万物の系譜

西暦1,851〜1,900年

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ビオンテックとファイザーのワクチン共同開発にビル・ゲイツの影一元化

年月日 出来事
1,851 ジョージ・ピーボディが「ピーボディ商会」を設立する。
1,851 ジョン・エマリーが、ロンドンの高級住宅地であるリージェント・ストリートに、紳士服店を開業する。
1,851 アルフレッド・ノーベルが、1年間アメリカに留学する。其処で、蒸気機関の開発や軍艦の設計を行なっていた機械技師ジョン・エリクソンの下で働いた。
1,851 アロイス・シックルグルーバーが、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの下を離れ、ウィーンにて靴職人の見習いとして働き始める。其れ以前からシュピタルの靴職人の下で靴作りを教わっていたシックルグルーバーは、約5年間働いた。
1,851 1 11 洪秀全が広西省桂平県金田村(現在の中国広西チワン族自治区)で挙兵、太平天国を建国した。
1,851 2 2 ジョン万次郎がホイットモアに頼み、喜屋武岬(現在の沖縄県糸満市)の沖合でアドベンチャー号を下ろして貰う。その際万次郎は、寅右衛門に対し、英語で書いた書簡を託した。
1,851 2 3 以下3名がアドベンチャー号で、摩文仁間切の小渡浜(現在の沖縄県糸満市大度)に上陸する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
3名は小渡の村人に歓迎され、ふかし芋をご馳走された。また、3名は、持参してきた牛肉やコーヒーを火に掛け、その場で食して見せた。その後3名は、摩文仁間切番所(現在の沖縄県糸満市米須)の役人に以下の所持物等を没収された。
①航海術書
②数学書
③ジョージ・ワシントン伝記
④地図
⑤八分儀
⑥コンパス
⑦ピストル
1,851 2 以下3名が、摩文仁間切番所から取り調べを受ける。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
役人からご飯とお箸を渡され、3名共上手に使い熟した事から、日本人であると認められた。その後は那覇へ向けて、以下を経由して護送された。
①真壁(現在の沖縄県糸満市)
②兼城(現在の沖縄県糸満市)
③高嶺(現在の沖縄県豊見城市)
④豊見城間切(現在の沖縄県豊見城市)
しかし道中、3名が、キリスト教宣教師バーナード・ジャン・ベッテルハイムと会う事を恐れた鹿児島藩・琉球王国の役人が豊見城間切に戻す様指示し、翁長(現在の沖縄県豊見城市)の高安家に幽閉された。囚われの身ではあったが、綱引きや毛遊び等の行事に参加し、現地の人々と交流していた。曽て琉球の進貢船が遭難した際、高知藩に助けられた事から、第19代第二尚氏王統琉球国王尚泰王は、3名を手厚く保護し、以下の品目等を贈った。
①豚
②鳥
③魚
④泡盛
⑤衣服
1,851 4 30 駐米オランダ代理公使バロン F. テスタが第19代アメリカ国務長官ダニエル・ウェブスターに対し、西暦1,842年8月28日に江戸幕府が発した薪水給与令の事を伝える。
1,851 5 29 第13代アメリカ大統領ミラード・フィルモアが、日本の開国と通商関係を結ぶ為に、ジョン・オーリックを遣日特使に任命する。
1,851 8 27 以下3名が、鹿児島藩に護送される。以降西田町下会所(現在の鹿児島県鹿児島市西田)に留置され、交代で見張りに来る鹿児島藩の足軽から監視された。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
第11代鹿児島藩主島津斉彬の命により、鹿児島藩士は3名を丁重に扱い、毎日の様に山海の珍味佳肴で饗応し、美酒を振る舞う等して厚遇した。また、島津は田原直助と船大工数名を毎日派遣し、以下を学ばせた。
①造船術
②捕鯨術
③航海術
さらに、島津は3名を鹿児島城に招き、万次郎に対し直々に海外の情勢や文化等について質問した。その後島津は、万次郎とのやり取りを書簡に纏め、長崎奉行所に送付した。その報告を、第104代長崎奉行内藤忠明が、第36代韮山代官江川英龍に知らせ、最終的に、万次郎の存在は江戸幕府に認識される事となった。
1,851 9 27 以下3名が、長崎に護送される。以降長崎奉行所による取り調べを受けた。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
長崎奉行所は、海外から持ち込んだ書物を全て没収し、キリスト教徒では無い事を確認する為に踏み絵を行った。長崎奉行所は、最終的に3名に対し、無罪の裁定を下した。
1,851 10 10 ポール・ジュリアス・ロイターが、ロンドンのシティ地区にある王立取引所の裏に「ロイター通信」を設立する。最初の顧客はライオネル・ド・ロスチャイルドであった。世界中に広がるイギリス植民地の商人ネットワークから届く情報をイギリスの投資家や政府に提供する事で、彼らを儲けさせ、大きな利益を得た。イギリス政府や商社はロイターの力で成長する事となる。
1,851 11 13 世界初の海底電信ケーブルがドーバー海峡(イギリス-フランス間)に敷かれる。
1,851 12 28 以下2名の間に長男ペリー・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,852 梅田雲浜が第12代小浜藩主酒井忠義に海防策を建言した所、幕政批判と捉えられ、士籍を剥奪される。
1,852 1 24 ジョン・オ-リックの後任としてマシュー・ペリーが東インド艦隊司令官に任命される。
1,852 7 21 オランダ商館長のヤン・ドンケル・クルティウスが、長崎奉行にアメリカが日本との条約締結を求めており、その為に艦隊を派遣する事が記載されている別段風説書を長崎奉行に提出する。
1,852 8 10 以下3名が、高知藩へ向けて長崎を出発する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
1,852 8 25 以下3名が、高知藩に到着する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
第15代高知藩主山内容堂は、万次郎から直接西洋事情を聞き取った。その際、異国の服装で召し出し、見物した。また、吉田東洋が取り調べを行うが、3名が日本語を殆ど忘れていた為、取り調べが出来ず、蘭学の知識のあった画家河田小龍を立ち合わせた。河田は、高知藩の許可を得て、万次郎を自宅に寄宿させ、日本語の読み書きを教育しつつ、万次郎から英語や西洋事情等を学び、聞き取った。その後河田は、聞き取った内容を「漂巽紀畧」として全4巻の書物に纏め、山内に献上した。
1,852 11 2 以下3名が、宇佐に到着する。
①筆之丞
②五右衛門
③ジョン万次郎
万次郎は母汐と兄弟に再会した。汐は溢れる涙を止めず、姉と妹は、万次郎を失って置いた苔むした墓石を抱いて咽び泣いた。万次郎は以下のお土産を持参した。
①訪れた全ての海岸で拾った貝殻(汐)
②鏡(長姉)
③ボタン(妹)
④賽子一組(長姉の夫)
⑤白砂糖の小さな袋(弟)
⑥針
⑦鋏
⑧薬
⑨本
⑩地図
1,852 11 5 ジョン万次郎が、高知藩の上席定小者に召し抱えられ、定小者となり士分に取り立てられる。そして、高知城下の藩校「教授館」の教授となる。以下2名等が指導を受けた。
①後藤象二郎
②岩崎弥太郎
1,853 シャルル・フェリシアン・ティソと息子シャルル・エミール・ティソがル・ロックル(現在のスイスのヌーシャテル州)にて自宅を時計工房とし「ティソ」を設立する。
1,853 レーマンが円周率に関し、西暦1,776年にチャールズ・ハットンが発見した公式を、レオンハルト・オイラーが独立した公式として発見した以下の式用い、261桁の精度を得る。
4 π = 2 arctan 1 3 +arctan 1 7
π=3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209
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1,853 ジョン・エマリーが、防水加工を施したウール生地を開発する。数年後に、その製造方法の特許を取得し、ラテン語のアクア(水)とスクトゥム(盾)を使った「アクアスキュータム」を設立した。
1,853 リーヴァイ・ストラウスが、サンフランシスコのカリフォルニア・ストリートにて雑貨店・生地商「リーバイ・ストラウス社」を設立する。
1,853 2 18 以下2名の間に弐男オーガスト・ベルモント・ジュニアが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,853 3 19 太平天国軍が南京を陥落させ、天京と改名し、王朝を立てた。
1,853 5 4 マシュー・ペリーが上海に到着する。その後同地でウォーレン・デラノ・ジュニアと会談を行い、ペリーは日本を開港させる為にはどうすれば良いか、事情を尋ねた。ペリー家とデラノ家を間を取り持ったのはハウランド家であった。
1,853 7 8 マシュー・ペリーが浦賀沖に来航。事前にオランダ風説書で予告されていた。ペリーが江戸幕府に開港を迫っている間、アメリカの植物学者数名が、伊豆半島から函館まで行って、日本在来の植物を350種採取した。
1,853 7 14 浦賀奉行がアメリカ国書を受け取る。
1,853 7 20 江戸幕府がマシュー・ペリー来航を朝廷に上奏。
1,853 7 27 第12代江戸幕府征夷大将軍徳川家慶が死去。
1,853 8 5 江戸幕府老中首座阿部正弘が、各大名、旗本等にマシュー・ペリーの開国要求に対する対策を諮問する。700余りの意見が集まった。幕府の権威を弱めるきっかけとなる。
1,853 8 21 ロシアの海軍中将エフィム・プチャーチンが、軍艦パラーダ号で、日本との通商を求めて長崎に来航する。
1,853 8 29 ジョン万次郎が江戸幕府から招聘され、江戸へ向けて出発する。
1,853 9 12 松平春嶽が阿部正弘に徳川慶喜を継嗣にすべきと申し入れた。阿部は同意したものの、時期尚早と判断し、春嶽に口外する事を戒めた。
1,853 9 26 阿部正弘が、勘定吟味役の江川英龍等に台場造営を命ずる。品川沖に11か所の台場が造営される事となった。
1,853 10 2 ジョン万次郎が、鍛冶橋(現在の東京都中央区)の高知藩上屋敷に到着する。
1,853 10 5 ロシア帝国と、オスマン帝国・フランス帝国・イギリス帝国・サルデーニャ王国の4ヶ国連合の間で、クリミア戦争が勃発する。イマヌエル・ノーベルが設立した、軍需品を扱う「ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場」は、クリミア戦争向けの兵器を生産し、大きな利益を叩き出した。
1,853 10 11 第14代アメリカ大統領フランクリン・ピアースの任命により、オーガスト・ベルモントが、臨時の駐ハーグ(オランダの南ホラント州)アメリカ大使に着任する。
1,853 10 14 阿部正弘が、ジョン万次郎からアメリカ事情を聴取する。主に以下の人間が列席した。
①江川英龍
②川路聖謨
③林復斎
④筒井政憲
主に万次郎はアメリカについて、主に以下の発言を行った。
①アメリカの東西南北の位置(東西横断に陸路なら4ヶ月、南北横断に海路なら7〜8ヶ月)
②日本とアメリカの位置関係(江戸からカリフォルニアは3,000里程度)
③隣国との関係・気候・産業構成・通商関係・独立事情・34州による共和政治・風俗
④アメリカ人の気質
⑤大統領は、4〜8年任期の選挙によって選ばれ、国内が良く治っている。州は知事が統治
⑥現在の大統領は、第13代アメリカ大統領ミラード・フィルモアであり、先日来航したのは、ロード・アイランドで生まれ、メキシコとの戦いで戦功のあるマシュー・ペリーである。日本との接触はフィルモアからの要望であり、自国・他国の分け隔て無い扱いを望んでいる
⑦日本と異なり、戦闘で刀剣を腰に差す様な事はしない。海では大砲と台場での戦闘が有り得るが、台場で勝利する事は難しく、海軍の創設は急務である。軍艦に乗り込む人数は平時で500名、戦闘時は1,500名が必要。沖合から陸地を攻める場合は、大砲だけでなく短艇も使用する。短艇にも口径8cm程度の大砲を装備させる
⑧ペリー再来航の際、通訳にはオランダ語ではなく、アメリカ語が必要
その後江川は、ペリーの再来航に備え、万次郎を自らの配下としたい旨を江戸幕府に訴え、認められた。万次郎は、江川の江戸屋敷の長屋に居住する事となった。万次郎は以下の業務に従事した。
①翻訳
②通訳
③造船指揮
④人材育成
江川は、長崎で没収された万次郎の所持物を返還させた。また川路は、万次郎から聴取したアメリカ事情を糾問書に纏めた。
1,853 10 17 江戸幕府が大船建造の禁を解く。
1,853 12 5 ジョン万次郎が直参旗本に取り立てられる。
1,854 ジョージ・ピーボディがピーボディ,リグス&カンパニーにジューニアス・モルガンを招く。モルガンは資本金の9%弱と利益の28%を出資した。
1,854 ルイ・ヴィトンが、パリのキャピュシーヌ大通りに旅行鞄の専門店を創業する。
1,854 2 13 マシュー・ペリーが再度浦賀に来航する。
1,854 3 31 日米和親条約が締結される。主な内容は以下である。
①下田,箱館の両港を開港
②難破したアメリカ船舶に対する便宜を供与する
③アメリカは常駐代表を下田に設置する
江川は、通訳官兼外交顧問にするつもりでジョン万次郎を指導した。しかし、万次郎をアメリカからのスパイだと疑っていた徳川斉昭は「アメリカに恩義のある万次郎は、アメリカ側に立って案件を処理するに違いない」とし、登用に反対した。結果、万次郎は翻訳作業にしか携わる事が出来ず、マシュー・ペリーとの交渉は、江戸幕府のオランダ語通史との間で行われた。
1,854 6 17 下田条約が締結され、玉泉寺(現在の静岡県下田市柿崎)と了仙寺(現在の静岡県下田市七軒町)がアメリカ人の休息所となる。また、アメリカ人の上陸遊歩の範囲は、犬走島を中心に半径7里以内と定められていたが、止宿は許されていなかった。
1,854 7 14 サイード・パシャが第4代ムハンマド・アリー朝君主に即位する。此れを機に嘗てパシャの家庭教師であったフランスの外交官フェルディナン・ド・レセップスがパシャに接近し、スエズ運河建設を訴え始める。
1,854 9 27 以下2名の間に長女フレデリカ・ボルトン・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,854 9 27 オーガスト・ベルモントが、正式な駐ハーグアメリカ大使となる。
1,854 10 ジューニアス・モルガンがジョージ・ピーボディのパートナーとなりロンドンに移住する。
1,854 10 14 日英和親条約が締結される。長崎奉行水野忠徳及び同目付永井尚志が調印した。以下が規定された。
①下田・箱館の開港
②難破船乗員の救助
③薪水の供給
④最恵国待遇の承認
⑤領事駐在権の容認
1,854 11 30 フェルディナン・ド・レセップスがサイード・パシャから以下の内容のスエズ運河建設の許可書を手にする。
①国際スエズ運河会社の99年間の権利期限
②スエズ運河の国際無差別性と自由航路
更に、土木・鉄道建設技師アロイス・ネグレッリの作成した計画に基づいて全ての国の船舶に開放された運河を建設する会社を設立し、関連する土地をリースする許可を得た。
1,854 12 マシュー・ペリーが、ハーグに居る娘夫婦を訪ねる。其の際、以下の人間が出迎えた。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
③オーガストのペリー・ベルモント
④オーガストのオーガスト・ベルモント・ジュニア
⑤オーガストのフレデリカ・ボルトン・ベルモント
⑥マシューの妻ジェーン・スライデル・ペリー,br> ⑦マシューとジェーンの末娘イザベラ・ボルトン・ペリー
1,855 江戸幕府が蝦夷地の内、渡島半島の一部を除き天領とする。幕府は財政負担軽減の為に仙台藩、盛岡藩、弘前藩、久保田藩、松前藩の東北の大藩に対して沿岸の警備義務を割り当て、会津藩と庄内藩の2藩もそれに続いた。
1,855 バジル・ザハロフが、コンスタンティノープルにて売春宿の客引きを始める。又、ガラタ(現在のトルコのイスタンブール県)のツアーガイドにも従事した。其の後、コンスタンティノープルの消防隊の放火犯となった。其の消防隊は、裕福な人間の宝物を回収して引き揚げる事で報酬を得ていた。他にも、重婚・強盗・殺人・横領・詐欺・売春宿経営等に手を染めた。
1,855 アロイス・シックルグルーバーが、オーストリア帝国大蔵省の守衛となる。
1,855 2 7 下田で日露和親条約がエフィム・プチャーチンと日米和親条約に準じて、以下の内容で締結される。
①下田・箱館・長崎の開港
②択捉島、得撫島間を日露の国境とする
③樺太を両国人の雑居地とする
1,855 3 10 カール・メイヤー・フォン・ロスチャイルドが死去する。
1,855 8 4 タウンゼント・ハリスが、第14代アメリカ大統領フランクリン・ピアースから初代米国総領事に任命される。
1,855 11 18 老中の堀田正睦が、老中首座であった阿部正弘の推挙を受けて再任されて老中になり、阿部から老中首座を譲られる。
1,855 12 6 アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドが死去する。アムシェルには子供が居なかった為、N・M・ロスチャイルド&サンズの事業は、以下2名が共同社長となり引き継いだ。
①カール・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの長男メイヤー・カール・フォン・ロスチャイルド
②カール・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの参男ヴィルヘルム・カール・フォン・ロスチャイルド
1,856 アヴァス通信社とロイター通信が、お互いの国内金融市場に関する相場情報を交換し、首都での取引結果を伝えるという協定に調印する。その後間も無くヴォルフ電報局も招かれ、ベルリン証券取引所のデータを共有する事となった。
1,856 スカル&ボーンズが「ラッセル・トラスト」と改称し法人化され、以下2名が要職に就く。後に「ラッセル・トラスト協会」に再度改称された。
①ウィリアム・ラッセル(社長)
②ダニエル・コイト・ギルマン(財務責任者)
同協会は非課税団体で、イェール大学の学内にあるスカル・アンド・ボーンズ・ホール及びボストン(アメリカのマサチューセッツ州)にあるディア島を所有していた。ギルマンは後に、カリフォルニア大学バークレー校とジョンズ・ホプキンス大学の学長を歴任し、カーネギー財団の初代会長となる為に退職した。また、ギルマンは、ラッセル・セージ財団の初代理事の一人であった。
1,856 服地商の見習い職人として経験を積んだトーマス・バーバリーが、ベイジングストーク(イギリスのハンプシャー州)に、コートを主に取り扱う洋服店「T.バーバリー・サンズ」を開業する。
1,856 1 30 日蘭和親条約が締結される。
1,856 3 30 クリミア戦争が終結する。ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場は武器の契約をキャンセルされた。其の後は、ロシア国内向けの兵器生産に回帰したが、需要が少なく、イマヌエル・ノーベルは全財産を失い、破産申請した。
1,856 4 11 以下2名の間に弐女ジェーン・ポーリーン・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,856 8 21 タウンゼント・ハリスが、秘書兼通訳としてヘンリー・コンラッド・ジョアンズ・ヒュースケンを伴い、サン・ジャシント号にて下田を来航する。しかし、江戸幕府は拒否する。日米和親条約の条文解釈の違いが原因であった。強硬な主張をするハリスに幕府が折れ、玉泉寺を仮の宿所とする事で同意する。
1,856 9 3 タウンゼント・ハリスが玉泉寺に入る。
1,856 9 4 タウンゼント・ハリスが星条旗を掲げる。
1,857 2 9 ヨハン・ゲオルク・ヒードラーが、シュピタルにて、親族に見守られて死去する。
1,857 4 21 島津斉彬が徳川慶喜と初めて顔を合わせる。目的は一橋派の諸侯を代表して、慶喜を値踏みをする事であった。
1,857 4 25 島津斉彬が、松平春嶽に対し徳川慶喜が将軍継嗣に相応しい人物と高く評価した内容の書簡を送る。一方で、斉彬は慶喜の自信過剰な態度を戒める必要を助言する事を忘れなかった。
1,857 8 6 阿部正弘が老中在任中のまま死去。
1,857 8 11 ニューヨーク最古の小麦粉・穀物会社であるN・H・ウォルフ・アンド・カンパニーが破綻する。投資家の信用が揺らぎ、市場の緩やかな下落が始まり、本月下旬迄続いた。これに端を発して世界恐慌が起こった。この恐慌によりウォーレン・デラノ・ジュニアの所有株は暴落し、大損した。
1,857 9 22 オーガスト・ベルモントが、駐ハーグアメリカ大使を退任する。
1,857 11 19 箱館奉行所与力次席を拝命したジョン万次郎が、幕命により、捕鯨指導の為箱館へ向けて江戸を出発する。
1,857 11 23 タウンゼント・ハリスが下田を出発し、江戸へ向かう。
1,857 12 7 タウンゼント・ハリスが第13代江戸幕府征夷大将軍徳川家定に謁見し、フランクリン・ピアースの親書を読み上げ、提出する。加えて、通商条約の交渉を要求する。
1,857 12 12 タウンゼント・ハリスが堀田正睦と会見し、アヘン戦争に於ける清を引き合いに出し、開国の必要性を説いた。また、イギリスは清同様に日本にもアヘンを持ち込む意図がある事を警告した。これにより江戸幕府は、後に諸外国と結ぶ通商条約に於いて、アヘン持ち込みを禁じる条項を盛り込む事となる。
1,857 12 26 堀田正睦が、溜詰・大廊下・大広間の大名に通商条約に対する意見を求める。大多数から条約締結に肯定的な意見が寄せられた。
1,858 1 1 ジョン万次郎が箱館に到着する。
1,858 1 2 ジョン万次郎が病気の名目で出勤せず。箱館の住民は余所者は乗せないとして、万次郎の西洋式帆船「箱館丸」への乗船を拒否した。また、万次郎はアメリカ式の捕鯨を根付かせようとしたが、箱館の技術の方が優れていた。
1,858 1 6 ジョン万次郎が出勤する。その時来航したアメリカ船に対しては、万次郎は直接捕鯨指導せず、他の人間を派遣して指導させた。
1,858 1 11 ジョン万次郎が、江戸へ向けて箱館を出発する。
1,858 1 25 タウンゼント・ハリスと下田奉行井上清直、目付岩瀬忠震の間で通商条約の交渉が始まる。
1,858 1 27 江戸幕府が、朝廷に通商条約を締結する旨を伝える。
1,858 2 27 日米修好通商条約の調印勅許を得る目的で堀田正睦が上京する為、第121代天皇の孝明天皇が、左大臣近衛忠煕、右大臣鷹司輔煕、内大臣三条実万及び議奏、武家伝奏へ開国か鎖国か下問をする。
1,858 3 2 孝明天皇が関白九条尚直に対し、「アメリカの思い通りになってしまっては、天下の一大事だ。朕の代にこの様な事になるのは、後代までの恥となる」と表明する。
1,858 4 25 関白九条尚忠が朝廷に条約の議案を提出するが、堂上公家137家の内、岩倉具視や中山忠能等計88名が条約案の撤回を求めて抗議の座り込みを行う。
1,858 5 21 シャルル・ルイ・アヴァスがブージヴァル(現在のフランスのイヴリーヌ県)で死去し、弐男のオーギュスト・アヴァスがオーナーの座を引き継ぐ。
1,858 6 4 井伊直弼が老中から大老職拝命を伝えられ、大老に就任する。
1,858 6 26 清とイギリスの間で天津条約が署名される。主な内容は以下である。
①外交使節の北京常駐
②内地旅行と揚子江沿岸開港場への自由往来
③新たな貿易規則と関税改正の為の会議の開催(アヘン貿易が合法化される)
④牛荘、登州、漢口、九江、鎮江、台南、淡水、潮州(後に同地方の汕頭に変更)、瓊州、南京の開港
⑤キリスト教布教の自由と宣教師の保護
⑥軍事費の賠償(イギリスに対し4,000,000両、フランスに対し2,000,000両の銀)
1,858 7 6 タウンゼント・ハリスと井上清直が下田協約を締結する。主な内容は以下の通り。
①日米貨幣交換比率改定
②下田・箱館における米人居住権
③長崎港の追加開港
④領事の日本国内旅行権
⑤領事裁判権の承認
1,858 7 29 日米修好通商条約が、タウンゼント・ハリスと井上清直、岩瀬忠震との間で締結される。 日本側には不利な不平等条約であった。内容は以下の通り。
①下田・箱館・神奈川等の開港
②江戸・大坂の開市
③下田・箱館の外国人居留地の設定
④治外法権、自由貿易を認める
⑤関税自主権を否定
1,858 8 1 日米修好通商条約締結が諸大名に公表される。
1,858 8 2 堀田正睦、松平忠固両老中が罷免される。
1,858 8 2 御三卿による将軍への公式な面会日であった徳川慶喜が登城し、条約締結を違勅として井伊直弼を詰問する。
1,858 8 3 徳川斉昭、第16代福井藩主松平春嶽、第14代尾張藩主徳川慶勝が不時登城を行う。入れ替わり立ち代わり井伊直弼に面会しその失政を追求したが、井伊直弼はひたすら平身低頭を繰り返す老獪な戦法で、これをかわす。春嶽は老中久世広周に将軍継嗣発表の延期を勧説した。
1,858 8 4 徳川家定の意思により、徳川家茂の継嗣発表が為される。
1,858 8 6 日米修好通商条約調印の旨が、宿継奉書で朝廷に知らされる。
1,858 8 7 日米修好通商条約の締結を聞いた孝明天皇は、左大臣、右大臣、内大臣の三役等に「天皇の位から降りる」と伝えるほどの怒りを見せる。孝明天皇が九条尚忠に譲位の意思を示した宸翰を下す。
1,858 8 8 朝議が開かれ、公家たちの説得で孝明天皇が譲位を思いとどまる。
1,858 8 13 徳川家定から、徳川慶喜に登城停止、徳川斉昭、松平春嶽等に隠居謹慎処分が発表される。
1,858 8 14 徳川家定が死去。
1,858 8 14 第10代水戸藩主徳川慶篤に登城停止処分が下される。
1,858 8 30 孝明天皇が近衛忠煕に譲位の意思を示した宸翰を下す。
1,858 10 9 フランスの外交官のジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵と日本の外国奉行(水野忠徳、永井尚志、井上清直、堀利煕、岩瀬忠震)及び野々山鉦蔵との間で日仏修好通商条約が締結される。
1,858 11 12 以下2名の間に参男オリバー・ハザード・ペリ-・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,858 12 15 フェルディナン・ド・レセップスが、資本金200,000,000フランの「国際スエズ運河会社」を設立する。400,000株が公募されたが、其の内207,160株をフランス人が、177,642株をムハンマド・アリー朝が引き受けた。此の頃イギリスは、インドへのルートとして、スエズ-アレクサンドリア間の鉄道建設を始めており、レセップスの運河計画に反対していた為、スエズ運河を重要な貿易ルートと認識していたものの、申込みをしなかった。国際世論は懐疑的で、イギリスの他にも、以下の国は国際スエズ運河会社の株を一切購入しなかった。
①アメリカ
②オーストリア帝国
③ロシア帝国
イギリスは、此のフランスのスエズ運河プロジェクトを、自国の地政学的及び財政的利益に対する脅威と見做した。
1,859 西暦1,957年の恐慌が契機となり、ウォーレン・デラノ・ジュニアが広東に単身赴任し、ラッセル商会に復帰する。その後香港で失った財産を取り戻した。後に発生した南北戦争ではアメリカ陸軍省医務局にアヘンを出荷していた。
1,859 五右衛門が死去する。
1,859 ジョン万次郎が、著書「英米対話捷径」を発表する。アルファベット・ABCの歌・数の数え方を前述として、213の日常英会話に対訳が付けられている。
1,859 高野隆仙が、拷問の傷が癒えない儘死去する。
1,859 イマヌエル・ノーベルが、ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場の管理を、ルートヴィヒ・ノーベルに任せる。ルートヴィヒは事業の改善に努めた。其の後以下3名はストックホルムに戻った。
①イマヌエル
②アンドリエッテ・ノーベル
③アルフレッド・ノーベル
アルフレッドは、両親と行動を共にせず、ロシア帝国に留まり、爆薬、取り分けニトログリセリンの安全な製造と使用の研究に邁進した。
1,859 1 27 江戸幕府が老中間部詮勝を京都へ派遣する。
1,859 2 ジャーディン・マセソン商会が、上海支店のウィリアム・ケズウィックを長崎に派遣し、日本での貿易見通しを探らせた。ケズウィックは日本の生糸が安く良質な事を掴んだ。
1,859 4 江戸幕府が難破したロシア船員と共同で沼津藩戸田村(現在の静岡県)にて建造した西洋式帆船君沢形一番「ヘダ号」を、ジョン万次郎が指揮する。品川を出港して小笠原諸島へ向かったが、暴風雨でヘダ号は損傷し、航海は中止された。
1,859 4 25 ポートサイド(現在のエジプト)でスエズ運河の起工式が挙げられる。フェルディナン・ド・レセップスは、「貴方方が運ぶものは、単なる土ではない。其れは、貴方方の家庭と此の国に、繁栄を運ぶのだ」と宣言したが、実際の工事は150,000名のムハンマド・アリー朝民による無給労働によって行われた。又、工事中120,000名が主にコレラによって命を落とした。イギリスは、スエズ-アレクサンドリア間の鉄道建設の時はムハンマド・アリー朝の強制労働に頼ったにも拘らず、其れを棚に上げてフランスによる強制労働を非難した。
1,859 7 1 横浜が自由貿易港として開港する。ジャーディン・マセソン商会が進出する。船を事務所にして取引していた。
1,859 7 4 長崎が自由貿易港として開港する。
1,859 7 15 パリでベルンハルト・ヴォルフとポール・ジュリアス・ロイターが、シャルル・ルイ・アヴァスの長男シャルル・ギヨーム・アヴァスとオーギュスト・アヴァスに迎えられ、3年前に交わした協定を改定し、情報の交換対象を一般ニュースに拡げ、暫定協定を正式協定に進展させる。
1,859 7 18 ストラスブール(現在のフランスのバ・ラン県)のオテルブリオンにあるアヴァス通信社本社にて、ロイター通信、ヴォルフ電報局を含む3社にてヨーロッパを分割し、独占的に取材・配信出来る地域を定める協定が結ばれる。
1,859 8 28 アメリカのペンシルベニア州で鉄道員だったエドウィン・ドレークが油井機械掘りを行い、岩盤下深度21mの所で、4770L/日の石油の採掘に成功する。
1,859 9 1 太陽嵐が発生する。
1,859 9 16 トーマス・ブレーク・グラバーが上海から長崎に向けて出航する。当時上海には父のトーマス・ベリー・グラバーもいたが、同行せずアバディーン(イギリス・スコットランド)に戻り、造船業に従事し、萩藩、鹿児島藩等に向けた軍艦・蒸気船・艦船の建造を行った。
1,859 9 19 トーマス・ブレーク・グラバーが長崎に来日。
1,859 9 25 徳川慶喜が隠居謹慎処分となる。
1,859 11 21 吉田松陰が処刑される。
1,860 靴職人の息子エドゥアルト・ホイヤーがサン・ティミエ(現在のスイスのベルン州)に時計工房「エドゥアルト・ホイヤー・ウォッチメーカーズ」を設立する。
1,860 肉屋・理髪店・八百屋・焼き栗屋経営者ジョヴァンニ・パネライがフィレンツェのグラツィエ橋に時計の販売店・時計工房・時計製造学校である「オフィチーネ・パネライ」を設立する。
1,860 エイブラハム・クーンとソロモン・ローブが、経営する商品販売会社を紳士服メーカーに転身させ「クーン・ネッター社」とし、其の後シンシナティ(アメリカのオハイオ州)で乾物商として成功を収め、軍服の製造・供給で財を成す。
1,860 1 ジャーディン・マセソン商会横浜支店の「英一番館」が完成する。
1,860 2 庄内藩清河八郎、幕臣の山岡鉄舟、松岡万等15名により、虎尾の会が結成される。
1,860 2 4 アメリカ海軍の外輪フリゲート艦「ポーハタン号」の護衛と遠洋実習の名目で江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が品川を出港する。江戸幕府は、タウンゼント・ハリスの勧めもあり、日米修好通商条約の批准書交換の為、使節団をポーハタン号に乗船させ、アメリカに派遣する事を決定していた。咸臨丸には以下の人間が乗船していた。
①軍艦奉行木村芥舟
②勝海舟
③福澤諭吉
④ジョン万次郎(主席通弁官)
⑤塩飽諸島出身の水夫等92名
1,860 2 10 咸臨丸が浦賀を出港する。
1,860 2 13 以下3名を始めとする日本使節団77名の乗船するポーハタン号が、ワシントンD.C.へ向けて横浜を出港する。
①正使新見正興
②副使村垣範正
③監察小栗忠順
1,860 3 17 咸臨丸がサンフランシスコに到着する。浦賀を出港してから38日での到着であったが、その内34日は荒天であった。木村芥舟と勝海舟は船酔いが酷く、船室に篭りきりであった。特に勝は、38日の航海で3度しか船室を出なかった。一行はお土産として、以下の品物を購入した。
①ミシン
②カメラ
③本(ジョン万次郎が福澤諭吉に購入を勧めたウェブスター辞典を含む)
1,860 3 24 江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で水戸藩脱藩浪士17名と鹿児島藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老井伊直弼を暗殺する。
1,860 3 28 日本使節団の乗船するポーハタン号がサンフランシスコに寄港する。途中燃料を使い過ぎて補給の為ホノルルに立ち寄った事から、予定より遅れての到着であった。
1,860 4 7 咸臨丸が、日本へ向けてサンフランシスコを出港する。往路の反省から、運用体制を見直し、日本人乗組員の技量不足を補う為にアメリカ人乗組員を5名雇った。但しこれは問題の先送りに過ぎなかった。
1,860 4 21 久世広周が、老中安藤信正の推挙を受け、老中に再任される。
1,860 4 23 此の日から同年5月3日迄、チャールストン(アメリカのサウスカロライナ州)にて、アメリカ民主党の全国大会が開かれる。オーガスト・ベルモントは議長を務めた。奴隷制を強く支持し、アメリカからの脱退を促し、南部諸州の独立を唱える南部過激派「ファイア・イーター」に従う形で、南部民主党員の一部が退席した。
1,860 5 15 日本使節団の乗船する「ノーロック号」がワシントンD.C.に到着する。途中パナマでポーハタン号から乗り換えていた。その後第15代アメリカ大統領ジェームズ・ブキャナンに謁見し、以下を訪問した。
①スミソニアン博物館(アメリカのワシントンD.C.北西地区)
②アメリカ議会議事堂(アメリカのワシントンD.C.)
③ワシントン海軍工廠(アメリカのワシントンD.C.南東地区)
④アメリカ海軍天文台(アメリカのワシントンD.C.北西地区)
1,860 5 22 日本使節団が日米修好通商条約の批准書を交換する。
1,860 5 23 咸臨丸が浦賀に帰港する。往路と異なり天候には恵まれた。
1,860 6 1 幕命により、京都所司代酒井忠義が九条尚忠に、和宮親子内親王の将軍家降嫁を奏請する。
1,860 6 8 日本使節団が、ニューヨークへ向けてワシントンD.C.を出発する。
1,860 6 16 日本使節団が以下を経由してニューヨークに到着する。
①ボルチモア(アメリカのメリーランド州)
②フィラデルフィア
その後ブロードウェイでパレードを行い、500,000名の人々から歓迎された。
1,860 6 28 処女航海であったグレート・イースタン号がニューヨークに入港する。日本使節団は、巨大な船体を見て仰天した。
1,860 6 29 日本使節団が、ナイアガラ号に乗船し日本へ向けて出港する。
1,860 10 17 徳川慶喜の隠居謹慎処分が解除となる。
1,860 11 6 第19回アメリカ大統領選が行われる。候補者は以下の4名であった。
①エイブラハム・リンカーン(共和党)
②ジョン・ブレッキンリッジ(南部民主党)
③ジョン・ベル(立憲連合党)
④スティーブン・ダグラス(北部民主党、ダグラスの計らいで民主党全国委員会委員長に就いていたオーガスト・ベルモントが資金提供)
結果、反奴隷制の北部民主党と奴隷制維持の南部民主党に分裂した事で、リンカーンが、南部で1州も勝てなかったにも拘らず、第16代アメリカ大統領に選出された。
1,860 11 9 日本使節団が品川に帰港する。以下を経由した。
①北大西洋
②カーボベルデ
③アンゴラ
④喜望峰
⑤バタヴィア
⑥香港
1,860 11 30 孝明天皇が、和宮親子内親王の将軍家降嫁を勅許する。
1,861 大浦(長崎県長崎市)でトーマス・ブレーク・グラバーが、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理人としてグラバー商会を設立し、海産物の輸出を始める。
1,861 ジョン・モルガンがアメリカのニューヨークでJ.P.モルガン商会を設立する。
1,861 肥後勤王党が結成される。熊本藩宮部鼎蔵が参加する。
1,861 ヴィクトール・ピニャテルが、江戸幕府の斡旋により、父ウジェーヌと共に来日する。
1,861 ジェイコブ・シフが、見習いとして銀行や証券会社に就職する。敬虔なユダヤ教徒であった父のモーゼス・シフとは折り合いが悪かった。
1,861 1 14 ヘンリー・コンラッド・ジョアンズ・ヒュースケンが、プロイセン王国使節宿舎であった赤羽接遇所(現在の東京都港区東麻布)からアメリカ公使館が置かれた善福寺(現在の東京都港区元麻布)への帰途、鹿児島藩の伊牟田尚平、樋渡八兵衛に腹部を深く斬られる。その後善福寺に運ばれた。
1,861 1 15 ヘンリー・コンラッド・ジョアンズ・ヒュースケンが死去。
1,861 2 8 前年の第19回アメリカ大統領選の結果を不服としてアメリカから脱退した、以下の6州の代表が、モンゴメリー(アラバマ州)に集まり「アメリカ連合国」を建国する。
①サウスカロライナ州
②ジョージア州
③フロリダ州
④アラバマ州
⑤ミシシッピ州
⑥ルイジアナ州
1,861 3 2 テキサス州がアメリカから脱退し、アメリカ連合国に加入する。
1,861 4 12 南北戦争が勃発する。両軍は以下の支援を受けていた。
アメリカ軍(北部)
①オーガスト・ベルモント
②ジョセフ・セリグマン(兄弟で200,000,000ドルの北部債を購入)
③ウィリアム・セリグマン
④ジェームス・セリグマン
⑤ジェシー・セリグマン
⑥ジェームス・ド・ロスチャイルド(北部の輸入支援、ナサニエル・ロスチャイルドにも北部債の購入を促す)
⑦エイブラハム・クーン(アメリカ軍に軍服を売る)
アメリカ連合国軍(南部)
①オーガスト・ベルモント(南部債を買う)
②ラファエル・エルランガーとその兄弟
③ピーボディ商会
④ジューニアス・モルガン(親子で戦局を利用した金投機で稼ぐ)
⑤ジョン・モルガン
⑥トーマス・ウィリアム・ハウス・シニア
1,861 4 17 バージニア州がアメリカから脱退し、アメリカ連合国に加入する。その後以下の3州もバージニア州に続いた。
①ノースカロライナ州
②テネシー州
③アーカンソー州
1,861 7 5 水戸藩脱藩浪士14名が東禅寺(現在の東京都港区高輪)のイギリス公使ラザフォード・オールコック等を襲撃する。
1,861 7 17 アメリカ財務省による南北戦争の戦費調達の為の以下の不換紙幣発行がアメリカ議会で承認される。
①5ドル
②10ドル
③20ドル
1,861 9 ジョン・スライデルが、アメリカ連合国のフランス担当の外交官に指名される。スライデルは直ぐに受諾した。
1,861 9 土佐勤王党が、江戸にて高知藩武市瑞山等によって結成される。坂本龍馬は江戸では9番目、高知藩では筆頭として加盟した。
1,861 11 22 和宮親子内親王一行が京都を出発する。京方10,000名、江戸方15,000名、諸藩の警固10,000名、その他人足や賄の人数を含め総勢80,000名の大所帯であった。
1,861 12 4 和宮親子内親王一行が藪原宿(現在の長野県木曽郡木祖村)で御泊りする。
1,861 12 5 和宮親子内親王一行が奈良井宿(現在の長野県塩尻市奈良井)で御小休をとる。その後贄川宿(現在の長野県塩尻市)で御昼をとり、本山宿(現在の長野県塩尻市)で御泊りする。
1,861 12 6 和宮親子内親王一行が洗馬宿(現在の長野県塩尻市)で御小休をとる。その後塩尻宿(現在の長野県塩尻市)で御昼をとる。
1,861 12 16 和宮親子内親王一行が江戸城内の清水屋敷に入る。
1,862 フランス第二帝政皇帝ナポレオン3世とロスチャイルド家が金融提携を結ぶ。
1,862 ウォーレン・デラノ・ジュニアが、妻キャサリン・ロビンズ・ライマンと以下の子供を滞在先の広東に呼び寄せる。
①ルイーザ・チャーチ・デラノ
②デボラ・ペリー・デラノ
③アン・ライマン・デラノ
④ウォーレン・デラノ4世
⑤サラ・アン・デラノ
⑥フィリップ・デラノ
⑦キャサリン・ロビンズ・デラノ
1,862 ジョン万次郎が、江戸幕府の軍艦操練所の教授となる。スクーネル船「一番丸」の船長に任命され、小笠原諸島で捕鯨に従事した。
1,862 ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場が、債権者によって売却される。
1,862 1 3 外国奉行水野忠徳を団長とする小笠原諸島の使節団が、咸臨丸にて品川を出港する。ジョン万次郎も通訳として同行し、父島・母島の調査と図面造りを行った。
1,862 1 6 水野忠徳率いる小笠原諸島の使節団が、咸臨丸にて浦賀を出港する。
1,862 1 15 水野忠徳率いる小笠原諸島の使節団が南硫黄島を発見する。
1,862 1 18 水野忠徳率いる小笠原諸島の使節団が父島の二見港に到着する。水野は、安藤信正に反対されていたにも拘らず、祝砲7発を打ち上げた。
1,862 1 21 父島に投錨していた咸臨丸が、強風で流され左舷の錨鎖を切断する。
1,862 2 12 坂本龍馬が武市瑞山の書簡を久坂玄瑞に届ける為に萩藩を訪ねる。松本村の鈴木勘蔵の旅館(現在の山口県萩市椿東)に泊まった。鹿児島藩田上藤七も久坂玄瑞に用があった為宿泊していた。
1,862 2 13 水戸藩脱藩浪士6名が坂下門外(現在の東京都千代田区千代田)で老中安藤信正を襲撃し、負傷させる。
1,862 2 13 坂本龍馬が他国者の為の無料宿泊施設である「文武修行館」(現在の山口県萩市江向)へ移る。
1,862 2 18 水野忠徳率いる小笠原諸島の使節団が母島に到着する。
1,862 2 21 坂本龍馬が高知藩に戻る為萩藩を出発する。
1,862 2 25 エイブラハム・リンカーンが法案に署名し、南北戦争の戦費調達を意図した、負債・利子の無い、公的・私的な全ての借金の法定通貨で、裏面が緑色の政府紙幣である「グリーンバック紙幣」の、アメリカ財務省からの150,000,000ドルの発行がアメリカ議会に認められる。1ドル当たりアメリカ金貨1ドルと同等の価値を有した。リンカーンが法案に署名した背景として、戦費を調達しようとするも、銀行家から24〜36%の高利を要求され、借りる事が出来ずに悩んでいたリンカーンに対し、第25代アメリカ財務長官サーモン・チェイスが「リンカーン何故悩むの。そんなことは簡単だよ。財務省が印刷する紙幣を法的に有効な通貨と認める法案を議会で可決させればいいんだよ。そしてその印刷した紙幣で兵達の給料を払って、そのお金を使って軍需物資を調達すれば今度の戦争だって勝つことが出来る」とアドバイスした事が背景にあった。リンカーンは「国民はそんな紙幣を信用するのだろうか?」と聞いたが、チェイスは「もし君がその通貨を法的に認めさえすれば、国民はこの事に関しては選択出来ない。通貨決定の権利は憲法によって明確に議会に与えられているんだから、国民は政府の決定を全面的に承認し、新通貨は今まで流通していた如何なる通貨とも同じ様に価値があるのだよ」と言った。その後リンカーンは以下を国民に説いた。
①債券は不要であり、起源に於いて、債務のない国家の富に比例して発行される紙幣のみが許可されるべき通貨である。
②政府は政府の費用を賄い、一般国民の消費に必要な全ての通貨を自分で発行し流通させるべきである。
③全ての通貨は、政府が創造・発行・流通させるべきである。そして信用創造量は政府の支払い能力と消費者の購買力の両方に見合ったものでなければならない。この原理原則に則るなら、納税者は莫大な額の利息を払うことから解放される。その時、お金は人間の主人であることを止め、人間の僕となる。民主主義が「金と権力」の上位に立つのである。
④通貨を作成し発行する特典は、政府のたった一つの特権であるばかりでなく、政府最大の建設的な機会なのである。
⑤この原理を取り入れる事によって、納税者は計り知れない程の金額の利子を節約出来る。
このグリーンバック紙幣は、アメリカに金本位制を導入させようとしていたロスチャイルド家の方針と真っ向から対立するものであった。さらに、この日アメリカ議会は、利率5%で、20年満期ながら期限前(最低5年)に償還する権利を持つペンシルベニア州の戦時公債である中期国債「ファイブ・トゥエンティー・ボンド」を承認した。
1,862 3 11 和宮親子内親王と第14代江戸幕府征夷大将軍徳川家茂の婚礼が行われる。それまでの13代の将軍達の婚儀とは異なり、和宮が征夷大将軍よりも高い身分で降嫁した為、嫁入りした和宮が主人、嫁を貰う家茂が客分という立場で行われた。これは後々まで、江戸城内において様々な形で尾を引く事となる。
1,862 3 26 水野忠徳率いる小笠原諸島の使節団が父島に到着する。
1,862 4 ウィリアム・ラッセルが少将に任命される。
1,862 4 14 島津斉彬の異母弟の島津久光が上洛の為、1,000名の鹿児島藩兵を率い薩摩を出発する。
1,862 4 22 夜、坂本龍馬と沢村惣之丞が高知藩を脱藩する。
1,862 5 水野忠徳率いる小笠原諸島使節団が江戸に帰港する。水野は復命書の中で、小笠原諸島の領有権の回復後の開拓には、捕鯨業が重要且つ有望であると建議した。その後ジョン万次郎は、江戸幕府の軍艦操練所の教授となり、スクーネル船「一番丸」の船長に任命され、小笠原諸島で捕鯨に従事した。
1,862 5 9 老中安藤信正が罷免される。
1,862 5 11 島津久光の軍勢が京都に入る。久光は藩主の父ではあるが大名になった事も無く、無位無官であった。このような人物が兵を率いて京都へ入り、幕府に無断で公家と接触するなどという事態は、幕府健在のころであれば許されざる暴挙であったが、権威の失墜しつつあった江戸幕府にそれを阻止する力は無かった。
1,862 5 20 ジェイ・クック商会が、西暦1,862年2月25日にアメリカ議会で承認された、ファイブ・トゥエンティー・ボンド50,000,000ドルを引き受ける。
1,862 6 26 東禅寺警備の松本藩伊藤軍兵衛がイギリス兵2名を斬殺する。
1,862 7 イングランド銀行が、アメリカの銀行業者間に以下を主旨とした「ハザード・バンキング回報」を配布する。
「奴隷制度は戦争の力で廃止されるだろう。それには私も、私のヨーロッパの友人達も賛成である。何故なら奴隷制度は、労働力を所有する事に他ならず、それには労働者の面倒を見るという事が伴う。一方ヨーロッパ流のやり方では、特にイギリスが先導役であるが、資本が賃金を管理する事によって労働力を支配する。戦争の結果生じている膨大な負債は、資本家達が処理する事になるだろうが、貨幣の価値を管理する為に使われなければならない。これを達成する為には、銀行業務の基本としては、国債が使われなければならない。サーモン・チェイスのそうした勧告を我々は待ってはいられない。グリーンバックと呼ばれている政府発行紙幣を、如何なる期間も通貨として流通させてはならない。我々がそれを管理出来ないからである。しかし国債ならば我々に管理が可能だし、それを通して銀行問題を統制する事も出来る」
1,862 7 グリーンバック紙幣の100,000,000ドルの追加発行が、アメリカ議会に認められる。
1,862 7 7 公卿大原重徳が、島津久光の軍勢と共に江戸に入る。
1,862 8 ジェイ・クックが、アメリカのワシントンD.C.に「ジェイ・クック商会」を設立する。
1,862 8 4 政事総裁職が新設され、松平春嶽が就く。当初春嶽は大老を打診されたが、譜代大名がなるものと主張した事から新設に至った。
1,862 8 15 島田正辰が暗殺される。
1,862 9 14 武蔵国橘樹郡生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区)で、鹿児島藩主島津忠義の父島津久光の行列に騎馬のイギリス人達を供回りの奈良原喜左衛門、海江田信義等が殺傷(1名死亡、2名重症)した。
1,862 9 22 エイブラハム・リンカーンが西暦1,863年1月1日までに南部諸州が連邦に復帰しなければ、その日を期して黒人奴隷を解放するという、奴隷解放予備宣言を行う。
1,862 9 24 幕府の召命に応じて登城した第9代会津藩主松平容保は、征夷大将軍より京都守護職に任じられ、役料として50,000石を加増し、30,000両を貸し与えた。当初容保は断っていたが、松平春嶽が藩祖である保科正之の遺訓を持ち出し説得を続けた。
1,862 10 サーモン・チェイスが、ジェイ・クックを、西暦1,862年2月25日にアメリカ議会で承認された、ファイブ・トゥエンティー・ボンドを売る特別代理人に任命する。その後ジェイ・クックは、ジェイ・クック商会を通じてファイブ・トゥエンティー・ボンド50,000,000の売却に成功した。
1,862 10 29 徳川家茂に上洛の通達が出される。
1,863 現在の長崎市南山手町のグラバー邸が完成する。
1,863 ジョン・ロックフェラーが、パートナーと共に、投資組合(パートナーシップ)による石油精製工場を設立する。
1,863 第27代アメリカ陸軍長官エドウィン・スタントンがウェストポイント(アメリカのニューヨーク州オレンジ郡)を視察し、報告書を作成する為の訪問者委員会にウィリアム・ラッセルを任命する。他に以下2名も委員であった。
①ラルフ・ワルド・エマーソン
②ヘンリー・バーナード
1,863 アルフレッド・ノーベルがストックホルムに戻り、イマヌエル・ノーベルと合流する。其の後アルフレッドは、本年中に、火薬を使用してニトログリセリンを意図的に爆発させる、起爆装置を発明した。
1,863 1 グリーンバック紙幣の100,000,000ドルの追加発行が、アメリカ議会に認められる。
1,863 1 1 前年の奴隷解放予備宣言に対し、南部諸州に動きが無かった為、予定通り奴隷解放宣言を行う。それに伴い、イギリスが北部支持に寝返った。
1,863 1 3 江戸幕府が浪士募集策の実行の決議する。
1,863 1 31 御殿山(現在の東京都品川区北品川)に建設中のイギリス公使館が焼き討ちにされる。実行者は以下の通り。
隊長:高杉晋作
副将:久坂玄瑞
火付け役:井上馨、伊藤博文、寺島忠三郎
護衛役:品川弥二郎、堀真五郎、松島剛蔵
斬捨役:赤根武人、白井小助、山尾庸三、等
1,863 2 12 松平容保が会津藩兵1,000名を率いて入京する。
1,863 2 27 江戸幕府が、清河八郎の献策を受け入れ、徳川家茂の上洛を警護する名目で、江戸で浪士を募集、伝通院(現在の東京都文京区小石川)に300名近い浪士が集まる。この中に、近藤勇、土方歳三、井上源三郎、沖田総司、芹沢鴨がいた。
1,863 3 グリーンバック紙幣の100,000,000ドルの追加発行が、アメリカ議会に認められる。
1,863 3 3 浪士組が結成され、京都へ向けて江戸を出発する。中山道を通った。年長者や身体の弱い者は駕籠や馬の利用を許された。
1,863 3 4 浪士組一行が本庄宿に到着する。ここで、先番宿割を任されていた近藤勇が芹沢鴨の宿を取り忘れ、怒った芹沢が路上で大篝火を焚くという騒動を起こすが、近藤が池田徳太郎と共に芹沢に謝罪して解決した。
1,863 3 6 浪士組一行が松井田宿に到着する。
1,863 3 8 浪士組一行が長久保宿に到着する。
1,863 3 9 浪士組一行が下諏訪宿に到着する。
1,863 3 10 浪士組一行が奈良井宿に到着する。
1,863 3 12 浪士組一行が中津川宿に到着する。
1,863 3 14 浪士組一行が加納宿に到着する。
1,863 3 16 浪士組一行が武佐宿に到着する。
1,863 3 17 浪士組一行が大津宿に到着する。
1,863 3 18 清河八郎が、徳川家茂上洛の前衛の名目で浪士組を率い京都に到着し、壬生村(現在の京都府京都市中京区)に分宿した。夕刻、浪士組全員が新徳寺(現在の京都府京都市中京区壬生賀陽御所町)に集められ、本懐は徳川家茂の警護ではなく尊王攘夷であるという趣旨の演説を行い、その場で血判状を集め始める。
1,863 3 31 徳川家茂が、前年の和宮親子内親王降嫁の条件である攘夷決行を迫る朝廷に応えるという名目で上洛する為、3,000名を率い江戸を出発し、同日川崎に到着。
1,863 4 1 徳川家茂一行が戸塚に到着する。
1,863 4 2 徳川家茂一行が大磯に到着する。
1,863 4 3 徳川家茂一行が小田原に到着する。
1,863 4 3 芹沢鴨、近藤勇等17名が徳川家茂が江戸に帰還するまでの京都残留の嘆願書を提出する。
1,863 4 4 徳川家茂一行が三島に到着する。
1,863 4 5 徳川家茂一行が吉原に到着する。
1,863 4 6 徳川家茂一行が興津に到着する。
1,863 4 7 徳川家茂一行が駿府に到着する。
1,863 4 9 徳川家茂一行が藤枝に到着する。
1,863 4 10 徳川家茂一行が掛川に到着する。
1,863 4 11 徳川家茂一行が浜松に到着する。
1,863 4 12 徳川家茂一行が吉田に到着する。
1,863 4 13 徳川家茂一行が岡崎に到着する。
1,863 4 14 徳川家茂一行が熱田に到着する。
1,863 4 15 徳川家茂一行が桑名に到着する。
1,863 4 16 徳川家茂一行が四日市に到着する。
1,863 4 17 徳川家茂一行が亀山に到着する。
1,863 4 18 徳川家茂一行が土山に到着する。
1,863 4 19 徳川家茂一行が石部に到着する。
1,863 4 20 徳川家茂一行が大津に到着する。
1,863 4 21 徳川家茂一行が二条城に到着する。
1,863 4 29 壬生村に残留していた浪士が、松平容保の預かりとなり、壬生浪士組が結成される。
1,863 5 30 清河八郎が佐々木只三郎、窪田泉太郎等6名によって麻布赤羽橋で首を討たれた。
1,863 6 萩藩高杉晋作の発案で、奇兵隊が結成される。萩藩吉田稔麿が参加していた。
1,863 6 24 イギリス公使代理のジョン・ニールが幕府から生麦事件の賠償金100,000ポンドを受け取る。
1,863 6 27 総領事エイベル・ガウワーの斡旋で、萩藩の伊藤博文、井上馨、井上勝、山尾庸三、遠藤謹助がジャーディン・マセソン商会の船のチェルスウィック号で横浜を出港し、上海に向かう。
1,863 7 19 以下2名の間に四男レイモンド・ロジャース・ベルモントが生誕する。
①オーガスト・ベルモント
②キャロライン・スライデル・ペリー
1,863 7 28 徳川家茂一行が船で大坂を出発する。
1,863 7 31 徳川家茂一行が江戸に到着する。
1,863 9 30 萩藩を中心とする尊攘派が朝廷を動かし、挙兵討幕の手段として攘夷親征・大和行幸の詔を出させた事に対し、公武合体派の鹿児島藩が京都守護職松平容保等と謀って、機先を制し御所を警固して朝議を一変し、急進派の公家の参内を禁じた。萩藩は御所警衛の任を解かれ,三条実美ら尊攘派の公家は萩藩へのがれた。尊攘派勢力は一時衰退した。
1,863 10 14 アルフレッド・ノーベルが、「ニトログリセリンの調製方法」のスウェーデンの特許を取得する。
1,863 11 6 松平容保から新撰組を拝命し、壬生浪士組から改名する。
1,864 ジューニアス・モルガンがジョージ・ピーボディから事業を完全譲渡され、ピーボディ・モルガン・アンド・カンパニーを、ジューニアス・スペンサー・モルガン・アンド・カンパニー(J.S.モルガン商会)に社名変更する。
1,864 鹿児島藩が洋学校「開成所」を設立する。
1,864 6 新選組諸士調役兼監察の山崎丞・島田魁らが、四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する古高俊太郎の存在を突き止め、会津藩に報告。俊太郎は梅田雲浜とも親交があった。この頃、萩藩の人間が、京都三条木屋町にあった旅籠の池田屋周辺で見掛けられていた。
1,864 7 グリーンバック紙幣が、度重なる増刷により39セントに下落する。
1,864 7 8 新撰組一番隊組長沖田総司、二番隊組長永倉新八、十番隊組長原田左之助等隊士20数名を率いて壬生の屯所を出発し、池田屋に突入した。寝込みを襲ったものの、万が一に備えていた雇人達は素早く逃げた。ただ主の古高俊太郎だけは、書類に火をつけていた。そこを捕えられ、屯所まで連行される。副長土方歳三が拷問を加え、萩藩浪士が、7/23前後の風の強い日を選んで京都御所を中心に京都の町への放火、松平容保の殺害、孝明天皇を拉致して萩藩に連行する計画を自白する。それを受け、副長山南敬助等6名が屯所に残り、午後に局長近藤勇以下34名が出動する。会津藩との取り決めでは祇園町会所を20時に出動、新選組は会津藩兵と共に四条から三条へ北上、会津藩は二条から三条に南下しつつ、捜索していく計画であったが、会津藩の対応が遅い為、近藤と土方が19時に先に出動する。一方、会津藩内では、新選組と共に出動する事によって、萩藩との対立が深刻化する事を懸念する声もあったが、病床にあった容保の指示で出動が決まり、22時頃に捜索を開始した。近藤が9名、土方が23名を率いる事とし、土方はさらに自隊を2つに分けた。また新選組には一番から八番までの組があり、それぞれを8人の副長助勤が組長となって率いたが、その8人が近藤隊(沖田、永倉、藤堂平助、安藤早太郎)と土方隊(井上源三郎、斎藤一、原田、松原忠司)に分かれた。土方の2小隊は井上と松原がそれぞれ指揮する事となった。近藤が1小隊、土方が2小隊を率いる事としたのは近藤隊が鴨川西の木屋町筋を探索するのに対し、土方隊が鴨川東岸の茶屋の多い縄手通を担当する為である。浪士らの出入りしそうな場所を探索するも近藤隊、土方隊ともに空振りが続いた。そして、22時頃四条から木屋町筋を探索しつつ北上していた近藤隊が、三条の池田屋に到達する。近藤は踏み込む前に池田屋の間取りを確認し、表口、裏口を3名ずつで固めさせ、近藤、沖田、永倉、藤堂の4名で、古高を奪還する為の相談で集まっていた約30名の尊攘派を襲撃する。結果尊攘派の宮部鼎蔵、吉田稔麿、高知藩北添佶摩等が命を落とした。
1,864 7 19 天京にて清と太平天国の戦いにより天京が陥落し、太平天国が滅亡した。
1,864 9 3 イマヌエル・ノーベルが所有するヘレネボリ工場(スウェーデンのストックホルム県)にて、ニトログリセリンの準備に使用されていた小屋が爆発し、イマヌエルの四男エミール・ノーベルを含む5名が死亡した。此の事故により、アルフレッドは爆発物の製造免許を剥奪された。其の後アルフレッドは、より孤立した場所で作業を続ける為に、同年、ヴィンテルヴィーケン(スウェーデンのストックホルム県)に「ニトログリセリンAB社」を設立した。
1,864 9 14 坂本龍馬が、勝海舟の使者として京都で西郷隆盛と会談する。
1,864 9 28 カール・マルクスが、第1インターナショナル(国際労働者協会)の設立を、セント・マーティン・ホール(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターのロング・エイカー)で宣言する。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの長男ライオネル・ド・ロスチャイルドもメンバーに名を連ねていた。
1,864 11 7 デイヴィッド・サスーンがプーナ(現在のインドのマハーラーシュトラ州プネー)で死去し、長男アルバート・サスーンが後を継ぐ。
1,864 11 8 第20回アメリカ大統領選が行われ、エイブラハム・リンカーンが再選を果たす。オーガスト・ベルモントはリンカーンに対し多額の資金提供を行なっていた。
1,864 11 21 エイブラハム・リンカーンが、友人に「国際金融権力は平和時には国家を食い物にし、逆境のときには国家に対して陰謀を企てる。君主制よりも横暴で、独裁政治よりも身勝手だ」という主旨の書簡を送る。
1,864 12 8 小栗忠順が第2代駐日フランス公使レオン・ロッシュに造船所建設を委ねる。
1,864 12 24 小栗忠順、栗本鋤雲、レオン・ロッシュが造船所建設地を横須賀に決定する。長浦(現在の千葉県袖ケ浦市蔵波)、横須賀にて実地検分を行っていた。
1,865 アメリカのマサチューセッツ州でキダー・ピーボディ証券が設立される。ジョージ・ピーボディはこの一族である。
1,865 ジョルジュ・ファーヴル・ジャコがル・ロックルに時計工房を立ち上げ、「ゼニス」を設立する。
1,865 エイブラハム・クーンとソロモン・ローブが、サミュエル・ウォルフと共に、経営するクーン・ネッター社を衣料品事業から銀行事業に転身させる。
1,865 アルフレッド・ノーベルが、爆発の起爆に水銀を使う方法を導入する。ノーベルは此の発明の特許を取得し、世界各地を旅して、以下にニトログリセリンの製造工場を建設し、世界中に出荷した。
①ストックホルム
②ハンブルク
ノーベルは本年からゲーストハッハト(現在のドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州)に住み始めた。
1,865 1 ジャーディン・マセソン商会が、アヘン取引で稼いだ資金をイングランド銀行に送金する為に払込資本金2,500,000ドルで「香港上海銀行」を設立する。発起人は主に以下である。
①トーマス・サザーランド
②デント商会
③オーガスティンハード商会
④ラッセル家
⑤サスーン商会
最大の株主はデイヴィッド・サスーンの五男でネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であるアーサー・サスーンであった。業務内容としては、アヘン貿易商社の資金融通や、送金の請負であった。
①ジャーディン・マセソン商会
②デント商会
③サスーン商会
1,865 1 6 江戸幕府がレオン・ロッシュを老中諏訪忠誠の屋敷に招き、老中水野忠精、老中阿部正外、諏訪、ロッシュの四者で会談を行う。幕府はフランスとの協定を強固にする為に使節の派遣を申し出て、フランスもこれを了承した。これが後の柴田剛中を組頭とした遣欧使節となる。またロッシュは、先に造船の技術者として推薦したレオンス・ヴェルニーが上海での仕事を終え来日する予定なので、ヴェルニーが到着した際は、幕府が現在保有している製鉄機械類を見た上で、不足する分があれば遣欧使節に、フランスに於いて購入して貰う事を提案し、幕府側もこれに賛同した。また老中達は、懸念していた造船所の建設費用に関し、幕府の財政状況が厳しい事をロッシュに訴え、生糸のフランスへの輸出で活路を見出そうとした。しかしロッシュは疑念を生むとして躊躇し、結論は出なかった。
1,865 1 21 筆之丞が死去する。
1,865 2 13 鹿児島藩で視察員4名と、鹿児島藩開成所を中心に留学生15名が選ばれ、留学渡航の藩命が下される。
1,865 2 15 使節団長の新納に率いられ鹿児島を出発し鹿児島藩留学生一行16名は、苗代川(現在の鹿児島県日置市美山)に一泊する。
1,865 2 16 鹿児島藩留学生一行16名は市来湊から船に乗って羽島に渡る。留学生一行はトーマス・ブレーク・グラバーが用立てた船に乗船する事となっており、その船が長崎から羽島沖に迂回される事になっていた。
1,865 3 3 香港上海銀行香港本店が設立される。
1,865 4 香港上海銀行が上海支店を設立される。
1,865 4 9 アメリカ連合国が降伏する。アメリカ連合国将軍アルバート・パイクはエイブラハム・リンカーンに恩赦を申請した。
1,865 4 14 22時14分、フォード劇場(アメリカのワシントンD.C.ノースウェスト)2階の特別ボックスにて、以下3名と共に「われらのアメリカのいとこ」を観劇中であったエイブラハム・リンカーンが、ゴールデン・サークル騎士団のメンバーであるジョン・ウィルクス・ブースに銃撃される。
①メアリー・トッド・リンカーン
②ヘンリー・ラスボーン
③クララ・ハリス
ラスボーンとハリスは、アメリカ軍将軍ユリシーズ・グラント夫妻が来れなくなった事による代役であった。また、この銃撃には以下の人間も加担していた。
①アルバート・パイク
②第3代アメリカ連合国国務長官ジュダ・ベンジャミン
③ジョン・スライデル
④アメリカ有色軍志願兵部隊大佐ジョージ・ウィリアム・ベアード
⑤トーマス・ウィリアム・ハウス・シニア
1,865 4 14 イギリス渡航に係る手続きの為長崎に滞在していた五代友厚、寺島宗則、堀孝之の3名が羽島に到着し、鹿児島藩留学生一行と合流。
1,865 4 15 朝、エイブラハム・リンカーンが死去する。これにより、第16代アメリカ副大統領で、フリーメイソンのアンドリュー・ジョンソンが、第17代アメリカ大統領に就任した。
1,865 4 16 乗船する蒸気船オースタライエン号が羽島沖に現れる。その後、荷物を積み込み鹿児島藩留学生一行は、羽島沖で停泊する船内で寝る事となる。
1,865 4 17 鹿児島藩留学生一行が昼前にイギリスへ向けて出航する。
1,865 4 21 鹿児島藩留学生一行が夕刻に香港に到着する。ガス燈で彩る香港の夜景に見惚れた彼らは、感嘆の声を上げる。同時に、薩英戦争時に戦ったイギリス戦艦ユーリアラス号が停泊していた事にも驚く。洋服を仕立て上陸した彼らは、紅茶を飲んだり、時計を買ったりとそれぞれ香港の街を満喫した。
1,865 4 26 イギリス外務次官エドマンド・ハモンド(初代ハモンド男爵)が第2代駐日英国大使ハリー・パークスに対し、「日本において体制の変化がおきるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない」という主旨の書簡を送る。
1,865 4 29 P&O汽船会社の客船マドラス号に乗り換えた鹿児島藩留学生一行が香港を発つ。マドラス号は、乗船人数250名、客室30室の蒸気客船で食堂、浴室、トイレが完備されていた。洋式の便器を初めて見た五代友厚は、きれいな陶器に水が流れる便器を見て、洗面器と勘違いして顔を洗った、と後に財部実行は述べている。
1,865 5 1 ヴォルフ電報局が会社組織に改組され株式公開する。主な株主は以下である。
①ベルンハルト・ヴォルフ
②銀行家
③プロイセン政府
プロイセン政府の支援により国内でのヴォルフの地位は磐石なものとなった。
1,865 5 5 鹿児島藩留学生一行が午前中にシンガポールに到着する。彼らはここで、初めてパイナップルを食べた。味は日本の桃のようで、形は丸く少し長く、皮は松の皮に以て黄色で実は白く、漢字にすると松笠果物ではないか、と感想を述べている。
1,865 5 6 鹿児島藩留学生一行がペナン島へ向けてシンガポールを出航する際、新たに20人程のオランダ人が乗船してきた。 松村淳蔵はオランダ人乗客が家族との別れの際にキスをする姿に驚いた。
1,865 6 幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、鹿児島藩と長崎の豪商小曽根乾堂の援助を得て、長崎の亀山(現在の長崎県長崎市伊良林)に「亀山社中」が結成される。グラバー商会と銃器の取引を開始し藩に銃器などを卸す。物資の輸送や航海訓練等も行なった。
1,865 6 24 アルバート・パイクが、アンドリュー・ジョンソンに恩赦を申請する。それまでのアメリカ憲法の解釈を破棄し「平和のための芸術を追求し、自分の職業を実践し、本に囲まれて生活し、政治的な方法以外で仲間や人種のために働く事を計画している」と述べた。
1,865 6 28 坂本龍馬が木戸孝允と会談し、萩藩と鹿児島藩の和解を説いた。
1,865 7 2 西郷隆盛が木戸孝允との会談予定を破り、そのまま京都へ向かう。
1,865 7 21 西郷隆盛を説得する為中岡慎太郎、坂本龍馬が京都へ向かう。
1,865 8 大村益次郎の勧めで、伊藤博文が坂本龍馬の甥で亀山社中の坂本直の仲介で、トーマス・ブレーク・グラバーから当時の最新式のミニエー銃(エンフィールド短小銃)4,300挺と、ゲベール銃3,000挺を92,400両で買い付ける。
1,865 8 6 ジェイコブ・シフが、イギリスのロスチャイルド家の代理人としてニューヨークに到着する。其の後は、ニューヨークの商社で働き始めた。
1,865 10 前々月萩藩が買い付けたミニエー銃(エンフィールド短小銃)4,300挺と、ゲベール銃3,000挺が、鹿児島藩の船である「胡蝶丸」、「海門丸」で三田尻(現在の山口県防府市)へ輸送される。
1,865 10 15 トーマス・ブレーク・グラバーが「ユニオン号」で下関を訪れる。前々月のミニエー銃(エンフィールド短小銃)4,300挺と、ゲベール銃3,000挺の92,400両の支払いに関し、貨幣に米・麦・塩を加えて支払う事で萩藩と合意した。
1,865 11 15 横須賀造船所の鍬入れ式が執り行われる。
1,866 福井藩脱藩浪士吉田健三がイギリスへ密航する。
1,866 初代イタリア王国国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がユダヤ人にイタリア人と同じ権利を保証する。
1,866 ジョン万次郎が鹿児島藩の開成所の教授に就任する。以下を指導した。
①航海
②造船
③測量
④英語
1,866 山内容堂の命により、以下2名が中心となり、殖産興業・富国強兵を推し進める事を意図し、高知藩の藩校「開成館」を設立する。
①ジョン万次郎
②後藤象二郎
さらに万次郎は、後藤等と上海に渡り、船を購入し「夕顔号」と名付けた。
1,866 アルフレッド・ノーベルがアメリカを訪れ、以下に工場を建設する。
①ニューヨーク州
②カリフォルニア州サンフランシスコ
1,866 4 23 アンドリュー・ジョンソンがアルバート・パイクを赦免する。
1,866 5 香港上海銀行が横浜支店を設立される。
1,866 7 13 ヴァレンティア島(現在のアイルランドのケリー県)とニューファンドランド島(現在のカナダのニューファンドランド・ラブラドール州)を結ぶ海底電信ケーブルが完成する。前年にグレートイースタン号がテムズ川に落としたケーブルは引き上げられた。
1,866 8 29 徳川家茂が大坂城で毒殺される。
1,866 9 25 ジェロームパーク競馬場が、ニューヨーク州ウェストチェスター郡フォーダム(現在のアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区)にオープンする。以下2名等が設立に尽力した。
①ウィンストン・チャーチルの母方の祖父レナード・ジェローム
②オーガスト・ベルモント
1,866 11 21 ジェイコブ・シフが、株式仲買業者のフランク・アンド・ガンズ社に雇われ、ブローカーとなる。
1,867 以下2名が「クーン・ローブ商会」をニューヨークに設立する。
①エイブラハム・クーン
②ソロモン・ローブ
資本金は500,000ドルであった。設立当初のクーン・ローブ商会は、公債と鉄道債券を取り扱った。西暦1,865年の南北戦争終結後、アメリカ国内は、鉄道建設事業が盛んで、事業資金の巨大な需要が有った。更にクーン・ローブ商会は、西暦1,870年代に入ると、イギリス・ロスチャイルド商会やウォーバーグ家との交友関係を利用し、アメリカの鉄道会社の発行する債券をヨーロッパの銀行等に売り捌いた。其の後逆に、ヨーロッパ各国の政府・企業が発行する債券をクーン・ローブ商会がアメリカの投資家に売り捌く事となった。ジェイコブ・シフは、ヨーロッパの金融機関に、アメリカの政治・経済・穀物収穫高の見通し等の情報を伝えたりしていた。
1,867 ホープタウン(現在の南アフリカの北ケープ州)で農夫の息子であるエラスムス・ジェイコブスが、オレンジ川付近でユーレカダイヤモンドを拾う。ナサニエル・ロスチャイルドは其れを聞き直様アングロ・アフリカン・ダイヤモンド鉱山社に出資した。
1,867 イライアス・サスーンが「E.D.サスーン&カンパニー」を設立し、サスーン商会と共に以下の品目の取引を開始する。
①ドライフルーツ
②南京で製造された黄色の綿
③金属
④茶
⑤絹
⑥スパイス
⑦樟脳
1,867 以下2名が「バッジ・シフ商会」を設立し、共同経営者となる。
①ヘンリー・バッジ
②ジェイコブ・シフ
1,867 アメリカのニューヨーク州ブルーム郡在住で、学校教師でありながら医学を学び、其の後バプテスト派の牧師として叙任されたフレデリック・テイラー・ゲイツの父グランビル・ゲイツが、アメリカン・バプテスト・ホーム・ミッション・ソサエティに入会する。此れによりフレデリックは、家族と共にアメリカのカンザス州に移住した。フレデリックは、ニューメキシコ・ハイランズ大学(アメリカのニューメキシコ州)の予備校に通い始めた。
1,867 1 30 孝明天皇が暗殺される。
1,867 2 6 ジョージ・ピーボディが有価証券1,000,000ドルを投じ「ピーボディ教育基金」を設立する。表向きは南北戦争後の南部黒人の教育を設立の目的としていたが、実際は北部の資本家が南部の土地の支配権を獲得し、南部諸州の政府を支配する事が狙いであった。
1,867 3 16 ジョージ・ピーボディが1,100,000ドル程度の有価証券をピーボディ教育基金に投資する。
1,867 3 30 アメリカが、ロシア帝国からアラスカを買収する。
1,867 6 19 オーガスト・ベルモントの名を冠した、アメリカクラシック三冠の1つである「ベルモントステークス」が、ジェロームパーク競馬場にて初開催される。
1,867 10 11 坂本龍馬が出島のオランダ商人ハットマンからミニエー銃1,300挺を18,875両で購入する。
1,867 10 12 坂本龍馬が長崎の鹿児島藩蔵屋敷から鋏屋与一郎、広瀬屋丈吉を保証人として5,000両を借り、4,360両の内金の内4,000両をハットマンに支払い360両を値引きして貰う。また、鋏屋と広瀬屋には抵当としてミニエー銃100挺を出島で渡した。その場には陸奥宗光もいた。残った1,000両は以下の使い道であった。
①海援隊の人件費200両
②海援隊の運営経費150両
③長崎商人への仲介料150両
④田辺藩への資金提供500両
1,867 10 14 坂本龍馬が海援隊の部下に対し、大量の石炭購入を指示する。
1,867 10 15 早朝、坂本龍馬が、広島藩から借りた「震天丸」にライフル銃1,200挺を積み長崎を出港する。
1,867 10 21 坂本龍馬が浦戸(現在の高知県高知市)に入港し、京都の状況を簡潔に記した書簡を使者に持たせ、高知藩仕置役斎藤利行に届けさせる。18時頃、坂本は松ヶ鼻(現在の高知県高知市)の茶亭にて斎藤、大目付本山只一郎等と会談し、武力討幕に向け萩、鹿児島の両藩の活動が活発化している京都の緊迫した情勢を伝えた。それを受け高知藩は、坂本が持ち込んだミニエー銃1,200挺を買い入れる事で合意した。
1,867 10 26 坂本龍馬が脱藩以来5年振りに実家に帰り、兄の坂本権平、姉の坂本乙女、姪の坂本春猪等と再会する。
1,867 11 8 鹿児島藩に対し、倒幕の偽勅が秘密裏に下される。
1,867 11 9 徳川慶喜が政権返上を第122代天皇明治天皇へ奏上する。
1,867 11 9 萩藩に対し、倒幕の偽勅が秘密裏に下される。
1,867 11 10 明治天皇が徳川慶喜の奏上を勅許する。
1,867 12 10 高知藩を脱藩した中岡慎太郎、坂本龍馬と龍馬の従僕であった山田藤吉の3人が京都河原町通蛸薬師下ルの近江屋井口新助邸において襲撃され、坂本が死去する。
1,867 12 11 山田藤吉が死去。
1,867 12 12 中岡慎太郎が死去。
1,868 アメリカのボストン出身のフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズがシャフハウゼン(現在のスイス)にて「IWC」を設立する。ジョーンズはスイスの時計職人の職人技や時計製造の専門知識を活かし、当時ヨーロッパで一般的であった安い人件費を利用する算段を立てていた。ジョーンズはジュネーヴにて時計工房を一箇所に集約する事をプレゼンしたが、時計は自宅や時計工房で製作するのが一般的であった為懐疑的に受け止められた。そんな中時計職人インリッヒ・モーザーと出会い、モーザーは滝の水の力を利用した水力発電をジョーンズに提案し受け入れられた。
1,868 吉田健三が英一番館の横浜支店長に就任し、以降3年間日本政府を相手に軍艦・武器・生糸の売買に従事し、目覚ましい業績を上げる。
1,868 アロイス・シックルグルーバーが、オーストリア帝国の官吏となる。
1,868 フレデリック・テイラー・ゲイツが教師となる。其の後5年間、農家に馬鍬を販売したり、村の乾物店や銀行で働く等、様々な仕事をした。
1,868 1 1 正午、イギリス海軍ネルソン級戦艦「ロドニー」等イギリス・アメリカの戦艦18隻から祝砲が撃たれ、神戸が開港する。小栗忠順、レオン・ロッシュもその場にいた。
1,868 1 3 王政復古の大号令が発せられる。
1,868 3 18 西郷隆盛の軍が駿府に進軍する。
1,868 4 1 ハリー・パークスの部下で通訳のアーネスト・サトウが、江戸の情勢を探る為勝海舟に会う。
1,868 4 1 幕臣山岡鉄舟が徳川家処分の交渉の使者として西郷隆盛に会う。この際山岡に同行した薩摩藩益満休之助が、山岡と西郷の仲介を行った。
1,868 4 1 有栖川宮熾仁親王から西郷隆盛に対し西暦1,868年4月7日に江戸を攻撃する様命令が下る。
1,868 4 3 西郷隆盛の軍が江戸攻撃の為駿府を出発する。
1,868 4 5 萩藩木梨精一郎が西郷隆盛の命令でハリー・パークスを訪ね、江戸攻撃の際山手(現在の神奈川県横浜市中区山手町)に駐留しているイギリス兵1,000名を動かさない様依頼する。
1,868 4 5 高輪の薩摩藩下屋敷で勝海舟と西郷隆盛が会談を行う。会談の提案、場所の指定は勝海舟が行った。
1,868 4 6 勝海舟が田町の薩摩藩蔵屋敷を訪ね、西郷隆盛と会談する。西郷は、翌日に予定していた江戸攻撃の中止を約束した。
1,868 4 7 西郷隆盛が京都へ向けて出発する。
1,868 4 8 西郷隆盛が駿府に到着する。
1,868 4 11 西郷隆盛が京都に到着する。
1,868 4 12 西郷隆盛が京都御所を参内し、明治天皇から徳川慶喜助命の勅裁を得る。
1,868 4 14 西郷隆盛が京都を出発する。
1,868 4 20 西郷隆盛が横浜でハリー・パークスと会談する。
1,868 4 20 西郷隆盛が本門寺(現在の東京都大田区池上)に到着する。
1,868 4 27 西郷隆盛が大久保利通に対し勝海舟に会わない旨の手紙を書く。
1,868 5 1 勝海舟が旧幕府軍の処遇等について嘆願する為本門寺を訪れ、木梨精一郎、海江田信義と会談する。
1,868 5 2 勝海舟が前日に続き本門寺を訪れ、木梨精一郎、海江田信義、西郷隆盛と会談する。
1,868 5 3 朝、徳川慶喜は謹慎先の寛永寺(現在の東京都台東区上野桜木)から、新たな謹慎先である水戸へと出発する。この日は松戸に宿泊した。
1,868 5 3 江戸城が開城する。
1,868 5 4 徳川慶喜が我孫子で昼食を摂り、取手で休息、藤代に宿泊した。
1,868 5 5 徳川慶喜が土浦に宿泊する。
1,868 5 6 徳川慶喜が堅倉に宿泊する。
1,868 5 7 徳川慶喜が水戸に到着し、弘道館の至善堂に入り再び謹慎を開始する。
1,868 5 26 アルフレッド・ノーベルが、ニトログリセリンと、以下の非爆発性の多孔質物質を混合する事で、ニトログリセリンの爆発力を失う事無く、爆発や其の他特性が大幅に変わり、輸送・保管・使用の安全性を向上させる事に関する特許を取得する(US78317A)。
①珪質泥
②酸化ケイ素を主成分にとする研磨剤トリポリ
③金属やガラスの研磨に使用される研磨剤ロットンストーン
ノーベルは、重量の75%がニトログリセリン、25%がロットンストーンという組成が、取り扱いや爆発力の面で理想的である事を発見した。今回発明された組成物は、通常の梱包で空気中に晒されて火が付いても、火薬と異なり爆発せずに燃焼するだけであり、安全な物であった。此の組成物を爆発させるには、パッケージに確りと封止し、発破用の導火線で点火した雷管で爆発させる必要が有った。此の技術は、鉱業や交通網の建設に於いて、世界中で使用された。
1,868 7 17 江戸府が東京府に改称される。
1,868 11 4 明治天皇が多くの公卿の反対を押し切り、東京への行幸の為、京都を出発する。
1,868 11 26 明治天皇が江戸城を行幸中の皇居と定め、東京城と改称する。
1,869 エイブラハム・クーンが、妻の死去により、クーン・ローブ商会の経営への直接的な関与を止め、幼い以下2名の娘と共に、フランクフルトのフォイヤバッハ通り14番の大きな庭のある家に居を構える。
①アイーダ
②エミリー
以降も西暦1,887年迄パートナーとしてクーン・ローブ商会に関与した。
1,869 ジョン万次郎が、開成学校の徴士(二等教授)となる。英語教授として指導に当たった。この年から11年間指導に当たり、高知藩下屋敷(現在の東京都江東区北砂)に居住していた。
1,869 6 10 ポール・ジュリアス・ロイターがヴォルフ電報局を買収しようとした事に反発し、ベルンハルト・ヴォルフが第22代プロイセン王国首相オットー・フォン・ビスマルクと提携して「大陸電報社」と改称する。報道部門は大陸電報局と呼ばれる様になった。当時ビスマルクはプロイセン国庫から100,000ターレ/年の資金提供をヴォルフ電報局に行っていた。
1,869 11 17 スエズ運河の開通式が開かれる。招かれたヨーロッパ各国の元首を乗せた48隻の船がポートサイドから、そしてスエズ側からはエジプトの軍艦が運河に入り、中間点のティムサーハ湖(現在のエジプトのイスマイリア県)で合流した。此の日ヴェルディのオペラである「アイーダ」の上演が予定されていたが、完成が間に合わず、代わりに「リゴレット」が上演された。「アイーダ」が披露されるのは後の西暦1,871年となる。工事費用は当初200,000,000フランの予定であったが、結果的に425,000,000フランを要した。差額はムハンマド・アリー朝が負担した。此のスエズ運河の開通は世界貿易に即座に影響を与え、ヨーロッパのアフリカ進出・植民地化を進める上で重要な役割を果たした。
1,870 フェルディナン・ド・レセップスが、第6代イギリス・ハノーヴァー朝国王ヴィクトリアから勲章を受け、スエズ運河建設に反対していたイギリスが態度を一変させる。利用する船も、毎年一番多いのはイギリス船であった。イギリスは、国際スエズ運河会社の株を買い入れる機会を窺う様になった。
1,870 エゼキエル・カドゥーリがカルカッタ(現在のインドの西ベンガル州コルカタ)のサスーン商会に入社する。
1,870 ジョン万次郎が開成学校の中博士(教授)となる。
1,870 チャールズ・テイズ・ラッセルが、キリスト教系の新宗教である「聖書研究会」を開く。後に「エホバの証人」と呼ばれる様になった。
1,870 病弱であったセシル・ローズが、気候により健康状態が良くなるかも知れないという期待を込めて、家族によって南アフリカに送られる。
1,870 アルフレッド・ノーベルが、自身の会社の本社と研究所をパリに移す。そして、ニトログリセリン以外の爆薬の開発に注力した。
1,870 1 10 ジョン・ロックフェラーが、アメリカのオハイオ州に「スタンダード・オイル・オブ・オハイオ社」を設立する。
1,870 8 1 ジェイコブ・シフが以下の人間と共に「ニューヨーク・コンチネンタル銀行」を設立する。
①乾物の卸売会社「バルクリー&クラフリン」創業者ホレス・ブリガム・クラフリン
②武器商人マーセラス・ハートレー
③ニューヨーク証券取引所ロバート・リビングストン・カッティング
④ジョセフ・セリグマン
1,870 9 ジェイコブ・シフがアメリカに帰化する。
1,870 9 20 イタリア王国がローマ教皇領へ侵攻する。
1,870 9 23 以下4名を含む普仏戦争視察団が、横浜を出港する。
①林有造
②大山巌
③品川弥二郎
④ジョン万次郎
1,870 10 6 イタリアが住民投票により、ローマを併合する。イタリアの統一によって教皇領を奪われたローマ・カトリック教会は、それまで領地からの得ていた収入を絶たれ、深刻な財政難に陥る。これを受けてロスチャイルド家がローマ・カトリック教会に対し200,000ドルを融資する。以降バチカンの資金運用はロスチャイルド人脈が担う事となる。
1,870 11 ジョン万次郎が、フェアヘイヴンにてウィリアム・ホイットフィールドと再会する。互いに涙した。
1,871 セシル・ローズが、キンバリー(現在の南アフリカ北ケープ州)にて、ダイヤモンド取引に参入する。ビジネス仲間のチャールズ・ダネル・ラッドと共に、以下の業務を行っていた。
①ダイヤモンドの取引
②ポンプの貸し出し
③製氷機の操作
1,871 8 15 アルバート・パイクがジュゼッペ・マッツィーニに以下の内容の書簡を送る。
①第一次世界大戦は、ロシアのツァーリズムを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置く為に仕組まれる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させる為の「お化け役」として利用される。
②第二次世界大戦は、「ドイツの国家主義者」と「政治的シオニスト」の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現される。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに「イスラエル国家」の建設が為されるべきである。
③第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人との間に、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている。
1,871 10 セシル・ローズが、キンバリー(現在の南アフリカ北ケープ州)にて、N・M・ロスチャイルド&サンズの資金提供により、ダイヤモンド取引に参入する。ビジネス仲間のチャールズ・ダネル・ラッドと共に、以下の業務を行っていた。
①ダイヤモンドの取引
②ポンプの貸し出し
③製氷機の操作
以降、西暦1,888年迄、キンバリーの全ての小規模ダイヤモンド採掘事業を買収した。
1,871 11 本阿弥光白が、日御座の御剣の砥を命じられる。此れを行った本阿弥は、宮内省から金2,000疋を賜った。
1,872 イライアス・サスーンがサスーン商会から独立し、上海で「新サスーン商会」を設立する。
1,872 ヘンリー・バッジが家庭の事情でドイツに戻る事となり、バッジ・シフ商会が解散する。ジェイコブ・シフもドイツに帰国した。
1,872 バジル・ザハロフが、ブリストル(イギリスのサウス・ウェスト・イングランド)にてイギリス人女性と結婚する。
1,872 5 17 サンフランシスコの日刊紙「サンフランシスコ・エグザミナー」の記者5名を中心に、ジャーナリスト・芸術家・ミュージシャンによって、ジャーナリズムを一般大衆の評価に値する地位へと高める為の、文学・芸術・音楽・演劇を専門とする紳士、及びそれらの作品への愛着・評価や参加に関心の有る紳士の社交クラブとして「ボヘミアンクラブ」が設立される。初期には茹でた縞鱸の白ワイン煮や、デミタスコーヒーが振る舞われ、以下のメンバーが参加していた。
①小説家マーク・トウェイン
②作家ブレット・ハート
③ジャーナリストのヘンリー・モートン・スタンリー
④作家ジャック・ロンドン
⑤作家ヘンリー・ジョージ
1,873 ロシア帝国のバクー(現在のアゼルバイジャン)で最初の油井が噴出する。
1,873 アルバート・サスーンがイギリスを訪れる。
1,873 「ロンドン&ハンゼアティック銀行」が設立され、ジェイコブ・シフが同行ハンブルク支店支店長に就任する。
1,873 セシル・ローズが、オックスフォード大学の構成カレッジの1つである、オリオル・カレッジに入学し、本年から西暦1,881年迄断続的に通う。西暦1,874年に1学期だけ滞在し、西暦1,876年に2学期目の滞在を行った。その間、チャールズ・ダネル・ラッドがダイヤモンド取引等の業務を管理した。美術評論家ジョン・ラスキンの講義に影響を受けた。
1,873 貿易商である叔父の仕事を手伝っていたバジル・ザハロフが、コンスタンティノープルからロンドンへの商品の輸出の際、店の資金を横領した事が発覚し、法廷に召喚される。コンスタンティノープル出身のロンドンのギリシャ人達は、自分達のコミュニティの人間が関係する紛争はイギリスの法廷外で解決する事を望んだ。ザハロフは原告に100ポンドの賠償金を支払い、法廷の管轄内に留まる事を条件に釈放された。ザハロフは直ぐにアテネへ向かい、ステファノス・スクルディスと出会った。雄弁なザハロフは、ロンドンでの訴訟の正当性を訴え、スクルディスを説得する事に成功した。
1,873 アルフレッド・ノーベルが、ゲーストハッハトからパリ16区のマラコフ通りに引っ越す。パリに住んでいる間、プロテスタントの1つのルター派であったノーベルは、ウプサラ大学の教会に定期的に通い、司祭ナータン・セーデルブロムの指導を受けていた。
1,873 ジェイコブ・シフが、ロンドン・ハンザ銀行ハンブルク支店支店長に就任する。
1,873 以下2名が結婚する。
①アロイス・シックルグルーバー
②アンナ・グラスル・ヘーラー
ヘーラーの父は国家公務員として高い地位にあった。ヘーラーは病弱であった為、シックルグルーバーは、ヘーラーを助ける為に、自身の住んでいたブラウナウ・アム・イン(現在のオーストリアのオーバーエスターライヒ州)にヨハン・ネポムク・ヒュットラーの孫娘クララ・ヒュットラーを呼び寄せた。其の後シックルグルーバーは、フランツィスカ・マッツェルベルガーと関係を持つ様になった。
1,873 フレデリック・テイラー・ゲイツが、ロチェスター大学(アメリカのニューヨーク州)の古典課程に上級編入する。しかし其の後、カンザス州に戻り2年間独学した。
1,873 3 ロバート・ノーベルがバクーを訪れ、ビビ・エイバート油田及び当地の製油所を購入し、石油事業を開始する。
1,873 4 イギリスの数学者ウィリアム・シャンクスが円周率に関し西暦1,706年・1,794年に用いられたジョン・マチンの公式を用い527桁の精度を得る。当初707桁を達成したが、西暦1,945年にD.F.ファーガソンが541桁まで計算を行い、シャンクスの誤りを指摘した。それまではシャンクスの計算は信用されていた。
4 arctan 1 5 -arctan 1 239 = 4 π
π=3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209
74944592307816406286208998628034825342117067982148086513282
30664709384460955058223172535940812848111745028410270193852
11055596446229489549303819644288109756659334461284756482337
86783165271201909145648566923460348610454326648213393607260
24914127372458700660631558817488152092096282925409171536436
78925903600113305305488204665213841469519415116094330572703
65759591953092186117381932611793105118548074462379962749567
35188575272489122793818301194912983367336244065664308602139
1,873 8 24 ロスチャイルド家のブローカーであった、ジェイコブ・シフの父モーゼス・シフが死去する。此れを受け、ジェイコブは、ハンブルクに所在するウォーバーグ銀行から誘いを受けていたものの、生まれ故郷のフランクフルトへ戻り、其処でエイブラハム・クーンと出会い、外国為替取引の知識を認められた。
1,874 ランカスター(アメリカのペンシルベニア州)にて「アダムス&ペリー・ウォッチ・カンパニー」が設立される。
1,874 清の数学者曾紀鴻が円周率に関し100桁の精度を得る。
π=3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209
749445923078164062862089986280348253421170679
1,874 ジョルジュ・エドワール・ピアジェがラ・コート・オー・フェ(現在のスイスのヌーシャテル州)にあるピアジェ家の農場内の建物に時計工房を構え、「ピアジェ」を設立する。
1,874 アルバート・サスーンがボンベイにサスーン商会の子会社「サスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニー」を設立し、綿工場を数ヶ所開設した。
1,874 ジェイコブ・シフが、エイブラハム・クーンの誘いを受けニューヨークへ戻る。
1,875 デュポン社が、カリフォルニア火薬工場の株式の43%を買収する。
1,875 ロバート・ノーベルがバラハニ油田を購入する。
1,875 アルバート・サスーンがボンベイの埋立地に、廃水を完全には行わない湿式ドックを建設し、海運事業を始めた。
1,875 アルバート・サスーンがイギリスに移住し、ロンドンからサスーン商会を指揮し始める。ボンベイでのサスーン商会の経営は弟のソロモン・デイヴィッド・サスーンが継いだ。
1,875 以下の3社がランカスター(アメリカ)の時計工房に入居し、事業成功に向けて時計製造を開始する。
①アダムス&ペリー・ウォッチ・カンパニー
②ランカスター・ウォッチ・カンパニー
③キーストーン・スタンダード・ウォッチ・カンパニー
1,875 アルフレッド・ノーベルが、プラスチック爆薬である「ゼリグナイト」を発明する。此れは、コロジオン綿をニトログリセリン又はニトログリコールに溶かし、木材パルプと、硝石(硝酸ナトリウム又は硝酸カリウム)を混ぜた物で、以前に自身が発明したニトログリセリンを用いた爆薬よりも安定性と威力が増大した。更には、水中でも使用出来、形状を変え易く、漏れ出る心配も無いという利点が有った。
1,875 フレデリック・テイラー・ゲイツが、ロチェスター大学に復学する。其の後卒業し、ロチェスター・バプテスト神学校に入学した。
1,875 1 1 ジェイコブ・シフが、エイブラハム・クーンの招待を受けてクーン・ローブ商会に入社する。クーンが銀行家ジャック・ドレフュスの自宅でシフと会った事が切っ掛けであった。シフは、以下の人間との人脈をクーン・ローブ商会に持ち込んだ。
①アーネスト・カッセル
②投資信託会社創業者ロバート・フレミング
③パリ銀行経営者エドゥアール・ノーツリン
シフは、カッセルと家族ぐるみの関係であった。カッセルは、イギリス王室とも親しかった。シフは、収入の10%を必ず慈善事業に寄付した。
1,875 5 6 ジェイコブ・シフが、ソロモン・ローブの長女テレーズ・ローブと結婚する。シフはパートナーに昇進した。
1,875 5 7 樺太・千島交換条約が結ばれ、樺太に対する日本の領有権と得撫島以北のロシア領の千島列島を交換する。
1,875 9 20 李氏朝鮮の漢江の河口に位置する江華島(現在の韓国仁川広域市江華郡)に於いて、測量の名目で示威活動中の大日本帝国海軍の軍艦雲揚(旧萩藩の砲艦)が、江華島砲台の砲撃を受ける。
1,875 11 14 夕方、ロスチャイルド邸でライオネル・ド・ロスチャイルドと食事をしていた第40代イギリス首相ベンジャミン・ディズレーリが、召使から第5代ムハンマド・アリー朝君主イスマーイール・パシャが、177,000株(4,000,000ポンド)の国際スエズ運河会社の株を売り出そうとしているという情報を聞き、購入を決めた。パシャは以下へ出資し、融資を受けて多額の対外債務を重ね、自国の所有する株を売らざるを得なくなっていた。
①灌漑事業
②橋梁
③製糖工場
④ドック・港湾
⑤鉄道
⑥スエズ運河
1,875 11 15 ベンジャミン・ディズレーリが、国際スエズ運河会社の買収費用をロスチャイルド家から借金する事に決め、閣僚の委任を取り付け「翌日迄に4,000,000ポンドを用立てて欲しい」とライオネル・ド・ロスチャイルドに頼み、イギリス政府を担保とする事を条件に了承される。N・M・ロスチャイルド&サンズが4,000,000ポンドを貸し付け、48時間後には、国際スエズ運河会社の株がムハンマド・アリー朝からイギリスに渡った。此れによりイギリスは国際スエズ運河会社の44%の株を取得し、筆頭株主となった。ディズレーリは5ヶ月以内に債務を履行したものの、イギリス議会の承認を得ずにロスチャイルド家の資金で国際スエズ運河会社の株を購入した事が、イギリスの憲法制度を損なうとして、第41代イギリス首相を務めたウィリアム・グラッドストンから批判された。ムハンマド・アリー朝が国際スエズ運河会社の株を手放したものの、フランスはスエズ運河の主要株主であり続けた。イスマーイール・パシャが得た国際スエズ運河会社株の売却益は、銀行によって、他の多数の銀行に対する負債の清算の一部に充てられた。
1,875 12 17 父の店で時計製造技術を学んでいたジュール・ルイ・オーデマがスイスのヴォー州ル・ブラシュの実家の農場で時計店を開く決意をする。其の後学友でオーデマと同じく実家で時計製造技術を学んでいたエドワード・オーギュスト・ピゲに協力を求め「オーデマ・ピゲ」を設立する。オーデマがムーブメントの製作・ケースへの取り付け・仕上げを担当し、ピゲは最終的な調整役を担った。
1,876 マーカス・サミュエルがイギリスのサミュエル商会の横浜支店を開設し、弟のサムと共に日本製雑貨類のイギリスへの輸出を開始する。
1,876 以下3名の共同出資によりバクーに石油の蒸留所が設立される。
①ロバート・ノーベル(25,000ルーブル)
②ピーター・フォン・ビルダーリング男爵(300,000ルーブル)
③スタンダートスキョルド男爵(150,000ルーブル)
1,876 ルートヴィヒ・ノーベルが石油事業に参加する。ルートヴィヒは、石油生産でなく石油輸送に着目し、バラハニ油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設する。又、船倉にタンクを作り直接石油を詰め込む「タンカー」という輸送手段を考案し、スウェーデンの造船会社に発注した。
1,876 初代ドイツ帝国帝国宰相となったオットー・フォン・ビスマルクが、「南北戦争は欧州の金融権力によって誘発された」と話す。
1,876 アメリカ南部の以下の11州が、黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限する等の人種差別法であるジム・クロウ法が制定される。州により法規は異なる。
①バージニア州
②ノースカロライナ州
③サウスカロライナ州
④ジョージア州
⑤フロリダ州
⑥アラバマ州
⑦ミシシッピ州
⑧ルイジアナ州
⑨テキサス州
⑩テネシー州
⑪アーカンソー州
1,876 ベルタ・フォン・ズットナーが、アルフレッド・ノーベルの秘書兼ノーベルの自宅の家政婦として働き始める。ノーベルの募集広告に応募した事が切っ掛けであった。ベルタは、アルトゥール・グンダッカー・フォン・ズットナーと結婚する為に、短期間でノーベルの下を去ったが、ベルタは、ノーベルが死去する迄文通をし、関係を継続して、ノーベル平和賞創設に関する助言をした。
1,876 アルフレッド・ノーベルが、バーデン(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州)にて、花屋で働いていた、キリスト教に改宗したユダヤ人ソフィア・ヘスと出会う。其の後ヘスは、別の男性との間に子供を身籠ったが、ノーベルはヘスを経済的に支援し続けた。
1,876 イギリス国家債務削減局会計監査官チャールズ・リバーズ・ウィルソンが、ムハンマド・アリー朝を訪問し、国際スエズ運河会社の政府取締役に任命される。
1,876 2 26 日本の全権大使黒田清隆、副使井上馨と、李氏朝鮮簡判中枢府事申櫶、副総管尹滋承の間で、以下の内容の条約が締結され同日発効される。
①外交使節の首都派遣
②既に日本公館が存在する釜山以外二港(具体的な開港地は後に協議)の開港と自由貿易
③開港場における居留地の設定
④領事による居留民の管理
⑤開港場における領事裁判権
⑥朝鮮沿海の測量、海図作成の権利
⑦開港場から4km以内への内地旅行、通商権
⑧開港場における日本通貨の使用
⑨朝鮮からの米穀輸出の自由
⑩輸出入税の免除
1,876 3 10 アレクサンダー・グラハム・ベルが特許公告の3日後、電話の実験に成功。
1,876 3 21 海軍省の外郭団体として、「水交社」が現在の東京都中央区築地5丁目6番付近に設立される。
1,876 6 6 アロイス・シックルグルーバーが、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーと共にヴァイトラ(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡)に赴き、公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下で、ヒュットラーとヨハン・ゲオルク・ヒードラーの名に因み、アロイス・ヒトラーへと違法な改姓を行う。其の際ヒュットラーは、ヒードラーが極度の貧困の為子供を養う事が出来ず、自身がシックルグルーバーを引き取ったと宣言した。
1,876 6 7 アロイス・シックルグルーバーが、ドーレスハイム(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡)の司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下で、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーを父親として登録する、違法な手続きを行う。此の時点でヒードラーもマリア・アンナ・シックルグルーバーも既に死去しており、証人となる人物が誰も存在していなかった。証人として立てられたのは、ヒードラーと面識の無い文盲の以下3名であった。
①ヨゼフ・ロメダー(西暦1,853年1月25日にヨハン・ネポムク・ヒュットラーの娘ヴァルブルガと結婚)
②ヨハン・ブライテンダー
③エンゲルベルト・パウク
1,877 大蔵省松方正義が、渡欧してフランス蔵相レオン・セーと会談し、日本の中央銀行設立を勧める。このレオン・セーのボスは、ジェームス・ド・ロスチャイルドの長男アルフォンス・ド・ロスチャイルドであった。
1,877 以下の3社が「ランカスター・ペンシルベニア・ウォッチ・カンパニー」として1つに纏まる。
①アダムス&ペリー・ウォッチ・カンパニー(母体)
②ランカスター・ウォッチ・カンパニー
③キーストーン・スタンダード・ウォッチ・カンパニー
1,877 イタリア大東社の傘下で秘密結社「ロッジP2」がトリノで活動を始める。
1,877 クーン・ローブ商会が、シカゴ・アンド・ノース・ウェスタン鉄道に融資を行う。此れを機にクーン・ローブ商会は、鉄道融資に参入した。
1,877 1 6 アロイス・シックルグルーバーが嫡出子として認められ、ヨーゼフ・ツァーンシルムが教区登録簿のシックルグルーバーの氏名を「アロイス・ヒトラー」に改名する。又ツァーンシルムは、洗礼証明書の詳細を「カトリック・男性・非嫡出子」から、父親の名前を、ヒードラーの異形として「ヨハン・ゲオルク・ヒトラー」へと変更した。
1,877 9 12 ジョン・トンプソンが、チェース・ナショナル銀行を設立する。
1,877 9 24 西郷隆盛が切腹。
1,877 10 14 バジル・ザハロフが、スウェーデンの武器製造会社のトールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任として招聘される。ザハロフの外交センスを評価していたステファノス・スクルディスは、トールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任をしていたスウェーデン人大尉の友人が退職する意向であった為、後任としてザハロフを推薦していた。
1,878 ルートヴィヒ・ノーベルが発注した、世界初の石油タンカー船「ゾロアスター号」が完成する。
1,878 ジャン・エグラーと妻のアンナ・マリア・ラムザーがビール(現在のスイスのベルン州)に時計工房を設立する。
1,878 イスマーイール・パシャが、ムハンマド・アリー朝の財政に於いて、外部調査委員会を受け入れる。ヨーロッパの債権者達は、ムハンマド・アリー朝がデフォルトする懸念が有るとし、自国政府に介入を求めていた。副委員長には、チャールズ・リバーズ・ウィルソンが就いた。
1,878 3 3 露土戦争が終結する。其の後ギリシャでは軍備増強の機運が高まっていた。バジル・ザハロフは武器を売ろうとするが、以下の同業他社と比べると分が悪かった。
①クルップ社
②シュナイダー社
③ヴィッカース社
1,878 5 ムハンマド・アリー朝財務大臣に、チャールズ・リバーズ・ウィルソンが任命される。
1,878 5 14 大久保利通が東京紀尾井町で暗殺される。
1,878 6 29 夜、舞台俳優で、ボヘミアンクラブの創設メンバーであるヘンリー・ハリー・エドワーズの壮行会が、セコイアが生えている森(現在のアメリカのカリフォルニア州マリン郡のサミュエル・P・テイラー州立公園)にて開催される。エドワーズは、キャリアを更に高める為にニューヨーク市に拠点を移す事となっていた。参加者は100名弱であった。飲み放題の酒と提灯がお祭りを盛り上げ、クラブメンバーは、セコイアの密生した上にマットを敷き、細やかな安らぎを得ながら、遅い時間に退散した。この時迄にボヘミアンクラブはサンフランシスコを拠点とする実業家に買収され、創設の中心メンバーであった記者5名は追い出されていた。以降実業家達は、キャンプ地とする為の森と施設を取得するのに必要な資金を提供した。しかし、依然として芸術家や音楽家を所属させ、様々な国の会員やゲストを楽しませ続けた。エドワーズが抜けて以降もこの地で宴会が催され、この森はボヘミアンクラブの毎年恒例のキャンプ地となった。また、西暦1,882年迄、以下の場所を含む、アメリカのカリフォルニア州マリン郡・ソノマ郡の様々な場所でキャンプを行なった。
①ミュア・ウッズ国定公園(アメリカのカリフォルニア州マリン郡のタマルパイス山)
②ダンカンズ・ミルズ(アメリカのカリフォルニア州ソノマ郡)
1,878 7 13 ベルリン会議が終了する。イギリスが、オスマン帝国からキプロスを租借する事となった。此れを受け、バジル・ザハロフはイギリスに戻る事となった。此の後も以下の諸国の政治・軍事での不安定な情勢は続き、機を逃さずザハロフは武器を売った。
①バルカン諸国
②トルコ
③ロシア帝国
1,878 8 イスマーイール・パシャ内閣にフランスの外部調査委員会委員が任命される。此の頃のムハンマド・アリー朝の財政はデフォルト寸前で、統合債務の配当金を支払う資金が不足していた。チャールズ・リバーズ・ウィルソンは、ライオネル・ド・ロスチャイルドに、パシャとパシャの家族の財産を担保にした融資を提案した。ロスチャイルドの統治期間中に、パシャの領地は、ムハンマド・アリー朝の農地の約1/5を占めるまでに拡大した。ウィルソンは、其の領地の収入を、融資の返済に充てる事を提案した。
1,879 デュポン社が、ハザード社、ラフリン・アンド・ランド社と共同でオリエンタル火薬工場の株式の全てを取得する。
1,879 ランカスター・ペンシルベニア・ウォッチ・カンパニーが再編成され「ランカスター・ウォッチ」となる。
1,879 5 18 ロバート・ノーベルが、自身が西暦1,876年にバクーに設立した蒸留所を基に、ルートヴィヒ・ノーベルと共に「ノーベル兄弟産油会社」をサンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立する。株式資本は以下の通り分割された。
①ルートヴィヒ・ノーベル53.7%
②ピーター・フォン・ビルダーリング男爵31%
③I.J.ザベルスキフ4.7%
④アルフレッド・ノーベル3.8%
⑤ロバート・ノーベル3.3%
⑥アレクサンドル・フォン・ビルダーリング男爵1.7%
1,879 6 3 ライオネル・ド・ロスチャイルドが死去する。ライオネルの長男ナサニエル・ロスチャイルドが、第3代イギリス・ロスチャイルド商会当主となり、ロンドン・ハウスのシニア・パートナーシップを引き継いだ。ナサニエルは70件の融資を通じて、新たな採鉱機会を開拓する為の探査会社の設立に尽力した。
1,879 10 21 アメリカのトーマス・エジソンが、竹をフィラメントにした白熱電球を発明する。
1,880 清のインド産アヘンの年間輸入量が6,500tであった。対西暦1,775年比86.67倍に増加する。また、国内年間生産量も6,500tとなり、対西暦1,836年比21.67倍に増加した。
1,880 ロスチャイルド家の資金提供を受け、以下2名が「デビアス鉱山会社」を設立する。
①セシル・ローズ
②チャールズ・ダネル・ラッド
ラッドは取締役として、鉱山向け機械の主要なサプライヤーにも大きな権益を持っていた。
1,880 アルフレッド・ダンヒルの父が、馬具専門製造卸売業をロンドンで始める。
1,880 フレデリック・テイラー・ゲイツが、ロチェスター・バプテスト神学校を卒業する。ゲイツは其の後、フィフス・アベニュー・バプテスト教会(アメリカのミネソタ州ミネアポリス)の牧師となった。
1,880 2 21 釜山港在勤の管理官の前田献吉が、総領事に着任し元山に在勤する。
1,880 3 21 イライアス・サスーンが死去し、息子のヤコブ・サスーンが新サスーン商会を継ぐ。
1,880 5 李氏朝鮮の元山が開港する。
1,880 5 20 エリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄のエゼキエル・カドゥーリに請われ上海に到着し、新サスーン商会に入社する。
1,880 以下2名が合意により別居する。
①アロイス・ヒトラー
②アンナ・グラスル・ヘーラー
しかし、カトリックの教会法により、離婚が認められていない為、シックルグルーバーとフランツィスカ・マッツェルベルガーは結婚出来なかった。クララ・ヒュットラーは、シュピタルに戻った。
1,880 12 26 世界最大の金・ダイヤモンド鉱山を支配する為にイギリスが南アフリカに介入し、第一次ボーア戦争が勃発する。
1,881 セシル・ローズが、ケープ植民地(現在の南アフリカ)の議会議員となる。
1,881 ジャン・エグラーの時計工房がマニュファクチュールとなる。又、此の頃ビールのベールブルグ(現在のスイスのベルン州)にて、歯車を一定速度で回転させる為の部品であるアンクル脱進機を搭載した小型の婦人用時計の製造に専念していた。
1,881 ボヘミアンクラブの共同創設者の1人で、西暦1,876〜1,878年迄ボヘミアンクラブの書記を務めていたジャーナリストで詩人のジェームズ・F・ボウマン制作の儀式作品「ケアの火葬」が上演される。フードを被った人間がボートを漕いでボヘミアングローブの人造湖を渡り、人造湖に在る12.192mのミネルヴァの梟像の前で人形を焼く以降毎年恒例のキャンプの初日の夜に上演される事となった。
1,881 クーン・ローブ商会が、以下の鉄道会社に融資を行う。
①ペンシルバニア鉄道
②ミルウォーキー鉄道
1,881 1 15 エジプトの大佐アフマド・オラービーが、アラブ系軍人に対する差別人事を改めるよう政府に嘆願書を提出する。
1,881 5 25 明治天皇の勅命により、山岡鉄舟が、三種の神器の勅封を行う。
1,881 7 2 第20代アメリカ大統領ジェームズ・ガーフィールドが銃撃される。
1,881 7 3 お茶を運ぶ為にダージリン鉄道が開通される。
1,881 9 19 ジェームズ・ガーフィールドが死去。
1,882 ロシアにてポグロムが発生する。
1,882 1 2 スタンダード・オイル・オブ・オハイオ社が、スタンダード・オイル・トラスト社が、傘下の企業を支配する体制に再編成する。ヘンリー・H・ロジャーズ、ウィリアム・ロックフェラー、ジョン・ロックフェラーが関わっていた。
1,882 3 14 伊藤博文が、憲法調査で以下のヨーロッパの国々等を巡る為、横浜を出発する。滞在期間は1年2ヶ月であった。
①イギリス
イギリス・ロスチャイルド商会と接触する。ロスチャイルド側は「日本の様な後進国にはイギリスの最先進国の政治体制は似合わない。プロイセン王国ぐらいが丁度良い」とし、ルドルフ・フォン・グナイストとローレンツ・フォン・シュタインを紹介された。
②ドイツ
グナイストとグナイストの弟子アルベルト・モッセの講義を受けた。
③オーストリア
ウィーンで2ヶ月間、シュタインの自宅で国家学の講義を受けた。
1,882 8 19 将軍サー・ガーネット・ヴォルズリー率いる20,000名のイギリス軍がアレクサンドリア(現在のエジプト)に上陸し、スエズ運河一帯を占領する。
1,882 10 10 日本銀行が設立される。
1,883 オーストリア、ハンガリー、イギリスにロシア灯油が登場する。
1,883 チャールズ・ダーウィンの従兄で遺伝学者のフランシス・ゴルトンが、劣等な子孫の誕生を抑制し、優等な子孫の誕生を促進、保存する事を研究する学問である「優生学」を提唱する。
1,883 フランス・ロスチャイルド商会が出資していた、バクーからコーカサス山中を縦断しバトゥミ(現在のジョージア)に至る「トランスコーカサス鉄道」が完成する。其の後以下の人間等により、バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置が検討され始めた。
①アルフォンス・ド・ロスチャイルド
②ハジ・ゼイナラブディン・タギエフ
③ムサ・ナギエフ
④イワン・イリモフ
⑤アレクサンダー・ベンケンドルフ
⑥S・バギロフ
1,883 バジル・ザハロフは、ゴールウェイ(現在のアイルランド)の海運代理店で働いていた。アメリカの工場で働く女性を募集した。又、アメリカに滞在し、セントルイス(アメリカのミズーリ州)の鉄道車両会社のセールスマンとしても活動した。
1,883 ジャンヌ・ランバンが、パリのフォーブル・サントノーレ15番街の婦人用帽子店で、製作の見習い修行を始める。
1,883 1 李氏朝鮮の仁川が開港する。
1,883 4 6 アンナ・グラスル・ヘーラーが死去する。
1,883 5 16 アルフォンス・ド・ロスチャイルドがトランスコーカサス鉄道に対する融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し「カスピ海・黒海石油産業貿易会社」を設立する。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納め、アドリア海沿岸の自らの製油所に石油を送り始めた。又、135社の中小企業の小規模製油業者と互いに有利な条件で灯油を買い取り、ロシア灯油の最大輸出業者となり、以下の輸送ルート等を構築し、ヨーロッパでの販売網の整備を進めた。
①バクー→アントウェルペン(ベルギー)(石油汽船ファーガソン号で輸送)
②バクー→ロンドン
又、以下の3箇所で石油に関する情報を収集した。
①バクー
②パリ
③サンクトペテルブルク
其の知識を基に、ロシア帝国内の石油生産の変化に迅速に対応する事により、以下の土地で確固たる地位を築いた。
①バクー
②グロズヌイ(現在のロシア)
③マイコープ(現在のロシア)
④トルクメニスタン
1,883 5 18 以下2名が結婚する。
①アロイス・ヒトラー
②フランツィスカ・マッツェルベルガー
1,883 6 26 ハイラム・マキシムの、マキシム機関銃に繋がる最初の特許が登録される(イギリス第3178号)。
1,883 7 16 ハイラム・マキシムの、マキシム機関銃に繋がる特許が登録される(イギリス第3493号)。
1,884 レオン・ブライトリングがサン・ティミエに時計工房「G.レオン・ブライトリング」を設立する。
1,884 銀細工職人ソティリオ・ブルガリが、ローマのシスティーナ通りに宝飾品店を開業し、宝飾品ブランド「ブルガリ」を創業する。
1,884 アルフレッド・ノーベルが、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選出される。
1,884 ジェイコブ・シフの援助により「モンテフィオーレ慢性病患者ホーム」が、アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区のアベニューAと84番街に設立される。難病や、以下等の慢性病に悩む貧しいユダヤ人難民の為の慈善事業のサナトリウムとして機能した。
①癌
②結核
③梅毒
④麻薬中毒
⑤鬱病
1,884 フランツィスカ・マッツェルベルガーが結核を患う。アロイス・ヒトラーは、再度クララ・ヒュットラーに助けを求め、マッツェルベルガーとの間に産まれた2名の子供の世話をブラウナウ・アム・インにて行って貰った。
1,884 フィフス・アベニュー・バプテスト教会が「セントラル・バプテスト教会」に改称し、別の建物に移転する。
1,884 10 ハイラム・マキシムの開発したマキシム機関銃の最初の試作型が、招待客に展示される。
1,884 フランス・ロスチャイルド商会が此の年、バクーから39,312tの石油製品を輸出する。又、本年は91,728tの石油製品がトランスコーカサス鉄道で輸送された。
1,884 8 10 フランツィスカ・マッツェルベルガーが死去する。其の後アロイス・ヒトラーは、クララ・ヒュットラーに結婚を申し込んだ。此の結婚には以下2名も賛成した。
①ヨハン・ネポムク・ヒュットラー
②クララの母ヨハンナ・ヒードラー
1,885 ソロモン・ローブが第一線から退き、ジェイコブ・シフがクーン・ローブ商会の代表に就任する。此の頃、アメリカ国内の鉄道建設が最盛期を迎え、クーン・ローブ商会は12以上の鉄道に融資した。
1,885 バジル・ザハロフが、王子を装いフィラデルフィアの相続人ジェニー・ビリングスと結婚する。しかし、西暦1,872年に結婚した事を知るイギリス人に重婚を暴露され、刑事にロッテルダムまで追われた。
1,885 ジェイコブ・シフが、モンテフィオーレ慢性病患者ホームの理事長に就任する。
1,885 1 7 以下2名が結婚する。
①アロイス・ヒトラー
②クララ・ヒュットラー
此の結婚に至る迄、かなりの官僚的手続が必要であった。最終的にはレオ13世が承認し、結婚に至った。
1,885 4 18 農商務省工務局商標登録所所長兼農商務省工務局専売特許所所長の高橋是清等により「専売特許条例」が公布される。新聞で此れを知った豊田佐吉は、触発され、自分もお国の為に何か発明したいと、発明家を志し、友人と2名で横須賀造船所を訪ね、様々な機械を見て回った。大いに刺激を受けた豊田は、地元に帰り、無限動力機械等を作った。
1,885 9 21 ジョージ・ギャレットの設計した蒸気駆動潜水艦「ノルデンフェルトI」のデモが、オスマン帝国武官を含む39名の前で行われる。トールステン・ノルデンフェルト社も開発に一枚噛んでいた。デモは成功とは言い難かったが、当時まだ珍しかった潜水艦に目を付けていたバジル・ザハロフは、寛大な支払い条件を約束してギリシャに販売した。其の後、ギリシャと対立していたオスマン帝国に対し「ギリシャの潜水艦が脅威である」と言い2隻を売り付けた。更に、ロシア帝国にも「黒海に新たな脅威が存在する」として2隻を販売した。しかし、此れ等の潜水艦は何れも欠陥品であった。 機構は蒸気駆動であったが、水中航行には全く不十分であり、各海軍による海上試験をパスしなかった。推進システムの欠陥という根本的な問題に加えて、慢性的に不安定でもあった。そんな中、オスマン帝国海軍の潜水艦1隻が魚雷発射実験中に転覆し、垂直姿勢で上昇した後、船尾から沈没した。
1,886 ロシア帝国で、排水量1224tの砲艦マンジュールが建造される。
1,886 キーストン・ウォッチ・カンパニーがランカスター・ウォッチを買収する。
1,886 マキシム機関銃に目を付けたバジル・ザハロフが、ハイラム・マキシムに接触する。本年から西暦1,888年に掛けてザハロフは、マキシムが自身の開発したマキシム機関銃の性能を証明しようとした以下のデモに関与し、マキシム機関銃への評価を矮小化する為の工作を行なった。
①最初のデモはラ・スペツィア(イタリアのリグーリア州)にて行われた。マキシムとトールステン・ノルデンフェルト社の機関銃が、第4代ジェノヴァ公フェルディナンド王子を含む著名な観客の前で披露される筈であったが、前日の夜に、ザハロフの関係者がラ・スペツィアに居たマキシムの関係者を待ち伏せして行く手を阻んだ所為で、マキシムの代表者は出席出来なかった。
②2回目のデモはウィーンで行われ、出展者はオーストリア歩兵の標準サイズの弾丸に適合させる為の武器の修正を求めた。数百発撃った後、マキシム機関銃は完全に停止する前に不安定になった。マキシムが何が起こったのかを確認する為に1挺を分解した所、破壊されているのに気付いた。しかし、気付くのが遅かった為、修復する時間は無かった。
③3回目のデモは前回と同様にウィーンで行われた。今回はマキシム機関銃は完璧に動作した。しかし、ザハロフの関係者がやって来て「此の様な素晴らしい武器を製造するのに必要な職人技は、一度に1つずつ手作業でのみ達成可能であり、大量生産の手段が無ければ、現代の軍隊のニーズを満たすのに十分な量のマキシム機関銃は決して製造出来ない」と説得した。
ノルデンフェルトとザハロフの目論見通り、マキシム機関銃は思う様に売れなかった。
1,886 1 1 ビルマ(現在のミャンマー)が、イギリス領インド帝国に併合され植民地となる。以降ビルマ・タイ・ラオスがメコン川(現在の中国・ミャンマー・ラオス・タイ・カンボジア・ベトナム)で接する高地にてケシ栽培が行われる様になり、麻薬の密造地帯として「黄金の三角地帯」と呼ばれる様になった。
1,886 5 1 合衆国カナダ職能労働組合連盟がシカゴ(アメリカのイリノイ州クック郡)を中心に8時間労働制要求の統一ストライキを行う。
1,886 5 8 コカ・コーラ社がアメリカのジョージア州アトランタで設立される。当時はコカインを含むコカの葉が使用されていた。
1,887 ドイツ帝国でエフェドリンからアンフェタミンが合成される。
1,887 アルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドが結婚する。
1,887 カスピ海・黒海石油産業貿易会社が、自社の石油製品の輸出と共に、ロシア帝国の石油会社約50社の灯油の委託販売を開始する。更に、同社は此の年、トランスコーカサス鉄道に300両の自社製タンク貨車を納入した。元々同社はトランスコーカサス鉄道に600両の自社製タンク貨車を納入する許可を得ていたが、需要を満たせないと見積もり、追加で1,500両を納入する為に、中小企業の小規模製油業者各社に、5年以内に年利6%の返済を条件に2,000,000ルーブルを貸し付けた。
1,887 N・M・ロスチャイルド&サンズが、以下2名に対し、翌年の新会社設立の為の資金提供を行う。
①セシル・ローズ
②チャールズ・ダネル・ラッド
1,887 アルフレッド・ダンヒルが、父の営む馬具専門製造卸売業で働き始める。
1,887 豊田佐吉が、大工の仕事の合間を縫って、織機の研究を始める。農家に出向いて、織機の操作をさせて貰った。遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市山口)内では「娘っ子の真似をする変な奴」と陰口を叩かれ、変人扱いであった。そんな様子を見た父豊田伊吉は、大工の仕事に専念させる為に何度も佐吉を叱責した。しかし佐吉は聞く耳を持たなかった。
1,887 アルフレッド・ノーベルが、窒素量約12%のニトロセルロースとニトログリセリンを混ぜて練って成形した、無煙でゆっくり燃える火薬「バリスタイト」を発明する。軍事用途で使われた。
1,887 第256代ローマ教皇レオ13世が「敬虔事業委員会」を設立する。信者からの献金を容易に動かせる資金に変換する事を目的とした。
1,887 1 以下2名が、南アフリカ最大且つ最古の採掘企業である「ゴールド・フィールズ・オブ・サウス・アフリカ・リミテッド社」を設立する。
①セシル・ローズ
②チャールズ・ダネル・ラッド
会長には、チャールズの弟トーマス・ラッドが就いた。同社は以下の鉱山の権益を保有した。
①金を採掘するドリエフォンティン鉱山(現在の南アフリカのハウテン州、露天掘・坑内堀)
②金を採掘するクルーフ鉱山(現在の南アフリカのハウテン州、坑内堀)
③銅を採掘するオーキープ鉱山(現在の南アフリカ北ケープ州)
④銅・鉛・亜鉛・銀を採掘するブラック・マウンテン鉱山(現在の南アフリカ北ケープ州、坑内堀)
前年にウィットウォーターズランドで金が発見された事で、チャールズの興味は金に移っていた。
1,887 12 豊田伊吉が、自身の仲間の豊橋中八丁(現在の愛知県豊橋市八町通)の岡田波平の下へ、豊田佐吉を大工の修行に出させる。しかし其処でも、佐吉は織機の研究に没頭した。
1,888 清のインド産アヘンの年間輸入量が5,320tであった。対西暦1,880年比0.82倍に減少する。国内生産量が増加した事が背景としてある。
1,888 ギフォード卿と自身の経営する「ベチュアナランド探検会社」が、キンバリーにあるケープ政府鉄道の終点からベチュアナランド(現在のボツワナ)に至る私鉄を建設する権利を勝ち取る。セシル・ローズは、ギフォード卿が商敵であった為、建設に反対していた。
1,888 バジル・ザハロフが、自身をハイラム・マキシムに巨額のコミッションで首席セールスマンとして雇用させる。また、以下の2社が圧力を掛け、存続会社をマキシム社としてトールステン・ノルデンフェルト社を合併し「マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社」が設立された。オフィスはロンドンのヴィクトリア通りに構えた。
①N・M・ロスチャイルド&サンズ
②トールステン・ノルデンフェルト社
N・M・ロスチャイルド&サンズは、合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行した。又、ナサニエル・ロスチャイルドはマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の株式を大量に保有し、経営に直接関与した。
1,888 正規の学校教育が受けられなかった松田重次郎が、阿波座の鍛冶屋「藤孫」にて丁稚奉公を始める。4年間働いた。
1,888 第11代レディング鉄道社長オースティン・コービンが、土地開発からユダヤ人を締め出す。此れを受けてジェイコブ・シフは、クーン・ローブ商会として、社債の売り出しには協力しないと通告した。
1,888 ソロモン・ローブの弐男ジェームズ・ローブが、クーン・ローブ商会に入社する。
1,888 フレデリック・テイラー・ゲイツが、セントラル・バプテスト教会の牧師職を退任する。其の後ゲイツは、ミネソタ州のバプテスト系学校「オワトナ・アカデミー」を支援するキャンペーンの資金調達者となった。
1,888 バプテストのジョン・ロックフェラーの資金提供により「ABES(アメリカバプテスト教育協会)」が設立される。フレデリック・テイラー・ゲイツも此の設立に関与し、初代ABES事務局長に就任した。其の後ゲイツは以下を転々とし、更なる資金調達を行った。
①ラシーン(アメリカのウィスコンシン州)
②モーガン・パーク(アメリカのイリノイ州)
此のゲイツの活動が、同年ロックフェラーの目に留まった。
1,888 3 13 以下2名が、デビアス鉱山会社をバーニー・バルナート率いる「キンバリー・セントラル鉱山会社」と合併させ「デビアス社」を資本金200,000ポンドで設立する。
①セシル・ローズ
②チャールズ・ダネル・ラッド
ナサニエル・ロスチャイルドが1,000,000ポンドを融資し、アルフレッド・ベイトも融資を行った。
1,888 6 豊田佐吉が、岡田波平から追い出されて山口村に戻る。佐吉は、母豊田ゑいに泣き付き、若干の金を得ると、再度織機の研究に没頭した。そして、山口村内の納屋に絵図面と材料を持ち込んで研究室とし、其処に閉じ籠る様になった。村民からは嘲笑された。佐吉は資金が続かず、友人知人から資金を借りる様になった。
1,888 10 セシル・ローズが、イギリス東インド会社をモデルとしたケープ植民地の貿易会社「イギリス南アフリカ会社」を法人化する。
1,888 10 イギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーが、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じる。実包には.577/450マルティニ・ヘンリー弾が用いられた。
1,888 10 30 チャールズ・ダネル・ラッドが、マタベレランド(現在のジンバブエ)の第2代ンデベレ王ロベングラ・クマロとの、マショナランド(現在のジンバブエ)・マタベレランドの採掘権の協定を取り付ける。以前から、セシル・ローズとラッドは採掘権を得ようとクマロと交渉していたが、失敗していた。
ラッドは、以下2名と共に、マタベレランドで採掘する白人は10名以下である事を保証した。
①フランシス・トンプソン
②セシル・ローズの友人ジェームズ・ロッチフォート・マグワイア
しかし、クマロが署名した協定の文書には、その様な記載は無かった。クマロは文盲であり、本当の契約条件が分かっていなかった。クマロは、契約条件の確認をする為に、友好的なイギリス人宣教師を訪ねた後、2名の使者をヴィクトリアの下に遣わせたが徒労に終わった。
1,888 12 灯油を積載した3,932台のトランスコーカサス鉄道の貨車の内、1,800台をフランス・ロスチャイルド商会がバトゥミで受け取る。又、同月末時点で同年の灯油輸出量は262,080tであった。
1,889 アメリカで電動のエレベーターが誕生する。
1,889 パリ万国博覧会開催中のエッフェル塔最上階のプライベートアパートで以下の者により秘密結社「プルス・ウルトラ」が設立される。
①エッフェル塔設計者ギュスターヴ・エッフェル
②発明家トーマス・エジソン
③SFの先駆者ジュール・ヴェルヌ
④電気技師ニコラ・テスラ
そして後から以下の2名が参加した。
⑤理論物理学者アルベルト・アインシュタイン
⑥映画監督ウォルト・ディズニー
1,889 フランス・ロスチャイルド商会が此の年、バクーから491,400tの石油製品を輸出する。西暦1,884年比12.5倍となった。
1,889 ジャンヌ・ランバンが、パリで帽子店を開業する。
1,889 1 21 フレデリック・テイラー・ゲイツが、ジョン・ロックフェラーと初めて顔を合わせる。ゲイツは、アメリカ中西部に大規模なバプテスト系大学を設立しようとし、其の一環としてロックフェラーに働き掛けた事で実現した。バプテスト教育を行うシカゴ大学設立の為の資金計画等が話し合われた。結果、後にゲイツの提案により、ロックフェラーがシカゴ大学に600,000ドルの資金提供を行なった。又、ABESもシカゴ大学設立を支援した。其の後ゲイツは、スタンダード・オイル本社内に新設されたオフィスに勤務し、スタンダード・オイル・トラストを除くロックフェラーの企業への一連の投資を監督した。
1,889 3 セシル・ローズがロンドンに到着し、イギリス王室と、イギリス南アフリカ会社の憲章認可の為の条件に関する議論を開始する。
1,889 4 20 以下2名の間に、アドルフ・ヒトラーが、ブラウナウ・アム・インのザルツブルガー・フォルシュタット216番地のポマー家の経営するガストホフ(ゲストハウス)にて生誕する。
①アロイス・ヒトラー
②クララ・ヒュットラー
アロイスにとっては第6子、ヒュットラーにとっては第4子に当たる。
1,889 12 20 イギリス南アフリカ会社のイギリス王室憲章が発効される。同社は以下2名によって株式資本1,000,000ポンドで経営を開始した。
①ギフォード卿
②ジョージ・カウストン
また、同社は以下の4つの勢力によって支援された。
①ナサニエル・ロスチャイルド
②セシル・ローズ
③デビアス社
④ゴールド・フィールズ・オブ・サウス・アフリカ・リミテッド社
これによりローズは、反対していたベチュアナランドへの鉄道建設の義務を負う事になり、500,000ポンドを支出すると約束した。ギフォード卿は、ローズが非常に大きな権力を有し、自身を疎外しているとして嫌っていた。
1,890 ジャン・バティスト・アウグスト・ケスラーが、オランダ王室からの特許状を得て、オランダ領東インド石油開発会社を設立する。
1,890 キーストン・ウォッチ・カンパニーが倒産する。
1,890 バクー油田に存在する約144の製油工場で扱われていた軽質原油の総量835,380tの内、3/4を13工場だけで生産し、その内
①ノーベル兄弟産油会社:293,202t
②フランス・ロスチャイルド商会:76,986t
が占め、ノーベル家とロスチャイルド家は協力して石油を売り捌いて行った。
1,890 セシル・ローズが、第6代ケープ植民地首相に就任する。
1,890 セシル・ローズが、ウェッセルトン鉱山(現在の南アフリカ)の支配権を獲得する。
1,890 ベチュアナランドへの鉄道建設に関し、フライバーグ(現在の南アフリカ北西州)までの敷設が完了する。しかし、以下2点の理由により、以降の敷設が進まず、西暦1,893年迄フライバーグを終点として運用された。
①イギリス南アフリカ会社
②マショナランド(現在のジンバブエ)・マタベレランドの金に関する報告
1,890 トランスヴァール共和国で320kmに及ぶ金の富鉱体が発見される。
1,890 ブルックリン財団が生物学研究所を設立する。所長には、ハーバード大学で生物学を専攻していたチャールズ・ダベンポートが就いた。
1,890 トールステン・ノルデンフェルト社が自己破産し、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を追放される。ノルデンフェルトはイギリスを離れ、フランスへ渡った。此れにより、マキシム・ノルデンフェルト協会が解散となった。バジル・ザハロフは自身のコミッションを利用して、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の株式を購入し、軈てハイラム・マキシムに「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と言われるに至った。
1,890 アルフレッド・ダンヒルが、割引自動車販売会社を設立する。
1,890 4 1 此の日から本年7月31日迄、上野公園にて「第3回内国勧業博覧会」が開催される。豊田佐吉は、1ヶ月間会場に通い詰め、最新機械の前に座り込んでスケッチし、機構の理解に努めた。
1,890 11 11 豊田佐吉が、自身の発明した木製人力織機の特許出願を行う。
1,891 サミュエル商会が、フランス・ロスチャイルド商会系石油販売会社のブニトと西暦1,900年迄のロシア灯油の独占販売契約を締結する。
1,891 オランダで、後の第一君が代丸となる669tの船である「スワールデクールン」が建造される。
1,891 オリバー・ハザード・ペリ-・ベルモントが発注した、アメリカのロードアイランド州ニューポート郡の、年間6〜8週間の夏の期間限定の邸宅「ベルコート」の工事が着工される。設計は建築家リチャード・モリス・ハントが行った。
1,891 アルフレッド・ノーベルが、パリからサンレーモ(イタリアのリグーリア州インペリア県)に引っ越す。イタリア軍がバリスタイトを使用した事により、ノーベルは大逆罪で告発され、パリに住み辛くなった事が理由として有った。
1,891 2 以下の人間等によって秘密結社「円卓会議」がロンドンにて設立される。これによりケープ植民地での利権を固めていった。
①セシル・ローズ
②アルフレッド・ミルナー
③第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ
④ナサニエル・ロスチャイルド
⑤ジョン・ジェイコブ・アスター4世
⑥アーサー・バルフォア
⑦第3代グレイ伯爵ヘンリー・グレイ
1,891 5 14 豊田佐吉が、前年に自身が出願した木製人力織機に基づく特許(第1195号)を取得する。
1,891 8 2 ジャン・エグラーが死去する。時計工房の後継ぎは以下の者が行った。
①アンナ・マリア・ラムザー
②息子オットー・エグラー(補佐)
③息子ヘルマン・エグラー(補佐)
1,891 11 10 ドイツ系アメリカ人の発明家ルイス・ガスマンが、以下の概要の人口降雨の特許を取得する(US462795A)。
「私の方法は、大気の上層部での様々な高圧縮ガスの蒸発により大気を冷却し雲を生成、そこから雨が降る程の量の凝縮を生成するというものだ。様々な気流を動かす為に、冷却と同時に激しい衝撃を与える事も望ましい。中でも液化炭酸ガスの放出による蒸発が最も効率的である。液化炭酸ガスは大気の上層部で放出され、瞬時に蒸発して極低温の蒸気のシートとなって広がり、雲を生成する。 周囲の大気が冷たい蒸気に近づくと冷却され、それによって大気中の水分が凝縮する。凝結は大量かつ急速に起こり、雲が形成され、地上に雨が降り注ぐ。液化炭酸ガスは、適切なシェルまたはケーシング内に閉じ込める事が出来、このケーシングには火薬・ダイナマイト等の爆発物も含まれており、これらは大気圏の上層部に投げ込まれるか発射され、タイムヒューズで爆発する。 さらに、気球を使用して、液化炭酸ガスが入っているシェル又はケーシングを上昇させる事が出来、ガスを解放する為の爆発は、地上の人間が制御する電流によって行う事が出来る」
1,892 オランダ領東インド石油開発会社が、スマトラ東海岸で生産される原油を精製する為、スマトラ島(インドネシア)のパンカラン・ブランダン製油所の操業を開始し、シンガポールやマレー半島向けの灯油の輸出が始まる。
1,892 ジョン・ロックフェラーが、拡大し続ける投資と不動産保有に関し、専門家の助言の必要性を感じ「資産管理委員会」を以下の4名で設立する。ゲイツはジョン・ロックフェラーの資金を主にクーン・ローブ商会やJ.P.モルガン商会の投資会社が組成したシンジケートに誘導した。
①ジョン・ロックフェラー
②ジョンの長男ジョン・ロックフェラー・ジュニア(後に参加)
③フレデリック・テイラー・ゲイツ(ジョンによりシニアビジネスアドバイザーに指名された)
④専門家
1,892 松田重次郎が、大阪市内の鍛冶屋を転々とし始める。鍛冶仕事だけでなく、旋盤工具などを使う機械鍛冶の腕も磨いていった。其の後、呉海軍工廠で働き始めた。
1,892 ニューヨーク・オンタリオ・アンド・ウエスタン鉄道が、反ユダヤ人のパンフレットを配布する。其の際ジェイコブ・シフは、クーン・ローブ商会として、社債の売り出しに協力しないと通告した。後にニューヨーク・オンタリオ・アンド・ウエスタン鉄道は謝罪した。
1,892 5 30 エイブラハム・クーンが、フランクフルトにて死去する。
1,892 10 キーストン・ウォッチ・カンパニーの資産を元に、苦境に喘いでいたイリノイ州オーロラのオーロラ・ウォッチ・カンパニーを買収し、「ハミルトン・ウォッチ・カンパニー」が設立される。ランカスターの土地の所有者で第24代ペンシルベニア植民地総督を務めたジェームズ・ハミルトンに因んでいる。
1,892 10 豊田佐吉が、東京市外千束村(現在の東京都台東区千束)に木製人力織機数台の織布工場を設立する。布を織って問屋に卸しながら、動力織機の発明を目指した。
1,893 長井長義と三浦謹之助が、エフェドリンからメタンフェタミンの単離に成功する。
1,893 バクー油田の製油所が69基であった。
1,893 アルフレッド・ダンヒルが、父の家業の経営を引き継ぎ、社名を「ダンヒル」に変更する。そして事業を拡大し、衣類や小物の製造を始めた。
1,893 ボヘミアンクラブが、モンテリオ(アメリカのカリフォルニア州ソノマ郡)近くのセコイアが生えている10,927,000㎡のエリアを借りる。「ボヘミアングローブ」と名付けられ、以降毎年7月に2週間、社交パーティーと称した密会が、ヘリコプターや警備員の厳重な管理の下で非公開で行われ、政治・国際・環境の諸問題に関する議論が交わされる事となった。他にも以下が行われた。
①舞台公演
②儀式
③多量の飲酒
④屋外での放尿
メンバーはゲストを連れてくる事が認められているが、メディアや部外者の立ち入りは禁止であった。後に、91.7448mのセコイアの木の下には「私はこの木をグローブで最も健全で、直立し、堂々としたセコイアとして愛しています。私が居なくなった時に友人達がこれで私を思い出してくれます様に」と、陰茎を意識した文が刻まれた銘板が設置された。
1,893 アルフレッド・ノーベルが、ウプサラ大学(スウェーデン)から名誉博士号を授与される。
1,893 2 23 ペンシルベニア州及び其の周辺の州で運行していたレディング鉄道が破産する。此れに端を発した恐慌が発生し、経営難に陥るアメリカの鉄道会社が続出した。J.P.モルガン商会を始めとする投資会社が、再建・整理・統合の主導権を握った。クーン・ローブ商会も、ユニオン・パシフィック鉄道を買収し、再編に尽力した。ジェイコブ・シフは、エドワード・ヘンリー・ハリマンと提携して名声を高めた。クーン・ローブ商会は、此の頃から西暦1,900年代初頭に掛けて、ウォール街にて、J.P.モルガン商会に次ぐ地位を確立した。クーン・ローブ商会の主な顧客は以下の通り。
①ウエスタンユニオン社
②ポラロイド社
③ウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー
④グッドイヤー社
⑤アメリカン・スメルティング・アンド・リファイニング社
1,893 3 豊田佐吉が、豊田伊吉の勧めで、佐原五郎作の妹佐原たみと結婚する。しかし、織布業の経営と発明は困難を極め、たみの着物を質に入れ生活費を捻出する等していた。
1,894 オリバー・ハザード・ペリ-・ベルモントが発注したベルコートが完成する。建設費は3,200,000ドルで、ヴェルサイユ宮殿のルイ13世の狩猟小屋を基に造られた。ベルモントは、100ドル/週を使って30名の召し使いを雇った。面積は4,600㎡で、60部屋を有し、壮麗な内部ホール・サロン・舞踏室、更には馬が好きなベルモントの為に、馬屋と中庭も完備されたが、寝室は1部屋だけであった。
1,894 アルフレッド・ノーベルが、ロスチャイルド家から、ノーベル兄弟産油会社経由で資金提供を受け、武器製造業に進出する。以降ノーベル家とロスチャイルド家は協力し合って、武器を売り捌いて行った。当時ロスチャイルド家は、ヨーロッパの銃器製造の大手だった以下2社も手中に収めていた。
①アームストロング社
②シュネーデル社
1,894 松田重次郎が、大阪砲兵工廠で働き始める。
1,894 6 11 豊田佐吉と佐原たみの間に、長男豊田喜一郎が産まれる。しかし其の後たみは、豊田の実家で舅夫妻の下で1人取り残される生活に耐えきれず、佐吉と喜一郎を残して実家に帰った。
1,894 6 27 豊田佐吉が、自身の発明した糸繰返機の特許出願を行う。
1,894 11 駐日アメリカ大使エドウィン・ダンと駐清アメリカ大使チャールズ・デンビー・ジュニアが仲介し、翌年の1月に広島で講和交渉を行う事で合意する。
1,894 11 6 金州(現在の中国遼寧省大連市)が陥落する。
1,894 11 21 旅順(現在の中国遼寧省大連市)が陥落する。清北洋艦隊の母港の1つが消滅する事となる。
1,894 11 26 清の天津にある海関の税務司デトリングが、北洋通商大臣兼直隷総督李鴻章の使者として神戸港を訪れた。デトリングは、李が伊藤博文に宛てた講和を申し入れる書簡を携えていたが、清政府による全権委任状等が無かった為、日本政府は正当な使節と認めず帰国させる事となった。
1,895 アメリカの発明家のチャールズ・シーバーガーが階段状の昇降装置に対し、ラテン語のScala(階段)と英語のElevator(エレベーター)を組み合わせてEscalator(エスカレーター)と名付ける。
1,895 後藤新平が児玉源太郎に乞われ台湾総督府衛生顧問となる。以降台湾アヘンに直接関わる事になった。
1,895 ドイツの優生学者アルフレート・プレッツが「人種衛生学の基本指針」を出版し、人種に基づく優生学理論を提唱する。
1,895 アレッサンドロ・ベルルッティが、オーダーメイドの紳士靴店「ベルルッティ」をパリで創業する。
1,895 松田重次郎が、養父と共に鉄工所を設立する。しかし、経営に失敗した。以降松田は、以下を転々とした。
①長崎三菱造船所
②佐世保海軍工廠
③呉海軍工廠
1,895 1 20 旅順を占領していた日本陸軍の第2軍の一部の部隊が、日本海軍連合艦隊との共同作戦により、海路を使って山東半島栄城湾への上陸を開始する。
1,895 1 30 清国軍が威海衛(現在の中国山東省)の砲台や威海衛港内の艦船から日本軍に対する砲撃を行う。やがて日本軍も占領した砲台から清国側の砲台や艦船に対する砲撃を始め、双方の間で激しい砲撃戦となる。この日の内に、日本軍は威海衛南岸の全ての砲台を占領し、続いて北岸の砲台への攻撃を開始する。
1,895 1 31 清から戸部左侍郎張蔭桓と湖南巡撫邵友濂が講和の為に広島に到着。しかし、日本政府から全権委任状の不備が指摘された事で交渉は早期に打ち切られ、2名の使節は帰国する。
1,895 2 2 威海衛軍港陸岸が日本軍の占領下となる。
1,895 2 12 清北洋艦隊提督丁汝昌が自決する。その後清の1隻の砲艦が白旗を掲げ、日本軍に降伏文書を届ける。内容は清の艦船や砲台、兵器の全てを日本軍に明け渡す事を申し出る一方、清国軍に同行している外国人(軍事顧問等)の生命の安全を保障する事を請うもので、丁汝昌から連合艦隊司令長官伊東祐亨に宛てたものであった。
1,895 2 14 豊田佐吉が、前年に自身が出願した糸繰返機に基づく特許(第2472号)を取得する。特許明細書に記載された住所は「名古屋市朝日町12番戸」寄留であった。
1,895 豊田佐吉が、糸繰返機を販売する為に「豊田商店」を、愛知県名古屋市朝日町(現在の愛知県名古屋市中区錦付近)に設立する。
1,895 3 19 清の欽差頭等全権大臣李鴻章と欽差全権大臣李経方が山口県赤間関市(現在の下関市)に到着する。
1,895 3 20 日本と清の全権委員による講和会議が春帆楼という割烹旅館で開始される。清側が、両国間での戦闘を早急に停止すべく休戦条約の締結を求めた。
1,895 3 21 第2回講和会議で日本側が、休戦の条件として以下を提示したが、清側はこれを拒絶する。また日本側も譲歩しなかった。
①太沽、天津、山海関等の日本軍の占領及びこれらの地にいる清国軍の全装備の日本軍への引き渡し
②天津―山海関間鉄道の日本軍による管理
③休戦期間中の日本軍の軍費の清国軍による負担
1,895 3 23 日本軍が澎湖諸島(現在の台湾)に上陸を開始する。
1,895 3 24 第3回講和会議が開かれたが、休戦条約の内容は纏まらず、法的には交戦状態のまま講和交渉に移行する事となった。会議終了後、李鴻章は春帆楼から宿泊先の引接寺に帰る途上で、小山豊太郎に銃撃され、顔面を負傷する。
1,895 4 1 第4回講和会議では、李鴻章は病床から李経方に指示を出していた。
1,895 4 10 第5回講和会議で李鴻章が復帰する。日本側は既に占領した遼東半島に加え、台湾と澎湖島の割譲を盛り込んだ講和条約案を提示したが、清国側は台湾の割譲に反発した。これに対し日本側全権委員伊藤博文は譲歩しなかった。
1,895 4 17 伊藤博文、外相陸奥宗光と李鴻章、李経方の間で日清講和条約が締結される。主な内容は以下の通り。
①清が朝鮮を完全無欠なる独立自主の国であると認める
②清が日本に遼東半島、台湾、澎湖諸島を割譲する
③清が日本に200,000,000テールの賠償金を支払う
④清が新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港する
⑤日本と清が通商航海条約を締結する
1,895 4 23 フランス第三共和政、ドイツ帝国、ロシア帝国の駐日公使が東京の外務省を訪れ、日本に対し、清への遼東半島の返還を求める。
1,895 4 24 遼東半島の返還に応じなかった場合、返還を求める三国からの軍事的干渉を受ける可能性が高いと判断し、御前会議を開き協議する。
1,895 5 外務省の林董が特命全権公使となり、清へ赴任する。
1,895 5 8 芝罘(現在の中国山東省煙台市)で日清講和条約の批准書交換が、清側の延期要請を拒否し行われる。
1,895 10 1 銀行家ポール・ウォーバーグがソロモン・ローブの娘ニーナ・J・ローブと結婚する。
1,895 11 8 遼東還付条約が林董と李鴻章の間で締結される。内容は以下の通り。
①日本から清への遼東半島の返還
②清は西暦1,895年11月16日に、返還の代償金として日本側に銀三千万両を支払う
③代償金の受け渡しの日から3ヶ月以内に、日本軍が遼東半島から撤退する
1,895 11 27 アルフレッド・ノーベルが、3番目にして最後の遺言で、以下の分野に於ける賞に自分の財産を充てる事を宣言する。
①物理学
②化学
③生理学・医学
④文学
⑤平和
そして、家族に内緒で財産の大半を信託に預けた。ノーベルは此の時には既に狭心症を発症しており、愛人ヘスには、絶え間ない体の痛み・重度の偏頭痛・麻痺する程の疲労を訴える書簡を送っており、鬱病も抱える等、健康状態に問題が有った。
1,895 12 ロシア政府により、露清銀行の銀行定款が承認される。
1,896 ヘルマン・エグラーがアンクル脱進機を採用した小型エボーシュムーブメントを作成する。
1,896 テオドール・ヘルツルが「ユダヤ人国家」を出版し、シオニズム(ユダヤ人の民族国家をパレスチナに再建する運動)が始まる。
1,896 明治政府が綿花輸入税、綿糸輸出税を撤廃する。綿花栽培農家に致命的なダメージを与えた。
1,896 清のアヘンの国内年間生産量が12,000tであった。対西暦1,880年比1.85倍に増加する。
1,896 豊田佐吉が、機械を構成するフレームが木製で、動力を伝達する歯車やシャフト類が鉄製の「木鉄混製動力織機」を発明する。此れにより、杼入れ・筬打ちを人力から動力に替え、横糸が切れたら杼が止まり自動で停止する装置や、布の巻き取り装置等を備え、1人で4台の織機が動かせる様に成り、安価且つ生産性や品質の大幅な向上を実現した。豊田商店の得意先である石川藤八は、木鉄混製動力織機を逸早く認めた。
1,896 1 9 露清銀行がサンクトペテルブルク(現在のロシアのレニングラード州)に設立される。資本金は6,000,000ルーブル、額面125ルーブルの株式が48,000株発行された。その内、28,000株はパリで一般公募されずに、一括して対清の借款契約に参加したパリバ、クレディ・リヨネ、パリ国民割引銀行、オッタンゲル商会によって引き受けられ、各々の取引銀行や顧客に売却された。残りの20,000株は対清の借款契約に参加したロシアの4銀行によって引き受けられた。設立目的は以下であった。
①ロシアと清の大規模な商取引
②極東ロシア領での商工業の活性化
③シベリア鉄道建設の完成
1,896 1 11 以下2名が結婚する。
①オリバー・ハザード・ペリ-・ベルモント
②ベルモントの親友ウィリアム・K・ヴァンダービルトの元妻アルバ・ヴァンダービルト
ベルモントは、ヴァンダービルト夫妻と10年程度の付き合いが有った。又、ベルモントは、ヴァンダービルト夫妻の所有するヨット「アルバ」に乗って少なくとも2度の航海に同行していた。西暦1,889年に或る航海から戻って来た時、既にベルモントとアルバは惹かれ合っていた。此の結婚には様々な意見が飛び交った。ベルモント家の殆どは結婚式を欠席した。ベルモントは、結婚の印として、アルバにベルコートの権利証書を送った。アルバは直ぐに、リチャード・モリス・ハントの息子リチャード・ハウランド・ハントに依頼して、ベルコートの改装を始めた。馬屋を宴会場に変え、自身の寝室と風呂を作った。後に、弐男ハロルド・バンダービルトには一続きの部屋を、ハロルドの家庭教師には、桟敷の上に部屋を作って与えた。
1,896 8 27 カトリック教会の修道会「フランシスコ会」の会員ジュゼッペ・トヴィーニが、バチカンの支援によりミラノに「アンブロシアーノ銀行」を設立する。
1,896 12 10 アルフレッド・ノーベルが、脳卒中・脳内出血により半身不随となり、サンレーモにて死去する。其の後、ノーラ墓地(スウェーデンのストックホルム県ソルナ)に埋葬された。
1,897 フランス海軍バヤール級装甲艦バヤールが、清の広東省雷州半島東側付け根にある湾に入ったところ、非常な深水良港である事を見つける。
1,897 AMAがイリノイ州で法人化される。
1,897 バクー・バトゥミ間の石油パイプライン建設が開始される。
1,897 ベチュアナランドへの鉄道建設に関し、ブラワヨ(現在のジンバブエ)までの敷設が完了する。
1,897 大株主がN・M・ロスチャイルド&サンズで軍用機器や造船の製造を行う「ヴィッカース社」が、バロー・イン・ファーネス(イギリスのカンブリア州)の造船会社である「バロー造船会社」を買収し、同時に、バロー造船会社の子会社となっていたマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を買収して「ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社」が設立される。設立の際の新株発行はN・M・ロスチャイルド&サンズが担った。バジル・ザハロフは、以下の国等に軍需品を販売していった。
①イギリス
②ドイツ
③ロシア帝国
④オスマン帝国
⑤ギリシャ
⑥スペイン
⑦日本
⑧アメリカ
1,897 ジョン・ロックフェラーの慈善顧問に就任していたフレデリック・テイラー・ゲイツが、アメリカ国内に医療研究施設が不足している事に着目し、アメリカに医療研究機関を設立する計画を立案する。
1,897 1 21 台湾阿片令が公布され、台湾総督府の許可無しに売買、授受、所有が出来なくなる。また、アヘン中毒者と認定された者だけがアヘン吸引を許可された。しかし、実際には中毒者でなくても20歳以上であればアヘン吸引の許可が与えられた。
1,897 2 25 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。
1,897 7 1 ユニオン・パシフィック鉄道の後身として「ユニオン・パシフィック・レールロード社」が設立される。クーン・ローブ商会は、ユニオン・パシフィック・レールロード社との取引を通じ、アメリカの鉄道金融の主要な担い手としての地位を確立した。
1,897 7 9 遠江国敷知郡山口村の林政吉の長女林浅子と再婚した豊田佐吉が、浅子と挙式する。浅子は事務処理に長け、内助の功を発揮し、豊田商店を支えた。
1,897 7 20 イタリアの発明家グリエルモ・マルコーニが「マルコーニ無線電信会社」を設立する。ロスチャイルド家の通信支配が始まる。
1,897 8 10 ドイツの製薬会社であるバイエル社のフェリックス・ホフマンが、以下の作用を持つアスピリンの有効成分であるアセチルサリチル酸の合成に成功する。
①消炎
②解熱
③鎮痛
④抗血小板
1,897 8 25 豊田佐吉が、自身の発明した管捲機の特許出願を行う。
1,897 8 30 テオドール・ヘルツルがスイスのバーゼルにて第1回シオニスト会議を開催する。以下のバーゼル綱領が採択される。
①ユダヤ人農業・工業労働者のパレスチナ植民を適切な方針に従って促進する
②各国の法律に準拠して目的に適った諸機関を国別に、また国際的に設立する事により、ユダヤ人総体として組織し、結集する
③ユダヤ人の民族感情、民族意識を強化、育成する
④シオニズムの目的実現に対する政府の承認を必要に応じ取り付けていく為の準備的諸措置
1,897 9 以下2名が、愛知県知多郡乙川村(現在の愛知県半田市)に「乙川綿布合資会社」を、資本金6,000円で設立する。
①豊田佐吉
②石川藤八
石川が資本金と土地・建物を準備し、豊田は木鉄混製動力織機を60台手配した。
1,897 10 マーカス・サミュエルがイギリスにシェル運輸貿易会社を設立する。
1,897 10 7 ロシア帝国内のユダヤ人社会民主主義組織である「ブンド」がビルニュス(現在のリトアニア)にて設立される。
1,897 11 1 山東省曹州府巨野県張家荘のカトリック教会が清の民間の自衛組織である大刀会数名の略奪に遭い、教会内にいたフランツィスクス・ニースとリヒャルト・ヘンレの2人のドイツ人神父が殺害される。
1,897 11 7 上海にいたドイツ東洋艦隊司令官オットー・フォン・ディーデリヒスが膠州湾占領作戦開始の命令を受ける。ドイツ人神父殺害の件を口実としている。
1,897 11 14 ドイツ海兵隊が長期航海途中の上陸と陸上訓練とを口実に膠州湾に上陸、戦闘無しで膠澳の総兵衙門にいた清の兵1,000名以上に退去を命じ、湾岸全域を占領した。
1,897 11 20 ドイツ人神父殺害の件に関し、ドイツ帝国と清の間で交渉が始まる。
1,898 ドイツのバイエル社により、ヘロインが発売される。
1,898 清のインド産アヘンの年間輸入量が3,280tであった。対西暦1,888年比0.62倍に減少する。
1,898 アルフォンス・ド・ロスチャイルドが「マズット貿易・輸送会社」を設立し、以下のカスピ海・黒海石油産業貿易会社の支店に石油製品の納入を開始する。其の後カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へと成長した。
①ニジニ・ノヴゴロド(現在のロシア)
②サマーラ(現在のロシア)
③ツァリーツィン(現在のロシアのヴォルゴグラード州)
④アストラハン(現在のロシア)
⑤リガ(現在のラトビア)
⑥ヴィーツェプスク(現在のベラルーシ)
⑦ワルシャワ
1,898 横浜正金銀行副頭取であった高橋是清が、第6代大蔵大臣であった井上馨から、外債募集の可能性を探る密命を受け、海外支店業務指導点検の名目で以下の国を訪れる。
①イギリス
②ドイツ
③ベルギー
此の際、西暦1,866年にチャータード・マーカンタイル銀行横浜支店支店長代理として勤め、高橋に身の回りの世話をさせ、高橋に英語を教えた、パース銀行ロンドン支店支店長のアレキサンダー・アラン・シャンドと再会し、支援を取り付けた。高橋は外債募集交渉を通じ、シャンドの他にも支援者となる人脈を作った。
1,898 1 15 ドイツ人神父殺害の件に関し、ドイツ帝国と清が和解する。
1,898 3 6 ドイツ帝国が清から以下の権利を獲得する。
①清国から膠州湾の99年間の租借権
②湾の拠点である青島と済南とを結ぶ膠済鉄道を敷設する権利
1,898 3 13 この日から3日間、ブンドの協力によりミンスク(現在のベラルーシ)にある鉄道職員ピョートル・ルミャンツェフが間借りしていた一軒家に、ピョートル・ストルーヴェを始めとする9名が集合し「ロシア社会民主労働党」の結党大会が開かれる。しかし、ゲオルギー・プレハーノフやウラジーミル・レーニンが亡命中であった為、結党を宣言しただけであった。
1,898 3 27 ロシア帝国が清に対し、戦争で発生した対日賠償金の援助に対する担保、清国内で起こる排外主義運動に対する責任を理由に、北京にて主に以下の内容の条約を結ばせた。調印したのは、清国側が李鴻章と張蔭桓、ロシア側が アレクサンドル・パヴロフであった。
①旅順、大連の25年間の租借権
②東清鉄道と大連とを結ぶ南満洲鉄道の敷設権
1,898 4 22 前年見つけた清の広東省雷州半島東側付け根にある湾をフランス第三共和政が占領し、フランス領インドシナの管理下に置く。
1,898 5 24 イギリスが、威海衛は旅順のロシア艦隊を監視しやすく、ロシアを抑止する負担が抑えられると日本へ説得する事で、日本の威海衛占領軍と入れ替わる形で威海衛を占領する。
1,898 7 1 威海衛租借協定がイギリスと清の間で結ばれる。
1,898 8 1 豊田佐吉が、前年に自身が出願した織機に基づく特許(第3173号)を取得する。
1,898 9 26 日本海軍がヴィッカース社に戦艦「三笠」を発注する。ヴィッカース社に戦艦を発注するのはこれで6隻目であった。
1,898 10 22 徳川慶喜と徳川昭武が、稲村(現在の茨城県取手市)で狩猟をし、昭武の別邸である戸定邸で宿泊する。
1,898 11 7 豊田佐吉が、前年に自身の出願した管捲機の特許(第3250号)を取得する。
1,899 アンドリュー・カーネギーがカーネギー製鉄所を設立する。
1,899 第1回四分利付英貨公債が、募集額10,000,000ポンドで起債される。其の際日本政府は、以下等の発行銀行に対し、金本位制の維持を約束した。
①パース銀行
②香港上海銀行
1,899 ソロモン・ローブがクーン・ローブ商会を退職する。其の後ローブは、不動産業へと進出した。
1,899 3 義和団が現在の中国山東省で蜂起。
1,899 3 5 徳川慶喜と徳川昭武が、布施村(現在の千葉県柏市)で狩猟をする。
1,899 3 6 徳川慶喜と徳川昭武が、取手付近で狩猟をし、東京に帰る。
1,899 3 6 バイエル社がアスピリンを商標登録する。
1,899 3 16 徳川慶喜と徳川昭武が、布施村で狩猟をする。
1,899 4 此の月迄にニジニ・ノヴゴロドの石油貯蔵倉庫に145,782tの石油が保管されていた。主な保管者は以下の通り。
①ノーベル兄弟産油会社:48,484.8t
②マズット貿易・輸送会社:47,502t
1,899 4 8 徳川慶喜と徳川昭武が、取手付近で狩猟をし、東京に帰る。
1,899 5 8 豊田佐吉が、自身の発明した杼の特許出願を行う。
1,899 6 30 豊田佐吉が、同年に自身の出願した杼の特許(第3605号)を取得する。
1,899 10 11 第2次ボーア戦争が勃発する。セシル・ローズの支援を受けたアルフレッド・ミルナー等によって引き起こされた。狙いはトランスヴァール共和国の金であった。
1,899 10 14 徳川慶喜と徳川昭武が、藤代付近で狩猟をする。
1,899 10 17 徳川慶喜と徳川昭武が、藤代付近で狩猟をする。
1,899 11 三井物産が、木鋳混製動力織機の量産支援を豊田佐吉に打診し、豊田が此れを受け入れ、木鋳混製動力織機の10年間の一手販売契約を結び、三井物産の全額支援により、資本金30,000円で「井桁商会」を設立する。社名は三井本家の家紋に由来した。豊田は技師長として迎えられた。
1,899 11 6 徳川慶喜と徳川昭武が、牛久付近で狩猟をする。
1,899 11 14 マンハイム(現在のドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州)のカール・ベンツ社で自動車生産部門の責任者を務めたアウグスト・ホルヒが、独立してケルン(現在のドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州)に自動車製造会社「アウグスト・ホルヒ社」を設立する。当初は、車やオートバイのエンジン修理を行っていた。
1,899 11 19 フランス第三共和政が清と以下の内容の条約を結ぶ。
①広州湾の99年間の租借権
②広州湾に入る清の船に対する課税
③赤坎から安铺への鉄道建設
1,899 11 23 イギリスの海運会社であるホワイト・スター・ライン社の社長トーマス・ヘンリー・イズメイが死去し、ジョセフ・ブルース・イズメイが後を継ぐ。
1,900 此の年迄にアストラハン(現在のロシア)の船舶修理会社が約30社存在した。主な会社の従業員数は以下の通りである。
①コーカサスとマーキュリー:237名
②マズット貿易・輸送会社:195名
③東方教会:176名
④ノーベル兄弟産油会社:170名
1,900 井桁商会の受注が、景気悪化により減少し始める。豊田佐吉は、十分な開発資金を得られなくなっていった。
1,900 ロシア帝国内の全石油工場の約10%に当たる以下の7系列が、灯油の累積総生産量である368,550,000tの約68%を占める。
①ノーベル兄弟産油会社:175,266,000t
②カスピ海協会:57,330t
③資産家ハジ・ゼイナラブディン・タギエフ:39,312t
④バクー石油会社:27,846t
⑤アルフォンス・ド・ロスチャイルド:24,570t
⑥ムサ・ナギエフ:24,570t
⑦シャムシ・アサドゥラエフ:19,656t
1,900 1 15 ニコラ・テスラが、コロラドスプリングス(アメリカのコロラド州エルパソ郡)での9ヶ月程度の研究を終え、ニューヨークに戻る。テスラは、コロラドスプリングスに建設した研究所で、高周波振動の電気的共鳴を利用して、巨大な電圧を発生させる「拡大送信機」を用い、地球が電気を帯びている帯電体である事を証明した。此の結果を受けてテスラは、地球を媒介とする送電システムの構築が可能であると確信した。更に、コロラドスプリングスの研究所の周囲で頻発する雷放電を観測して、周波数の等しい波が干渉し合い波動が全く動いていない様に見える「地球定常波」を発見した。此の地球定常波を利用すれば、エネルギーを減衰させる事無く地球全体に送電出来るのではないかとテスラは考えた。テスラは、自身の所属会社である「ウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー」に「数ヶ月間のコロラドスプリングスでの研究から戻って来た所です。予想以上の成功を収め、私が完成させた機械を用いて、地球上の何処でも電信通信を確立出来る事を実証しました」と報告した。又テスラは、ハウストン・ストリート(アメリカのニューヨーク州ロウアー・マンハッタン地区、マンハッタン地区)に広範な電気実験室を所有していた。
1,900 3 イギリス政府が、ボーア戦争に於ける戦時国債30,000,000ポンドを発行する。この際J.P.モルガン商会が、イングランド銀行のアメリカ独占代理店に任命された。
1,900 5 16 ニコラ・テスラが、コロラドスプリングスで完成させた、無線電信システムに関する特許「自然媒質を通じて電気エネルギーを送信する技術」を申請する(US787412A号)。
1,900 6 ニコラ・テスラが「人類エネルギー増大の問題、特に太陽エネルギーの利用に就いて」という論文を発表する。テスラは此の論文にて、アンテナを使用して太陽エネルギーを利用する方法に就いて説明し、電気エネルギーで天候を制御する事が可能であると提案した。此のシステムの最大の目的は、機械を無線制御する事により、戦争を不可能にする事であった。
1,900 6 21 義和団が、ドイツ公使を殺害し、西太后(第9代清皇帝咸豊帝の側室)が義和団の反乱を支持する。そして、日本、ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア・ハンガリーに宣戦布告する。
1,900 7 朝鮮半島最初の鉄道である京仁鉄道が、京城(現在の韓国ソウル)-仁川間を開通させる。
1,900 8 北京が8ヶ国連合国軍に占領される。
1,900 8 J.P.モルガン商会が、ボーア戦争に於けるイギリス大蔵省証券(3年満期、利率3%)発行の主幹事となる。J.S.モルガン商会も副幹事として参加した。J.S.モルガン商会がこの証券をロンドン証券市場で販売するには、J.P.モルガン商会を通さなければならなかった。
1,900 9 清が義和団の鎮圧を命じる。
1,900 10 19 徳川慶喜と徳川昭武が、利根川で釣りをする。
1,900 11 ニコラ・テスラが本年6月に発表した論文が、ジョン・モルガンの目に留まる。以降ジョン・モルガンは、テスラを自身の自宅に頻繁に招く様になった。テスラは、無線による情報の伝達システムを構築する事で、電話メッセージを瞬時に海を超えて中継し、音楽・ニュース・株式市場の報告・プライベートメッセージ・安全な軍事通信・画像を世界中に送信する事の出来る「世界無線システム」の計画をモルガンに提案した。モルガンは、前年にロングアイランド沖で行われた国際ヨットレースであるアメリカズカップのレポートをニューヨーク市に無線で伝えるデモを行ったグリエルモ・マルコーニに感銘を受けており、テスラのプロジェクトの実現可能性と、特許の優先権に関し疑問を抱いていた。
1,900 12 15 徳川慶喜と徳川昭武が、取手で狩猟をする。



ペンタゴンが主導した日本テレビ放送網設立一元化




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