万物の系譜

西暦1,901〜1,925年

以下の暦は全て西暦に変換しています。
日本の旧暦
中国の旧暦
ユダヤ暦
ヒジュラ暦
ソビエト連邦暦
フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。


年代選択画面に戻る



731部隊のペスト菌・コレラ菌・チフス菌散布一元化

年月日 出来事
1,901 イギリスのウィリアム・ノックス・ダーシーが、第5代ガージャール朝シャーのモザッファロッディーン・シャーから石油の探索、採掘権を買い取る。
1,901 アウグスト・ホルヒ社の第1号車が完成する。
1,901 ジェームズ・ローブが、クーン・ローブ商会を退職する。
1,901 1 18 初瀬が竣工する。其の後の日露戦争では、第一艦隊第一戦隊の3番艦として戦闘に参加した。
1,901 2 25 ジョン・モルガンとエルバート・ヘンリー・ゲーリーが株を保有していた「連邦鉄鋼会社」とアンドリュー・カーネギーが保有していた「カーネギー鉄鋼会社」の合弁でペンシルベニア州ピッツバーグに「USスチール社」が設立される。
1,901 3 ニコラ・テスラが、自身のシステムが、グリエルモ・マルコーニや他の無線発明家のものを超える特許に基づいており、優れている事、そして主要な競争相手である大西洋横断電信ケーブルの性能を遥かに上回る事を保証した上で、モルガンは、此のプロジェクトの主要な投資家となる事を承諾し、契約を交わす。モルガンは、27.432mの送信塔及び発電所を有する無線ステーションを建設する為に、テスラに150,000ドルの資金提供を行った。此のステーションは、ロンドンや会場の船舶に無線メッセージを送信する能力を持つ予定であった。此の契約にはモルガンが会社の51%の株式と、此のプロジェクトから生まれた現在及び将来開発される無線特許の51%の権利を持つ事も含まれていた。西部の弁護士兼銀行家のジェームズ・S・ウォーデンも、テスラの世界無線システムに賛同し、「ラジオシティ」を建設する為に、ショアハム(アメリカのニューヨーク州サフォーク郡)の土地を購入した。そして、ニューヨーク州道25A号線沿いの7,284,600㎡のジャガイモ農場の一部である、809,400㎡をテスラに提供した。其の場所は鉄道路線から近く、其れを利用して、無線通信塔と研究施設を建設する為の資材を運び込んだ。ウォーデンは最終的に、テスラの工場で働く2,000〜2,500名の従業員の為の住宅の建設を計画していた。
1,901 3 20 徳川慶喜と徳川昭武が、上野発7:30の汽車で藤代に狩猟に出かける。
1,901 3 21 ニコラ・テスラが、ウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーの産業部門であるピッツバーグ(アメリカのペンシルベニア州)に所在する「ウェスチングハウス・エレクトリック・カンパニー」に、発振器に電力を供給する為に必要な変圧器と発電機の製造を依頼する。テスラ自身も、エンジニアと緊密に協力して装置を設計した。又、テスラの友人で建築家のスタンフォード・ホワイトは、発電所と発振器を収容する実験室の建物を設計した。
1,901 4 ショアハムに「ウォーデンクリフ郵便局」が設置される。
1,901 4 9 豊田佐吉が、自身の発明した糸繰返機の特許出願を行う。
1,901 5 クーン・ローブ商会の資金提供を受けたエドワード・ヘンリー・ハリマンが、ジェームズ・ジェローム・ヒル及びJ.P.モルガン商会と争った結果、ノーザン・パシフィック鉄道の経営権を獲得する。此れは恐慌を引き起こした。
1,901 6 ロシア帝国の石油生産量の分布は以下の通りであった。
①ノーベル兄弟産油会社:93,366t
②カスピ海・黒海石油産業貿易会社:63,882t
③バクー石油協会:55,692t
1,901 6 13 ジョン・ロックフェラーが「ロックフェラー医学研究所」を設立する。研究所の設計はフレデリック・テイラー・ゲイツが行い、設立と同時に理事長に就任した。理事会にはアメリカの病理学者・細菌学者であるサイモン・フレクスナー、ゲイツが名を連ねていた。
1,901 6 25 京城(現在の韓国ソウル)-釜山間の鉄道敷設の為、京釜鉄道が資本金25,000,000円で設立される。取締役会長には渋沢栄一が就いた。
1,901 7 ニコラ・テスラがジョン・モルガンに対し、タワーの高さを当初の設計の2倍にするプロジェクトの変更計画と、其れを実現する為に更に多くの資金が必要である事を伝える。テスラは、タワーの高さが2倍になる事で、ヨーロッパにメッセージを送る事が出来るだけで無く、全世界に到達することも可能になると説明し、競合相手に先んじる方法として、そして投資から遥かに大きな利益を確保する手段として、より壮大な計画を説明した。しかし、テスラが提案した計画は事実上契約違反であった為、モルガンは追加の資金提供を拒否し、既に使われた資金の明細を要求した。テスラは、モルガンからの追加の資金調達には失敗したものの、プロジェクトを続行した。91mや180mのタワーの建設案を検討したが、建築家スタンフォード・ホワイトは、180mのタワーの建設には450,000ドル掛かると見積もり、断念せざるを得なかった。最終的に、57mのタワーを建てるという案に落ち着き、工事を進めて行く事となった。テスラが此の変更計画を打ち出した背景として、モルガンが年に1度の長期滞在の為にヨーロッパへ行っていた間に、グリエルモ・マルコーニがテスラの装置を模倣している事を情報をテスラが掴んだ事が有った。
1,901 7 30 ニコラ・テスラが、ウォーデンクリフに無線電信工場と電気研究所を即時建設する契約を締結する。テスラが最近取得した30.48㎡の土地に、30日以内に工場の建設を開始する、とした。更に、其の後建設予定の発電所は220,650Wである、とした。面積が28.6512㎡で、高さが2階建ての建物と同じの、煉瓦造りの建物が建設され、数ヶ月で完成した。其の76.2m南には、電波塔「ウォーデンクリフ・タワー」のコンクリートの基礎が築かれた。テスラは、発電所の為の100馬力の蒸気エンジンを2台発注した。
1,901 8 19 豊田佐吉が、同年に自身の出願した糸繰返機の特許(第4809号)を取得する。
1,901 9 ニコラ・テスラがショアハムにて、ウォーデンクリフ・タワーの建設に着手する。しかし、まだ此の時点でジョン・モルガンから150,000ドルの資金提供が行われていなかった為、スタンフォード・ホワイト宛に、差し押さえに直面しているという主旨の書簡を送った。テスラはモルガンに資金提供の増額と、グリエルモ・マルコーニに対する自身のプロジェクトの優位性を訴える書簡を送り続けた。
1,901 10 24 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,901 11 ピーボディ教育基金代理人兼ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーが「南部教育委員会」設立を提唱し、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツにより、ピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金が合併され、南部教育委員会が設立される。
1,901 11 ヨシフ・スターリンが、マルクス主義政党であるロシア社会民主労働党のトビリシ(現在のジョージア)委員会委員に選出される。
1,901 11 ヨシフ・スターリンがバトゥミに入る。其の後フランス・ロスチャイルド商会が経営する製油所で雇用され、2度労働者ストライキを共謀して実行した。ストライキを首謀者の内数名が逮捕された後、スターリンは大規模な抗議デモを組織したが、デモ隊が監獄を襲撃した事でロシア帝国軍がデモ参加者に発砲し、13名が死亡した。其の犠牲者達の葬儀の当日、スターリンは再度抗議デモを実行した。
1,901 11 ウォーデンクリフの発電所に、ニコラ・テスラが発注した100馬力の蒸気エンジン2台が設置される。其の後、ウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー製の300kWのオルタネーターが設置された。
1,901 12 シェル運輸貿易会社が、スタンダード・オイルとの提携交渉を打ち切り、オランダ領東インド石油開発会社と提携する。
1,901 12 豊田佐吉が、井桁商会の技師長を辞任し、退職する。
1,901 12 10 第1回ノーベル賞授賞式が、スウェーデン王立音楽アカデミー(スウェーデンのストックホルム県ニーブロビケン)の大ホールにて執り行われる。遺言執行者が全ての関係者を説得し、アルフレッド・ノーベルの遺言の内容に従う様説得し、此の授賞式に至る迄に5年の歳月を要した。受賞者は此の授賞式迄伏せられ、此の式で公表された。受賞者は以下の通り。
①ノーベル物理学賞:X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン
②ノーベル化学賞:熱力学に於いてファントホッフの法則を発見したヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ
③ノーベル医学・生理学賞:ジフテリアに対する血清療法を研究したエミール・アドルフ・フォン・ベーリング
④ノーベル文学賞:共和政ローマの詩人ルクレティウスがヘレニズム時代の哲学者エピクロスの思想を詩にした「事物の本性に就いて」をフランス語に翻訳したシュリ・プリュドム(此の日は病気の為欠席、フランスの大臣が代理出席)
⑤ノーベル平和賞:赤十字社を設立したアンリ・デュナン(此の授賞式には参加せずクリスチャニア(現在のノルウェーのオスロ)で授与)
此の大ホールは質素な造りであったが、宮廷建築家アギ・リンデグレンが監修し、豪華に装飾された。スウェーデン王立オーケストラが演奏する舞台は、松の枝等で装飾され、舞台の中央には、青と金のリボンで結ばれた巨大な月桂樹の冠の下に、白いアルフレッド・ノーベルの胸像を載せた大きな広いオベリスクが在った。前面には演壇が在り、物理学、化学、医学・生理学、文学と刻まれた4本のオベリスクが立っていた。舞台の前には、スウェーデン王室の肘掛け椅子が3脚在り、其の後ろには、受賞者・プレゼンター・出席者の為の半円形の椅子が配置された。レントゲン・ホッフ・ベーリング・プリュドムの代理のフランスの大臣の順に入場し、最後にスウェーデン王族が入場した。スウェーデン皇太子グスタフ5世が中央に立っていた。本来第4代ベルナドッテ王朝スウェーデン国王オスカル2世が出席する所であったが、スウェーデン・ノルウェー連合の崩壊の危機の為、クリスチャニアに行かざるを得なかった為、オスカル2世の長男グスタフ5世が、グスタフ6世アドルフ・オスカル2世の四男エウシェンと共に参加した。スウェーデン王族は受賞者やプレゼンターに略背を向ける形で着席した。其の後、スウェーデン王立オーケストラが、スウェーデンの作曲家ルードヴィグ・ヌールマン作曲の祝祭序曲を演奏した。そして、ノーベル財団会長で第7代スウェーデン首相を務めたエーリク・グスタフ・ボストロムが、ノーベルの生涯・人柄・発見・自らの財産から毎年賞金を出して人類に貢献したいというノーベルの願いをスピーチした。次に、スウェーデンの詩人でスウェーデン王立科学アカデミーの終身書記官のカール・ダーヴィド・アフ・ヴィルセンが詩を朗読し、男性カルテットが、伝統の学生歌を合唱した。次に、受賞者を選定した以下の2機関による、ノーベル賞の授与が行われた。
①スウェーデン王立科学アカデミー
②カロリンスカ研究所
先ず、スウェーデン国立公文書館(スウェーデンのストックホルム県フィールヴェルカルバッケン)館長でスウェーデン王立科学アカデミー会長のクラス・ヨナス・テオドール・オドネルが、レントゲンとホッフの業績を語り、講壇から降りると、レントゲンとホッフに前に進ませ、グスタフ5世が彼らに賞状とメダルを渡した。次に、カロリンスカ研究所所長でスウェーデン王立生理学協会(スウェーデンのスコーネ県ルンド)の会員のカール・アクセル・ハンプス・メルナーが登壇し、ベーリングの業績に就いて語り、同じく賞状とメダルを受け取らせた。最後に、プリュドムの象徴詩「割れた花瓶」の一部を朗読した。斯うして授賞式は終わり、スウェーデン王立オーケストラがスウェーデンの作曲家アウグスト・セーデルマンの行進曲を演奏し、スウェーデン王族が立ち上がり、軈てホールには誰も居なくなった。其の後、スウェーデン王立音楽アカデミーから近くのグランドホテルで晩餐会が開かれた。
1,901 12 12 グリエルモ・マルコーニが、ポルドゥー(イギリスのイングランドのコーンウォール)からシグナルヒル(カナダのニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ)まで、「S」を意味するモールス符号の送信に成功する。ニコラ・テスラは、此の実験の成功に動じず、此の送信を成功させる為に自分の特許を少なくとも17件無断で使用したと説明した。マルコーニが使用した装置は、安価な単一回路の送信機で、テスラの物と比べると粗末であった。小さな建物に収められ、重い木製のレバーで操作された。又、テスラの世界無線システムプロジェクトで構想していた、複数の周波数で実現した無数の無線チャンネルによる、音声や画像の伝送に比べ、マルコーニは少数のチャンネルでパルス信号を送信する事しか出来ず、チューニング選択に就いても理解していなかった。しかし、ジョン・モルガンのテスラに対する信頼は揺らいでいった。
1,902 エグラー家の時計工房が、アンクル脱進機を搭載した女性用腕時計の量産を開始する。
1,902 モスクワ石油工業会が、フランス・ロスチャイルド商会のバックアップにより、以下の土地での油田探査・開発を行う。
①グロズヌイ
②クバーニ地方(現在のロシア・ウクライナ)
③マイコープ
1,902 ベチュアナランドへの鉄道建設に関し、ソールズベリー(現在のジンバブエのハラレ州)までの敷設が完了する。
1,902 豊田佐吉が、豊田商店を「豊田商会」と改め、以下の3ヶ所に工場を建設する。
①愛知県名古屋市東区武平町
②愛知県名古屋市東区西新町
③現在の愛知県豊田市島崎町
佐吉は、織布業を始めとする経営を、自身の弟豊田佐助・林浅子に任せ、自身は織機の研究に専念した。研究を進めるに連れて、従来の動力織機では、木管の横糸を切らす度に、補充の為に運転を停止しなければならず、生産性が悪かった。其の点を改善する為に、自動で横糸を補充する装置の開発に取り組んだ。又、此れ迄小幅・半木製だった織機を、広幅・鉄製の力織機へ改良していった。
1,902 アウグスト・ホルヒ社が、本社をライヒェンバッハ(現在のドイツのザクセン州)に移転する。
1,902 ポール・ウォーバーグが、ニューヨークに定住を始める。同年ウォーバーグは、ジェイコブ・シフの妻テレーズ・ローブの妹と結婚し、クーン・ローブ商会のパートナーとなった。又同年、ポールの弟でモーリッツ・モーゼス・ウォーバーグの四男フェリックス・ウォーバーグが、ジェイコブ・シフの娘フリーダ・シフと結婚し、ポールと同様に、クーン・ローブ商会のパートナーとなった。ポールは其の後も、ハンブルクの同族企業のパートナーであり続けた。ポールはニューヨークに定住後、エマヌエル寺院(現在のアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区イースト65番ストリート)の会員となった。
1,902 ヴィッカース・サンズ&マキシム社が、ライバルである造船・エンジニアリング会社のウィリアム・ベアードモア&カンパニーの株式の半数を取得する。
1,902 1 ニコラ・テスラがジョン・モルガンに対し、研究内容を説明する書簡を送る。其の中で、以下のステップを踏む事を示唆した。
①微量のエネルギーを伝達し、感度の高い機器でも殆ど感知出来ない微弱な効果を生み出す。
②感度の高い装置を必要とせず、少量の電力を必要とする凡ゆる種類の装置の確実な動作を可能にする、顕著な量のエネルギーを伝送する。
③産業的に意義のある量の電力を送信する。現在取り組んでいるプロジェクトが完了すれば、第1段階が達成される。
1,902 1 15 第30代ニューヨーク商工会議所会長モリス・ケッチャム・ジェサップの自宅にて以下の人間が集まり「GEB(一般教育委員会)」設立の為の会談が持たれる。
①ジョン・ロックフェラー・ジュニア
②南部教育委員会会長ロバート・カーティス・オグデン
③ハンプトン大学(アメリカのバージニア州)理事ジョージ・フォスター・ピーボディ
④ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー
⑤ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学(アメリカのアラバマ州)理事ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア
⑥バプテスト派牧師ウォレス・バトリック
1,902 1 30 ロシア帝国の極東進出への対抗を目的とした日英同盟が結ばれる。
1,902 2 8 此の時点で、ニコラ・テスラが、ウォーデンクリフに発電所を建設し、36.576mの掘削が行われ、ウォーデンクリフ・タワーの基礎が据えられた。此のタワーは、銅のガセットで接合された木製の梁で地上で組み立てられ、クレーンで所定の位置に吊り上げられた約50,000本の青銅ボルトで出来ていた。磁気ヒステリシスにより発熱と電力損失が発生する為、鉄金属は使用されなかった。発電所は30.48㎡の広さで、圧縮煉瓦で造られた。以下の設備を有した。
①ボイラー室
②エンジン室
③ダイナモ室
④8台の金属旋盤を備えた機械工場
⑤実験室
ボイラー・エンジン・ダイナモ・其の他電気機器は、ウェスチングハウス・エレクトリック・カンパニーの管理下に置かれた。発電所の周囲はフェンスで覆われ、内部で働く者以外は中を見る事は出来なかった。ウォーデンクリフ・タワーは八角形で、寸法は、高さ56.9976m・底辺の直径30.48m(最小部分が28.956m)・頂部の直径は20.7264mで、頂上には、直径20.7264mで重さ55tの銅のメッシュドームが取り付けられた。此れは、銅電極としての役割を果たす為に設置され、いつでも取り外して交換出来る様に設計された。マルチストランドケーブルで、シャフトの終端を球体の周囲に接続した。最終的には、リブ付きケージを銅板で囲み、絶縁された金属球を形成する予定であった。主に木材で建設されるが、50tの鉄鋼と様々なサイズのボルト50,000本が使用される。此の時点でタワーの中には、365.76㎡で深さ36.576mの井戸が掘られており、其処にシャフトが埋め込まれた。又銅管が45.72mの深さまで打ち込まれて、良好なアース接続が確保された。更に、16本の鉄管が91.44mの深さまで打ち込まれ、電流が地中を通過出来る様にした。掘られた部分全体が20.32cmの厚みの木材で覆われ、最終的には、煉瓦とセメントで仕上げられる予定であった。井戸に下りる階段は略完成していた。階段は全て木で作られ、木の釘で固定された。又、キューポラに繋がっている階段とリフトが備えられた。又、井戸の底横切る様に30.48mの4つのトンネルが掘られ、作業員によって、此れ等の地下通路の作業が始められていた。電気設備に関しては、仕上げの作業が終われば直ぐにでも稼働開始出来る状態であった。此のタワーと井戸は、建築家スタンフォード・ホワイトが担当し、ホワイトの仲間であるイースト・オレンジ(アメリカのニュージャージー州)のW・D・クロウが、実験室の建設工事を監督して、完成迄に1年以上を費やした。テスラは後に此れと同じ頂部に球体を持ったタワーを更に2つ作ろうとした。各発電所に1つずつ設置し、152.4mの深さの井戸を掘り、井戸の底の水は温かく保たれ、一定の温度に保つ予定であった。
1,902 2 22 エコー紙が、ニコラ・テスラによって建設されたウォーデンクリフの発電所に関し、以下の報道を行う。
「現在ウォーデンクリフに建設中の巨大な無線電信設備は、グリエルモ・マルコーニとニコラ・テスラの本当の戦いの始まりを示しています。マルコーニはこれまで、無線電信でメッセージを送信する方法を 1 つしか見つけていません。空中です。テスラは 2 つの方法を試します。巨大なタワーを使って空中にメッセージを送信します。又、巨大な井戸を使って地面にメッセージを送信します。テスラが最大の成功を収めると考えているのは後者の方法です」
1,902 2 27 ジョン・ロックフェラー・ジュニアの自宅に、主に以下の人間が集まり会談が持たれる。会談終了間際にジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供が発表され、人種・性別・信条の区別なく全米で教育を促進する事を名目に、GEBが設立された。此の設立に於いて重要な役割を担ったフレデリック・テイラー・ゲイツは、理事に就任した。
①ロバート・カーティス・オグデン
②ジョージ・フォスター・ピーボディ
③ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー
④ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア
⑤ウォレス・バトリック
⑥アメリカ国家公務員改革連盟会長兼アメリカ東洋協会会長ダニエル・コイト・ギルマン
⑦イギリスの月刊誌レビュー・オブ・レビューズのアメリカ版編集長アルバート・ショー
⑧ニューヨークの出版社ダブルデイ及びペイジ&カンパニーのパートナー兼副社長ウォルター・ハインズ・ページ
⑨ニューヨークの民主党政治家エドワード・モース・シェパード
しかしGEB設立の真の狙いは、アメリカの大学の医学部で自然医学の研究を止めさせ、以下を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事であった。
①栄養療法
②植物療法
③ハーブ療法
④ホリスティック医学
1,902 3 1 三笠が竣工される。其の後三笠は連合艦隊に編入され、第2代旗艦となった。
1,902 3 7 豊田佐吉が、前年に自身の出願した織機の特許(第5241号)を取得する。
1,902 4 ヨシフ・スターリンがロシア帝国当局により逮捕されバトゥミ監獄に収容される。其の後クタイシ(現在のジョージアのイメレティ州)監獄に移った。
1,902 4 J.P.モルガン商会が、ボーア戦争に於けるイギリス政府のコンソル公債発行の主幹事となる。J.P.モルガン商会は、4度に渡るイギリス政府によるボーア戦争債券をニューヨークで販売した事で得られたドル資金を、其の儘ニューヨークで金に交換し、ロンドンのJ.S.モルガン商会へ送った。J.S.モルガン商会はそれをポンドに替えた。
1,902 5 20 キューバがスペインの植民地支配から独立する。
1,902 6 ニコラ・テスラが、実験室をイースト・ヒューストン・ストリート(アメリカニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区ロウアー・マンハッタン)からウォーデンクリフの28.6512㎡の建物に移転し、其処で世界無線システムの開発を本格的に開始する。建物は基本的に完成されており、八角形の木造のタワーが建設されていた。システムに電力を供給する為に、200kWのウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー製のオルタネーターが設置され、4つの大型オイル充填変圧器が高電圧供給源として使われた。更に、4つのスチールタンクには、コンデンサが収められ、別のタンクには調整コイルが設置された。テスラとウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーのエンジニアによって、此れ等の複雑なユニットが2つ組み立てられ、1つはウォーデンクリフに運ばれ、もう1つは倉庫に保管された。最初は200〜300kWの電力を供給し、後に数千馬力を出力する予定であった。送信機は、特殊な特性を持つ波動複合体を放出し、凡ゆる量のエネルギーをテスラが考案した方法で電話制御する予定であった。
1,902 7 此の時点で、ニコラ・テスラのウォーデンクリフのプロジェクトが遅延していた。電気機器の納品の大幅な遅れや、大工間の軋轢が発生した。テスラは、作業員・機械・ジョン・モルガンからの更なる資金提供の必要性に追われていた。フォアマンの指示で、大工達は45.72mのタワーの外側に屋根板を貼る作業をしていたが、其の最中、タワーの上部を担当していた別の請負業者が、木材の棒を地面に落下させた。大工達は「頭上に不注意な労働者が居る状態では働けない」とし、ボイコットに発展し、ポートチェスター(アメリカのニューヨーク州ウェストチェスター郡ライ市)の自宅に帰る事態となった。
1,902 10 1 ジョン・モルガンが海運業の独占を意図し、J・P・モルガン・アンド・カンパニーを使って銀行融資を行い信託会社「インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー」のニュージャージー州での設立を発表する。設立メンバーは以下の通り。
①アメリカン・ライン及びレッドスター・ラインのクレメント・グリスコム(社長)
②アトランティック・トランスポート・ライン創業者バーナード・N・ベーカー
③ジョセフ・ブルース・イズメイ(ホワイト・スター・ライン)
④レイランド・ライン経営者ジョン・エラマン
此れ等の会社にドミニオン・ラインを加えた6社がインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの傘下に入った。
1,903 トムスク(現在のロシア)で第1回シベリア・シオニスト会議が開催される。
1,903 ロシアで「シオン賢者の議定書」が一般に発売される。ユダヤ人が世界を支配するという内容である。
1,903 飛行家のアルベルト・サントス・デュモンが、友人の第3代カルティエ経営者ルイ・カルティエにオーダーし、フラットなフォルム・四角いベゼル・レザーストラップのカルティエ初の男性用腕時計「サントス」が製作される。
1,903 ワシントン・カーネギー協会が、進化を研究する為の生物実験ステーションの設立計画を承認する。
1,903 ロバート・ノーベルと、ルートヴィヒ・ノーベルの息子イマヌエル・ノーベルが、マズット貿易・輸送会社と、ロシア帝国の石油の国外輸出に関する「ノブマズット」と呼ばれるカルテル協定を結ぶ。
1,903 豊田佐吉が、織機を動かした儘横糸を自動的に補充する最初の自働杼換装置を発明する。又、其の装置が搭載された豊田式鉄製自働織機(T型)を製作した。
1,903 マサチューセッツ銀行が、ボストン・ファースト・ナショナル銀行と合併する。社名はボストン・ファースト・ナショナル銀行を引き継いだ。
1,903 1 12 GEBがアメリカ議会に認可され、法人化される。
1,903 2 23 キューバのグアンタナモがアメリカの軍事基地となる。
1,903 2 24 日本銀行副総裁高橋是清が戦費調達の為アメリカのニューヨークへ出発する。その後何名かの銀行家と面会したが、アメリカは自国の産業発展の為に外貨を必要としており、日本の為に外債を募集する余裕は無いという回答であった。その後高橋はロンドンへ行き、横浜正金銀行の取引先であるバース銀行、香港上海銀行、チャータード銀行等と交渉したが成果は得られなかった。
1,903 4 8 ニコラ・テスラが、ジョン・モルガンに対し「貴方は産業界に大きな波を起こし、其の幾つかが私の小さな船に打ち寄せています。其の結果、価格は2倍、或いは3倍にまで上昇しました」という内容の追加の資金提供を依頼する書簡を送る。ジョージ・シェルフが、資金が危険な程少なくなっており、債権者が未払いの勘定に就いて圧力を掛け始めるだろうとテスラに警告した事が背景として有った。しかし、モルガンは追加の資金提供には応じなかった。
1,903 4 22 ニコラ・テスラが、ジョン・モルガンに対し「トーマス・エジソン、グリエルモ・マルコーニ、ミカエル・ピューピン、ジョン・フレミング等、多くの人々が公然と私の事業を嘲笑し、成功は不可能だと言っても貴方は私に高貴な支援をして下さいました」という内容の追加の資金提供を依頼する書簡を送る。しかし、此処でもモルガンは追加の資金提供には応じなかった。
1,903 5 ニコラ・テスラが、ジョン・モルガンの下を訪れ、世界無線システムの真の目的である、電線が不要でより安価に電力を供給出来る、スカラー波による電力を送電するシステムの構想を打ち明ける。
1,903 6 マーカス・サミュエル、ヘンリ・デターディング、フランスのロスチャイルド家の三者が出資比率対等の合弁会社である、アジアチック・ペトロリアムを設立する。
1,903 6 ヨシフ・スターリンが、ロシア帝国当局により3年間の東シベリアへの流刑が宣告される。
1,903 7 3 ニコラ・テスラが、ジョン・モルガンに対し「もし無線電力伝送構想を事前に伝えていたら、貴方は私をオフィスから追い出していたでしょう。私の略完成している偉大な仕事の支援して頂けるのでしょうか?それとも無駄にしてしまうのでしょうか?」という内容の追加の資金提供を依頼する書簡を送る。モルガンからの資金提供が打ち切られる事を悟ったテスラは、此の頃から無線電信と電話の実験を行っているウォーデンクリフの45.72mのタワーで実験を始めた。毎晩様々な種類の稲妻の様な閃光を放ち、空中と地中に電波を送った。付近の住民は強い関心を抱いたが、テスラ達は何も語らなかった。此の時、60.96m以上の深さの井戸が掘られていた。テスラはジョージ・シェルフに「プロジェクトの詳細を絶対に明かしてはならない。又、従業員以外は誰も敷地内に立ち入ってはならない」と厳命していた。
1,903 7 14 ジョン・モルガンがニコラ・テスラに対し「貴方の手紙を受け取りました。現時点では此れ以上の資金提供を行う気はありません」という内容の書簡を送る。モルガンは、銅を用いた電線による送電方式を採用した。モルガンは銅を独占していた。テスラの無線電力伝送システムが実現した場合、社会が石油や石炭に依存しなくなり、エネルギー業界が打撃を受け、世界の支配構造が変わる事から、モルガンは此のプロジェクトを阻止すべく動く事となった。又テスラは、モルガン以外からの資金提供は受けないという契約を交わしていた為、テスラのプロジェクトは資金難に陥った。
1,903 7 20 第256代ローマ教皇レオ13世が毒殺される。
1,903 8 コカ・コーラ社が、コカイン反対の世論を受け、原料に使用するコカの葉を脱コカイン処理する様に処方を変更する。
1,903 8 6 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,903 10 第75代イギリス大統領デーヴィッド・キャメロンの高祖父で香港上海銀行ロンドン支店長のユーウェン・キャメロンが、イギリス外相ランスダウンから要請を受け、ベアリングス銀行と協力して同盟国の日本への融資の検討を開始する。
1,903 10 ヨシフ・スターリンがバトゥミを出発する。
1,903 11 4 豊田佐吉が、同年に自身の出願した織機の特許(第6787号)を取得する。
1,903 11 30 ヨシフ・スターリンが、ノヴァヤ・ウダ(現在のロシアのイルクーツク州)に到着する。其の後脱走を試みるが、バラガンスク(現在のロシアのイルクーツク州)で凍傷に遭った為引き返し、失敗に終わった。
1,903 12 二コラ・テスラが、西暦1,883年にニューヨーク ケーブル鉄道を設立したトーマス・フォーチュン・ライアンから資金提供を受ける事で合意する。ジョン・モルガンが二コラ・テスラへの資金提供を打ち切ったのを切っ掛けとして、他の投資家も直ぐにモルガンに追随し、テスラは新しい投資家を探していた。しかし、得た資金は抱えていた負債に使われ、世界無線システムは資金難に陥った。
1,903 12 12 ソロモン・ローブが死去する。
1,903 12 17 アメリカのノースカロライナ州キティホーク近郊のキルデビルヒルズでライト兄弟が12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号が12秒間、約37mの世界初の有人動力飛行に成功する。
1,904 AMAがCME(医学教育審議会)を設立し、以下の2点を実行してアメリカの医学教育の再構築し、医学生の質の向上に努め、優秀な学生を医学部に引き入れる事を企図した。
①医学部入学に必要な最低限の予備教育を定める。
②医学教育とは、解剖学と生理学の2年間のトレーニングと、教育病院での2年間の臨床実習から成るものと定義する。
1,904 アメリカの医学部の数が160、28,000名以上の医学生が学んでいた。
1,904 前年に建築家バーナード・メイベックが設計した、ボヘミアングローブのクラブハウスが、ロシアン川(アメリカのカリフォルニア州ソノマ郡・メンドシーノ郡)を見下ろす崖の上に完成する。
1,904 豊田佐吉が、以下2点の開発に成功する。
①横糸の補充装置
②縦糸が切れた際の停止装置
1,904 アウグスト・ホルヒ社が株式会社に改組し、本社をツヴィッカウ(現在のドイツのザクセン州)に移転する。
1,904 1 ユーウェン・キャメロンが、香港上海銀行横浜支店長に対し「税収入の担保が得られ、適度な額であれば日本の外債を引き受けるべきである」という内容の電報を送る。
1,904 1 ヨシフ・スターリンが再度脱走を試み、成功してトビリシに帰還する。其の後ロシア社会民主労働党党員のフィリップ・マハラゼと共に同党の機関紙である「プロレタリアティス・ブルゾラ」の共同編集を行った。
1,904 2 ユーウェン・キャメロンが、10,000,000ポンドを年利6%、発行価格85ポンド(額面100ポンド)、期限10年という引き受け案を作成して香港上海銀行横浜支店を通じて日本政府と交渉する。
1,904 2 ジョセフ・ブルース・イズメイが、ジョン・モルガンによってインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの社長に据えられる。
1,904 2 4 御前会議が開かれ、日本はロシア帝国との交渉を打ち切り、軍事行動に移る事を決議する。会議終了後、以下3名は大蔵大臣官邸へ向かった。
①松方正義
②井上馨
③第10代大蔵大臣曾禰荒助
松方は、呼ばれて来ていた以下2名に対し、御前会議で開戦が決議された事を告げた。
①第6代日銀総裁松尾臣善
②第7代大蔵次官阪谷芳郎
続けて松方は、戦費を調達する為に日本国民に増税を課し、内国債を発行、国外に於いても、ロンドン・パリ・ニューヨークの投資家達に国債を販売し、輸入物資の購入や、金本位制を維持する為の正貨を確保しなければならないと述べ、誰を派遣すべきかと問うた。各々以下の意見を持っていた。
①井上:三井銀行専務理事早川千吉郎
②松尾・阪谷:日銀副総裁高橋是清
曾禰は高橋に難色を示したが、井上が高橋とする事に同意し、欧米に派遣する財務官は高橋に決定した。其の後阪谷は、高橋1人では不安であるとし、初代日本興業銀行総裁添田壽一にも声を掛けた。此れが高橋の耳に入り、高橋は「私に不満があるならば、添田さんに頼めば良いではないか。私は辞退させて貰う」として、ロンドン派遣を辞退した。井上は阪谷に「宴席で持ち上げるのだ。彼奴は存外単純なのだ。偉いのを揃えるから築地辺りで極秘で一席設けろ」と指示した。
1,904 2 6 エレクトリカル・ワールド&エンジニア誌に、世界無線システムと、二コラ・テスラが新たな投資家を探す為に行った「テスラ宣言」が掲載される。テスラがコンサルティングエンジニアリングの分野に進出する事が記載された。
1,904 2 6 ジェイコブ・シフが、自身の自宅にて、ユダヤ系アメリカ人の商人の会合を開く。以下の人間等が参加した。
①マイアー・グッゲンハイム
②第2代メイシーズ社社長イジドー・ストラウス
③ゴールドマン・サックス創業者マーカス・ゴールドマン
④リーマン・ブラザーズ共同創設者エマニュエル・リーマン
前年に発生したロシア帝国でのポグロムに就いて話し合った。又シフは、参加者に対し「日本はまだ正式な宣戦布告を行なっていないが、72時間以内にロシア帝国と戦争を始めるであろう。私は日本への資金提供を実行すべきか検討している。実行した場合、ロシア帝国内のユダヤ人にどの様な影響を及ぼすか、皆さんの判断を伺いたい」と諮問した。クーン・ローブ商会は、グッゲンハイムの鉱山会社への投融資を行なっており、シフとグッゲンハイムの結び付きは強かった。
1,904 2 8 日露戦争が勃発する。ツァーリを弱体化させ共産主義革命を不可避にする為に引き起こされた。ジャーナリストのジョージ・ケナンは、日本国内の収容所に収容されているロシア帝国民捕虜に帰国後の蜂起を促す革命の宣伝文を秘かに配布した。其の際ジェイコブ・シフは、ケナンと連絡を取り、ケナンをアシストした。日露戦争を遂行する為に、日本は150,000,000円分の外貨を要したが、此の時点で52,000,000円しか持ち合わせていなかった。
1,904 2 10 以下の人間が築地の料亭に参集する。
①第11代首相桂太郎
②松方正義
③井上馨
④曾禰荒助
⑤阪谷芳郎
⑥高橋是清
高橋は改めて渡欧を拒否した。しかし、他の者が懇願し、高橋は涙した。高橋は引き受けるに当たり、以下の4つの条件を出した。
①高橋に十分に権限を与える事
②外交官に対し、高橋を十分に援助する様指示する事
③高橋以外に、同じ業務を委任しない事
④日本に於いて、外国業者から勧誘が有っても相手にしない事
井上は此れを承諾した。高橋は宥められ、高橋の公債発行という任務の重さや困難さに一同抱き合って涙した。高橋は「命を賭して行って参ります」と言った。お銚子を持ってきた女中は怖くて座敷に入れなかった。
1,904 2 10 末松謙澄が対欧世論工作の為、伊藤博文の命で日本を出発する。
1,904 2 11 ジェイコブ・シフが、毎年恒例のヨーロッパ旅行に出発する。例年通り数ヶ月の滞在であった。シフは、色々と調査をしていたアーネスト・カッセルと共にフランクフルトとロンドンで過ごした。カッセルは、第2代レヴェルストーク男爵ジョン・ベアリングとも密に連絡を取り、ベアリングはシフに対し、高橋是清のニューヨークでの公債発行を引き受ける様働き掛けていた。又カッセルも、日本外債のニューヨークでの発行に関し、シフの相談相手となり、日本に好意的な説明をした。
1,904 2 17 ロンドンでの外債募集が閣議決定される。
1,904 2 18 首相官邸にて、桂太郎主催の高橋是清主賓の壮行会が開かれる。
1,904 2 24 以下2名がロンドンへ向けて横浜を出発する。
①高橋是清
②金子堅太郎
高橋は公債10,000,000ポンド募集の命を受けており、金子は対米世論工作の使命を帯びていた。
1,904 2 29 日本政府がヴィッカース・サンズ&マキシム社に発注した香取型戦艦「鹿島」が起工する。アームストロング・ホイットワース社エルジック造船所にて建造が行われた。艦名は鹿島神宮(現在の茨城県鹿嶋市宮中)に由来する。
1,904 3 ユーウェン・キャメロンが、ベアリングス銀行代表に「利益の上がるビジネス機会を失うのは不本意。高橋是清渡英までに引き受け条件を再考できないか」との書簡を送る。
1,904 3 17 高橋是清一行がニューヨークに到着する。マジェスティック・ホテル(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区セントラル・パーク・ウエスト)に宿泊した。又同日、横浜正金銀行ロンドン支店長山川勇木から高橋に「ロンドンでは、日本がロシア帝国に勝てるとは誰も思っていない。当行は鐚一文の信用も無い。公債の発行は無理だから、是非ニューヨークで資金調達してくれ」という主旨の電報が届いた。此の頃、以下の人間も公債発行を絶望視していた。
①末松謙澄
②林董
③パース銀行総支配人ダン
④アレキサンダー・アラン・シャンド
1,904 3 18 ニューヨーク・タイムズの記者が高橋是清を訪ねる。今回の貴方のニューヨーク訪問は、戦争の為の資金調達との噂が立っていると記者に告げられた高橋は「我が国は外国公債発行の必要はありません。今回の出張は、日銀の代理店である横浜正金銀行の海外支店の監査が目的です。戦費は国内発行の債券だけで十分に賄えると考えています。本月10日に利回り5%で5年債を100,000,000円募集しましたが、5倍の応募が有りました」と強がって見せた。続けて、同行していた深井英五が、日本国債の歴史等を説明した。此の高橋と深井の発言は、翌々日のニューヨーク・タイムズの記事になった。
1,904 3 21 ベアリング商会のニューヨーク駐在員が高橋是清を訪ねる。高橋に「ロンドンに着いたらユーウェン・キャメロンに会って下さい。キャメロンから是非お会いしたいという伝言を預かっております」と告げた。其の後、ニューヨークの在留邦人による歓迎会が開かれた。主催者は以下の人間等であった。
①横浜生糸合名会社創業者新井領一郎
②化学者高峰譲吉
③三井物産ニューヨーク支店長岩原謙三
④日銀関係者
⑤横浜正金銀行関係者
日米の国旗が掲げられ、テーブルの中央は大きな花で飾られ、其の横には戦艦三笠を模した、煙突2本・マスト2本・主砲4門のケーキが置かれた。以下3名は主賓として招かれ、一同は、フランス料理のフルコースや食後のコーヒーを堪能した。
①高橋
②深井英五
③金子堅太郎
1,904 3 23 高橋是清一行が、ホワイト・スター・ライン社の「セドリック号」に乗船し、ニューヨークからリヴァプールに向けて出発する。
1,904 3 31 22時、高橋是清一行がリヴァプールに到着する。是清の長男高橋是賢が迎えた。是賢は、横浜正金銀行ロンドン支店でトレーニー中であった。一行は列車に乗ってロンドンへと向かい、以前の外債発行調査の出張時と同じく、ド・ケーゼル・ロイヤル・ホテルに宿泊した。
1,904 4 1 高橋是清一行がロンドンに入る。此の日から現地の銀行家や金融関係者と会談を行い、外債募集を始めた。
1,904 4 12 午後、高橋是清が、自身の依頼でアレキサンダー・アラン・シャンドを招き、公債発行を諦めて短期で調達金額が少額の大蔵省証券を発行する為の形式に就いて話し合う。又高橋は、以下と良好な関係を築く方法に就いて話し合った。
①ユーウェン・キャメロン
②ロスチャイルド家
1,904 4 13 高橋是清が、イギリス・ロスチャイルド家の本拠地であるニューコート(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ロンドン)にて、以下2名と会談する。
①ナサニエル・ロスチャイルド
②ライオネル・ド・ロスチャイルドの弐男アルフレッド・ド・ロスチャイルド
ナサニエルとアルフレッドは、公債購入を断った上で、高橋に私債購入を打診した。公債購入を断ったのは、ロスチャイルド家がバクー油田利権に関わっていた為、表向きロシア帝国を敵に回す事が出来なかった為である。ロスチャイルド家は代わりに、ジェイコブ・シフを代理人として立てた。
1,904 4 13 高橋是清が英文にて、以下を理由にロンドンの銀行家が、日本公債の引き受けに消極的である事を日記にて記す。
①ロンドンの銀行家が、西暦1,899年の第1回四分利付英貨公債発行の際に日本政府が約束した金本位制の維持を疑問視している。
②ロンドンの民衆が、緒戦で日本が勝利したとしても、最終的にはロシア帝国が勝利すると考えている。
1,904 4 16 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,904 4 21 高橋是清が、ロンドンの銀行団の提示した条件に疑問を持つ。パンミュア・ゴードン商会でロスチャイルドの仲買人のW・M・コッホが、1,000,000〜2,000,000ポンドくらいの大蔵省証券であれば、自分1人の力で購入出来ると言われていた為である。
1,904 4 22 高橋是清が、株式仲買人H.R.ビートンと会談する。ビートンは「ユダヤ人は一流の金融家だ。レヴェルストーク男爵・ロスチャイルド家と並ぶ、ロンドンの三大金融家の1人であるアーネスト・カッセルの協力を得てはどうか。カッセルはロスチャイルドだけで無く、モルガン等も招く事が出来る。英米の関心を引き寄せる、多額の融資を引き出す事が出来る」という主旨の提案をした。更にビートンは、公債を発行するべきだと主張した。
1,904 4 22 マーカス・サミュエルが、高橋是清の下を訪れ「戦後、ロスチャイルドを雇う事が出来る」と告げる。
1,904 4 23 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,904 4 23 9時、アレキサンダー・アラン・シャンドが、高橋是清の滞在するホテルを訪ねる。高橋は、大蔵省証券を発行する為に、ロンドンの銀行団と販売業者の選定で揉めていた。
1,904 4 23 高橋是清が、ロンドンの銀行家と5,000,000ポンドの公債発行に関する仮契約を、以下の条件で調印する。
①発行価格:93ポンド
②期限:7年
③年利回り:6%
此の当時の公債の年利回りの相場は2〜3%であり、此の利回りが後々日本を苦しめる事となった。
1,904 4 26 高橋是清が、香港上海銀行を引き入れ、5,000,000ポンドの公債発行を取り纏める。アレキサンダー・アラン・シャンド等の仲介でパース銀行を軸に交渉を進めていた。
1,904 4 27 日本政府がヴィッカース・サンズ&マキシム社に発注した香取型戦艦「香取」が起工する。同社バロー・イン・ファーネス造船所にて建造が行われた。日本海軍の戦艦としては、最後の日本国外で建造された戦艦となった。艦名は香取神宮(現在の千葉県香取市香取)に由来する。
1,904 5 ジェイコブ・シフの義弟でアイザック・セリグマンの遠縁のグレゴリー・ウィレンキンが、ロシア政府財務代理官に任命され、駐米ロシア大使館に配属される。
1,904 5 3 夜、高橋是清の横浜正金銀行時代の旧友で、ニューヨークの商社のスパイヤーズ社ロンドン支店長のアーサー・ヒルが、自身の自宅で、高橋の5,000,000ポンドの公債発行に関する仮契約調印を祝う晩餐会を開催する。以下等が参加した。
①ジェイコブ・シフ
②クインテット・プライベート・バンクの一員のブラウン・シップリー社
③パンミュア・ゴードン商会
シフの席は、高橋の隣にセッティングされていた。シフは食事中、高橋に以下を質問した。
①日本経済の現状
②日本の生産状態
③日露戦争開戦後の人心
④皇室
⑤日本の鉄道
⑥日本の人口
⑦日本の教育
公債発行の目論見書を作成している最中であった高橋は此れ等に対し、定量的に、丁寧な回答をした。数字が出てこない時は、資料を持ち歩いている深井英五に聞いた。同日高橋は「ロスチャイルド家は、戦時中に公然と介入する事は出来ない。もしそうすれば、パリのロスチャイルド家やサンクトペテルブルクにも知られる事になるだろう。彼らは、ロシア帝国政府によるポグロムを引き起こす可能性の有る行動は出来ない。此れを理由に、アルフレッド・ド・ロスチャイルドは協力に反対した。しかし、ナサニエル・ロスチャイルドは30,000〜50,000ポンドの協力に賛成した」という主旨の記録を残した。
1,904 5 4 アレキサンダー・アラン・シャンドが、高橋是清の下を訪れ、ジェイコブ・シフが、目標額の残りの5,000,000ポンドを自身が引き受け、アメリカで公債発行したいと言っている事を伝える。此れを聞いた高橋は喜び、日本政府の意向を確認し、話は纏まった。
1,904 5 11 ロンドンにて、第1回六分利付英貨公債の応募申込が開始される。条件は以下で、海関税収入を担保とし、公債整理・軍資充実を目的とした。
①発行価格:額面100ポンド当たり93.5ポンド(但し日本が受け取れるのは90ポンド)
②期間:7年(満期後に日本が100ポンドを返済)
③実質年利回り:6.42%
此の条件は、本年にロンドンで発行された外国政府債の中で、最も投資家に有利な条件であった。以下の金融機関が引き受けた。
①パース銀行
②香港上海銀行
③横浜正金銀行
④クーン・ローブ商会
⑤ナショナル・シティ・バンク
又、西暦1,904年5月2日に日本軍が、九連城(現在の中国遼寧省丹東市振安区)及び安東県(現在の中華人民共和国遼寧省丹東市東港市)の占領した件がロンドンに伝わった事も有り、募集開始前からプレミアムが付く人気であった。30倍の応募が有り、即日申込締切となった。
1,904 5 12 ニューヨークにて、第1回六分利付英貨公債の応募申込が開始される。5倍の応募が有り、翌日締め切られた。
1,904 5 14 夜、ロシア帝国海軍の敷設艦アムールが、老鉄山(現在の中国大連市旅順口区)沖に機雷50個を敷設する。
1,904 5 15 11時頃、初瀬が、旅順港閉塞作戦中に、老鉄山沖にて、前夜にアムールが敷設した機雷を左舷艦底に受け、舵機が故障し、航行不能となる。晴天で、乗組員達は全く警戒していなかった。左舷傾斜し、艦後部が沈下した。12:33、2度目の触雷を受け、後部火薬庫が爆発し、艦後部より沈没した。
1,904 5 15 11時頃、八島が、初瀬救援中に、老鉄山沖にて、前夜にアムールが敷設した機雷に触雷し、夕方戦没する。
1,904 6 第20代ロシア帝国内務大臣ヴャチェスラフ・プレーヴェが、ジェイコブ・シフに協議を申し入れる。シフは、ロシア帝国内のユダヤ人の自由な旅行を禁じた政策の撤廃を意図し、外国のユダヤ人向けの出入国ビザの制限の撤廃を求めた。
1,904 6 1 ポール・カッティンとジョルジュ・クリスティアンが、ヘルシュタイン(現在のスイスのバーゼル州)の閉鎖されたばかりのローナー社の時計工房を買い取り、地元の市長と契約を締結し「オリス」を設立する。オリスの名は近くの小川に因んで名付けられた。
1,904 6 1 豊田佐吉が、同年4月23日に自身の出願した織機の特許(第7433号)を取得する。
1,904 6 11 カーネギー財団の資金提供を受け、動植物の育種実験を通して遺伝と進化を研究する為の実験施設「実験進化研究所」が、コールド・スプリング・ハーバー(アメリカのニューヨーク州サフォーク郡ハンティントン町)に設立され、チャールズ・ダベンポートが所長に就任する。カーネギー研究所が、進化の研究センターを設立する為の場所を探し始めた時、ダベンポートが、ロングアイランドのコールド・スプリング・ハーバーが適していると説得していた。ダベンポートが最も重きを置いたのは、後に「禁絶的優生学」と呼ばれる、劣等者に子供を産ませないようにする方法であった。またダベンポートは、家畜繁殖者が子馬や子牛を産ませる種親を血統証明書無しでは選ばないのと同じ様に、女性が相手の男性の生物学・遺伝学的家系を調べる事無しには結婚しないのが当たり前になる時代が一日も早く到来する事を目指した。ダベンポートは以下の項目の生物学的効果等の遺伝について研究を行った。
①ペラグラ
②犯罪性
③気弱さ
④船乗り気質
⑤悪性
⑥知能
⑦躁鬱
⑧人種交配
1,904 6 28 グリエルモ・マルコーニの無線電信装置に関する特許(US763772A)が公開される。H03B11/02スパークによって励起された共振回路を使用して振動を生成する方法に就いて述べられている。
1,904 7 28 ヴャチェスラフ・プレーヴェが、ニコライ2世への週例の報告の為、ペテルゴフ宮殿(現在のロシアのサンクトペテルブルク)行の列車に乗る事を意図し、バルト駅(現在のエストニアのハリュ県タリン)に向かっていた所、9:50に、社会革命党エゴール・サゾーノフが、プレーヴェの乗っていた馬車に爆弾を投げ込み、プレーヴェを暗殺する。其の後ロシア帝国は、グレゴリー・ウィレンキンを通じて、アメリカ市場での資金調達への協力を要請する為、ジェイコブ・シフに接近した。しかしシフは「ロシア帝国は、ユダヤ人に対する野蛮な政策によって、アメリカ国民の好意とアメリカの金融市場を失った」と発言した。
1,904 8 10 豊田佐吉が、同年4月16日に自身の出願した織機の特許(第7676号)を取得する。
1,904 8 19 乃木希典率いる第3軍がロシア租借地の旅順を攻撃する。
1,904 11 第2回六分利付英貨公債が発行される。条件は以下で、海関税収入を担保とし、軍事費を目的とした。
①発行額:12,000,000ポンド
②年利回り:6%
以下の金融機関が引き受けた。
①パース銀行
②香港上海銀行
③横浜正金銀行
④クーン・ローブ商会
⑤ナショナル・シティ・バンク
1,904 11 28 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,904 12 26 バクー油田の労働者が、ストライキを起こす。1日14〜16時間の労働が常態化していた。主な要求は以下の通り。
①労働者組合、言論の自由
②組合、ストライキの自由
③信仰と国籍の区別なく、ロシア全土の代表者からのロシア憲法
④制定議会の即時召集
⑤日曜日の休業
⑥サービス残業の禁止
⑦掘削隊の労働者・給油者・同伴者の為の3シフト制の即時導入
⑧全ての労働者に対して、6ヶ月毎に賃金を強制的に引き上げる
⑨休日の給与の支払
⑩会社側の抑圧によって引き起こされた、労働者の不在又はストライキ等の会社側の過失による欠勤、並びにデモおよび5/1(祝日)は通常の賃金で全額支払う
⑪労働者の同意がある場合にのみ労働者を解雇
⑫罰金の禁止
1,905 ハンス・ウィルスドルフが、ハットンガーデン(現在のイギリスのロンドンのカムデン区ホルボーン)に時計商社の「ウィルスドルフ&デイビス」を設立し、時計の輸入販売を開始する。又、ジャン・エグラーの機械を輸入して時計製造販売も行った。
1,905 ニコラ・テスラが、自身の計画した「世界システム」と呼ばれる無線送電・無線通信・放送を目的とし、ジョン・モルガンから150,000ドルの資金提供を受けてショアハムに建設していた「ウォーデンクリフ・タワー」が完成する。
1,905 ヴィッカース・サンズ&マキシム社が、テルニ製鉄所を含むイタリアの3社と連携し合弁会社「ヴィッカース・テルニ社」を設立する。第二次世界大戦では自動砲「40mmヴィッカース・テルニ」をイタリア海軍に供給した。
1,905 1 豊田佐吉が、縦糸の送り出し装置を備えた、木鉄混製の堅牢な「豊田式三十八年式織機」を発明する。
1,905 1 13 バクー油田の労働者のストライキが終了する。交渉の結果以下の条件を勝ち取った。
①夜勤と掘削隊の労働時間を8時間とする
②其れ以外の労働者の労働時間を9時間とする
③給与の80カペイカから1ルーブルへの引き上げ
④月4日の有給休暇の導入
1,905 1 19 豊田佐吉が、前年に自身の出願した織機の特許(第8320号)を取得する。
1,905 1 22 ロシア帝国のサンクトペテルブルクで、司祭ゲオルギー・ガポン率いる労働者とその家族140,000名は、生活苦の救済、制憲議会召集などを訴える第14代ロマノフ朝皇帝ニコライ2世へ宛てた請願書を持って冬宮へ行進したが、待機した軍隊の一斉射撃で死者1,000名以上、負傷者2,000名以上を出した。
1,905 3 第1回四分半利付英貨公債が発行される。条件は以下で、煙草専売金を担保とし、軍事費を目的とした。
①発行額:30,000,000ポンド
②年利回り:4.5%
以下の金融機関が引き受けた。
①パース銀行
②香港上海銀行
③横浜正金銀行
④パンミュア・ゴードン商会
⑤クーン・ローブ商会
1,905 3 22 鹿島が進水する。
1,905 4 18 ニコラ・テスラが西暦1,900年5月16日に申請した、無線電信システムに関する特許が認可される。
1,905 5 26 アルフォンス・ド・ロスチャイルドが死去する。アルフォンスが手掛けていたロシア帝国の石油事業は以下2名が対処した。
①アルフォンスの弟でジェームス・ド・ロスチャイルドの四男のエドモン・バンジャマン・ド・ロスチャイルド
②石油会社経営者ジョージ・アーロン
また、カスピ海・黒海石油産業貿易会社の取締役会は以下の3名で構成された。
①アルフォンスの娘ベアトリス・エフルッシ・ド・ロスチャイルドの夫モーリス・エフルッシ
②A・G・グルジンスキー
③アーノルド・フェイグル
1,905 6 ブルックリン・タイムズ・ユニオン紙が、地球を導体として利用し、地球上の任意の2点間で通信出来るというニコラ・テスラの主張を掲載する。ウォーデンクリフの工場から、ブルックリン・タイムズ・ユニオン紙のオフィスの電動モーターや大型印刷機を動かす事が出来た事が書かれた。
1,905 6 30 ジョン・ロックフェラーがGEBに10,000,000ドルの資金提供を行う。
1,905 7 第2回四分半利付英貨公債が発行される。条件は以下で、煙草専売金を担保とし、軍事費・公債整理を目的とした。
①発行額:30,000,000ポンド
②年利回り:4.5%
以下の金融機関等が引き受けた。
①パース銀行
②香港上海銀行
③横浜正金銀行
④クーン・ローブ商会
⑤ウォーバーグ商会
⑥ドイツ銀行
今回初めてウォーバーグ商会とドイツ銀行が参加したが、此れはジェイコブ・シフが、ウォーバーグ商会とドイツ・アジア銀行を高橋是清に紹介した事が切っ掛けで、以下2名は、第9代プロイセン国王兼第3代ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世から日本への投資の許可を得て、ヴィルヘルム2世のヨットに乗り、英貨公債募集に参加した。
①マックス・モリッツ・ウォーバーグ
②第2代ドイツ銀行頭取アーサー・フォン・グウィナー
1,905 7 4 香取が進水する。
1,905 8 10 日露講和会議が、ポーツマス(アメリカのニューハンプシャー州)で開始される。ロシア帝国全権代表として参加した、第13代大蔵大臣を務めたセルゲイ・ウィッテとアメリカのユダヤ人代表との会合が開かれた際、ジェイコブ・シフは、5名のユダヤ系アメリカ人代表の1人として出席し「ロシア帝国がユダヤ系ロシア帝国民の正当な権利を拒み続ければ、アメリカ国民のロシアに対する好意は大きく損なわれる事になる」と発言した。此れを受けてウィッテは、ユダヤ人政策の改善を約束した。更にシフは、西暦1,832年に調印された米露通商条約の破棄を求めた。西暦1,875年頃から、ロシア帝国がユダヤ系アメリカ人の入国を制限し、ビザ発給を拒否する様になった為である。
1,905 9 鮎川義介が芝浦製作所を退職する。
1,905 9 4 ポーツマス(アメリカのニューハンプシャー州)で講和条約が結ばれ、樺太が北緯50度線を境に北はロシア帝国、南は日本に分割され、南満洲鉄道の権益がロシア帝国から日本に譲渡された。エドワード・ヘンリー・ハリマンは、南満洲鉄道を買収し、合弁会社とすべく動いた。其の際ジェイコブ・シフは支援し、日本に売却を働き掛けた。此の南満洲鉄道買収計画は、駐韓アメリカ公使秘書兼副領事を務めていたウィラード・ストレートが練ったもので、ハリマンがシベリア横断鉄道を買収しようとしていた頃にソウルを訪れた際、ストレートはハリマンに此の計画を話した。ハリマンが関心を寄せた為、ストレートは、清に並々ならぬ関心を寄せていたシフに話を通した。又、ロシア帝国海軍は、日本に敗北した事で新しい装備を必要としたが、バジル・ザハロフはツァリーツィン(現在のロシアのヴォルゴグラード)に兵器生産複合施設を建設する事で対応した。ハリマンは、今後日本政府が、日露戦争の戦費調達の為に発行した外国借款の返済に苦労するだろうと見越し、其の買収を申し込んだ。実際日本は其の後、賠償金を取れず、且つ相場よりも高い利回りで公債発行した事が災いし、多額の債務に苦しめられる事となった。又、ヴィッカース・サンズ&マキシム社は両陣営に様々な兵器を供給し、日本は同社のイギリスの造船所で建造された高価な戦艦や兵器を購入した事で重荷を背負った。又ロシア帝国にも、バルチック艦隊壊滅後の海軍再建の為に190,000,000ポンドの高利融資が為され、再建の為の作業は同社の工場・造船所で行われた。
1,905 9 6 ニコラ・テスラが、コロラドスプリングスでの研究に於ける未払いの請求書に関する裁判に出廷する。此の件に関しテスラは何度も訴えられていた。テスラは、資金を得る為に、コロラドスプリングスの研究所を売却し、判決に於ける180ドルを支払う様命じた。翌年には、其の研究所の機器の一部がオークションに掛けられた。此れに加えて、テスラの交流電動機の特許がヨーロッパで失効してロイヤリティが無くなり、株式市場の暴落によって、ウォーデンクリフ・タワーの建築資材が2倍に高騰した事から、ウォーデンクリフ駅がの建設を断念した。又、十分な投資家を見つけられなかった事も相まって、プロジェクトは中止された。此の頃テスラは体調が悪く、直近の20年間、過労と睡眠不足による神経衰弱に何度も見舞われていた。軈て、プロジェクトが中止となった事を知ったエンジニア達がウォーデンクリフの研究所にやって来る様になった。管理人が居る場合は、研究所の見学を許可された。以下が稼働時の儘存在していた。
①機械工場
❶複雑な機械機構
❷吹きガラス設備
❸旋盤8台
②展示ケース
❶X線装置
❷テスラコイル
❸ラジコンボート
❹1,000個以上の電球とチューブ
③計器室
❶発電機
❷変圧器
❸電線
❹ケーブル
④図書館
⑤オフィス
1,905 9 11 下関を出発した関釜連絡船の最初の便である1,600t級旅客船の壱岐丸が、11時間30分の航海の末、釜山港に到着する。
1,905 11 28 第2回四分利付英貨公債が無担保で発行される。条件は以下で、公債整理を目的とした。
①発行額:25,000,000ポンド
②年利回り:4%
以下の金融機関等が引き受けた。
①パース銀行
②香港上海銀行
③横浜正金銀行
④N・M・ロスチャイルド&サンズ(シンジケートを通じて6,500,000ポンドを発行)
⑤クーン・ローブ商会
⑥ウォーバーグ商会
⑦ドイツ銀行
⑧ロスチャイルド・フレール銀行(シンジケートを通じて12,000,000ポンドを発行)
1,905 11 鮎川義介が、アメリカの客船「ダコタ丸」の4等船室に乗船し、アメリカへ向かう。
1,905 11 12 エドワード・ヘンリー・ハリマンが第11代首相桂太郎と日米共同で南満洲鉄道を経営する協定の覚書を交わす。
1,906 日本初の外国産ブランド紅茶として「リプトン イエローラベル」の輸入が明治屋によって開始される。
1,906 ジョン・ハーヴェイ・ケロッグが以下の人間と共に、適切な人種の血統を持つ者だけが子供を持てる様にする事を意図し、アメリカのミシガン州バトルクリークにて「人種改良財団」を設立する。
①経済学者アーヴィング・フィッシャー
②チャールズ・ダベンポート
1,906 オイゲン・フィッシャーがドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)にてドイツ人又はボーア人の男性とコエホ族の女性との間に生まれた混血の人間の研究を行った。その結果、混血結婚」を禁止し混血が生まれる事を防ごうと呼びかけるに至った。その中には、ヘレロ族やナマクア族に対する人体実験も含まれていた。フィッシャーは、混血結婚によって生まれた既存の混血の子孫はドイツにとって有用かもしれないが、繁殖を続けてはいけないと提言している。ナチスドイツにおけるユダヤ人の実験の前段階として、彼は研究の為に骨と頭蓋骨を収集しており、その一部はヘレロ族とナマクア族の大量虐殺の際にナミビアでアフリカ人捕虜に対する医学実験から得られたものであった。
1,906 ショアハムが村を形成する。
1,906 豊田式三十九年式織機の廉価版で、経糸停止装置を省略して機能を簡素化した、家内工業向けの「軽便織機」を開発する。注文が殺到するヒット商品となった。
1,906 豊田佐吉が、動力を空費しない理想的な円運動を用いた「環状織機」を発明する。平面運動で、横糸の往復運動で布を織る織機を、杼の動きを回転運動に変え、横糸の挿入も打ち込みも静かに間断なく行う点に於いて新規性が有った。
1,906 松田重次郎が、大阪砲兵工廠で働き始める。
1,906 松田重次郎が、大阪府西成郡中津村(現在の大阪府大阪市北区)に「松田製作所」を設立する。
1,906 1 ジェイコブ・シフがニューヨーク商工会議所でのスピーチで「もしアメリカの通貨制度が改められなければ、遅かれ早かれ、これまでの恐慌があたかも児戯に見えるようなとてつもない恐慌に見舞われるだろう」と述べる。
1,906 1 レジナルド・フェッセンデンが、以下の2ヶ所に設置された128mの支柱アンテナ間での、モールス信号の双方向通信に成功する。
①マックリアニッシュ(イギリスのスコットランドのアーガイル・アンド・ビュート)
②オーシャン・ブラフ・ブラント・ロック(アメリカのマサチューセッツ州プリマス郡マーシュフィールド)
しかし、此のシステムは日中や干渉レベルが強い夏季には此の通信距離を維持出来なかった為、作業は本年の後半迄中断された。
1,906 1 鮎川義介が、三井物産と繋がりの有るアメリカニューヨーク州エリー郡バッファロー市の可鍛鋳鉄工場「グルド・カプラー」にて、週給5ドルで見習工として働き始める。
1,906 1 7 ヨシフ・スターリンが、ボリシェヴィキ内での活動を認められフィンランドでウラジーミル・レーニンと会談し、その実力を認められる。
1,906 2 19 朝食シリアルを製造する「ケロッグ社」が以下のケロッグ兄弟によって設立される。
①兄ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ
②弟ウィル・キース・ケロッグ
1,906 2 22 ジェイコブ・シフが、勲二等旭日重光賞を明治天皇から授与される事となり、自身の甥エルンスト・シフ等と共に、日本へ向けて、ニューヨークを出発する。
1,906 3 8 ジェイコブ・シフ一行が、パシフィック・メイル汽船会社のマンチュリア号に乗船し、横浜へ向けてサンフランシスコを出港する。
1,906 3 25 ジェイコブ・シフ一行が横浜に到着する。グランドホテルに宿泊した。
1,906 3 28 ジェイコブ・シフが皇居を訪れ、明治天皇に謁見し、勲二等旭日重光賞を授与される。外国民間人として明治天皇に謁見したのはシフが初であった。
1,906 4 10 ゲオルギー・ガポンが社会革命党員に暗殺される。
1,906 4 28 豊田佐吉が、自身の発明した環状織機の特許出願を行う。
1,906 5 20 香取が竣工する。其の後香取は、日露戦争後の日本海軍の主力艦として活躍し、皇太子時代の以下2名の御召艦として度々使用された。
①大正天皇
②昭和天皇
1,906 5 23 鹿島が竣工する。其の後は供奉艦としての役割を担った。
1,906 6 8 ジェイコブ・シフ一行がニューヨークに帰還する。
1,906 8 27 豊田佐吉が、自身の発明した投杼桿受の特許出願を行う。
1,906 8 27 豊田佐吉が、自身の発明した経糸解除及緊張装置の特許出願を行う。
1,906 9 エドワード・ヘンリー・ハリマンの事務所を後にした高橋是清が、その足でジェイコブ・シフの自宅を訪ねる。
1,906 10 高橋是清が、ジェイコブ・シフに第6回公債発行を断られ、深井英五を伴いロンドンへ向かった。
1,906 10 豊田佐吉が、豊田式三十八年式織機を改良し、能率と品質を高めた全面鉄製の「豊田式三十九年式織機」を発明する。
1,906 10 3 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼桿受の特許(第11056号)を取得する。
1,906 10 10 豊田佐吉が、同年に自身の出願した経糸解除及緊張装置の特許(第11094号)を取得する。
1,906 11 11 AJC(アメリカユダヤ人委員会)が設立される。初期メンバーは以下の人間等であった。
①弁護士ルイス・マーシャル
②ジェイコブ・シフ
③裁判官でアメリカユダヤ人出版協会出版委員会委員長のメイヤー・サルツバーガー
④前年迄スミソニアン協会本部で司書を務めたサイラス・アドラー
⑤弁護士資格取得後、友人と法律事務所を設立したジョセフ・マイヤー・プロスカウアー
シフは会長として、AJCを通じて米露通商条約の破棄を求めるキャンペーンを展開し、ユダヤ人を弾圧するロシア帝国を打倒する為、日本に肩入れして、公債発行に協力した。
1,906 11 26 南満洲鉄道が設立される。
1,906 12 6 マックリアニッシュの支柱アンテナが強風で倒壊し、レジナルド・フェッセンデンの無線通信大西洋横断プロジェクトは、商業サービスを開始する前に突然終了した。ニコラ・テスラは、此のプロジェクトの為に約50名を雇い、其の中には、テスラが発明の一部が盗まれるのを防ぐ事を意図した、周囲から人を遠ざける為の警備員も含まれていた。テスラの発明の多くは、特許を取得していなかった為である。
1,906 12 31 豊田佐吉が、自身の発明した自動杼換装置の特許出願を行う。
1,907 ジョン・ロックフェラーがGEBに32,000,000ドルの資金提供を行う。
1,907 本年末時点でノブマズットがロシア帝国内の灯油販売量の75%を占める。
1,907 フランス・ロスチャイルド商会が、ロシア・アジア銀行を通じた資金提供により、以下の組織の支配権を獲得する。
①アブシェロン石油会社
②シホボ
③メリコフ
④ロシア石油協会
1,907 第11代大蔵大臣阪谷芳郎が、第2回四分利付英貨公債の借り換えをロスチャイルド家に打診する。
1,907 フレデリック・テイラー・ゲイツが、GEBの理事会の議長に就任する。
1,907 2 鮎川義介が日本に帰国する。自身の大叔父の井上馨に可鍛鋳鉄の将来性に就いて説明していた。
1,907 2 9 豊田商会の後継会社である「豊田式織機株式会社」が、資本金1,000,000円で設立される。日露戦争による好景気の中で、豊田佐吉が西暦1,905年に改良した三十八年式動力織機が爆発的に売れた事で、三井物産が、東京・大阪・名古屋の有力財界人が資金提供し、豊田の織機と其れによる綿布を世界中に売り出す事を豊田に提案し、豊田が其れを受け入れた事が背景として有った。社長には大阪合同紡績会社社長の谷口房蔵が就任した。豊田は常務取締役技師長に就任し、発明・研究を続けた。豊田商会の従業員・工場・設備・特許権は、全て豊田式織機株式会社の所有となった。
1,907 2 17 深井英五にフランス政府宛に交渉終了の短文の手紙を書かせると、高橋是清が清書してフランス当局に渡し、フランスを見限る。
1,907 2 24 オランダ領東インド石油開発会社とシェル運輸貿易会社が一本化し、ロイヤル・ダッチ・シェルが設立される。
1,907 3 五分利付英貨公債が無担保で発行される。条件は以下で、西暦1,904年の第1・2回六分利付英貨公債の整理を目的とした。イギリス・ロスチャイルド商会とフランス・ロスチャイルド商会のシンジケートによって、ロンドンとパリで調達された。
①発行額:23,000,000ポンド
②年利回り:5%
以下の金融機関等が引き受けた。
①パース銀行
②香港上海銀行
③横浜正金銀行
④ロスチャイルド家
⑤ロスチャイルド・フレール銀行
1,907 3 22 イギリスとフランスのロスチャイルド家を中心に第6回ポンド建ての日本公債が発行される。西暦1,985年に完済された。
発行金額:23,000,000ポンド(イギリスとフランスの折半)
クーポン:5%
償還期間:40年
発行価格:99.5ポンド
1,907 4 9 世界初の不妊手術に関する法律である「断種法」がアメリカのインディアナ州議会の上院(賛成:28・反対:16)・下院(賛成:59・反対22)で可決される。西暦1,899〜本年にかけてインディアナ州立矯正施設で「非行少年のマスターベーションを抑える為」という名目で465名に精管切除による断種を実行した、精管切除の手術法発明者で同施設医師のハリー・C・シャープがロビー活動を行っていた。これにより断種法がアメリカ合衆国憲法に抵触しない事が判明し、以降アメリカの他の34州で断種法が施行された。
1,907 5 1 豊田佐吉が、前年に自身の出願した自動杼換装置の特許(第12059号)を取得する。
1,907 5 6 豊田佐吉が、自身の発明した豊田式綻絖の特許出願を行う。
1,907 5 10 高橋是清と深井英五が、日露戦争に纏わる全ての資金調達を終えて帰国する。
1,907 5 16 豊田佐吉が、同年に自身の出願した豊田式綻絖の特許(第12125号)を取得する。特許権者は豊田式織機株式会社であった。
1,907 5 28 豊田佐吉が、前年に自身の出願した環状織機の特許(第12169号)を取得する。
1,907 7 バクー・バトゥミ間の石油パイプラインが稼働を始める。982800t/年の輸送能力があり、全長885kmは当時としては最長であった。
1,907 7 三井物産の支店長諮問会が開かれる。日本の織物業の先行きと、豊田式織機株式会社の支援の現状に就いての観測は楽観的であった。
1,907 7 23 アトランティックシティ(アメリカのニュージャージー州)にて、此の日から6日間、ユダヤ人シャトークア協会の第11回夏季集会が開催される。ジェイコブ・シフは「ユダヤ人にとっての約束の地はアメリカであり、パレスチナでは無い。アメリカはユダヤ人の一時的な避難所では無い」という主旨の発言をし、ユダヤ人移民のアメリカ定着に注力した。
1,907 10 アメリカ発の恐慌の影響を受け、日本国内の景気も、日露戦争後の反動も相まって悪化する。綿織物業界の内需・輸出も不振に陥り、豊田式織機株式会社の受注は減少に転じた。
1,907 10 14 ユナイテッド銅社の株主兼役員のオットー・ハインツが、弟の銅山王と呼ばれたアメリカのモンタナ州シルバーボウ郡ビュートのF・アウグスタス・ハインツ等に指示を出し、ユナイテッド銅社株の買占めを謀る。アウグスタス製氷会社の設立や蒸気船会社の買収等で成功を収めていた銀行家チャールズ・モースと親しい間柄であった。
1,907 10 16 F・アウグスタス・ハインツ等によるユナイテッド銅社株の買占めが同社の株価暴落により失敗に終わり、F・アウグスタス・ハインツが頭取であったマーカンタイル・ナショナル銀行を始め、買占めに資金を提供したとされる銀行で取り付け騒ぎが発生した。また、オットーの指示で大量のユナイテッド銅社株を購入していた証券会社グロス・クリーバーグ商会が営業停止に追い込まれ、恐慌が始まる。
1,907 10 22 ニッカーボッカー信託銀行で取り付け騒ぎが発生し、営業停止に追い込まれる。J.P.モルガン商会が「この銀行は危ない」と、噂を流していた。
1,907 10 22 破綻寸前のアメリカ信託会社の社長がジョン・モルガンに助けを求める。夕方、以下の者がモルガンの下に集った。コーテルユーは、国庫金を銀行に預託する用意があると述べた。
①ファースト・ナショナル・バンク頭取ジョージ・ベーカー
②ナショナル・シティ・バンク頭取ジェームズ・スティルマン
③第44代アメリカ財務長官ジョージ・コーテルユー
深夜、モルガンはバンカーズ信託会社の業務責任者であったベンジャミン・ストロング等に翌日の昼迄にアメリカ信託会社を監査する様指示した。
1,907 10 23 夜、ジョン・モルガンが他の信託会社社長等を招集し、深夜迄説得して8,250,000ドルを確保し、アメリカ信託会社の破綻を回避する。
1,907 10 24 朝、ジョージ・コーテルユーが25,000,000ドルをニューヨークの複数の銀行に預け入れると発表する。
1,907 10 24 ニューヨークの銀行・信託各社が取り付けを恐れ手元の現金残高を守ろうとした為、それまで日々の株取引を促進する為に行われていた短期貸付の金利が高騰した。この資金供給の欠乏により株価暴落の恐れが生じた為、13:30にニューヨーク証券取引所会長ランサム・トーマスがジョン・モルガンの事務所に駆け込み「証券取引所を早く閉めなければならない」と話したがモルガンは取引所をいつもより早く閉めたりしたら市場はかえって大混乱に陥ると言った。トーマスが取引所に戻って直ぐ、モルガンはニューヨークの各銀行の頭取にモルガンの事務所に至急集まるように要請した。14時過ぎに事務所に集まった頭取達に10分以内に25,000,000ドルを用意しないと少なくとも50の証券会社が営業停止に追い込まれると伝えた。これに受け、2時16分までに14の銀行の頭取が取引所閉鎖を回避する為として23,600,000ドルを用意した。現金は2:30に取引所に運び込まれ、30分後の3時に定時で取引所が閉まった時には19,000,000ドルが貸し出されていた。
1,907 10 27 夕方、ジョン・モルガンのパートナーのジョージ・パーキンスが、ニューヨーク市が西暦1,907年11月1日までに少なくとも20,000,000ドルの資金を準備しなければ破産してしまう事をニューヨーク市職員から告げられる。通常債券を発行して資金調達を行ったが、危機を回避するのに十分な額を集める事が出来なかった為である。
1,907 10 28 この日から翌日にかけてジョン・モルガンがニューヨーク市長・市幹部等と会談し、30,000,000ドルの市債を購入し、ニューヨーク市の破産を回避する。
1,907 11 2 ムーア・シュレイ証券会社が、TC&I社(テネシー石炭鉄鋼鉄道会社)の株を担保に多額の負債を抱え倒産寸前である事をジョン・モルガン等が知る。朝、ムーア・シュレイ証券会社の倒産を防ぐ為に書斎で緊急会談を開き、モルガンが深く関わるUSスチール社が、TC&I株を取得する提案が為され、TC&I普通株を担保に5,000,000ドルを貸し付けるか、90ドル/株で株を取得するかの2つの案が検討されたが、結論は出ず19時に会談は終了した。
1,907 11 3 午後から夕方にかけて以下の者が集まり、USスチール社とTC&I株の取り引きについて協議し、買収計画を纏める。
①ジョン・モルガン
②ジョージ・ベーカー
③ジェームズ・スティルマン
④ジョージ・パーキンス
⑤USスチール社エルバート・ゲイリー
⑥USスチール社ヘンリー・クレイ・フリック
深夜、ゲイリーとフリックは特別列車でニューヨークからワシントンD.C.へと向かった。
1,907 11 4 以下の4名が会談を開き、USスチール社によるTC&I社買収について検討し、ルーズベルトは買収を黙認する事となった。
①第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト
②第38代アメリカ国務長官エリフ・ルート
③エルバート・ゲイリー
④ヘンリー・クレイ・フリック
1,908 ウィリアム・ノックス・ダーシーによって、ペルシャのマスジェデ・ソレイマーン(現在のイランのフーゼスターン州)で油田が発見される。
1,908 初代カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェットがAMAに対し、CMEのプロジェクト全体を引き継ぐ事を申し出て、基準を満たさないアメリカの医学部を排除する為にサイモン・フレクスナーの弟エイブラハム・フレクスナーを調査員に指名し、アメリカの医学教育を調査させた。エイブラハムは運営されていた北米の医学部155校を全て訪問したが、カリキュラム、評価方法、入学・卒業要件は大学によって異なっていた。
1,908 マズット貿易・輸送会社の報告書に、同社の株主の利益から100,000ルーブルが労働者の保険金基金に振り込まれた事が記載される。同社では労働者に強制保険が掛けられ、怪我や病気の時には多額の現金給付が行われた。
1,908 ジェイコブ・シフが、西暦1,906年10月にカリフォルニア州で発生した排日運動等により緊張関係にあった日米関係の緩和を図る為、アメリカの金融・教育界のトップ40名を招き、日本政府高官の為の晩餐会を開く。
1,908 松田重次郎が開発した、水道用ポンプ「松田式喞筒」が発売される。翌年には改良型を出し、飛ぶ様に売れた。此れに目を付けた天野延助が共同事業を持ち掛けた。
1,908 第257代ローマ教皇ピウス10世の主導により、敬虔事業委員会が「宗教事業管理委員会」に改称される。
1,908 5 30 共和党上院議員ネルソン・オルドリッチと下院議員エドワード・ブリーランドが起草した、緊急通貨の発行を規定し、中央銀行やその他の通貨・銀行改革の選択肢を研究する超党派の「国家通貨委員会」を設立する「オルドリッチ・ブリーランド法」が発効される。この委員会でジェイコブ・シフの支持を得た金融改革案がFRB(連邦準備制度)設立の礎となった。
1,908 6 10 オリバー・ハザード・ペリ-・ベルモントが、虫垂炎の為、イースト・メドウ(アメリカのニューヨーク州ロングアイランドのナッソー郡)に所在する自身の邸宅「ブルックホルト」にて死去する。ウッドローン墓地(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス)に埋葬された。ベルモントの霊廟はリチャード・モリス・ハントによって設計され、サン・テュベール礼拝堂(アンボワーズ城(フランスのアンドル・エ・ロワール県)敷地内)の正確なレプリカで、芸術家ヘレン・メイトランド・アームストロングがデザインしたルネサンス風のステンドグラスを有した。
1,908 6 21 豊田佐吉が、自身の発明した織機用捲取装置の特許出願を行う。
1,908 7 3 豊田佐吉が、同年に自身の出願した織機用捲取装置の特許(第14665号)を取得する。
1,908 8 5 豊田佐吉が、自身の発明した経糸停止装置の特許出願を行う。
1,908 8 7 豊田佐吉が、自身の発明した投杼桿受の特許出願を行う。
1,908 8 31 ジェイコブ・シフが高橋是清に、日本の投資負担を取り除く為に、南満洲鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマンへの売却を提案する主旨の書簡を送る。
1,908 9 29 豊田佐吉が、同年に自身の出願した経糸停止装置の特許(第15009号)を取得する。
1,908 10 20 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼桿受の特許(第15097号)を取得する。
1,909 チャールズ・ダベンポートが、アメリカ育種家協会に優生学委員会を設置するに当たり、初代スタンフォード大学総長デイビッド・スター・ジョーダンを初代議長とし、自身は書記となった。
1,909 本年ノブマズットが、イマヌエル・ノーベル(第2代)とエドモン・バンジャマン・ド・ロスチャイルドの手腕により、バクー油田で生産された石油製品の総売上の90%を占める。
1,909 MI5長官バーノン・ケルが、演劇プロデューサーであったマウンディ・グレゴリーを引き入れる。グレゴリーは、ロンドン在住の外国人スパイ容疑者に関する文書を纏めていた。
1,909 豊田佐吉が、現在の愛知県名古屋市西区菊井に、営業的試験を行う為の試験工場を設立する。
1,909 松田重次郎が、共同出資の「松田式喞筒合資会社」を設立する。
1,909 1 チャールズ・ダベンポートがアメリカの優生学者ハリー・ラフリンと共に、アメリカ育種家協会の会議に出席し、優生学推進の演説を行う。
1,909 1 高橋是清が「高橋男爵夫妻より。東京赤坂表三丁目10番地。新年のご多幸を心よりお祈り申し上げます。1909年新年」と書かれた年賀状をナサニエル・ロスチャイルドに送る。
1,909 3 31 ジョン・モルガンが傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出していた客船「タイタニック号」の建造がベルファスト(現在の北アイルランド)にて起工される。モルガンはイエズス会から建造指示を受けていた。
1,909 3 31 豊田佐吉が、自身の発明した投杼桿受の特許出願を行う。
1,909 4 14 前年のマスジェデ・ソレイマーン油田の発見を受け、イギリス資本のビルマ石油会社が、子会社としてアングロ・ペルシアン石油会社を設立する。株式も一般に公開した。
1,909 5 5 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼桿受の特許(第16194号)を取得する。
1,909 6 アウグスト・ホルヒが、取締役会及び監査役会での他の経営幹部との対立により、アウグスト・ホルヒ社を退職する。
1,909 6 10 豊田佐吉が、自身の発明した自動杼換装置の特許出願を行う。
1,909 6 29 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,909 6 29 豊田佐吉が、自身の発明した経糸停止装置の特許出願を行う。
1,909 7 16 アウグスト・ホルヒが「アウグスト・ホルヒ自動車工業社」をツヴィッカウに設立する。
1,909 8 9 豊田佐吉が、同年に自身の出願した織機の特許(第16870号)を取得する。
1,909 9 28 豊田佐吉が、同年に自身の出願した自動杼換装置の特許(第17028号)を取得する。
1,909 10 鈴木道雄が、静岡県浜名郡天神町村(現在の静岡県浜松市中央区)に「鈴木式織機製作所」を設立する。
1,909 10 1 イギリスのロンドンにMI6(秘密情報部)が設立される。ロイター通信から派生している。
1,909 10 9 豊田佐吉が、同年に自身の出願した経糸停止装置の特許(第17174号)を取得する。
1,909 10 26 伊藤博文が哈爾濱駅(現在の中国黒龍江省哈爾濱市南崗区)で安重根に暗殺される。
1,909 10 26 以下2名等により、鉤虫病撲滅を意図した「RSC(ロックフェラー衛生委員会)」が設立される。5年間の期限付きで組織された。
①ジョン・ロックフェラー
②フレデリック・テイラー・ゲイツ(議長)
1,909 11 第40代アメリカ国務長官フィレンダー・C・ノックスが、満洲に於ける日露協調体制を壊し、日露両国によって独占されていた満洲に於ける鉄道権益を喪失させ、アメリカを含めた国際管理体制に移行させる事を意図し、満洲の全鉄道の中立化を提案する。又ノックスは、其れが実現しなかった場合、清を巻き込んで、南満洲鉄道に並行した路線の建設を計画した。しかし何れも、アメリカの主張より日本の立場を認めた諸国の反対により失敗した。
1,910 ロックフェラー家がアメリカ政府に対し「ロックフェラー財団」の設立許可申請を行う。
1,910 本年から翌年にかけて、エドモン・バンジャマン・ド・ロスチャイルドが以下の石油会社2社の株式の大半を2,000,000ルーブルで取得する。
①ネフチ会社
②G・M・リャノゾフ&サンズ会社
1,910 ガブリエル・シャネルが、恋人のアーサー・カペルの資金提供を受け、パリのカンボン通りに帽子店「シャネル・モード」をオープンする。
1,910 エルメネジルド・ゼニアが、トリヴェロ(イタリアのビエッラ県)に所在する父アンジェロ・ゼニアの羊毛工場を継ぐ。
1,910 モンテフィオーレ慢性病患者ホームが、アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区に移転する。
1,910 1 4 エイブラハム・フレクスナーが「フレクスナー・レポート」を発表し、以下を訴えた。
①アメリカの医学部に対し、より高い入学・卒業基準を制定し、教育や研究において主流科学のプロトコルを厳格に遵守する。
②医療機関の改革と中央集権が必要である。
③科学研究に基づく医学以外は科学的妥当性が無く、病気の予防と治療の為のワクチン等の治療を行わない医学は藪医者同然である。
以下の分野を教えていた医学部は、これらのコースをカリキュラムから外すか、認定と資金援助の停止を言い渡された。一時は抵抗する学校もあったが、最終的にはほとんどが報告書に倣い門戸を閉ざした。
❶自然療法(ホメオパシー・植物療法)
❷オステオパシー
❸漢蘭折衷
❹電磁波療法
❺光線療法
❻物理医学
④アメリカは医学部・医師が過剰であるので、155校から31校に医学部を減らし、訓練が不十分な医師を減らす。
フレクスナーはジョンズ・ホプキンス大学(アメリカのメリーランド州ボルチモア)を「小さいながらも理想的な医学部であり、イギリス・フランス・ドイツの医学教育の最良の特徴をアメリカの事情に合わせ、斬新な方法で体現している」とし、他の全ての医学部は同大学より劣っているとした。アメリカの医学部の多くは、フレクスナーの求めた水準に達しておらず、私立の医学部は閉鎖するか、既存の大学に編入する事を提言した。独立した医学部は学生側の金銭的負担を大きくせざるを得ない為である。後に半数近くの大学が統廃合を行った。歴史的に黒人の多い医学部がハワード大学(アメリカのワシントンD.C.)、メハリー医科大学(アメリカのテネシー州ナッシュビル)以外全て閉鎖された。フレクスナーは黒人医師は、黒人患者のみを治療し白人医師に従属すべきであると考えていた。アメリカの大学は入学者の減少の為、男性のみの入学者選抜プログラムに戻される事となった。西暦1,833年設立の男女共学のオバーリン大学(アメリカのオハイオ州)、西暦1,861年設立の女子大であるヴァッサー大学(アメリカのニューヨーク州ダッチェス郡ポキプシー)等、女性入学者を増やし始めたばかりであった。さらには、電気療法の専門学校も閉鎖された。
⑤医学研修に入る為の前提条件を増やす。
フレクスナーは高校卒業資格と少なくとも2年間の基礎科学を中心とした大学での学習が必要だと考えていた。当時これを満たしていたのは16/155校だけであった。しかし、西暦1,920年にはアメリカの医学部の92%が志願者にこれを課す様になった。また、医学教育の期間を4年とし、その内容も西暦1,905年にCMEが合意したものにすべきだと主張した。
⑥科学的な診療を行う医師を養成し、医学部教員を研究に従事させる。
⑦病院での臨床指導を医学部が管理できるようにする。
フレクスナーは既存の医学部教授達の反対にも拘らず、慈善事業以外の全ての診療を禁じられる臨床専門の教授を配置する事を長年に渡って追及した。
⑧医師免許に関する州の規制を強化する
この当時、アメリカの医学部の多くは、少数の地元の医師が所有し非常勤で教える、大学に於ける組織内組織であり営利団体であった。医学部の学位は、通常2年間の勉強で授与され、実験や解剖は任意であった。州政府による医療従事者の規制は緩く、人体生理学の科学的理解に大きな差があった。
1,910 2 ポール・ウォーバーグが、アメリカの金融機関であるウェルズ・ファーゴ社の取締役に就任する。
1,910 3 14 豊田佐吉が、自身の発明した杼換準備装置の特許出願を行う。
1,910 3 14 豊田佐吉が、自身の発明した二挺杼転換装置の特許出願を行う。
1,910 3 28 豊田佐吉が、自身の発明した経糸停止装置の特許出願を行う。
1,910 3 29 豊田佐吉が、自身の発明した綻絖枠の特許出願を行う。
1,910 4 5 豊田式織機株式会社の臨時緊急重役会議にて、豊田佐吉が常務取締役を辞任する。豊田は、受注した織機の納期が近くても、改良すべき所に気が付くと、解体して始めからやり直させる等、製品の開発・改良を優先させ、営利を追求する会社の意に反する行動をとっていた為、谷口房蔵から辞任を勧告されていた。又、同社は長期間に渡る業績不振に陥っていた。此の豊田の辞任は、三井物産にとって想定外の出来事であった。
1,910 4 25 アウグスト・ホルヒ自動車工業社が「アウディ自動車工業社」に社名変更する。
1,910 5 豊田佐吉が、三井物産大阪支店長藤野亀之助の勧めでアメリカへ渡る。目的は、織機の視察・比較研究、豊田式織機のアメリカに於ける特許取得と普及・休養であった。先ず、西海岸で広大な農園や高性能の蒸気機関車に触れ、大陸を横断し、東海岸では、高層建築、そして何より、街を走る自動車に驚かされた。又、ボストンを中心に、東海岸北部の織布工場を見学した。どの織機メーカーも、桁違いの工場の規模と立派な試験室を持っていた事に驚いたが、其処で使用されている織機に関しては、欠点も目に付き、豊田は、自分の開発した織機に自信を深めた。更に、高峰譲吉のニューヨークの自宅を度々訪ね、アミラーゼの一種であるジアスターゼを植物から抽出した「タカジアスターゼ」の創製や、廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出する研究での苦難を聞き、豊田は大いに勇気付けられた。高峰は豊田に「発明家たる者、其の発明が実用化されて社会的に有用な成果が得られる迄は、決して発明品から離れてはならない。其れが発明家の責任である」と助言した。豊田は過去に、自動杼換装置を装備した、無停止杼換式自動織機の製作と試験を人任せにした為に、鐘淵紡績が此の装置を広幅の織機に取り付けて性能試験を行った際、思う様な結果が出せなかった。其の時の反省と高峰の助言から、完全な営業的試験を行わなければ、発明の真価を世に問うてはならない」という信念が生まれた。其の後イギリスへ渡り、マンチェスター地方の織機製造や紡織産業を見学した。豊田は更に自身の発明した織機に自信を深め、気分を一新して、帰国の途に就いた。
1,910 6 25 鮎川義介が、井上馨の口利きによる以下からの資金提供により、福岡県遠賀郡戸畑町(現在の福岡県北九州市戸畑区)に、可鍛鋳鉄工場である「戸畑鋳物株式会社」を設立する。
①久原鉱業
②貝島太助
③藤田文
④三井物産
1,910 7 4 第二次日露協約が締結される。ジェイコブ・シフは、日本が満洲の特殊権益を守る為に結んだ協約は忘恩行為であるとして「日本が人類の敵であるロシア帝国と手を握るとは。酷く悔しい思いがする」と激怒した。しかしシフと高橋是清の関係は継続し、後に日本の中華民国進出に関し、中華民国が安定すると、シフは理解を示した。
1,910 7 8 豊田佐吉が、同年に自身の出願した杼換準備装置の特許(第18263号)を取得する。特許権者は豊田式織機株式会社であった。
1,910 8 22 漢城で第7代陸軍大臣寺内正毅と初代大韓帝国第2期内閣総理大臣李完用が、大韓帝国の統治権を完全且つ永久に日本に譲渡する事等を規定した条約に調印する。
1,910 8 29 大韓帝国の統治権を日本に譲渡する条約が、裁可し公布される。
1,910 9 12 豊田佐吉が、同年に自身の出願した杼換準備装置の特許(第18548号)を取得する。特許権者は豊田式織機株式会社であった。
1,910 10 チャールズ・ダベンポートが、エドワード・ヘンリー・ハリマンの妻メアリー・ウィリアムソン・ハリマンの資金提供により、ロングアイランドのコールド・スプリング・ハーバー研究所に「ERO(優生学記録局)」を設立する。アメリカ育種家協会優生学部門の事務局長でもあったダベンポートが局長に就いた。ダベンポートは、ハリー・ラフリンにロングアイランドに移住してほしいと頼み、副局長に招いた。独自の建物・研究設備・専任職員を有する世界でも類を見ない優生学研究機関であった。ダベンポートはハリー・ラフリンと共に「劣悪人物の家系に関する研究」を行った。これはアメリカの移民排斥に理論的根拠を与え、ナチスの優生思想にも影響を与えた。
1,910 10 8 豊田佐吉が、同年に自身の出願した経糸停止装置の特許(第18663号)を取得する。特許権者は豊田式織機株式会社であった。
1,911 アメリカとイギリスから神戸を経由しての中国へのモルヒネの再輸出が始まる。
1,911 チャールズ・ダーウィンの息子レオナルド・ダーウィンがイギリス優生学会会長に就任する。
1,911 エドモン・バンジャマン・ド・ロスチャイルドが、ロシア帝国政府への融資を打ち切り、同国内の石油事業から撤退する。
1,911 第17代ロシア帝国大蔵大臣ウラジーミル・ココツェフが、外国人ジャーナリストに対し「ロシア帝国政府は、ジェイコブ・シフの行いを決して許さない。シフは1人で日本のアメリカでの資金調達を可能にした。シフはロシア帝国にとって危険な外国人の1人である」という主旨の発言をする。
1,911 クーン・ローブ商会とロックフェラー家が提携する。そして同年、JPモルガン・チェースの前身に当たるエクイタブル・トラスト・カンパニーの支配権を獲得した。
1,911 ヴィッカース・サンズ&マキシム社が、航空機部門を新設して「ヴィッカース・リミテッド社」に社名変更する。航空機製造に乗り出した。又同社は、以下の会社の取締役に名を連ねた。
①造船会社のキャメル・レアード社
②魚雷製造会社のホワイトヘッド社(ヴィッカース・サンズ&マキシム社とアームストロング・ホイットワース社が株式の大半を所有)
③チルワース火薬社
④ハーヴェイ装甲板社
此れ等の会社は其々関連子会社の株式を保有しており、兵器生産の全領域が、ロスチャイルド家等との複雑な利害関係を生じ、非合法な極秘のカルテルを形成していた。
1,911 1 1 チャールズ・ダベンポートが著書「人種改良学」を発表する。大学の教科書として長年使用され続けた。
1,911 1 23 豊田佐吉が、前年に自身の出願した綻絖枠の特許(第19216号)を取得する。特許権者は豊田式織機株式会社であった。
1,911 5 31 ジョン・モルガンが、タイタニック号の進水式に出席する。慣例である船首でシャンパンの瓶を割る儀式は執り行われなかった。
1,911 9 14 社会革命党員でオフラーナ(ロシア帝国内務省警察部警備局)のスパイであるドミトリー・ボグロフが、キエフでオペラを鑑賞していた第3代ロシア帝国首相ピョートル・ストルイピンを銃撃する。
1,911 10 豊田佐吉が、資金を集めて、現在の愛知県名古屋市西区則武新町の9917.355㎡の土地を入手し、独立自営の「豊田自動織布工場」を設立する。
1,911 11 22 以下の者がニュージャージー州ホーボーケンから南に向け専用列車でJ.P.モルガン商会所有のジキル島へ向けて出発する。
①ネルソン・オルドリッチ
②J.P.モルガン商会ヘンリー・デイビソン
③J.P.モルガン商会ベンジャミン・ストロング
④クーン・ローブ商会ポール・ウォーバーグ
⑤ファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨーク頭取チャールズ・ノートン
⑥ハーバード大学教授及びアメリカ財務省次官補アブラハム・ピアット・アンドリュー
⑦シティバンク頭取フランク・ヴァンダービップ
到着後10日間のFRB設立の為の秘密会議が開かれ、以下が決定される。表向きはオルドリッチ主催であったが、実際にはJ.P.モルガン商会が主催した。
①中央銀行という名称は使わない。
②独立した15の地域支部をワシントンで管轄する。
③金融危機時に最後の貸し手として機能する為、単一通貨を創造して管理する。
1,911 10 10 現在の中国湖北省武漢市武昌区で反乱が起きる。清は袁世凱率いる北洋軍を派遣した。戦いは47日間におよび、約1万人の死傷者が出た。
1,911 12 アメリカが、米露通商条約の破棄をロシア帝国に通告する。AJCを通じたジェイコブ・シフのキャンペーンがアメリカ議会を動かし通告に至った。
1,911 12 1 オランダの南ホラント州デン・ハーグで万国阿片会議が開始される。
1,912 イルクーツク(現在のロシア)で第1回シベリア・シオニスト会議が開催される。
1,912 チャールズ・ダベンポートが米国科学アカデミーの会員に選出される。また、以下からの資金提供を得た。
①ロックフェラー財団
②カーネギー財団
③ハリマン財閥
1,912 フレデリック・テイラー・ゲイツが医学研究や教育の分野に傾倒し始める。また、ジョン・ロックフェラーの経営顧問を退任した。しかしその後も、多数のロックフェラー系企業の役員を務め、ジョン及びジョン・ロックフェラー・ジュニアへの経営に関するアドバイスを行っていた。
1,912 第一次世界大戦が起きる事が分かっていたフランス・ロスチャイルド商会が、所有していたロシア帝国の石油会社をスタンダード・オイルとライバル関係にあったロイヤル・ダッチ・シェルに以下の金額で売却する。
①27,500,000ルーブル
②パリのシェル信託の株式の20%
1,912 高橋是清が、ジェイコブ・シフの助言を基に、東京市債のニューヨーク市場での発行と、日本興業銀行株の海外市場での売り出しを行う。
1,912 ウェスチングハウス・チャーチ・カー&カンパニーが、ウォーデンクリフに備え付けられた機械設備に関し、ニコラ・テスラに対して23,500ドルを支払う判決を得る。其の後、此の機械設備は撤去された。テスラは住居を確保する為に、ホテル「ウォルドルフ・アストリア(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウン)」経営者ジョージ・ボルトにウォーデンクリフの2つの抵当権を与え、20,000ドルのホテル代の支払いを保証していた。テスラは、此の件が公になれば、全てのプロジェクトが台無しになると考え、抵当権を記録しない様要請した。
1,912 松田重次郎が、松田式喞筒合資会社を退職し、大阪府大阪市北区上福島村(現在の大阪府大阪市福島区)に新たに松田製作所を設立する。
1,912 1 23 万国阿片会議にて、万国阿片条約が締結される。主に以下の内容を規定した。
①生アヘンの生産、及び分配の取締の法制化
②煙膏の製造、取引、使用の禁止
③アヘンやヘロイン、モルヒネ等の製造、販売、輸出入を医学用途に制限する
④中国及び極東諸国への密輸を禁制する為の必要な措置
⑤禁制薬物の所持を犯罪と見做す
1,912 3 31 タイタニック号中央部のボイラー室にあった石炭庫の石炭で出火が発生する。本来消火ホースで消火したり、石炭をバンカーや炉に移動させなければならないが放置され、外板部の強度が低下した。
1,912 4 10 ホワイト・スター・ラインの所有する乗客約2,219名を乗せたタイタニック号が、ニューヨークへ向けてサウサンプトン(現在のイギリスのサウス・イースト・イングランド)を出港する。到着予定は西暦1,912年4月16日であった。同船内の左舷側の、プロムナードデッキとシガーホルダー付きのバスルームを完備した最上級スイートルームのB52・54・56号室には以下3件のキャンセルの末、ジョセフ・ブルース・イズメイが入った。
①カーネギー・スチール社元会長ヘンリー・クレイ・フリックが予約するが、地中海クルーズで妻が捻挫した事を理由にキャンセルした。
②フリックの次にジョン・モルガンが予約するが、病気を理由にキャンセルする。しかし此れは詐病であり、同船就航当時エジプトからイタリアを経由してフランスへ向かう経路で旅行に行っており、イタリアでは愛人に会い、エクス・レ・バン(現在のフランスのサヴォワ県)では、朝のマッサージと硫黄泉に興じていた。又、モルガンの所持していた数々の美術品も運搬予定であったが、これもキャンセルした。又、乗船予定であったモルガンの知人数名もキャンセルした。
③モルガンの次にJ・H・ハーディング夫妻が予約するが、タイタニック号よりも早い便であるイギリスのキュナード・ラインの客船「モーリタニア号」が手配出来た事を理由にキャンセルした。
最終的にモルガンと親交のある55名がキャンセルした。ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世&イーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻も直前にキャンセルした。
1,912 4 11 タイタニック号がシェルブール(現在のフランスのマンシュ県シェルブール・アン・コタンタン)に寄港する。
1,912 4 11 タイタニック号がクイーンズタウン(現在のアイルランドのコーク県コーヴ)に寄港する。
1,912 4 14 午前、イギリスの海運会社キュナード・ラインのカルパチア号の船長アーサー・ロストロンがタイタニック号へ向けて6通の警告を発する。タイタニック号船長エドワード・ジョン・スミスは自分で判断せず、ジョセフ・ブルース・イズメイに判断を求めた。しかしイズメイは、其の警告を開示しなかった。又、最もタイタニック号の近くを航行していたイギリスのレイランド・ラインの蒸気船カリフォルニアン号は氷山で身動きが取れなくなった為、タイタニック号の通信士に知らせるが「煩い」と無視された。他にも数隻の船からタイタニック号へ向けて無線で氷山の警告があったが、タイタニック号はこれを無視し、スペックの42.596km/hに迫る40.744km/hで航行していた。
1,912 4 14 22時、20時以降タイタニック号のマストの上の見張り台の勤務に就いていた以下2名が交代となり非番となる。
①ジョージ・サイモンズ
②アーチー・ジュエル
マストの上の見張り台の勤務には以下2名が就いた。
①フレデリック・フリート
②レジナルド・リー
双眼鏡のケースの鍵が船内に無かった為使用出来ず、見張りは肉眼で見るしかなかった。リーは氷山に気付いた直後にブリッジに警告を送ったが無視された。
1,912 4 14 23時40分、タイタニック号の右舷がニューファンドランド島(現在のカナダのニューファンドランド・ラブラドール州)沖の氷山に激突する。エドワード・ジョン・スミスは乗客の避難誘導よりもジョン・ジェイコブ・アスター4世等の一等船室を訪れる事を優先した。救命ボートが20隻、1,178名分しか用意されておらず、船内に取り残された乗客が1,500名程度発生した。本来64隻のボートを搭載する予定であったが、ジョセフ・ブルース・イズメイ等により、40→32→20隻へと搭載予定隻数が減らされていた。
1,912 4 15 2時20分、タイタニック号が沈没する。結果、706名が生還し、FRB設立と第一次世界大戦に反対していた以下3名を含む1,513名が死亡した。死因は主に溺死・低体温症である。
①ジョン・ジェイコブ・アスター4世
②イジドー・ストラウス
③ベンジャミン・グッケンハイム
又、ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世&イーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻の使用人も死亡した。また、ヴァンダービルト2世達の荷物はタイタニック号に積まれていた為、沈没した。
1,912 7 24 この日から6日間、ホテル・セシル(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)にて、チャールズ・ダーウィンの息子でイギリス優生学会会長のレオナルド・ダーウィン主宰の第1回国際優生学会議が開催される。このホテルは前年1月17日に死去したフランシス・ゴルトンに捧げられたものだった。ダーウィンは冒頭の挨拶で「人間の品種改良の原理原則を導入するには道徳的勇気が必要である」と述べた。また、アメリカ育種家協会の優生学委員会によって任命された同委員会の幹事ブリーカー・ヴァン・ワジェネンは、アメリカの強制不妊手術法について語り、強制不妊手術が欠陥のある生殖質を断つ最良の方法であるとし、遺伝子の構成に欠陥がある人間を社会から排除する事を要求した。さらに、以下の人間を社会不適合者とし、アメリカの国勢調査のデータを挙げ「刑務所・病院・精神病院に住む人は630,000名で、人口の1%に当たり、3,000,000名の劣悪な血液を持つ人々がまだ施設に入所していない、さらに人口の10%に当たる70,000,000名が、遺伝性疾患を持つ。このような人々は、有用な市民の親になる能力が無い」と述べた。
①精神障害者
②癲癇を持つ者
③盲人
④聾唖者
⑤奇形者
⑥犯罪者
主な参加者は以下の通り。
①海軍大臣ウィンストン・チャーチル
②第33代第一海軍卿フランシス・ブリッジマン
③アーサー・バルフォア
1,912 9 豊田自動織布工場が稼働を開始させる。織機200台を設置できる工場であったが、資金難により、以下の織機しか導入出来なかった。
①織幅129.5㎝の普通織機92台
②自動織機8台
しかし翌年には100台を追加導入し、200台体制となった。同社は資金難であった。此の状況を打開する為に豊田佐吉は、自身と古巣の豊田式織機株式会社の間の特許権使用に関する契約を改め、特許権の同社への譲渡と其の対価の一時金による支払いを求めた。三井物産が仲介し、3者の関係の見直しが行われ、豊田は資金難を脱する事に成功した。
1,912 11 5 第32回アメリカ大統領選が行われ、ウッドロウ・ウィルソンが第28代アメリカ大統領に選出される。下馬評では共和党ウィリアム・タフトが有利とされていたが、セオドア・ルーズベルトが共和党を離党し、所得税反対を掲げる共和党員を率い「進歩党」を結党する事で票を割り、ウィルソンの当選をアシストした。また、3候補は全員クーン・ローブ商会の共同経営者から資金提供を受けていた。
①ウッドロウ・ウィルソン(民主党)
ポール・ウォーバーグ
ジェイコブ・シフ
②ウィリアム・タフト(共和党)
ポール・ウォーバーグの従兄弟フェリックス・ウォーバーグ
③セオドア・ルーズベルト(進歩党)
オットー・カーン
1,912 12 1 ベニート・ムッソリーニがイタリア社会党の日刊紙「アヴァンティ!」の編集長に任命される。事実上の党指導部の一員となった。
1,913 イギリスがインド産アヘンの中国への輸出を禁止する。
1,913 フレデリック・テイラー・ゲイツの長男フレデリック・ラモント・ゲイツがジョンズ・ホプキンス大学を首席で卒業し、ロックフェラー医学研究所の研究員に推薦で入所する。
1,913 本年時点でノブマズットは、ヴォルガ川(現在のロシア・カザフスタン)に存在した160隻の石油運搬船の内72隻を所有していた。
1,913 EROのフィールドワーカーの会議から「優生学研究協会」が派生する。初代会長にはチャールズ・ダベンポートが就いた。
1,913 以下2名の兄弟が、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(イタリアのロンバルディア州ミラノ)に革製品専門店「フラテッリ・プラダ」を開業する。スーツケースやバッグ等を取り扱った。
①マリオ・プラダ
②マルティーノ・プラダ
1,913 ハーバート・フーヴァーが、ボヘミアンクラブに入会する。
1,913 5 14 フレデリック・テイラー・ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて「ロックフェラー財団」を設立する。此れにより、ロックフェラーが特定の受益者に小額の資金を分配する遣り方から、十分な資金を持つ専門家が運営する財団によって、どの改革分野が適切かを判断する大規模なプロセスへと移行した。ゲイツは、ロックフェラー財団の理事会メンバーとして、総額約500,000,000ドルの分配を監督し、医療の近代化、特に教育改革・治療法の発見の為の研究支援・鉤虫症の様な国家の生産性を低下させる衰弱性疾患の体系的な根絶によって、最も大きな影響を与えることが出来るとして、ロックフェラーに対し、健康関連の取り組みに重点を置く事を奨励した。
1,913 5 22 ロックフェラー財団主導で、ハーバード大学の卒業生・教職員・理事会によって構成されるニューヨークに所在するメンバーシップであるハーバードクラブによって、ASCC(アメリカ癌制御学会)が設立される。ASCCは後に、承認された医師以外が癌を治療する事を違法とする法律を作り、本来の癌治療を違法とし、承認された癌治療から多額の利益を得た。
1,913 6 30 ジョセフ・ブルース・イズメイがインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの会長職及びホワイト・スター・ラインの会長職を辞任する。
1,913 12 23 ロスチャイルド家がクーン・ローブ商会やJ.P.モルガン商会を動かし、ウッドロウ・ウィルソンが第47代アメリカ財務長官カーター・グラス及び上院議員ロバート・オーウェンによる連邦準備法に署名しFRBが設立される。多くの議員がクリスマス休暇を取っている間に上院、下院で法案が通過していた。株主はロスチャイルド系銀行、ロックフェラー系銀行を始めとする、英米国際金融資本家であった。ドル札はFRBの許可を得て、アメリカ政府が印刷コストを負担し、財務省が印刷している。これによりロスチャイルド家はアメリカの通貨発行権と管理権を手中に収める事となる。FRBの株は以下3家等が全て所有し、アメリカ政府は一切持っていない。
①モルガン家
②ロスチャイルド家
③ロックフェラー家
また、所得税法も成立した。これにより、アメリカ国債を担保にFRBを通じてアメリカ政府に貸し付けた米ドルは、国民の所得税により返済が担保される事となった。
1,914 豊田自動織布工場が、自社で糸を紡ぐ紡績設備を導入し「豊田自動紡織工場」として改組する。仕入れた糸の品質が悪く、性能試験を中々パスしなかった事が背景として有り、自動織機完成の為に良質な紡績糸を確保する事を意図し導入された。
1,914 1 8 この日から5日間、ジョン・ハーヴェイ・ケロッグの肝入りで、第1回人種改良国民会議がアメリカのミシガン州バトルクリークで開催される。主なテーマは以下の通り。
①一般個人の衛生
②アルコールとタバコ
③児童生活
④性の問題
⑤学校と産業衛生
⑥都市、州及び国家の衛生
⑦優生学と移民
⑧人種改良の為の建設的提案
⑨優秀な赤ん坊・完璧な児童を選抜する為の身体検査・知能テストによるコンテスト
1,914 2 6 豊田佐吉が、自身の発明した経糸解除及緊張装置の特許出願を2件行う。
1,914 3 トルコ石油会社の持株比率を、イギリス、ドイツ両政府を含む関係者協定によって、アングロ・ペルシアン石油会社50%、ロイヤル・ダッチ・シェルとドイツ国立銀行が25%とした。
1,914 3 8 上野公園で開催された東京大正博覧会に於いて、日本で初めてエスカレーターが運転される。
1,914 3 11 豊田佐吉が、自身の発明した投杼桿受装置の特許出願を行う。
1,914 3 14 豊田佐吉が、自身の発明した投杼桿受の特許出願を行う。
1,914 5 イギリス政府が、アングロ・ペルシアン石油会社の株式の過半数を取得する。
1,914 5 23 豊田佐吉が、自身の発明した環状単流原動機の特許出願を行う。
1,914 6 12 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼桿受の特許(第26092号)を取得する。
1,914 6 28 オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であるオーストリア大公フランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが、サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)でセルビア人のガヴリロ・プリンツィプに暗殺される。
1,914 7 4 豊田佐吉が、同年に自身の出願した経糸解除及緊張装置の特許(第26212号、第26213号)を取得する。
1,914 8 15 第41代アメリカ国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが、ウッドロウ・ウィルソンに対し、モルガン商会から相談を受けた、フランス・ロスチャイルド商会の軍需品買付の為の100,000,000ドルの貸付を諮問する。それに対しウィルソンは「アメリカの銀行家による交戦中のいかなる外国に対する貸し付けも、中立の真の精神と矛盾している」と回答した。
1,914 8 19 ウッドロウ・ウィルソンが、「人間の精神に苦悩を与える戦争に合衆国は名実ともに中立の立場をとらなければならない」という教書を上院に送り、中立の立場をとる事を宣言する。
1,914 8 20 第257代ローマ教皇ピウス10世が毒殺される。
1,914 9 ポール・ウォーバーグが、FRBの委員に任命される為にウェルズ・ファーゴ社の取締役を辞任する。後任には義兄のジェイコブ・シフが就いた。
1,914 9 9 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼桿受装置の特許(第26545号)を取得する。
1,914 10 18 ベニート・ムッソリーニが、アヴァンティ!に第一次世界大戦参戦を主張する論説「絶対的中立から積極的効果的中立へ!」を発表し、イタリア社会党内で持論を展開し始める。この主張は参戦に否定的なイタリア社会党と真っ向から対立するものであった。
1,914 10 23 ウッドロウ・ウィルソンが、第3代アメリカ国務省参事官ロバート・ランシングによる、ヨーロッパ向けの農産物の輸出が滞った事により困窮したアメリカの農民と、食糧不足に悩む協商国のイギリス・フランスとの銀行引受手形取引の提案を受け入れる。これはイギリス・フランスだけでなく、同盟国のドイツ・オーストリアにも適用されたが、イギリスの海上封鎖によりドイツ向けの輸出が出来ない為、ほぼ協商国側だけに利用された。
1,914 11 ロックフェラー財団が「CMB(中国医療委員会)」を設立する。フレデリック・テイラー・ゲイツが設計した。ゲイツは無闇に中国人を改宗させるのではなく、飽く迄医療に重きを置いた。又ゲイツは「医療宣教師達は、中国は伝統の束縛が強く、キリスト教に関する無知と誤った感情を持っている」と訴え、予防医学に重点を置きつつも、病人や瀕死の患者に対して改宗を促した。しかし、ゲイツは改宗者を殆ど獲得出来ず、西洋医学を広める機会を逃していた。数百名の医療宣教師達は、西洋医学とキリスト教を結び付けていた。
1,914 11 2 豊田佐吉が、自身の発明した経糸解除及緊張装置の特許出願を行う。
1,914 11 15 ベニート・ムッソリーニが、社会主義日刊紙「イル・ポポロ・ディタリア」をミラノで創刊する。ムッソリーニは、第一次世界大戦に於ける協商国側への参戦熱を高めるキャンペーンを展開した。
1,914 11 24 ベニート・ムッソリーニが、イタリア社会党から除名処分を受ける。
1,914 12 1 豊田佐吉が、同年に自身の出願した環状単流原動機の特許(第26931号)を取得する。
1,914 12 15 豊田佐吉が、同年に自身の出願した経糸解除及緊張装置の特許(第27006号)を取得する。
1,914 12 15 豊田佐吉が、自身の発明した自動織機の特許出願を行う。
1,914 12 17 アメリカ下院議員バートン・ハリソンによって提案されたハリソン麻薬税法が承認され、アヘンチンキを含むアヘン剤、そしてコカの派生物の製造や供給が制限される。以下が規定された。
①麻薬類を購入する者及び流通させる者は全てアメリカ政府に登録する事を義務付ける。
②販売及び流通の登録をした者は、特別な税を払わねばならない。
③麻薬は医師によって「誠実に」そして「専門家としての行為の過程で」のみ処方を許可する。
1,914 12 31 RSCが解散する。RSCの残務は、ロックフェラー財団によって設立された国際保健委員会に引き継がれた。
1,915 星製薬が台湾政府から粗製モルヒネの独占的払下げを受ける。その後大日本製薬、三共、武田薬品工業も参入して、モルヒネの製造が行われる。
1,915 第一次世界大戦の長期化により、協商国である、イギリス・フランス・ロシアがアメリカからの軍需品を競ってモルガン商会経由で入手しようとした為価格が高騰し始める。これを受け、イギリス大蔵省が不当な戦時利益行為を阻止する為アメリカに調査団を派遣した。また、モルガン商会はアメリカの軍需品の協商国への輸出を一手に引き受けた為30,000,000ドルの手数料を稼いだ。協商国の発注者はモルガン商会に一括注文する事で価格を引き下げたり、避難された際矢面にモルガン商会を立たせる事が出来るというメリットがあった。また、モルガン商会は社内に資材部を設け、責任者としてダイアモンド・マッチ社の社長エドワード・ステティニアスが就任した。ステティニアスは10,000,000ドル/日の物資をかき集め、ヨーロッパに向けて船積みし、工場や会社に対しては大量生産を促した。
1,915 ウォルドルフ・アストリアのホテル代が支払えなくなったニコラ・テスラが、ウォーデンクリフの権利証書を、匿名の仲介者を通じてウォルドルフ・アストリアに譲渡する。テスラは、全てのプロジェクトを離れた後、ブロードウェイ(アメリカのニューヨーク州マンハッタン区・ブロンクス区・ウェストチェスター郡)にオフィスを開設した。様々な問題が重なって、研究資金が枯渇し、テスラは更なる隠遁生活を送る様になった。
1,915 テスラとグリエルモ・マルコーニの訴訟が開始される。テスラは、マルコーニが、以下2点の特許を使用したと主張した。
①電気エネルギー伝送システム(US645576A、西暦1,897年9月2日にテスラが申請)
②電気エネルギー伝送装置(US649621A、西暦1,900年2月19日にテスラが申請)
しかし、テスラを利する結果にはならなかった。
1,915 2 15 豊田佐吉が、自身の発明した投杼桿受装置の特許出願を行う。
1,915 4 24 オスマン帝国にてアルメニア人虐殺が始まる。
1,915 5 13 ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが、日本の対華21カ条要求に関し、中華民国の領土保全・門戸開放の原則・中華民国に於けるアメリカやアメリカ人の権利と抵触する条約・協定・了解は全て、アメリカとして承認しない旨を通告する。
1,915 10 24 イギリスの外交官ヘンリー・マクマホンが、オスマン帝国からのアラブ独立運動指導者のフサイン・イブン・アリーと往復書簡を交わし、この日イギリスは「対オスマン帝国との戦闘に協力してくれたら、アラブの独立支持を約束する」と宣言する。
1,915 11 24 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼桿受装置の特許(第28658号)を取得する。
1,916 山東省濱縣知事呉福林と駐防衛長劉紹基が県署の大仙祠に尚真人の祭祀壇を設け、祭祀壇前にて洪子陶と周徳錫を伴って伝統的な扶乩(占い)をしていた所、ある日、至聖先天老祖降臨の御神託が下りたとされ、これにより宗教団体「道院」が始まる。
1,916 ニコラ・テスラが「交流電流の研究と無線電信・電話・電力伝送への応用に就いて」と「ウォーデンクリフ差し押さえ訴訟手続」の2つの記事にて、以下の言及を行う。
私が発明した此のシステムでは、機械が電流を地中に流す必要が有ります。そうしないと、地球を揺さぶる事は出来ません。地球全体が震える様に、地面にしっかり電流を流す必要が有ります。其の為には、非常に高価な建設を行う必要が有ります。私は特別な機械を発明しました。約3.048m×3.6576mの大きなシャフトが有り、其の長さは約36.576mであった。此のシャフトは、最初は木材で覆われ、内部は鋼鉄で覆われていた。此のシャフトの中央には下に向かう螺旋階段が在り、階段の中央には電流が通る大きなシャフトが有った。此のシャフトは、ノードポイントが何処に有るかを正確に示す様に設計されていた為、凡ゆる距離のポイントを計算出来た。例えば、地球の大きさや直径を正確に計算し、其の機械で1.2192m以内で正確に測定出来た。そして本当に費用の掛かる作業は、其の中央部分を地球に接続する事であった。其処で、鉄管を次々に押し込む特別な機械を装備した。此れ等の鉄管を16本、91.44m押し込んだ。すると、此れ等のパイプを通る電流が地球に伝わる。此れは、最も費用の掛かる作業であった。明示されていないものの、此れもタワーの一部である。其の場所の地下水は約274.32mである。井戸では約24.384mで水を見付けたが、其処では、もっとは、電話を掛ける事、つまり地球という手段を通じて人間の声と姿を世界中に送る事でした。其れが西暦1,893年に発表した私の意見であり、今では全ての無線プラントが其れを行っています。他に使用されているシステムはありません。そして、此の装置を再現し、其れを中央局と電話局に接続するというアイデアでした。そうすれば、電話を手に取って、オーストラリアの電話加入者と話したい場合、其のプラントに電話を掛けるだけで、プラントは世界中何処にいても其の加入者と即座に接続し、話す事が出来ます。そして私は、プレスメッセージ・株価情報・報道用の写真・署名の複製・小切手等全てを其処から世界中に送信する事を考えていました。
電気技師リーランド・I・アンダーソンは「建物の基部・地下深く・螺旋階段に沿って下がっている所に、車輪のスポークの様に広がる地下墓地のネットワークが有りました。其処には鉄のパイプが16本有りました」と証言した。
1,916 1 以下2名が編集した優生学の一般紙「優生学ニュース」が発刊される。
①チャールズ・ダベンポート
②ハリー・ラフリン
優生学ニュースは以下の公式機関誌であった。
①優生学研究協会(西暦1,920〜1,938年)
②ゴルトン協会(西暦1,925〜1,938年)
主に以下の内容が記載された。
①EROの情報
②家族史の調査
③集会の開催通知や過去に開催された集会の報告を含む国内外の優生学運動に関する情報
④優生学的な法律の制定
⑤出生率・死亡率
1,916 5 16 ペテログラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)にて、イギリス、フランス、ロシアがオスマン帝国の領土分割に関する秘密協定を結ぶ。
1,916 5 18 豊田佐吉が、2年前に自身の出願した自動織機の特許(第29484号)を取得する。
1,916 6 13 ロックフェラー財団の資金提供により、ウィリアム・H・ウェルチが「ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院」をボルチモア(アメリカのメリーランド州)に設立する。
1,916 7 12 フランスが麻薬法を制定し、アヘン、大麻、モルヒネ、コカインといった物質を危険薬物とし、これらの使用を犯罪とした。
1,916 12 6 デビッド・ロイド・ジョージが、第53代イギリス首相に就任する。バジル・ザハロフは、マウンディ・グレゴリーを仲介としてジョージに接近した。其の後ザハロフは、自身の妻を使ってジョージをハニートラップで嵌め、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。
1,917 ジェイコブ・シフが以下の2名に対し、ロシア革命の活動資金として各々に20,000,000ドルを貸し付ける。
①ウラジーミル・レーニン
②レフ・トロツキー
さらに以下もロシア革命に対し資金提供を行なった。
①ブンド(リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟)
②ポール・ウォーバーグ
1,917 エミール・クレペリンがミュンヘン(現在のドイツのバイエルン州)に「ドイツ精神医学研究所」を設立する。
1,917 ドイツの人種衛生学者エルヴィン・バウアーが「ベルリン人種衛生学会」の会長となり、カイザー・ヴィルヘルム協会に「植物育種研究所」設立を申請する。
1,917 フレデリック・テイラー・ゲイツが、GEBの理事会の議長を退任する。
1,917 3 ウラジーミル・レーニンが40,000,000マルクの軍資金を携帯し、ボリシェヴィキを指導する為に、亡命先のスイスからロシア帝国へ帰国する意思を固める。マックス・ウォーバーグの用意した回廊列車に乗車し、戦争により帰国ルートが限られていた為、チューリッヒから以下を経由してペトログラード(現在のロシアのサンクトペテルブルク)へと向かう選択を採った。
①ザスニッツ(現在のドイツのメクレンブルク・フォアポンメルン州)
②スウェーデン
③ヘルシンキ
1,917 3 15 ニコライ2世が退位し、ロシア帝国が崩壊する。ジェイコブ・シフは此れを喜び、アレクサンドル・ケレンスキー政権を支持し、ケレンスキー政権の発行する公債の内1,000,000ルーブルの引き受けを約束した。
1,917 4 ロックフェラー医学研究所がイギリス・フランスの要望により、馬用の厩舎を即座に建て、これらの国に向けた髄膜炎菌ワクチンの製造を開始する。また、同研究所はこの髄膜炎菌ワクチンを第一次世界大戦中に以下の国等に配布していた。
①イギリス
②フランス
③ベルギー
④イタリア
1,917 4 ウッドロウ・ウィルソンがジョン・パーシングをアメリカ外征軍の総司令官に任命する。
1,917 4 2 ウッドロウ・ウィルソンが同盟国(ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国)の侵略から、自由と民主主義を守る為に、第一次世界大戦への参戦を認める様連邦議会で訴える。
1,917 4 4 アメリカ上院で82対6で第一次世界大戦参戦が決議される。
1,917 4 5 アメリカ下院で373対50で第一次世界大戦参戦が決議される。
1,917 4 6 ウッドロウ・ウィルソンがドイツ帝国に対し宣戦布告する。
1,917 4 16 ウラジーミル・レーニンがペトログラードに入る。
1,917 4 17 ウラジーミル・レーニンがボリシェヴィキの革命戦略要綱を発表する。主な内容は以下の通り。
①ロシア臨時政府を認めない
②第一次世界大戦の即時停戦の実現
③労働者・農民・兵士の評議会であるソビエトはただ一つ可能な革命政府の形態である
④ソビエトに権力を集中させる
⑤議会制民主主義ではなく、労農ソビエト共和国樹立を目指す
⑥土地の国有化
⑦社会民主党から共産党への党名変更
⑧コミンテルンの創設
1,917 4 20 3日前にウラジーミル・レーニンが発表したボリシェヴィキの革命戦略要綱が、ソビエト連邦共産党の機関紙「プラウダ」に掲載される。
1,917 4 20 初代ロシア臨時政府外相パーヴェル・ミリュコーフが、連合国に対し、ドイツ帝国との戦闘を継続する主旨の電報を送る。これを受けペトログラードの兵士によって、侵略反対デモが蜂起された。ウラジーミル・レーニン等のマルクス主義者は、ロシア臨時政府が国際資本主義の利益に屈し、外国の征服やその他の金銭的利益の為に戦争を継続しようとしているとし、非難した。また、第2代陸海軍相アレクサンドル・ケレンスキーを始めとするロシア臨時政府のメンバーがこの電報に同意した事から、ボリシェヴィキ等の左翼から圧力を受ける事となった。
1,917 4 24 アメリカ政府がイギリス・フランス等の連合国に費用を貸し付ける事を意図し、自由公債を発行する。
1,917 5 中島知久平が、群馬県新田郡尾島町前小屋(現在の群馬県太田市)に「飛行機研究所」を設立する。
1,917 5 10 豊田佐吉が、自身の発明した環状単流原動機の特許出願を行う。
1,917 5 18 アメリカで徴兵制が実施され、21〜30歳の男性に徴兵登録を要求し、対象者4,800,000名の内2,800,000名が採用され、後に2,000,000名がヨーロッパに派遣される事となる。
1,917 6 7 ジョン・パーシング率いるアメリカ外征軍がイギリスに到着する。直ちにイギリス・フランスに兵を派遣するのではなく、充分な訓練を行ってからにすべきだと主張、翌年まで殆ど兵を動かさなかった。
1,917 6 26 先遣隊であるアメリカ兵14,000名がイギリスからサン・ナゼール(現在のフランスのロワール・アトランティック県)に到着する。
1,917 7 ウォーデンクリフ・タワーが解体され、スクラップとして売却される。解体前のウォーデンクリフ・タワーは、階段は破損し、多くの木片は腐っており、担当した業者は、半分以上登ることを恐れていた。此の時二コラ・テスラは、ニューヨークに居らず、シカゴの会社に雇われ、スパイラルフロータービンの開発プログラムにコンサルティングエンジニアとしてアサインされていた。テスラは、自身のプロジェクトを諦めておらず、幾つかの機能を改善した別のタワーを建設する積もりであった。
1,917 7 陸軍の要請に応じ、荘田泰蔵等が、フィアットA3ー3型車を参考に、三菱造船神戸造船所にて4輪乗用車の試作を開始する。
1,917 9 ベニート・ムッソリーニがMI5(保安局)から、イタリアで英国スパイ100名を率いていたチェルシー(イギリスのケンジントン・アンド・チェルシー区)の国会議員且つMI5の職員であった初代テンプルウッド子爵サミュエル・ジョン・ガーニー・ホア経由で、週給100ポンドの資金提供を受け始める。これを切っ掛けにムッソリーニは政界入りし、戦争推進運動を継続させる為の活動を1年以上行った。
1,917 9 ロックフェラー財団の資金提供により「PUMC(北京協和医学院)」が設立される。フレデリック・テイラー・ゲイツもPUMCの設立に取り組み、医療宣教師の再教育を計画した。PUMCは、ジョンズ・ホプキンス大学をモデルに設立され、以下の学者等を招聘した。
①ウィリアム・H・ウェルチ
②北京大学教授胡適
③農村の裸足医師の先駆者であるジョン・グラント
④C・C・チェン
⑤ハーバード大学医学部教授ウォルター・B・キャノン
PUMCは、伝統的な中国の薬草である麻黄からエフェドリンを精製したり、主要な熱帯病のメカニズムを解明したりした。
1,917 9 25 ダイヤモンドへの投資で成功したアーネスト・オッペンハイマーが、イーストランド深部金鉱床(南アフリカ共和国ハウテン州ボクスブルク)の開発を目的として、J.P.モルガン商会の資金援助を受け、アングロ・アメリカン・南アフリカ社を設立する。
1,917 10 本月から翌月に掛けて、フォートライリー(アメリカのカンザス州ライリー郡)のアメリカ軍施設にて、第342野戦砲兵連隊に対し、ロックフェラー医学研究所の中尉ピーター・K・オリツキーによって製造された髄膜炎菌ワクチンの人体実験が行われる。此のワクチンは、フォートライリーに一括で送られ、等張食塩水で標準濃度に希釈され、0.3%のクレゾールで保存された。そしてフレデリック・ラモント・ゲイツは、以下の主旨の報告書を記した。
第342野戦砲兵連隊に対する髄膜炎菌ワクチン接種は、フォートライリーの基地病院の検査部門長である少佐E・H・ショーラーが設備を提供し、協力した。ショーラーによって50cc瓶にて連隊軍医に配布された。第342野戦砲兵連隊への接種は、師団軍医である中佐J・L・シェパードの指導の下、以下の人間の協力により実施された。
①大佐ニュージェント
②連隊軍医で少佐のツァーリ・C・ジョンソン
第342野戦砲兵連隊では、髄膜炎の症例が1例しか発生しておらず、髄膜炎菌保菌者の調査が行われたばかりであった。此のワクチンは、髄膜炎に罹った人の体液から採取した細菌を加熱して不活化した物であった。注射針はNo.25で、三角筋の起始部に皮下注射された。通常左腕であったが、直近副反応が有った場合は右腕に注射した。約50名から成る以下のグループⅠ〜Ⅵと、99名から成るグループⅦに分けられた。投与量と接種間隔は以下の通り。
①グループⅠ
❶1回目接種(菌数500,000,000/cc)
❷間隔4日
❸2回目接種(菌数1,000,000,000/cc)
❹間隔4日
❺3回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❻間隔8日
❼検体採取
②グループⅡ
❶1回目接種(菌数750,000,000/cc)
❷間隔9日
❸2回目接種(菌数1,500,000,000/cc)
❹間隔10日
❺3回目接種(菌数3,000,000,000/cc)
❻間隔9日
❼検体採取
③グループⅢ
❶1回目接種(菌数1,000,000,000/cc)
❷間隔9日
❸2回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❹間隔10日
❺3回目接種(菌数4,000,000,000/cc)
❻間隔9日
❼検体採取
④グループⅣ
❶1回目接種(菌数1,500,000,000/cc)
❷間隔8日
❸2回目接種(菌数3,000,000,000/cc)
❹間隔8日
❺3回目接種(菌数8,000,000,000/cc)
❻間隔10日
❼検体採取
⑤グループⅤ
❶1回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❷間隔7日
❸2回目接種(菌数4,000,000,000/cc)
❹間隔7日
❺3回目接種(菌数8,000,000,000/cc)
❻間隔10日
❼検体採取
⑥グループⅥ
❶1回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❷間隔6日
❸2回目接種(菌数5,000,000,000〜6,000,000,000/cc)
❹間隔6日
❺3回目接種(菌数10,000,000,000/cc)
❻間隔9日
❼検体採取
⑦グループⅦ
❶1回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❷間隔7日
❸2回目接種(菌数4,000,000,000/cc)
❹間隔8日
❺3回目接種(菌数8,000,000,000/cc)
❻間隔17日
❼検体採取
途中から接種しなかった者は、接種後に以下等の症状が出た。
①咳
②下痢
③発熱
④頭痛
ジョンソンの指示により、医療部隊の中尉セルジュ・アンドロップは、ワクチン接種翌朝の検査時に、局所及び全身の反応に関する報告を兵士から収集した。菌数2,000,000,000/ccで副反応が発生したのは僅か2件であった。1件はグループⅡの或る警官で、以前から外来タンパク質に対して過敏であり、腸チフス及びパラチフスのワクチン接種により、重度の反応を示した事が有ると説明していたが、今回の1回目の接種後に、頭痛と倦怠感を伴う、重度の局所及び全身反応を発症した。もう1人もグループⅡの警官で、2回目の接種後に同様の症状が発現し、翌日は寝たきりであった。グループⅤでは、1回目の接種で以下を訴えた。
①発熱9名
②頭痛4名
③悪寒1名
グループⅥでは、3回目の接種で11名に全身反応が見られたが、寝たきりになったり、職務を免除された者は出なかった。グループⅦの3回目の接種では、多くの男性の以前の注射部位に、持続的な無痛の皮下硬結が残っていた。連隊軍医とロックフェラー医学研究所との仲介役である師団訓練担当官で大尉のアルバート・バウアーは、軍医会議を招集し、其処でワクチンの投与方法・効果・観察すべき点が説明され、議論された。
1,917 10 24 フランス・ロスチャイルド商会がロシア共和国内の石油産業の大企業15社の株式総額の35%以上を所有していた。
1,917 11 2 イギリス外相アーサー・バルフォアが、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(ライオネル・ド・ロスチャイルドの孫)に対し、シオニズム支持の書簡を送る。
1,917 11 5 ボリシェヴィキの指導者の1人のヤーン・アンヴェルトが、エストニア自治政府の首都タリン(現在のエストニアのハリュ県)にて、左翼革命勢力を率いて武装蜂起を開始する。以降、ボリシェヴィキの中にレフ・トロツキー等のユダヤ人指導者が居た事から、ボリシェヴィキ=ユダヤ人という認識が欧米で広まり、ジェイコブ・シフ等が打撃を受けた。シフは表向き、ボリシェヴィキには反対であった。ヘンリー・フォードは、自身が創刊した新聞である「ディアボーン・インディペンデント紙」で繰り返し、シフがボリシェヴィキに資金提供した、と攻撃した。
1,917 12 イギリス軍がエルサレムを占領する。
1,917 12 飛行機研究所が、群馬県新田郡太田町(現在の群馬県太田市)に移転する。同地に「呑龍工場」が設立された。
1,917 12 10 豊田佐吉が、同年に自身の出願した環状単流原動機の特許(第31865号)を取得する。
1,918 ウラジーミル・レーニンがこの年から西暦1,922年迄に450,000,000ドルをクーン・ローブ商会に返済を行う。
1,918 カーネギー研究所が、メアリー・ウィリアムソン・ハリマンから資金提供を受け、EROの資金を引き継ぐ。
1,918 チャールズ・ダベンポートが、以下の人間と共に優生学団体「ゴルトン協会」を設立する。
①ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン
②マディソン・グラント
同協会は以下を支持した。
①優生断種プログラム
②移民制限法
③異人種間結婚禁止法
④不適者の産児制限
1,918 マウンディ・グレゴリーが自由党に、爵位と引き換えの自由党に対する資金提供を手配する様促す。デビッド・ロイド・ジョージは、自身が計画していた「統一立憲党」結党資金を集める為のブローカーとしてグレゴリーを引き入れた。
1,918 ジョージ・シュルツの父博士バール・アール・シュルツが、ニューヨーク連邦準備銀行と同じ建物内に所在する投資信託会社「アメリカン・インターナショナル・コーポレーション」の人事部長として勤務を始める。西暦1,923年迄勤めた。同社はロシア革命中にボリシェヴィキに対し、1,000,000ドルの融資を行なった。バールは、アメリカ社会主義労働者党の共同創設者ジュリアス・ハマーと親友であった。ジョージはプラット家の一員で、ロックフェラーと親戚関係にあった。後にプラット家の邸宅を、CFRに寄贈した。
1,918 1 15 髄膜炎菌ワクチン接種の研究が開始される。
1,918 1 21 ロックフェラー医学研究所主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種がフォートライリーの第89師団の約25,000名の将校・兵士の内、志願者に対して開始される。以下2名が関与していた。
①フレデリック・テイラー・ゲイツ
②フレデリック・ラモント・ゲイツ
アメリカ軍の志願兵に対し、8〜10日の間隔を空けて3回の接種を行った。各回の接種者数は以下の通り。
1回目:4,792名
2回目:4,257名
3回目:3,702名
NIHは、第一次世界大戦中に此の抗髄膜炎血清を、以下の国等に配布した。
①イギリス
②フランス
③ベルギー
④イタリア
1,918 1 30 豊田自動紡織工場の事業と資産を株式会社に改組され、愛知県愛知郡中村大字栄字米田(現在の愛知県名古屋市西区則武新町)にて「豊田紡織株式会社」が設立される。経営陣は以下であった。
①社長:豊田佐吉
②常務取締役:豊田利三郎
③取締役:藤野亀之助
④監査役:児玉一造
実質的な経営は利三郎が担った。従業員は約1,000名で、工場設備としては、イギリスのプラット・ブラザー社製の紡機の錘数が34,080、豊田式織機は1,008台であった。佐吉は、自社の経営が安定した事を見届けると、単身中華民国へ渡り、上海や漢口(現在の中国湖北省武漢市)等の主要都市を訪れ、市場調査を行った。佐吉は、中華民国に大規模な紡績と織布工場のニーズが有ると確信し、上海に工場用地を手配した。
1,918 2 4 アメリカのニューヨーク州ロングアイランドのサフォーク郡ヤファンクにあるキャンプアプトン(アメリカ陸軍の乗船港)にて、軍の志願兵12,519名を対象にロックフェラー医学研究所の髄膜炎菌ワクチンの人体実験が開始される。
1,918 2 4 此の日以降に3回目の接種が予定されていた第89師団の髄膜炎菌ワクチン接種者の内約半数が、医務官の間で高用量による重度の副反応が数件発生した事を背景に、菌数4,000,000,000/ccで、此の日以降3回目の接種を受ける。此の日の時点で一部の連隊では3回の接種を完了していた。1回目の接種では、腸チフスワクチンよりも副反応は少ないという意見が支配的で、副反応によって翌日の任務を免除された者は限定的であった。2回目の接種では、略全ての部隊で以下の症状を示す者が少数発生した。
①頭痛
②関節痛
③吐き気
④便の緩みや一過性の下痢
此れ等は過去には見られなかった症状で、発症した者は軽度の鼻風邪や気管支炎を患っている者が多かった。菌数が減らされる前に3回目の接種を終え、菌数8,000,000,000/ccが投与された部隊の中には、全身及び局所の重度な副反応が数件有り、翌日の任務免除が必要であった。症状は、パラチフス予防ワクチン接種後に時折見られるものよりも重くは無く、有害な結果は報告されなかった。重篤な副反応は、フォートライリーの基地病院や医療将校訓練キャンプの医療将校に発生する傾向が有った。此れは、下士官兵よりも拘束作業が多く、より高い神経的緊張、内省的傾向が強かった為と考えられた。或る連隊では、誤解により、4名の兵士が初回で8,000,000,000/ccが投与されたが、忍容性は良好であった。軍医は、
①1名は30分間の悪寒・1時間の頭痛・軽度の局所反応
②1名は軽度の頭痛・軽度の局所反応
③1名は24時間に渡る重度の局所反応と頭痛
④1名は軽度の局所反応・12時間の頭痛
と報告した。
1,918 3 アメリカ外征軍がブレスト(フランスのフィニステール県)に上陸を開始する。此の月からアメリカ外征軍の本格的なヨーロッパ遠征が始まった。本月は84,000名のアメリカ兵が輸送船で大西洋を横断してヨーロッパに渡った。アメリカ外征軍には、スペイン風邪感染から回復した兵士も含まれ、ウイルスをヨーロッパに持ち込んだ。
1,918 3 4 フォートライリーのファンストン基地の病院にて兵士アルバート・ギッチェルがインフルエンザの症状を訴える。髄膜炎菌ワクチンの人体実験の参加者であった。
1,918 3 11 朝、フォートライリーにてスペイン風邪の第1波が始まる。軍医エドワード・R・シュライナーは、正午迄に100名以上の病気に罹った兵士の治療に当たったが、シュライナーの目には、全員が同じ病気に苦しんでいる様に見えた。後に同様の症状を訴える兵士が続出し、1,000名以上が感染、48名が死亡した。此れ等の兵士が第一次世界大戦中のヨーロッパの戦場へ赴き、解熱や免疫を抑制するアスピリンを処方され、多数の犠牲者を出した。感染した宿主は、短期間で以下等の定着菌株のエアロゾル化を促進させた。
①肺炎球菌
②溶血性連鎖球菌
③インフルエンザ菌
④黄色ブドウ球菌
髄膜炎菌ワクチンが原因であったが、ロックフェラー医学研究所は、強毒なH1N1亜型インフルエンザが流行したとマスメディアを使って喧伝し、スペイン風邪に話をすり替えた。
1,918 3 18 フォートライリーのファンストン基地の病院にて522名のスペイン風邪の感染者が発生する。
1,918 4 本月118,000名のアメリカ兵が輸送船で大西洋を横断しヨーロッパへ渡った。
1,918 4 フランス北部にいたイギリス兵と塹壕で対峙していたドイツ兵がスペイン風邪に感染する。ドイツ軍は、感染した塹壕の兵士を前線から退避させ、健康な兵士と交代させた。此れにより、スペイン風邪は新たな宿主である若く健康な兵士に継続的に接触し、其処で適応・増殖する事により、強毒化していった。
1,918 4 飛行機研究所が「中島飛行機製作所」に改称される。
1,918 4 15 キャンプアプトンでの軍の志願兵を対象にした髄膜炎菌ワクチンの人体実験が終了する。結果少なくとも6,131名が入院した。
1,918 5 フランス南部のフランス兵の間でスペイン風邪が流行する。
1,918 6 ポーツマス(イギリスのハンプシャー州)からムルマンスク(ソ連)に渡ったアメリカ兵によりスペイン風邪が持ち込まれる。
1,918 6 2 ロシア帝国が以下2社を国有化する。
①カスピ海・黒海石油産業貿易会社
②マズット貿易・輸送会社
1,918 6 4 フォートライリーのアメリカ兵に対する髄膜炎菌ワクチンの接種が終了する。
1,918 7 17 ニコライ2世一家の支持者による救出を恐れてボリシェヴィキが差し向けた、ヤコフ・ユロフスキー率いる秘密警察組織チェーカーによって、エカテリンブルク(現在のロシアのスヴェルドロフスク州)のイパチェフ館にて以下11名が銃殺される。
①ニコライ2世
②皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ
③ニコライ2世の長女オリガ・ニコラエヴナ
④ニコライ2世の弐女タチアナ・ニコラエヴナ
⑤ニコライ2世の参女マリア・ニコラエヴナ
⑥ニコライ2世の四女アナスタシア・ニコラエヴナ
⑦ニコライ2世の長男アレクセイ・ニコラエヴィチ
⑧ニコライ2世の専属医エフゲニー・ボトキン
⑨フョードロヴナの女中アンナ・デミドヴァ
⑩ニコライ2世一家の料理人イヴァン・ハリトーノフ
⑪ニコライ2世一家の従僕アレクセイ・トルップ
1,918 7 20 フレデリック・ラモント・ゲイツが、以下の主旨の内容の髄膜炎菌ワクチン接種に関する報告書を作成する。
①3,702名のボランティアに対し、1週間間隔で3回の皮下注射を行った。菌数は其々以下の通り。
1回目:2,000,000,000/cc
2回目:4,000,000,000/cc
3回目:4,000,000,000/cc又は8,000,000,000/cc
②此れ等の接種によって、極軽度の局所的及び全身的反応以上の反応が現れるケースは稀であった。例外的に、より重篤な反応が見られ、ワクチンに対する特異的な感受性の存在が示唆された。此の様な場合、症状の一部は髄膜刺激症状であり、髄膜炎の発症を模倣することも有った。
③ワクチン接種を受けた男性の血清中には、正常対照群と比較して、髄膜炎菌特異的凝集素が検出された。
④更に、髄膜炎菌の慢性保菌者の血清中にも凝集素が検出された。此の様に、慢性保菌者の流行性髄膜炎に対する相対的な免疫性は、血流中に特異的抗体が存在する事による可能性が示唆された。
⑤副反応として以下が発生した。多い順に列挙する。
❶下痢
❷吐き気・嘔吐
❸眩暈
❹全身の関節や筋肉の痛み
❶に関し、数例の便の緩みや一過性の下痢の症例が数例観察された。しかし此れ等は深刻なものでは無い。唯、此の症状は以前には見られなかった。個々の症例を慎重に調査した所、髄膜炎菌ワクチンの影響を訴えた兵士が、注射時に軽度の鼻風邪や気管支炎等を患っていた事が度々明らかになった。又、悪寒や寒気によって副反応が引き起こされる兵士や、翌晩に発熱を訴える兵士も居た。❹に関しては、首や腰部に局所化して強張りを引き起こす事も有った。副反応は時折流行性髄膜炎の発症を模倣し、ワクチン接種を受けた数名の兵士が、診断の為に基地病院に搬送された。
1,918 8 ルドルフ・フォン・セボッテンドルフによってミュンヘンで秘密結社「トゥーレ協会」が設立される。
1,918 9 13 第4代アメリカ公衆衛生局長官ルパート・ブルーがアスピリンの使用を推奨する。
1,918 9 13 キャンプアプトンにてスペイン風邪が発生し38名のアメリカ兵が入院する。
1,918 9 14 キャンプアプトンのアメリカ兵86名がスペイン風邪で入院する。
1,918 9 15 キャンプアプトンのアメリカ兵193名がスペイン風邪で入院する。
1,918 9 26 アメリカ海軍にアスピリンが処方され始める。
1,918 10 アメリカ政府が、アメリカ資本の大規模な中華民国への進出を意図し、中華民国政府に対する借款事業の独占を主目的とする国際的な銀行団のシンジケートを提唱する。しかし最終的に失敗した。
1,918 10 4 キャンプアプトンのアメリカ兵483名がスペイン風邪で入院し、ピークに達する。
1,918 10 5 アメリカ医師会が発行する臨床雑誌であるJAMAがアスピリンの使用を推奨する。
1,918 10 5 アメリカ陸軍にアスピリンが処方され始める。
1,918 11 三菱造船が、自社の神戸造船所内燃機工場の内燃機部門にて、量産を前提とした4輪乗用車「三菱A型」を完成させる。
1,918 11 11 ドイツと連合国の間で休戦協定が締結される。アメリカ兵は、母国や植民地の前哨基地に戻りスペイン風邪を世界中に広めていった。最終的にスペイン風邪により、50,000,000〜100,000,000名の死者が発生した。研究者達による遺体の剖検が為されたが、肺培養検査で陰性の遺体は1つも無かった。少なくとも遺体の92.7%の死因が細菌性肺炎とされた。
1,918 11 11 ジョージ・シャーレンが、ゾロトゥルン(スイス)にて「ミドーG・シャレン・アンド・カンパニー・ウォッチ」を設立する。
1,919 イギリスの外交官ライオネル・カーティスが、国際問題研究の為の研究所を設立する事を提唱する。
1,919 ドイツの人種衛生学者アグネス・ブルームがカイザー・ウィリアム生物学研究所に入所し、遺伝とアルコール中毒の研究を始める。その後ロックフェラー財団がブルームに対し資金援助を行い、数年間研究を行った。
1,919 グッチオ・グッチが、フィレンツェの皮革製品店「フランツィ」にて勤務を始める。高級革に関する知識や経験を身に付けた。
1,919 豊田佐吉が、半ば永住の覚悟で再び上海へと向かう。そして、1年掛けて工場用地を手に入れた。
1,919 1 5 トゥーレ協会ディートリヒ・エッカート、カール・ハラー、政治活動家アントン・ドレクスラー、実業家ゴットフリート・フェーダーが、ドイツ労働者党をミュンヘンで設立する。以降ロスチャイルド家の融資を受けて急成長する。
1,919 3 1 ウッドロウ・ウィルソンの民族自決の原則に期待し、日本の植民地支配を世界に訴え、独立宣言を発表してパリ講和会議に請願しようとした孫秉煕ら33名が日本の官憲に逮捕される。
1,919 3 2 初代初代人民委員会議議長であったウラジーミル・レーニンが、国際共産主義運動の指導組織「コミンテルン」を設立する。
1,919 3 23 ベニート・ムッソリーニが、ファシズム組織である「イタリア戦闘者ファッシ」を設立する。構成員は反共主義者の退役軍人が中心であった。大衆動員を積極的に利用し、市民的自由や人権を無視する国家主義を掲げ、反対派を弾圧する独裁主義である「ファシズム」を掲げ、以降ロスチャイルド家の融資を受けて急成長していった。
1,919 4 5 山本五十六がアメリカ駐在武官としてハーバード大学に留学する。西暦1,921年5月5日に帰国を命じられる迄にイルミナティのエージェントに仕立てられた。
1,919 4 11 パリ講和会議の国際連盟最終委員会にて、日本は、創設が予定されていた国際連盟の規約のなかに、人種差別の撤廃に関する条項を加える事を提案し、出席者16名中11名の賛成を得たが、議長であったウッドロウ・ウィルソンが、このような重要事項の決定には全会一致を要するとして、日本の提案を退けた。また、第7代オーストラリア首相ビリー・ヒューズが、白人移民を中心にオーストラリア社会を構成しようとする白豪主義の維持が困難になると考え、反対を主張した。
1,919 6 朝鮮総督府によってアヘン取締令が出される。
1,919 9 8 ヴィッカース・リミテッド社が、メトロポリタン・キャリッジ・ワゴン社を買収し、ウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーの株式を取得して支配権を獲得し「メトロポリタン・ヴィッカース電気社」を設立する。当初は発電機を主に扱っていたが、後に以下の製造を行い、多角化していった。
①蒸気タービン
②開閉装置
③変圧器
④電子機器
⑤鉄道牽引装置
1,919 9 12 この日からイギリス・ロスチャイルド商会の「黄金の間」にて、土日祝を除く10:30と15:00にフィキシングプライス(全世界の金価格の値決め)を開始する。初期は以下のロスチャイルド系銀行5社により行われた。
①N・M・ロスチャイルド&サンズ
②モカッタ・ゴールドシュミット
③サミュエル・モンタギュー
④シャープス・ピクスレイ
⑤ジョンソン・ マッセイ
1,920 イギリスで危険薬物法が制定され、アヘンが禁止となる。
1,920 クリクトン・ミラーによって、タビストック・クリニックが大ロンドンのカムデン区ブルームスベリーのタヴィストック・スクエアに設立される。
1,920 アメリカの医学部の数が85(西暦1,904年比47%減)、13,800名の医学生が学んでいた。
1,920 優生学と強制不妊手術によって人種を向上させるドイツの人種衛生学者アグネス・ブルームが行なっていた動物の遺伝やアルコール中毒の研究に関し、ロックフェラー財団から資金提供を受ける。
1,920 豊田紡績株式会社の33057.85㎡の紡織工場が完成する。
1,920 1 ジェイコブ・シフが、モンテフィオーレ慢性病患者ホームの理事長を退任する。其の慰労晩餐会で、モンテフィオーレ慢性病患者ホーム理事ウィリアム・ゴールドマンは、シフの慈善事業とモンテフィオーレ慢性病患者ホームへの貢献を称え、アメリカのユダヤ人社会にシフ時代を築いた、と述べた。
1,920 1 16 アメリカで禁酒法が施行される。
1,920 1 30 経営難に陥った広島のコルク栓製造会社を救済する為、地元財界の有力者が中心となり、広島県広島市中島新町(現在の広島県広島市中区中島町)に「東洋コルク工業株式会社」を設立する。海塚新八が初代東洋コルク工業株式会社社長に就き、重役の1人として、松田重次郎が名を連ねた。
1,920 3 15 鈴木式織機製作所が、資本金500,000円で、株式会社に改組し「鈴木式織機株式会社」となる。鈴木道雄は、取締役社長に就任した。
1,920 7 5 ロバート・セシルを座長に、RIIA(英国国際問題研究所)の設立総会が開催される。
1,920 9 25 ジェイコブ・シフが死去する。
1,920 12 14 豊田佐吉が、自身の発明した環状単流原動機の特許出願を行う。
1,921 実験進化研究所が、EROを吸収し、同研究所の遺伝学部門とする。引き続き、チャールズ・ダベンポートが所長として指揮を執った。
1,921 グッチオ・グッチが、フィレンツェに皮革製品店を創業する。
1,921 1 21 リヴォルノのゴルディーノ劇場での第17回イタリア社会党大会の開催中であったこの日、共産主義派が、アマデーオ・ボルディーガの呼び掛けによってサン・マルコーニ劇場に集まり、コミンテルンのイタリア支部として「イタリア共産党」の結党を宣言し、イタリア社会党が分裂する。ベニート・ムッソリーニは、イタリア共産党が支持基盤が弱く、勢力としては小さかったにも拘らず、同党をボリシェヴィキの手先であると非難して脅威を煽り、自身の勢力を強めていった。
1,921 3 松田重次郎が、故郷の広島に帰り、体調不良の海塚新八に代わり、第2代東洋コルク工業株式会社社長に就任する。松田は、コルク栓を製造する際に発生する屑を、断熱材・絶縁体・緩衝材として用いられる圧縮コルク板として有効利用し、事業の拡大を図った。
1,921 3 12 豊田佐吉が、自身の発明した投杼安全装置の特許出願を行う。
1,921 5 15 第19回イタリア総選挙が行われる。第55代イタリア王国首相ジョヴァンニ・ジョリッティの働きかけで結成された政党連合「国民ブロック」にイタリア戦闘者ファッシも参加し、国民ブロックは535議席中105議席を獲得して、イタリア社会党の123議席、イタリア人民党の108議席に次ぐ第3党となり、イタリア戦闘者ファッシも、ベニート・ムッソリーニを含む35名が下院議員として当選した。
1,921 7 23 コミンテルンの主導により、北京大学文科長陳独秀、北京大学図書館長、李大釗、元北京大学図書館司書毛沢東等が各地で結成していた共産主義組織を糾合する形で、日本の東京帝国大学への留学から帰国した李漢俊の上海の自宅で第1次全国代表大会を開催し、結成される。毛はロスチャイルド家から資金提供を受け、以下の代理人によって操作されていた。
①アメリカ財務省ソロモン・アドラー
②ボリシェヴィキの息子イスラエル・エプスタイン
③IMF長官フランク・コー
1,921 7 29 CFR(外交問題評議会)が設立される。アメリカをイギリスの影響下に置き続ける事を目的に設置された。CFRはアメリカの政治に深く関与し、以下の役職に人材を送り込む事となった。
①アメリカ大統領:8名
②アメリカ副大統領:7名
③アメリカ国務長官:17名
④アメリカ陸軍長官及びアメリカ国防長官:20名
⑤アメリカ財務長官:18名
⑥CIA長官:15名
そして、以下の人間等が会員に名を連ねた。
①デイヴィッド・ロックフェラー
②アレン・ウェルシュ・ダレス
③ジョン・J・マクロイ
④ズビグネフ・ブレジンスキー
⑤ヘンリー・キッシンジャー
⑥ジョージ・ソロス
1,921 8 15 豊田佐吉が、同年に自身の出願した投杼安全装置の特許(第39534号)を取得する。
1,921 8 30 豊田佐吉が、前年に自身の出願した環状単流原動機の特許(第39749号)を取得する。
1,921 9 25 この日から3日間、アメリカ自然史博物館(ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイド)にて、古生物学者で地質学者のヘンリー・フェアフィールド・オズボーンを議長、アレクサンダー・グラハム・ベルを会長とし、第2回国際優生学会議が開催される。元々は西暦1,915年にニューヨークで開催される予定であったが、第一次世界大戦で優生学研究が中断していた為、それを再開させる意図があった。アメリカ国務省が世界中の識者に招待状を送った。主賓のレオナルド・ダーウィンは、優生学の必要性を唱え、以下を訴えた。
①不適格者の排除
②恵まれない者の大家族の抑制
③恵まれた者の大家族の奨励
1,921 11 9 ベニート・ムッソリーニが、第3回イタリア戦闘者ファッシ大会にて、イタリア戦闘者ファッシを改組し「ファシスト党」を結党する。
1,921 11 12 第29代アメリカ大統領ウォレン・ハーディングの提唱により、アジア太平洋の諸問題や海軍軍縮問題を討議する為の国際会議である「ワシントン会議」が、此の日から西暦1,922年2月6日迄の日程で開催される。此の会議は、日露戦争や第一次世界大戦によって日本が得た成果をアメリカ・中華民国が連携して否定する事を意図していた。
1,921 11 29 豊田佐吉が、豊田紡織株式会社の上海での事業を独立させ、中華民国上海极司菲尔路(現在の中国上海市長寧区万航渡路)に「株式会社豊田紡織廠」を設立する。佐吉は上海と名古屋を往復しながら、豊田喜一郎や部下と共に研究に没頭し、上海事業は成功を収め、日本での事業展開にも多大に貢献した。
1,922 アメリカでコカインが禁止される。
1,922 ハリー・ラフリンが、アメリカ各州の断種法に関する報告書を提出する。各州の断種法が提起する問題を明確にして、模範断種法を作成した。
1,922 5 京津日日新聞の記者であった里見甫が、第一次奉直戦争の時、軍閥の頭目、張作霖に会見を許され取材した。 その時の通訳が後の関東軍指令官になった陸軍中佐本庄繁であった。
1,922 10 世界紅卍字会が中華民国山東省済南府に於いて、政府の批准により創設される。
1,922 10 24 ベニート・ムッソリーニが、ナポリで開かれたファシスト党大会にて、支持者に向けて「我々の計画はシンプルだ。我々はイタリアの支配を望む。もし政府が辞任しないのであればローマに進軍しなければならない」と述べる。
1,922 10 27 ファシスト党の武装集団「黒シャツ隊」40,000名が、ローマに進軍し、中心部を占拠する。ベニート・ムッソリーニはミラノで事態を見守っていた。
1,922 10 28 第58代イタリア王国首相ルイージ・ファクタが、黒シャツ隊を武力で制圧しようとする。しかし、第3代サヴォイア朝イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ファクタと内閣を辞任させた。
1,922 10 29 ファシストを統制出来るのはベニート・ムッソリーニだけであると判断したヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が、ムッソリーニに打電をしてローマに召喚し、組閣を命じる。
1,922 12 18 豊田佐吉が、自身の発明した杼換準備装置の特許出願を行う。
1,922 12 18 豊田佐吉が、自身の発明した杼換式自動織機に於ける予備杼溜の改良の特許出願を行う。
1,922 12 20 豊田佐吉が、自身の発明した織機用緯管さぐり装置の特許出願を行う。
1,922 12 26 豊田佐吉が、前年に自身の出願した織機用緯管さぐり装置の特許(第50940号)を取得する。
1,923 京都日日新聞の北京版として北京新聞が創刊され、里見甫が主幹兼編集長に就任する。郭沫若と親交を結んだ。
1,923 この年以降、ボヘミアンクラブに以下の人間が参加し始める。
①アメリカ共和党所属のアメリカ大統領
②アメリカ民主党所属のアメリカ大統領の一部
③アメリカの官僚
④大手金融機関を含む大企業の取締役やCEO
1,923 ボヘミアンクラブが入会待ちリストを導入する。カリフォルニア州民が30歳迄に入会を認められなかった場合、商業的若しくは政治的な著名人にならない限り、会員になる事は絶望的であった。また、多くの男性が入会待ちリストに掲載された儘亡くなった。投票権を持つ通常会員の入会金は8,500ドルで、年会費は2,000ドル以上に設定されていた。通常会員は娯楽を求める為、才能の有る人間は会費を大幅に割引された。1年の内の特定の時期には、女性の入会も認められているが、男性会員の同伴でのみ可能であった。
1,923 アルバ・ヴァンダービルトがフランスへ渡る。其の際家具を多数運んだ。
1,923 フレデリック・テイラー・ゲイツが、ロックフェラー財団の理事会メンバーを退任する。
1,923 1 11 フランス5個師団、ベルギー2個師団が、ルール地方の工業および鉱山の監視する連合国監視団を保護するという名目で、ルール地方の占領を開始する。真の狙いはルール地方の物流を差し押さえ、賠償を確保すると共に、ドイツに圧力を加える為のものであった。
1,923 1 12 豊田佐吉が、自身の発明した織機用緯管さぐり装置の特許出願を行う。
1,923 2 尼崎汽船が、スワールデクールンを君が代丸とし、船長原口熊次郎が、大阪-済州島(現在の韓国)間の就航を開始させる。以降済州島民が労働の為日本に渡航する様になる。猪飼野(現在の大阪府大阪市東成区玉津、大今里西の各一部、生野区中川西及び鶴橋、桃谷、勝山北、勝山南、舎利寺、中川、田島の各一部)周辺が受け皿となる。
1,923 5 18 豊田佐吉が、自身の発明したシャトル緯糸引通装置の特許出願を行う。
1,923 7 13 豊田佐吉が、前年に自身の出願した杼換準備装置の特許(第50891号)を取得する。
1,923 7 13 豊田佐吉が、前年に自身の出願した杼換式自動織機に於ける予備杼溜の改良の特許(第50918号)を取得する。
1,923 7 13 豊田佐吉が、前年に自身の出願した杼換式自動織機に於ける予備杼溜の改良の特許(第50918号)を取得する。
1,923 7 16 豊田佐吉が、同年に自身の出願した織機用緯管さぐり装置の特許(第50941号)を取得する。
1,923 8 2 カルビン・クーリッジが、第30代アメリカ大統領に就任する。クーリッジ以降の共和党の大統領は、ほぼ全員がボヘミアンクラブのメンバーとなった。
1,923 9 1 11:58、関東大震災が発生する。其の後、日本は震災復興の為のニューヨークの外債発行を計画するが、第23代大蔵大臣井上準之助は、第一次世界大戦でのアメリカの反独感情の高まりにより、ジェイコブ・シフ等のドイツ系ユダヤ人の経営するクーン・ローブ商会の影響力に陰りが出て来た事や、高橋是清への対抗心から、クーン・ローブ商会では無く、ライバルのJ.P.モルガン商会を選択した。水戸光圀の献上した日御座の御剣は、高輪御殿と共に焼失した。其処で、西暦1,915年11月10日の即位の礼では、後鳥羽上皇が鍛治に命じて鍛えさせ、自身でも手を加えて鍛えた菊御作の御太刀が御剣として選ばれた。此れに黄金造りの装飾を施し、永遠に御即位の御剣と定めるべく、其の調製が東京美術学校に下命された。同校は、刀剣の歴史に詳しい宮内省御用掛松平頼平を顧問に迎え、以下の人間が約1年に渡り尽力し、装飾が完成した。
①漆工・蒔絵
❶東京美術学校教授六角紫水
❷東京美術学校助教授松田権六
②彫金
❶東京美術学校清水南山
❷東京美術学校助手福田一郎
❸白銀師丸尾専太郎
仕上げの装飾は、道明新兵衛が奉仕する紫鹿皮の御帯取に、金糸で刺繍された菊の御紋であった。此の御太刀は黄金で、以下の特徴を有した。
①鞘
金蒔絵の上に黄金を施し、其処に十五の菊の御紋章を浮き彫りにした
②鍔
黄金の四花形
③柄
銀鮫皮で、金3割・銀7割の比率で配合された
④帯取
200枚の小鹿の皮から選び抜かれた10枚を使用し、南部の紫紺染を140回も繰り返して作られた深みのある紫鹿皮に、菊の御紋を金糸で刺繍
1,923 11 豊田紡績株式会社が、自動織機の営業的試験の完璧を期する事を意図し、愛知県碧海郡刈谷町(現在の愛知県刈谷市)に自動織機の試験工場を新設する。
1,924 フレデリック・テイラー・ゲイツが、中国の医療を世界最高水準に引き上げ、中国の医療から中国の伝統的な宗教の影響を排除する事等を意図し、ロックフェラー財団の理事会に対しCMBへの265,000,000ドルの資金提供を要請する。しかし、CMBが此れに反発し、ゲイツは爪弾きにされ、最終的にゲイツはCMBを辞職する事となった。
1,924 マックス・ウォーバーグがクーデンホーフ=カレルギー伯爵のパン・ヨーロッパ運動に60,000マルクの資金提供を行う。
1,924 豊田佐吉が「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」を完成させる。此の織機は、高速運転中にスピードを落とす事無く杼を交換して横糸を自動的に補給する自働杼換装置や、保護・安全・衛生等の機構・装置を有し、以下の機能が盛り込まれた。
①杼換誘導
②横糸切断自働停止
③縦糸切断自働停止
豊田は、豊田式織機株式会社に此の織機を発注したが、同社は拒否した。豊田が退職した際、特許を同社に譲渡した筈が、其れを侵害しているというのが言い分であった。最終的に豊田は、特許権を侵害しない形に改め、稼働させた。結果、1人で30~50台を同時に稼働させる事が出来、生産性が向上した。
1,924 2 正力松太郎が、警察官退職時の上司である後藤新平が自宅を抵当に入れて用立てた100,000円を借り入れ、読売新聞社を買収し、第7代読売新聞社社長に就任する。
1,924 2 13 J.P.モルガン商会が関東大震災の震災復興公債150,000,000ドルを日本政府から引き受ける。
1,924 3 29 豊田佐吉が、前年に自身の出願したシャトル緯糸引通装置の特許(第60283号)を取得する。
1,924 6 28 豊田佐吉が、自身の発明した自動木管換装置の特許出願を行う。
1,924 10 30 豊田佐吉が、自身の発明した杼換安全装置の特許出願を行う。
1,924 11 8 豊田佐吉が、自身の発明した経糸切断による停止装置の特許出願を行う。
1,924 11 11 豊田佐吉が、自身の発明した杼押へスウェルの装置の特許出願を行う。
1,924 11 25 豊田佐吉が、自身の発明した杼換式自動織機の特許出願を行う。
1,924 12 24 豊田佐吉が、自身の発明した経糸送出装置の特許出願を行う。
1,924 12 24 豊田佐吉が、自身の発明した経糸張力調整装置の特許出願を行う。
1,924 12 25 豊田佐吉が、自身の発明した環状織機の綻絖装置の特許出願を行う。
1,924 12 25 豊田佐吉が、自身の発明した環状織機の杼推進装置の特許出願を行う。
1,924 12 25 豊田佐吉が、自身の発明した環状織機の職布巻取装置の特許出願を行う。
1,924 12 29 豊田佐吉が、自身の発明した経糸停止装置の特許出願を行う。
1,925 IPR(太平洋問題調査会)がハワイのホノルルで設立される。ここは国際連盟脱退後、日本唯一の国際窓口となったNGOで、太平洋戦争時には、この機関を通して対日工作が行われた。この組織の上層部は全員がソ連のスパイであった。IPRはチャタムハウスの下部組織だが、資金提供はロックフェラー財団とカーネギー財団が行ってきた。
1,925 ウォーデンクリフ・タワーの跡地が、ブルックリンのウォルター・L・ジョンソンによって買い取られる。
1,925 東洋コルク工業株式会社が、工場設備の70%を焼失する火災に見舞われる。此の火災や関東大震災の影響により、業績が悪化した。此れを機に松田重次郎は、機械製造への進出を検討し始めた。
1,925 2 11 スイスのジュネーヴで第一阿片条約が署名される。主に以下の内容が規定された。
①アヘンの輸入や販売を政府の独占事業とする
②未成年者の煙膏の使用の禁止
③煙館の数の制限
④輸出国政府発行の輸入証明書がないアヘンを輸出、通過等を禁止する
⑤万国阿片条約と第一条約の実施を審査する会議の開催
1,925 2 19 ジュネーヴで第二阿片条約が署名される。主に以下の内容が規定された。
①アヘン及びコカ葉の生産、輸出、販売等の取り締まりに法規を設ける
②麻薬の製造、販売、輸出入等に許可制度を設ける
③大麻の取引の取り締まり
④麻薬の輸出入等の報告
⑤常設中央委員会の設置
1,925 2 26 豊田佐吉が、自身の発明した杼換式自動織機の杼押桿作動装置の特許出願を行う。
1,925 3 2 豊田佐吉が、自身の発明した自動織機の予備杼溜の特許出願を行う。
1,925 3 14 豊田佐吉が、自身の発明した経糸切断に因る停止装置の特許出願を行う。
1,925 3 30 豊田佐吉が、自身の発明した投杼杼受装置の特許出願を行う。
1,925 6 29 豊田佐吉が、前年に自身の出願した経糸切断による停止装置の特許(第64513号)を取得する。
1,925 7 6 豊田佐吉が、前年に自身の出願した杼換安全装置の特許(第64501号)を取得する。
1,925 7 14 豊田佐吉が、前年に自身の出願した杼押へスウェルの装置の特許(第64798号)を取得する。
1,925 7 22 豊田佐吉が、自身の発明した自動織機の杼換装置の特許出願を行う。
1,925 8 10 豊田佐吉が、前年に自身の出願した杼換式自動織機の特許(第65156号)を取得する。
1,925 8 11 豊田佐吉が、同年に自身の出願した環状織機の綻絖装置の特許(第65171号)を取得する。
1,925 8 19 豊田佐吉が、同年に自身の出願した環状織機の杼推進装置の特許(第65262号)を取得する。
1,925 9 第一君が代丸が、航行中に台風と遭遇して、人命を優先して済州島に座礁させられる。その後第一君が代丸に代わり、ソ連からマンジュールを購入し、第二君が代丸として就航させる。
1,925 9 11 豊田佐吉が、同年に自身の出願した環状織機の職布巻取装置の特許(第65711号)を取得する。
1,925 9 16 豊田佐吉が、自身の発明した自動織機の杼換装置の特許出願を行う。
1,925 9 17 豊田佐吉が、同年に自身の出願した杼換式自動織機の杼押桿作動装置の特許(第65826号)を取得する。
1,925 9 28 豊田佐吉が、同年に自身の出願した自動織機の予備杼溜の特許(第65950号)を取得する。
1,925 9 30 豊田佐吉が、前年に自身の出願した自動木管換装置の特許(第66012号)を取得する。



タイタニック号を沈没させたジョン・モルガン一元化




ページの先頭へ戻る