ヤルムークの戦い一元化
決闘・奇襲・撤退・反撃・包囲・壊滅──
東ローマ帝国のシリア支配を終焉させた6日間の決戦を一本の時系列に貫く。
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本書について
西暦636年8月15日、ヤルムーク川にて東ローマ帝国軍とムスリムが1マイル未満の距離で対峙した時から、西暦636年8月20日、ハーリド・イブン・アル・ワリードが東ローマ帝国軍をワディ・ウル・ラッカドの渓谷に追い詰め壊滅させる迄。本書は、東ローマ帝国のシリア支配を終焉させた6日間の決戦の全過程を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
第1日、東ローマ帝国軍の右翼中央部の指揮官ジョージがイスラム教に改宗するという劇的な幕開けの後、ムバリズンと東ローマ帝国軍の決闘で戦いが始まった。ヴァハンは歩兵の1/3で攻撃したが、バドルの戦いに参加した老兵100名を前に決意に欠け、日没と共に両軍は陣営に戻った。
第2日、ヴァハンは夜明け前の奇襲を計画したが、ワリードは夜間に前線を増強して備えた。スラブ人主体の左翼を率いるカナティールの大軍によりムスリムの右翼は後退し、左翼も蹂躙された。撤退したムスリムをハインド率いるアラブ人女性がテントポールで武装して迎え、ウフドの戦いの即興歌を歌い、士気を高めた。ワリードは機動警備隊で3方面から攻撃し、東ローマ帝国軍の左翼を押し戻した。第3日も東ローマ帝国軍はムスリムの右翼を攻撃し、ワリードは再び側面攻撃で窮地を救った。第4日、カナティールはアルメニア人とキリスト教アラブ人の支援を受け攻勢を強めたが、ワリードの幼馴染イクリマ・イブン・アビー・ジャハルが400名の騎兵で退却を援護し、致命傷を負い死亡した。
第5日、ヴァハンは休戦を求めたが、ワリードは勝利が近いと判断しこれを断った。ムスリムは防御から攻撃に転じ、全騎兵を8,000名の騎馬部隊に統合した。ワリードは東ローマ帝国軍を3つの渓谷と騎兵隊で包囲する作戦を立て、夜にアイン・アル・ダカール橋を占領した。第6日、ワリードは総攻撃を指示し、東ローマ帝国軍の左翼を北に敗走させ、左翼中央部を壊滅させた。四面楚歌となった東ローマ帝国兵はワディ・ウル・ラッカドの渓谷に追い詰められ、急な斜面から落ちて命を落とす者が続出した。ワリードはダマスカスを奪還し、ヘラクレイオスは真の十字架の聖遺物を携えコンスタンティノープルへ退いた。この戦いにより東ローマ帝国のシリア支配は終焉し、レバント地方のイスラム化が進む事となった。
登場人物
- ワリード ハーリド・イブン・アル・ワリード。ムスリムの最高司令官。機動警備隊を率いて幾度も側面攻撃で窮地を救い、最終日には東ローマ帝国軍を渓谷に追い詰め壊滅させた。戦後ダマスカスを奪還した。
- ヴァハン 東ローマ帝国軍の指揮官。右翼の後ろにパビリオンを建設して戦場を観察した。第5日に休戦を求めたが拒否された。ムスリムの機動警備隊の側面攻撃に終始苦しめられた。
- ヘラクレイオス 東ローマ帝国皇帝。敗北を知り激怒したが、敗因として姪マルティナとの結婚を挙げた。アンティオキアの大聖堂に退却した後、真の十字架の聖遺物を携えコンスタンティノープルへ向かった。
- アブー・ウバイダ ムハンマドの教友。第4日にワリードの命を受け左翼の左側から東ローマ帝国軍の前線を攻撃した。東ローマ帝国軍の弓騎兵の矢の雨を受けた。
- アムル・イブン・アル・アース ムスリムの右翼指揮官。第2日に騎兵連隊で反撃を命じたが多勢に無勢で基地に後退した。ワリードの側面攻撃後に失地を奪回し部隊を再編成した。
- ヤズィード・イブン・アビ・スフィアン ムスリムの左翼指揮官。機動警備隊のサポートが無い中で東ローマ帝国軍に圧倒された。第4日に目に矢を受け甚大な被害を被った。
- ディラール・ビン・アル・アズワル ワリード指揮下の連隊長。第2日に陽動を作り出して中央左翼のダイルジャンの軍を攻撃する任務を帯びた。
- イクリマ・イブン・アビー・ジャハル ワリードの幼馴染。第4日に騎兵400名を率いてムスリムの退却を援護したが、全員が重傷を負い、ジャハル自身も夕方に致命傷を負い死亡した。
- カナティール 東ローマ帝国軍の左翼指揮官。主にスラブ人で構成された部隊を率い、大軍でムスリムの右翼を攻撃した。
- グレゴリー 東ローマ帝国軍の指揮官。テストゥドの陣形を採用し、動きは遅いが堅固な守備を行った。
- ダイルジャン 東ローマ帝国軍の中央左翼指揮官。第2日にアズワルの陽動攻撃とワリードの側面攻撃を受け、戦死した。
- ジャバラ・イブン・アル・アイハム アルメニア人とキリスト教アラブ人を率いてカナティールを支援した。最終日に逃亡に成功し、その後イスラム教に改宗した。
- ジョージ 東ローマ帝国軍の右翼中央部の指揮官。第1日に馬でムスリムの戦線まで駆け上がりイスラム教に改宗したが、同日戦死した。
- ハインド 凶暴なアラブ人女性の指導者。撤退したムスリムをテントポールで武装して迎え、ウフドの戦いの即興歌を歌い、士気を高めた。
- セオドア・トリテュリウス 東ローマ帝国軍の将官。最終日の戦闘で戦死した。
- ニケタス ヘラクレイオスの従兄弟。最終日にエメサへの脱出に成功した。
- ヨナ シリアの単性論者の司祭。イスラム教に改宗しムスリム側として参戦したが、最終日に戦死した。
- ソフロニウス エルサレム総主教。ヘラクレイオスを秘密裏に船に乗せ、コンスタンティノープルへ送り出した。
- ズバイル・イブン・アウワーム バドルの戦いに参加した老兵。第1日にアブー・スフヤーンと共に前線に立ち、東ローマ帝国軍を攻撃出来ない程の威圧を見せた。
- アブー・スフヤーン バドルの戦いに参加した老兵。第1日にズバイルと共に前線に立った。
主要な地名・拠点
- ヤルムーク川 現在のシリア、ヨルダン、イスラエルに跨る河川。6日間の決戦の舞台。東ローマ帝国のシリア支配を終焉させた戦場。
- ワディ・ウル・ラッカド 戦場の西側の渓谷。ワリードが東ローマ帝国軍を追い込んだ先。アイン・アル・ダカール橋がこの渓谷を横切っていた。
- ワディ・アル・アッラー 戦場の東側の渓谷。東ローマ帝国軍の逃走を阻む自然の障壁となった。
- ワディ・アル・ヤルムーク 戦場の南側の渓谷。東ローマ帝国軍の逃走を阻む自然の障壁となった。
- アイン・アル・ダカール橋 ワディ・ウル・ラッカドを横切る橋。第5日の夜にワリードが500名の騎兵を派遣して占領し、東ローマ帝国軍の退路を遮断した。
- ダマスカス 現在のシリアの首都。最終日にワリードが逃走する東ローマ帝国兵を追跡して付近で攻撃し、奪還に成功した。地元住民に歓迎された。
- エメサ 現在のシリアのホムス県。ニケタスが脱出に成功した先。
- アンティオキア ヘラクレイオスが敗北後に退却し、大聖堂で会議を招集した場所。
- コンスタンティノープル 東ローマ帝国の首都。ヘラクレイオスがソフロニウスによって秘密裏に船で送り出された先。
決闘・奇襲・撤退・反撃・包囲・壊滅──
ヤルムークの戦い6日間の全記録を一冊に。
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