電子書籍「カーディシーヤの戦い一元化」の表紙

カーディシーヤの戦い一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦636年9月頃〜637年3月
※ヒジュラ暦は全て西暦に変換しています
ページ数
7ページ
最新更新日
西暦2,026年8月13日

西暦636年、アティーク川の畔に33頭の戦象が並んだ──
カーディシーヤ四日間の決戦とクテシフォン陥落を一元化。

JPY 200(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦636年9月頃、ヴァラシャバード(現在のイラクのバービル県)に居たロスタム・ファルロフザードは、カーディシーヤのムスリムの野営地を破り、和平交渉を再開した。サディ・ブン・アビ・ワッカスは、初めにラビ・ビン・アミールを、後にムギラ・ビン・ズララを使者として送る。ファルロフザードは「我々は此の地に確固たる地位を築いており、敵に勝利し、諸国民の間で高貴である。どの王も我々の権力・名誉・支配権を持っていない」と語ったが、ズララは其れを遮り、我々の保護が要るなら謙虚にジズヤを支払え、然も無ければ剣だ、と言い放った。酷く侮辱されたファルロフザードは、貴方達全員を殺す迄、明日の夜明けは無い、と脅す。交渉は決裂した。本書は、此の日から、クテシフォンの白宮殿が無血開城する迄の半年を、年月日単位で一元化した記録である。

10月頃、ファルロフザードは戦闘に備える傍ら、兄ファッルフザードへ書簡を送り、兵を集めてアゼルバイジャンへ行き祈る様に伝えた。ヤズデギルド3世こそが、ササン朝ペルシアから残された唯一の遺産である——其の事を、兄に思い出させた上での事である。ファルロフザードはクテシフォンから出陣し、カーディシーヤでムスリムと対峙した。

11月16日の未明、ササン朝ペルシア軍は、間にある運河を塞いで道路にしていた所を通過し、アティーク川の西岸を越える。45,000名の歩兵が4個師団に分けられ、150m置きに、南西を向いて川を背にして並んだ。15,000騎の騎兵も4個師団に分けられ、予備として控える。各師団には8頭ずつ、計33頭の象が居た。戦線は4kmに及ぶ。右翼にホルムザン、右中央にジャリヌス、後衛にピルツ・ホスロー、左翼にミフラン・ラジ。ファルロフザード自身は、右中央後方の天蓋で日陰になった所に陣取り、戦場を俯瞰した。ムスリムは500m離れた所で北東を向いて対峙する。戦いは、成る可く多くの指揮官を殺害して敵軍の士気を下げる狙いの下、決闘から始まった。ムスリムの決闘者ムバリズンが進み出、双方に多くの死者が出る。数名の指揮官を失ったファルロフザードは、矢の雨と戦象の突撃でムスリムの右翼に甚大な被害を与えたが、アル・アシャス・イブン・カイスの騎兵連隊とハンマル・イブン・マリクの歩兵連隊が増援に入り、正面と側面から挟んでササン朝ペルシア軍の左翼を後退させた。今度は右翼と右中央の戦象がムスリムの左翼・左中央へ突撃し、陣はパニックに陥る。ワッカスの指示を受けたアシム・イブン・アムル・アル・タミミは、戦象に乗った射手を打ち破り、鞍の胴回りを切る作戦を採った。此れが功を奏して戦象は退き、ムスリムが反撃に転じる。夕方、双方多大な損害を受け、決着の着かない儘、初日の戦闘は終わった。

17日も決闘から始まる。正午、まだ決闘が続いている最中に、カーカ・イブン・アムル・アル・タミミ率いる前衛部隊が増援として加わり、続いてワッカスの父方の甥ハシム・イブン・ウトバ率いる本軍が到着した。タミミは前衛部隊を幾つかに分け、順番に戦場へ到着させる。大規模な増援が続いていると印象付ける為の策であり、此れが嵌まってササン朝ペルシア軍の士気は著しく低下した。タミミはバフマン・ジャドゥヤの殺害に成功する。此の日は戦象が居らず、ワッカスは総攻撃を命じたが、ササン朝ペルシア軍は粘り強く撃退した。其の最中、タミミは駱駝を奇妙な怪物の様に偽装する独創的な装置を前線へ投入する。之を見たササン朝ペルシア軍の馬達は向きを変えて飛び出し、左中央が脆弱になった。タミミはファルロフザードの首を狙い、ムバリズンの一団を率いて右中央を通過し本軍へ迫ったが、突破口は開けなかった。

18日、ムスリムの援軍が到着する前に決着を付けようとしたファルロフザードは、戦象を前線に出し、4個師団を全て前進させて総攻撃を命じる。正面からの矢がムスリムの射手の反撃を封じ、歩兵と騎兵の支援を受けた戦象が突撃した。近づく戦象に騎兵は動揺して後退し、其の隙にファルロフザードは、ワッカスが駐屯していた旧宮殿を占領する。ワッカスを殺害するか捕虜にして士気を挫く狙いであったが、強力なムスリムの騎兵隊が急行して之を阻んだ。ワッカスは、戦いに勝つには戦象を殲滅するしか無いと考え、其の目を盲目にし、鼻を切断する様に指示を出す。鼻の切断は十分に成功し、怯えた戦象達はササン朝ペルシア軍の隊列を駆け抜けて川へと向かった。正午迄に戦象は戦場から居なくなり、ササン朝ペルシア軍は混乱する。此の日は夜通し激しい戦いが繰り広げられ、戦場には戦士の死体が散乱した。戦いが終わったのは夜明けである。

19日、ワッカスの同意を得て野戦指揮官に就いていたカーカ・イブン・アムル・アル・タミミは、後1時間程戦えば敵は敗北する、バヌ・タミム族の戦士がもう一度挑戦すれば勝利は貴方達のものだ、と部下に語った。タミミが左中央を指揮してササン朝ペルシア軍の右中央を攻め、続いてムスリムが総攻撃を仕掛ける。戦いの再開に驚いた敵の左翼と左中央は押し戻された。タミミはムバリズンの集団を率いて左中央を攻撃し、正午迄に中央部を突破する。更にロスタム・ファルロフザードが討ち取られ、ササン朝ペルシア軍の戦線は崩壊した。一部は部隊を維持した儘撤退したが、残りはパニックを起こして川へ向かう。ジャリヌスが残存部隊の指揮を執り、橋頭堡を征圧して軍の大部分を橋から渡らせた。ワッカスは逃走兵を追う騎兵連隊を各方角へ派遣し、宝石が散りばめられた王旗を含む多数の戦利品を得る。其の宝石は王旗と切り離され、マディーナで売られた。戦勝報告を受けたウマル・イブン・ハッターブは、クテシフォンの占領を指示する。カーディシーヤでの勝利はササン朝ペルシアのイラク支配を根底から揺るがしたが、クテシフォンが残る限り、反撃の可能性は常に存在した。其の後ワッカスはアル・ヒラに入り、アラブ人入植者を入れて町「クーファ」を建設している。

12月1日頃、ワッカスは15,000名を率いてクテシフォンへ進軍する。ヤズデギルド3世は諜報機関の報告を受け、クテシフォンと其処へ通じる道路に、時間稼ぎの分遣隊を置いた。幹線道路に分遣隊が居る事を知ったワッカスは、機動性を高める為に軍を五手——アブド・アッラー・ビン・ムイム、ワッカスを含むシュラービール・ビン・アル・シムト、ハシム・イブン・ウトバ、ハーリド・ビン・ウルファタ、ズフラ・イブン・アル・ハウィヤ・アル・タミミ——に分ける。騎兵のみで構成された前衛部隊を引き継いだタミミは、ナジャフを占領して援軍を待ち、ユーフラテス川を渡ってクテシフォンへ向かった。西暦637年1月1日頃にはクテシフォンから17km離れたクータ(現在のイラクのバービル県テル・イブラヒム)へ、8日頃にはヴァラシャバードへ到着する。守備隊は不在で、住民はジズヤの支払いによって保護された。ムスリムはクテシフォンの入口迄の全域を占領するが、進軍の途上で分遣隊に阻まれ、計画は延期される。ササン朝ペルシア軍はムスリムの進路を読んでクテシフォンの周囲に深い塹壕を掘り、バフラシールに近づく前衛軍へ投石器で大きな石や岩を発射した。ムスリムは射程外へ退き、寝返ったササン朝ペルシアの工兵から装備の提供を受けて、クテシフォンを包囲する。

西暦637年3月、包囲網の突破を意図したササン朝ペルシア軍がクテシフォンを離れ、ムスリムの前線へ進軍して、ライオンを突撃させた。馬が恐怖して逃げ出す中、ハシム・イブン・ウトバはライオンに向かって走り、殴った。之が上手く当たってライオンは死に、ワッカスは前例の無い英雄的行為を賞賛して其の額に接吻する。だが其の夜、ウトバは矢を受けた深手により死亡した。戦闘が中断すると、ヤズデギルド3世の使者が野営地を訪れ、ティグリス川を境界として東を我等、西を貴方方のものとする和平を持ち掛ける。ムスリムはジズヤの支払いか戦闘継続かの二択を迫り、ササン朝ペルシア軍は戦闘継続を選んだ。翌日、ササン朝ペルシア軍とバフラシールの住民はティグリス川に架かる橋を全て破壊し、西岸から全てのボートを撤去して東岸に停泊させる。軈てムスリムがバフラシールを占領した時、其処に人影は無かった。川幅750mのティグリス川は満水で、渡れる船も無い。寝返った義勇兵が渡河可能な下流の地点を示し、翌朝、アシム・イブン・アムル・アル・タミミの命により6名の志願兵が馬で川を横断した。水域に入って応戦するササン朝ペルシア軍を押し切って東岸に到達すると、縦隊が続々と上陸する。クテシフォンは陥落し、ササン朝ペルシア政府の本拠地である白宮殿は無血開城に至った。ヤズデギルド3世は持ち運びの出来る宝物と貴重品を全て抱えてハルワン(現在のイラクのディヤーラー県)へ逃亡する。ワッカスは残った国民に恩赦を宣言し、ジズヤの支払いに応じたササン朝ペルシア側と和平協定を結んだ。白宮殿は本拠地となり、大中庭にはモスクが建てられる。然し、ティクリートとモースルでは、ササン朝ペルシア軍が依然として活動を続けていた。


登場人物

  • サディ・ブン・アビ・ワッカス 本書の中心人物。ムスリム軍の総司令官。ラビ・ビン・アミールとムギラ・ビン・ズララを使者として和平交渉に応じ、決裂後はカーディシーヤで四日間の決戦を指揮した。戦象には目を盲目にし鼻を切断する策で対抗し、勝利の後はウマル・イブン・ハッターブの指示でクテシフォンへ進軍。ティグリス川を渡って之を陥落させ、白宮殿を本拠地として大中庭にモスクを建設した。
  • ロスタム・ファルロフザード ササン朝ペルシア軍の総司令官。ヴァラシャバードからカーディシーヤのムスリムの野営地を破って和平交渉を再開したが、ジズヤを迫られて決裂。45,000名の歩兵・15,000騎の騎兵・33頭の戦象を率いてクテシフォンから出陣した。右中央後方の天蓋から戦場を俯瞰して指揮を執り、第3日には旧宮殿を占領したが、第4日に討ち取られ、戦線は崩壊した。
  • カーカ・イブン・アムル・アル・タミミ 第2日に前衛部隊を率いて増援に加わった指揮官。部隊を幾つかに分けて順に到着させ、大規模な増援が続いていると敵に印象付けて士気を挫いた。バフマン・ジャドゥヤを殺害し、駱駝を怪物の様に偽装する装置で敵の馬を混乱させ、ファルロフザードの首を狙って本軍へ迫った。第4日は野戦指揮官として左中央を指揮し、正午迄に中央部を突破した。
  • アシム・イブン・アムル・アル・タミミ カーカ・イブン・アムル・アル・タミミの弟。開戦前に騎手達を励まし、第1日にはワッカスの指示を受けて、戦象に乗った射手を打ち破り鞍の胴回りを切る作戦で戦象を退却させた。クテシフォン攻略では、6名の志願した義勇兵に馬でティグリス川を横断させ、自身も陥落したクテシフォンに入った。
  • ハシム・イブン・ウトバ ワッカスの父方の甥。第2日に本軍を率いて戦場へ到着し、クテシフォン進軍では五手に分けられた軍の一つを指揮した。ササン朝ペルシア軍が突撃させたライオンに走り寄って殴り倒し、ワッカスから額に接吻を受ける程の賞賛を得たが、其の夜、矢を受けた深手により死亡した。
  • ズフラ・イブン・アル・ハウィヤ・アル・タミミ 右中央の総司令官。第1日にはハンマル・イブン・マリクの歩兵連隊を右翼の増援として派遣した。クテシフォン進軍では騎兵のみの前衛部隊の指揮を引き継ぎ、ナジャフを占領した後、クータ・ヴァラシャバードへと兵を進めた。
  • アル・アシャス・イブン・カイス 右中央の騎兵隊司令官。第1日、前進するササン朝ペルシア軍を食い止める指示を受け、騎兵連隊を率いて右翼騎兵の増援に入り、敵左翼の側面へ反撃を開始した。
  • アブドゥッラー・イブン・アルムタム ムスリムの右翼総司令官。第1日、戦象の突撃を受けた際、右翼騎兵司令官ジャービル・イブン・アブド・アッラーに戦象への対処を命じた。
  • ジャービル・イブン・アブド・アッラー ムスリムの右翼騎兵司令官。戦象への対処を命じられたが、其の騎兵隊はササン朝ペルシア軍の重騎兵隊に行手を阻まれた。
  • ハンマル・イブン・マリク 第1日、ズフラ・イブン・アルハウィヤの命で右翼の増援に派遣された歩兵連隊の指揮官。カイスの騎兵と共にササン朝ペルシア軍左翼を後退させた。
  • ムギラ・ビン・ズララ ワッカスがファルロフザードの下へ二番目に送った使者。自軍の高貴さを説くファルロフザードを遮り、保護が要るなら謙虚にジズヤを支払え、然も無ければ剣だと言い放って、交渉を決裂に導いた。
  • ラビ・ビン・アミール 和平交渉の再開に際し、ワッカスが最初にファルロフザードの下へ派遣した使者。
  • アブド・アッラー・ビン・ムイム クテシフォン進軍で五手に分けられたムスリム軍の一手を率いた指揮官。
  • シュラービール・ビン・アル・シムト クテシフォン進軍で五手に分けられたムスリム軍の一手を率いた指揮官。ワッカス自身も此の隊に加わっていた。
  • ハーリド・ビン・ウルファタ クテシフォン進軍で五手に分けられたムスリム軍の一手を率いた指揮官。
  • ウマル・イブン・ハッターブ ワッカスから戦勝報告を受け、クテシフォンの占領を指示した。カーディシーヤの勝利はササン朝ペルシアのイラク支配を揺るがしたが、クテシフォンが残る限り反撃の可能性は消えなかった。
  • ヤズデギルド3世 ササン朝ペルシアの王。ファルロフザードが「残された唯一の遺産」と呼んだ存在。諜報機関の報告を受けてクテシフォンへの道に時間稼ぎの分遣隊を置き、ティグリス川を境界とする和平を提案したが拒まれた。クテシフォン陥落に際し、持ち運びの出来る宝物と貴重品を全て抱えてハルワンへ逃亡した。
  • ファッルフザード ロスタム・ファルロフザードの兄。開戦前、兵を集めてアゼルバイジャンへ行き祈る様にとの書簡を弟から受け取った。クテシフォン防衛では、ミフラン・ラジと共にササン朝ペルシア軍を指揮した。
  • ホルムザン カーディシーヤの戦いでササン朝ペルシア軍の右翼を指揮した。
  • ジャリヌス ササン朝ペルシア軍の右中央の指揮官。ファルロフザードが討たれて戦線が崩壊した後、残存部隊の指揮を執り、橋頭堡を征圧して軍の大部分を橋から渡らせる事に成功した。
  • ミフラン・ラジ カーディシーヤの戦いでササン朝ペルシア軍の左翼を指揮した。クテシフォン防衛では、ロスタム・ファルロフザードの兄ファッルフザードと共に指揮を執った。
  • ピルツ・ホスロー カーディシーヤの戦いでササン朝ペルシア軍の後衛を指揮した。
  • バフマン・ジャドゥヤ ササン朝ペルシア軍の指揮官。第2日、増援として戦場に加わったカーカ・イブン・アムル・アル・タミミに殺害された。

主要な地名・拠点

  • カーディシーヤ 四日間の決戦の舞台。ファルロフザードが野営地を破って和平交渉を再開した地であり、45,000名の歩兵と15,000騎の騎兵、33頭の戦象を擁するササン朝ペルシア軍と、ワッカス率いるムスリムが対峙した。
  • アティーク川 ササン朝ペルシア軍が未明に越えた川。運河を塞いで道路にしていた所を通過し、川を背にして4kmの戦線を敷いた。第4日、崩れた軍勢が向かったのも此の川である。
  • クテシフォン ササン朝ペルシアの都。カーディシーヤでの勝利の後、ウマル・イブン・ハッターブがワッカスに占領を指示した。周囲に深い塹壕が掘られ、投石器で守られたが、ティグリス川の渡河によって陥落した。
  • 白宮殿 ササン朝ペルシア政府の本拠地。クテシフォン陥落に際して無血開城し、其の後はワッカスの本拠地となり、大中庭にモスクが建てられた。
  • バフラシール 現在のイラクのバービル県ヴェー・アルダシル。ティグリス川を挟んでクテシフォンの対岸に在る。周囲へ物資を輸出する一方、クテシフォンからも供給を受けていた。接近する前衛軍へ投石器で石や岩を発射したが、ムスリムが占領した時には人影が無かった。
  • ティグリス川 川幅750m。ササン朝ペルシア軍は架かる橋を全て破壊し、西岸から全てのボートを撤去した。ヤズデギルド3世が境界線として和平を提案した川でもある。寝返った義勇兵が示した下流の地点から、6名の志願兵が馬で横断し、渡河が始まった。
  • ヴァラシャバード 現在のイラクのバービル県・ディヤーラー県・ワーシト県付近。ファルロフザードが和平交渉を再開した時に居た地であり、後にズフラ率いる前衛軍が到着した時には守備隊が不在で、住民はジズヤの支払いによって保護された。
  • クータ 現在のイラクのバービル県テル・イブラヒム。クテシフォンから17km離れた地点で、西暦637年1月1日頃にズフラ率いる前衛軍が到着し、ササン朝ペルシア軍の分遣隊が抵抗した。
  • ナジャフ クテシフォンへの道沿いに在り、前衛部隊を率いるズフラが占領して援軍を待った地。此処からユーフラテス川を渡り、クテシフォンへ兵を進めた。
  • アル・ヒラ カーディシーヤの勝利の後、ワッカスが入った町。アラブ人入植者を入れて、新たに町「クーファ」が建設された。
  • ハルワン 現在のイラクのディヤーラー県。クテシフォン陥落に際し、ヤズデギルド3世が持ち運びの出来る宝物と貴重品を全て抱えて逃亡した先。
  • カルキーシアとヒート 東ローマ帝国との国境に在る要塞。和平協定の締結後、ムスリムが占領の為に分遣隊を派遣した。
  • ティクリートとモースル 現在のイラクのサラーフッディーン県とニーナワー県。クテシフォンを奪われた後も、ササン朝ペルシア軍が依然として活動を続けていた都市。

決闘・戦象・渡河・陥落──
ササン朝ペルシアのイラク支配が覆るまでの全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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