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≈は「頃」を意味しています。
ロスチャイルド5兄弟で一番の商才の持ち主。
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年月日 | 出来事 | |||
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1,701 | 9 | 29 | 前年成立したキャラコ輸入禁止法が施行される。 | |
1,703 | 12 | 31 |
2時、野島崎(現在の千葉県南房総市白浜町白浜)を震源としたM8.2の地震が発生する。これにより、犬吠埼(現在の千葉県銚子市)から下田(現在の静岡県)の沿岸で津波が発生した。地震と津波による死者は10,000名を超え、被災家屋は30,000戸であった。小田原藩皆瀬川村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)では、58戸中51戸が倒壊した。この地震で小田原藩は、江戸幕府から15,000両の支給を受けた。しかし、以下の出費が発生し、財政難となった。 ①城廻りの普請金:100,000両 ②町郷中への手当金:60,000両 |
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1,704 | イギリス東インド会社が清公認の貿易港である、広州での貿易の権利を得る。 | |||
1,704 | 2 | 4 | 富士山山麓で山鳴りが始まる。 | |
1,704 | 2 | 6 | 富士山で激しい山鳴りが発生する。 | |
1,704 | 2 | 7 | 富士山で激しい山鳴りが発生する。 | |
1,705 | 5代目淀屋三郎右衛門が町人の分に過ぎた奢侈な生活を咎められ闕所処分となる。 | |||
1,706 |
イギリスの天文学者ジョン・マチンが円周率に関し、自身の発見した以下の公式をグレゴリー・ライプニッツ級数に代入し100桁の精度を得る。 ...= |
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1,707 | 5 | 1 | 合同法が発行され、スコットランド王国とイングランド王国が併合し、グレートブリテン王国が成立する。 | |
1,707 | 10 | 28 | 14時、紀伊半島の南端から20kmの所を震源としたM8.4の地震が発生する。これに起因した津波による被害が大きく、この地震に於ける死者は20,000名超、倒壊・流出家屋は80,000戸とされた。 | |
1,707 | 10 | 29 | 6時、富士宮(現在の静岡県)付近で地震が発生する。前日の紀伊半島に於ける地震の余震とされる。 | |
≈ | 1,707 | 12 | 3 | 富士山山麓で山鳴りが始まる。 |
1,707 | 12 | 15 | 夜、富士山山麓で、数十回に渡る強い地震が発生する。 | |
1,707 | 12 | 16 |
10時、富士山が噴火する。富士山噴火の降灰が最も多かったのは、小田原藩須走村(現在の静岡県駿東郡小山町)で、冨士浅間神社(現在の静岡県駿東郡小山町須走字日向)の神主小野家を含む37戸と、冨士浅間神社を含む3寺院が焼失した。さらに、以下の寺院を含む39戸が倒壊した。 ①香積寺 ②西寿院 ③永昌寺 また、0.8m程度の降灰のあった皆瀬川村では丹沢山中に散在する集落80戸の内、12戸が倒壊した。西暦1,703年12月31日の地震で倒壊した家を建て直した所であった。2度共被災した者もいた。江戸に居た第7代小田原藩主で老中の大久保忠増は、家臣柳田久左衛門に被害状況を調べさせた。 |
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1,707 | 12 | 20 | 降灰による焼失を免れた須走村の39戸が、この日迄に降った3m超の火山灰の重みや、度重なる震動により倒壊する。 | |
1,707 | 12 | 21 | 須走村を徒目付等が視察に訪れる。 | |
1,708 | トマス・ニューコメンが、蒸気によって真空を作り出し、地下水を汲み上げる揚水機を発明し、その解決にあたった。しかしこの段階では、まだ熱量の損失が大きく、汎用的な蒸気機関としては実用にならなかった。 | |||
1,708 | 1 | 1 | 未明、富士山の噴火が終息する。その後小田原藩は、被災地の田畑の耕作を再開する為の火山灰除去に係る労力の見積書を提出させた。どの村も膨大な数値であった事から、領主達は救恤米の支給こそ行なったものの、根本的な対策は江戸幕府に委ねざるを得なかった。 | |
1,708 | 1 | 4 | 小田原藩の支藩であった松長藩(現在の静岡県沼津市)が、棚頭村(現在の静岡県駿東郡小山町)へ西暦1,708年3月21日頃迄数度に分けて、御蔵から飢人扶持を支給する。25戸・150名の内、13戸・41名が支給を受けた。しかし、米の支給量は少なく、大人と子供で差があった。 | |
1,708 | 1 | 17 |
小田原藩の以下2名が、山家筋(現在の神奈川県足柄上郡山北町)に飢人扶持の支給を通達する。 ①中筋代官青木仁右衛門 ②中筋代官大西角野右衛門 具体的には以下の内容であった。 ①皆瀬川村・都夫良野村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)・湯触村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)は、川村山北村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)で扶持米を受け取る。 ②世附村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)・中川村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)・玄倉村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)は川西村(現在の神奈川県足柄上郡山北町)で扶持米を受け取る。 |
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≈ | 1,708 | 2 | 皆瀬川村にて、1合/人を10日分の支給を559名が受ける。 | |
1,708 | 2 | 5 |
現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村の代表が、品川にて、小田原藩の役人から以下の支給を取り付ける。 ①御救米:20,000俵(7,400石相当) ②飢人扶持 |
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1,708 | 2 | 7 |
若年寄稲垣重富が、武蔵・相模・駿河に於ける富士山噴火の被災地の領主に対し以下を命じる。 ①降った火山灰をその儘放置している村は、今春の耕作前に取り除く様、言い付ける。 ②自力で火山灰を除去する事が困難な村も、先ず取り掛からせる。 ③今後調査した上で支援を行うが、それまで領民を飢えさせない様にする。 ④詳細は勘定奉行荻原重秀に相談する。 |
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1,708 | 2 | 8 | 中筋代官が川村山北村へ出向き、大久保忠増の御意を説明する。 | |
1,708 | 2 | 10 | 飢人扶持支給の為、現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村の名主が小田原城下の御蔵前に呼び出される。名主達は、自村の飢人帳を書き上げ持参したが、飢人基準がばらばらであった為、この日の支給は見送られた。代官は、飢人帳を書き直し、前年の人別帳の控えを持参して再提出する様通告した。 | |
1,708 | 2 | 13 | 現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村の惣代数名が、地方役所に呼び出され、杉山小右衛門等4名の郡奉行から御救米支給の説明を受ける。郡奉行は、村の石高と火山灰の厚さに応じて割り付けるとし、東・中・西の筋毎の割り付け帳が提示された。さらに「20,000俵の内、10,000俵は米で直ぐに支給するが、残り10,000俵は後日金銭で渡すので、速やかに飢え人に御救米を渡す様に」と口頭での説明があった。飢人扶持の支給もあると期待していた惣代達であったが、「御救いはこれだけではない。追加がある。支給を希望する村は西暦1,708年2月16日に小田原の地方役所に出頭し、再度飢人帳を書いて提出し、各村村方三役で御救米割り付け帳に捺印する様に」との郡奉行の言葉を信じ、この場は引き下がった。 | |
1,708 | 2 | 15 | 東・中・西の筋の惣代が、金子村(現在の神奈川県足柄上郡大井町)にて、郡中寄合が開かれる。2日前の郡奉行の対応から、西暦1,708年2月5日の品川での約束が守られなかった為、現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村に対し回状を送付していた。この寄合では、品川での約束通りに飢人扶持を貰うべきだという意見が出た。 | |
1,708 | 2 | 16 | 荻窪村(現在の神奈川県小田原市)寺町の観音堂にて寄合が開かれる。西暦1,708年2月5日の品川での約束が守られなかった事に関し、訴状を作成した。不参加であった村の名主には召喚状が送付された。 | |
1,708 | 2 | 18 |
以下の5村が、現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡の104村から離脱し、青木仁右衛門と大西角野右衛門宛に独自に訴状を提出する。 ①川村山北村 ②川村岸村(現在の神奈川県足柄上郡山北町) ③川村向原村(現在の神奈川県足柄上郡山北町) ④松田庶子村(現在の神奈川県足柄上郡松田町) ⑤松田惣領村(現在の神奈川県足柄上郡松田町) 訴状では、御救米は末々まで行き渡り、当分飢え申さず、としつつも、今後も本田畑の御朱印高を基準に御救いが行われるのであれば、山畑や新田畑の多い山付きの村は平野部よりも被害が甚大であるにも拘らず、米の支給量等が少なく見積もられてしまうので、被害面積を基準に算出して欲しいという要望を出した。 |
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1,708 | 2 | 24 | 川村山北村が、小田原藩から137俵の米の支給を受ける。配分を算出した上で、西暦1,708年3月10日に村人へ配給された。 | |
1,708 | 2 | 24 |
江戸幕府が、前年の富士山噴火の被害の大きかった足柄地方(現在の神奈川県)と御厨地方(現在の静岡県御殿場市)の村を上知し、天領とする。小田原藩は天領との村替えとなり、56,384石が上知された。上知された村の数は以下の通り。 ①197村(現在の神奈川県足柄上郡・足柄下郡) ②1村(神奈川県淘綾郡(現在の神奈川県中郡大磯町・二宮町、平塚市の一部)) ③3村(現在の神奈川県高座郡) ④79村(現在の静岡県駿東郡) 代わりに以下の村が与えられた。 ①15村(現在の岐阜県加茂郡) ②16村(現在の岐阜県可児郡) ③13村(岐阜県土岐郡(現在の岐阜県多治見市・土岐市、瑞浪市の大部分)) ④53村(現在の静岡県賀茂郡) ⑤51村(現在の愛知県設楽郡) ⑥4村(那賀郡(現在の静岡県賀茂郡西伊豆町・松崎町)) ⑦55村(現在の兵庫県赤穂郡) ⑧2村(印南郡(現在の兵庫県高砂市の大部分・姫路市の一部・加古川市の一部)) ⑨6村(現在の兵庫県佐用郡) ⑩6村(加西郡(現在の兵庫県加西市、西脇市の一部・多可郡多可町の一部)) また、小田原藩の支藩であった松長藩(現在の静岡県沼津市)も領地6,000石を以下に移された。 ①君沢郡(現在の静岡県三島市の大部分・沼津市の一部・伊豆の国市の一部・伊豆市の一部) ②現在の静岡県田方郡 さらに、小田原藩旗本稲葉正辰領も、天領との村替えとなった。 |
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1,708 | 2 | 28 | 第7代関東郡代伊奈忠順が砂除川浚奉行に就任し、富士山噴火の被災地に於ける最高責任者となる。職制上、荻原重秀の配下にあった。 | |
1,708 | 2 | 28 |
江戸幕府が、富士山噴火の被災地を支援する為、天領・諸国に対し、100石当たり金2両の高役金を課す。結果、金488,770両・銀1貫870目が集まり、240,000両は江戸城北の丸御殿建設費用として備蓄された。以下の通り、石高で上納期限が異なった。但し50石未満の端数は切り捨て、寺社領は除外とした。 ①大名(1万石以上) 西暦1,708年5月19日 ②旗本(1万石未満) 西暦1,708年8月15日 被災地支援には160,000両が使われた。主な内訳は以下の通り。 ①武蔵・相模・駿河の被災地:6,225両 ②須走村:1,850両 ③武蔵・相模の火山灰除去:54,480両 |
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1,708 | 3 | 1 |
大久保忠増が、以下の大名5名に対し、御手伝い普請として、酒匂川・内山川・皆瀬川・川音川・金目川の浚渫工事を命じる。 ①第6代大野藩主土井利知 ②第5代岡山藩主池田綱政 ③第5代熊本藩主細川綱利 ④第2代熊本新田藩主細川利昌 ⑤第2代鳥取新田藩主池田仲央 これとは別に第4代小倉藩主小笠原忠雄も、御手伝い普請として、狩川の浚渫工事を命じられた。この6藩は、同年7月頃迄工事に従事した。 |
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1,708 | 3 | 7 |
小田原藩の村役人が地方役所に招集され、前年分の以下の納入が免除される。 ①年貢米 ②小物成(入会山の山銭や家並薪等) さらに以下の同年末迄の延納が許可された。 ①前年の田植え用の御貸米 ②御救米 ③村筒 |
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1,708 | 3 | 10 | 小田原藩が各村に対し、西暦1,708年2月24日の上知に関する通知を行い、江戸幕府への上知された領地の引き渡しが実施された。また同日、江戸幕府は、火山灰の除去を督励していない領主は知行との引き替えは認めないものとした。結局、西暦1,708年2月5日の品川での飢人扶持の約束は果たされなかった。 | |
≈ | 1,708 | 4 | 須走村に対し、惣人別と馬を対象として14両2分757文が支給される。 | |
≈ | 1,708 | 4 | 伊奈忠順の家臣が、元松長藩は自力では田畑の火山灰を除去する事が出来ないので、江戸幕府による御普請を実施して欲しいとの依頼を受ける。 | |
1,708 | 8 | 8 | 大雨により、大量の火山灰が酒匂川に流入する。そして、岩流瀬(現在の神奈川県足柄上郡山北町岸)と大口(現在の神奈川県南足柄市斑目)の堤が決壊し、下流右岸の村々が土砂で埋まった。 | |
≈ | 1,708 | 9 |
富士山噴火の被災地支援に関し、須走村に対して以下の「家作御救金」が支給される。 ①焼失した37戸:1,333両(計1,333坪、1両/坪) ❶甚太夫:126両(126坪) ❷冨士浅間神社神主小野家:119両2分(119坪半) ②倒壊した39戸:1,811両(計3,622坪、2分/坪) ❶香積寺・西寿院・永昌寺:478両(計956坪) |
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1,709 |
須走村の西暦1,703年から本年に掛けての平均年貢は以下であった。 ①永5貫564文 ②山役米1石3斗 |
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≈ | 1,709 | 4 | 富士山噴火の被災地支援の一環で行われていた、火山灰の高さが0.9m以上の村への金銭の支給「御救夫食石代金」及び0.9m未満の村への金銭の支給「砂退け御救金」が終了する。4月頃と12月頃の年2回、火山灰の深さに応じて300文〜1分/aの支給が行われた。 | |
≈ | 1,709 | 4 |
須走村を始めとする現在の静岡県駿東郡の39村の代表が、江戸の伊奈忠順の屋敷に出訴する。食糧が碌に無く、餓死者が多数出ており、他藩に働きに出て乞食に身を落としたり、行き倒れとなりその死骸が送り届けられたりする事を訴えた。そして、以下2点のどちらかを実施する事を求めた。 ①前年に提出した見積り通りの御普請の実施 ②村人全員に3年間1人につき銀1匁/日の御救金の支給 これを受け、本月から翌月にかけて、伊奈の家臣が現地を視察し、飢え人1人に対し、5文/日を5日分の御救金が支給された。さらに、これとは別に翌月以降御救金が支給されたが、焼け石に水であった。 |
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≈ | 1,709 | 6 |
以下2名が、度々水害を起こす酒匂川を視察する。 ①目付河野通重 ②伊奈忠順 |
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1,709 | 6 | 22 |
以下2名が、御厨地方へ向けて酒匂川を出発する。 ①河野通重 ②伊奈忠順 |
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1,709 | 6 | 28 |
以下2名が用沢村(現在の静岡県駿東郡小山町)を視察する。 ①河野通重 ②伊奈忠順 その際、同村によって、以下2点が提出された。 ①砂除け御普請願 ②村絵図 |
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≈ | 1,709 | 7 | 伊奈忠順の家臣が御厨地方を視察し、砂除け普請見積帳を作成する。結果、金額は58村で170,000両に上った。しかし、僅かな御救金が支給はあったものの、砂除け普請は実現しなかった。 | |
≈ | 1,709 | 10 | 伊奈忠順が、荻原重秀の屋敷の勘定所に御厨地方の村々の代表3名を連れて来て、荻原以下の役人に窮状を聞かせる。 | |
≈ | 1,710 | 1 | 伊奈忠順が、御厨地方の村々への砂除金の支給を決定する。 | |
1,711 | 9 | 11 | 大雨により大口堤が決壊する。新流路となった斑目村を始めとする6村が訴願運動をするも、実らず放置された。 | |
1,713 | 4 | 11 | ユトレヒト条約がオランダで締結され、イギリスがフランス・スペインから、アフリカの黒人奴隷を北米のスペイン領に運ぶアシエント(奴隷供給契約)を譲渡され、且つ毎年500tの船1隻を、貿易の為スペイン領アメリカに派遣する許可を取る。 | |
1,715 | 冨士浅間神社の再建の訴願を受けた寺社奉行が、江戸市中での勧進を許可する。 | |||
1,716 | 西暦1,708年2月28日に天領となった元小田原藩領の内約半分が、小田原藩領に復帰する。 | |||
1,717 | イギリス東インド会社が、広東で中国茶の定期的船積みを開始する。 | |||
1,717 | 6 | 24 | イギリス・フリーメイソンのロンドンにある4つのロッジが集まり、初めてグランドロッジを形成する。 | |
≈ | 1,718 | 10 |
冨士浅間神社が再建される。第9代小田原藩主大久保忠方は、藩財政の苦しい中、以下を寄進した。 ①白銀10枚 ②槻20本 ③鳥居材木杉6本 |
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1,719 |
トマス・ファンテ・ド・ラグニーが円周率に関し127桁の精度を得る。 |
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1,722 |
数学者建部賢弘が、円周率に関し自身の以下の公式により41桁の精度を得る。 |
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1,722 | ポーランドのラビがリヴィウ(現在のウクライナ)で開かれた集会でシャブタイ派の異端を禁止しようとした。 | |||
1,726 | 清がアヘンの販売及び吸引所を禁止する。 | |||
1,726 | 塩の支配を意図し秘密結社「青幇」が設立される。 | |||
1,726 | 大岡忠相の命を受けた田中休愚により、岩流瀬と大口の両堤が再建される。弁慶枠や蛇籠を用いた、水勢を弱める工夫も為された。 | |||
1,727 | イギリス東インド会社に於ける300名の会議から「三百人委員会」が設立される。イギリス王室、イタリアのメディチ家、ロスチャイルド家がメンバーとして存在していた。 | |||
1,730 | ベンジャミン・フランクリンが、ペンシルベニア植民地のフィラデルフィアのセントジョーンズ・ロッジにて、フリーメイソンに入会する。 | |||
1,732 |
小田原藩が、以下の村を含む酒匂川沿いの9村(6,000石)を代知を受けない儘上知する。 ①金手村(現在の神奈川県足柄上郡大井町) ②西大井村(現在の神奈川県足柄上郡大井町) ③鬼柳村(現在の神奈川県小田原市) ④桑原村(現在の神奈川県小田原市) ⑤成田村(現在の神奈川県小田原市) ⑥飯泉村(現在の神奈川県小田原市) 度重なる洪水に藩では十分な対策を施せなかった為、江戸幕府に川除普請を願い出ていた。しかし、改出新田の内で補填する旨が申し渡された為、上知された分は石高減となった。 |
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1,734 | 9 | 5 |
未明、以下3堤が決壊する。 ①岩流瀬 ②大口 ③鬼柳村の堤 今回は東岸にも氾濫し、70名程度の犠牲者を出した。その後、田中休愚の娘の夫蓑正高により、堅固な堤防が築かれた。結果、水害が激減し、西暦1,757年迄水害が発生する事は無かった。 |
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1,735 | 江戸幕府が最上徳内を千島列島に派遣し、探査を開始する。 | |||
1,735 | ジャン・ジャック・ブランパンがヴィルレ(現在のスイスのベルン州)の村民名簿に時計職人として登録され、「ブランパン」を設立する。 | |||
1,737 | 12 | 6 |
以下2名が、ハンブルクにてフリーメイソンロッジ「アブサロム」を設立する。 ①グランドマスター代議員 ②第19代ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 |
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1,738 |
以下2名がブラウンシュヴァイク(現在のドイツのニーダーザクセン州)を訪問する。 ①第2代プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 ②フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の弐男フリードリヒ2世 其の際、アブサロムのマスターのオーベルク伯爵の勧誘により、フリーメイソンに加入した。 |
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≈ | 1,740 | イギリスがパナマで栽培したインドの綿がバージニア地方に伝わって栽培される。 | ||
1,740 | 5 | 8 |
以下2名の結婚式が代理人を介してロンドンで執り行われる。 ①ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世 ②第2代ハノーヴァー家イギリス国王ジョージ2世の娘メアリー・オブ・グレート・ブリテン |
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1,740 | 6 | 28 |
以下2名の結婚式が執り行われる。彼らはこの日が初対面であった。 ①ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世 ②メアリー・オブ・グレート・ブリテン |
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1,741 |
カール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵がパリにて、亡命中であったイングランド・スコットランド王子チャールズ・エドワードの宮廷で、エドワードの随員キルマーノック卿より「エルサレム聖堂高位結社」への入会許可と、第7教区(現在のドイツ)に於ける統帥としてのエルサレム聖堂高位結社の復興の委託を受ける。エドワードは、ステュアート朝イギリス王室の再興の機を窺っていた。エルサレム聖堂高位結社は以下の位階制を採用していた。 ①内なる結社 ❶誓願騎士 ❷騎士 ②スコットランド ❶修練士 ❷スコットランド ③象徴的フリーメイソン ❶親方 ❷職人 ❸徒弟 |
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1,744 | 第3代プロイセン王フリードリヒ2世(プロイセン王)がグランドロッジ「3つの地球」を設立する。 | |||
1,744 | 2 | 23 |
以下2名の間の4番目の子であるメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、フランクフルトのゲットーにて生誕する。 ①アムシェル・モーゼス・ロスチャイルド ②シェーンチェ・レクニッヒ アムシェルは、自身の計数所の入口のドアの上に、赤い六芒星の看板を掲げた。 |
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1,747 | 西暦1,708年2月28日に天領となった元小田原藩領が全て、小田原藩領に復帰する。しかし、西暦1,707年12月16日の富士山噴火以前と比べ、石高が10,120石減少した。 | |||
1,748 | トゥルン・ウント・タクシス侯爵家がレーゲンスブルク(現在のドイツのバイエルン州)の聖エメラム宮殿に居を移す。 | |||
1,748 | 2 | 6 | アダム・ヴァイスハウプトが、バイエルン選帝侯領インゴルシュタット(現在のドイツのバイエルン州)にて生誕する。キリスト教に改宗したユダヤ人の血を引いていた。 | |
≈ | 1,750 | ヤコブ・フランクが、シャブタイ派の指導者達と親密になる。 | ||
1,751 | カール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵が、高位階制フリーメイソン会派の1つである「ストリクト・オブザーバンツ」を設立する。 | |||
1,751 | ヤコブ・フランクが、自身をメシアであると宣言する。 | |||
1,752 | アメリカのベンジャミン・フランクリンが雷が電気である事を発見する。これは、激しい雷が起こっている空に向けて、針金を付けたタコを揚げ、針金と糸を伝わってきた電気をコンデンサの一種である、ライデン瓶に蓄える実験をし、ライデン瓶に金属棒をつけて花火が出るのを確認したものである。 | |||
1,752 | ヤコブ・フランクが結婚する。結婚式の際シャブタイ派指導者オスマン・ババの信奉者2名が証人として出席する。 | |||
1,755 | ヤコブ・フランクが、ポジーリャ(現在のウクライナのヴィーンヌィツャ州・フメリニツキー州・テルノーピリ州・沿ドニエストル共和国)で地元の信者を集め、シャブタイ・ツヴィを救世主とするイスラム教徒の振りをしたユダヤ教徒である、テッサロニキ(現在のギリシャ)のユダヤ教デンメ派から伝えられた啓示を説き始める。 | |||
1,755 | アダム・ヴァイスハウプトがイエズス会の学校で教育を受け始める。ヴァイスハウプトは幼少期に孤児となり、学者である叔父がヴァイスハウプトの教育を引き受け、イエズス会の学校に入学させた。ヴァイスハウプトは、叔父の蔵書であった最新のフランスの啓蒙思想家達の本を熱心に読み漁った。当時のバイエルン選帝侯領は、カトリックの影響が強く、保守的であった。ヴァイスハウプトは、王政と教会が思想の自由を抑圧していると考えていた。そして、宗教的な考え方は最早現代社会を統治する為の十分な信念体系では無いとの結論に達し、ヨーロッパの国家運営を根本的に変える新しい啓蒙の形、即ち一連の思想や実践を身に付ける事を決意した。此の頃フリーメイソンはヨーロッパ全土で着実に広がり、自由思想家達に魅力的な選択肢を提供していた。ヴァイスハウプトも当初はロッジに参加しようと考えていたが、フリーメイソンの多くの考えに幻滅し、メンフィスの七賢者の秘儀やカバラ等の秘教的なテーマを扱った本に夢中になり、独自の新しい秘密結社を設立する事を決意した。 | |||
1,755 | 9 | 17 | ジャン・マルク・ヴァシュロンがサン・ジェルヴェ(現在のスイスのジュネーヴ州)に開いた自身の時計工房にイザヤ・ジャン・フランソワ・エティエを雇い、後の「ヴァシュロン・コンスタンタン」となる時計会社を設立する。 | |
1,755 | 10 | 6 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの父アムシェル・モーゼス・ロスチャイルドが、フランクフルトのゲットーにて天然痘で死去する。 | |
1,755 | 11 | 1 | リスボン地震が発生し、王宮サン・ジョルジェ城(現在のポルトガルのリスボン)が倒壊する。その為、第5代ブラガンサ家ポルトガル王ジョゼ1世がポルトガルの政治と社交の中心地であったアジュダ(現在のポルトガルのリスボン)のテント団地に居を移し、宰相ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョを中心とする部下や貴族と共に生活を始める。 | |
1,756 | ヤコブ・フランクの信者達がラビによって追い回され、地元当局に糾弾される。フランク自身もポジーリャを去る事を余儀なくされた。また、サタヌフ村(現在のウクライナのフメリニツキー州サタニヴ)で開かれたラビ裁判で「シャブタイ派はユダヤ教の道徳と慎み」という基本的な法律を破ったとして非難された。 | |||
1,756 | 6 | 29 | シェーンチェ・レクニッヒが死去する。 | |
1,757 | ジェイコブ・ウルフ・オッペンハイマーが、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドを丁稚として雇う。西暦1,763年迄続いた。 | |||
1,757 | 11 |
清が対外貿易港を広州のみに制限し、以下の国と貿易を始める。内訳は清からイギリスへの茶の輸出が最も多く、対してイギリスは清に毛織物や綿布を輸出していたが、殆ど売れなかった。結果イギリスから清へ、決済に用いていた銀が大量に流出する事となる。 ①イギリス ②ロシア ③アメリカ ④スペイン ⑤フランス |
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1,758 | 9 | 3 | 夜、ジョゼ1世が愛人の、ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョと敵対していた第19代ターヴォラ家当主フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラの妻でイエズス会会員のレオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラと夜の営みを終え、馬車でリスボン郊外を走行中、2・3名の男に発砲される。ジョゼ1世は腕を撃たれ、運転手も重傷を負ったが、何とかアジュダへ戻った。カルヴァーリョは銃撃事件の事実を知り、事件を公にせずに捜査を開始した。 | |
≈ | 1,758 | 9 | 8 | 西暦1,758年9月3日のジョゼ1世の銃撃事件の犯人である2名の男が逮捕され、拷問を受ける。2名は罪を認め「第8代アヴェイロ侯爵を王位に就かせる事を企図するターヴォラ家の命令に従った」という主旨の供述を行った。 |
≈ | 1,758 | 9 | 9 | ジョゼ1世の銃撃事件の犯人である2名が、事件公表前に絞首刑に処される。 |
≈ | 1,758 | 9 | 16 |
ジョゼ1世の銃撃事件の犯人である2名の供述を踏まえ、以下の人間が投獄される。 ①フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ ②レオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラ ③フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ夫妻の息子・娘・孫達 また、以下の人間の共謀者と見做され逮捕された。 ①第8代アヴェイロ侯爵・ターヴォラの義理の息子アローナ侯爵とその家族 ②アトウギア伯爵とその家族 ③イエズス会司祭ガブリエル・マラグリーダ |
1,759 | 1 | 12 |
ジョゼ1世の銃撃事件に於いて、以下の人間に対し大逆罪と王政復古未遂の罪で死刑判決が下る。 ①フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ ②レオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラ ③フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ夫妻の息子・娘・孫達 しかし王妃マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーンとその娘マリア1世(ポルトガル女王)の執り成しで以下は助命された。 ③フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ夫妻の息子・娘・孫達 判決理由として以下3点が挙げられた。ターヴォラ家は容疑を否認していた。 ①処刑された暗殺者の自白。 ②第8代アヴェイロ公爵の所有する凶器。 ③当日、ジョゼ1世の居場所を知っていたのはターヴォラ家だけであると推測される。 さらにターヴォラ家は以下の処分を受けた。 ①財産は王宮への没収 ②リスボンの宮殿の破壊 ③土壌の塩漬け ④貴族名簿からの除名 ⑤紋章の禁止 |
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1,759 | 1 | 13 |
ジョゼ1世と、困惑する宮廷人の見守る中、以下の人間の死刑がリスボン郊外の野原で執行される。 ①フランシスコ・デ・アシス・デ・ターヴォラ ②レオノール・トマージア・デ・ロレーナ・イ・ターヴォラ |
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1,759 | 9 | 13 | ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの助言により、ジョゼ1世がポルトガル王国の全領土からの「イエズス会士追放令」が発布する。イエズス会士の逮捕・投獄が行われ、国籍を剥奪され、多くの修道士はイタリア半島のカトリック国家に送還された。 | |
1,759 | 9 | 17 | ヤコブ・フランクがリヴィウ(現在のウクライナ)にてアウグスト3世(ポーランド王)から洗礼を受ける。洗礼名は「ヨゼフ」であった。 | |
1,759 | 9 | 18 | ヤコブ・フランクがワルシャワ(ポーランド)にてアウグスト3世(ポーランド王)から洗礼を受ける。洗礼名は「ヨゼフ」であった。 | |
≈ | 1,760 |
ピエール・サミュエル・デュポンの著作が、以下2名等の注目を集める。 ①ヴォルテール ②ジャック・テュルゴー |
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1,760 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、ハノーファー(現在のドイツのニーダーザクセン州)に所在するジェイコブ・ウルフ・オッペンハイマーの経営する銀行で働き始める。 | |||
1,760 | 2 | 1 | ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の父第8代ヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム8世が崩御し、ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世が第8代ヘッセン・カッセル方伯となる。 | |
1,760 | 2 | 6 | ヤコブ・フランクがワルシャワで異端の罪で逮捕される。教会の法廷に引き渡され有罪判決を受け、チェンストホヴァ(現在のポーランドのシロンスク県)の修道院に収監された。 | |
1,761 | ポルトガル王国でイエズス会が非合法化される。 | |||
1,761 | ダニエル・イツィッヒがベルリンの貧しいユダヤ人少年の為の学校を計画し始める。 | |||
1,761 | 9 | ガブリエル・マラグリーダが異端審問所にて有罪となり、火炙りの刑に処される。 | ||
1,761 | 9 | 8 |
以下2名が、セント・ジェームズ宮殿(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)にて結婚式を挙げる。 ①第3代ハノーヴァー家イギリス国王ジョージ3世 ②ロスチャイルド家の影響下にあったメクレンブルク・シュトレーリッツ公国の君主アドルフ・フリードリヒ4世の妹のシャーロット・オブ・メクレンバーグ・ストレリッツ 此の結婚は周囲が決めたもので、ジョージ3世とシャーロットは此の日が初対面であった。 |
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1,763 | ピエール・サミュエル・デュポンが、第4代ブルボン朝皇帝ルイ15世の妾ポンパドゥール夫人の侍医で、経済及び農業改革に専念する宮廷の自由主義者で構成される「エコノミスト派」のリーダーであるフランソワ・ケネーの保護下に入る。 | |||
1,764 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、アムシェル・モーゼス・ロスチャイルドの事業を引き継ぎ、フランクフルトにて「ドイツ・ロスチャイルド商会」を設立し、古銭の販売業を開業する。入口のドアに赤い盾の絵が描かれた看板を掲げ、家名をバウアーから改名した。ヴィルヘルム9世に仕え、ハーナウ宮殿(現在のドイツのヘッセン州)に詰めていた将軍エメリッヒ・オットー・アウグスト・フォン・エストールフを顧客に得、エストールフの紹介で宮殿内の高官が次々と顧客となり、軈てヴィルヘルム9世からも注文を受ける様になった。此れを切っ掛けにメイヤーは成功の道を歩み始める。又、当時のフランクフルトがイギリスの植民地産品や工業製品を集める一大集散地となっていた事も追い風となった。 | |||
1,764 | 第4代ブルボン朝フランス国王ルイ15世が、エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール公爵と自身の愛人ジャンヌ・アントワネット・ポワソンの助言により「イエズス会士追放令」を発する。 | |||
1,764 |
カール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵がフリーメイソン組織である「厳しい戒律の儀礼」を設立する。メンバーに以下がいた。 ①アドルフ・クニッゲ ②ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデ |
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1,764 |
ヴィルヘルム9世が、以下2名を親に持つヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマークと結婚する。 ①デンマーク・ノルウェー王フレゼリク5世 ②第2代ハノーヴァー朝イギリス王ジョージ2世の娘ルイーズ・オブ・グレート・ブリテン |
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1,764 | ストリクト・オブザーバンツが、他の高位階制フリーメイソン会派打倒を意図したフリーメイソン会議を開く。 | |||
1,764 | 4 | 5 | イギリス議会が砂糖法を制定する。カリブ海の密輸貿易を阻止し、税収を上げる狙いがあった。 | |
1,764 | 9 | 1 |
ヴィルヘルム9世が、以下2名を親に持つヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマークと結婚する。 ①デンマーク・ノルウェー王フレゼリク5世 ②第2代ハノーヴァー朝イギリス王ジョージ2世の娘ルイーズ・オブ・グレート・ブリテン |
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1,765 | ジェームズ・ワットがニューコメンの発明した蒸気機関の改良に成功。 | |||
1,765 | ピエール・サミュエル・デュポンが「農業・商業・財政ジャーナル」の編集者となる。西暦1,767年迄務めた。 | |||
1,765 | 3 | 22 | イギリス議会が印紙法を制定する。証書、証券類、酒類販売許可証、パンフレット、新聞、広告、暦、カルタ等に最高10ポンドの印紙を貼る事、大学の卒業証書にも2ポンドの課税を行う事を定めた。特定の業種・階層の人々だけでなく、あらゆる社会階層に影響を与え、言論・出版の自由を制限する事になる為、反対運動が急速に広がった。 | |
1,766 | 10 | 11 | アドルフ・クニッゲの父フィリップ・カール・エルンスト・フォン・クニッゲ男爵が、多額の負債を遺し、ハノーファーに所在するノイシュテッター・ホーフ・ウント・シュタット教会ザンクト・ヨハニスにて死去する。此れにより、アドルフは領地を債権者に差し押さえられた。アドルフは生活の為に、宮廷の官吏として働いた。そして、お金を払わずして昇進しようと、秘密漏洩文書や、高位階メンバーからの情報を通じて、内なる結社に昇進した者だけが参与出来る「聖堂騎士団」に関する知識を得た。しかし昇進を拒絶された。本来、内なる結社には、上司に対する絶対服従と、エルサレム聖堂高位結社の起源と目的に関する「沈黙の誓い」という情報に関する拘束が存在していたが、アドルフが内なる結社に関する情報を得られた様に、形骸化していたのが実態であった。 | |
1,767 | 第5代スペイン・ブルボン朝スペイン王カルロス3世(スペイン王)が植民地を含む全領土に対し「イエズス会士追放令」を発布する。 | |||
1,767 | 2 | 9 | ジョージ3世の弟ヘンリー・フレデリックが、イギリスのロンドンのセント・ジェームズ・ストリートのサッチド・ハウス・タバーンに所在する、フリーメイソンの臨時ロッジに入会する。 | |
1,767 | 4 | ヘンリー・フレデリックが、ニューホーンロッジのマスターに就任する。 | ||
1,767 | 12 | 1 | シチリア・ブルボン朝が以下2ヶ国からのイエズス会の追放を行い、図書館を含む全ての所有物を没収する。 | |
1,768 | ピエール・サミュエル・デュポンが、重農主義に関する著書「重農主義、又は人類にとって最も有益な政府の自然憲法」を出版し、低関税と国家間の自由貿易を主張する。此の本はアダム・スミスに強い影響を与えた。 | |||
1,768 | 経済誌「市民日誌、国民精神時評」を創刊し、編集者を務めるニコラ・ボードーの後任として、ピエール・サミュエル・デュポンが編集者となる。 | |||
1,768 | 5 | 15 | ヴェルサイユ条約により、ジェノヴァ共和国がコルシカ島をフランス王国に売却する。 | |
1,769 | ニコラ・ジョセフ・キュニョーにより、蒸気自動車が発明される。 | |||
1,769 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがヴィルヘルム9世に気に入られ、ハーナウ宮殿の御用商人となる。 | |||
1,769 | ピエール・サミュエル・デュポンが「市民の日記」の編集者となる。 | |||
≈ | 1,769 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、ジェイコブ・ウルフ・オッペンハイマーの経営する銀行を退職する。ロスチャイルドは大きな成功を収め、ジュニア・パートナーになっていた。 | ||
1,769 | アドルフ・クニッゲが、ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンに入学する。クニッゲは、フリードリヒ・シラー大学イェーナ(現在のドイツのテューリンゲン州)で設立された学生結社「コンコルディアの固き絆」に加入した。コンコルディアの固き絆はキャンパス外にも支部を有し、単なる学生の団体とは異なる性格を持っていた。 | |||
1,770 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、タルムードの教えに基づいた秘密結社「イルミナティ」の設立計画を立案する。そして、表向きはカトリックであったアダム・ヴァイスハウプトにイルミナティの設立と発展を託した。 | |||
1,770 | クレメンス14世がブルボン家と和解する為に勅書「イン・コエナ・ドミニ」を廃止する。 | |||
1,770 | 4 | 12 |
ブルボン家と和解する為にクレメンス14世が廃止していた勅書「イン・コエナ・ドミニ」がこの日から読まれなくなる。その後ブルボン家の要求に譲歩し、ポルトガルのローマ教皇庁を再開させた。しかし以下の国の王は、イエズス会の廃止を主張し続けた。 ①ブルボン朝 ②スペイン ③ナポリ王国 |
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1,770 | 5 | 16 | プロテスタントであるヘッセンに対抗し、カトリックの勢いを取り戻すべく、ブルボン家のルイ16世と第10代ハプスブルク帝国当主マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットが婚姻関係を結ぶ。 | |
1,770 | 8 | 29 |
メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、ザクセン・マイニンゲン公国の貨幣商・法廷係官ソロモン・バルーク・シュナッパーを父に持つグートレ・シュナッパーと結婚する。店の2階で暮らし、1階では以下の商品を売買した。 ①古銭 ②絵画 ③家具 |
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1,771 | ルイ・フィリップ2世がフランス・フリーメイソンのグランドマスターとなる。 | |||
1,771 | シャルル・ピエール・ポール・サヴァレット・ド・ランジュ侯爵が、フランスにてフリーメイソンロッジ「レザミ・レユニ」を設立する。 | |||
1,771 | ゴットホルト・エフライム・レッシングがフリーメイソンに加入する。 | |||
1,771 | ダニエル・イツィッヒの娘婿のデイヴィッド・フリードランダーがベルリンに定住し始める。 | |||
1,771 | 第24代ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯カール1世の長男カール・ヴィルヘルム・フェルディナントが、エルサレム聖堂高位結社に加入する。 | |||
1,772 | ハイム・サロモンが第1次ポーランド分割の影響で、ポーランドからアメリカへ渡り、フィラデルフィアで仲買業を開業する。此の際メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがサロモンにアメリカ独立戦争の為の軍資金として3,000,000ドルを預けた。此の軍資金はアメリカの政治家の買収にも使われた。 | |||
1,772 | ハイム・サロモンがジョージ・ワシントンに会い、ワシントンの寄せ集め軍隊であった独立軍が、制服も無く、軍備も底をつき、多くが靴を履いていないのを目の当たりにし、イギリスに対して降伏する用意が出来ていた事を悟る。 | |||
1,772 | ウォーレン・ヘースティングズがベンガル(現在のインド・バングラディシュ)知事に就任する。 | |||
1,772 | アドルフ・クニッゲが、カッセル(現在のドイツのヘッセン州)にて、ストリクト・オブザーバンツに所属するロッジに加入する。以降クニッゲはカッセルに居住したが、5年間エルサレム聖堂高位結社の徒弟と地位から抜け出せなかった。 | |||
1,772 |
ストリクト・オブザーバンツがコーロにて、他の高位階制フリーメイソン会派打倒を意図したフリーメイソン会議を開く。カール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵の後任として、カール・ヴィルヘルム・フェルディナントが、エルサレム聖堂高位結社第7教区の最高指導者に就任し、ストリクト・オブザーバンツの事実上の最高指導者となった。又、ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の参男カール・フォン・ヘッセン・カッセルが、エルサレム聖堂高位結社に加入した。前年のカール・ヴィルヘルム・フェルディナントに続いて高位の人間が加入した事で、其の後も以下に人間が次々に加入し、ストリクト・オブザーバンツの名声は高まっていった。 ①フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 ②バイエルン王マクシミリアン1世 ③カール14世ヨハン しかし、カール14世ヨハンが加入した事で、エルサレム聖堂高位結社に華美と称号を求める風潮が蔓延り、経済的に裕福でない内なる結社のメンバーが降格した。 |
|||
1,772 | 8 | 収監されていたヤコブ・フランクが、チェンストホヴァを占領していたロシア帝国の将軍アレクサンドル・ベンケンドルフによって解放される。以降ブルノ(現在のチェコの南モラヴィア州)にて、ポーランドから来た信奉者や巡礼者の従者に囲まれて暮らした。また、ヤコブは武装した軍隊をウィーンの宮廷に配置していた。さらに、後にパーヴェル1世とマリー・アントワネットの兄のヨーゼフ2世がヤコブを訪れた。また、ヤコブの娘のイヴ・フランクがシャブタイ派の中で重要な役割を果たす様になる。ヤコブはイヴを伴い何度もウィーンの宮廷に足を運び王族と親密になった。ヨーゼフ2世の母マリア・テレジアはヤコブをユダヤ人にキリスト教を広める存在と見做し、ヨーゼフ2世はイヴに好意的であった。 | ||
1,773 |
メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、フランクフルトの自身の金細工店に12名の実力者を招いて秘密会議を開く。此の会議でロスチャイルドは、全世界に対する絶対的な支配権を手中に収める為の「25項目の行動計画書」から成っている以下の「世界革命行動計画」に就いて述べた。又、「フランス革命」を仕組み、革命を勝利に導く様指針させた。 ①人間を支配するには暴力とテロリズムに訴えると最善の結果が得られる。権力は力の中に存在している。 ②政治権力を奪取するにはリベラリズムを説くだけで十分である。そうすれば有権者は一つの思想の為に自らの力・権力を手放す事になり、其の放棄された力、特権を搔き集めて手中に収めれば良い。 ③大衆はどの様にして自由を享受すれば良いのかわからない。「自由」という思想を利用すれば階級闘争を生じさせる事も可能である。 ④最終目標に到達する為には、有りと凡ゆる手段を正当化出来る。率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障を来すから、支配者となろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えなければならない。 ⑤我々の権利は力の中にある。私が見出している新たな権利とは、強者の権利によって攻撃する権利であり、既存の秩序、規律の全てを粉砕し、既存の全ての制度を再構築する権利である。 ⑥我々の富の力は、如何なる狡賢さ、力によっても損なわれない様な強さを獲得する時迄、表面化しない様保たれなければならない。戦略計画の基本路線から逸れる事は何世紀にも及ぶ営為を無にする危険がある。 ⑦群集心理を利用して大衆に対する支配権を獲得すべきである。 ⑧酒類・ドラッグ・退廃的道徳・凡ゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用する事で、諸国家の若者の道徳心を低下させなければならない。賄賂もペテンも裏切り行為も、其れが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない。 ⑨そうする事で服従と主権を確保出来るなら、何が何でも躊躇うこと無く財産を奪い取る権利が我々にはある。 ⑩我々は自由・平等・博愛を民衆に教え込んだ最初の民族である。ゴイムは難解さ故に此の言葉の意味と其の相互関係の対立に気付く事さえ無い。ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会を作り上げた。其れは我々の拠り所、即ち富を参加資格とする貴族社会である。 ⑪自ら戦争を誘発しながら、敵対する何方の側にも領土の獲得が生じない平和会議を主導しなければならない。戦争は対立する双方の国家がさらに負債を抱え込み、我々の代理人の手中に落ちる様主導されなければならない。 ⑫財を活用して、我々の要求に素直に従い、ゲームの駒となって、政府を陰で操る事を我々から任じられた人物を選ばなければならない。 ⑬誹謗・中傷・偽の情報を流した事でどの様な波紋が広がろうと、自身は姿を隠した儘、非難される事が無い様にしなければならない。大衆への情報の出口全てを支配すべきである。 ⑭貧困と恐怖によって大衆が支配された時には、常に代理人を表舞台に立たせ、秩序を回復すべき時が来れば、犠牲者は犯罪者や責任能力の無い人々の犠牲になったと解釈される様、事を進めなければならない。計算済みの恐怖支配が実現した時点で、犯罪者や精神異常者を処刑すれば、我々自身を抑圧された人々の救世主として見せ掛けることが出来る。実際の所、我々の関心は正反対で、減らす事、即ちゴイムを殺害する事にある。 ⑮我々の力を行使すれば、失業と飢えが作り出され、大衆に伸し掛かる。そうすれば、確実な資本支配力が生じる。 ⑯フリーメイソンのブルー・ロッジ内部に大東社を組織して破壊活動を実行しながら、博愛主義の名の下で、自らの活動の真の意味を隠す事は可能である。大東社に参入するメンバーは、ゴイムの間に無神論的唯物主義を広める為に利用されなければならない。 ⑰代理人は大衆受けのするスローガンを生み出せる様訓練されなければならない。大衆には惜しみ無く約束しなければならないからである。約束された事と反対の事は、後になれば常に行える。 ⑱恐怖支配は手っ取り早く大衆を服従させる最も安上がりな方法だ。 ⑲全ての戦争の後には、秘密外交が主張されなければならない。秘密外交によって、我々の代理人が関わらない限り、諸国家は些細な個人的取り決めさえも結ぶ事が出来ない様な支配権が確保されなければならない。 ⑳最終目標である世界政府に到達する為には、大規模の独占、莫大な富の蓄積が必要とされるだろう。 ㉑ゴイムからその不動産、産業を奪う為、重税と不当競争を組み合わせてゴイムの経済破綻を引き起こさなければならない。国際舞台に於いてゴイムが商売が出来ない様に仕向ける事は可能である。詰まりは原材料の巧みな支配、短時間労働及び高賃金を求める労働運動の普及、競争者の助成によってそれは実現出来る。 ㉒最終的には、我々の運動に尽くす少数の金持ち、及び我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆が残れば良い。ゴイムに殺し合いをさせる為、大々規模の武器増強が開始されなければならない。 ㉓世界統一政府のメンバーは独裁者によって任命され、科学者・経済学者・財政専門家・企業家・大金持ちの中から選出される。 ㉔代理人はその誤りを我々が承知している理論、原則を教え込む事で、社会の若年層の精神を惑わせて腐敗させる目的で、凡ゆる階級・凡ゆるレベルの社会・政府に潜入しなければならない。 ㉕国家法及び国際法を利用しつつ、ゴイムの文明を破壊しなければならない。我々に対してゴイムが武装蜂起する前に、恐怖の組織を諸国家の各都市に組織する。 |
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1,773 | 6 | 12 | アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの長男アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドが、フランクフルトのゲットーにて生誕する。 | |
1,773 | 6 | 24 |
以下の者がフランスの秘密結社「グラントリアン(大東社)」をイギリスのフリーメイソン組織から独立させて設立する。 ①シャルル・ピエール・ポール・サヴァレット・ド・ランジュ侯爵 ②ギロチンの発案者で医師のジョゼフ・ギヨタン ③ジョルジュ・ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン伯爵 |
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1,773 | 7 | 21 | クレメンス14世が、イエズス会を解散させる。しかし、元イエズス会士達は水面下で活動を続けた。 | |
≈ | 1,773 | 8 | アダム・ヴァイスハウプトが、ドイツ語圏で唯一のカトリック総合大学であるインゴルシュタット大学(現在のドイツのバイエルン州ミュンヘン)の、カトリック教会に関する法と教会が定めた法を包括した概念である「カノン法」の教授となる。90年間略全ての講座がイエズス会士によって独占されていたインゴルシュタット大学で、ヴァイスハウプトが非神学者として初の教授となったのは、インゴルシュタット大学学長、且つバイエルンに於ける啓蒙思想の主要な支持者の1人で、第5代バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの下で啓蒙主義的改革に着手していたヨハン・アダム・フライヘル・フォン・イックシュタットの推薦によるものであった。此れはイックシュタットが元イエズス会士に対抗する事を意味していた。 | |
1,773 | 10 | 20 | ベンガル知事がイギリス領インド総督に昇格し、ウォーレン・ヘースティングズが初代イギリス領インド総督に就任する。ヘースティングズはアヘンを専売制とし、生産と輸出を管理した。インドではアヘンを商品作物として生産し、インド農民には渡らない様にし、イギリスでも医薬原料以外でのアヘンの輸入が規制された。そしてイギリス東インド会社にベンガル産アヘンのインドでの専売権を与えた。その後最初のベンガル産アヘン70tが清に運び込まれ、本格的なイギリスによるアヘンの清への輸出が始まった。 | |
1,773 | 12 | 16 | マサチューセッツ植民地(現在のアメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨したアメリカ人の急進派が、港湾に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である茶箱を海に投棄する。 | |
1,774 | 7 | ピエール・サミュエル・デュポンが、第15代ポーランド・リトアニア共和国国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキに、同国の教育制度の組織化に協力する名目で招かれ、秘書となる。又、国民教育委員会のメンバーに任命され、数ヶ月間活動した。此れがフランス政府に引き入れられる切っ掛けとなった。 | ||
1,774 | 9 | 9 | アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの弐男ソロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドが、フランクフルトのゲットーにて生誕する。 | |
1,774 | 11 | 22 | イギリス領インドの基礎を築いたロバート・クライヴがアヘン中毒により自殺する。 | |
1,775 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが古銭業を通じ、ヴィルヘルム9世と親しくなる。ヴィルヘルム9世は、戦争の際傭兵を貸し出す事業で、15,000〜17,000名/年の兵士を送り出したり、自身の閨閥を活かして、オーストリア皇帝を始めとする、王・貴族・軍人・官史・各種産業に貸し付け、莫大な利益を得ていた。 | |||
1,775 | 清のインド産アヘンの年間輸入量が75tであった。 | |||
1,775 | アブラアム・ルイ・ブレゲがパリのシテ島ロルロージュ河岸に後の「ブレゲ」となる時計工房を開店する。 | |||
1,775 | アダム・ヴァイスハウプトが、ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(現在のドイツのニーダーザクセン州)の哲学教授ヨハン・ゲオルク・ハインリッヒ・フェーダーから経験論哲学を紹介される。フェーダーとヴァイスハウプトは共にイマヌエル・カントの観念論の反対論者となった。ヴァイスハウプトは、フェーダーから実践哲学に就いて講義を行う様委託を受け、人間研究と実践的思考法を開始した。 | |||
1,775 | アダム・ヴァイスハウプトが「自由と平等を誰もが享受出来る世界の建設」を名目に哲学・政治理論に関して知的な議論を行う私的サークル「完全論者の教団」を結成する。人間は誰もが王になれる素質を潜在的に有しているとし、王政に反発した。 | |||
1,775 | ジャック・ネッケルが著書の中で、ナポリ啓蒙派のフェルディナンド・ガリアーニを批判し、第52代フランス財務総監ジャック・テュルゴーの自由放任政策に疑問を呈す。 | |||
≈ | 1,775 | 1 | ピエール・サミュエル・デュポンがフランス王国政府に招聘され、ルイ16世から商務総監に任命される。又、親友のジャック・テュルゴーの下で私設秘書兼顧問として活動し、西暦1,788年迄務めた。 | |
1,775 | 2 | 21 | マサチューセッツ植民地議会がベンジャミン・チャーチ(医師)とジョセフ・ウォーレンに、アメリカ陸軍に必要な医薬品の目録の作成を指示する。 | |
1,775 | 3 | 7 | マサチューセッツ植民地議会がアメリカ陸軍に必要な医薬品を500ポンドで購入する。 | |
1,775 | 4 | 18 | イギリス軍政府長官トマス・ゲイジがエリート部隊である擲弾兵中隊から200名の正規兵を集め、ボストンからレキシントン(現在のアメリカのケンタッキー州)とコンコード(現在のアメリカのマサチューセッツ州)に進軍する様命じる。 | |
1,775 | 4 | 19 | イギリスの税金の徴収等に対し不満を抱いたアメリカの13植民地が、グレートブリテン王国(イギリス)に対し独立戦争を起こす。 | |
1,775 | 5 | 10 | ベネディクト・アーノルドとイーサン・アレンは、ニューヨーク植民地の、シャンプレーン湖(現在のアメリカのバーモント州、ニューヨーク州及びカナダのケベック州)に面したタイコンデロガ砦(現在のアメリカのニューヨーク州)に兵を率いて遠征する。そこでアーノルドとアレンはイギリス軍がケベックに600名程の正規兵しか配備しておらず、防御が手薄である事を知る。 | |
1,775 | 5 | 10 | 第2回大陸会議が開始される。程無くしてベネディクト・アーノルドとイーサン・アレンがイギリス軍の防御が手薄なケベックの奪取を主張する。また、イギリス軍がシャンプレーン湖を南下しハドソンバレーを攻撃する場合、ケベックを拠点にする筈であると指摘した。 | |
1,775 | 6 | 11 | ストリクト・オブザーバンツがブラウンシュヴァイク(現在のドイツのニーダーザクセン州)にて、他の高位階制フリーメイソン会派打倒を意図したフリーメイソン会議を開く。此の会議で、ストリクト・オブザーバンツは新たに22名の領主を受け入れた。カール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵は、知られざる上位者に就いて尋ねられた際、聖堂騎士団とストリクト・オブザーバンツの連続性を証明する様迫られ、フント男爵は涙ながらに、此れは私の誓いと良心に反する、と訴えた。 | |
1,775 | 6 | 22 | 第2回大陸会議が戦費調達の為、2,000,000ドルの木版刷の債務証書を発行する。スペインドルで償還する事になっていた。 | |
1,775 | 7 | ベネディクト・アーノルドとイーサン・アレンが、ケベックがアメリカ攻撃の拠点となる懸念を抱き、シャンプレーン湖経由でのケベック侵攻計画を立て、将軍フィリップ・スカイラーにその役割を割り当てる。 | ||
1,775 | 9 | 大陸軍大佐ベネディクト・アーノルドが1,100名の兵を率い、マサチューセッツのケンブリッジを出発し、現在のメイン州の荒野を横切ってイギリス領ケベック(現在のカナダ)へ向かう。大陸軍准将リチャード・モントゴメリーによる、シャンプレーン湖からのイギリス領ケベックへの侵攻との両面作戦であった。 | ||
1,775 | 9 | 18 |
第2次大陸会議にて以下を目的として「機密委員会」が設立される。職員は後に設立される通信委員会と協同で海外から雇った。 ①軍需物資を隠密裏に獲得し配給する。 ②第2次大陸会議が雇った私掠船に火薬を売る。 ③公式の認可無しに第2次大陸会議の特定メンバーが交渉した武器や火薬の秘密契約を、統一基準で取り扱い管理する。 ④商取引の機密を守り、信用を維持する為に証拠隠滅する。 ⑤王党派の秘密の弾薬店に関する情報を集め、差し押さえる様手配する。 ⑥イギリス軍への物資の補給を差し押さえる為の南部植民地への派遣。 ⑦仲買業者を通じて、イギリス海軍から船を守る為に外国の旗を使う等して、軍需品店から購入する際に買い手が第2次大陸会議である事を伏せておく様手配する。 主に以下のメンバーが委員に指名された。 ①ベンジャミン・フランクリン ②ロバート・モリス ③ロバート・リビングストン ④ジョン・ディッキンソン ⑤トマス・ウィリング ⑥トマス・マッキーン ⑦ジョン・ラングドン ⑧サミュエル・ウォード |
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1,775 | 11 | 7 | アメリカ軍法にスパイ行為の最高刑が死刑と加えられる。しかし遡及的には適用されなかった為、アメリカ陸軍医務総監ベンジャミン・チャーチ(医師)は刑の執行を免れた。 | |
1,775 | 11 | 9 |
第2次大陸会議にて以下の機密保持宣誓が採択される。従来の機密保持宣誓を厳格化した。 ①第2次大陸会議のメンバーは、この国に対する美徳と栄誉と愛の絆により、直接若しくは間接的に、会議の場で議論された事項をそれらが決定される前に、第2次大陸会議の許可なしに洩らさない事。 ②会議の場で決議された事項であり、過半数が機密事項として取り扱う事を決めた事項について、第2次大陸会議の許可なしに洩らさない事。 ③①や②に反する者があれば、第2次大陸会議から除名し、アメリカの自由に対する敵と見做し、またそのように扱う。 ④第2次大陸会議のメンバーはこの署名によってこの条項に同意した意思を表すものとする。 |
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1,775 | 11 | 10 | 第2次大陸会議の決議により「大陸海兵隊」が結成される。本拠地はフィラデルフィアのタン酒場であった。 | |
1,775 | 11 | 20 |
第2次大陸会議が以下の人間を招集し、委員会を開きコーク(アイルランドのマンスター地方)から押収した手紙の中から公開すべき箇所を選択させた。後にその箇所を1,000枚印刷し、配布した。 ①ジョン・アダムズ ②ベンジャミン・フランクリン ③トーマス・ジョンソン ④ロバート・リビングストン ⑤エドワード・ラトリッジ ⑥ジェイムズ・ウィルソン ⑦ジョージ・ワイス |
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1,775 | 11 | 29 |
第2次大陸会議にて外国の情報収集や協力を得る事を意図し「通信委員会」が設立される。程無くして「機密通信委員会」に改称される。以下の内容が決議された。 ①イギリス及び世界の他の地域にいる我らの友人と通信する事を唯一の目的として5名の委員を指名し、指示がある時は第2次大陸会議にその通信文書を提出する。 ②第2次大陸会議はこの通信を行う為の全ての費用、及び委員会が通信を行う為に通信員を派遣する費用を負担する。 また、初期の委員会メンバーは以下であった。 ①ベンジャミン・フランクリン ②ベンジャミン・ハリソン ③トマス・ジョンソン ④ジェイムズ・ラベル(後に指名) ジェイムズ・ラベルはバンカーヒルの戦いの後でスパイ容疑でイギリス軍に逮捕された教師であり、大陸軍のイギリス兵捕虜との交換で釈放され、第2次大陸会議の代議員にも選ばれた。委員会の中でラベルは符号と暗号のエキスパートとなり、アメリカ暗号解読の父と呼ばれる様になった。 |
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1,775 | 12 | 機密通信委員会がフラマン商人(現在のベルギー、フランス北東部)を装ったフランスの情報機関員とフィラデルフィアで秘密会談を行う。 | ||
≈ | 1,775 | 12 | 20 | 第2次大陸会議がコークから再度手紙を押収した件について、委員会を招集し、検分する様命じる。また、「押収文書の内容と第2次大陸会議がその中の情報に関連して採る処置は、次の命令があるまで機密とする事」と決議した。 |
1,776 | 平賀源内が長崎で入手したエレキテル(静電気発生機)を修理して復元する。 | |||
1,776 | ラファイエット侯爵とベンジャミン・フランクリンがアメリカに渡る。 | |||
1,776 | 第2次大陸会議が各植民地の安全に関する委員会及びその指名する者のみが、今後手紙を開封し或いはポストから手紙を押収できる事とする決議を行う。 | |||
≈ | 1,776 | ヴィルヘルム9世の側室ローザ・ドロテア・リッターの子供の作文と音楽の教師として雇われていたカール・ビュデルスが、ヴィルヘルム9世からハーナウ宮殿の財務官に任命される。其の後、両替商を営んでいたメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、ビュデルスから気に入られ、ヴィルヘルム9世がイギリス政府から受け取る傭兵代金を割り引く業務を回して貰い、利益を得た。其の利益からハイム・サロモンへの資金提供を行い、第2次大陸会議やアメリカの政治家を買収した。又、ヴィルヘルム9世の父ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世にも食い込み、一族の秘密も把握して商売に利用した。 | ||
1,776 | 1 | 15 |
ジョージ3世が、ヴィルヘルム9世と以下の傭兵条約をカッセルにて結ぶ。メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは徴収した傭兵使用代金の運用を任せられた。 ①ジョージ3世の為の軍務に就く事になる12,000名のヘッセン兵部隊は、グレナディエ四個大隊(各四個中隊より構成)、歩兵十五個大隊(各五個中隊と追撃兵二個中隊より構成)から成り、其の全体には将及び其の他の必要な士官が付けられ、テント等の装具も完全に装備された状態である。 ②西暦1,776年2月14日にグレナディエ三個大隊、歩兵六個大隊(追撃兵一個中隊を含む)が、ジョージ3世の兵站将校の閲兵を受けられる状態にする。又、西暦1,776年2月15日に出港地に向けて移動を開始する。残りの兵も可能であるなら、4週間以内に準備を整え同様に出発する。又、ジョージ3世が望むなら、2門の野砲を士官、砲兵、其の他の人員,其れに付随する補給部隊と共に付与されるものとする。 ③ジョージ3世はヴィルヘルム9世に対し30クラウン/兵を支払う。180,000クラウンの支払期限を西暦1,776年2月10日とし、残額は第2陣が移動を開始する際に支払う。 ④今回の条約ではジョージ3世が軍勢を必要以上に長い期間契約しない事を望んでいる為、12,000名のヘッセン兵部隊に対し、450,000クラウンとする。契約終了に関しては1年前に通知し、兵がヘッセンに到着する前には為されないものとする。ジョージ3世は兵に対し、給与、其の他報酬に関し、ヘッセン国境を通過した月の最後迄継続するものとする。ジョージ3世は4年が経過し其の時点迄に送還されていない場合、兵を召喚する自由を留保する、若しくは其の期間満了後にジョージ3世との間でもう一期合意しても良い。 |
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1,776 | 5 | 1 |
夜、インゴルシュタット近くの森で、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの指示及び資金提供により、松明の明かりの中、アダム・ヴァイスハウプトが、インゴルシュタット大学の学生4名と共にイルミナティを刷新し、完全論者の教団を「バイエルン啓明結社」に改称する。更に、以下の3つの位階を持つフリーメイソン組織に改組した。 ①啓蒙されたミネルヴァル ②ミネルヴァル ③見習い ミネルヴァルは、ローマ神話の知恵の女神ミネルヴァに因んでおり、社会や国家をどの様に再形成出来るかに就いての真の知識、即ち啓蒙を広めるというイルミナティの目標を反映していた。以下2名を含む初期メンバーは、支配評議会「アレオパゴス」を設立した。 ①アドルフ・クニッゲ ②バロン・アドルフ・カネガ ヴァイスハウプトは、人間学に立脚した、啓蒙主義を推進する少数のエリートメンバーを養成しようと計画していた。しかし此の計画は、政治的な意図を含んでいる為、昇進するに連れて段階的にバイエルン啓明結社の秘密を明かす事を意図し、上記の位階制を採用した。そして、規則を定め、入会候補者は全てのメンバーの同意・確固たる評判・強固な家族的且つ社会的繋がり・富が必要であるとした。イルミナティの目的は、政治的・ 経済的・社会的・宗教的手段を通じて、ゴイムを分断する事にあった。又、此の日ヴァイスハウプトは著書「ノヴス・オルド・セクロールム」を出版し、以下の行動綱領を掲げた。 ①全ての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立 ②私有財産と遺産相続の撤廃 ③愛国心と民族意識の根絶 ④家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現 ⑤全ての宗教の撤廃 ヴァイスハウプトは人間学を、内面に巣食う偏見を認識し、封じ込める事によって人間を完成へと導く為の手段であるとし、且つメンバーの動向を管理して秘密の漏洩を防ぎ、意の儘に操る為の手段と位置付け、バイエルン啓明結社の理論的・精神的支柱となった。更にヴァイスハウプトは、1人1人が他者のスパイにならなければならないとし、メンバーは毎月、自分の部下に就いての観察記録や、主に以下の項目等の調査票の提出、半生記の執筆を課した。 ①性格 ②出自 ③経済状況 ④友人関係 ⑤愛読書 ヴァイスハウプトは此れ等の資料を活用し、組織の統制に努めた。同月中に、ヴァイスハウプトの下で学んで、インゴルシュタット大学の法学博士号を取得したフランツ・クサーヴァー・フォン・ツヴァックがバイエルン啓明結社に加入し、ヴァイスハウプトの右腕となった。ツヴァックの加入後、バイエルン王国の宮廷官僚が次々に加入し、初期メンバーであるインゴルシュタット大学の学生を数で上回ると、ツヴァックとミュンヘンのアレオパゴスメンバーの間で齟齬が生じ始めた。アレオパゴスメンバーは、此の対立は、ヴァイスハウプトの専制的指導と、批判的性格に起因していると捉え、クニッゲに対し「ヴァイスハウプトは、自身を全人類中で1番の人間、第2のメシアと思い込んでいて、自身に阿る者の言う事しか取り合わない」として不満を漏らしていた。 |
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1,776 |
アダム・ヴァイスハウプトが、イルミナティの教義をフリーメイソン騎士団に持ち込み、グランドロッジを設立し、秘密本部とする。更にヴァイスハウプトは、以下の分野に長けた2,000名の有給のイルミナティの信奉者を募集した。 ①芸術 ②文学 ③教育 ④科学 ⑤金融 ⑥産業 信奉者達は、以下の内容に従う様指示された。 ①政府転覆 全ての政府及び其の他の分野於ける高い地位の男達の支配権を得る為に、金銭及びセックスによる贈収賄を利用する。一旦有力者がイルミナティの嘘・欺瞞・誘惑に陥ると、脅迫・経済的破壊・公衆の面前での暴露、更には自身や家族の死を脅す事により、彼等は束縛される事になる。 ②教育の破壊 ❶イルミナティに選ばれた、裕福な家庭に属する並外れた精神力を持つ大学の学部生に奨学金を与え、繰り返される戦争に終止符を打つ事が出来るのは1つの世界政府だけだという考え方を刷り込み、倫理・政策・措置・宗教・政府・銀行を破壊する様訓練を受けさせる。 ❷イルミナティの支配下に入る様仕向けられた全ての影響力の有る人々と、特別な教育を受けた学生達は、エージェントとして利用され、専門家やスペシャリストとして全ての政府の裏側に配置される事となる。此れは長期的に、イルミナティのワンワールド計画に奉仕し、彼等が任命された政府や宗教の破壊を齎す様な政策を採用する様トップの人間に助言する為である。 ③報道の破壊 大衆に情報を配信する唯一のメディアである報道機関を支配し、全てのニュースを、ワンワールド政府が多種多様な問題に対する唯一の解決策であると大衆に信じ込ませる様に偏向する。 |
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1,776 | 5 | 29 |
第2次大陸会議が、軍の指揮官に課した質問状に対する答えとして用意された最初の情報評価書を受け取る。報告書の内容は主に以下であった。 ①ニューヨークで対戦する敵軍の規模及び必要とする兵士数。 ②ニューイングランド植民地(ニューハンプシャー・マサチューセッツ・ロードアイランド・コネチカット)を守る為に必要な軍隊の種類。 |
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1,776 | 6 | 5 |
第2次大陸会議にて以下の人間に対し、敵に情報を渡す者、若しくは敵に物資を供給する者を取り扱う為の手段を考案する事が指示される。ベンジャミン・チャーチ(医師)がイギリス軍のスパイとして捕らえられ収監されていたが、市民のスパイ行為に関する法が無かった事が背景としてあった。ジョージ・ワシントンは現行法では抑止力のある刑罰が与えられないと考えていた。 ①ジョン・アダムズ ②アダム・ヴァイスハウプトに感化されたトーマス・ジェファーソン ③エドワード・ラトリッジ ④ジェームズ・ウィルソン ⑤ロバート・リビングストン |
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1,776 | 6 | 12 | 第2次大陸会議が新政府に雇用した者に対する最初の機密保持協定を採択する。雇員に課せられた宣誓は以下の通りである。 私は、植民地連合の戦争と兵站の局に雇われた者としてここで得たいかなる知識をも直接あるいは間接的に洩らさない事を、厳かに誓います。 | |
1,776 | 7 | 4 |
フリーメイソン会員且つイルミナティの以下3名によって起草されたアメリカの13植民地の独立宣言が、第2次大陸会議によってフィラデルフィアで採択される。 ①トーマス・ジェファーソン ②ベンジャミン・フランクリン ③ジョン・アダムズ |
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1,776 | 8 | 21 | 第2次大陸会議にてスパイ委員会のレポートが検討され、最初のスパイ法が成立する。 | |
1,776 | 9 | ハイム・サロモンがニューヨークにてイギリスの将軍ジェームズ・ロバートソンにスパイ容疑で逮捕され、ニューヨークの軍事刑務所であるプロボスト刑務所に送られ、18ヶ月間イギリスの監獄船で過ごす事となる。従来であればサロモンは死刑であったが、イギリス当局は恩赦する事とした。その代わり、サロモンはドイツ語が堪能であったので、ヘッセン軍司令官で将軍のレオポルド・フィリップ・フォン・ハイスターが、イギリスの将校がヘッセン兵とコミュニケーションを取る為の通訳や装備・食料供給者としてサロモンを釈放した。サロモンは通訳の際、500名のヘッセン兵にイギリス軍への支持を止める様説得した。さらにイギリスの刑務所にいるアメリカ軍捕虜の脱出の手助けに多くの時間を費やした。 | ||
1,776 | 9 | 8 | 大尉ネイサン・ヘイルが、ニューヨークを支配下に置いているイギリス軍前線の背後に回り、動向を報告する任務を志願する。 | |
1,776 | 9 | 22 | ネイサン・ヘイルがイギリス軍に絞首刑に処せられる。 | |
1,776 | 10 | 22 | モルパ(現在のフランスのイブリーヌ県)の推薦により、ジャック・ネッケルがフランス王室のトレゾール総監に任命される。 | |
1,777 | カリオストロがイルミナティに加入する。 | |||
1,777 | アダム・ヴァイスハウプトがフリーメイソンロッジの「テオドール・ツム・グーテン・ラート」に加入する。 | |||
1,777 | アドルフ・クニッゲが、ハーナウ(現在のドイツのヘッセン州ダルムシュタット県マイン・キンツィヒ郡)に引っ越す。 | |||
1,777 | 4 | 17 | 機密通信委員会が「外務委員会」と改称する。しかし情報機能はそのままであった。外交的な事項は別の委員会または第2次大陸会議が扱った。 | |
1,777 | 6 | 13 | ジョージ・ワシントンが第2次大陸会議議長ジョン・ハンコックに対し、アメリカ人スパイであるアブラハム・パッテンが絞首刑となった事について「ニューヨークの新聞でアブラハム・パッテンの処刑についてお知りになるでしょう。彼の家族は寛容なる第2次大陸会議の通告に値します。パッテンは我々の為に強い忠誠心で任務に臨み、その過程で犠牲となりました」という主旨の書簡を書く。 | |
1,777 | 6 | 29 |
ルイ16世がジャック・ネッケルを第55代フランス財務長官に任命する。アダム・ヴァイスハウプトが、財政赤字で苦しむルイ16世に対し財政の専門家としてネッケルを売り込む事で実現した。又、ネッケルの職務は事実上の財務総監であったが、プロテスタントであった為名目上は在任中一貫して財務長官であった。ネッケルは給与を拒否したが、最高国務会議には入れなかった。主に以下の政策を実行したり、妻シュザンヌ・ネッケルと共に病院や刑務所を訪問し人気を得た。 ①外国銀行からの借入金の削減 ②500以上の官職の廃止 ③冗費の節約 ④土地税と人頭税の均等分配 ⑤地方三部会を持たない地域での議会の導入及び地方議会での租税の合理的配分や公共土木事業の自主的な計画推進 ⑥付加価値税の廃止 ⑦質入れする品物の価値を基準に融資金額を決定し、品物を担保にお金を貸すフランス政府の質屋である「モン・ド・ピエテ」の設置 |
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1,777 | 7 | 6 | ハイム・サロモンがドイツにルーツを持つアメリカ植民地時代の名家フランクス家のユダヤ人仕立屋の娘であるレイチェル・フランクスと結婚する。結婚式はニューヨークのシナゴーグ「シアリス・イスラエル」で行われ、司会はアブラハム・I・アブラハムズが務めた。 | |
1,777 | 12 | ハイム・サロモンがニューヨークの新聞に自身の広告の掲載を始める。初期の広告では、サロモンの事業が船舶への食料供給である事が告知されていた。 | ||
1,778 |
ダニエル・イツィッヒが義理の息子のデイヴィッド・フリードランダーと共にベルリンの貧しいユダヤ人少年の為の無償の学校を設立する。この学校と隣接する印刷所は、後にユダヤ教内部における近代ヨーロッパ文化の影響とそれに対する啓蒙活動である「ハスカーラー」の主要施設の一つとなった。またモーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群であるタルムードの教育施設であるイェシーバーを設立する為の資金提供を行い、以下2名をベルリンに呼び寄せ教育を施した。ダニエルの息子でフリードランダーの義兄イサク・ダニエル・イツィッヒと共に学校運営を行った。フリードレンダーは教科書も執筆し、世界で初めてヘブライ語の祈祷書をドイツ語に翻訳した。 ①ラビ・ヒルシェル・レヴィン ②ラビ・ヨセフ・ベン・メイル・テオミム |
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1,778 | シュザンヌ・ネッケルがジャック・ネッケルが進める病院環境の改善や、入院している家族の見舞いをし易くする為の病院改革の一環として、空き修道院を利用した120名を収容出来るホスピスを行う、衛生や換気を重視した「シャリテ病院」を設立する。12名の修道女を雇い、パリのサン・シュルピス通りやグロ・カイユから患者を受け入れた。患者に対し洗礼証明書と告解書の提出を義務付け、カトリックである事を証明させた。此の病院モデルは、シュザンヌに因んで命名されたプロテスタントの為のモンペリエ(現在のフランスのエロー県)の小さな6床の病院を含む、其の他の病院の開発に採用された。 | |||
1,778 | 2 | ルイ16世がアメリカと同盟を結び、アメリカ独立戦争参戦を宣言する。ルイ16世は戦費を地方債で賄い、増税は行わなかった。此れは大半の国民に好評であった。 | ||
1,778 | 2 | 27 | スパイ法に軍の規則と軍法の目的に記されるべき法が追加される。また、スパイ法の適用範囲を「敵が独立革命の兵士を捕獲または殺害する事を幇助する情報活動を行ったアメリカ住人」にまで拡大した。 | |
1,778 | 4 | ジャック・ネッケルが、自身の財産から2,400,000リーブルをフランス国庫に送金する。 | ||
1,778 | 4 | 7 | アメリカ駐フランス大使であったベンジャミン・フランクリンが、ヴォルテールをフリーメイソンリーに入会させる。 | |
1,778 | 6 | ジョージ・ワシントンがヘンリー・リー3世に対し、防衛兵士の人数と防御工事の進捗状況に関する情報を集める事を意図し、イギリス軍が占領しているストーニーポイント(現在のアメリカのニューヨーク州ロックランド郡)の砦にスパイを送り込む様指示する。大尉アラン・マックレーンが任命された。 | ||
≈ | 1,778 | 7 | アラン・マックレーンが2週間のストーニーポイントでのイギリス軍に対する諜報活動から帰還する。田舎者に扮装し、息子に会いに来たスミス夫人の付添人という名目で砦に潜入していた。 | |
1,778 | 7 | 本月から翌月に掛けて、ヴォルフェンビュッテル(現在のドイツのニーダーザクセン州)にて、フリーメイソン会議が開かれる。アドルフ・クニッゲは此処で、カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの知遇を得た。 | ||
≈ | 1,778 | 8 | 9 | ハイム・サロモンがニューヨーク港でイギリス船に火を付け、市内のイギリス軍倉庫を破壊する計画に加担した疑惑に関しスパイ行為でイギリス人に再度逮捕され、死刑判決を受ける。しかし、レイチェル・フランクスや長男エゼキエル・サロモンと共にイギリス占領下のニューヨークから逃亡し、ニュージャージー・ペンシルベニアを経由し2週間掛けてフィラデルフィアに到着する事で死を免れた。これに伴いハイム・サロモンが前年12月から行っていたニューヨークの新聞への自身の広告掲載が終了となる。出稿回数は少なくとも22回に渡る。本年は「ブロードストリート、シティホールの近く、No.245、船の船長等が適正な条件で供給を受けられる」とし、白ワインと酢を販売実績を示したり、船内でのパンと米の販売等の広告を出稿していた。 |
1,778 | 8 | 25 |
ハイム・サロモンがアメリカでの活動やニューヨークでの実業家としての活動を纏めた以下の主旨の記録をフィラデルフィアの第2次大陸会議に提出する。後にこの記録は大陸軍を監督する戦争委員会に送られた。また、サロモンは別途議会に財政援助を要請した。 ①一度目の逮捕の際ハイスターがサロモンの釈放を実現させた。 ②ヘッセン軍への物資の供給や、アメリカ人やフランス人の捕虜の世話をした後、イギリス人に2度投獄され、辛うじて命を取り留めた。 ③5,000〜6,000ポンドの財産を失い、妻と生後1ヶ月の子供をニューヨークに残してきた。 |
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1,778 | 9 | ジャック・ネッケルがルイ16世に対し、アメリカ独立戦争参戦継続による国家財政悪化の懸念から退陣を要求する。しかしルイ16世は拒否した。 | ||
1,778 | 10 | 23 | 第2次大陸会議がシャイラー将軍のスパイのカナダ人ドミニク・レクリスに対し600ドルの負債の肩代わりと当面の間の60ドル/日の支給を決定する。レクリスは見破られ投獄されて、ジョージ・ワシントンが第2次大陸会議に状況を報告していた。 | |
1,778 | 10 | 27 | フィリップ大学マールブルク(現在のドイツのヘッセン州ギーセン県マールブルク・ビーデンコプフ郡)医学部教授で薔薇十字団員のフリードリヒ・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・シュレーダーが死去する。アドルフ・クニッゲはシュレーダーを伝として薔薇十字団への入会を検討していたが、シュレーダーの死により断念した。 | |
1,779 | ラファイエット侯爵がフリーメイソンに加入する。加入儀式はジョージ・ワシントンが執り行った。 | |||
≈ | 1,779 | 7 | アドルフ・クニッゲが、エルサレム聖堂高位結社の内なる結社の騎士に昇進する。前年にカール・ヴィルヘルム・フェルディナントの知遇を得てから、とんとん拍子で昇進していた。クニッゲは、昇進するに連れ、エルサレム聖堂高位結社のブラックボックスとなっている部分に就いて情報を得ていくが、期待していたものとは異なっていた。 | |
1,779 | 8 | 20 |
ジャック・ネッケルが設立した、州都ヴィルフランシュ・ド・ルエルグ(現在のフランスのアヴェロン県)に、第三身分の議員を同数にした「オート・ギュイエンヌ州議会」の初めての議会である予備議会が開催される。メンバーは以下の52名で構成された。 ①聖職者10名(以下の司教はルイ16世が指名) ❶ロデーズ(現在のフランスのアヴェロン県)(議長) ❷カオール(現在のフランスのロット県) ❸モントーバン(現在のフランスのタルヌ・エ・ガロンヌ県) ❹ヴァブル(現在のフランスのガール県) ②貴族16名(5名はルイ16世が指名) ③第三身分の代表者26名(町に住む地主13名・田舎に住む地主13名で構成、7名はルイ16世が指名) ④村に住む王族13名 ⑤キャンプに住む王族13名 初代プレジデントにはジャック・テュルゴーの友人で弟子のジェローム・チャンピオン・ド・シセが就いた。又、ベリー地方(現在のフランスのシェール県、アンドル県、ロワレ県の一部、アンドル・エ・ロワール県の一部、クルーズ県の一部)にも同様の議会を設置した。 |
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1,779 | 9 | 14 | 第1回オート・ギュイエンヌ州議会が開催される。本年10月6日まで行われた。 | |
1,779 | 11 | 15 | 第2次大陸会議特命全権公使に指名されたジョン・アダムズが、フランス海軍のフリゲート艦センシブルで、パリへ向けて出発する。 | |
1,779 | 12 | ジョン・アダムズがスペインに上陸する。その後は陸路でパリへと向かった。 | ||
1,780 | ルイ・フィリップ2世が、ユダヤ人金貸し業者への借金800,000リーブルを返済する為に借金の抵当となっていたパレ・ロワイヤルを商人達に貸し出し、レストラン・商店・カフェを誘致する。 | |||
≈ | 1,780 | イギリス王太子ジョージ4世が独立した邸宅を与えられる。ジョージ4世は若年ながら酒・博打・女に溺れ、隠し子を大量に作り、金を湯水の様に使い、イギリス議会やジョージ3世から毎年莫大な補助金・年金を貰っていたにも拘らず、全く足りなかった。 | ||
1,780 | ストリクト・オブザーバンツの聖堂騎士団伝説と位階に就いて記した著者匿名の「躓きの石」が出版される。此れにより、形骸化していた沈黙の誓いは完全崩壊し、ストリクト・オブザーバンツは打撃を受け、特に聖堂騎士団を始めとする高位の人間に影響を与えた。カール・ヴィルヘルム・フェルディナントは、此のストリクト・オブザーバンツの危機的状況を制度改革によって乗り越えようと、西暦1,781年10月にヴィルヘルムスバート(現在のドイツのヘッセン州ダルムシュタット県マイン・キンツィヒ郡ハーナウ)にてフリーメイソン会議を開催する旨を公示した。しかし延期となった。 | |||
1,780 | 清がアヘン禁令を発する。 | |||
1,780 | シュザンヌ・ネッケルがシャリテ病院の最初の年次報告書の序文で、施設の財政効率を維持しながら患者のケアを向上させる事を明記する。又、此の年のホスピスの死亡率は17%であった。 | |||
1,780 | アレクサンダー・ハミルトンが、連邦準備銀行の設立を提唱する。連邦準備銀行は私企業によって所有され、資本金は12,000,000ドルで、内10,000,000ドルはイギリスから、残り2,000,000ドルはアメリカの資産家から提供されるとした。 | |||
1,780 | 2 | ジョン・アダムズがパリに到着する。 | ||
1,780 | 5 | 4 |
第2次大陸会議マサチューセッツ植民地代表で外務委員会委員のジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズがパリに到着した事を知り、自身が考案した「多表式換字暗号」とキーワード「CR」を伝える書簡を、ジョンと、マサチューセッツ植民地にいたジョンの妻アビゲイル・アダムズ宛に送る。但し、キーワードを直接書くと、書簡が他の人間に渡った場合に、情報漏洩が発生する為、西暦1,776年12月頃にラヴェルが、ボストンのアダムズの自宅からボルチモア(現在のアメリカのメリーランド州)に出発する前に一緒に一晩を過ごした家族の苗字(Cranch)の最初の2文字という説明をした。多表式換字暗号のキーワードは、例えば「B」の場合は、以下の通り数字と対応する。 B→1 C→2 D→3 E→4 F→5 G→6 H→7 I→8 J→9 K→10 L→11 M→12 N→13 O→14 P→15 Q→16 R→17 S→18 T→19 U→20 V→21 W→22 X→23 Y→24 Z→25 &→26 A→27 CRの場合はCとRを交互に、上記の通り対応する数字を書き出して、文章にした。 |
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1,780 | 5 | 15 |
ジョージ・ワシントンが准将ウィリアム・ヒースに対しスパイをカナダに送り込む様指示する。ワシントンはスパイに関し以下を求めた。 ①意志の強さと忠誠心を持つ。 ②フランスが要求するハリファックスのイギリス守備隊についての情報を正確に集められる。 ③資格を持つ製図技師。 ジェイムズ・ボーディンがその諜報任務を全うし、ハリファックス港(現在のカナダのノバスコシア州)の詳細計画、特別な軍事工作や水深を報告した。 |
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1,780 | 6 | 11 | アビゲイル・アダムズが、ジェームズ・ラヴェルに対し「どんな種類であれ暗号は嫌いである。ジョン・アダムズも暗号に取り組むのはうまくなく、困惑する」という主旨の返書を送る。 | |
1,780 | 7 | ジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズに書簡を送る。この時は暗号は用いられなかった。 | ||
1,780 | 7 | 1 |
アドルフ・クニッゲがフランクフルトのロッジで、アダム・ヴァイスハウプトの部下でバイエルン啓明結社員のコンスタンティン・フォン・コスタンツォと出会う。コスタンツォは、当初ヴァイスハウプトの弟子に限られていたバイエルン啓明結社の活動範囲を、フリーメイソンを取り込み、プロイセン王国のプロテスタント地域にまで拡大させる為に、バイエルン啓明結社員の獲得の旅に出ている最中であった。ヴィルヘルムスバートのフリーメイソン会議に期待する事を止め、自身で新たな結社の設立を考えていたクニッゲに対しコスタンツォは「何故新しい結社を設立しようと無益な労力を費やそうとするのですか?貴方の知識欲や有益な活動を望む意欲を全て満たすバイエルン啓明結社が既に存在しているのですよ」とクニッゲを勧誘した。クニッゲは此れを聞き、直ちに入会を決意し、当日中に入会した。此の頃のバイエルン啓明結社は、ヴァイスハウプトが組織を一部しか完成させておらず、以下の目的こそ共有されていたものの、最終的な主目的が曖昧であった。 ①啓蒙主義の促進 ②お互いを譲り助ける ③メンバーに其の働きと能力に応じた社会的地位を与える 又此の時、ミュンヘンのアレオパゴスメンバーとの対立が継続していた。ヴァイスハウプトは程無くしてクニッゲに書簡を送り、クニッゲをアレオパゴスメンバーに迎え入れ、忠誠心の証を立てる為、バイエルン啓明結社員の勧誘を行う様指示した。此れによりクニッゲは、プロイセン王国北部のプロテスタント地域へ出向き、勧誘を行い、持ち前の落ち着きと巧みな組織力で、短期間の内に、プロイセン王国北部のロッジの大半を傘下に収めていたストリクト・オブザーバンツの知られざる上位者の詐欺行為により失望していたフリーメイソン会員を中心に、主に貴族・政治家・医師・弁護士・法学者・知識人・バイエルンの現役学生及びOBから成る、以下2名を含む500名もの新規バイエルン啓明結社員を獲得し、クニッゲは、瞬く間にバイエルン啓明結社内でヴァイスハウプトに次ぐNo2の地位に上り詰めた。 ①ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデ ②ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ボーデを通じて入会) 斯うして、多くのフリーメイソン会員が加入した結果、両者は一体化し、イルミナティがフリーメイソンの結社となった。バロン・アドルフ・カネガが、フリーメイソンの儀式に似たものを採用しようとしたが、元フリーメイソンであったクニッゲは此れに賛成し、採用された。又、イルミナティの会員には、古代から取られた象徴的な秘密の名が与えられた。例えばヴァイスハウプトは「スパルタクス」、クニッゲは「フィロ」であった。更に、イルミナティ会員の階級も複雑になり、クニッゲが、フリーメイソンのロッジで使われていたモデルを提案し、入会時に以下の13の階級と3つの階層に分かれた。高い順に示す。 ①王 此の階層は、哲学的な啓蒙の最高位である。此の階層の会員は司祭であり、下位の会員に教えを説く。此の階層の下位の会員は、王の権威下に在る。 ❶王 ❷魔術師 ❸王子 ❹司祭 ②イルミナトゥス・ディリゲンス 此の階層は、フリーメイソンリーから影響を受けた。イルミナトゥス・メジャーは新会員の募集を監督し、イルミナトゥス・ディリゲンスはミネルヴァルの会議を主宰する。 ❶イルミナトゥス・ディリゲンス ❷イルミナトゥス・メジャー ❸師匠 ❹仲間 ❺見習い ③イルミナトゥス・マイナー 此の階層は、人道主義的な哲学に基づいて啓蒙を受け、ミネルヴァルとなる。其の後、イルミナティの規則を受け取り、会議に参加出来る様になる。 ❶イルミナトゥス・マイナー ❷ミネルヴァル ❸初心者 ❹入会者 |
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1,780 | 8 | ジョン・アダムズが、フランス宮廷の不興を買い、オランダへ移住する。以降のフランス宮廷との遣り取りはベンジャミン・フランクリンが担った。 | ||
1,780 | 9 | ジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズに書簡を送る。この時は暗号は用いられなかった。 | ||
1,780 | 9 | 4 | 第2回オート・ギュイエンヌ州議会が開催される。本年10月3日迄行われた。 | |
1,780 | 12 | 14 | ジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズに多表式換字暗号を用いた書簡を送る。アダムズは解読に苦戦した。 | |
1,781 | ハイム・サロモンがジョージ・ワシントンの口座に約650,000ドルを振り込み、資金提供を行う。 | |||
1,781 | アドルフ・クニッゲが、バイエルン啓明結社の内情を明かす様アダム・ヴァイスハウプトに対し書簡を送る。クニッゲは、ストリクト・オブザーバンツの知られざる上位者に失望し、バイエルン啓明結社の目的や知られざる上位者にも懐疑的になっていた元フリーメイソン会員のバイエルン啓明結社員から、上位の位階を与える様迫られていた。ヴァイスハウプトは「バイエルン啓明結社はまだ私の頭の中に存在しているだけであり、下部級である養成級が2、3のカトリック地域で設立されているに過ぎない」と回答した。 | |||
1,781 | 1 | 10 | 外国事情に関する広く有益な情報を獲得する事を意図し「アメリカ外務省」が設立される。同長官は、有益な情報を受け取る事が可能と思われるあらゆる人物との通信を許可された。 | |
1,781 | 2 | ハイム・サロモンがフィラデルフィアの新聞に、自身のビジネス広告の出稿を開始する。最初の広告は「フランス、セント・ユースタティア・アンド・アムステルダムの為替手形を数枚、ブローカーのハイム・サロモンが販売する」であった。当初はオフィスが無かった為、サロモンは代わりに毎日12時から14時迄フィラデルフィアのコーヒーハウスで顧客に会った。こうしてサロモンは個人にも金利・手数料を安値で資金を融通し始め、後にジェームズ・マディソンも顧客となった。 | ||
1,781 | 2 | アダム・ヴァイスハウプトがフランツ・クサーヴァー・フォン・ツヴァックに対し「アドルフ・クニッゲの働きぶりは、全ての期待を上回っている。クニッゲは誠に模範とするに足る男だ」という主旨の書簡を送る。 | ||
1,781 | 2 | 7 |
第2次大陸会議がロバート・モリスを財務総監に任命する。モリスのバックにはロスチャイルド家がいた。モリスの役割は、アメリカの財政を困窮させる事であった。ハイム・サロモンが仲介役を務める事となった。第2次大陸会議による不換紙幣である政府紙幣の大量発行によるインフレが背景にあった。モリスの主たる業務の1つは、アメリカが借款という形で受け取った外国為替手形を、借款の価値を下げずに、個人がすぐに使えるお金に変換する事であった。また、以下の施策によって経常支出の穴埋めを行った。 ①各植民地への分担金の要請 ②後に設立する北アメリカ銀行からの借入 ③外国借款の要請 それでも埋められない場合は「モリス・ノート」と呼ばれる後日正貨で返済を約束した手形を発行した。さらに、5%の輸入関税等の政府租税を掛け、元利支払いの滞っていた戦時債務を返済しようとした。しかし後に失敗する事となる。 |
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1,781 | 2 | 10 | ロバート・モリスが国立銀行の設立を提唱する。 | |
1,781 | 3 | ハイム・サロモンがフィラデルフィアの新聞に掲載する広告に英文為替手形を追加する。またオフィスに関しても言及し、「サロモンは毎日、ピュータープラッター通りに面したフロントストリートのスティーブン・スウェルの隣のジェイコブ・マイヤーズの家で、10時から12時迄、14時から16時迄出勤します」といった広告を出稿した。12時から14時迄のフィラデルフィアのコーヒーハウスでの顧客との面会は引き続き行った。 | ||
1,781 | 3 | 1 | アメリカの13植民地の相互友好同盟である連合規約が施行される。これに伴い第2回大陸会議が終了し「連合会議」が開始される。 | |
1,781 | 5 | イギリス・フランスがアメリカ独立戦争に関し、ウィーンにて講和会議を開く事を提案する。しかし、アメリカは、イギリスの植民地であった為招待されず、代わりにフランスが会議に参加する事となった。 | ||
1,781 | 5 | 19 |
ジャック・ネッケルが、フランスの年次報告書の予算を公表して宮廷貴族の年金等の財政報告の内訳を対外的に示した事で、手当を暴露された廷臣達や、予算を公表して人気を博したと怒った財政官達からの批判があった事を背景に、財務長官を罷免される。在任中の約4年間で国家負債を170,000,000ポンドにまで増大させ、ルイ16世政権の足を引っ張った。其の後サン・トゥアン(現在のフランスのセーヌ・サン・ドニ県)のネッケルの自宅に凡ゆる身分の人間が訪れた。ネッケルは、軍事支出・特別支出を粉飾し、債務を軽く見せる事があった。又ネッケルは、ルイ16世が公衆衛生よりも彼自身の兄弟に対する支出の方が遥かに多い事を年次報告書を見せて当人に指摘すると、ルイ16世は其れを隠蔽しようとした。ネッケルはそれと引き換えに最高国務会議への参加を要求したが、ルイ16世は拒否した。此れに対してネッケルは報復として国家予算の公開を行い、以下の言語への翻訳も為され200,000部を売り上げた。 ①英語 ②オランダ語 ③ドイツ語 ④デンマーク語 ⑤イタリア語 |
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1,781 | 6 | 15 |
第2次大陸会議が、以下2名を含む5名を、アメリカ独立戦争の和平交渉に於ける全権代表とする訓令を可決する。 ①ジョン・アダムズ ②ベンジャミン・フランクリン 当時アダムズはオランダに、フランクリンはパリに滞在していた。 |
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1,781 | 6 | 17 | アビゲイル・アダムズが、ジョン・アダムズに対し、多表式換字暗号に関して、27種の全ての換字表を書き出してから、意味が通る様に文字を拾う事をアドバイスする書簡を送る。 | |
1,781 | 6 | 19 | 第2次大陸会議議長サミュエル・ハンティントンが、ベンジャミン・フランクリンに対し、4日前に可決された、アメリカ独立戦争の和平交渉に於ける全権代表の訓令を伝える書簡を送る。多表式換字暗号が用いられたが、暗号化はジェームズ・ラヴェルが担った。 | |
1,781 | 6 | 20 | サミュエル・ハンティントンが、ジョン・アダムズに対し、5日前に可決された、アメリカ独立戦争の和平交渉に於ける全権代表の訓令を伝える書簡を送る。多表式換字暗号が用いられたが、暗号化はジェームズ・ラヴェルが担った。 | |
1,781 | 6 | 21 |
ジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズに対し以下の主旨の書簡を送る。ラヴェルは、アダムズが多表式換字暗号のキーワードを把握していないと考えていた。 「幾つかの文書を公式にお伝えしなければなりません。この手紙の一部に使われているのと同じ暗号を使います。前回は私がブレインツリー(マサチューセッツ植民地)で夕食をとったと言わなかったために理解できなかったのではないかと思います。たしかニューイングランドと言ったと思います。前述の文書をサミュエル・ハンティントンが送りました。私が訓令を暗号にしました。もし何らかの事情で内容を掴めない場合には,ベンジャミン・フランクリンは確実にご自分のを解読出来る筈です」 |
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1,781 | 7 | ジョン・アダムズが、第30代フランス外務大臣シャルル・グラヴィエ・ド・ヴェルジェンヌの招きで、パリに赴く。アダムズはアメリカを独立国として認める事が同年5月に提案された講和会議の前提であるとしたが、イギリスが反発し、会議は実現しなかった。 | ||
1,781 | 7 | 9 |
アダム・ヴァイスハウプトとアレオパゴスメンバーが「結社の目的・手段・組織に関するアレオパゴス共同決議」に署名する。内容としては、バイエルン啓明結社の目的は、学校制度の改革と有用な知識の普及を通じて啓蒙主義を促進する事であるとし、其の手段として、経験に富んだ啓蒙された誠実な人間を集める事、或いは其の様な人間を養成する事を挙げた。そして、バイエルン啓明結社に適う人間を見定め、養成する事を意図し、以下の位階を設置すべきであるとした。 ①大密議(構想段階) ②小密議 ❶学術(構想段階) ❷監督啓明士(構想段階) ❸大啓明士(構想段階) ❹小啓明士(設立済) ❺ミネルヴァ(設立済) ヴァイスハウプトは「アドルフ・クニッゲこそが、私の探し求めていた協力者である」と称賛し、自身の収集した資料を元に上位位階を設立し、バイエルン啓明結社を組織として完成させる様依頼した。クニッゲは部下に説いたバイエルン啓明結社の理想像と現実のギャップに困惑しつつも、此れを引き受けた。 |
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1,781 | 7 | 13 | ジョン・アダムズが、シャルル・グラヴィエ・ド・ヴェルジェンヌに対し、求められていた幾つかの条項への回答を書いた書簡を送る。 | |
1,781 | 8 | アメリカの資金が枯渇した事を知ったハイム・サロモンが、ジョージ・ワシントンの要望により、自らの資産から20,000ドルを連合会議に貸し付ける。 | ||
1,781 | 8 | ジャック・ネッケルの妻シュザンヌ・キュルショットがユトレヒト(現在のオランダ)へ赴き、ネッケルを中傷したジャック・テュルゴーの著書を購入する。 | ||
1,781 | 8 | 14 | ジョージ・ワシントンの指示で軍曹ダニエル・ビッセルがニューヨーク市で脱走兵への変装を開始する。ワシントンの必要とする情報を得る為に、ベネディクト・アーノルドが率いるイギリス軍歩兵隊に従事する。 | |
1,781 | 8 | 16 | ベンジャミン・フランクリンが、ジョン・アダムズに対し、自身がアメリカ独立戦争の和平交渉に於ける全権代表に選任された事に関し、経緯を問い合わせる書簡を送る。 | |
1,781 | 8 | 25 |
ジョン・アダムズが、ベンジャミン・フランクリンに対し、シャルル・グラヴィエ・ド・ヴェルジェンヌに対し、求められていた幾つかの条項への回答を書いた書簡を送った事を報告する返書を送る。さらに、以下の内容を記した。 「ヴェルジェンヌに送った書簡の写しをお送りする事は簡単ですが,長い旅程に託すのが賢明でない事項も含まれています。また、写しはヴェルジェンヌが直ぐ下さる事でしょう。その方がリスクを避ける事が出来ます。我々の新たな辞令も前の辞令と同様無用のものとなるのではないかと恐れています。第2次大陸会議は我々を帰国させて、少なくとも連合諸邦にいるイギリス兵が一人残らず殺されるか捕らわれるかするまで本国に居させる大丈夫なのではないかと思います。それまではイギリスは奸計の為でなければ和平の事など考えないでしょう」 |
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1,781 | 8 | 27 | ロバート・モリスが、ペンシルベニア紙幣の販売と自らの指揮下に於ける為替手形の状況についてハイム・サロモンと会談する。 | |
1,781 | 9 | 13 |
ベンジャミン・フランクリンが、サミュエル・ハンティントンに対し、以下の主旨の書簡を送る。 「本年6月19日付のルイ16世及び3名の使節に宛てた書簡と、和平交渉に関する訓令共々確かに拝受致しました。直ぐヴェルサイユに赴き、書簡を提出し,受け取って頂きました。閣下の訓令の写しも,解読後にシャルル・グラヴィエ・ド・ヴェルジェンヌにも伝えました。ヴェルジェンヌは私がいる前でお読みになり、第2次大陸会議がフランス宮廷に寄せた全幅の信頼に対して満足感を漏らされ、ルイ16世は連合諸邦の名誉をその福利と独立と共に心に掛けており、後悔させる事は決して無いと私に保証して下さりました。 閣下の連絡の主旨をジョン・アダムズとジョン・ジェイに伝えました。アダムズは既に同じものを受け取っていました」 |
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1,781 | 10 | 13 | 神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世が、宗教寛容令を発し、非カトリック教徒の信仰の自由を認め、教会領を没収、修道院を解散させてその土地を国有化した。教会をローマ教皇から分離させ、カトリックの保護者としての皇帝ではなく、全ての国民の皇帝であるという、主権国家を造り出す事が狙いであった。 | |
1,781 | 10 | 19 | 大陸軍・フランス軍連合軍が、イギリス軍将軍チャールズ・コーンウォリス率いる7,000名の部隊をヨークタウン(現在のアメリカのバージニア州)で降伏させる。ハイム・サロモンはイギリス軍を包囲した大陸軍に対し物資購入の為の資金調達に協力していた。 | |
1,781 | 10 | 23 |
初代アメリカ外務長官ロバート・リビングストンが、オランダにいたジョン・アダムズに対し、以下2点を伝える書簡を送る。 ①アメリカ外務長官着任の挨拶 ②西暦1,781年10月17日にイギリス軍がヨークタウンにて降伏した さらに以下の同封物も送られた。 ①ジョージ・ワシントンから第2次大陸会議への書簡 ②チャールズ・コーンウォリス率いる軍の降伏条件 ③降伏前に交わされた書簡 |
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1,781 | 11 |
アドルフ・クニッゲが、アダム・ヴァイスハウプトの依頼で、フランクフルトから以下を経由してバイエルン王国へと向かう。 ①フランケン地方(現在のドイツのバイエルン州ウンターフランケン県・ミッテルフランケン県・オーバーフランケン県) ②シュヴァーベン(現在のドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州〜バイエルン州シュヴァーベン県に跨る一帯) ヴァイスハウプト及びミュンヘンのアレオパゴスメンバーとバイエルン啓明結社の将来に就いて議論を交わす事が目的であった。同時に、両者間に生じた争いを調停する使命も帯びていた。 |
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≈ | 1,781 | 11 | 15 | ジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズから西暦1,780年11月から西暦1,781年8月迄の手紙の原本や写しの入った荷物を受け取る。 |
1,781 | 11 | 30 |
ジェームズ・ラヴェルが、ジョン・アダムズに対し、以下の内容の多表式換字暗号のキーワードを説明する書簡を送る。 「この地への旅路に就く前の晩に,貴兄と私とで奥様と過ごした家族の名前はきっと思い出せる事と思います。その苗字の最初の1/6(実際は1/3の誤り)と等しい数の普通のアルファベット表を作るのです」 |
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1,781 | 12 | 20 |
アドルフ・クニッゲが、アダム・ヴァイスハウプト及びミュンヘンのアレオパゴスメンバーとバイエルン啓明結社の将来に就いて議論に於ける成果を「アレオパゴスメンバー間の相互契約」という題名で文書として報告する。内容としては、ヴァイスハウプトの権限に制限を加え、クニッゲを含めた三者による合議制でバイエルン啓明結社を運営するというものであった。又位階を以下の通り定め、クニッゲは、ヴァイスハウプトの収集した資料を基に組織を完成させる権限が認め、此れに従事した。 ①大密議 ❶統治者 ❷僧侶 ②密議 ❶監督啓明士 ❷大啓明士 ③フリーメイソン ❶親方 ❷職人 ❸徒弟 ④ミネルヴァ ❶小啓明士 ❷ミネルヴァ ❸修練士 |
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1,781 | 12 | 26 |
ロバート・リビングストンが、ジョン・アダムズに対し以下の主旨の発言を行う。 「私の最後の数通の手紙に使われている暗号を完全に理解なされないのではないかと非常に恐れています。私はその暗号を第2次大陸会議の外務委員会から得たのですが、貴兄からその暗号で書かれた手紙を受け取った事は一度も無いと言っています。ジェームズ・ラヴェルは、説明になると考えるものを同封しました。私としては、何らかの暗号を安全な手段でお送りできるまで、或いは貴兄の方から私に送って下さるまで、私への手紙はチャールズ・W・F・ドゥーマスの暗号でお書きになることをお勧めします」 |
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1,781 | 12 | 31 |
連合会議が財政再建策の一環として、北アメリカ銀行に対し以下の事業内容で、銀行会社設立特許状を付与する。 ①連合会議への貸付 ②手形割引による民間への貸付 ③①と②の貸付を通じての兌換銀行券の発行 |
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1,781 | 12 | 31 | シャリテ病院のホスピスの死亡率は21%(前年比4%増)であった。唯、過密なフランスのボーヌ(フランスのコート・ドール県)の貧しい人達に無償で医療を施す慈善病院である「オテル・デュー」は25%近くであった。 | |
1,782 |
ヴィヘルムスバート会議が現在のドイツのヘッセン州で開かれ、ヴィルヘルム9世の弟カール・フォン・ヘッセン・カッセルがイルミナティに加入する。此れによりストリクト・オブザーバンツが活動停止となり、イルミナティ化した。また以下2名がイルミナティに接近した。 ①アドルフ・クニッゲ ②ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデ |
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1,782 |
ロバート・モリスがフランス軍の会計係への借金返済の為の20,000ドルを必要とした為、以下の3名を呼び寄せる。 ①ハイム・サロモン(仲介者) ②ウィリアム・ビンガム(モリスが融資を依頼) ③フィラデルフィアの商人ジョン・ロス(モリスが融資を依頼) ビンガムは当初融資の依頼を断ったが、後に同意した。一方、ロスは融資を断った。 |
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1,782 |
連合会議バージニア州代表ジェームズ・マディソンが、同じく連合会議バージニア州代表エドモンド・ランドルフに対し、自身が何度かハイム・サロモンをブローカーとして起用し、しばしば手数料無料で取引を完了させていた事を手紙で知らせる。ランドルフもサロモンをブローカーとして起用し、以下の大陸軍の上級将軍も同様であった。 ①フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン ②アーサー・セントクレア ③トマス・ミフリン |
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1,782 | イルミナティが、本部をフランクフルトに移転する。以後ロスチャイルド家の力を借りて、莫大な利益を上げる様になった。 | |||
1,782 | ヘンリー・フレデリックが、フリーメイソンのグランドマスターに選出される。 | |||
1,782 | 1 | 2 | ヨーゼフ2世が前年の宗教寛容令の対象をユダヤ人にも拡げた。 | |
1,782 | 2 | 21 |
ジョン・アダムズが、ロバート・リビングストンに対し、以下の主旨の返書を送る。 「我々が出発する前に一晩を過ごした家族の名前は良く分かっています。アルファベット表も然るべく作ってみました。ですが、今回も此れまでと同様、暗号で書かれた文章の意味を理解する事が全く出来ませんでした。暗号はその名前の最初の2文字の下で規則的に使われているので無い事は確かです。所々単語が解読出来るので、その2文字が正しい事は分かります。ですが、全体としてはさっぱり要領を得ません。これは此の度は、暗号文が手紙の非常に重要な部分と思われますので、極めて遺憾な事です」 |
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1,782 | 3 | 4 |
ベンジャミン・フランクリンが、ロバート・リビングストンに対し、以下の主旨の返書を送る。 「暗号で書かれた貴兄のお手紙の写しを受け取りました。以後は将来の平和に関する訓令を書くのに使われた暗号を使う事を望みます。私はそれに慣れており、それが非常に良く、より便利だと思います」 |
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1,782 | 3 | 26 |
デン・ハーグにいたジョン・アダムズが、パリにいたベンジャミン・フランクリンに対し、シャルル・グラヴィエ・ド・ヴェルジェンヌの使者を使って、講和に向けた訓令の多表式換字暗号の解読文の送付を依頼する書簡を送る。第12代イギリス首相フレデリック・ノースの使者が、アダムズがイギリスと休戦を結ぶ権限を与えられているとの情報を確認する為に接触した事が背景としてあった。最初は書簡での接触であった。アダムズは、立会人の下であれば、話だけは聞いて以下2名に伝える、と回答した。 ①ベンジャミン・フランクリン ②グラヴィエ また、パリにいるフランクリンに会う事を勧めた。その後、その使者が直接訪ねてきた。アダムズは以下の主旨の回答した。 「私は講和を結ぶ全権を与えられてヨーロッパに来ました。その権限は私の到着と共に公表され,昨夏まで有効でした。ですが西暦1,781年6月15日、第2次大陸会議は4名への同じ権限を含む新しい辞令を送りました。もし私の父がイギリス国王で、私が王位継承者だったとしたら、国王に休戦など考える事は勧められません。休戦は上辺の静穏の下、実際には戦争であって,公然たる血生臭い戦争に終わるものであり、当事国の何れにも真にいい事にはならないからです」 さらに、再度フランクリンに会う事を勧め、自分の所に来ても、同僚との相談の上でなければ意見は言えないと言った。 |
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1,782 | 3 | 31 | ベンジャミン・フランクリンが、ジョン・アダムズに対し、返書を送る。多表式換字暗号の解読文は次の使者に届けさせ、イギリスからの和平の打診についてはフレデリック・ノースが西暦1,782年3月22日に退陣した事から、少し様子を見ると述べた。 | |
1,782 | 4 | 1 |
北アメリカ銀行がペンシルベニア植民地から銀行会社設立特許状を付与され、資本金400,000ドル(400ドル/株、正貨払込)で株式会社の正貨銀行として設立される。設立当初は連合会議への貸付業務を主とした。主な株主は以下である。 ①ロバート・モリス ②ウィリアム・ビンガム ③コネチカットの商人ジェレマイア・ワズワース ④ハイム・サロモン(2株) 設立後サロモンは、政府紙幣や外国為替手形を売り捌いて得られた利益を同行に預けた。 |
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1,782 | 4 | 6 | ラーマ1世が首都をバンコクと定めチャクリー王朝を起こし、初代シャム国王となる。 | |
1,782 | 7 | 本月から翌々月に掛けて、延期となっていたフリーメイソン会議が開催される。此の会議の準備期間中にアドルフ・クニッゲは、ストリクト・オブザーバンツが抱える問題の根源に、沈黙の誓いの内容が、内なる結社のメンバーに共有されず、コンセンサスが得られていない事が有ると考えていた。其処でクニッゲは、其々の位階に活動領域を定め、神秘的研究には専門の「研究級」を作って独立させ、内なる結社から切り離す事等を骨子とする改革案を作成した。此の改革案はカール・ヴィルヘルム・フェルディナントに評価され、クニッゲはフェルディナントからフリーメイソン会議への正式参加を要請された。しかしクニッゲは、メンバー間の派閥や利害関係からフリーメイソン会議での改革案の実現は困難であると考えていた。 | ||
1,782 | 7 | 12 | ハイム・サロモンがロバート・モリスに財務官の公式ブローカーを名乗る許可を求める。 | |
1,782 | 7 | 20 | ペンシルベニア・パケット紙に、ハイム・サロモンが財務官・フランス総領事・フランス軍財務官へのブローカーとして働いている事を示す広告が掲載される。 | |
1,782 | 8 | ジョージ・ワシントンが「功労軍章」を創設する。功績のあった行い、勇敢な行為、特段の忠誠心、基本的な任務遂行に対して送られるものとした。ワシントンは、「この軍章によって、愛国者の軍隊に栄光を齎す道標となり、自由の国が皆の前に開けてくる」と述べた。 | ||
1,782 | 8 | 1 | アメリカ政府は独立戦争に参加した兵士への未払い給与の一部の支払い期限をこの日に定めたが、必要な金額140,000ドルの内39,000ドルしか手元になかった。そこでロバート・モリスはハイム・サロモンに対し、以前販売した為替手形に対して37,500ドルの赤字があった事もあり、さらに手形を販売する様指示した。 | |
1,782 | 9 | フランスのビジネスマンがロバート・モリスに兵士用のシャツを売ろうとする。しかしモリスはハイム・サロモンが既に同じシャツを買っていると考え、このビジネスマンに対し疑問を持った。サロモンが確かにモリスの為に既にシャツを購入している旨を説明すると、最初の売り手がこのビジネスマンに対しシャツを売り、それをモリスに売ろうとした事が判明した。 | ||
1,782 | 9 | 16 | 第3回オート・ギュイエンヌ州議会が開催される。本年10月15日まで行われた。 | |
1,782 | 10 | ジョン・アダムズは、この時点で多表式換字暗号を使いこなす事が出来ず、語句を数字に置き換える原始的なコード暗号を用いていた。 | ||
≈ | 1,782 | 10 | 31 | ジョン・アダムズがパリに入る。 |
1,782 | 11 | 30 | アメリカ独立戦争に於いて、休戦の為の講和予備条約がパリで調印される。 | |
1,782 | 12 |
アドルフ・クニッゲが、新たなバイエルン啓明結社の組織図を提出する。以下の位階であった。 ①秘儀級 ❶大密議 Ⅰ.王 Ⅱ.賢者 ❷小密議 Ⅰ.摂政 Ⅱ.司祭 ②フリーメイソン級 ❶監督啓明士 ❷大啓明士 ❸親方 ❹職人 ❺徒弟 ③養成級 ❶小啓明士 ❷ミネルヴァ ❸修練士 |
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1,782 | 北アメリカ銀行の年間配当率は8%であった。 | |||
1,783 | フリードリヒ2世(プロイセン王)がブラウンシュヴァイク(現在のドイツのニーダーザクセン州)でフリーメイソンに加入する。 | |||
1,783 | 北アメリカ銀行の年間配当率は前年比6%増の14%であった。 | |||
1,783 | アダム・ヴァイスハウプトとアドルフ・クニッゲの間に不和が生じ始める。 | |||
1,783 | ジョージ4世が、ブライトン(イギリスのイースト・サセックス州ブライトン・アンド・ホヴ)の浜辺を気に入り、農園の館を別荘として借りる。 | |||
1,783 | ジョージ4世が、カールトン・ハウス(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)の所有権と改修費用60,000ポンドを与えられる。ジョージ4世は、建築家ヘンリー・ホランドに、カールトン・ハウスの大幅な改築を依頼した。此の工事は西暦1,796年迄続いた。カールトン・ハウスは、当時の他のロンドンの邸宅や宮殿と異なり、訪問者がメインフロアから入場するという珍しい設計であった。訪問者は、コリント式柱の六柱式ポルチコを通って入場し、左右に控室がある玄関ホールに進み、イオニア式の黄色い大理石で装飾された二層の採光付きエントランスホールに入るというルートであった。 | |||
1,783 | 1 | ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデがイルミナティに入会する。その後、フランスで活動し、レザミ・レユニとグラントリアンのメンバーをイルミナティに引き入れる事に成功する。 | ||
1,783 | 1 | 1 | 北アメリカ銀行が主たる業務を連合会議への貸付からフィラデルフィアの貿易商人への手形割引にシフトする。 | |
1,783 | 3 | ハイム・サロモンが手形を販売していたフィラデルフィアのフランス病院の院長のサロモンに対する債務不履行及び手形の存在を否定した刑事事件に関し、院長とその財務代理人に有罪判決が下される。後に債務に弁護士費用を加えた3,500ポンドがサロモンに支払われた。 | ||
1,783 | 6 | ダニエル・ビッセルが、スパイとしてイギリス軍の作戦展開や防御方法についての情報を集め、アメリカに齎した功績を讃えられ、功労軍章を授与される。 | ||
1,783 | 9 | 3 |
アメリカとイギリスの間で「パリ講和条約」が締結される。イギリスは、ミシシッピ川(現在のアメリカのミネソタ州・ウィスコンシン州・アイオワ州・イリノイ州・ミズーリ州・ケンタッキー州・テネシー州・ミシシッピ州・ルイジアナ州)より東側をアメリカの領土として認め、アメリカは、独立・自由・主権を得、アメリカ独立戦争は終結した。此の際ピエール・サミュエル・デュポンは、外交官として和平交渉に当たった。此の頃にデュポンは、以下2名と知己を得た。 ①ベンジャミン・フランクリン ②トーマス・ジェファーソン |
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1,783 | 11 | 7 | ジョージ4世が、バッキンガム・ハウスから、自身の弟フレデリックに対し「カールトン・ハウスの改修は進んでおり、西暦1,783年12月3日若しくは4日に入居出来る事を期待しています。唯、まだ完成には程遠く、拡張工事は此れからも続きますが、来年貴方が戻って来た時に、私に対する心証が悪くならない事を願っています」という主旨の書簡を送る。 | |
1,784 | アダム・ヴァイスハウプトが、自身の仲間の1人であるザビエル・ツワックにフランス革命実行の命令を一冊の書物に仕立てさせ、特使を使ってマクシミリアン・ロベスピエール宛にフランクフルトからパリへ送ろうとする。しかし、其の途上で特使が馬車ごと雷に打たれて死亡した為、其の書物は警察官に発見されバイエルン選帝侯領政府に渡った。結果、バイエルン選帝侯領政府は警察に、ヴァイスハウプトが組織したグラントリアンのフリーメイソンのロッジと仲間の有力者達の自宅を家宅捜査する様命じた。バイエルン選帝侯領政府は、特使が運んでいた書物から、有力者の私的グループによる戦争や革命を利用して、政治的目的を達成しようとしていると確信していた。又ヴァイスハウプトは、フランス革命実行の為にメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドから数百万フランの資金提供を受け、30,000名の革命分子を雇った。 | |||
1,784 | ジャック・ネッケルが著書「フランス財政管理論」を発表する。第58代フランス財務総監シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌはこの著作のパリでの普及を防ごうとしたが、80,000部を売り上げた。 | |||
1,784 | ピエール・サミュエル・デュポンが、ルイ16世から叙爵を受け、貴族に叙せられ「ド・ヌムール」を名乗る事を許可される。 | |||
1,784 | 劇作家ヨーゼフ・マリウス・バボが匿名で、バイエルン啓明結社を攻撃する文書「フリーメイソンに就いて。最初の警告」を発表する。 | |||
1,784 | 2 | 7 |
ラッセル社が、イギリスが独占するインド産アヘンより質が悪いが安価であるトルコ産アヘンを清に持ち込み、そこで得た資金で「マサチューセッツ銀行」を設立する。憲章は初代マサチューセッツ州知事ジョン・ハンコックによって署名された。初期の主要口座保有者は以下の通り。 ①ポール・リビア ②マサチューセッツ議会議員サミュエル・アダムズ ③初代アメリカ陸軍上級士官ヘンリー・ノックス |
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≈ | 1,784 | 6 | 前年にイルミナティから脱会した、前年迄インゴルシュタット大学で法律を学んだヨーゼフ・ウッツシュナイダーが、第6代バイエルン選帝侯大公カール・テオドールの王妃エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ・ズルツバッハに「イルミナティは自殺を正当なものとし、敵を毒殺するべきだと信じ、宗教は不条理なものと考えている。又イルミナティは、ハプスブルク帝国の為に、バイエルン選帝侯領に対して陰謀を企てている」という主旨の、イルミナティの実態を暴露した書簡を送った。 | |
1,784 | 6 | カール・テオドールが、法律で事前に承認されていない全ての結社の創設を禁止する勅令を発布する。エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ・ズルツバッハが、ヨーゼフ・ウッツシュナイダーの書簡を受けて、テオドールに警告していた。イルミナティは、此の勅令の対象に自分達は該当しないと考えていた。 | ||
1,784 | 6 | 13 | 北アメリカ銀行が資本金を430,000ドル増資し830,000ドルとする。ハイム・サロモンが自身と自身の経営するオランダ企業の為に出資し、他の数名の出資者もこれに続いた。 | |
1,784 | 6 | 22 | バイエルン選帝侯領政府が、イルミナティを危険な組織と判断し活動停止命令を下す。此れ以降イルミナティは、深い関係にあったフランス・フリーメイソンに紛れて活動を続けた。 | |
1,784 | 7 | 1 | アドルフ・クニッゲが、ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデの仲介により、バイエルン啓明結社を脱会する。其の際クニッゲは、イルミナティに関し一切発言しない事を誓った。 | |
1,784 | 11 | 1 | ロバート・モリスが財務総監を退任する。 | |
1,784 | 11 | 15 | 第4回オート・ギュイエンヌ州議会が開催される。本年12月14日まで行われた。 | |
1,784 | 北アメリカ銀行の年間配当率は前年比1%減の13%であった。 | |||
1,784 | 12 | 31 | 此の時点でイルミナティの会員数は2,000〜3,000名に達していた。 | |
1,785 | ヴィルヘルム9世がヘッセン・カッセル方伯位を継承し、フランクフルトからカッセルのヴィルヘルムスヘーエ宮殿に居城を移す。此れによりヴィルヘルム9世とメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの関係が一時途絶えそうになる。 | |||
1,785 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、フランクフルトのゲットーにあるユーデンガッセ148番地の5階建ての家である「緑の盾」に移り住む。此の建物の内部は2つの区画に分かれ、一方にロスチャイルド家が住み、もう一方にはジェイコブ・シフが住んでいた。 | |||
1,785 | アダム・ヴァイスハウプトがインゴルシュタット大学の教授職を剥奪され、バイエルン選帝侯領から追放される。此れによりヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデがバイエルン啓明結社の最高責任者となった。ヴァイスハウプトは、ザクセン・ゴータ・アルテンブルク公国ゴータ(現在のドイツのテューリンゲン州)で余生を過ごした。 | |||
1,785 | バイエルン選帝侯領政府が自国内のグラントリアンロッジを全て不法として閉鎖する。 | |||
1,785 | 北アメリカ銀行の年間配当率は前年比7%減の6%であった。 | |||
1,785 | 3 |
カール・テオドールが、イルミナティを禁じる勅令を発布する。斯うして、イルミナティの結社を解散させられた。バイエルン選帝侯警察は、イルミナティ会員の逮捕を進めて行く中で、イルミナティが、以下の国家と宗教に対する陰謀を企てているとする証拠を発見し、イルミナティは非難された。 ①自殺と無神論の擁護 ②女性支部設立計画 ③見えないインクのレシピ ④堕胎を実行する為の医学的指示 |
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1,785 | 9 | 13 |
北アメリカ銀行がペンシルベニア植民地から銀行会社設立特許状を廃止される。ペンシルベニア西部の農民が同行に対し以下の理由から特許状廃止運動を行った事が背景としてある。 ①北アメリカ銀行は正貨流出を促進し、アメリカ独立戦争の戦後不況を深刻化させている。 ②貨幣不足を緩和する為の政府紙幣の発行に同行が反対している。 |
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1,785 | 10 | 31 | ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世が死去する。これにより、ヴィルヘルム9世は40,000,000ドルの遺産を相続した。この財産は主にアメリカ独立戦争鎮圧の為の傭兵をイギリス政府に貸し出して得られたものである。 | |
1,785 | 12 | 15 | ジョージ4世が、2度未亡人となっていたマリア・アン・フィッツハーバートと、メイフェア(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)にて秘密裏に結婚する。しかしジョージ3世の許可が得られていなかった為、イギリスの法律上無効とされた。しかし、許可が得られていた場合、フィッツハーバートはカトリック教徒であった事から、法律上カトリック教徒が即位する事や、カトリック教徒の王妃は認められていなかった為、ジョージ4世は王位継承権を失っていた。後に、フィッツハーバートが最初の結婚の時に産んだトーマス・ウェルドがローマで枢機卿に任命された際、ウェルドはピウス7世を説得し、ジョージ4世とフィッツハーバートの結婚を秘跡上有効であると認めさせた。 | |
1,786 | ヤコブ・フランクが財政難の為、イヴ・フランクや従者と共にオッフェンバッハ・アム・マイン(現在のドイツのヘッセン州)に移住し、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド等の助けを借りて金銭問題を解決する。更に、オッフェンバッハに頻繁に巡礼に訪れるポーランド人とモラヴィア人の信者からも経済的支援を受け、裕福な貴族として暮らした。 | |||
1,786 | 2年前のアダム・ヴァイスハウプトがマクシミリアン・ロベスピエールに送ろうとした書物を「イルミナティ教団及び其の宗派の原文」と題してバイエルン選帝侯領政府が一般公開し、欧州各国の国家指導者及びキリスト教会に警告書を発する。しかし此の警告は無視された。 | |||
1,786 | ルイ16世が、ピエール・サミュエル・デュポンを国家顧問官に任命する。 | |||
1,786 | ルイ16世が、ピエール・サミュエル・デュポンを国家顧問官に任命する。 | |||
1,786 |
本年から翌年にかけて、バイエルン選帝侯領政府が、イルミナティの中核の以下2名を家宅捜索する。 ①フランツ・クサーヴァー・フォン・ツヴァック ②トーマス・フライヘア・フォン・バッスス 其の際押収された、アドルフ・クニッゲの署名の入った書簡や論文が数多く含まれたイルミナティ関連文書を其々以下の題名で出版した。 ①啓明結社原典資料集 ②啓明結社原典資料集補遺 |
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1,786 | アダム・ヴァイスハウプトが匿名で「啓明結社員達の弁明」と題した文書を発表する。ヴァイスハウプトは嫌疑を晴らそうとした。 | |||
1,786 | 4 | 1 | ペンシルベニア植民地議会にて、北アメリカ銀行への銀行会社設立特許状を再発行するか否かの議論が終了する。 | |
1,786 | 9 | 26 |
財政困難が続くフランスが、国内産業の振興を狙い、第2次百年戦争で敵対していたイギリスとの通商に踏み切り「イーデン条約」を締結する。此の条約が施行された直後に、以下2ヶ所等で、綿や羊毛の製造業者による放火や暴力的行為が行われた。 ①アブヴィル(フランスのソンム県) ②ボルドー(フランスのジロンド県) 此の条約により、イギリスの安価な工業製品が一気にフランスに流入した為、綿工業等のフランスの国内産業が打撃を受け、フランス革命の一因となった。ピエール・サミュエル・デュポンは、此の条約の条件の取り纏めを行なった。 |
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1,786 | 10 | 11 |
バイエルン選帝侯領政府が、ザビエル・ツワックの自宅を家宅捜索する。其の際倉庫に在った文書を押収したが、其の中に西暦1,776年5月1日にアダム・ヴァイスハウプトの掲げたイルミナティの行動綱領が含まれていた。バイエルン選帝侯領政府が押収した文書には他にも、イルミナティの儀式に関するものが有った。例えば、見習いが「ミネルヴァル」という上位レベルに昇格する為には、以下に関する詳細なレポートを提出する必要がある、というものである。 ①自分が所有する本の題名 ②自分の敵の名前 ③自分の性格の弱点 ミネルヴァルに昇格すると、個人的な利益を、イルミナティの為に犠牲にする事を約束した。 |
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1,786 | 11 | 13 | 第5回オート・ギュイエンヌ州議会が開催される。本年12月12日まで行われた。 | |
1,787 | ヴィルヘルム9世が、フランクフルトに事務所を持つ、神聖ローマ帝国郵便総監のタシス家が財政難になっているという情報を聞き付け、宮廷に出入りしていたメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドを差し向け、交渉させて大金を貸し付ける。此れによりタシス家はヴィルヘルム9世の配下となり、神聖ローマ帝国の外交通信はヴィルヘルム9世に筒抜けとなった。 | |||
1,787 | ジョージ4世が、ヘンリー・ホランドに対し、自身が西暦1,783年に借りたブライトンの農園の館を、建築家ジョン・ナッシュの設計による新古典主義の外装にバロック様式の内装を備えた離宮「ロイヤル・パビリオン」として改装する様命じる。結果的に此の改装に多額の資金を投入する事となり、ジョージ4世の評判は大幅に低下した。 | |||
1,787 | 2 | シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌが、フランスの国家破綻が近づいていた為、税制改革を実施する為、高等法院を廃止しヴェルサイユにて、西暦1,626年12月以来の名士会を開催する。第二書記はピエール・サミュエル・デュポンが務めた。カロンヌは、開催前にジャック・ネッケルと財政を巡り議論を交わした。其の中でカロンヌはネッケルの国家歳入が上方修正されていたという統計は虚偽であった。フランスの赤字はネッケルが増税を行わなかった為であるとした。 | ||
1,787 | 2 | 6 | ヘンリー・フレデリックが、ジョージ4世をフリーメイソンに任命する。 | |
1,787 | 4 | 8 | シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌが、自身の関連会社の財政スキャンダルの為、ルイ16世によって財務総監を罷免される。 | |
1,787 | 4 | 11 | ジャック・ネッケルが、シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌの告発した国家歳入の捏造問題について返答を行う。 | |
1,787 | 4 | 13 | ルイ16世がジャック・ネッケルを封印状によって追放する。 | |
1,787 | 6 | ジャック・ネッケルのパリへの帰還が許可される。また、ネッケルは著書「財務諸表の新情報」を出版し、ルイ・フィリップ2世と秘書のシャルル・ルイ・デュクレストと接触した。 | ||
1,787 | 8 | カール・テオドールが、イルミナティの禁止を確認し、会員に対して死刑を課す勅令を発布する。 | ||
1,787 | 11 | 7 | ルイ16世が「ヴェルサイユ勅令」を発布し、カトリック信徒でない者にも市民権を与え、カトリックに改宗しなくても結婚出来る様になる。 | |
1,788 | シュザンヌ・ネッケルがシャリテ病院の経営権を手放す。 | |||
1,788 | ルイ16世が翌年の三部会召集を理由に第6回オート・ギュイエンヌ州議会を中止とする。 | |||
1,788 | トーマス・フライヘア・フォン・バッススが「異議申し立て」と題した文書を発表し、自己弁護を行う。此の文書の中でフィロはアドルフ・クニッゲの事であると暴露した。 | |||
1,788 |
アドルフ・クニッゲが「啓明結社との関わりに就いて為された様々な要求や質疑に対するフィロの最終的説明と回答」と題した自己弁護の文書を発表する。ハノーファーで仕官になる事を目指していたクニッゲは、トーマス・フライヘア・フォン・バッススにフィロが自身の事であると暴露された為、西暦1,784年7月1日のイルミナティに関し発言しないという誓いを破った。此の文書の中でクニッゲは、自身の行動を正当化する為に、以下の3つの観点から論証を進めた。 ①バイエルン啓明結社の発展期に、アダム・ヴァイスハウプトに次ぐ地位にあった。そして組織の整備や結社員の獲得に関与した立場から、バイエルン啓明結社の目的とイデオロギーが全体として、主張される様な危険なものでは無いと主張した ②非難されたバイエルン啓明結社上層部による専制主義と結社員の道具化に関し、此れを批判し、脱会を正当化した。 ③公表された文書にクニッゲの行動に批判的なものが有る事に関し、此れは人々を指揮する上で必然的なものであるとし、行動に於ける精神状況を、バイエルン啓明結社で得た実践的人間学にによって分析した。 |
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1,788 | 8 | ジャック・ネッケルが第61代フランス財務長官に就任する。 | ||
1,788 | 8 | 24 | ルイ16世がジャック・ネッケルに対し多額の恩給を許可する。 | |
≈ | 1,788 | 8 | 25 | ジャック・ネッケルが執務室に呼び出され、ルイ16世の王妃のマリー・アントワネットと会談する。ネッケルは財政総監の称号と王室会議への出席を主張した。結果、ネッケルはフランス首席公使に任命された。 |
1,788 | 9 | 7 | パリが飢饉に直面した為ジャック・ネッケルがトウモロコシの輸出を禁止し、70,000,000リーブルで小麦を購入する。 | |
1,788 | 11 | ヴェルサイユで名士会が開催される。ジャック・ネッケルは全国三部会の招集方式を諮問し、国務顧問会議で第三身分議員の倍増を認めさせ、国民の支持を取り付けた。 | ||
1,789 |
以下2名がヴィルヘルム9世から認められ、ヘッセン・カッセル方伯家の正式な金融機関の一つに指名される。 ①メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの長男アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルド ②メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの弐男ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルド アムシェルは方伯家御用達の金融機関へ勤務し、抵当権に纏わる業務や、傭兵代金を小切手で受け取り、割り引く業務に従事し、ザーロモンもヴィルヘルムスヘーエ宮殿に通い詰めていた。軈て小切手をイギリスで購入する綿製品の支払いに使い、商売を始め、利益を上げる事で割引手数料を引き下げ大銀行との競争で優位に立っていた。 |
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1,789 | ピエール・サミュエル・デュポンが、ピエールの弐男エルテール・イレネー・デュポンを引き連れ、自家用船でアメリカに渡航する。この時点でピエールは、バージニア州の土地会社に巨額の投資を行い、広大な処女地を手中に収め、また、自身の長男ヴィクトル・マリー・デュポンをニューヨークに派遣し、西インド貿易に従事させていた。アメリカに到着後、ピエールとエルテールはバージニア州に滞在した。その後、エルテールはジョージ・ワシントンの軍隊に加わって歴戦したフランス人士官と共に狩猟に出掛けた。獲物は沢山獲れ、火薬が足りなくなる程であった。エルテールは火薬を補充しようとしたが、その際、火薬は高価であったが、質が非常に悪い事に気付いた。エルテールは、自身の化学の知識で改良出来ると考えた。その後エルテールは幾つかの火薬工場を視察したが、エルテールの予想通り、低質なものであった。エルテールはフランスに帰国すると、火薬工場建設の見積もりと、経費・資材の準備に取り掛かった。 | |||
1,789 | 4 | 23 | ルイ16世の勅令により、警察が穀倉と個人の穀物在庫を検査する事を許可したと、公的に発表する。 | |
1,789 | 4 | 30 | ジョージ・ワシントンが、大統領就任式でフリーメイソンのセントジョーンズ・ロッジ第一の聖書にかけて就任宣誓を行う。 | |
1,789 | 5 | 5 | ルイ16世がヴェルサイユ(現在のフランスのイヴリーヌ県)にて、170年振りに三部会(第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)から成る)を開催する。ルイ16世は財政難を解決する為第二身分に対する新たな課税を企てたが、第三身分が一部の第二身分と協力して国民議会の開催を宣言する。 | |
1,789 | 5 | 5 |
ジャック・ネッケルが貴族院総会で以下の諸問題について演説を行ったが、ネッケルが風邪を引いていた為、冒頭の15分を除き農業協会の秘書が代読した。ネッケルは派閥の利益を捨て、国家の長期的な利益を考慮する様呼びかけた。 ①財政の健全化 ②立憲君主制 ③制度改革 ④政治改革 |
|
≈ | 1,789 | 5 | 19 | ジャック・ネッケルがルイ16世に、第一身分と第二身分を一つの議場に、第三身分を別の議場とする事によって、教団の数を減らし、イギリスの憲法に似た憲法を採用し、イギリス式の政治形態を採用する事を説得した。また、特権教団が屈服しなければ、州体制は崩壊し、税金は支払われず、政府が破綻すると訴えた。 |
1,789 | 6 | 17 | フランス王国の第三身分議員が「国民議会」を設立する。また、既存の全ての税金を違法とする最初の法律を制定した。 | |
≈ | 1,789 | 7 | ジャック・ネッケルがフランス王室の国庫を担保に、アムステルダムの銀行「ホープ社」に介入し、ルイ16世に穀物を供給する事に成功する。 | |
1,789 | 7 | 9 | フランス王国の国民議会が「憲法制定国民議会」と改称する。ピエール・サミュエル・デュポンも此れに加わり、穏健なジロンド派と同盟を結び、ヌムール(現在のフランスのセーヌ・エ・マルヌ県)から第三身分の代表に選出された。 | |
1,789 | 7 | 11 | 貴族に対する増税を主張するジャック・ネッケルに対し、貴族からネッケルの退任要求の声が高まった事を背景にルイ16世がネッケルを罷免する。付加価値税も廃止された。 | |
1,789 | 7 | 14 | フランス王国のパリのバスティーユ牢獄が、ジャック・ネッケルを罷免の知らせを聞いた市民により襲撃される。 | |
1,789 | 8 | 4 |
夜、国民議会が法権的特権である以下の廃止を可決する。 ①農奴制 領主に対する農奴の従属や地代の負担を、20〜25年分の年貢を一括で支払った場合、有償廃止とする。しかし、これを支払える農民は少なかった。 ②領主裁判権 ③カトリック教会への十分の一税 |
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1,789 | 8 | 26 | フランス国民議会が「人権宣言」を採択し、市民権を持つ白人男性に於いて、人間の自由(思想・言論・信教の自由等)、権利の平等・国民主権・所有権の絶対等が明らかにされる。しかし、奴隷・有色人種とその混血・女性は「半人間」であるので、この限りでは無いとされた。 | |
1,789 | 9 | フランス第一帝政の皇帝ナポレオン・ボナパルトはフランス革命を支持していた立場だったが、故郷を気にしていた為、休暇願を提出してコルシカ島に戻る。 | ||
1,789 | 9 | 11 | アレクサンダー・ハミルトンが、ロスチャイルド家のバックアップにより、初代アメリカ財務長官に就任する。その後、アメリカの国庫を空にして困窮させる為に、アメリカ財務省から北アメリカ銀行の授権資本に250,000ドルを投資した。 | |
1,789 | 9 | 21 | アメリカ議会がアレクサンダー・ハミルトンに対し、公信用維持の為の政策提案を行う事を要請する。 | |
1,789 | 10 | 5 | スタニスラス・マリー・マイヤールの指揮の元、食糧難に苦しむパリ市庁舎に集まった女性6,000〜7,000名がヴェルサイユ宮殿に行進する。パリ・コミューンもラファイエット侯爵の指揮する国民衛兵をその後に続けて出発させる。 | |
1,789 | 10 | 6 | パリ市民がルイ16世一家をテュイルリー宮殿(現在のフランスのパリ1区)に移し,パリ民衆の監視下に置いた。 | |
1,789 | 11 | 憲法制定国民議会がコルシカ島(現在のフランス)をコルシカ県と決定する。 | ||
1,789 | 11 | オノーレ・ミラボー伯爵が議院外の政治クラブである「ジャコバン・クラブ」を設立する。ミラボー伯爵は放蕩者で、モーゼス・メンデルスゾーンから借金をしていた。 | ||
1,789 | 12 | 22 | オート・ギュイエンヌ州議会が解散され、フランス王国を県に分割する制度が制定される。 | |
1,790 | メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが「国家の通貨さえ発行・管理させて貰えれば、法律を誰が作ろうと私は気にしない」と発言する。 | |||
1,790 | 1 | 8 | ジョージ・ワシントンが、第1アメリカ議会第2会期の冒頭の上下両院合同会議にて、アメリカ議会に対し、製造品の国内自給及び国防力強化を意図した工業政策の策定を要請する。 | |
1,790 | 1 | 9 |
アレクサンダー・ハミルトンが「公信用に関する報告書」をアメリカ議会に提出する。内容としては、以下の機関がアメリカ独立戦争時に累積させた、79,000,000ドルの国内外に対する戦時債務をアメリカ政府が継承するというものであった。 ①第2次大陸会議 ②連合会議 ③アメリカ各州政府 戦時公債の取り扱いについては以下の通り。 ①外債 元利共に遅滞無く償還。 元金:10,070,000ドル 未払利息:1,640,000ドル ②内債 戦時公債を最初に購入した者と後から公債を買い取った者を差別せず、その償還の為にアメリカ政府租税(輸入関税5%と蒸留酒消費税)収入を元利金支払基金として、全額を額面通り新連邦政府債に借り換える。また、借り換えに当たって利息を6%から4%に引き下げる。 元金:27,380,000ドル 未払利息:13,030,000ドル 未整理債務:2,000,000ドル 更にハミルトンは、租税余剰収入若しくは内外から借り入れた資金によって公債を市場で購入する減債基金制度の導入を提案し、以下の公債公用論を展開した。 ①公債を所有している貿易商人は、貿易への資本として公債を利用する事が出来るので、貿易が拡大する。 ②確定公債が資本として農業と製造業に投入する事が出来るので農業と製造業が促進される。 ③確定公債が貨幣として使用されるので、その結果貨幣供給が増え、利息が下がる。 ④①〜③の利益の組合せによって社会の凡ゆる諸産業が促進される。 ⑤これまで余り注意を向けられてこなかったが、公債を確定する事は土地財産にも良い効果を与える。 |
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1,790 | 1 | 15 | アメリカ下院が、同月8日のジョージ・ワシントンの要請を受け、アレクサンダー・ハミルトンに対し製造業の保護と奨励の為の政策の策定を要請する。 | |
1,790 | 6 | トーマス・ジェファーソンとアレクサンダー・ハミルトンが、ジョージ・ワシントンのニューヨークの自宅で鉢合わせする。そこで後日食事会を開く事が決定された。ジェファーソンは、ハミルトンのライバルであるジェームズ・マディソンも誘い夕食会が開かれた。マディソンは首都をポトマック川河畔(アメリカのワシントンD.C.)にしようとしていた。対するハミルトンは、ニューヨーク州の借金をアメリカ政府に肩代わりさせようとしていた。この夕食会が切っ掛けで、ワシントンD.C.がアメリカの首都となり、アメリカ政府がニューヨーク州の借金を肩代わりする事となった。 | ||
1,790 | 8 | 12 |
アメリカ議会が、以下の内容の「公債借換法」を制定する。同年1月9日にアレクサンダー・ハミルトンがアメリカ議会に提出した公信用に関する報告書の内容が実現する事となった。 ①現行関税・とん税収入のうち600,000ドルの通常経費支出を除き、残額は全て公債利息支払いに充てる。 ②外債返済の為に12,000,000ドルまでの外国借款を行う。 ③合衆国政府債のうち元金は、2/3を6分利付公債、残りの1/3を西暦1,800年迄の利子支払据置の6分利付公債に借り換える。 ④合衆国政府債のうち未払利息は、3分利付公債と借り換える。 ⑤邦債は、2/3を6分利付公債と、残りの1/3を3分利付公債と借り換える。 但し、前者の内1/3は西暦1,800年迄利子支払据置の6分利付公債から成る。 ⑥全ての利息は年4回支払われる。 ⑦減債基金に西部公有地売却収入を充てる。 |
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1,790 | 9 | 18 | ヘンリー・フレデリックが、ロンドンの自宅で死去する。 | |
1,790 | 11 | 13 |
アレクサンダー・ハミルトンが、資本金は10,000,000ドルで第一合衆国銀行を設立する事を提案する「国立銀行に関する報告書」をアメリカ国務省に示す。内容は以下の通り。 ①株式額面400ドルの払い込みについて、1/4を正貨、3/4を新連邦政府債で行う。 ②アメリカ政府は、資本金の20%を所有し監督権を持つが、以下の業務等の運営に於いては、頭取を含む25名の取締役が行う。 ❶政府への貸付 ❷民間への手形割引 ❸兌換銀行券の発券 ❹預金 |
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1,790 | 11 | 24 | ジョージ4世が、フリーメイソンのグランドマスターに選出される。 | |
1,790 | 12 | 13 | アレクサンダー・ハミルトンが、外国産および国産蒸留酒に対する消費税の新設を提案する「蒸留酒に関する報告書」をアメリカ議会に提出する。公債の累積はアメリカ政府の財政支出を増加させる為、多額の財政収入を必要とする事が背景としてあった。 | |
1,790 | 12 | 14 | アレクサンダー・ハミルトンが、前月アメリカ国務省に示した国立銀行に関する報告書をアメリカ議会に提出する。 | |
1,791 | ナポレオン・ボナパルトが征服時にユダヤ人に市民権を与え、各地でゲットーの壁が壊される。 | |||
1,791 | イタリアの医師、物理学者であるルイージ・ガルヴァーニが、死んだカエルの足を解剖する為に、金属を当てたところ、カエルの足が痙攣する事を発見する。ガルヴァーニはこの事より、カエルの体には電気を作る性質があると発表する。 | |||
1,791 | ジャン・フランソワ・ボットが最初の時計を製作する。 | |||
1,791 | 1 | ナポレオン・ボナパルトがフランス王国本土に戻る。 | ||
1,791 | 1 | 28 |
アレクサンダー・ハミルトンが、国立銀行からの借入れや公債利子支払いは統一貨幣制度を前提とするものであるから、植民地時代から統一貨幣制度を持たなかったアメリカには統一貨幣制度が必要であるとし、「鋳造所設立に関する報告書」をアメリカ議会に提出する。内容としては以下の通り。 ①複本位制の採用 ②貨幣単位をドルとし、10進法で扱う ③1ドル金貨・銀貨を以下の通り定め、自由鋳造制度を採用する ①1ドル金貨:約1.60g ②1ドル銀貨:約24.06g |
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1,791 | 2 | 15 |
トーマス・ジェファーソンが、前年のアレクサンダー・ハミルトンによる国立銀行に関する報告書に対する意見書である「国立銀行の合憲性に関する意見」をアメリカ議会に提出する。その内容は主に以下で、国立銀行を法人とする事に対する批判であった。 ①法人の株主達が法人を形成する事になる。 ②国立銀行が法人形態を採用する事によって、土地の譲与を受ける事が可能になり、その結果、死手法に反する事になる。 ③外国人が当該法人の株主となり、土地を保有し、その結果、権原譲渡に関する法に反する事になる。 ④所有者の死亡により、特定の家系の相続人にのみ土地を相続させる事になり、物的財産法定相続の在り方を変えてしまう。 ⑤法人を通じて、財産の没収や不動産復帰を逃れる事が可能になり、財産の没収に関する法に反する事になる。 ⑥人的財産が特定の家系の相続人に譲渡される事になり、人的財産相続分配に関する法に反する事になる。 ⑦国家的権威の下で銀行業務を行う唯一にして排他的な権利を国立銀行の株主に付与する事は、独占を禁じる法に反する。 ⑧国立銀行の株主達が、州法に優越する法を作る権限を有する事になり、州の立法府のコントロールから当該法人を保護する様に法が解釈される事になる。 |
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1,791 | 2 | 23 | アレクサンダー・ハミルトンが、同月にトーマス・ジェファーソンがアメリカ議会に提出した、国立銀行設立は法を犯していると指摘する意見書に対して反論する意見書「国立銀行の合憲性に関する意見」を示す。 | |
1,791 | 2 | 25 |
アメリカ議会が「合衆国銀行特許法」を成立させる。此れにより、以下3名の思惑通り、アメリカ初の銀行である「第一合衆国銀行」が、公認期間20年間で承認された。 ①アレクサンダー・ハミルトン ②マクシミリアン・ロベスピエール ③メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド 此れによりロスチャイルドは、アメリカ国家の資金管理を手中に収めた。 |
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1,791 | 2 | 27 | 老中松平定信が江戸市中の湯屋の混浴を禁止する「男女入込禁止令」を発する。 | |
1,791 | 3 | 3 | アメリカ議会が「蒸留酒税法」を制定する。アレクサンダー・ハミルトンが前年12月13日に提出した蒸留酒に関する報告書が受け入れられた形となった。 | |
1,791 | 5 | 6 | アメリカの商人で帆船「レディ・ワシントン号」船長のジョン・ケンドリックがニューヨーク船籍の「グレイス号」を引き連れボストンから紀伊大島の雷公浜(現在の和歌山県東牟婁郡串本町)に上陸し、カナダ産の毛皮を持ち込み通商を求める。ケンドリック達は雷公浜の住民を船内に招き持て成したが、毛皮には興味を持たれず、通商は叶わなかった。 | |
1,791 | 6 | 20 | マリー・アントワネットの実家であるオーストリアのハプスブルク家に援助を求める為、ルイ16世一家はテュイルリー宮殿を脱出する。0時に脱出する予定であったが、ラファイエット侯爵が宮殿に長居した為、1時過ぎにロシア貴族のコルフ侯爵夫人に成り済まし、近衛士官マルデンの手引きで幌付き2頭立ての馬車で出発した。 | |
1,791 | 6 | 21 | 6時、テュイルリー宮殿にて侍女達がルイ16世一家がいなくなっている事に気付く。ラファイエット侯爵は憲法制定国民議会と市役所に大砲を3発放たせて警報を発し、パリに厳戒態勢を敷いた。竜騎兵大佐ショワズールはシャロン・アン・シャンパーニュ(フランスのマルヌ県)近くのポン・ド・ソルヴェールの橋でルイ16世を待っていたが、なかなか現れず、何事かと訝る住民の目に晒された為部隊を街道から隠した。その為ルイ16世一行が16時にシャロン・アン・シャンパーニュに到着した際ショワズールと行き違いになった。ルイ16世一行は次の目的地サント・ムヌーへ向かった。しかしサント・ムヌーでも不審な部隊を警戒した地元の国民衛兵隊300名が武装して集まってきた為、ルイ16世と合流する予定であった指揮官の大尉ダンドワンは衝突を恐れ解散を命じ、護衛の竜騎兵達の多くは市民と一緒に酔っぱらっていた。よってルイ16世は20時にサント・ムヌーに到着したものの、ここでも竜騎兵と合流出来なかった。しかしダンドワンは何とかルイ16世の馬車を見つけ近寄って会釈をした。ところがこれを夕涼みに出ていた宿駅長宿駅長のジャン・バプティスト・ドルーエが見ていた。大尉や竜騎兵たちが馬車の中の従僕や侍女に恭しく挨拶するのを怪訝に思っていた所へ、シャロン・アン・シャンパーニュからルイ16世一家が通過したとの噂を聞き、アッシニア紙幣の肖像画から一行の中にルイ16世がいた事を確信、21時にラファイエット侯爵からルイ16世逃亡の報告を受け、ドルーエは友人のギヨームと共にヴァレンヌ・アン・アルゴンヌ(現在のフランスのムーズ県)を目指した。ドルーエはクレルモン・フェラン(フランスのピュイ・ド・ドーム県)経由で、ギヨームはアルゴンヌ森(フランスのムーズ県)経由で向かった。ルイ16世一行は10分程度サント・ムヌーに滞在した後、クレルモン・アン・アルゴンヌ(フランスのムーズ県)に到着した。ここでようやく竜騎兵と合流できたが、国王の逃亡はすでにこの町ではニュースになって騒ぎになっていた。町の当局者は、一行を怪しんだものの、コルフ侯爵夫人に成り済ました人間の旅券を持つ馬車を止める権限がなかったので、行かせる事にした。しかし明らかに不審な竜騎兵部隊の随行は禁止した。次にルイ16世一行ヴァレンヌ・アン・アルゴンヌ(フランスのムーズ県)に到着するが、ドルーエ等が先回りし大勢の群衆と共に待ち構えていた。直様地元当局に通報、警護騎兵エティエンヌ・ラデ率いる国民衛兵の協力によりエール川に架かる橋を封鎖し、23時10分、ヴェルサイユに滞在していた裁判官ジャック・デステスによって正式に王族である事が確認され逮捕された。亡命を画策していたと喧伝された事から国王への信頼と権威は失墜し、革命の敵だと見做された事が処刑の原因となった。 | |
1,791 | 6 | 25 |
19時、ルイ16世一家がテュイルリー宮殿に連れ戻される。国民議会を代表する護衛として主に以下の議員が加わっていた。 ①アントワーヌ・バルナーヴ ②ジェローム・ペティヨン・ド・ヴィユヌーヴ |
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≈ | 1,791 | 7 | フィラデルフィア在住のマリア・レイノルズが、アレクサンダー・ハミルトンのフィラデルフィアの自宅を訪れる。マリアは、アメリカ独立戦争で兵站部に属していた夫のジェームズ・レイノルズから虐待を受けたと主張し、助けを求めた。ハミルトンはマリアが故郷のニューヨークに戻る為の金銭を渡すべく、その夜にマリアと会談する事にした。ハミルトンがマリアの下宿先に出向いて30ドルを渡すと、マリアはハミルトンを2階の寝室に案内した。以降ハミルトンとマリアは不倫関係となった。この頃から本年10月頃にかけて、ハミルトンの妻エリザベス・スカイラーとその子供達が、スカイラーの両親の居るオールバニー(アメリカのニューヨーク州)に滞在していた間、ハミルトンとマリアは不倫関係を続けた。暫くするとマリアは、ジェームズが復縁を求めている事をハミルトンに伝えた。ハミルトンは復縁を認めたが、不倫関係は続いた。その後マリアは、ジェームズがハミルトンの面接を受ける機会を取り付け、ハミルトンにアメリカ財務省の職を求めたが、ハミルトンは拒否した。 | |
1,791 | 9 | ナポレオン・ボナパルトがコルシカ島に戻る。この時島内では反フランス派が多くなっていた。 | ||
1,791 | 9 | 3 |
フランス国民議会が、フランスで最初の憲法を制定する。主な内容は以下の通り。 ①フランス王国は単一にして不可分である。 ②政体を立憲君主政に移行させる。 ③絶対王政を否定し、フランス国王を憲法と法の下に置く。また、フランス国王を国民の代表者として歳費を貰う一官吏として規定する。しかし、フランス国王は行政権を持ち、内閣の閣僚を議会外から任免することが出来、議会の立法権に対し拒否権を有していた。立法権を持つ議会は任期2年の一院制を採る代議制であるが、内閣は国王が議会外から任命され、国王は立法に対する拒否権を持つ。 ④議員を選ぶ選挙は、選挙権は直接国税を一定額納めた「能動的市民(25歳以上の男子の約70%)」が有しているが直接議員を選ぶのでは無く、その中から裕福な者およそ50,000名を選挙人として選び、選挙人が議員・県議会議員・郡議会議員・裁判官を選挙する2段階の制限選挙とする。また財産を有しない者は「受動的市民」とされ、選挙権は認められない。 ⑤司法権は裁判所が有し、裁判官の売官制は廃止され公選となり、陪審制を導入する。 ⑥地方行政制度に関し、全国を83の県に分け、更に地区・カントン・市町村に区分する。 |
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1,791 | 9 | 29 | 江戸幕府は外国船の取扱に関し、外国船が海岸に近づいた際には厳しい臨検を行い、拒否した場合には打ち払う事、応じた場合には穏健に扱うが、船・船員もろとも抑留して幕府からの指令を待つ事とする法令を発する。 | |
1,791 | 12 | 5 | アレクサンダー・ハミルトンが「製造業に関する報告書」をアメリカ議会に提出する。真の独立国と成る為の、製造業の発展と保護政策の重要性を説いた内容であった。 | |
1,791 | 12 | 10 | ヤコブ・フランクが死去し、イヴ・フランクがシャブタイ派の指導者となる。 | |
1,791 | 12 | 12 | 第一合衆国銀行が、20年の特許期限の下に設立される。資本金は10,000,000ドルで、内2,000,000ドルがアメリカ政府の出資で、残り8,000,000ドルは民間出資であった。また、35,000,000ドルの融資を受けたが、内28,000,000ドルはロスチャイルド家が支配するヨーロッパの銀行家からのものであった。初代第一合衆国銀行頭取には初代北アメリカ銀行頭取トーマス・ウィリングが就き、本店はフィラデルフィアに置いた。 | |
1,791 | 12 | 15 | アレクサンダー・ハミルトンが、マリア・レイノルズに対し不倫関係を終わらせたいという意思を示す。その直後からマリアは、「ジェームズ・レイノルズが、ハミルトンと私が不倫関係にあった事に対して怒っている。ジェームズは今日貴方に書簡を送った。もし貴方が返信しなかったり、今日貴方と対面しなければ、エリザベス・スカイラーに書簡を送ると誓った。ジェームズは出掛けたばかりで私は一人です。原因が分かるかも知れないので一度此処に来た方が良いでしょう。嗚呼、何て事だ。私は自分自身よりも、貴方の事を想っていて、貴方にこれほど不幸を与えるのであれば、生まれて来なければ良かったと思っています」といった主旨の脅迫状を同月19日迄送り続けた。当時の慣習に倣えば、ジェームズが決闘による報復を求める状況であったが、ハミルトンの様な社会的地位の高い人間の不倫が公になった場合、ハミルトンの被る損失が甚大である事を理解していたジェームズは、代わりに金銭的補償1,000ドルを求めた。ハミルトンはこれに応じたが、その後もジェームズは、ハミルトンに友人としてマリアを訪問する様誘った。ハミルトンは、訪問する度に金銭30ドル若しくは50ドルを要求され、それを支払い、総額は最初の1,000ドルも含め、1,300ドル以上であった。 | |
1,792 | ハーナウ宮殿の国庫の首席徴収官であったカール・ビュデルスが、戦争担当としてカッセルに転勤となる。 | |||
1,792 | 4 | 2 | アメリカ議会が「第一貨幣法」を成立させる。アレクサンダー・ハミルトンが、前年1月28日にアメリカ議会に提出した鋳造所設立に関する報告書が受け入れられ、ドルを貨幣単位とした、アメリカ固有の貨幣制度が確立された。 | |
≈ | 1,792 | 6 | アレクサンダー・ハミルトンとジェームズ・レイノルズ夫妻の関係が途絶える。 | |
1,792 | 8 | 10 |
フランス王国国民と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃し、ルイ16世やマリー・アントワネット等の国王一家を捕らえ、タンプル塔(現在のフランスのパリ3区)に幽閉する。其の際以下2名は、ルイ16世とマリー・アントワネットを物理的に守った。 ①ピエール・サミュエル・デュポン ②エルテール・イレネー・デュポン 此れによりピエールは逮捕され、ギロチン処刑を宣告された。 |
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≈ | 1,792 | 9 | 1 | マクシミリアン・ロベスピエールがパリ・コミューンの主要メンバーの一人として、国民公会の副議長に選出される。 |
1,792 | 9 | 21 | フランス王国で、王権を廃止と共和政府樹立の宣言がされる。 | |
1,792 | 9 | 24 | ロシア帝国ロマノフ朝の陸軍中尉アダム・ラクスマンが、イルクーツク総督イワン・ピールの通商要望の信書を携え、大黒屋光太夫、小市、磯吉の漂流民3名を連れ、エカテリーナ号でオホーツクを出発する。 | |
1,792 | 10 | ナポレオン・ボナパルトがコルシカ島に戻る。 | ||
1,792 | 10 | 20 | アダム・ラクスマン一行が根室に到着する。藩士が根室に駐在していた松前藩は直ちにラクスマンが江戸に出向いて漂流民を引き渡し、通商交渉を行う意思が強い事を江戸幕府に報告する。しかし、老中首座松平定信等は、漂流民を引き取り、総督ピールの信書は受理せず、どうしても通商を望むならば長崎に廻航させる事を指示。その為の宣諭使として目付の石川忠房、村上大学を派遣した。 | |
1,792 | 11 |
以下2名が、アメリカ独立戦争兵士の年金と未払い請求権を不法に購入したという偽造の罪で投獄される。 ①ジェームズ・レイノルズ ②ジェイコブ・クリングマン ジェームズは、アレクサンダー・ハミルトンに対し支援を求める書簡を送ったが、ハミルトンは拒否し、更にはマリア・レイノルズからの書簡や金銭の要求も拒否した。これを受けてクリングマンは、ハミルトンの政敵であるアメリカ上院議員ジェームズ・モンローに対し、レイノルズが、ハミルトンは財務長官としての違法行為でハミルトンを有罪とする証拠を持っていると通告した。これを受けてモンローは、以下2名と今後どの様な行動を執るべきか相談した。 ②アメリカ下院議員フレデリック・ミューレンバーグ ③アメリカ下院議員エイブラハム・ヴェナブル |
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1,792 | 12 | 12 | ジェームズ・レイノルズが刑務所から釈放される。その後、ジェームズ・モンローにアレクサンダー・ハミルトンを有罪にする情報を伝える事無く行方を暗ました。 | |
1,792 | 12 | 15 |
以下3名が、投機の疑いの証拠を持参してアレクサンダー・ハミルトンの下を訪れる。 ①ジェームズ・モンロー ②フレデリック・ミューレンバーグ ③エイブラハム・ヴェナブル ハミルトンは、自らの立場が危うくなる事を恐れ、マリア・レイノルズとの不倫に関し認めた。しかし、ジェームズ・レイノルズに対する金銭の支払いに関しては、アメリカ財務省の不正行為では無く、不倫を巡る脅迫を受けての口止め料であると主張し、レイノルズ夫妻が送付した書簡を提出した。不正行為では無い為、情報を非公開とする事でコンセンサスを取ったが、モンローはこの書簡のコピーをトーマス・ジェファーソンに送付した。ジョン・ジェイムズ・ベックリーもコピーを作成した。 |
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1,793 | 1 | 1 | ジェイコブ・クリングマンがジェームズ・モンローに対し、マリア・レイノルズは、不倫を巡る脅迫の書簡は、アメリカ財務省の投機計画の隠れ蓑であると主張していると伝える。 | |
1,793 | 1 | 16 | 20時、ルイ16世を死刑にするか否かの国王裁判に於いて、投票が開始される。 | |
1,793 | 1 | 17 |
20時、ルイ16世を死刑にするか否かの国王裁判に於ける投票が終了する。其の後集計が行われ、21時、以下の結果を以って国民公会議長ピエール・ヴェルニヨが悲痛な声でルイ16世の死刑を宣告した。 ①投票総数721票(国民公会を構成する745名の内❶〜❺を除く721名が投票) ❶死亡者1名 ❷病気による欠席6名 ❸理由無き欠席者2名 ❹公務による欠席者11名 ❺投票を免除された者4名 ②賛成:387票 ❶減刑の余地をフランス王国民に保留しつつ死刑に投票した者1名 ❷刑の執行の促進乃至遅延が適当であるか否かの検討を要求しつつ死刑に投票した者23名 ❸ブルボン朝一族全員の追放の後迄刑の執行を猶予する事を要求しつつ死刑に投票した者8名 ❹鉄鎖の刑に投票した者2名 ③反対:334票 |
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1,793 | 1 | 18 | 夫人が第3代ブルボン朝フランス国王ルイ14世の庶系の曾孫娘ルイーズ・マリー・ド・ブルボン・パンティエーヴルであったルイ・フィリップ2世が、ルイ16世の処刑に賛成票を投じる。 | |
1,793 | 1 | 21 | ルイ16世が「私は告発された全ての罪に就いて無実の儘死んでいくのだ」と言い残し、ギロチン処刑される。 | |
1,793 | 2 | ナポレオン・ボナパルトがコルシカ島の南にあるサルデーニャ島への遠征軍の砲兵将校として、初めて実戦を経験する。ナポレオンはサルデーニャ島周辺の小さな島の攻略をしていたが、そのときの水兵たちが反乱を起こし、ナポレオンが加わっていた遠征軍は撤退する。実はこの遠征軍はコルシカ島の独立を画策するパスカル・パオリに率いられていたという事を、ナポレオンの弟であるリュシアン・ボナパルトが告発する。 | ||
1,793 | 4 | パスカル・パオリがパリに呼び戻されたが、独立を支持する島民たちはボナパルト家を襲撃。 この影響で、ボナパルト一家はコルシカ島を脱出してトゥーロンへ逃亡する。 | ||
1,793 | 4 | 7 | フランスの国民公会によって、自由の確立の為には暴力が必要であるとし、「公安委員会」が設立される。首班にはジョルジュ・ダントンが就いた。 | |
1,793 | 6 | 対清全権使節ジョージ・マカートニーが天津に来航する。 | ||
1,793 | 7 | 16 | アダム・ラクスマンが箱館(現在の北海道函館市)を出港、長崎へは向かわずオホーツクに帰港する。ラクスマンの報告により、日本との交易が有望と考えたロシアは、後に得撫島に開拓民58名を送り、ロシアの基地を建設する事となる。 | |
1,793 | 7 | 27 | マクシミリアン・ロベスピエールが公安委員会に加入し、第2代首班となる。 | |
1,793 | 8 | 1 | ジャン・フランソワ・ボットがジャック・ドーファン・ムーリエと共に「ムーリエ&ボート」を設立する。 | |
1,793 | 9 | ナポレオン・ボナパルトがトゥローンで砲兵隊司令官に任命され、イギリス軍をトゥローンから撤退させる。 | ||
1,793 | 9 | 14 | ジョージ・マカートニーが、イギリス産の安価で大量の綿織物等の工業製品の輸出増を実現し、貿易収支を改善する事を意図し、イギリス人が中国沿岸で居住し貿易ができるよう申し入れたジョージ3世の信任状を携え、第6代清皇帝乾隆帝に熱河(現在の中国河北省、遼寧省、内モンゴル自治区)にて謁見する。その際、三跪九叩頭の礼という3回跪き、その都度頭を3回、合計9回床に付けるという儀礼を求められたが、マカートニーは拒否する。最終的に清側が譲歩し、片膝を付き乾隆帝の手に接吻し、信任状を手渡すという方法が採られた。しかし、清側はあくまでもマカートニーを朝貢使節と見做し、実質的な交渉は行われなかった。また、乾隆帝は「中国は豊かな国であり何でもある。お前達が欲しいというからお情けで売る事を認めている。おまえたちから欲しいものは何もない。貿易拡大とは笑止千万である。」という主旨の書状をマカートニーに渡した。 | |
1,793 | 9 | 18 | ジョージ・ワシントンが、アメリカの連邦議会議事堂の建設用地での定礎式にフリーメイソンの式服一式を見に纏い、肖像画を描かせる。 | |
1,793 | 10 | ナポレオン・ボナパルトがコルシカ島に戻る。 | ||
1,793 | 10 | 16 | マリー・アントワネットがマクシミリアン・ロベスピエール率いるジャコバン派によりギロチン処刑される。 | |
1,793 | 10 | 28 | 綿繰り機を発明したアメリカのイーライ・ホイットニーが、特許を申請する。 | |
1,794 | イギリスの衛星国として、コルシカ王国が成立する。 | |||
1,794 | ヴィルヘルム9世が、イギリスにある資金を担保に150,000フロリンの借入を金融業者に打診したが拒否される。此れにメイヤー・アムシェル・ロスチャイルド含む3名が応じた。 | |||
1,794 | 5 | 8 | 午後、気温13度で南風で晴れの中、ピエール・サミュエル・デュポンの親友で、エルテール・イレネー・デュポンの化学研究の恩師であった化学者アントワーヌ・ラヴォアジエが、総括徴税請負人28名と共に、ジャコバン派によってギロチン処刑される。 | |
1,794 |
スロベニアの数学者・物理学者ユーリイ・ヴェガが円周率に関し西暦1,706年に用いられた以下のジョン・マチンの公式を使い、137桁の精度を得る。 |
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1,794 | 7 | 27 | マクシミリアン・ロベスピエールが、国民公会で「今此の場で敢えて名を挙げる事はしない。其の非道さの深い謎を覆うベールを徹底的に引き裂く事は出来ないからだ。フランス革命を企む人々の中には、腐敗放埒さから成る組織、即ち此の共和国の転覆の為に外国人勢力によって作られた凡ゆる策略に最高の実権を握る人々の手下が含まれていると確信している。詰まり彼らは無神論及び其の根底にある不道徳さという不純の使徒だと考えている」という主旨の演説を行い、革命の背後に存在するイルミナティの人々を暴き出す事を示唆する。 | |
1,794 | 7 | 28 | マクシミリアン・ロベスピエールがギロチン台に送られる。処刑人サムソンは、ロベスピエールの顎の包帯を外し、処刑した。ロベスピエールは処刑の直前迄悲鳴を上げた。ロベスピエールは前日の演説が原因でロスチャイルド側に始末された。ロベスピエールが処刑された事で、ギロチン処刑の宣告を受けていたピエール・サミュエル・デュポンは、執行を免れた。 | |
1,795 | カール・ビュデルスが、陸軍枢密顧問官に昇進する。 | |||
1,795 | マリア・レイノルズがジェイコブ・クリングマンと再婚する。アレクサンドリア(アメリカのバージニア州)に居を構えた。 | |||
1,795 | ピエール・サミュエル・デュポンが、元老院のメンバーに選出される。 | |||
1,795 | 4 | 5 | ジョージ4世との結婚式の為、ハノーファー(現在のドイツのニーダーザクセン州)から出発していたジョージ4世の従妹キャロライン・オブ・ブランズウィックが、ロンドンに到着する。浪費により220,000ポンドの借金を作っていたジョージ4世は、ジョージ3世が探してきたブランズウィックと結婚すれば、イギリス議会による予算で借金を棒引きにするという条件を提示し、ジョージ4世は此れを受け入れていた。ブランズウィックと対面したジョージ4世は、風呂嫌いのブランズウィックの強烈な体臭に思わず顔を背けた。ブランズウィックも体重110kgのジョージ4世の体型を見て失望した。 | |
1,795 | 4 | 8 |
夕方、セント・ジェームズ宮殿にて、以下2名が結婚式を挙げる。 ①ジョージ4世 ②キャロライン・オブ・ブランズウィック 版画家ウィリアム・ハミルトンは、式典の入場券と式典の版画を描く許可を与えられた。式典の版画は、ジョージ3世の参女エリーザベト・フォン・グロスブリタンニエンの発案であった。版画家トムキンスが、ハミルトンに3.6576mの幅の絵画を依頼し、油彩スケッチを基に作業を行なった。ジョージ4世は式中焼けに酔っ払い、弟達に左右を支えられて立っている有様であった。ジョージ4世とブランズウィックは不仲で、ジョージ4世は「初夜の時しか一緒に寝ていない」と豪語していた。 |
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1,796 | 清がアヘン輸入の禁止令を出し、関税表からアヘンを削除した。 | |||
1,796 |
メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが事業の共同経営者に以下2名を指名し、家長と実の息子のみ経営に参画し、娘・娘婿・従兄弟・甥等の親族は経営に参画させない旨を通達する。 ①アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルド ②ソロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルド |
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1,796 | 1 | 7 |
以下2名の間に長女シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズが生誕する。 ①ジョージ4世 ②キャロライン・オブ・ブランズウィック |
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1,796 | 4 | 30 | ジョージ4世が、キャロライン・オブ・ブランズウィックに対し、別居の条件に同意する書簡を書く。シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズの養育方法を巡って、ジョージ4世とブランズウィックは対立していた。ジョージ4世は「私達の意思は、自分ではどうする事も出来ません。お互い相性が悪い以上、お互いに責任を負わせるべきではありません」とし、ブランズウィックの要請に応じ、仮にシャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズが死去しても、ブランズウィックが再び正当な王位継承者を儲ける事を強制されないと約束した。最後にジョージ4世は「私達はお互いに説明を尽くしたので、残りの人生が途切れる事の無い平穏の中で過ごせるだろう」と結んだ。そして、翌年には別居し、ウェールズはブランズウィックから引き離され、ブランズウィックは、西暦1,800年迄には、グリニッジ・パーク(現在のイギリスのロンドンのグリニッジ区)内の私邸「モンタギュー・ハウス」に居住していた。 | |
1,797 | イギリス東インド会社がベンガル地方でのアヘン製造独占権を獲得。 | |||
1,797 | コロンブスの最初の航海で座礁したサンタ・マリア号の錨がカパイシアン近郊の農園で発見される。 | |||
1,797 | イエズス会神父オーギュスタン・バリュエルが「ジャコビニズムの歴史を説明する回顧録」を出版し、フランス革命、フリーメイソン、イルミナティを結びつける。 | |||
≈ | 1,797 | 7 | ジャーナリストのジェームズ・トムソン・カレンダーが「1796年のアメリカの歴史」を出版する。アレクサンダー・ハミルトンとジェームズ・レイノルズ夫妻に関する関係について述べ、ハミルトンの公的悪行を暴くと宣言した。また、西暦1,792年12月15日にハミルトンがジェームズ・モンローに提出した、レイノルズ夫妻がハミルトンに送付した書簡のコピーも添えられていた。 | |
1,797 | 7 | 5 |
アレクサンダー・ハミルトンが、以下3名に対し、財務長官時代の自身の誠実さの認識を損なう様な出来事は何も無かった事を確認する様求める。 ①ジェームズ・モンロー ②フレデリック・ミューレンバーグ ③エイブラハム・ヴェナブル モンロー以外の2名はこれに応じた。 |
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1,797 | 7 | 10 | ヴェネツィア共和国でゲットーの門が取り除かれて焼かれる。 | |
1,797 | 8 | 2 | 大佐ジェレマイア・ワズワースが、アレクサンダー・ハミルトンに対し西暦1,792年11月〜12月12日迄のジェームズ・レイノルズが拘留されていた期間、マリア・レイノルズがどの様な行動を執っていたかを記した書簡を送る。マリアは、ジェームズの釈放を手助けする為に、初代ペンシルベニア州知事トマス・ミフリンとワズワースに対し、ハミルトンとの最初の出会いや情事に関する事を話した。 | |
1,797 | 8 | 25 | アレクサンダー・ハミルトンが、95頁の小冊子「特定の文書の観察」を出版する。内容としては、マリア・レイノルズとの不倫を認めて謝罪し、ジェームズ・レイノルズへの金銭の支払いは公的なものでは無く、不倫を巡る脅迫を受けての口止め料であると主張した。ハミルトンの率直さは賞賛されたが、一方で、民主共和党からの嘲笑の的となったが、公職は維持する事が出来た。最終的にエリザベス・スカイラーは、ハミルトンを許した。マリアは公の場で軽蔑される様になり、ジェイコブ・クリングマンと共にイギリスに移住した。 | |
1,797 | 9 | 4 | 0時、気付けの為にシャンパンを飲んだナポレオン・ボナパルトの部下で将軍のピエール・オージュローが、12,000名の兵をパリに入れ、ブルボン朝に対するクーデターを起こす。前日に評議会で国家警備隊の編成が可決され、ルイ・ラザール・オッシュの連れて来た兵はこの日の朝迄にパリから撤退しなければならなかった。結果的に、無血でのパリの包囲に成功したが、総裁ラザール・カルノーを取り逃がした。此のクーデターの際、ピエール・サミュエル・デュポンの自宅は暴徒により襲撃され、逮捕されて一晩拘留された後、釈放された。此れは、デュポン家がアメリカに亡命する切っ掛けとなった。 | |
1,798 |
メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの参男のネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが、20,000ポンドを携えロンドンへ渡る。20,000ポンドの内16,000ポンドは、モーゼズ・モンテフィオーレの義妹で、ロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエン経由でメイヤーが送った物であった。当時ネイサンは英語が全く出来なかった。その後マンチェスターに移動し、フランス革命の影響で大陸で暴騰していた綿を大量に買い付け、大陸へ輸出する業務に従事した。当時マンチェスターの繊維産業の粗利率は20%程度であったが、ネイサンは国内5%、国外9%と低く抑え市場に食い込んでいった。原料や完成品を以下に売る事で低い粗利率を実現した。 ①原綿→紡績屋 ②染料→㮈染屋 ③完成品→輸入元の義兄ベネディクト・ヴォルムス メイヤーは、マンチェスターからやって来た綿製品の製造業者に対し、ドイツに長く引き止め、大量の発注を行った。製造業者がマンチェスターに戻るとネイサンから原料を購入しなければならなかった。原料を購入出来なかった場合、メイヤーに多額の違約金を払わなければならなくなるからである。 |
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1,798 | 2 | ユダヤ人がゲットーから解放される。 | ||
1,799 | イタリアのボルタが電気を作るのはカエルではなく2種類の金属である事を発見し,最初の電池が発明される。 | |||
1,799 | ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征の際、コルシカ島に立ち寄る。 | |||
1,799 | 江戸幕府が東蝦夷地を天領とし、蝦夷地の直接経営に乗り出す。 | |||
1,799 | 間宮林蔵が蝦夷地巡視の一行に加わる。 | |||
1,799 | 清がケシの国内栽培を禁止する。この時の清のアヘン密輸入量は60kg/箱で1,000kg以下だった。 | |||
1,799 | ピエール・サミュエル・デュポンが、ピエールのエルテール・イレネー・デュポンを始めとする家族を引き連れアメリカに亡命し、フィラデルフィアに移住する。ピエールは、フランス革命にて穏健派に属していた為、ジャコバン派によってギロチンで処刑されると考え、祖国のフランスを離れた。現地で、フランスからの亡命者を集めてコミュニティを作ろうとしたが失敗した。ピエールは渡米後、トーマス・ジェファーソンを始めとする政治家や、産業界との結び付きを強め、アメリカとフランスの非公式な外交に携わった。 | |||
1,799 | 9 | 1 | マンハッタン銀行が、アメリカのニューヨークのウォール街40番地に設立される。 | |
1,800 | 1 | 1 |
以下2名を始めとする一行が、ニューポート(アメリカのロードアイランド州)に上陸する。 ①ピエール・サミュエル・デュポン ②エルテール・イレネー・デュポン |
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1,800 | 1 | 18 | ナポレオン・ボナパルトがフランス銀行を設立する。 | |
1,800 | 5 | 清がアヘンの栽培と輸入を禁止する。 |
妻シュザンヌ・ネッケルと共にホスピスを設立。
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