電子書籍「南山王国一元化」の表紙

南山王国一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,260年〜1,416年10月頃
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
47ページ
最新更新日
西暦2,026年8月13日

西暦1,260年、英祖が浦添の地に王統を開いた──
三山の並立を経て明への28度の進貢に至る、琉球南山の156年を一元化。

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本書について

西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し、其の後、浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築いた。琉球の島々が未だ按司達の割拠する世界であった頃、一人の按司の子が王を名乗り、城を構えたのである——本書は、此の浦添を起点として、英祖王統の五代、三山の並立、そして南山王国四代の王が明へ重ねた28度の進貢に至る156年を、年月日単位で一元化した記録である。

英祖は、西暦1,261年に巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受けた。1,265年には禅鑑が現在の沖縄に漂着し、仏教を広めて英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山している。1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍は之を撃退した。1,299年8月31日に英祖が死去すると長男大成が第2代に、1,309年1月19日に大成が死去すると弐男英慈が第3代に、1,313年10月10日に英慈が死去すると参男で玉城城主の玉城が第4代に即位する。然し玉城は、自分の弟を玉城城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせる一方、酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。

王統の緩みは、島の地図を塗り替えてゆく。西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国した。1,336年4月22日に玉城が死去し、翌1,337年に長男西威が第5代英祖王統王に即位するが、西威は幼く、母が実権を握ったものの失った国威を回復する事は出来なかった。同じ1,337年、大里按司承察度が周囲の按司を纏めて「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位する。1,349年4月30日、西威が病死。1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推されて「中山王国」を建国し、此れにより英祖王統は滅亡した。北山・南山・中山——三山の並立が此処に完成する。

西暦1,380年8月、承察度の使者師惹が進貢の為に明へ向けて出港し、同年11月17日、南山王国として初めての進貢を行った。1,382年11月には、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が揃って出港する。亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着したが、翌1,383年2月3日、3名は明に進貢を果たし、中山王国として8度目・南山王国として2度目・北山王国として初の進貢となった。此の際、師惹は文綺紗羅を賜っている。そして1,385年2月10日、初代明皇帝朱元璋は、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印、亜蘭砲に海船1隻を賜った。三山三王国の権威が、皇帝の印と船によって公認された瞬間である。

以後、承察度は耶師姑・汪英紫・函寧寿・南都妹・甚模結致等を次々と明へ送り出す。西暦1,386年12月22日の5度目の進貢では馬30頭が貢がれ、1,391年8月には島添大里(現在の沖縄県南城市大里字大里)按司汪英紫の使者耶師姑が、汪が承察度から借りた船に乗って出港した。1,393年1月26日の8度目の進貢に伴い、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹が、明の最高学府である国子監に留学している。1,396年3月、越来按司の船には承察度の使者・官生と汪英紫の使者呉宜堪弥結致が同乗したが、此の時、察度は前年に死去しており、承察度は亡命して李氏朝鮮に居た。同年5月27日、呉宜堪弥結致は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgを貢いでいる。1,398年、汪英紫が第2代南山王国国王に即位。1,399年4月には其の使者が、戦乱の為に応天府へ行く事が出来ず帰還した。

西暦1,402年、汪英紫が死去して汪応祖が第3代南山王国国王に即位し、翌1,403年、亡命先で承察度が死去する。1,405年、明王朝は琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した。進貢の宛先も、やがて応天府から北へ移る。1,409年7月11日、汪応祖の使者大グスク大親は永楽帝の居る北京へ出向いて23度目の進貢を行い、1,413年5月20日には呉是佳結制が北京にて永楽銭を賜った。1,415年4月28日、他魯毎の使者郭是佳結制が北京での27度目の進貢に際して汪応祖の崩御を報告し、冊封を請う。そして1,416年5月6日、使者郭義才が28度目の進貢を行い、冊封に対して謝意を示した。浦添城の石垣に始まった156年の歩みを、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 承察度 本書の中心人物。大里按司。西暦1,337年、周囲の按司を纏めて「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した。1,380年8月に使者師惹を明へ送り出し、同年11月17日、南山王国として初めての進貢を果たす。以後、耶師姑・汪英紫・函寧寿・南都妹・甚模結致等を派遣して進貢を重ねたが、1,396年には亡命して李氏朝鮮に居り、1,403年に死去した。
  • 汪英紫 島添大里(現在の沖縄県南城市大里字大里)按司で、第2代南山王国国王。西暦1,387年11月には承察度の使者として函寧寿と共に明へ出港し、1,391年8月には自身の使者耶師姑を、承察度から借りた船に乗せて送り出した。1,393年に不里結致、1,394年に耶師姑、1,396年に呉宜堪弥結致・宇座按司・渥周結致を派遣。1,398年に第2代南山王国国王に即位し、1,402年に死去した。
  • 汪応祖 第3代南山王国国王。西暦1,402年、汪英紫の死去により即位した。隗谷結致・タキ・曵達姑耶・大グスク大親・呉是佳結制・李仲等を明へ派遣し、1,404年5月21日には隗谷結致が海船を、1,412年4月1日には大グスク大親が再び海船を賜っている。1,409年7月11日には大グスク大親が永楽帝の居る北京へ出向いて23度目の進貢を行った。1,415年に崩御した。
  • 他魯毎 第4代南山王国国王。西暦1,415年1月に使者郭是佳結制を明へ送り、同年4月28日、北京での27度目の進貢に際して汪応祖の崩御を報告させ、冊封を請うた。1,416年2月には郭義才を派遣し、同年5月6日の28度目の進貢で冊封への謝意を示した、本書の終結点に立つ王。
  • 英祖 伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位し、其の後、浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。1,261年に巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受け、1,265年には漂着した禅鑑に帰依して極楽寺の開山を許した。1,291年には元の襲来を撃退している。1,299年8月31日に死去した、本書の起点に立つ王。
  • 大成 英祖の長男で第2代英祖王統王。西暦1,299年8月31日、英祖の死去により即位した。1,301年には五男を勝連按司に封じており、其の勝連按司の娘婿が、後に中山王国を建てる察度である。1,309年1月19日に死去した。
  • 英慈 大成の弐男で第3代英祖王統王。西暦1,309年1月19日、大成の死去により即位し、1,313年10月10日に死去した。
  • 玉城 英慈の参男で玉城城主。西暦1,313年10月10日、英慈の死去により第4代英祖王統王に即位した。自分の弟を玉城城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせる一方、酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。1,336年4月22日に死去した、英祖王統衰退の起点となった王。
  • 西威 玉城の長男で第5代英祖王統王。西暦1,337年に即位したが幼かった為、母が実権を握り、失った国威を回復する事は出来なかった。1,349年4月30日に病死し、5歳の子供を後継に擁立する動きがあったものの実現しなかった。1,350年の察度の中山王国建国により英祖王統は滅亡した、其の最後の王。
  • 恵祖 伊祖城主で伊祖按司。英祖の父。其の息子が西暦1,260年に初代英祖王統王に即位した事で、伊祖の家は王統の淵源となった。
  • 禅鑑 西暦1,265年、現在の沖縄に漂着した僧。其の後、仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、琉球における仏教の祖。
  • 怕尼芝 第2代湧川按司の息子で羽地按司。西暦1,322年、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位した。1,382年11月には使者模結習を明へ送り、1,383年2月3日、北山王国として初の進貢を行わせた、三山並立の第一段階を作った王。
  • 察度 勝連按司の娘婿で初代中山王国国王。西暦1,350年、群臣から推されて「中山王国」を建国し、此れにより英祖王統は滅亡した。1,382年11月には使者亜蘭砲を師惹・模結習と共に明へ送り、1,393年11月には亜蘭砲を国相としている。1,395年に死去し、其の事が承察度の亡命の契機となった。
  • 朱元璋 初代明皇帝。西暦1,385年2月10日、進貢を行った3名に対し、亜蘭砲に海船1隻、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印を賜った。三山三王国の権威が公認された、南山王国冊封の端緒。
  • 永楽帝 第3代明皇帝。西暦1,409年7月11日、北京にて汪応祖の使者大グスク大親から南山王国として23度目の進貢を受けた。1,412年4月1日には大グスク大親に海船を、1,413年5月20日には呉是佳結制に永楽銭を賜り、1,415年4月28日には郭是佳結制から汪応祖崩御の報告を受けた、本書終結期の明皇帝。
  • 師惹 承察度の使者。西暦1,380年8月に明へ向けて出港し、同年11月17日、南山王国として初めての進貢を行った。以後、1,383年・1,384年・1,385年と連年で進貢を重ね、2度目の進貢では文綺紗羅を、1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印と海船1隻を賜った、南山王国初進貢の立役者。
  • 耶師姑 承察度及び汪英紫の使者。西暦1,386年10月に出港し、同年12月22日の5度目の進貢では馬30頭を貢いだ。1,391年8月には島添大里按司汪英紫の使者として、汪が承察度から借りた船に乗って出港し、同年9月29日に7度目の進貢を行っている。1,394年11月にも出港し、1,395年1月22日に11度目の進貢を果たした。
  • 四太郎・三五郎亹・李傑 明の国子監へ渡った留学生。西暦1,393年1月26日、南都妹の進貢に伴い、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹が国子監に留学し、1,395年6月に共に帰還した。李傑は1,405年5月16日にタキの進貢に伴って留学し、1,408年7月に帰還、1,409年7月11日に再度留学している。1,413年9月12日には、病を患った李仲を福州まで送った。
  • 函寧寿・南都妹・不里結致・甚模結致 承察度期の進貢使者。函寧寿は西暦1,387年11月に汪英紫と共に出港し、1,388年2月9日に6度目の進貢を行った。南都妹は1,392年11月に出港し、1,393年1月26日に8度目の進貢を、貢物の方物と共に果たした。不里結致は1,393年4月に汪英紫の使者として出港し、同年7月5日に9度目の進貢を行った。甚模結致は1,393年11月に亜蘭砲の船へ同乗し、1,394年2月25日に10度目の進貢を行った。
  • 呉宜堪弥結致・宇座按司・渥周結致 汪英紫期の進貢使者。呉宜堪弥結致は西暦1,396年3月に越来按司の船へ同乗して出港し、同年5月27日の12度目の進貢では馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgを貢いだ。宇座按司と渥周結致は1,396年12月に汪英紫の使者として出港し、1,397年3月2日に13度目の進貢を行い、貢物は馬と硫黄であった。
  • 隗谷結致・タキ・曵達姑耶・大グスク大親 汪応祖期の進貢使者。隗谷結致は西暦1,404年3月に出港し、同年5月21日の15度目の進貢で海船を賜った。タキは1,405年3月以降、18度目・19度目・21度目の進貢を担った。曵達姑耶は1,408年2月に出港し、同年4月22日に22度目の進貢を行っている。大グスク大親は1,409年7月11日に永楽帝の居る北京で23度目の進貢を行い、1,412年4月1日の24度目の進貢では海船を賜った。
  • 呉是佳結制・李仲・郭是佳結制・郭義才 汪応祖末期及び他魯毎期の進貢使者。呉是佳結制は西暦1,413年5月20日、北京での25度目の進貢で永楽銭を賜った。李仲は同年9月12日に北京で26度目の進貢を行ったが病を患い、李傑が福州まで送った。郭是佳結制は1,415年4月28日、北京での27度目の進貢に際して汪応祖の崩御を報告し冊封を請うた。郭義才は1,416年5月6日の28度目の進貢で冊封への謝意を示した。
  • 亜蘭砲・模結習 三山同時進貢期における中山・北山両王国の使者。亜蘭砲は察度の使者として西暦1,382年11月以降、師惹・模結習と共に出港し、1,383年2月3日に中山王国として8度目の進貢を、1,385年2月10日には朱元璋から海船1隻を賜った。後に国相となる。模結習は怕尼芝の使者として同じ船団に加わり、1,383年2月3日に北山王国として初の進貢を行い、駝紐鍍金銀印を賜った。

主要な地名・拠点

  • 伊祖城 英祖の父で伊祖按司の恵祖の居城。此の家から出た英祖が、西暦1,260年に初代英祖王統王に即位した、英祖王統の発祥地。
  • 浦添城 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位した英祖が築城した。1,265年には漂着した禅鑑が英祖の帰依を受け、城の西に極楽寺を開山している、英祖王統の本拠地。
  • 極楽寺 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,265年、漂着した禅鑑が仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に開山した寺、琉球仏教の発祥地。
  • 勝連 西暦1,301年、大成の五男が勝連按司に封じられた地。後の1,350年、其の勝連按司の娘婿察度が中山王国を建国して英祖王統を滅ぼした、中山王国の淵源。
  • 玉城 英慈の参男玉城が城主を務めた地。西暦1,313年に玉城が第4代英祖王統王へ即位した後、自分の弟を玉城城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせた、英祖王統第4代所縁の地。
  • 今帰仁城 西暦1,322年、羽地按司の怕尼芝が叔父今帰仁仲宗根若按司を破って本拠とし、「北山王国」を建国した城、北山王国の本拠地。
  • 大里 西暦1,337年、此の地の按司であった承察度が周囲の按司を纏めて「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した、南山王国の発祥地。
  • 島添大里 現在の沖縄県南城市大里字大里。汪英紫が按司を務めた地。西暦1,391年8月には、其の使者耶師姑が承察度から借りた船に乗って明へ出港した。1,398年、汪英紫は第2代南山王国国王に即位している、南山王国第2代所縁の地。
  • 西北諸島 西暦1,264年、英祖が朝貢を受けた地域、英祖王統の勢力圏を示す最初の記録。
  • 宮古島 西暦1,382年11月、三山同時進貢の折に、察度の使者亜蘭砲を乗せた船が一度漂着した地、進貢航路の寄港地。
  • 明(応天府・北京) 西暦1,380年11月17日の師惹による初進貢から、1,416年5月6日の郭義才による28度目の進貢まで、南山王国が使節を送り続けた先。1,399年4月には汪英紫の使者が戦乱の為に応天府へ行けず帰還し、1,409年7月11日以降は永楽帝の居る北京で進貢が行われる様になった、本書の外交の主舞台。
  • 福州 西暦1,413年9月12日、北京で26度目の進貢を行った李仲が病を患った際、李傑が送り届けた地、進貢航路の中継地。
  • 泉州・来遠駅 西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、琉明外交の受け皿となった拠点。
  • 国子監 明の最高学府。西暦1,393年1月26日に四太郎と三五郎亹が留学して1,395年6月に帰還し、1,405年5月16日には李傑が留学して1,408年7月に帰還、1,409年7月11日に再度留学した、南山王国の学びの地。
  • 李氏朝鮮 西暦1,396年、察度の前年の死去に伴って承察度が亡命した地。1,403年、承察度は此の地で死去した。

本書が記録する出来事

  • 英祖の即位と浦添城築城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し、其の後、浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した、本書の発端。
  • 巡行と諸法の改定・西北諸島からの朝貢 西暦1,261年、英祖が巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受けた、英祖王統の内政整備と対外的権威の最初の現れ。
  • 禅鑑の漂着と極楽寺開山 西暦1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着して仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、琉球仏教の始まり。
  • 元の襲来と撃退 西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍が之を撃退した、本書に記録される最大の武功。
  • 英祖王統の継承 西暦1,299年8月31日に英祖が死去して長男大成が第2代に、1,309年1月19日に大成が死去して弐男英慈が第3代に、1,313年10月10日に英慈が死去して参男玉城が第4代に即位した。1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられている。
  • 玉城の治世と人心の離反 第4代英祖王統王玉城は、自分の弟を玉城城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせる一方、酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった、英祖王統衰退の起点。
  • 怕尼芝の北山王国建国 西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し初代北山王国国王に即位した、三山並立の第一段階。
  • 承察度の南山王国建国 西暦1,337年、大里按司承察度が周囲の按司を纏めて「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した、本書の主題たる王国の誕生。同年、玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位している。
  • 察度の中山王国建国と英祖王統滅亡 西暦1,349年4月30日に西威が病死し、1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推されて「中山王国」を建国、初代中山王国国王に即位した。此れにより英祖王統は滅亡し、三山並立の時代が完成した。
  • 師惹による南山王国初進貢 西暦1,380年8月、承察度の使者師惹が進貢の為に明へ向けて出港し、同年11月17日、南山王国として初めての進貢を行った、南山王国の明朝外交の開幕。
  • 三山同時進貢の開始 西暦1,382年11月、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)が揃って出港し、亜蘭砲の船は一度宮古島に漂着した。1,383年2月3日、3名は明に進貢を行い、中山王国として8度目・南山王国として2度目・北山王国として初の進貢となった。
  • 朱元璋からの駝紐鍍金銀印及び海船下賜 西暦1,385年2月10日、初代明皇帝朱元璋が、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印、亜蘭砲に海船1隻を賜り、三山三王国の権威が正式に公認された、南山王国冊封の象徴。
  • 国子監への留学 西暦1,393年1月26日、南都妹の進貢に伴って四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹が明の最高学府国子監に留学し、1,395年6月に帰還した。1,405年5月16日にはタキの進貢に伴って李傑が留学している。
  • 承察度の亡命と汪英紫の即位 西暦1,396年3月の進貢の折、察度は前年に死去しており、承察度は亡命して李氏朝鮮に居た。1,398年、島添大里按司汪英紫が第2代南山王国国王に即位し、1,403年、承察度は亡命先で死去した。
  • 汪応祖の即位と泉州来遠駅の設立 西暦1,402年、汪英紫の死去により汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。1,405年、明王朝は琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立している。
  • 永楽帝の居る北京への進貢 西暦1,409年7月11日、汪応祖の使者大グスク大親が永楽帝の居る北京へ出向いて23度目の進貢を行い、以後、南山王国の使者は度々北京まで足を延ばす様になった。1,412年4月1日には海船を、1,413年5月20日には呉是佳結制が永楽銭を賜っている。
  • 汪応祖の崩御と他魯毎の冊封 西暦1,415年4月28日、他魯毎の使者郭是佳結制が北京での27度目の進貢に際して汪応祖の崩御を報告し冊封を請うた。1,416年5月6日、郭義才が28度目の進貢を行って冊封への謝意を示した、本書の終結点。

浦添から大里、そして応天府・北京へ──
英祖王統五代と南山王国四代の歩みを一元化。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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