハズヤが『降りて来なさい』と命じて居られます」と言った。エリヤは「私が神の人であれば、天から火が降って来て、貴方と五十人の部下を焼き尽くすだろう」と返した。すると、天から火が降って来て、五十人隊長と部下50名を焼き尽くした。アハズヤは再度、もう1人の五十人隊長を、其の部下50名と共にエリヤの下に差し向けた。五十人隊長はエリヤに「神の人よ。アハズヤが『降りて来なさい』と命じて居られます」と言った。エリヤは「私が神の人であれば、天から火が降って来て、貴方と五十人の部下を焼き尽くすだろう」と返した。すると、天から火が降って来て、五十人隊長と部下50名を焼き尽くした。アハズヤは三度、別の五十人隊長を、其の部下50名と共にエリヤの下に遣わせた。五十人隊長は、エリヤの前に跪き、「神の人よ。どうか私の命と貴方の僕である此の50名の命を助けて下さい。ご覧の様に、天から火が降って来て、先の2名の五十人隊長と100名の部下を焼き尽くしました。どうか私の命を助けて下さい」という主旨の懇願をした。ヤハウェの御使いがエリヤに「五十人隊長と共に降りて行け。彼を恐れるには及ばない」と言ったので、エリヤは五十人隊長と共にアハズヤの下へ降りて行った。エリヤはアハズヤに「ヤハウェは斯う言われる。『貴方はエクロンの神ベルゼブブに尋ねようとして使者を遣わせたが、其れは、イスラエル王国に其の言葉を求める事の出来る神は居ないという事か。其れ故貴方は上った寝台から降りる事は無い。貴方は必ず死ぬ』と」と預言した。
853 ヨシャファトが、ユダ王国内の司法制度改革に乗り出す。各地域でばらばらであった裁判の在り方をエルサレムを中心とする中央集権的なものに組織化し、地方とエルサレムの二審制を採用した。又、国内の砦の町全てに裁判官を配置した。ヨシャファトは此の裁判官達に「人の為で無く、ヤハウェの為に裁くのだから、自分が何をすべきかよく考えなさい。裁きを下す時、ヤハウェが貴方達と共に居て下さる様に。今、ヤハウェへの恐れが貴方達に有る様に。注意深く裁きなさい。私達の神、ヤハウェの下には不正も偏見も収賄も無い」と裁判官としての心得を説いた。更に、ヨシャファトはエルサレムに上級裁判所を設置し、裁判長に以下2名を任命した。
①不敬罪の最高責任者兼ヤハウェに関する事柄の責任者:祭司長アマルヤ
②民事訴訟の最高責任者兼ヨシャファトに関する事柄の責任者:アブラハムの長男イシュマエルの子:ゼバドヤ
書記はレビ族が担った。
852 ヨシャファトが、タルシシュ(現在のスペインのアンダルシア州カディス県)行きの船団を結成する為、アハズヤと協定を結ぶ。ヨシャファトはエツヨン・ゲベルで船団を編成した。マレシャ(現在のイスラエル南部地区)出身のドダバの息子で預言者のエリエゼルは「アハズヤと協定を結んだ為、ヤハウェは貴方の事業を打ち壊される」と預言した。ヨシャファトは航海に出たが、船が難破し、エリエゼルの預言通りにタルシシュに着く事は出来ず、計画は失敗した。
852 アハズヤが、2年前のエリヤの預言通りに崩御する。アハズヤには子供が居なかった為、アハブの弐男ヨラムが、第9代イスラエル王国国王に即位した。ヨラム(イスラエル王国国王)はヤハウェの目に悪を行ったが、アハブやイゼベル程では無かった。ヨラム(イスラエル王国国王)は、アハブが作ったバアルの石の柱を撤去した。しかしヨラム(イスラエル王国国王)は、ヤロブアム1世がイスラエル王国に犯させた罪に執着し、其処から離れる事は無かった。
851 100,000匹の子羊と雄羊100,000匹分の羊毛を貢物としてイスラエル王国に納めていたモアブの王メシャがイスラエル王国から離反し、反旗を翻す。此れを鎮圧しようとしたヨラム(イスラエル王国国王)は、モアブ征伐の遠征に加わる様ヨシャファトを誘った。ヨシャファトは同意し「我々はどの道を上れば良いのですか」と尋ねると、ヨラム(イスラエル王国国王)は「エドムの荒れ野の道を」と答えた。ヨシャファトは、自身が従えていたエドムの王と合流して、南方からモアブ攻略の為出陣した。しかし、迂回するのに7日を費やしてしまい、部隊と家畜の為の水が底を突いてしまった。此れを受けてヨラム(イスラエル王国国王)は泣き言を言っていたが、ヨシャファトは、ヤハウェの預言者に頼る事を勧めた。ヨシャファトは「此処にはヤハウェの預言者はいないのですか?」と尋ねると、イスラエル王国の家臣が「此処には、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です」と答えた。ヨラム(イスラエル王国国王)・ヨシャファト・エドムの王は、エリシャを訪ねた。エリシャはヨラム(イスラエル王国国王)に対し「私とヨラム(イスラエル王国国王)の間に何の関わりが有るでしょうか。アハブやイゼベルの預言者の所に行かれたら良いでしょう」という主旨の発言をするとヨラム(イスラエル王国国王)は「我々3名の王を呼び集めたのはヤハウェだ」と返した。エリシャは「私が仕えているヤハウェは生きておられます。私はヨシャファトに敬意を抱いていなければ、貴方には目もくれず、増して貴方に会う事もしなかった。今、竪琴を弾く者を此処に連れて来てください」と言うと、竪琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らした。するとエリシャは「ヤハウェは斯う言われる。『風を見ず、大雨を見なくても、此の涸れた谷に水が溢れる。貴方達は家畜や荷役の動物と共に其れを飲む』と。此れはヤハウェの目には小さな事である。ヤハウェはモアブを貴方達の手にお渡しになる。貴方達は全ての砦の町、全ての選り抜きの町を打ち破り、全ての有用な木を倒し、全ての泉を塞ぎ、全ての優れた耕地を石だらけの荒れ地とする」と、水を与え、モアブとの戦いに於いて勝利を齎す事を預言した。
851 エリシャが以下3名に預言した翌朝、捧げ物を献上する頃、水がエドムの方から流れて来て、水で満たされた。
①ヨラム(イスラエル王国国王)
②ヨシャファト
③エドムの王
3名はモアブ征伐の為進軍した。モアブの人々は、イスラエル王国・ユダ王国・エドム連合軍が攻めて来た事を知り、剣を帯び、鎧を身に付ける年齢に達した者全てが招集され、守備の為国境に配置された。
851 モアブの守備隊が国境に配置された翌朝、太陽が水面を照らし、モアブの人々は目の前に血の様な赤い水を見た。モアブの人々は「此れは血だ。ヨラム(イスラエル王国国王)・ヨシャファト・エドムの王は互いに同士討ちをしたに違い無い。モアブよ、今こそ分捕りに行こう」と、イスラエル王国の領地に攻め込んだ。しかし、返り討ちにされ、敗走した。逆にイスラエル王国・ユダ王国・エドム連合軍が、モアブ軍を襲撃し、モアブの町々を破壊し、良い畑に石を投げ捨てて石だらけにし、水源を塞ぎ、良い木を切り倒した。最後にモアブの首都キル・ハレセテが残ったが、石を投げ捨てた者達が包囲し、打ち破った。追い詰められたメシャは、剣使い700名を引き連れエドムの王を討とうとしたが、果たせなかった。其処でメシャは、跡取りである自身の長男を城壁の上で全焼の人身御供の捧げ物として、偶像神ケモシュに献上した。此れを受け、モアブの人々は怒り、イスラエル王国・ユダ王国・エドム連合軍は狼狽し、自国に引き上げた。
850 ヨシャファトが、モアブ人とアモン人が、セイル山(現在のヨルダンのアカバ県)に居たメウニム人の一部を引き連れ、エドムの方からユダ王国に攻め入り、エン・ゲディに居るとの報告を人々から受ける。ヨシャファトは恐れ、ヤハウェを求める事を決意し、国民に断食を呼びかけた。ヨシャファトは民衆を集め、ヤハウェの神殿の新しい庭の前で「私達の先祖の神、ヤハウェよ。貴方は天に居る神、異邦人の国を全て支配して居られる方ではありませんか。御手には力と勢いが有り、貴方に立ち向かう事の出来る者は居ません。私達の神よ、貴方は貴方の民イスラエルの前から此の地の先住民を追い払い、此の地を貴方の友アブラハムの子孫に常しえにお与えになったではありませんか。彼らは此処に住み、此処に貴方の御名の為に聖所を建てて言いました。もし私達が裁きとして剣・疫病・飢饉等の災いに襲われたなら、此の神殿にこそ御名が留められているのですから、此の神殿の前で御前に立ち、苦悩の中から貴方に助けを求めて叫びます。貴方は其れに耳を傾け、救って下さい。今、アモン人・モアブ人・セイル山に居たメウニム人の人々を見て下さい。嘗てイスラエル人がエジプトの地から出て来た時、貴方は彼らの土地に入って行く事をお許しになりませんでした。其の為イスラエル人は、彼らを避け、滅ぼさずにおきました。ご覧の様に、今彼らは私達に報いて、貴方が私達にお与えになった此の土地から、私達を追い出そうと攻めて来たのです。私達の神よ、彼らをお裁きにならないのですか。私達には、攻めて来る此の大軍を迎え撃つ力は無く、何を為すべきか分からず、唯貴方を仰ぐ事しか出来ません」と祈りを捧げた。するとヤハウェの霊が、民衆の中に居たレビ族のヤハジエルに臨んだ。ヤハジエルは「全てのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファトよ、よく聞け。ヤハウェは貴方達に斯う言われる。『此の大軍を前にしても恐れるな。怖じけるな。此れは貴方達の戦いでは無く、神の戦いである。明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。貴方達はエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。其の時貴方達が戦う必要は無い。堅く立って、ヤハウェが貴方達を救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。怖じけるな。明日敵に向かって出て行け。ヤハウェが共にいる』と」と言った。ヨシャファトは地に平伏し、全てのユダとエルサレムの住民もヤハウェの御前に伏して、ヤハウェを礼拝した。レビの子ケハトの子孫とレビの曽孫コラの子孫は立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、ヤハウェを賛美した。
850 ヤハジエルがヤハウェの言葉を語った翌朝、ヨシャファト達はテコア(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ベツレヘム県)の荒れ野へ向かって出陣する。其の際ヨシャファトは「ユダとエルサレムの住民よ、聞け。貴方達の神、ヤハウェに信頼せよ。そうすれば貴方達は確かに生かされる。又其の預言者に信頼せよ。そうすれば勝利を得る事が出来る」と言った。ヨシャファトは民衆と協議し、ヤハウェに向かって歌い、ヤハウェの聖なる輝きを讃える者を選抜し、彼らに礼服を着させ、軍の先頭を行進させ「ヤハウェに感謝せよ、其の慈しみは常しえに」と言わせた。そして、喜びと賛美の歌を歌い始めると、ヤハウェがユダ王国に攻め込んで来たモアブ人・アモン人・メウニム人に対し伏兵を差し向けた為、ユダ王国は勝利した。そして、モアブ人・アモン人はメウニム人に矛先を向け、1人残らず討って全滅させた。其の後、モアブ人とアモン人は互いに戦い自滅した。ユダ王国の人々が、テコアの荒れ野を見渡せる所に来て大軍の居た方を向くと、其の地には死体が横たわり、生き残った者は1人も居なかった。ヨシャファト率いる軍は3日間掛けて、運び切れなくなるまで以下の戦利品を奪い取った。
①家畜
②装備
③衣類
④宝物
850 テコアの荒れ野から戦利品を奪い去った翌日、ヨシャファト率いる軍がベラカ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ヘブロン県ワディ・エル・アッルブ)の谷に到着する。其処でヤハウェを讃え、ヨシャファトを先頭に喜び祝いながらエルサレムに帰還し、琴と竪琴を奏で、ラッパを吹き鳴らしながらヤハウェの神殿に入った。
848 ヨシャファトが崩御し、息子のヨラムが第5代ユダ王国国王に即位する。ヨラム(ユダ王国国王)は7人兄弟の長男であった。ヨシャファトは生前子供達にユダの町・砦や財産を豊富に分配していた。ヨシャファトは先祖と共にダビデの町((現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県オフェルの南側)に葬られた。
848 ヨラム(ユダ王国国王)がアタルヤに唆され、以下の6名の兄弟を、ヨシャファトから相続された財産を奪う為に剣で殺害する。更に、敵対する首長数名も殺害した。
①アザルヤ
②エヒエル
③ゼカリヤ
④アザルヤ
⑤ミカエル
⑥シェファテヤ
848 ヨラム(ユダ王国国王)が、アタルヤの両親である以下2名の信仰に倣い、偶像礼拝を復帰させる。
①アハブ
②アハブの妻イゼベル
ヨラム(ユダ王国国王)自身も偶像崇拝を行い、ヨシャファトが撤去させた偶像崇拝の祭壇を復興した。此れはヤハウェに背く行為であった。又ヨラム(ユダ王国国王)は、アタルヤの影響を受け、官能主義に根ざし、神殿での儀式的な売春行為を含んでいるバアル礼拝を王国内に持ち込んだ。
848 ヨラム(ユダ王国国王)が、エドム人の領地であるツァイル(現在のイスラエル南部地区)付近でエドム人に包囲される。ヨラム(ユダ王国国王)は、高官達を引き連れ、全ての戦車を率いて、包囲していたエドム人や戦車隊長達を討った。生き残ったエドム人は天幕に逃げ帰り、自分達で王を選出して独立し、ユダ王国の支配から脱却した。此れによりユダ王国は弱体化した。
848 リブナ(現在のイスラエル南部地区テル・エス・サーフィー)の人々が、自分達で王を選出して独立し、ユダ王国の支配から脱却する。此れによりユダ王国は弱体化した。
847 ヨラム(ユダ王国国王)が、王国内の山々に、偶像崇拝の為の祭壇を設ける。そして、エルサレムを始めとする国民に淫行を行わせた。
847 ヨラム(ユダ王国国王)が、エリヤから以下の預言の書かれた書簡を受け取る。
貴方の父祖のダビデの神であるヤハウェは斯う言われる。「貴方はヨシャファトの道にも、アサの道にも歩まず、イスラエル王国国王の道に歩み、アハブの家が淫行を行わせた様に、ユダ王国とエルサレムの住民に淫行を行わせ、更には自らの兄弟達を殺害した。見よ。ヤハウェは大きな災害を以て、貴方の民、貴方の子達・貴方の妻達、そして貴方の全財産を打つ。貴方自身は、悪性の内臓の病気を患い、遂には其の病の為に、日に日に内臓が外に出て来る様になる」
847 ユダ王国が以下の2民族の侵攻を受ける。
①ペリシテ人
②アラビア人
ヨラム(ユダ王国国王)は、王宮の財産を全て奪われ、アタルヤを除く王妃が殺害された。又、末子アハズヤを除く全ての子供を殺害された。
844 ヨラム(ユダ王国国王)が、不治の内臓の病に侵される。此れによりアハズヤが政務を担う事となった。
842 ヨラム(ユダ王国国王)が崩御する。内臓が身体の外にはみ出ての最期であった。国民から全く惜しまれる事無く、過去の国王とは異なり、お香も焚かれず、王墓にも葬られなかった。アハズヤが第6代ユダ王国国王に即位した。アハズヤは、アタルヤの影響を受け、ヨラム(ユダ王国国王)と同様にバアル礼拝を採用した。
842 アハズヤが、アハブ家の人間に唆され、イスラエル王国と同盟を結ぶ。
842 エリシャがダマスカスを訪れる。此の時病気であったベネハダデ2世はハザエルに「贈り物を持って、神の人を迎えに行き、私の此の病気が治るかどうか、エリシャを通してヤハウェの御旨を尋ねよ」と言った。そして、ハザエルがエリシャに伝えると、エリシャは「ベネハダデ2世は必ず治るが、直ぐに死ぬ」と預言した。そしてエリシャは、ハザエルの顔をじっと見つめると、泣き出し「貴方はイスラエル王国の若い男達・子供達・妊婦を剣で斬殺するだろう。又、イスラエル王国の要塞に火を放つ。そしてアラムの王となる」と告げた。しかしハザエルは、そんな行為をする能力は無いと否定した。其の後ハザエルは、ベネハダデ2世に病気は必ず治ると告げた。
842 ハザエルがベネハダデ2世にエリシャの預言を伝えた翌日、ハザエルが、寝台で横になっているベネハダデ2世に濡れた毛布を掛け、暗殺する。斯うしてハザエルは第5代アラム王に即位した。
842 ハザエル征伐の為、ラモト・ギルアデで戦闘を行っていたヨラム(イスラエル王国国王)率いるイスラエル王国軍の援軍として、アハズヤが兵を率い、ラモト・ギルアデへ出陣する。此の戦闘で、ヨラム(イスラエル王国国王)は負傷した。ヨラム(イスラエル王国国王)は傷を癒す為、イズレエル(現在のイスラエル北部地区)へと帰った。
842 アハズヤが、ヨラム(イスラエル王国国王)の見舞いの為、イズレエルへと向かう。其処に、イズレエルの塔に居た一人の見張りが、イエフの軍勢がやって来るのを発見した。ヨラム(イスラエル王国国王)は「騎兵1名を選んで彼らを迎えに送り、元気かどうか尋ねさせなさい」と指示した。騎兵がイエフを迎えに行き「ヨラム(イスラエル王国国王)が、元気かどうか尋ねておられます」と言うと、イエフは「元気かどうかお前の知った事では無い。私の後ろに付いて来い」と騎兵を味方に付けた。見張りは「使者はイエフの軍勢に辿り着きましたが、帰って来ません」と報告した。其処でヨラム(イスラエル王国国王)はもう1名の騎兵を送り込んだ。送り込まれた騎兵はイエフの軍勢に辿り着き、イエフに「ヨラム(イスラエル王国国王)が、元気かどうか尋ねておられます」と言った。イエフは「元気かどうかお前の知った事では無い。私の後ろに付いて来い」と此の騎兵も味方に付けた。見張りは「使者はイエフの軍勢に辿り着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、イエフの御し方に似ています。狂った様に御しています」と報告した。ヨラム(イスラエル王国国王)は「馬を付けよ」と命じた。馬が戦車に付けられると、ヨラム(イスラエル王国国王)とアハズヤは、各々自分の戦車に乗って、イエフを迎えに行った。2人はイズレエル人ナボテの所有地でイエフと遭遇した。ヨラム(イスラエル王国国王)は「イエフ、元気か」と尋ねた。イエフは「何が元気か。貴方の母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに」と言った。ヨラム(イスラエル王国国王)は手綱を返して逃げ、アハズヤに「裏切りだ、アハズヤ」と叫んだ。イエフは力一杯弓を引き絞り、ヨラム(イスラエル王国国王)の心臓を射抜いた。ヨラム(イスラエル王国国王)は戦車の中に崩れ落ちた。イエフは、侍従ビデカルに「ヨラム(イスラエル王国国王)を運んで、ナボテの所有地であった葡萄畑に投げ捨てよ。思い起こすが良い。私と貴方が馬に乗ってアハブの後に並んで従って行った時にヤハウェがヨラム(イスラエル王国国王)に就いて宣告された「私は、昨日、ナボテの血と其の子達の血を確かに見届けた─ヤハウェのお告げだ─。私は、此の地所で貴方に報復する─ヤハウェのお告げだ─」という言葉を。アハズヤは、ベテ・ハ・ガン(現在のイスラエル北部地区)の道へ逃走した。イエフはアハズヤを追撃し「彼奴も討ち取れ」と叫んだ。イエフ率いる軍は、イブレアム(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ジェニーン県)近くのグルへの上り道で、戦車の上に居たアハズヤに傷を負わせた。アハズヤは、其れでも何とかメギドに逃げる事が出来たが、其処で崩御した。其の後家来達がアハズヤをエルサレムへ運び、生前用意していた自身の墓に、ダビデ等の先祖と共に葬られた。エリシャは、部下に命じてイエフに油を注がせた。其の部下はイエフに「イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『私は貴方に油を注ぎ、貴方をヤハウェの民イスラエルの王とする。貴方は、主君であるアハブの家を撃たねばならない。斯うして私は、イゼベルの手に掛かった私の僕達、預言者達の血、全てのヤハウェの僕達の血の復讐をする。アハブの家は全滅する。私は、イスラエルに於いて縛られている者も、解き放たれている者も、アハブに属する全ての男子を滅ぼし、アハブの家をヤロブアム1世やバシャの家の様にする。犬がイズレエルの所有地でイゼベルを食い、彼女を葬る者は居ない』と」と預言を伝えた。斯うして、イエフは第10代イスラエル王国国王に即位した。
842 アハズヤ崩御の知らせを聞いたアタルヤが、大祭司エホヤダの妻エホシェバによって匿われたアハズヤの息子ヨアシュを除く、王位継承者となり得る者と一族を全て殺害し、第7代ユダ王国国王に即位する。エホシェバは、ヨアシュと其の乳母を救出し、ヤハウェの神殿の神具を仕舞う小部屋に匿い、ヨアシュは其処で、叔父・叔母・乳母達に守られ養育された。
842 エリシャが、預言者仲間の若者1名を呼んで「腰に帯を締め、手に此の油の壺を持って、ラモト・ギルアデに行きなさい。着いたら、ヨシャファトとニムシの子であるイエフを見つけなさい。そして奥の間に連れて行き、同僚達の中でイエフを立たせ、油の壺を取って、彼の頭の上に油を注いで斯う言いなさい。「ヤハウェは斯う言われる。『私は貴方に油を注いでイスラエルの王とする』と」と。終わったら戸を開け、直ぐに逃げなさい」と指示した。そして若者がラモト・ギルアデへ向かうと、軍の高官達が会議中であった。若者は「隊長、申し上げる事がございます」と言った。イエフは「此の中の誰か」と尋ねた。若者は「隊長、貴方にです」と答えた。若者は油をイエフの頭に注いで「イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『私は貴方に油を注いで、ヤハウェの民イスラエルの王とする。貴方は、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。斯うして私は、私の僕である預言者達の血、イゼベルによって流された全てのヤハウェの僕達の血の復讐をする。其れでアハブの家は悉く滅び失せる。私はイスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまでを絶ち滅ぼし、アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家の様に、又アヒヤの子バアシャの家の様にする。犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、彼女を葬る者は誰も居ない』と」と言った。若者は戸を開けて逃げた。イエフが彼の主君の家来達の所に出て来ると、1人が「何事も無かったのですか。あの気の触れた者は何の為に来たのですか」彼に尋ねた。イエフは「あの男は私に「ヤハウェは斯う言われる。『私は貴方に油を注いで、イスラエルの王とする』と」と言った」と答えた。すると、家来達は皆大急ぎで自分の上着を脱ぎ、入口の階段に居たイエフの足元に敷き、角笛を吹き鳴らして「イエフは王である」と言った。
842 12 或る日、イゼベルは、目に化粧をし、髪を結い、屋上間の窓からイエフを見下す様に見下ろしていた。フェニキア仕込みの化粧で魅惑し、イエフを圧倒しようとした。しかし通用せず、イエフは窓を見上げ「私の味方になる者は誰だ」と言うと、2、3名の宦官が見下ろした。イエフは宦官達に「其の女を突き落とせ」と命じた。宦官達がイゼベルを突き落とすと、イゼベルの血が壁や馬に飛び散った。そして馬がイゼベルを踏み付けた。イエフは其の様な状況に目も呉れず、自宅で食事を済ませてから、葬りの指示を行った。しかし其の間に、野良犬がイゼベルの死体を食べ、頭蓋骨・両足・両手首しか残っていなかった。イゼベルはティルス(現在のレバノン南レバノン県スール)の王女であった事から、ティルスとイスラエル王国の関係は断絶した。
841 イエフが、以下の人間を一人残らず殺害させる。
①アハブの子供70名
②アハブの遺した有力者・親友・祭司
③アハブ家と親戚関係となったアハズヤの関係者42名
④アハブ家と関わったバアルの信者全員(バアル宮殿の端から端まで一杯になった)
841 イエフが「アハブは少ししかバアルに仕えなかったが、私は大いにバアルに仕える積もりだ」と宣言する。続けてイエフは「今バアルの全ての預言者・バアルに仕える全ての者・全ての祭司を私の下に呼べ。1人も欠席させてはならない。私がバアルに大いなる生贄を捧げるからだ。欠席する者は誰も生かしてはおかない」と、バアルの為の聖なる集まりの開催を命じた。イエフは、イスラエル王国中に使者を遣わせた。
841 バアルに仕える者が全員イエフの下に参集し、バアル神殿に入る。バアル神殿は一杯になった。イエフは衣装係に、バアルに仕える者全員に祭服を出す様命じ、衣装係は其の通りにした。イエフは、レカブ人ヨナダブと共に、全焼の生贄を捧げる為にバアル神殿に入り、バアルに仕える者達に「ヤハウェに仕える者が貴方達と一緒に居る事の無い様、只バアルに仕える者だけが居る様、よく調べて見よ」と命じた。イエフは外に、近衛兵と侍従達80名を配置し、彼等に「入ってバアルに仕える者を討て。1人も外に出すな」と指示を出した。近衛兵と侍従達は剣で皆殺しにし、其処に投げ捨て、次に、バアル神殿の奥に入り、石柱を運んで来て、其れを焼き捨てた。更に、バアル神殿を破壊し、便所を建てた。イエフは金の子牛を崇拝した。
841 イエフが、第4代新アッシリア帝国国王シャルマネセル3世に貢ぎ物を捧げる。同国は本年、以下の2都市からも貢ぎ物を受け取った。
①ティルス
②サイダ(現在のレバノンの南レバノン県)
841
835 エホヤダが、百人隊長5名とアタルヤの側近を呼び寄せ、秘密を守ると誓約させた上でヨアシュを見せた。エホヤダは「安息日には1/3の者を宮殿の護衛に当たらせ、残る2/3は神殿の警護に当たらせよ。各々武器を持って、ヨアシュの回りを囲むのだ。囲みを破ろうとする者が居たら、殺さなければならない。片時もヨアシュの側を離れてはならない」と指示を出し、ユダ王国全土からレビ人を集めた。百人隊長5名は指示通りに警護に当たるレビ人達を連れて来た。エホヤダは彼らにダビデの槍や盾で武装させ、既に武器を手にしていた近衛兵は、神殿の正面に立ち、ヨアシュの隠れ場所に近い祭壇の周りを囲んだ。其の中にエホヤダがヨアシュを連れて来て、ヨアシュを王とする儀式が執り行われた。ヨアシュは王冠を被り、モーセの十戒の書物を受け取って油を注がれた。レビ人達は拍手喝采し「王様万歳」と叫んだ。人々の新しい王を讃える声を聞いたアタルヤは、自分が出し抜かれた事に気付き「謀反だ、反逆だ」と絶叫して、衣を裂いて逆上した。エホヤダは、百人隊長5名に「アタルヤを連れ出せ。神殿の中で殺してはいけない。アタルヤに付く者が在れば、殺して構わない」と指示した。アタルヤは捕らえられて引き摺り出された。そして、宮殿の馬屋に連行されて刺殺された。其の後、エホヤダは神殿に警護を置き、百人隊長・近衛兵・レビ人達と共に、ヨアシュを神殿から連れ出して、衛兵所を経由して宮殿に入り、ヨアシュを王座に着座させた。此れにより、ヨアシュが第8代ユダ王国国王に即位した。又、バアルの祭司マタンがバアルの祭壇の前で殺害され、バアルの祭壇と像はユダ王国国民によって破壊された。
818 イエフが崩御する。此れにより、ヨアハズがサマリアにて、第11代イスラエル王国国王に即位した。
812 ヨアシュが、エホヤダを始めとする祭司達を呼び寄せ「何故神殿の修繕に取り掛からないのか。もう此れ以上、献金を祭司の生活費に充ててはならない。今後は、神殿の修復の為だけに使う様にしなさい」という主旨の発言をする。ヨアシュは以前からエホヤダに対し「神殿を修繕しなければならない。割り当てられた献金であっても、自由な献金であっても、ヤハウェに捧げられたものは皆、修繕代に当てる様にしなさい」と、神殿の修繕を促していた。祭司達は、自身の生活費とは別に、神殿修繕の為の基金を積み立てる事に同意した。尚、ヨアシュは普段、神殿で礼拝は行わず、偶像崇拝の祭壇も取り壊さなかった。其の為、ユダ王国国民は、偶像崇拝の祭壇で生贄を捧げたり、香を焚いたりしていた。
812 エホヤダが、門番がユダ王国国民の献金を全て納める事を意図し、大きな箱の蓋に穴を開けて神殿入口の祭壇の右側に置く。箱が一杯になると、ヨアシュの財務官と大祭司がお金を勘定し、袋に詰めた。其の袋は工事監督者に渡され、此れ迄以下の品目等に使われていた費用が、大工・石工・材木商・石材商への支払いや、神殿修繕に必要な他の資材購入費に充てられた。
①銀杯
②金の芯切鋏
③鉢
④ラッパ
工事監督者は正直者で、忠実に職務を果たしたので、会計報告を求める必要はありませんでした。しかし、罪の赦しや罪過を償うの為の生贄に捧げられた献金は、祭司達が自由に使えた。其れは箱には入れられなかった。
805 第6代新アッシリア帝国国王アダド・ニラリ3世が西進し、アラムを包囲して降伏させる。此れにより、イスラエル王国を脅かしていたアラムは弱体化し、イスラエル王国は平和と安定を手にした。
801 ヨアハズが崩御する。後任として、ヨアハズの息子ヨアシュが、第12代イスラエル王国国王に即位した。
800 エホヤダが死去する。誉れある葬儀が営まれ、歴代の王と共に葬られた。其の後、ユダ王国内の首長達が来て、王を伏し拝んだ。其れで、ヨアシュ(ユダ王国国王)は首長達の言う事を聞き入れ、ヤハウェの宮殿を捨ててアシュラと偶像に仕えた。預言者達は、ヨアシュ(ユダ王国国王)を始めとする背教した人間を戒めたが、聞き入れられなかった。エホヤダの息子ゼカリヤが、ユダ王国国民の前に立ち「貴方方は何故ヤハウェの戒めに背いているのか、ヤハウェは其の訳を知りたいと言っておられる。こんな事では何をしても失敗に終わるだけだ。貴方方がヤハウェを捨てたので、今度はヤハウェが貴方方をお見捨てになる」と主張した。此れを受け、ユダ王国内の首長達はゼカリヤの殺害を謀り、ヨアシュ(ユダ王国国王)の命により、ゼカリヤは神殿の庭にて石で打ち殺された。ゼカリヤは死に際に「ヤハウェよ、彼らがしている事をご覧になり、彼らの悪に報いて下さい」と言い残した。
800 ゼカリヤが殺害された2ヶ月後、ハザエル率いるアラム人が、イスラエル王国のヨルダン川東側の領土と、ガトの占領を試みる。結果は失敗に終わったが、今度はエルサレムに矛先を向け進軍した。アラム人は少数であったが、ヨアシュ(ユダ王国国王)を除くユダ王国国王の指導者全員を殺害した。しかし、ヨアシュ(ユダ王国国王)は、以下の歴代のユダ王国国王等がヤハウェの為に捧げた物や自身の捧げ物を、神殿と宮殿の宝物倉に在る金と共にハザエルに送った為、アラム人は襲撃を中止した。
①ヨシャファト
②ヨラム
③アハズヤ
此の戦闘で勝利を収めたアラム人は、ダマスカス(現在のシリア)へ大量の戦利品を持ち帰った。ヨアシュ(ユダ王国国王)は此の戦闘で深傷を負った。しかし、以下2名が謀反を起こし、ゼカリヤを殺害した責任を問う為に、シラに下って行くヨアシュ(ユダ王国国王)をミロの家の寝台で打ち殺した。
①アモン人女性シムアテの子ヨザバデ
②モアブ人女性シムリテの子エホザバデ
ヨアシュ(ユダ王国国王)はダビデの町に葬られたが、王室墓地では無かった。後任として、ヨアシュ(ユダ王国国王)の息子アマツヤが第9代ユダ王国国王に即位した。イスラエル王国はアラムによって武装解除され、以下の戦力だけが残された。
①騎兵50騎
②戦車10台
③歩兵10,000名
800 アマツヤが、以下2名を含むヨアシュ(ユダ王国国王)暗殺に関わった人間を殺害し、敵を打つ。
①ヨザバデ
②エホザバデ
しかし、モーセの律法に従い、其の子供達までは殺害しなかった。アマツヤは、王の政務に関して全てヨアシュ(ユダ王国国王)を踏襲した。従って、ヨアシュ(ユダ王国国王)と同じく偶像崇拝の祭壇を取り壊さなかった。其の為、ユダ王国国民は引き続き、偶像崇拝の祭壇で生贄を捧げたり、香を焚いたりしていた。又アマツヤは、エドム人征伐の為の軍の再編成を行い、ユダ族・ベニヤミン族に其々指導者を立て、人口調査を行った。結果、槍と剣の使い手として訓練された20歳以上の兵が300,000名存在する事が判明した。更にアマツヤは、銀3,400kgを支払い、イスラエル王国から100,000名の訓練された兵を雇った。しかし、預言者がアマツヤに対し「アマツヤよ、イスラエル王国の兵を雇い入れてはなりません。ヤハウェはその者達とは共に居られないからです。もし、彼らと共に戦いに出たら、どんなに良く戦っても敗れます。ヤハウェには助ける力も有れば、挫く力も有るのです」と預言した。アマツヤは「兵を雇うのに支払った銀が惜しい。どうしたら良いだろう」と言うと、預言者は「ヤハウェは、其れ以上のものを貴方に与える事がお出来になります」と答えた。アマツヤは、雇い入れたイスラエル王国兵をエフライム族の領地へ強制送還した。イスラエル王国兵達は、自分達が侮辱されたものと捉え、憤慨した。
800 アマツヤ率いるユダ王国軍が、エドム人の領地に攻め入り、塩の谷(現在のイスラエル南部地区ベエルシェバ付近)で10,000名のエドム人を殺害する。更にユダ王国軍は、10,000名を捕縛して崖から突き落とし、落下したエドム人達は谷底の岩に激突し死亡した。其の後、ユダ王国軍はセラ(現在のヨルダンのタフィラ県)を征圧し、地名を「ヨクテエル」と改名した。其の頃、アマツヤにエフライム族の領地へ強制送還されたイスラエル王国兵は、上ベト・ホロン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)・下ベト・ホロンからサマリア(現在のイスラエル中央地区・テルアビブ地区、現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区トゥールカリム県・カルキーリーヤ県・サルフィート県及びラマッラー・アル・ビーレ県)へ侵攻し、3,000名を殺害して多くの戦利品を奪い取った。アマツヤはエドム人の偶像を持参して帰還し、神々として祀り、其の前に頭を下げて香を焚いた。此れを受けて預言者は、アマツヤに「貴方の手から自分の民を救い出せなかった様な神々を何故拝むのか」と問い質した。アマツヤは「いつ私が貴方に助言を求めたか。殺されたくなければ、黙っている事だ」と返した。預言者は「此れではっきりしました。ヤハウェは貴方を滅ぼすお積もりです。貴方が偶像を拝み、私の勧めを聞こうとされないからです」と言い残して去った。
800 アマツヤによってエフライム族の領地へ強制送還されたイスラエル王国兵が、ユダ王国の町々を襲い、3,000名を殺害し、略奪を行う。
798 ヨアシュが、病床に在ったエリシャの見舞いに訪れる。ヨアシュは枕元で「我が父、我が父、貴方はイスラエル王国の力です」と言って泣いた。エリシャはヨアシュに「弓と矢を取りなさい」と言った。ヨアシュは、弓と矢をエリシャの下に持って来た。エリシャはヨアシュに「弓に手を掛けなさい」と言った。ヨアシュは其の通りに弓に手を掛けると、エリシャは手をヨアシュの手の上に乗せて「東側の窓を開けなさい」と言った。ヨアシュが其の通りにすると、エリシャは続けて「矢を射なさい」と言った。ヨアシュは矢を射た。するとエリシャは「ヤハウェの勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。貴方はアフェクでアラムを討ち、此れを絶ち滅ぼす」と預言し、ヨアシュに対しアラムを滅ぼす様命じた。次にエリシャは「矢を取りなさい」と言った。ヨアシュが矢を取ると、今度は「其れで地面を打ちなさい」と命じた。ヨアシュは3回地面に矢を射て、其れで止めた。エリシャは怒り「貴方は5回、6回打つべきであった。そうすれば貴方はアラムを打って、絶ち滅ぼした事だろう。しかし、今は3度だけアラムを打つ事になろう」と言った。そして程無くしてエリシャは死去し、葬られた。
797 モアブの略奪隊がイスラエル王国に侵攻する。亡くなった1名のイスラエル王国民が葬られようとしていた其の時、モアブの略奪隊を見たので、遺体をエリシャの墓に投げ捨てて逃亡した。遺体がエリシャの遺骨に触れると、其のイスラエル王国民は蘇生し、自分の足で立ち上がった。
796 ハザエルが崩御する。後継として、ハザエルの息子のベネハダデ3世が第6代アラム王に即位した。其の後ヨアシュは、ベネハダデ3世を3度打ち破り、ハザエルに奪われていた町々を奪還した。
791 アマツヤが、相談役の意見を取り入れヨアシュに戦いを仕掛ける。ヨアシュは「レバノン山の薊がレバノン山の杉に『娘さんを息子の嫁にくれないか』と頼みました。ところが、レバノン山の野獣が通りかかり、其の薊を踏み躙りました。貴方はエドム人の領地を征服した事で鼻を高くしている。悪い事は言わないから、大人しくして居なさい。下手な手出しはお止めなさい。然もないと、ユダ王国の民共々痛い目に遭いますよ」と忠告したが、アマツヤは聞き入れなかった。両軍はベト・シェメシュ(現在のイスラエルのエルサレム地区)で激突したが、ユダ王国は総崩れとなり退却し、アマツヤは捕虜となりエルサレムに連行された。アマツヤは、エルサレムの城壁を、エフライムの門から隅の門まで200mに渡って取り壊す様命じられた。更にイスラエル王国は、神殿にあった全ての財宝と金の鉢、王宮の財宝を運び出し、オベデ・エドムを含む人質を連れてサマリアに帰還した。
791 ユダ王国の指導者達がアマツヤの息子ウジヤを為政者として推し、ユダ王国がアマツヤとウジヤの共同統治体制となる。
786 ヨアシュが崩御する。後任として、ヤロブアム2世が第13代イスラエル王国国王に即位した。
781 ユダ王国が共同統治体制を廃止し、アマツヤが政務を担う事となる。
771 ユダ王国国民がエルサレムで反乱を起こす。アマツヤはラキシュ(現在のイスラエル南部地区)に逃亡した。しかし、反乱を起こしたユダ王国国民がラキシュまで追撃し、アマツヤは殺害された。ユダ王国国民は、アマツヤをラキシュからエルサレムへ運び、先祖達と共にダビデの町に葬った。ユダ王国国民は、ウジヤを第10代ユダ王国国王に即位させ、エラテ(現在のイスラエル南部地区エイラート市)を再建し、ユダ王国に復帰させた。ウジヤは、先代と同じく偶像崇拝の祭壇を取り壊さなかった。従って、ユダ王国国民は引き続き、偶像崇拝の祭壇で生贄を捧げたり、香を焚いたりしていた。
771 ウジヤ率いるユダ王国軍が、ペリシテ人の領地に攻め入り、以下の都市の城壁を破壊する。
①ガト
②ヤブネ(現在のイスラエル中央地区)
③アシュドッド(現在のイスラエル南部地区アシュケロン郡)
其の後、アシュドッドとペリシテ人の領地に町を築いた。ユダ王国軍は更に以下の都市のアラビア人を襲撃して勝利し、ウジヤの名声はエジプトまで広がり、アモン人はウジヤに貢物を納める様になった。
①グルバアル(現在のヨルダンのタフィラ県ブセイラ郡)
②メウニム(現在のヨルダンのマアーン県)
一方で、エルサレムの以下の側に塔を建てて防備を強化した。
①隅の門
②谷の門
③控え壁
更には、所有していた家畜の為に、シェフェラ(現在のイスラエルのエルサレム地区・中央地区・南部地区)・平原・荒野に塔を建てて、沢山の水溜めを掘り、ネゲヴにも要塞を築いた。又ウジヤは、牧畜や農耕を奨励し、カルメル山等の山々に、農業に従事する人間や葡萄の栽培人を抱えていた。軍隊は分隊に組織され、以下2名によって集計されて登録され、高官の1人であるハナニヤの指揮下に置かれた。
①秘書官エイエル
②役人マアセヤ
兵士を束ねる氏族長が2,600名で、その指揮下には307,500名の兵士が居た。ウジヤは全軍に以下の装備を持たせた。
①盾
②小槍
③兜
④鎧
⑤弓
⑥投石器の石
又、エルサレムで製造したバリスタを塔の上や城壁の隅の上に設置し、軍備を増強した。最終的にウジヤは、ダビデ・ソロモン時代の領地をほぼ取り返した。
763 預言者ヨナが、ヤハウェから残虐・暴虐の限りを尽くしていた新アッシリア帝国の首都ニネヴェ(現在のイラクのニーナワー県)に向かう様命じられるが、其れに背き、ヤッファ(現在のイスラエルのテルアビブ)へ下る。其の後ヨナは、船賃を払ってタルシシュ行きの船に乗るが、嵐に遭った。人々は互いに「此の災いが我々に臨んだのは誰の所為か、籤を引いてみよう」と言った。彼等が籤を引いた所、ヨナに当たった。ヨナは彼等に海に投げ込まれ、大魚に飲み込まれた。三日三晩ヨナは、魚の腹の中でヤハウェに祈り、魚はニネヴェから最も近い海岸でヨナを吐き出した。ヨナはニネヴェに向かい、其処で「後40日するとニネヴェは滅ぼされる」と預言した。ニネヴェの人々はヤハウェを信じ、身分の高い者から低い者まで粗布を纏い、悔い改めた。第8代新アッシリア帝国国王アッシュル・ダン3世から家畜まで断食をし、只管ヤハウェにお願いをした。
760 ウジヤが、ヤハウェの神殿に入り、香の祭壇で香を焚こうとする。ウジヤは、絶対王政を敷く為に、宗教的にも最高権力者になる事を意図し、モーセの律法を破ろうとした。大祭司アザリヤが、80名の従属の祭司を従えて後を追い、アザリヤ達はウジヤの前に立ちはだかり「ウジヤ、ヤハウェに香を焚くのは貴方がして良い事ではありません。香を焚いて良いのは祭司だけです。祭司達はモーセの兄アロンの子孫で、神聖なものとされているからです。此の聖なる場所から出て行って下さい。貴方は不忠実な事をしました。其の為、貴方がヤハウェから栄光を与えられる事はありません」と主張した。しかしウジヤは、香炉を手にした儘激怒した。すると、ウジヤの額に皮膚病であるツァーラアトが現れた。アザリヤ達は急いでウジヤをヤハウェの神殿から出そうとし、ウジヤ自身も慌てて出て行った。其の後ウジヤは隔離された家に移り住み、モーセの律法に従い生活した。此れに伴い、ウジヤの息子ヨタムが摂政として宮殿を管理し、政務を担った。
760 ヤロブアム2世が、ヨアシュの領土回復策を推し進め、レボ・ハマト(現在のレバノンのバールベック・ヘルメル県)から死海(現在のイスラエル南部地区、現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ベツレヘム県・エリコ県、現在のヨルダンのマダバ県・バルカ県・カラク県)までの領域を奪回し、以下からの支配から脱却する。
①アラム人
②アモン人
③モアブ人
更にヤロブアム2世は、ダマスカスやハマーも手中に収め、ヨルダン東岸を下るルートやフェニキア諸都市から内陸に向かうルート等の主要な通商路を支配下に置き、以下等の貿易が活発化し、通行税を通じて、イスラエル王国は経済的に繁栄した。
①オリーブ油
②ワイン
③馬
750 ウジヤが崩御し、ダビデの町の歴代の国王の所有していた野の墓地に葬られる。此れにより、ヨタムが第11代ユダ王国国王に即位した。ヨタムは、ウジヤの信仰を踏襲したが、ヤハウェの神殿に入る事は無かった。
750 ヨタムが、神殿の北側に門を建て、神殿の在る丘の上の城壁の拡張工事を行い、神殿の守りを強化する。又、山地に町々を建設し、森林地帯には城塞と塔を築き、防衛を強化して農業を守った。更には、オフェルの城壁の上の開発も行った。
750 テコア(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ベツレヘム県)で羊飼いと無花果桑の木の栽培に従事していたアモスが、イスラエル王国にて以下の預言を行う。
「此の事を聞け。貧しい者を踏み付け、苦しむ農民を押さえ付ける者達よ。お前達は言う。『新月祭はいつ終わるのか。穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか。麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使って誤魔化そう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。又、屑麦を売ろう』。獅子が吠える。誰が恐れずに居られよう。ヤハウェが語られる。誰が預言せずに居られようか。見よ。私は重り縄を、イスラエル王国の真ん中に垂れ下げよう。私はもう二度と彼等を見過ごさない。イサクの高き所は荒らされ、イスラエル王国の聖所は廃墟となる。私は剣を持って、ヤロブアム2世の家に立ち向かう。ヤロブアム2世は剣で殺され、イスラエル王国の人々は、別の土地に連れ去られてしまう。其の日、私はダビデの倒れている仮庵を起こし、其の破れを繕い、其の廃墟を復興し、昔の日の様に此れを建て直す。此れは彼等がエドムの残りの者と私が名を付けられた全ての国々を手に入れる為だ。ヤハウェはヤコブの誇りに掛けて誓われる。『私は、彼等が行なった全ての事をいつまでも忘れない。父と子が同じ女の所に通って私の聖なる名を汚している。彼等は、全ての祭壇の側で、質に取った着物の上に横たわり、罰金で取り立てた葡萄酒を、彼等の宮で飲んでいる』と。此の為に大地は揺れ動かないだろうか。其処に住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。ヤハウェはご自身の聖に掛けて誓われた。見よ。其の日が貴方方の上にやって来る。其の日、彼等は貴方方を釣り針に掛け、貴方方を最後の1人まで、銛に掛けて引いて行く。貴方方は皆、城壁の破れ口から真っ直ぐ出て行き、ハルモンは投げ出される。私は大地に飢えを送る。其れはパンに飢える事でも無く、水に渇く事でも無く、ヤハウェの言葉を聞く事の出来ぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り、北から東へと蹌踉めき歩いてヤハウェの言葉を探し求めるが、見出だす事は出来ない。誠にヤハウェはイスラエル王国の家に斯う言われる。『私を求め、会う為の備えをせよ。そして生きよ』と」
750 預言者ホセアが、ヤハウェの「行って、姦淫の女を娶り、姦淫の子等を引き取れ。此の国は私を見捨てて、甚だしい淫行に耽っているからだ。夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ」という言葉通り、ディブライムの娘ゴメルを娶る。軈て、ホセアとゴメルの間に男児が産まれた。ホセアは、ヤハウェの「其の子をイズレエルと名付けよ。間も無く私は、イエフの王家にイズレエルに於ける流血の罰を下し、イスラエルの家に於ける其の支配を絶つ。其の日が来ると、イズレエルの平野で私はイスラエルの弓を折る」という言葉通り、其の男児をイズレエルと名付けた。
745 ヤロブアム2世が崩御する。後任として、ヤロブアム2世の息子のゼカリヤが第14代イスラエル王国国王に即位した。
745 イスラエル王国軍の隊長であるシャルムが、民衆の前でゼカリヤを暗殺し、第15代イスラエル王国国王に即位する。ゼカリヤの在位期間は僅か6ヶ月であった。
745 シャルムがゼカリヤを暗殺した事を聞いたヤベシュの子メナヘムが、ティルツァから上ってサマリアに到着し、シャルムを暗殺し、第16代イスラエル王国国王に即位する。ゼカリヤの在位期間は僅か1ヶ月であった。
742 第11代新アッシリア帝国国王ティグラト・ピレセル3世が、イスラエル王国を侵略する。ティグラト・ピレセル3世は、勇敢な力の有る者達60,000名から銀50シェケルの税を徴収し、計1,000タラントをメナヘムから受け取って去って行った。此れにより、イスラエル王国は新アッシリア帝国の属国となった。
740 メナヘムが崩御する。後任として、メナヘムの息子ペカフヤが、第17代イスラエル王国国王に即位した。ペカフヤは、メナヘムの親新アッシリア帝国路線を踏襲した。
740 新アッシリア帝国により、イスラエル12部族のルベン族、ガド族、イスラエル12部族ヨセフ族の祖マナセによるマナセ族の捕囚が開始される。
740 イザヤが、召命を授かり、預言者としての活動を開始する。
740 以下2名の間に女児が産まれる。
①ホセア
②ゴメル
ホセアはヤハウェの「其の子をロ・ルハマと名付けよ。私は、最早イスラエルの家を憐れまず、彼等を決して赦さないからだ。だが、ユダの家には憐れみを掛け、彼等の神なるヤハウェとして、私は彼等を救う。弓・剣・戦い・馬・騎兵によって救うのでは無い」との言葉通り、其の女児をロ・ルハマと名付けた。
739 以下2名の間に男児が産まれる。
①ホセア
②ゴメル
ホセアはヤハウェの「其の子をロ・アンミと名付けよ。貴方達は私の民では無く、私は貴方達の神では無いからだ」との言葉通り、其の男児をロ・アンミと名付けた。しかし或る時、ゴメルはホセアや子供達を捨てて、愛人の下へ行ってしまった。ホセアはヤハウェから「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。丁度他の神々に向かい、干し葡萄の菓子を愛しているイスラエルの人々が私を愛して居られる様に」と命じられ、以下を払ってゴメルを買い戻した。
①銀15シェケル
②大麦330L
ホセアはゴメルに「此れから長く、私の所に留まって、もう姦淫をしたり、他の男と通じたりしてはならない。私も貴方にそうしよう」と言った。
739 ペカフヤの親新アッシリア帝国路線に不満を持っていたペカフヤの副官ペカが、50名の仲間と共にペカフヤを暗殺する。ペカは、第18代イスラエル王国国王に即位し、第7代アラム王レツィンと同盟を結び新アッシリア帝国に対抗しようとした。
737 ヨタム率いるユダ王国軍が、アモン人の反乱を鎮圧する。ユダ王国は、以降3年間アモン人から以下の貢物を受け取り、勢力を拡大していった。
①銀:100タラント
②小麦:2,300,000L
③大麦:2,300,000L
734 ヨタムが崩御し、ダビデの町に先祖と共に葬られる。後任として、ヨタムの息子アハズが、第12代ユダ王国国王に即位した。アハズはヨタムとは対照的に偶像崇拝を容認し、自身も以下の神々を礼拝し、丘の上や木陰の祭壇で生贄を捧げたり、カナン人が偶像崇拝の祭壇で行う性の乱行の儀式を取り入れたりした。
①バアル
②モレク
③アシェラ
又、ヒンノムの谷(現在のイスラエルのエルサレム地区、パレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)のトフェトに偶像崇拝の祭壇を築き、産まれたばかりの乳幼児を、火の中で過熱して赤くなっている鉄の偶像の上に乗せて焼き、モレクに捧げた。其の際、踊ってタンバリンを打ち鳴らし、子供の悲鳴が其の父親に聞こえない様にし、父親が自分の子供の事で心を騒がせ、子供を取り返す事が無い様にした。
734 新アッシリア帝国の侵略に対抗する為、以下2名がアハズに対し反新アッシリア同盟に加わる様呼び掛ける。
①ペカ
②レツィン
しかしアハズは、親新アッシリア帝国路線を堅持し、此れを拒否した。
734 以下2名率いるアラム・イスラエル王国連合軍が、ユダ王国を力尽くで反新アッシリア同盟に引き入れる為にエルサレムへ上り、アハズを包囲する。
①レツィン
②ペカ
アラムとイスラエル王国が同盟を結んだ事はダビデの家にのみ伝えられたが、軈てユダ王国全土に伝わり、国王や国民は動揺した。レツィン率いるアラム軍は、ユダ王国民の多くを捕虜として、ダマスカスへと連れ去った。更に、アラム軍はエラテを奪還し、ユダ王国民をエラテから追い出した。しかし其処にエドム人が入り、住み着いた。一方、ペカ率いるイスラエル王国軍も、大勇士ジクリが以下の人間を討つ等、1日で120,000名を殺害し、婦人と子供を合わせて200,000名を捕虜とし、大量の戦利品を携え、ユダ王国に大損害を与えた上でサマリアに帰還した。
①アハズの子マアセヤ
②宮内大臣アズリカム
③国王補佐官エルカナ
アラム・イスラエル王国連合軍はエルサレムも包囲したものの、陥落させる事は出来なかった。預言者オデデは、帰還したイスラエル王国軍を出迎え「ヤハウェは、ユダ王国に怒り貴方方の手にお渡しになった。ところが貴方方は、天も驚く程の残忍さで彼らを手に掛けた。しかも、ユダ王国とエルサレムから連れて来た人々を奴隷にしようとしている。そうやって、貴方方自身もヤハウェに罪を犯しているのではないか。私の言う事を聞き、同胞であるユダ王国民を家へ帰してやりなさい。然もないと、ヤハウェの燃える様な怒りが貴方方にも下る事になる」と警告した。又、エフライム族の長である以下4名もオデデと同意見であった。
①ヨハナンの子アザルヤ
②メシレモテの子ベレクヤ
③シャルムの子ヒゼキヤ
④ハデライの子アマサ
此れを受けてイスラエル王国兵は、捕虜と戦利品に関し、指導者達に任せる事となった。又、アザルヤ・ベレクヤ・ヒゼキヤ・アマサは、戦利品の中に有った多くの衣服を、裸であった捕虜の婦人・子供達に配り、負傷した捕虜には油を塗って傷の手当てをし、更に以下を与えた。
①靴
②パン
③葡萄酒
又、病人や老人を驢馬に乗せ、棗椰子の町であるエリコに居る家族の下へ送り届けた。其の任務に当たった兵はサマリアに帰還した。其の頃、エドム人がユダ王国に侵攻し、大勢のユダ王国民を奴隷として連れ去った。アモツの子で預言者のイザヤは、息子のシェアル・ヤシュブを連れて、アハズの前に進み出て「ヤハウェを信頼し、ヤハウェに委ねなさい。アハズに代えてタベアルの子をユダ王国国王に据え様とするレツィンとペカの計画は人間の計画であって、ヤハウェの計画では無い。従って、此のタベアルの子を即位させて傀儡政権を樹立するという計画は実現しない」という主旨の発言をした。しかしアハズはエドム人と戦う為に、ヤハウェに背いて異教徒である第10代新アッシリア帝国国王ティグラト・ピレセル3世に対し、ヤハウェの神殿と王宮の宝物倉に有る金銀を送り「私は貴方の僕、貴方の子です。どうか上って来て、私に立ち向かうレツィンとペカの手から、私を救い出して下さい」と援軍を頼んだ。ティグラト・ピレセル3世は此れを聞き入れた為、アラム・イスラエル王国連合軍は攻撃を仕掛ける事が出来なくなった。其の頃、ペリシテ人がユダ王国の以下の町等を占領し、定住を始めた。
①ネゲヴ
②ベト・シェメシュ
③アヤロン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)
④ゲデロテ(現在のイスラエルのエルサレム地区)
⑤ソコ(現在のイスラエルのエルサレム地区)
⑥ティムナ(現在のイスラエルのエルサレム地区)
⑦ギムゾ(現在のイスラエル中央地区)
733 ティグラト・ピレセル3世が、ダマスカス遠征を行う。
733 アハズが、ダマスカス攻撃を新アッシリア帝国に要請する。
733 ティグラト・ピレセル3世率いる新アッシリア帝国軍が、イスラエル王国を攻撃する。以下を併合した。
①ヨルダン川東岸地方(現在のヨルダンのイルビド県・アジュルン県・ジャラシュ県・バルカ県・マダバ県付近)
②ガラリヤ(現在のイスラエル北部地区)
③海岸平野(現在のパレスチナ国ガザ地区、現在のイスラエルのテルアビブ地区・ハイファ地区)
斯うしてイスラエル王国は、領土の2/3を失った。
732 ティグラト・ピレセル3世率いる新アッシリア帝国軍が、アラム人の首都であるダマスカスに侵攻し、現地のアラム人をキル(現在のヨルダンのカラク県)へ配流し、レツィンを殺害する。そして、ダマスカスを征服して属州とした。其の後、アハズはダマスカスへ出向き、ティグラト・ピレセル3世に謁見した。其の際アハズは、目にしたアラムの祭壇に惹かれ、見取り図や作り方を記録し、エルサレムに居た祭司ウリヤに送り、ユダ王国内に同じ物を築く様命じた。ウリヤは、アハズが帰還する迄に祭壇を完成させた。アハズは、ヤハウェの宮殿の用具を取り外して戸を閉じ、以降、ティグラト・ピレセル3世を助けているのはダマスカスの神だと考えたアハズは、其の祭壇で全焼の生贄と、穀物の貢物とを焼いて煙にし、注ぎの貢物を注ぎ、自分の為の和解の生贄の血を此の祭壇の上に振りかけた。此れをウリヤにも命じた。ヤハウェの御前に在った青銅の祭壇は、ウリヤに作らせた祭壇とヤハウェの神殿との間から持って来て、ウリヤに作らせた祭壇の北側に追い遣り、アハズが個人的に占いの為に使用する事となった。更に、車輪付きの台の鏡板を切り離し、其の台の上から動物の生贄を洗う洗盤を外し、又其の下にある青銅の牛の装飾の洗盤の上から海の装飾の洗盤も降ろして、其れを敷石の上に置いた。宮殿と神殿の間の安息日用の通路や、外側の国王の出入口も取り外して、聖域にティグラト・ピレセル3世が入れる様にしたり、神殿から金の鉢を取り出して切り刻み、神殿の扉に釘を打ち付けて誰も礼拝出来ない様にし、ヤハウェの神殿を悉く穢した。ユダ王国中の町角には異教の神々の為の祭壇が築かれた。
732 エラの子ホセアが、ペカを暗殺する。ホセアは、第19代イスラエル王国国王に即位した。直ちにホセアは、ティグラト・ピレセル3世に降伏し、貢ぎ物を納め、新アッシリア帝国の属王として承認された。領土の大部分を失っていたイスラエル王国は、エフライムの高原地帯のみを支配していた。
728 アハズの息子ヒゼキヤが政務に参加し始め、ユダ王国がアハズとの共同統治体制となる。
727 ティグラト・ピレセル3世が崩御する。後任として、ティグラト・ピレセル3世の嫡男シャルマネセル5世が、第11代新アッシリア帝国国王に即位した。シャルマネセル5世は、貢ぎ物を納める様ホセア(イスラエル王国国王)に強要した。しかしホセア(イスラエル王国国王)は、第11代エジプト第22王朝ファラオのオソルコン4世に使者を遣わせて援助を請い、以降新アッシリア帝国に貢ぎ物を納めなくなった。
725 シャルマネセル5世が、ホセア(イスラエル王国国王)を留置場に入れる。其の後、新アッシリア帝国軍はサマリアを包囲した。
722 以下2名が、イスラエル王国の10部族とユダ王国の46の町の人間を捕虜にする。
①第12代新アッシリア帝国国王サルゴン2世
②サルゴン2世の息子センナケリブ
新アッシリア帝国軍は以下の戦法を採った。
①丸太を敷いた斜面を踏み固めた上で、攻城兵器を用いて突撃
②歩兵の戦闘を利用して、城壁の陥没箇所や割れ目を通じて、攻城兵器を用いて突撃
サルゴン2世は、其の捕虜をサマリアから連行し、以下の場所に定住させた。
①テル・ハラフ(現在のシリアのハサカ県)
②ハブール川(現在のシリアのデリゾール県)の畔
③メディア王国の町々
又、此の戦闘でヒゼキヤはエルサレムに封じられた。
722 新アッシリア帝国軍が、3年間の包囲の末、サマリアを陥落させ、イスラエル王国を滅亡させ、属州とする。イスラエル王国民は、流刑に処された。
716 アハズが崩御し、エルサレムに葬られる。しかし、王室墓地には入れられなかった。後任として、ヒゼキヤが第13代ユダ王国国王に即位した。ヒゼキヤは直様、ヤハウェ崇拝に対する熱意を示した。
716 預言者ミカが、エルサレムが廃墟となる事を預言する。
716 3 ヒゼキヤが、アハズによって閉じられた神殿の扉を再び開き、神殿を修理させる。更にヒゼキヤは、祭司とレビ族を東の広場に招集し「レビ族の皆さん、聞いて下さい。今、自分を神聖なものとし、皆さんの父祖の神ヤハウェの家を神聖なものとし、聖なる場所から汚れたものを取り除きなさい。私達の父達は不忠実で、ヤハウェから見て悪い事を行いました。神を捨て、ヤハウェの幕屋から顔を背け、神に背を向けました。彼らは神殿の玄関の扉を閉じ、ランプを消しました。香を焚くのを止め、聖なる場所でヤハウェに全焼の犠牲を捧げるのも止めました。其れでヤハウェはユダ王国とエルサレムに憤って災難を齎し、彼らに就いて見聞きした人が恐怖を抱き、驚き、口笛を吹く様にしました。皆さんが自分の目で見ている通りです。其の為、父祖達は剣によって倒れ、私達の息子や娘や妻は捕らえられました。私は今、神に燃える怒りを静めて頂く為、ヤハウェと契約を結ぶ事を心から願っています。私の兄弟達、今は務めを怠る時ではありません。ヤハウェは皆さんを、ご自分の前に立たせ,奉仕者として仕えさせ、犠牲を焼いて煙にさせる為に選んだのです」と訴え、レビ族の奉仕の為の組織化に着手し、楽器や賛美の歌の為の取り決めを再確立した。
716 3 11 ヒゼキヤの東の広場での訴えを受け、以下の人間が、自分の兄弟達を集め、自分達を神聖なものにし、ヤハウェの言葉に沿ったヒゼキヤの命令の通り、ヤハウェの家を清める為の活動を開始する。
①コハト氏族
❶アマサイの子マハト
❷アザリヤの子ヨエル
②メラリ氏族
❶アブディの子キシュ
❷エハレルエルの子アザリヤ
③ゲルション氏族
❶ジマの子ヨアハ
❷ヨアハの子エデン
④エリザパンの子孫
❶シムリ
❷エウエル
⑤アサフの子孫
❶ゼカリヤ
❷マタヌヤ
⑥ヘマンの子孫
❶エヒエル
❷シムイ
⑦エドトンの子孫
❶シェマヤ
❷ウジエル
祭司達もヤハウェの家に入って其処を清め、ヤハウェの神殿に有った汚れたものを全て出し、ヤハウェの家の庭に持って行き始めた。更には以下も実施し、ヤハウェの目に適う事を悉く行った。
①聖なる高台の撤去
②石柱の打ち壊し
③アシェラ像の切り倒し
④ユダ王国民が生贄を捧げ、香を焚いていた、モーセの造ったネフシュタン(青銅の蛇)の破壊
716 3 18 ヤハウェの家から、汚れたものを除外し、神聖なものとする為の活動を行なっていたレビ族の集団が、ヤハウェの玄関に達する。
716 3 26 ヤハウェの家から、汚れたものを除外し、神聖なものとする為の活動を行なっていたレビ族の集団が、作業を完了する。其の後、レビ族の集団はヒゼキヤを訪ね「ヤハウェの家全体、全焼の捧げ物の祭壇と其の器具を全て、重ねのパンの食卓と其の器具の全てを清めました。又、アハズが治世中に不忠実にも投げ捨てた器具を全て整えて、神聖な物としました。其れ等はヤハウェの祭壇の前に在ります」という主旨の報告をした。
716 3 或る朝、ヒゼキヤが目を覚まし、都市の高官を招集する。ヒゼキヤ一行は、ヤハウェの家へと登った。ヒゼキヤは連れて来た以下の動物を、ユダ王国と至聖所の為に以下の品目をヤハウェの祭壇で捧げる様、祭司であるアロンの子孫に命じた。
①雄牛7頭
②雄羊7匹
③雄の子羊7匹
④雄山羊7匹
先ず雄牛を放って、其の血を取って祭壇に振り掛けた。次に雄羊も同様に放って、其の血を取って祭壇に振り掛けた。雄の子羊も同様に扱われた。アロンの子孫は、最後に残った雄山羊をヒゼキヤと民衆の前に連れて来て、其の上に手を置いた。祭司達は雄山羊を放って、其の血を取って祭壇に振り掛け、贖罪を行なった。そうしている間にヒゼキヤは、預言者から聞いた、嘗ての以下3名の命令に従い、レビ族にシンバル・弦楽器・竪琴といった、ダビデの楽器を持たせ、ヤハウェの家に立たせた。
①ダビデ
②嘗てダビデがアドラムの洞窟の中に住んでいた際、ダビデにユダ王国に帰還する様勧めた預言者ガド
③ナタン
又、祭司もラッパを持って立った。ヒゼキヤは全焼の犠牲を祭壇で捧げる様命じた。全焼の捧げ物が捧げ始められると、ヤハウェへ向けた歌が始まり、ダビデの楽器に合わせてラッパも鳴り始めた。歌が歌われ、ラッパが鳴り響く中、民衆は皆平伏していた。此れは全焼の捧げ物が捧げ終わる迄続いた。捧げ物が捧げ終わると、ヒゼキヤと、共に居た人間達は皆、身を屈めて平伏した。ヒゼキヤと高官達は、嘗てダビデの詩やヤハウェからの幻を伝えたアサフの詩でヤハウェを賛美する様レビ族に命じた。レビ族は非常に喜びながら賛美を捧げ、身を屈めて平伏した。ヒゼキヤは「皆さんはヤハウェの為に取り分けられました。ヤハウェの家に犠牲と感謝の捧げ物を持って来なさい」と呼び掛けた。民衆は、犠牲と感謝の捧げ物を持参した。心から進んで行う人は皆、全焼の捧げ物を持参した。民衆が持ってきたヤハウェへの全焼の捧げ物は以下であった。
①牛70頭
②雄羊100匹
③雄の子羊200匹
又、聖なる捧げ物は以下であった。
①牛600頭
②羊3,000匹
しかし、全ての全焼の捧げ物の皮を剝ぐには祭司が足りなかったので,他の祭司達が自分を神聖なものとするまで、兄弟であるレビ族が手伝って凌いだ。レビ族は、自分を神聖なものとする事に関し、祭司よりも高い意識を持っていた。多くの全焼の捧げ物に加え、共食の犠牲の脂肪の部分や、全焼の捧げ物の為の飲み物の捧げ物があった。斯うして、ヤハウェの家での奉仕は再確立された。
716 ヒゼキヤ率いるユダ王国軍が、ガザ(現在のパレスチナ国)に侵攻し、ペリシテ人を見張りの塔から砦の町まで攻撃する。ヒゼキヤは、新アッシリア帝国への反乱を望まない、新アッシリア帝国の従属国の国王を全て殺害しようとしていた。
715 エチオピア人の王シャバカがエジプト全土を征圧し、エジプト第25王朝を建国する。此れによりシャバカは、初代エジプト第25王朝王に即位した。パレスチナ諸国は、新アッシリア帝国に対抗出来る超大国が出現したとして、此れを歓迎した。
713 アシュドッドの王アズリが、第12代新アッシリア帝国国王サルゴン2世への朝貢を止め、新アッシリア帝国に対し反乱を起こす事を呼び掛ける使者を近隣の王達に差し向ける。此れを受けてサルゴン2世は、アズリを退位させ、アズリの弟アヒミティを即位させた。しかし、此れに対してペリシテ人はアヒミティに変えてイオニア人のヤマニを即位させた。
713 ヤマニ主導で以下が同盟を結び、新アッシリア帝国に対して反乱を起こす。
①ペリシテ人(領地内のアシュドッドで指揮を執った)
②エドム人
③モアブ人
④ユダ王国
又、シャバカが支援を約束した。しかしイザヤは、エジプト第25王朝を当てにしてはならないと警告した。
711 サルゴン2世率いる新アッシリア帝国軍が以下の町を征服し、反乱を鎮圧する。
①ガト
②アシュドッド
以下は降伏した。
①エドム人
②モアブ人
③ユダ王国
エジプト第25王朝は一切兵を送らなかった。其れ処か、シャバカは、エジプト第25王朝に逃れたヤマニの手足を縛り、新アッシリア帝国に引き渡した。此の戦闘の結果、アシュドッドは新アッシリア帝国の属州となった。
705 ヒゼキヤが、新アッシリア帝国への毎年の貢納を打ち切り、新アッシリア帝国に対し、対抗する姿勢を示す。
702 ヒゼキヤが病気に罹り、生死を彷徨う。イザヤはヒゼキヤに対し「貴方の家を整理せよ。貴方は死ぬ。治らない」と告げた。ヒゼキヤは「嗚呼、ヤハウェよ。お忘れになったのですか。あんなに真実を尽くし、いつも言いつけに従おうと努力してきましたのに」と肩を震わせ、大声で泣いた。イザヤは「干し無花果を取って来る様に」と言い、人々が其れを取って来て、茹でて軟膏を作り患部に塗ると、ヒゼキヤは体調を取り戻した。ヒゼキヤの回復を聞いたバビロン第10王朝王メロダク・バルアダン2世が使者を遣わせ、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤは歓迎して、バビロン第10王朝と同盟を結び、宮殿を案内して自身の以下の金品を使者に全て見せた。
①全ての宝庫
②銀
③金
④香料
⑤高価な油
⑥全ての武器庫
⑦香水で満ちた宝物倉
其の後イザヤは「あの人達は何と言いましたか?」と尋ねた。ヒゼキヤは「遠い国、バビロン第10王朝から来ました」という主旨の返答をした。イザヤは「彼らは貴方の家で何を見たのですか?」と続けた。ヒゼキヤが「私の家の中の全ての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は1つもありません」と返すと「ヤハウェの言葉を聞きなさい。貴方の家に在る物、貴方の先祖達が今日迄蓄えてきた物が全てバビロンへ運び去られる日々が来る。何1つ残される事は無い。又、貴方が産む、貴方自身の息子達の中には、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者が居る」と預言した。ヒゼキヤは「貴方が告げてくれたヤハウェの言葉は有難い」と言い、同時に自分が生きている間は平和と安全が保証されると考えた。
701 ヒゼキヤが、ペリシテ人に占領されていたネゲヴを奪還した上で、自身を盟主として以下と同盟を結ぶ。
①バビロン第10王朝
②エジプト第25王朝
③アシュケロンのペリシテ人
④エクロンのペリシテ人
更にヒゼキヤは、ケデロンの谷(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)の洞窟の中に在るギホンの泉の水路から町に水を引く為に、「シロアハ」と呼ばれる約533mの水路を、ギホンの泉の洞窟の口から、ケデロンの谷を経由して南東の丘の端を回り、ヒンノムの谷とテュロペオンの谷の接点であるシロアム(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)の池にかけて掘った。傾斜は5mm/m程度であった為、流れはゆっくりとした、穏やかなものであった。又、防備を補強する為に以下を実施した。
①既存の城壁の強化
②新たな塔の建設
③新たな補強壁の建設
701 第13代新アッシリア帝国国王センナケリブ率いる新アッシリア帝国軍が、フェニキア人の海岸諸都市(現在のシリアのラタキア県・タルトゥース県、現在のレバノンのアッカール県、北レバノン県、ケセルワン・ジュベイル県、山岳レバノン県、南レバノン県)に侵攻する。そこから南に転じ、以下を降伏させた。
①アシュドッドのペリシテ人
②モアブ人
③アモン人
更に、同盟軍を支援する為に北上したエジプト第25王朝軍も、エルテケ(現在のイスラエル中央地区ゲアルヤ付近)にて新アッシリア帝国軍に敗れた。其の後新アッシリア帝国軍は、以下のペリシテ人の領地を侵攻し、此れを征圧した。
①アシュケロン
②エクロン
701 センナケリブ率いる新アッシリア帝国軍が、ユダ王国の城壁の在る全ての砦の町を占領し、ラキシュを包囲する。ヒゼキヤは、ラキシュに居るセンナケリブに対し使者を遣わせ「私は過ちを犯しました。私の所から引き揚げてください。貴方が私に課せられるものは何でも負いますから」と降伏した。センナケリブは以下を要求し、ヒゼキヤは応じた。
①銀10,260kg
②金1,026kg
要求を満たす為にヒゼキヤは、ヤハウェの神殿と王宮の宝物庫に在った全ての銀と、アハズ治世下で荒れ果てた為ヒゼキヤ自身が補修させたヤハウェの神殿の扉と柱を覆った金を与えざるを得なかった。
701 ヒゼキヤが、新アッシリア帝国軍がエルサレムに侵攻すると考え、其の際新アッシリア帝国軍が水不足になる様、エルサレムの外の泉と水源を全て塞ぐ。更に、エルサレムの城塞を強化し、沢山の飛び道具と盾を作った。
701 ラキシュの包囲を継続していたセンナケリブが、以下3名に大軍を率いさせ、エルサレムに降伏を要求する為の部隊を派遣する。
①タルタン
②ラブ・サリス
③ラブ・シャケ
此の部隊の中には、センナケリブの部隊所属の兵も一部含まれていた。新アッシリア帝国軍がエルサレムに到着すると、ユダ王国の以下3名が新アッシリア帝国軍の所に出て行った。
①ヒルキヤの子で宮廷長官のエルヤキム
②書記シェブナ
③史官でアサフの子ヨアフ
ラブ・シャケは、エルヤキム・シェブナ・ヨアフに対し「ヒゼキヤに伝えよ。センナケリブがこう言っておられる。『一体お前は何を拠り所にしているのか。口先だけの言葉が戦略であり戦力だと言うのか。私に反逆しているが』と」言った。続けて「今お前は、あの傷んだ葦の杖であるエジプト第25王朝を拠り所にしているが、此の国は寄り掛かる者の手を差し貫くだけだ。お前達は私に「我々は、我々の神ヤハウェに拠り頼む」と言う。其のヤハウェとは、ヒゼキヤが偶像崇拝の祭壇を撤去し、ユダ王国とエルサレムに「エルサレムに在る此の祭壇の前で拝め」と言った。そういう神ではないか」という主旨の発言をした。更に「センナケリブと賭けをしないか。もしお前達の方で乗り手を揃える事が出来るのなら、お前に2,000頭の馬を与えよう。お前達は戦車と騎兵をエジプト第25王朝に頼っているが、センナケリブの最も小さい家来で在る総督1人さえ追い返せないのだ。私がエルサレムを滅ぼす為にやって来たのはヤハウェを差し置いての事であろうか。ヤハウェが私に「此の国に攻め上って此れを滅ぼせ」と言われたのだ」と、ヤハウェの名を利用し、ユダ王国を挑発した。エルヤキム・シェブナ・ヨアフはラブ・シャケに対し「どうか僕達にはアラム語で話して下さい。我々はアラム語が分かりますから。城壁の上に居るユダ王国民が聞いている所ではユダの言葉は使わないで下さい」と言った。するとラブ・シャケは「センナケリブが此れ等の事を告げに私を遣わされたのは、ヤハウェやお前達の為だろうか。寧ろ城壁の上に座っている者達の為ではないか。彼等はお前達と一緒に、自分の糞を食らい、自分の尿を飲む事になるのだ」と言い放った。そしてギホンの泉の側に立ち、城壁の上に居るユダ王国民に対し、ユダの言葉で「ヒゼキヤはお前達を欺いている。ヤハウェはセンナケリブの手からエルサレムを救う事は出来ない。我々に降伏せよ。そうすれば自分の葡萄・無花果・井戸の水を摂取する事が可能だ。其の後私は来てお前達と同じ様な国に連行する。其処は穀物と新しい葡萄酒の地、パンと葡萄畑の地、オリーブの木と蜜の地だ。お前達が飢え死にする事が無い様にする為だ」と、センナケリブからの伝言を大声で叫んだ。更に、センナケリブによって征服された国々の以下の場所の神を列挙して「我々の手から救い出した神が居ただろうか、ヤハウェが我々の手からエルサレムを救うとでも言うのか」と訴えた。
①ハマー(現在のシリア)
②アルパド(現在のシリアのアレッポ県)
③セファルワイム
④ヘナ(現在のイラクのアンバール県)
⑤イワ(現在のイラクのアンバール県)
ユダ王国民は、ヒゼキヤの命により一切ラブ・シャケに応じなかった。エルヤキム・シェブナ・ヨアフは、自分達の衣服を引き裂いて、ラブ・シャケの言葉をヒゼキヤに伝えた。ヒゼキヤは其れを聞くと、衣服を引き裂き、悲しみの象徴である麻の粗布を着用し、神殿にてヤハウェに懇願し、エルヤキム・シェブナ・年長の祭司達に粗布を着用させ、イザヤの下に遣わせた。イザヤは「ヤハウェは斯う言われる。『貴方方が聞いたラブ・シャケの言葉を恐れるな。今私はセンナケリブの家に霊を置く。センナケリブが或る噂を聞いて、自分の土地へ帰り、殺される』と」と預言した。そんな中、エルサレムが包囲された後、センナケリブは以下の都市を部下に支配させた。
①エクロン
②ガザ
③アシュドッド
701 センナケリブが、新アッシリア帝国軍をラキシュからリブナに撤退させる。ラブ・シャケも、センナケリブがリブナに撤退したとの情報を聞き、リブナに移動して落ち合った。センナケリブはリブナにて、タハルカがセンナケリブ征伐の為出陣したという情報を得た。其れでもセンナケリブはヒゼキヤに対し、使者を通じて「ヒゼキヤに伝えよ。「お前が信頼するヤハウェに騙されてはいけない。エルサレムはセンナケリブの手に渡されないと言っているが、お前は歴代の新アッシリア帝国国王が全ての国々にした事、其れ等の国々を絶滅させた事を確かに聞いている。其れでもお前だけは救い出されるというのか。私の先祖はゴザン(現在のシリアのラッカ県・デリゾール県・ハサカ県付近)・ハラン(現在のシリアのスワイダー県)・レツェフ(現在のヨルダンのマアーン県)・テラサル)に居たエデンの人々を滅ぼしたが、其れ等の国の神々は国民を救ったのか。ハマーの王、アルパドの王、セファルワイムの町の王、ヘナの王、イワの王は何処に居るのか」という主旨の書簡を送って脅し、ヤハウェを嘲弄した。ヒゼキヤは其の書簡をヤハウェの前でのみ広げ「ケルビムの上に座して居られるイスラエルの神ヤハウェよ。唯、貴方だけが、地の全ての王国の神です。貴方が天と地を造られました。ヤハウェよ、御耳を傾けて聞いて下さい。ヤハウェよ、御目を開いてご覧下さい。行ける神を謗る為に言って寄越したセンナケリブの言葉を聞いて下さい。ヤハウェよ、新アッシリア帝国の王達が、国々と其の国土を廃墟としたのは事実です」と祈った。そしてイザヤは、ヤハウェの声を代弁し、センナケリブを嘲弄し「新アッシリア帝国軍がエルサレムに入る事は無い、私は自分の為、又私の僕ダビデの為に必ず此の都市を防御して、此れを救うであろう」と伝えた。イザヤが代弁した其の夜、ヤハウェは、センナケリブ率いる新アッシリア帝国軍に御使いを遣わせ、185,000名を殺害した。
699 ヒゼキヤの息子マナセが生誕する。
694 東方からエラム人がバビロニアに攻め込む。エラム人はセンナケリブの長男アッシュル・ナディン・シュミを捕らえ、エラムに連れ去った。センナケリブは、シュミが死亡したと判断し、弐男アルダ・ムリッシを王位後継者に指名した。
689 タハルカが、第4代エジプト第25王朝王に即位する。
687 ヒゼキヤが崩御する。此れにより、跡を継いだマナセが第14代ユダ王国国王に即位した。マナセは、偶像崇拝の祭壇を築き直し、アハブに倣い、バアルの為に、幾つもの祭壇を築き、アシェラ像を造り、森羅万象を拝み此れに仕えた。更に、ヤハウェの神殿に幾つもの祭壇を築き、ヤハウェの神殿に在る、祭司の庭・民の庭の2つの庭に森羅万象の為の祭壇を築いた。又マナセは、ヒンノムの谷(現在のイスラエルのエルサレム地区)で自分の子供に火の中を通らせて全焼の生贄として、異教の祭壇に献げ、サタン礼拝を行った。そして以下を行い、ヤハウェの目に悪である事を行い、いつもヤハウェを怒らせていた。
①卜占
②呪い
③霊媒
④口寄せ
更にマナセは、自身が造ったアシュラの彫像を宮殿に安置し、ユダ王国民にも異教礼拝をさせ、罪の無い人々を多数殺害し、エルサレムを死体で埋め尽くした。以下の預言者達は「ヤハウェは斯う言われる。『マナセは此の様に悪を行い、其の非道ぶりは以前此の地にいたエモリ人以上で、マナセはユダの民に偶像礼拝の罪を犯させた。故に、私はエルサレムとユダに災いを齎す。誰でも其れを聞く者は両耳が鳴る。私は、サマリアに使った測り縄と、アハブの家に使った錘をエルサレムの上に伸ばし、人が皿を拭い、其れを拭って伏せる様に、私はエルサレムを引っくり返す。私は、私の譲りの民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らは其の全ての敵の餌食となって奪い取られる。其れは、彼らの先祖達がエジプトを出た日から今日迄、私の目に悪である事を行って、私の怒りを引き起こしたからである』と」と、マナセとユダ王国民に警告を発した。
①イザヤ
②ホセア
③ヨエル
④ナフム
⑤ハバクク
684 センナケリブが、王位後継者をアルダ・ムリッシから末子のエサルハドンに変更する。此の決定にナキアが関わっていた。センナケリブは、此の決定を確かなものにする為、息子達や要人を招集し、エサルハドンに王位を継承させることを誓わせた。
681 マナセが、自身を批判するイザヤを恨み、従者にイザヤの殺害を命じる。従者は、杉の木にイザヤを逆さに吊るし、股から鋸を引いた。鋸が口に到達した時、イザヤは絶命した。そして2つに切り裂かれた。イザヤは、水路の側に在る樫の木の下に葬られた。
681 10 20 アルダ・ムリッシが、弟のナブー・シャル・ウツルと共に、シン神殿にて、ニスロクの神殿で礼拝していたセンナケリブを襲撃し、暗殺する。エサルハドンは身の危険を感じ、亡命した。
681 12 1 エサルハドンが、ニネヴェ(現在のイラクのニーナワー県モースル市)にて、第14代新アッシリア帝国国王に即位する。エサルハドンは直様、兄弟達の家族を含む、自らの掌中に収めていた首謀者達と政敵を処刑した。ニネヴェの王宮の警備に関わる全ての従者達が処刑された。以下2名は、此の粛清を生き延び、北方のウラルトゥ王国へと逃亡した。
①アルダ・ムリッシ
②ナブー・シャル・ウツル
671 エサルハドンが、タハルカがフェニキアのティルスを反新アッシリア同盟に引き入れた為、エジプト第25王朝に侵攻する。エサルハドンは大軍を率いてティルスを封鎖し、砂漠を越えてエジプト第25王朝に入った。タハルカを下エジプトで破り、メンフィスは陥落した。新アッシリア帝国の勝因として、兵器の差が有った。新アッシリア帝国が主に鉄製の兵器を使用したのに対し、エジプト第25王朝は、青銅製の兵器を主体としていた。新アッシリア帝国は、ヒッタイトから鉄器の製造技術を学び、鉄製の戦車と騎兵隊を採用していた。新アッシリア帝国軍は、タハルカの家族を捕虜としたが、タハルカの逃亡を許した。斯うして、新アッシリア帝国は、エジプト第25王朝の一部を手に入れたが、ニネヴェから遠く、統治し続けるのが困難な状況であった。
670 リュディア(現在のトルコのアナトリア半島)で硬貨(エレクトロン貨)が発明される。
669 テーベ(現在のエジプトのルクソール県)に逃亡していたタハルカが、メンフィス(現在のエジプトのギーザ県ミート・ラヒーナ)に帰還する。下エジプトの東部は新アッシリア帝国への恭順を捨て、タハルカを支持し、再びエジプト第25王朝の支配下となった。
669 11 1 エサルハドンが、エジプト第25王朝征伐の為、遠征軍を西に向けて率いていた途上、ハッラーン(現在のトルコのシャンルウルファ県)にて病死する。
667 第15代新アッシリア帝国国王アッシュルバニパルがエジプト遠征を行う。其の際、マナセを含む12名の王が遠征に協力した。
663 アッシュルバニパルが、上エジプトを占領する。これによりエチオピア人が建国したエジプト第23王朝は滅亡した。
648 アッシュルバニパルの指示により、マナセが鉤で捕えられ、青銅の足枷に繋がれ、周辺諸国の22名の王達と共に、バビロンに連行される。其の後王宮建設の為の資材調達を命じられた。マナセは苦しみの中でヤハウェに嘆願し、父祖の神の前に大いに謙り、此れ迄の行動を悔い改めた。軈てマナセはエルサレムに帰還し、ヤハウェこそが神である事を知った。ダビデの町の西の外側に城壁を築き直した。其の城壁は、ケデロンの谷に在るギホンの泉の西側から魚の門にまで達し、見張りの塔として一際高く築き上げられたオフェルの「砦の丘」を取り巻いていた。又、国内の城壁の在る町全てに司令官を配置した。更に、ヤハウェの神殿から異国の神々と偶像、ヤハウェの神殿が在る山とエルサレムに自らが築いた全ての祭壇を取り除き、町の外に投げ捨てた。そして、ヤハウェの祭壇を築き直し、交わりの生贄と感謝の生贄を献げ、ユダ王国民にヤハウェだけを礼拝する様命じた。ユダ王国民は其れでも尚、偶像崇拝の祭壇で生贄を捧げていたが、其れはヤハウェに対してであった。
642 マナセが崩御する。王家の埋葬所には葬られず、ウザの園に葬られた。後任として、マナセの息子アモンが、第15代ユダ王国国王に即位した。アモンは、改心する前のマナセの政治を踏襲し、新アッシリア帝国に従属した。更に、マナセが仕えた偶像に仕え、其れ等を拝み、ヤハウェの道を歩もうとはしなかった。
640 アモンが、家臣の謀反により殺害される。ユダ王国民は、謀反を起こした家臣達を打ち殺し、アモンの息子ヨシヤを第16代ユダ王国国王に即位させた。アモンはマナセと同じく、ウザの園に葬られた。
632 ヨシヤが、逸れる事無くダビデの道を歩み始める。
632 中米で綿が利用されていた。
628 ヨシヤが偶像を一掃する。又、エルサレム神殿から全ての異教的要素を排除した上で修復した。祭儀に関しては、エルサレム以外の地方聖所を全て廃止し、エルサレム神殿に限定した上で、ヤハウェ礼拝の為のものに純化させた。ヨシヤは、此れ等の改革を、ユダ王国だけに留まらず、新アッシリア帝国領であった、ベテルやサマリアにまで拡大させた。
627 エレミヤが召命を受け、預言者として活動を開始する。
623 仏教の開祖の釈迦がネパール南西部タライ平原の村ルンビニで誕生。
622 書記官シャファンがヨシヤに対し、祭司ヒルキヤが修復工事中のヤハウェの神殿で発見した「律法の書」を手渡された事を報告する。シャファンは其の場で、律法の書を読み上げた。ヨシヤは律法の言葉を聞くと、衣を引き裂き、罪の嘆きと悔い改めを表した。そして「此の見つかった書の言葉に就いて、私の為、民の為、ユダ王国全体の為に、ヤハウェの御旨を尋ねに行け。我々の先祖が此の書の言葉に耳を傾けず、我々に就いて其処に記された通りに全ての事を行わなかった為に、我々に向かって燃え上がったヤハウェの怒りは激しいからだ」と家臣達に命じた。ヨシヤは、以下5名を預言者フルダの下へ遣わせ、ヤハウェの託宣を求めた。
①ヒルキヤ
②シャファン
③シャファンの息子アヒカム
④王の家来のアサヤ
⑤アクボル
フルダは「イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『貴方達を私の下に遣わせた者に言いなさい。見よ、私はヨシヤが読んだ此の書の全ての言葉の通りに、此の地と住民に災いを下す。彼等が私を捨て、他の神々に香を焚き、自分達の手で造った全てのものによって私を怒らせた為に、私の怒りは此の地に向かって燃え上がり、消える事は無い』と」と預言した。更に「ヤハウェの心を尋ねる為に貴方達を遣わせたヨシヤにこう言いなさい。貴方が聞いた言葉に就いて、イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『私が此の地と其の住民に就き、其れが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、貴方は心を痛め、私の前に謙り、衣を裂いて泣いたので、私は貴方の願いを聞き入れた』とヤハウェは言われる。其れ故『見よ、私は貴方を先祖の数に加える。貴方は安らかに息を引き取って墓に葬られるであろう。私が此の地に下す災いの何れも、其の目で見る事は無い』と」と続けた。ヨシヤは、口寄せ・霊媒・テラフィム・偶像・ユダの地とエルサレムに見られる憎むべきものを一掃し、律法の言葉を実行した。
622 4 3 夕方、エルサレムにて過越祭が行われる。事前にヨシヤが此の日に過越祭を行う旨を通達していた。組分けによって割り振られた祭司達によって過越の子羊が屠られ、力付けられた祭司達は再び神殿の奉仕に当たった。レビ人には「聖なる箱は、今はソロモンの神殿に置かれ、担いで彼方此方に持ち運ぶ必要は無くなった。だから、貴方方の時間を、ヤハウェとヤハウェの民に仕える為に用いなさい。ダビデとソロモンの行った組分けに従って、父祖の家毎に、神殿に捧げ物を持って来る人々の為に備え、過越の子羊を屠り、身を清め、其処に来る人々を助けなさい。全てモーセによって示されたヤハウェの命令に従いなさい」という命令が下った。ヨシヤは、民衆が捧げる過越の生贄の為に以下を寄贈した。
①子羊30,000頭
②子山羊30,000頭
③子牛3,000頭
又、神殿の管理者であるヒルキヤ・ゼカリヤ・エヒエルは、祭司が捧げる過越の生贄として、以下を寄贈した。
①羊2,600頭
②山羊2,600頭
③牛300頭
レビ人の指導者であるカナヌヤ、其の兄弟のシェマヤ・ネタヌエル、更にはハシャブヤ・エイエル・エホザバデが、レビ人が捧げる過越の生贄として、以下を寄贈した。
①羊5,000頭
②山羊5,000頭
③牛500頭
祭司が所定の場所に立ち、レビ人がヨシヤの指示通りの任務に就き、準備が完了すると、レビ人の手で過越の子羊が屠られ、其の血が祭司に渡された。祭司が血を祭壇に注ぐと、レビ人は、屠られた子羊の皮を剥ぎ、モーセの律法に記されている通り、焼き尽くす生贄として捧げる子羊の体を各部族の分に取り分けた。牛も同様に処理した。そして、定められた通りに、過越の子羊を焼き、聖別された捧げ物を、深鍋・平鍋・釜で調理し、人々に食べさせる為に急いで運んだ。其の後で、自分達と祭司の食事を用意した。祭司は、朝から晩迄、焼き尽くす生贄と脂肪を捧げるのに追われた。斯うして、ヨシヤの指示通りに全ての焼き尽くす生贄がヤハウェの祭壇で捧げられ、全儀式が其の日の内に終了した。エルサレムに来ていた民衆は過越の儀式を守り、以降7日間、酵母を使わないパンを食べる祭りが開催された。過去にソロモン・ヒゼキヤの代にも過越祭は行われたが、其れ等を凌ぐ規模であった。
612 新アッシリア帝国の首都ニネヴェが、連合軍(メディア人・カルデア人・バビロニア人・アッシリア人反乱軍)と、遊牧民族の同盟者(スキタイ人・キンメリア人)によって攻められ、ニネヴェが陥落する。
609 第2代エジプト第26王朝ファラオのネコ2世率いる軍が、新バビロニア王国軍に追われていた新アッシリア帝国軍を支援する為、カルケミシュ(現在のトルコのガズィアンテプ県カルカミス・現在のシリアのアレッポ県ジャラーブルス)を侵攻する際「ユダ王国を攻める訳では無いから、軍を引け」と忠告し、ユダ王国の領土を通過しようとしたが、ヨシヤは許可せず、王服を脱ぎ、敵に気付かれない様変装して、兵を率いてメギド(現在のイスラエル北部地区)の谷へと向かった。そして、エジプト第26王朝とユダ王国の間でメギドにて戦闘となった。ヨシヤは、エジプト第26王朝軍の射手の放った矢を受け、致命傷を負い、側近に「早く戦場から出してくれ」と叫んだ。ヨシヤは家臣達により戦車で運ばれ、エルサレムで死去した。ヨシヤは王室墓地に葬られた。ヨシヤは、独立国家を築くという野望を果たせず生涯を終えた。エレミヤはヨシヤの為に哀歌を作り、神殿の歌い手達は其れを歌った。此の戦闘の結果、ユダ王国は敗れ、以降エジプト第26王朝の支配下となった。ネコ2世率いる軍は其の後、ユーフラテス川を渡ってハッラーン(現在のトルコのシャンルウルファ県)を包囲するが、新バビロニア王国を破る事は出来ず、新アッシリア帝国北西部に退いた。ヨシヤの後任として、ヨシヤの参男ヨアハズが、第17代ユダ王国国王に即位した。ヨアハズは先王達に倣い、ヤハウェの前に悪を行なった。
609 ネコ2世が、リブラ(現在のシリアのホムス県)にヨアハズを幽閉する。元々ネコ2世は、ヨアハズの即位に反対であった。そして、ユダ王国に以下の科料を課した。
①銀3,400kg
②金34kg
其の後、ヨシヤの弐男エホヤキムを、改名させて第18代ユダ王国国王に即位させた。ヨアハズは、エジプト第26王朝に連行され、其処で崩御した。エホヤキムは、ネコ2世が要求する銀を差し出す為に、国民に重税を課さなければならなかった。又、エジプト第26王朝の傀儡であったエホヤキムは、自分の身を守る為に公正と正義の無い政治を行い、先王達に倣い、バアル礼拝を復活させ、ヤハウェの前に悪を行なった。
609 エレミヤが、ヤハウェの神殿にて「もし民が悔い改めないなら、エルサレム神殿はシロの様になり、エルサレムは誰も住む者の無い廃墟となる」と警告する。此れを聞いた祭司・預言者・民達は、エレミヤを裁判に掛けて処刑する為にエレミヤを捕縛した。其の後、ユダ王国の首長達も此の事を聞いて、裁判が行われる、新しい門の入り口に集結した。そして、祭司・預言者達は「エレミヤは死刑に当たる」と一様に主張した。しかし、首長・民達は、以下の理由を挙げ「エレミヤは死刑に当たらない」と主張した。
①エレミヤはヤハウェの御名によって語った
②ヒゼキヤの治世下でもミカが、同様の内容を語った事が有る
③ウリヤも同様の内容を語ったが、エホヤキムがウリヤを殺害しようとした為に、ウリヤは、エジプト第26王朝に逃亡した。しかし捕えられて連れ戻され、エホヤキムの剣によって殺害され、死体が共同墓地に捨てられた
又、アヒカムが、エレミヤが殺害されない様庇い、エレミヤは殺害を免れた。
609 キルヤト・エアリム出身の預言者ウリヤが「もし民が悔い改めないなら、エルサレム神殿はシロの様になり、エルサレムは誰も住む者の無い廃墟となる」と預言する。エホヤキム・将校・役人はウリヤの言葉を聞いた。エホヤキムは人を遣わせ、ウリヤを殺害しようとした。其れを知ったウリヤは、エジプト第26王朝に逃亡した。エホヤキムは、アクボルの子エルナタンに数名の者を率いさせ、エジプト第26王朝に派遣した。ウリヤはエホヤキムの下に連れ戻された。エホヤキムはウリヤを八つ裂きにし、死体を共同墓地に捨てさせた。
609 エホヤキムが、贅沢な宮殿を建設する計画を立てる。しかし、其の建設に従事する者への賃金の支払いを差し控えた。エレミヤは「此の邪悪な支配者が災いを被る事を宣告し,雄の驢馬が埋められる様にエホヤキムも埋められるだろう」と預言した。
609 新アッシリア帝国が滅亡する。
605 第2代新バビロニア王国国王ネブカドネザル2世率いる新バビロニア王国軍が、カルケミシュに布陣したネコ2世率いるエジプト第26王朝軍を襲撃し、戦闘となる。新バビロニア王国軍は完膚無きまでエジプト第26王朝軍を打ち負かし、エジプト第26王朝軍はハマーに退却した。其処でもエジプト第26王朝軍は、追撃して来た新バビロニア王国軍に敗れて全滅し、ネブカドネザル2世のハマー征圧を許した。
605 エレミヤが、ネリヤの子で書記官のバルクを呼び、自身が此れ迄23年間語ってきた預言を口述し、バルクに記させ、巻物として完成させる。バルクが書き終えると、エレミヤは「次の断食の日、囚人の私の代わりに神殿で此れを読み上げなさい。其の日はユダ王国全土から人々が上ってくる。もしかしたら、彼らは悪の道から離れ、手遅れにならない内にヤハウェに赦しを請うかも知れない。尤も、此処に書かれている神の呪いは既に宣告済みなのだが」と、バルクに言った。
605 ネブカドネザル2世がエルサレムを包囲する。
605 8 16 ネブカドネザル2世の父で初代新バビロニア王国国王のナボポラッサルが崩御する。新バビロニア王国軍はバビロンに戻らなくてはならなくなった。其の際、ユダの貴族の息子として生まれ育った預言者ダニエルを含む、王族・貴族数名をバビロンに連行した。以降ダニエルは、生涯をバビロンで過ごした。
605 9 ネブカドネザル2世が第2代新バビロニア王国国王に即位する。
605 12 エホヤキムが、エルサレムの全ての民と、ユダの町々からエルサレムに来ている全ての民に、ヤハウェの前での断食を布告する。
605 12 断食日の或る日、ユダ王国全土から、神殿の儀式に参列する為に人々が上って来る。バルクは、シャファンの子で書記官のゲマルヤの事務所へ行った。此の事務所は、新しい門の入り口に近く、境内の奥の集会所の側に在った。バルクは其の事務所の食堂から、本年完成させたエレミヤが口述した預言を記した巻物を読み上げた。ゲマルヤの子ミカヤは、バルクの言葉を聞くと、宮殿の会議室へ報告しに行った。其処には、以下の人間等が居た。
①書記官エリシャマ
②シェマヤの子デラヤ
③アクボルの子エルナタン
④ゲマルヤ
⑤ハナヌヤの子ゼデキヤ
彼らは、ミカヤの報告を聞き、バルクの口からヤハウェの言葉を聞く為、クシの子シェレムヤの子ネタヌヤの子エフディを遣わせ、バルクを呼び寄せた。バルクは応じ、彼らに直接巻物の内容を読み聞かせた。バルクが読み終えると、一同は怯えきって「是非エホヤキムのお耳に入れなければ。何はともあれ、此の言葉は何処から手に入れたのだ。エレミヤが口述したのか」と尋ねた。バルクは、エレミヤの口述通り書き写したと説明した。彼らは「バルクとエレミヤは身を隠しなさい。居場所を誰にも知らせてはいけない」と忠告し、巻物をエリシャマの部屋に隠し、エホヤキムに報告する為に出掛けた。報告を聞いたエホヤキムは、早速エフディに其の巻物を取って来させた。エフディは、エリシャマの部屋から巻物を持って来て、エホヤキムと側近達の前で読み上げた。エホヤキムは暖房設備の有る部屋の暖炉の前に座っていたが、エフディが3〜4段読み上げる度に、小刀で其の部分を切り裂き、暖炉の火の中に投げ入れた。以下3名は巻物を焼かない様にと抗議した。
①デラヤ
②エルナタン
③ゲマルヤ
しかし此の3名以外は抗議せず、感情を外に出さなかった。最終的に巻物は全て灰になってしまった。エホヤキムは、以下3名に命じ、バルクとエレミヤを逮捕させようとした。
①王子エラフメエル
②アズリエルの子セラヤ
③アブデエルの子シェレムヤ
エレミヤは再度バルクを呼び、口述した預言を巻物に記させ、翌年迄に完成させた。今回は、前回無かった以下の内容が追加された。
「ヤハウェはこう宣告する。前の巻物には、ネブカドネザル2世が此の国を荒らし、何もかも壊すと書いてあったので、お前は怒って焼いた。其処で、次の一項目を付け加える。お前の子孫からは王座に就く者が居なくなる。お前の死体は捨てられ、太陽の炎熱と夜の霜に晒される。私はお前と其の家族、家来達を、其々の罪の故に罰する。お前達に、又ユダ王国とエルサレムの全住民に、予告しておいた全ての災いを下す。私の警告を聞こうとしなかったからだ」
602 エホヤキムはエジプト第26王朝に肩入れしていたが、新バビロニア王国に忠誠を誓う様になり、エルサレム(現在のイスラエル)の国庫から貢物をネブカドネザル2世に納める様になった。又、ネブカドネザル2世は王族・貴族の一部を人質に取り、ソロモン神殿(第一神殿)の美術品を得た。
601 ネブカドネザル2世がエジプト第26王朝の侵略を試みるが、ネコ2世に撃退され、大きな損失を出す。エホヤキムはエレミヤの諫言が有ったにも拘らず貢納を止め、エジプト第26王朝寄りの立場をとり叛逆した。
600 ギリシャのターレスが、コハクを布でこすると糸くずなどを吸い寄せる事を発見する。
600 ネブカドネザル2世が妻でメディア王国出身の王妃アミュティスの為に、バビロン(現在のイラクのバービル県)の宮殿の脇に空中庭園を建設する。
600 9 新バビロニア王国がユダ王国のエルサレムを包囲する。
598 12 9 エホヤキンが第19代ユダ王国国王に即位する。
598 12 10 エホヤキムが崩御する。
598 12 ネブカドネザル2世がエルサレムを襲撃する。エホヤキンは自身の母・家来・役人・侍従達と共に降伏した。
597 3 16 ネブカドネザル2世がエルサレムを征服する。ユダ王国を属国とし、ヤハウェの宮殿の諸々の宝物やユダ王国王家の宝物を持ち出し、ソロモンが作ってヤハウェの神殿に置いた諸々の金の器を破壊した。そして、エホヤキンと、祭司の家系に生まれダニエルとも親交の有った預言者エゼキエル・エルサレムの人々・役人・兵・木工・鍛治を含む部下10,000名をバビロンに連行した。エルサレムに残ったのは貧しいユダ王国民だけであった。又、ネブカドネザル2世はゼデキヤを第20代ユダ王国国王に即位させた。エゼキエルは、ケバル川(ニップル(現在のイラクのカーディーシーヤ県アファク地区ヌファル)付近のユーフラテス川)の捕囚の民の間で仕えた。
589 12 17 ゼデキヤが第4代エジプト第26王朝ファラオのアプリエスの支援を期待して起こした反乱を鎮圧する為に、ネブカドネザル2世がエルサレムに到着する。其の後陣を敷き、周りにエルサレムの城壁よりも高い堡塁を築いてエルサレムを包囲した。多くのユダ王国民は以下の場所に避難した。
①モアブ(現在のヨルダンのカラク県)
②アンモン(現在のヨルダンのアンマン)
③エドム(現在のヨルダンのタフィラ県・マアーン県・アカバ県付近)
ネブカドネザル2世は、以下の城壁の在る町を攻め落として、エルサレム以外の主要都市を全て滅ぼしてエルサレムを孤立させた上で包囲した。
①ラキシュ
②アゼカ(現在のイスラエルのエルサレム地区)
588 アプリエスが、ネブカドネザル2世が派遣した新バビロニア王国の軍からエルサレムを守る為に兵を派遣する。しかし直ぐに新バビロニア王国との対立を避ける為に兵を引いた。
588 釈迦がブッダガヤ(現在のインドのビハール州ガヤー県)で悟りを開く。
588 3 アプリエス率いるエジプト第26王朝の援軍がエルサレムに向かっていると聞き付けた新バビロニア王国軍が、エルサレムの包囲を解き、撤退する。エレミヤは、其の機に乗じて、自身の出身地であるアナトテに在る所有地の相続の件でエルサレムを出た。ユダ王国軍の守備隊長は、エレミヤが新バビロニア王国に投降すると考え、エレミヤが「新バビロニア王国に投降したりはしない」と主張したにも拘らず捕えた。エレミヤは、役人に打ち叩かれ、書記官ヨナタンの家の丸天井の地下牢に監禁された。其の後ゼデキヤはエレミヤに接触し「ヤハウェから何か言葉は有ったか」と問うた。エレミヤは「ヤハウェの意志は変わらず、エルサレムは陥落します」と答えた。ゼデキヤは落胆した。其処でエレミヤは「ヨナタンの家の丸天井の地下牢に戻さないで下さい」と訴えた。ゼデキヤは、エレミヤを監視の庭に移し、パン1個/日を与えた。或る日、以下4名は、エレミヤが「ヤハウェは斯う言われる。『エルサレムに留まる者は剣・飢饉・疫病で死ぬ。しかし、新バビロニア王国軍に投降する者は生き残る。エルサレムは必ずネブカドネザル2世の手に落ち、占領される』と」と預言しているのを聞いた。
①マタンの子シェファトヤ
②マルキヤの子パシュフル
③パシュフルの子ゲダルヤ
④シェレムヤの子ユカル
軈て首長達は、ゼデキヤに「如何かエレミヤを死刑にして下さい。エレミヤの預言はエルサレムに残った兵士とユダ王国民の士気を挫いています。ユダ王国民の為の平和を願わず、寧ろ災いを望んでいるのです」と進言した。此れに対しゼデキヤは「エレミヤに関してはお前達に任せる。国王であっても、お前達の意に反しては何も出来ないのだから」と回答した。首長達はエレミヤを捕らえ、監視の庭に在る王子マルキヤの水溜めへ、綱で吊り降ろした。水溜めには泥が溜まっており、エレミヤは、泥土の中に沈んだ。宮廷に居たクシュ人のエベド・メレクは、エレミヤがマルキヤの水溜めに沈められた事を聞いた。メレクは宮廷を出て、ベニヤミン門の広場に座していたゼデキヤに「ゼデキヤ殿、首長達はエレミヤに有りと有らゆる酷い事をしています。エレミヤを水溜めに投げ込みました。エレミヤは飢えて死んでしまいます。もうエルサレムにはパンが無くなりましたから」と訴えた。ゼデキヤは「此処から30名の者を連れて行き、エレミヤが死なない内に水溜めから引き上げるが良い」と命じた。メレクは、30名を連れて宮廷へ戻り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、其れを綱で水溜めの中のエレミヤに吊り降ろした。メレクはエレミヤに「古着とぼろ切れを脇の下に挟んで、綱に宛行いなさい」と言い、エレミヤは其の通りにした。そして、メレク達はエレミヤを引き上げる事に成功した。エレミヤは監視の庭に留め置かれた。其の後エレミヤは、エベド・メレクに対し「イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『見よ、私は此のエルサレムに私の言葉を実現させ、予告した災いを全て下し、エルサレムを滅ぼす。其れ等は其の日、メレクの前で起こる。しかし其の日、私はメレクを救い出す。貴方は新バビロニア王国軍の手に渡される事は無い。私は必ず貴方を助け出す。貴方は剣に倒れず、貴方の命は戦勝品として貴方のものになる。貴方が私に信頼したからだ』と」と預言した。
588 3 ゼデキヤが、使者を遣わせ、ヤハウェの宮殿の第3の門に連れて来させる。ゼデキヤはエレミヤに「貴方に尋ねたい事が有る。何事も私に隠してはならない」と言った。エレミヤは「もし私がお話するなら、貴方は必ず私を殺そうとされるのではないですか。例え私が進言申し上げても、お聞きにならないでしょう」と返した。ゼデキヤは「我々の魂を造られたヤハウェに懸けて誓う。私は貴方を決して殺さない。又、貴方の命を狙っている人々に引き渡したりはしない」と約束した。エレミヤは「イスラエルの神、万軍の神なるヤハウェは斯う言われる。『もし貴方が新バビロニア王国の将軍達に降伏するなら、命は助かり、エルサレムは焼かれずに済み、貴方は家族と共に生き残る。しかし、もし新バビロニア王国の将軍達に降伏しないなら、エルサレムは新バビロニア王国軍の手に渡り、火で焼かれ、貴方は彼らの手から逃れる事は出来ない』と」と預言した。ゼデキヤは「私が恐れているのは、既に新バビロニア王国軍の下に脱走したユダ王国民である。彼らに引き渡されると、私は嬲り者にされるかも知れない」と心情を吐露した。エレミヤは「いいえ、彼らに引き渡される事はありません。どうか私が申し上げるヤハウェの声に聞き従って下さい。そうすれば貴方は生き長らえます。しかし降伏する事を拒むのなら、先程申し上げた通りです。ユダの王宮に残っている女達は皆、新バビロニア王国の将軍達の所へ連れて行かれこう言うでしょう『貴方の親しい友人達は、貴方を欺き押し切った。貴方の足が泥にとられると、背を向け逃げ去った』と。王子や王妃達は皆、新バビロニア王国軍の下に連行され、ゼデキヤ殿も彼らの手から逃れる事が出来ません。必ずネブカドネザル2世の手に捕らえられ、エルサレムは火で焼き払われます」と繰り返し預言した。ゼデキヤは「此の事は誰にも知られない様にしよう。そうすれば貴方は殺されないで済む。役人達は、私が貴方と話し合った事を聞き付ければ、屹度、貴方の下に来て『ゼデキヤに何を話したのか言え。殺しはしないから隠さず言え』と言うだろう。其の時は『私はゼデキヤ殿に憐れみを乞い、ヨナタンの家に送り返さないで下さい。彼処では殺されてしまいます、と言いました』と返せば良かろう」と助言した。案の定役人達はエレミヤの下に来て尋ねたが、ゼデキヤの助言通りの回答をしたので、黙って去って行き、ゼデキヤとエレミヤの会話は知られずに済んだ。
587 6 18 エルサレムの飢饉が激しくなり、食糧が底を尽きる。
587 6 ゼデキヤが、以下2名をエレミヤの下に遣わせる。
①パシュフル
②マアセヤの子で祭司のゼパニヤ
パシュフルとゼパニヤは「どうか私達の為に、私達の神、ヤハウェに祈って下さい」と、エレミヤに訴えた。其の後エレミヤはゼデキヤに対し「イスラエルの神、万軍の神、ヤハウェは斯う言われる。『もし貴方が新バビロニア王国の首長達に降伏するなら、貴方の魂は生き長らえ、エルサレムも焼かれず、貴方と貴方の家も生き長らえる。もし貴方が新バビロニア王国の首長達に降伏しないなら、エルサレムは新バビロニア王国の手に渡され、火で焼かれ、貴方自身も彼等の手から逃れる事が出来ない』と。新バビロニア王国は貴方を渡しません。どうかヤハウェの御声に、私が貴方に語っている事に聞き従って下さい。そうすれば貴方は幸せになり、貴方の魂は生き長らえます。もし貴方が降伏を拒むのならヤハウェは『見よ。ユダの王宮に残された女達は皆、新バビロニア王国の首長達の所に引き出される。聞け。彼女たちは言う。貴方の親しい友達が、貴方を唆して押し切った。貴方の足が泥に沈むと、彼等は背を向け逃げ去った。貴方の妻や子供達も皆、新バビロニア王国に引き出され、貴方自身も彼等の手から逃れる事が出来ずにネブカドネザル2世の手に捕えられ、エルサレムも火で焼かれる』と私に示されました」と預言した。
587 6 30 エルサレムが、新バビロニア王国によって破られる。そして、以下を始めとする新バビロニア王国の首長達が入って来て、中央の門の所に座を占めた。
①ネルガル・サル・エツェル
②サムガル・ネブ
③ラブサリスのサル・セキム
④ラブ・マグのネルガル・サル・エツェル(①とは別人)
ゼデキヤと全ての戦士は逃亡し、夜の間に、シロアムの池の近くの王の園の道伝いに在る二重の城壁の間の門を通って、エルサレムを出て、アラバ(現在のイスラエルの南部地区・現在のヨルダンのアカバ県)への道に出た。新バビロニア王国軍は、ゼデキヤ達を追撃した。
587 12 以下2名が、反バビロンの人々によって、エジプト第26王朝に連行される。
①エレミヤ
②バルク
586 7 15 新バビロニア王国親衛隊長ネブザラダンがカルデア人を率いエルサレムにやって来て王宮・家屋を焼き払う。アシュタロテ等の数多くの偶像も焼かれた。又、ネブザラダンと共に居たカルデア人の全ての軍勢は、エルサレムの周囲の城壁を取り壊していった。ネブザラダンは、貧しい者をエルサレムに残して葡萄を作る者とし、農夫とした上で、其の他のエルサレムの残された者・ネブカドネザル2世に降伏した者・残りの群衆を捕らえ、バビロンに移した。其の数は家長だけで832名に上った。カルデア人は、ヤハウェの宮殿の青銅の柱・青銅の車輪付きの台・海を破壊し、青銅をバビロンへ運んだ。更に以下の奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。
①灰壺
②十能
③芯切り鋏
④鉢
⑤平皿
ネブザラダンも、以下等の純金・純銀の物を奪った。
①小鉢
②火皿
③鉢
④灰壺
⑤燭台
⑥平皿
⑦水差し
更にネブザラダンは以下の人間を捕縛し、ネブカドネザル2世の居るリブラに連行した。
①祭司の頭目セラヤ
②次席祭司ゼパニヤ
③入口を守備する者3名
④戦士の指揮官で有った宦官
⑤ゼデキヤの側近7名
⑥ユダ王国民を徴兵する将軍の書記
⑦ユダ王国民60名
其の後ネブカドネザル2世は、彼らを殺害した。
586 7 18 ネブカドネザル2世がエルサレムを征服する。ソロモン神殿が破壊され、得た戦利品をバビロンへ運んだ。此れによりユダ王国が滅亡し、属州「イェハド」として併合された。ゼデキヤは脱出を試みたがエリコ(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区)の平原で捕らえられた。ゼデキヤの軍隊は離散した。そして足枷を付けてリブラへ送られ、裁判に掛けられた。ネブカドネザル2世は、ゼデキヤの目の前で、ゼデキヤの息子達やユダの主だった人々を殺害した。更にネブカドネザル2世は、ゼデキヤの目を潰し、両眼を刳り抜き、青銅の足枷を嵌めてバビロンに連行し、死ぬまで鎖に繋いだ。其の後ネブカドネザル2世は、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤを総督として指名した。
586 7 ネブカドネザル2世が、ネブザラダンに「エレミヤを釈放し、目を掛けてやれ。何も悪い事はするな。只エレミヤが貴方に語る通りに扱え」と命じる。以下の高官を始めとする全ての新バビロニア王国の高官は、14名を遣わせ、監視の庭からエレミヤを連れ出し、ラマにて釈放した。
①ネブザラダン
②ラブ・サリスのネブシャズバン
③ネルガル・サル・エツェル(ラブ・マグ)
其の際ネブザラダンは「貴方の神、ヤハウェは此の場所に災いを下すと語られた。そしてヤハウェは此れを下し、語った通りに行われた。貴方方がヤハウェの前に罪有る者となり、その御声に聞き従わなかったので、此の事が貴方方に下ったのだ。見よ、私は今日貴方の手に在る鎖を解いて貴方を釈放する。もし私と共にバビロンに行くのが良いと思うなら行きなさい。私が貴方の世話をしよう。しかし、もし私と一緒にバビロンに行きたくないなら止めなさい。全地は貴方の前に広がっている。貴方の行きたい場所に行きなさい」とエレミヤに言った。しかしエレミヤが動こうとしなかったので、ネブザラダンは「では、ネブカドネザル2世がユダの町々を委ねたゲダルヤの所へ行き、彼と共に民の家に住みなさい。或いは行きたい場所に行きなさい」と言って、食糧と品物を与えてエレミヤを去らせた。エレミヤは、ゲダルヤの下へ行く事を選択し、ゲダルヤと共に、ミツパに残されたユダの人々と共に住んだ。
586 7 ユダ王国軍の以下の長達や、モアブ人・アモン人・エドム人の領地等、凡ゆる地方に避難していたユダの人々も皆、ネブカドネザル2世がイェハドに人を残した事や、ネブカドネザル2世がゲダルヤを総督に就かせ、バビロンに連行しなかった者達をゲダルヤに委ねた事を聞き、ミツパに居るゲダルヤの下に集結する。
①エリシャマの孫でネタニヤの子のイシュマエル
②カレアの子ヨハナン
③ネトファ人タンフメトの子セラヤ
④マアカ人の子ヤアザンヤ
ゲダルヤは集結した者達に「カルデア人の役人を恐れてはならない。此の地にとどまり、ネブカドネザル2世に仕えなさい。貴方達は幸せになる。私はミツパに住んで、私達の所に来るカルデア人の前に立とう。貴方方は、葡萄酒・夏の果物・油を収穫して器に納め、自分達が手に入れた町々に住むが良い」と告げた。此れを受けて、ユダの人々は、沢山の葡萄酒と夏の果物を収穫した。又、此れ以降もエレミヤとバルクはミツパに住み続けた。
586 9 カレアの子ヨハナンと野に居た全ての将軍が、ミツパに居るゲダルヤの下を訪れ「アモン人の王バアリスが貴方を打ち殺そうとして、イシュマエルを送り込んでいるのをご存知でしょうか」と尋ねる。ゲダルヤは信じなかった。ヨハナンは「私が行って、誰にも知られない様にイシュマエルを打ち殺して来ます。貴方が打ち殺され、貴方の下に集められたユダの人々が皆散らされ、ユダの残りの者が滅びてしまっても良いのでしょうか」と進言した。しかしゲダルヤは「其の様な事をしてはならない。イシュマエルに就いて貴方の語っている事は偽りだ」と退けた。
586 9 イシュマエルが、10名の部下を率いゲダルヤの下を訪れ、食事を共にする。其の最中、イシュマエルと10名の部下が突然立ち上がり、ゲダルヤを剣で暗殺した。又、ゲダルヤと共にミツパに居たユダの人々やカルデア人、ネブカドネザル2世がミツパの監督を委ねた者も殺害された。ゲダルヤに忠実であった者達はイシュマエル達を捕える事が出来ず、ユダの人々や軍の長達は皆、ネブカドネザル2世やカルデア人の怒りを恐れて、エジプト第26王朝に、エレミヤとバルクを連れて逃亡した。
586 9 ゲダルヤが殺害された翌日、ゲダルヤの死がまだ誰にも知られない内に、以下の場所からやって来た80名の一行が、髭を剃り、衣服を裂き、身を傷付けた姿で、ヤハウェの神殿に献げる穀物の供え物と乳香を携えてミツパを通り掛かる。
①シェケム
②シロ
③サマリア
イシュマエルはミツパから出て、泣きながら歩いて行き「ゲダルヤの下へお出でください」と言って彼らを迎えた。彼らがミツパに入ると、イシュマエルは家来と共に、彼らを惨殺し、嘗てアサがバシャ率いるイスラエル王国軍の攻撃に備えて造った穴の中に投げ込んだ。しかし一行の内10名は「我々を殺さないで下さい。小麦・大麦・油・蜜等、貴重な物を畑に隠していますから」とイシュマエルに言った為、殺されずに済んだ。イシュマエルは、ネブカドネザル2世の娘達と、ネブザラダンがゲダルヤに監督を委ねていたミツパに残っていた全ての民を捕虜とし、アモン人の領地へ向かう為にミツパを出発した。ヨハナンは、将軍達と共に、イシュマエルの悪事を全て聞くと、全ての家来を率い、イシュマエル征伐の為に出陣した。そして、ギブオンの溜池の畔でイシュマエルを発見した。ヨハナンと将軍達を見た、イシュマエルと共に居た捕虜となっていた全ての民達は歓喜し、身を翻してヨハナンの下へ行った。イシュマエルは、8名の家来と共に逃亡し、アモン人の領地へ入り、逃げ延びた。ヨハナンは、イシュマエルを捕縛して新バビロニア王国に引き渡せば、報復を免れる事が出来ると考えていた。しかし、イシュマエルを取り逃した為、新バビロニア王国の報復の可能性を考え、エジプト第26王朝への逃亡を検討し始めた。
586 9 ヨハナンが、ホシャヤの子アザリヤや軍の長達等の、イシュマエルから取り返した者達を連れてエレミヤの下を訪れる。ヨハナン達は「どうか貴方の前に、我々の求めが受け入れられます様に。我々の為、此の残っている者全ての為に、貴方の神、ヤハウェに祈って下さい。そうすれば、貴方の神、ヤハウェは我々の行くべき道と、為すべき事をお示しになるでしょう」と訴えた。エレミヤは「良く分かりました。貴方方の求めに従って、貴方方の神、ヤハウェに祈りましょう。ヤハウェが貴方方に答えられる事を、何事も隠さないで貴方方に言いましょう」と返した。ヨハナン達は「もし、貴方の神、ヤハウェが貴方を遣わしてお告げになる全ての言葉を我々が行わない時は、どうかヤハウェが我々に対して真実な証人となられる様に。我々は良くても悪くても、我々が貴方を遣わそうとする我々の神、ヤハウェの声に従います。我々の神、ヤハウェの声に従う時、我々は幸を得るでしょう」と語った。
586 9 ヨハナンが、自身がイシュマエルから取り返した者達を連れてエレミヤに預言を求めた10日後、エレミヤがヨハナン達を招き預言する。エレミヤは「イスラエルの神、ヤハウェは斯う言われる。『もし貴方方が此の地に留まるならば、私は貴方方を建てて倒す事無く、貴方方を植えて抜く事はしない。私は貴方方に災いを下した事を悔いているからである。貴方方が恐れているネブカドネザル2世を恐れてはならない。私が共に居て、貴方方をネブカドネザル2世の手から救い出すからである。私は貴方方を憐れみ、またネブカドネザル2世に貴方方を憐れませ、貴方方を自分の地に留まらせる。しかし、もし貴方方が此の地に留まらず、私の声に従わず、「我々はあの戦争を見ず、ラッパの声を聞かず、食糧も乏しくないエジプト第26王朝へ行って住まおう」と言うならば、貴方方の恐れている剣はエジプト第26王朝の地で貴方方に追い付き、貴方方の恐れている飢饉は直ぐ後を追ってエジプト第26王朝まで行き、其処で貴方方は死ぬ。嘗て私が自らの怒りと憤りをエルサレムの住民の上に注いだ様に、私の憤りは、貴方方がエジプト第26王朝へ行く時、貴方方の上に注ぐ。貴方方は呪いとなり、恐怖となり、罵りとなり、辱めとなる。貴方方は再び此の地を見る事が出来ない」と預言した。ヨハナン達は「貴方は偽りを言っている。我々の神、ヤハウェが『エジプト第26王朝へ行って其処に住むな』と言わせる為に貴方を遣わされたのでは無い。バルクが貴方を唆して、我々に逆らわせ、我々をカルデア人の手に渡して殺すか、或いは捕らえてバビロンに移させるのだ」と反発した。ヨハナンは、エレミヤ・バルク・ネブザラダンがゲダルヤに渡しておいた者・軍の長・ユダの人々を連れてエジプト第26王朝へ向けて出発し、タフパヌヘス(現在のエジプトのイスマイリア県)に入った。
586 9 エレミヤが、タフパヌヘスにユダの人々を集め、彼らの見ている前で、ファラオの宮殿の入口にある敷石の間に、大きな石を埋め「イスラエルの神である天の軍勢のヤハウェは斯う言われる。『私は間違い無く、私の意の儘に動くネブカドネザル2世をエジプト第26王朝に連れて来る。そしてネブカドネザル2世の王座を今隠した石の上に据える。ネブカドネザル2世は其の石の上に王の天蓋を張り、町を破壊し、私が殺そうと思っている者を皆殺しにし、私が捕虜にしようと思っている者を捕虜にする。又、多くの者が疫病に罹って死ぬ。ネブカドネザル2世は、エジプト第26王朝の神々の神殿に火を付け、偶像を焼き、人々を奴隷にして連れ去り、羊飼いが衣服に付いた虱を潰す様に、エジプト第26王朝を踏み潰し、しかも無傷で去る。ヘリオポリス(現在のエジプトのカイロ県)に在る偶像の記念塔は壊され、エジプト第26王朝の神々の神殿も焼き払われる』と」と預言した。更にエレミヤは、以下の地域に住む全ユダヤ人に就いて預言した。
①ミグドル(現在のエジプトのポートサイド県)
②タフパヌヘス
③メンフィス(現在のエジプトのギーザ県ミート・ラヒーナ)
④エジプト第26王朝南部
「イスラエルの神である天の軍勢のヤハウェは斯う言われる。『お前達は、私がエルサレムとユダ王国の全ての町にした事を見た。其れ等の町々は、甚だしい悪の為の灰になり、廃墟となって、今は住む者が誰も居ない。自分自身も先祖も知らない神々を拝んで私の怒りを買ったからだ。私は、私の僕である預言者を送って、私の憎んでいる此の様な恐ろしい事をしない様、何度も警告し、説得して来た。其れなのに、彼らは少しも言う事を聞かず、悪の道を捨てなかった。そして神々に生贄を捧げ続けた。其の為私の怒りは爆発し、火の様にエルサレムとユダ王国の町々に燃え移り、現在の様な廃墟と化したのだ』と。ヤハウェは貴方方に尋ねます。『何故お前達は自ら命を断とうとしているのか。ユダ王国から逃げて此の地に来た者は男・女・子供は勿論、抱かれている乳飲み子さえ、1人として死を免れる事は出来ない。お前達はエジプト第26王朝へ来てまで偶像を拝み、香を焚いて、私の怒りを掻き立てている。だからお前達を徹底的に滅ぼし、全世界の国々の呪いとし、嫌われ者とする。お前達は、エルサレムとユダ王国での先祖の罪、ユダ王国国王と王妃達の罪、お前達自身の罪、其れにお前達の妻の罪を忘れたのか。今此の時迄詫びた者は誰も居ない。1人として私に立ち返ろうとせず、私がお前達の先祖に与えた掟に従おうともしない』と。其の為ヤハウェは斯う言われる『私は怒りで全身が熱くなった。お前達を1人残らず滅ぼす。エジプト第26王朝に来る事を強く主張した生き残りのユダヤ人を皆殺しにする。彼らは此のエジプト第26王朝で倒れ、飢饉と剣で命を失い、身分の高い者も低い者も1人残らず死ぬ。彼らは蔑まれ、忌み嫌われ、呪われる。私は、エルサレムの住民と剣と飢饉と疫病で罰した様に、エジプト第26王朝に居る彼らを罰する。此処に来た事を悔い、他の者と別れてユダの町々に帰る者の他は、誰1人として、私の憤りから逃げる事は出来ない』と」
此れを聞いたエジプト第26王朝南部のユダヤ人の男達は声を1つにして「そんな偽のお言葉には同意出来ません。好きな様にさせて下さい。先祖や歴代のユダ王国国王、主だった人達が、エルサレムやユダ王国の町々で何時もしていた様に、天の女王に思う存分に香を焚きたいのです。あの頃は食糧が沢山有り幸せでした。ところが、天の女王に香を焚いて拝むのを止めてからは、災い続きで、剣と飢饉に倒れて来たのです」と言い返した。其れに呼応して女達も「私達は夫と相談して天の女王を拝み、葡萄酒を注ぎ、天の女王に模ったケーキを作ったのです。黙って内緒でした訳ではありません」と訴えた。エレミヤは「貴方方や、貴方方の先祖、ユダ王国国王、主だった人達、其れに全てのユダ王国民が、エルサレムとユダの町々で偶像に香を焚いていた事をヤハウェはご存じ無いと思うのですか。ヤハウェが貴方方の悪に我慢出来なくなったので、ユダ王国は今の様に荒れ果て、徹底的に破壊され、呪われ、誰も住まない土地になったのです。こんな恐ろしい運命に見舞われた抑の原因は、貴方方が香を焚き、ヤハウェに罪を犯し、ヤハウェに従う事を止めた事に有ります」と返した。続けてエレミヤは全員に向かって「エジプト第26王朝に住む全てのユダヤ人はヤハウェのお言葉を聞きなさい。イスラエルの神である天の軍勢のヤハウェは斯う言われる。『お前達も妻も、天の女王に生贄を捧げる事を絶対に止めないと言った。しかも其の事を態度で証明して来た。其れなら天の女王に誓った事を果たすが良い。だが、エジプト第26王朝に住む全てのユダヤ人よ。私の言う事を良く聞きなさい。此れからは「ヤハウェよ、どうか助けて下さい」と言って、私の助けと祝福を求めても無駄だ。私はお前達に目を留めるが、祝福の為では無い。災いが直接襲う様にする為だ。だから、お前達は戦争と飢饉で倒れ、終には死に絶える。ユダの町々に帰るほんの一握りの者だけは、私の憤りに遭わない。だがユダの町々に帰る事を拒み、エジプト第26王朝に居座る者は皆、本当の事を言っているのが私であるか、それとも彼らであるかをいやという程思い知る。私が前々から警告していた事は皆実現し、私は此の地でお前達を罰する。此れが私の言葉が正しいという証拠だ。私は、ユダ王国をネブカドネザル2世に渡した様に、アプリエスを、彼の命を狙う者の手に渡す』と」と預言した。
582 新バビロニア王国がアモンとモアブを降伏させる。其の際、エジプト第26王朝の攻略が為された。
582 ネブザラダン達の手により、ユダの人々745名がバビロンに連行される。
562 10 ネブカドネザル2世が崩御する。此れにより、ネブカドネザル2世の息子のアメル・マルドゥクが第3代新バビロニア王国国王に即位した。
560 3 21 アメル・マルドゥクが、エホヤキンに情けを掛けて釈放する。マルドゥクはエホヤキンを手厚く持て成し、バビロンに居た王達の中で、最も高い位を与えた。エホヤキンは獄中の衣を脱ぎ、其の後は生涯新バビロニア王国国王の前で食事をし、生活費を新バビロニア王国国王に支給された。
550 ギリシャのペロポネソス半島で盟主を都市国家スパルタとした、諸ポリス(古代ギリシアの軍事国家)間で軍事同盟であるペロポネソス同盟が結ばれる。以降約50年間多くのポリスと同盟を結んだ。
550 第7代ペルシア王国国王キュロス2世が、第4代メディア王国国王アステュアゲスを破り、メディア王国が滅亡する。
546 カッパドキア(現在のトルコの中央アナトリア)の領有を巡り、リディア王国最後の王のクロイソスとキュロス2世が争い、キュロス2世が制し、リディア王国が滅亡する。
546 キュロス2世の命により、首都パサルガダエ(現在のイランのファールス州)の建設を開始する。
539 10 29 キュロス2世がバビロンに無血入城し、新バビロニア王国が滅亡する。
538 キュロス2世が、バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放し、故国への帰還を許可する。そして、ゼルバベルの指揮でエルサレム神殿(第二神殿)の建設に取り掛かるが、周囲のサマリア人たちの妨害によって中断させられた。神殿再建が挫折したユダヤ人は失意のうちにあったが、預言者であるハガイ・ゼカリヤが立ち上がり、指導者ゼルバベルとヨシュアを奨励した。
515 エルサレム神殿(第二神殿)が完成する。
500 ギリシャの医師ヒポクラテスがアヘンの鎮痛作用について記述する。
478 ペルシア帝国の来襲に備えアテナイ(現在のギリシャのアテネ)を盟主とした、諸ポリス間の軍事同盟であるデロス同盟がデロス島で結ばれた。
431 5 エウリュポン朝スパルタ王のアルキダモス2世がペロポネソス同盟軍を率い、古代ギリシアのアティッカ(現在のギリシャのアテネ周辺)を攻める。
430 ギリシャのアテネで伝染病が発生する。
400 旧約聖書が完成する。
400 ヒポクラテスが、ヤナギの樹皮を熱や痛みを軽減する為に用い、サリチル酸が含まれているヤナギの葉を分娩時の痛みを和らげる為に使用していた。
352 第31代秦君主孝公が咸陽城を造り、咸陽に遷都する。
334 アレクサンドロス3世がゴルディオン(現在のトルコ)の神殿で軍を増強する。
334 5 アルゲアス朝マケドニア王国のバシレウスのアレクサンドロス3世が首都ペラから東方遠征開始。
334 5 グラニコス川(現在のトルコビガ川)河口から約10kmの湖畔で、アレクサンドロス3世が、アケメネス朝ペルシアの在地軍及びメムノン麾下の傭兵部隊を破った。自身は、背後からペルシアの武将スピトリダテスに襲われたが、側近将校のクレイトスがスピトリダテスの腕を切り落とし、助けられた。生涯で最も危ない場面であった。
333 11 5 イッソス(現在のトルコのハタイ県イスケンデルン)にてアレクサンドロス3世がアケメネス朝ペルシア最後の王のダレイオス3世と最初の直接対決を行い、破った。ダレイオス3世は逃亡した。
331 10 1 ティグリス川東岸のガウガメラ(現在のイラク北部)という小村の平原にて、アレクサンドロス3世がダレイオス3世と遭遇し、再び破った。戦闘半ばに戦場を離脱したダレイオス3世を約90km南のアルベラまで徹宵追跡したが、及ばなかった。
330 アレクサンドロス3世がイランの首都ペルセポリスを破壊する。ペルシアのバクトリアの総督のベッソスが仲間と共謀し、第16代アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世を殺害する。アケメネス朝ペルシア帝国が滅亡する。
323 6 10 アレクサンドロス3世が、バビロンの新バビロニア王国第2代王のネブカドネザル2世の宮殿で崩御。ディアドコイ(後継者)を決めなかった為、争いが起こる。主なディアドコイ候補は以下。
①エウメネス(書記官として仕えた)
②アンティゴノス1世(将軍として仕えた)
③セレウコス1世(家臣として仕えた)
④プトレマイオス1世(将軍として仕えた)
⑤カッサンドロス(将軍として仕えたアンティパトロスの子)
⑥リュシマコス(側近護衛官として仕えた)
317 マウリヤ朝がパトナ(現在のインドのビハール州)に成立。
250 数学者アルキメデスが著書「円周の測定」を記し円周率に関し、正96角形より
223 71 <π< 22 7
3.14084<π<3.14286
から2桁の精度を得る。
221 第31代秦君主始皇帝が中国を統一し、初代秦皇帝となる。
210 秦の宦官の趙高と、宰相の李斯が始皇帝の遺書を書き換え、長子の扶蘇を抑え、末子の胡亥を第2代皇帝にする謀略を実行した。
210 扶蘇が自害する。
210 胡亥が第2代秦皇帝に即位。
210 9 10 始皇帝が巡幸の道中で崩御。
209 河南省の南陽市方城県の貧農出身であった陳勝と周口市太康県出身の呉広が大沢郷(現在の安徽省宿州市)で900名の徴用農民を率いて反乱を起こす。そして、陳県(現在の河南省准陽区)を占領し、張楚国を建国して陳勝が王となるが、6ヶ月後鎮圧される。
209 秦の武将項羽が、同じく武将の項梁に従い、会稽郡役所に赴いて、項梁に命じられて会稽郡守の殷通の頭を斬り落とした。さらに、襲いかかってきた殷通の部下百人近くを一人で殺した。
208 李斯が咸陽にて腰斬の刑で死去。
207 丞相であった趙高と、その娘婿であった閻楽等が共謀して第2代秦皇帝胡亥を自害に追い込んだ。
202 漢が中国統一。
202 2 28 劉邦が前漢の初代皇帝に即位する。
200 古代ローマにエレベーターが存在していた。
200 日本で神道が始まる。
167 第8代セレウコス朝シリア王アンティオコス4世エピファネスが、エルサレム神殿にゼウスやオリンポスの神を導入し、ユダヤ教禁止令を発布し、ユダヤ人をヘレニズム(ギリシャ主義)化しようとする。従わないユダヤ教徒に対し迫害を行った為、殉教者が続出した。
166 ユダヤ人を指導した祭司である、初代ハスモン朝指導者マタティアが死去し、息子のユダ・マカバイが第2代指導者となる。
160 ユダ・マカバイが戦死し、弟のヨナタンが第3代ハスモン朝指導者となる。
145 第11代セレウコス朝シリア王アレクサンドロス1世バラスが暗殺される。
142 セレウコス朝シリアの将軍ディオドトス・トリュフォンが、プトレマイス(現在のイスラエル北部地区アッコ市)でヨナタンを捕える。これにより兄のシモンが第4代ハスモン朝指導者となる。ヨナタンは身代金を支払っても解放されず、処刑された。シモンは遺体を引き取り、故郷モディーン(現在のイスラエル中央部)に葬った。シモンは父母と兄弟のピラミッドを建て、ギリシャ風の装飾を施した。
142 第12代セレウコス朝シリア王デメトリオス2世ニカトルが、ユダヤ人の自治を認めエルサレムから完全撤退する。ハスモン朝は独立国家となった。この年をハスモン家元年とする独自のコインを発行し、ローマとの間に外交関係を結んだ。
141 3 9 武帝が前漢の第7代皇帝に即位する。
139 張騫が大月氏国(現在のソグディアナ(現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州))に赴き、中国の絹をもたらした。途中匈奴に捕らえられ、10年近く過ごしたが、抜け出し、大宛(フェルガナ(現在のウズベキスタンフェルガナ州))、康居(現在のカザフスタン南部)を通過して辿り着いた。後のシルクロードの元となる。
139 牧師ヒスパヌスが共和政ローマ市民ではない全てのユダヤ人を追放する法令を発する。
126 張騫が前漢に帰国する。西域の情報を国内に伝える事となった。
70 ローマ人が製粉する際に水車を利用していた。
69 10 6 ティグラノセルタ(現在のトルコのディヤルバクル県)にて執政官ルキウス・リキニウス・ルクッルス率いる共和政ローマ軍と、第4代アルタクシアス朝アルメニアの王ティグラネス2世率いるアルメニア軍の戦闘が行われ、共和政ローマ軍がアルメニア軍を破る。ルクッルスの幕僚等は当初、紀元前105年10月6日に共和政ローマ軍が敗れたアラウシオの戦いと同日であった事から、開戦を思い留まる様説得したが、ルクッルスは「宜しい、それではこの日をローマ人にとって吉日と変えてみせよう」と答えたと言う。
64 共和政ローマ政務官グナエウス・ポンペイウスがセレウコス朝シリアの王アンティオコス13世を退位させ、セレウコス朝シリアを滅ぼす。
63 前年滅ぼされたセレウコス朝シリア領が共和政ローマ属州となる。
63 グナエウス・ポンペイウスがフェニキア、コイレ・シリア(現在のシリア南部)、ユダヤ(現在のパレスチナ南部)を征服する。
60 共和政ローマのガイウス・ユリウス・カエサルが、グナエウス・ポンペイウス、マルクス・リキニウス・クラッススの間を取り持ち、3名で秘密裏に盟約を結び、元老院に対抗しようとした。
44 イタリアのシチリア島のエトナ山が噴火する。
44 3 15 ガイウス・ユリウス・カエサルが、元老院による共和政を維持しようとした勢力に暗殺される。
43 アメリカのアラスカ州ウムナック島にあるオクモク山が噴火する。
37 9 エルサレムは陥落し、第11代ハスモン朝指導者アンティゴノスはシリア総督ソッシオスに降伏した。アンティゴノスは助命を嘆願したが、ソッシオスは彼を「アンティゴネー(アンティゴノスの女性名)」と呼んで嘲笑し、捕縛した。アンティゴノスはアンティオキア(現在のトルコのハタイ県)に送られ、共和政ローマの軍人及び政治家であるアントニウスに斬首された。ヘロデがヘロデ朝を創設し、自ら王となる。
30 ローマ帝国の建築家ウィトルウィウスが円周率に関し以下の式から2桁の精度を得た。
π= 25 8
=3.125
27 ローマ帝国成立。
20 ヘロデがエルサレム神殿の拡張を始める。
4 5 20 イエス・キリストが生誕。



ユダ王国一元化




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