電子書籍「ハーリド・イブン・アル・ワリード一元化」の表紙

ハーリド・イブン・アル・ワリード一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦629年9月10日〜642年
※ヒジュラ暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,025年11月20日

ムウタ・カーズマ・ダマスカス・ヤルムーク──
「アッラーの剣」ハーリド・イブン・アル・ワリードの全戦歴を一本の時系列に貫く。

JPY 200(税込)

購入する

購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します

お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。


本書について

西暦629年9月、ムウタの戦いで指揮官が次々に戦死する絶望的な状況の中、ハーリド・イブン・アル・ワリードが指揮を引き継ぎムスリム軍を無事に撤退させた時から、西暦642年にエメサで死去する迄。本書は、イスラム史上最高の軍事的天才と称されるハーリド・イブン・アル・ワリードの全戦歴を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。

西暦632年、アブー・バクルが初代正統カリフに即位すると、ワリードはリッダ戦争において背教軍の征伐を指揮した。ブザカでは6,000名の兵で35,000名の背教軍を撃破し、アル・ヤママでは自称預言者ムサイリマを討伐した。ワリードの率いる軍は、ナクラ、ザファール等の各地で連勝を重ねた。

西暦633年、アブー・バクルの命を受けメソポタミア征服に着手したワリードは、ササン朝ペルシアとの戦いで卓越した戦略を発揮した。カーズマの戦いでは敵軍を長距離行軍で疲弊させてから決戦に持ち込み、アル・マダールでは3つの決闘で幕を開けた戦いでペルシア軍30,000名を殺害した。ウライの戦いでは敵兵の血で川を赤く染め、アンバール攻囲戦では弓兵に敵兵の目を狙わせた。さらにムザイヤ・サニー・ズマイルでは前例の無い3方向からの同時夜襲を連続して成功させ、フィラズではササン朝ペルシア・東ローマ帝国連合軍100,000名を殲滅した。

西暦634年、東ローマ帝国征伐へと転じたワリードは、マルジュ・ラーヒトでガッサーン朝を破り、ボスラ郊外の戦いでは東ローマ帝国軍を撃破した。ダマスカス攻囲戦では、城壁をロープで登り門を内側から開けるという大胆な奇襲によりダマスカスを陥落させた。西暦636年のヤルムークの戦いでは、6日間に亘る激戦の末に東ローマ帝国軍を渓谷に追い詰めて壊滅させ、東ローマ帝国のシリア支配を終焉させた。その後もエメサ、アレッポ、アンティオキア、ゲルマニアと征服を続けたが、ウマル・イブン・ハッターブにより解任され、西暦642年にエメサで死去した。


登場人物

  • ワリード ハーリド・イブン・アル・ワリード。イスラム史上最高の軍事的天才。ムウタの戦いで指揮を引き継ぎ撤退を成功させた後、リッダ戦争、ササン朝ペルシア征服、東ローマ帝国征伐で連戦連勝した。ウマル・イブン・ハッターブに解任され、西暦642年にエメサで死去。
  • アブー・バクル 初代正統カリフ。ワリードにリッダ戦争の指揮、ササン朝ペルシア征伐、東ローマ帝国征伐を命じた。西暦634年8月23日に死去。
  • ウマル・イブン・ハッターブ 第2代正統カリフ。ワリードを最高司令官から罷免しアブー・ウバイダを据えた。後にワリードの軍事的才能を認め、解任は自らの判断ミスであったと認めたが、最終的に再度解任した。
  • アブー・ウバイダ ムハンマドの教友。ハッターブによりワリードに代わる最高司令官に任命された。ボスラ郊外の戦いではムハンマドの黄色い旗をワリードに渡した。エメサ攻略やシリア北部征服を指揮した。
  • ムハンマド ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ。イスラム教の預言者。ムウタの戦いに軍を派遣し、指揮官戦死の際の引き継ぎ順を指示した。西暦632年6月8日に死去。
  • ディラール・ビン・アル・アズワル ワリードの右翼司令官。ボスラ郊外の戦いでは半裸で一騎討ちに臨み東ローマ帝国兵を全て破った。ダマスカス包囲戦では2,000名の機動警備隊騎兵を指揮した。
  • カーカ・イブン・アムル ムスリムの指揮官。ウライの戦いでは川のダムを開いてパンを作る助言を行った。ダマスカス奇襲ではワリードと共に城壁を登った。
  • アル・ムサンナ・イブン・ハリサ ササン朝ペルシアとの国境付近のアル・ヒラの部族長。軽騎兵の斥候としてウライへ進軍しワリードに敵の位置を知らせた。ワリード不在の間はメソポタミア方面の戦闘を指揮した。
  • シュラビル・イブン・ハサナ サハーバ。アル・ヤママでムサイリマに敗北した。ボスラ攻略では先遣隊を指揮。エルサレム降伏交渉ではワリードをハッターブの代役に送る事を提案した。
  • ヤズデギルド3世 第38代ササン朝ペルシアのシャー。ワリードの侵攻に対し軍を再編成し対抗したが、カーズマ、アル・マダール、ワラジャ等で連敗した。
  • ホルムズド ササン朝ペルシア総督。ワリードの降伏勧告を拒否し、カーズマの戦いで対峙したが、戦いの序盤で殺害された。
  • バフマン・ジャドゥヤ ササン朝ペルシア軍最高幹部の一人。ワラジャの戦いに遅参し、ウライの戦いでもジャバンに先行させたが、軍の再編成を繰り返した。
  • ヘラクレイオス 東ローマ帝国皇帝。ダマスカス救援やヤルムークの戦い等でムスリムに対抗したが、敗北を重ねた。ヤルムーク敗北後、真の十字架の聖遺物を携えコンスタンティノープルへ退いた。
  • トーマス ヘラクレイオスの義理の息子。ダマスカス包囲戦で右目に矢を受けながらも出撃を続けた。和平協定後の停戦期間終了後にワリードに追撃され、決闘で殺害された。
  • ヴァハン ヤルムークの戦いにおける東ローマ帝国軍の指揮官。ワリードと和平交渉を行い1ヶ月の休戦を実現させたが、その後の総攻撃でムスリムに敗北した。
  • ヨナ シリアの単性論者の司祭。ダマスカスの祭りの情報や城壁の弱点、アンティオキアへの近道をワリードに提供した。イスラム教に改宗し、ヤルムークの戦いで戦死。
  • ムサイリマ 自称預言者。アル・ヤママを拠点とし40,000名の兵を擁した。西暦632年12月、ワリードの軍に攻められ、ワフシー・イブン・ハルブの槍を受けアブー・ドゥジャーナに斬首された。
  • ヤズィード・イブン・アビ・スフィアン ムスリムの指揮官。ダマスカス包囲戦ではケイサン門と小さな門を担当。ヤルムークの戦いでは左翼を指揮し、東ローマ帝国軍の弓騎兵により目に矢を受けた。
  • イクリマ・イブン・アビー・ジャハル ワリードの幼馴染。アル・ヤママでムサイリマに敗北。ヤルムークの戦いでは400名の騎兵でムスリムの退却を援護し、致命傷を負い死亡した。
  • アムル・イブン・アル・アース ムスリムの指揮官。ダマスカス包囲戦ではファラディの門を担当。ヤルムークの戦いでは右翼を指揮した。
  • イヤド・イブン・ガンム ドゥマット・アル・ジャンダルで膠着状態に陥りワリードに援軍を要請した。その後ワリードの副将軍に任命され、アル・ジャジーラ地方の征圧にも参加した。
  • ザイド・イブン・ハリータ ムウタの戦いの司令官。ムハンマドに任命され3,000名を率いたが、戦闘で殺害された。
  • ジャファル・イブン・アビ・ターリブ ムウタの戦いでハリータの後を引き継いだが、両腕を切り落とされ殺害された。ムハンマドは「神は彼に一対の翼を与えた」と冥福を祈った。

主要な地名・拠点

  • ムウタ 現在のヨルダンのカラク県。西暦629年、ワリードが指揮を引き継ぎムスリム軍を撤退させた戦場。ワリードの軍歴の出発点。
  • アル・ヤママ 現在のサウジアラビアのリヤード州。自称預言者ムサイリマの拠点。西暦632年12月にワリードがムサイリマを討伐した。
  • カーズマ 現在のクウェートのジャハラー県。西暦633年4月、ワリードがササン朝ペルシア軍を疲弊させる戦略で勝利した戦場。鎖で繋がれた敵兵数千名が殺害された。
  • アル・マダール 現在のイラクのワーシト県。3つの決闘で戦いの幕が開き、ササン朝ペルシア軍30,000名が殺害された戦場。
  • ワラジャ ユーフラテス川のムサンナー県とカーディーシーヤ県の県境付近。ワリードが騎兵を二手に分けてササン朝ペルシア軍を包囲した戦場。
  • ウライ 現在のイラクのアルカディシーヤ県。カセーエフ川で激戦が行われ、ワリードが斬首させた敵兵の血で川が赤く染まった戦場。
  • アル・ヒラ 現在のイラクのナジャフ県付近。ワリードが占領し、メソポタミア征服の拠点とした都市。
  • フィラズ 現在のイラクのアンバール県。西暦633年12月、ワリードがササン朝ペルシア・東ローマ帝国連合軍100,000名を殲滅した戦場。
  • ダマスカス 現在のシリアの首都。西暦634年、ワリードが城壁をロープで登る奇襲により陥落させた。ヤルムークの戦い後に奪還し、地元住民に歓迎された。
  • ボスラ ガッサーン朝の首都。西暦634年6月、ワリードが東ローマ帝国軍を撃破し降伏させた。
  • ヤルムーク 現在のシリア・ヨルダン国境付近。西暦636年8月、6日間の激戦でワリードが東ローマ帝国軍を渓谷に追い詰め壊滅させた。東ローマ帝国のシリア支配が終焉した決戦の地。
  • エメサ 現在のシリアのホムス県。西暦636年3月にワリードの偽装撤退戦術で陥落。ワリードが西暦642年に死去した地。
  • アンティオキア 西暦637年10月、ワリードとアブー・ウバイダの軍が包囲し、東ローマ帝国軍が降伏した。
  • アレッポ 現在のシリア。城壁に囲まれた都市と難攻不落の砦で構成されていた。ワリードとウバイダが進軍し、ヨアヒム率いる守備隊を包囲した。
  • エルサレム 西暦637年、ソフロニウスの要求によりハッターブが協定に署名し降伏を受け入れた。ワリードはハッターブの代役として送られたが見破られた。
  • ドゥマット・アル・ジャンダル 現在のサウジアラビアのジャウフ州。西暦633年8月、ワリードがガンムと合流しアラブ反乱軍を殲滅した。

ムウタ・カーズマ・ダマスカス・ヤルムーク──
「アッラーの剣」の全戦歴を一冊に。

JPY 200(税込)

購入する

購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します

お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。


皇室献上品 高級トイレットペーパー
皇室献上品 高級トイレットペーパー

AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。