電子書籍「南山王国一元化」の表紙

南山王国一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,260年〜1,416年10月頃
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
47ページ
文字数
5,797字
最新更新日
西暦2,026年10月8日

英祖の即位から、郭義才の帰還へ──
英祖王統と南山王国を一元化。

216円(税込)

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本書について

西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が、初代英祖王統王に即位する。其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。本書は、此の英祖の初代英祖王統王への即位から、怕尼芝の「北山王国」の建国、承察度の「南山王国」の建国、察度の「中山王国」の建国と英祖王統の滅亡、師惹による南山王国として初めての進貢、初代明皇帝朱元璋による亜蘭砲・師惹・模結習への下賜、汪英紫の第2代南山王国国王への即位、汪英紫の死去と汪応祖の第3代南山王国国王への即位、大グスク大親による永楽帝の居る北京での進貢、郭是佳結制による汪応祖の崩御の報告と冊封の請願を経て、西暦1,416年10月頃に郭義才が南山王国に帰還する迄を一元化した記録である。

西暦1,261年、英祖が、巡行と諸法の改定を行う。西暦1,264年、英祖が、西北諸島から朝貢を受ける。西暦1,265年頃、禅鑑が、現在の沖縄に漂着する。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した。西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍が撃退する。

西暦1,299年8月31日、英祖が死去する。此れにより長男大成が第2代英祖王統王に即位した。西暦1,301年頃、大成の五男が勝連按司に封じられる。西暦1,309年1月19日、大成が死去する。此れにより大成の弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した。西暦1,313年10月10日、英慈が死去する。此れにより英慈の参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位した。玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし、拡張修築工事を行わせた。又、玉城は酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。

西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位する。西暦1,336年4月22日、玉城が死去する。西暦1,337年、玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位する。然し、西威は幼かった為、母が実権を握ったが、失った国威を回復する事が出来なかった。西暦1,337年頃、大里按司承察度が、周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位する。

西暦1,349年4月30日、西威が病死する。一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。西暦1,350年、勝連按司の娘婿察度が、群臣から推され、「中山王国」を建国し、初代中山王国国王に即位する。此れにより英祖王統は滅亡した。

西暦1,380年8月頃、承察度の使者の師惹が、進貢の為、明へ向けて出港する。11月17日、師惹が明に対し、南山王国として初めての進貢を行う。西暦1,381年6月頃、師惹が南山王国に帰還する。西暦1,382年11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。だが、亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着した。

西暦1,383年2月3日、亜蘭砲(中山王国として8度目)・師惹(南山王国として2度目)・模結習(北山王国として初)の3名が明に対し進貢を行う。此の際師惹は文綺紗羅を賜った。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,384年1月23日、亜蘭砲(中山王国として9度目)・師惹(南山王国として3度目)・模結習(北山王国として2度目)の3名が明に対し進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。

西暦1,385年2月10日、亜蘭砲(中山王国として11度目)・師惹(南山王国として4度目)・模結習(北山王国として3度目)の3名が明に対し進貢を行う。此の際3名は、初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲は海船1隻を、師惹は駝紐鍍金銀印・海船1隻を、模結習は駝紐鍍金銀印を賜った。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。西暦1,386年10月頃、承察度の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。12月22日、耶師姑が明に対し、南山王国として5度目の進貢を行う。貢物は馬30頭であった。西暦1,387年6月頃、耶師姑が南山王国に帰還する。11月頃、承察度の使者の汪英紫・函寧寿の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。

西暦1,388年2月9日、汪英紫・函寧寿の2名が明に対し、南山王国として6度目の進貢を行う。6月頃、汪英紫・函寧寿の2名が南山王国に帰還する。西暦1,391年8月頃、島添大里(現在の沖縄県南城市大里字大里)按司汪英紫の使者耶師姑が、汪英紫が承察度から借りた船に乗り、進貢の為、明へ向けて出港する。9月29日、耶師姑が明に対し、南山王国として7度目の進貢を行う。西暦1,392年6月、耶師姑が南山王国に帰還する。11月頃、承察度の使者南都妹が、進貢の為、明へ向けて出港する。

西暦1,393年1月26日、南都妹が明に対し、南山王国として8度目の進貢を行う。貢物は方物であった。又、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹の2名が、明の最高学府である国子監に留学した。4月頃、南都妹が南山王国に帰還する。又4月頃、汪英紫の使者不里結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。7月5日、不里結致が明に対し、南山王国として9度目の進貢を行う。10月頃、不里結致が南山王国に帰還する。11月頃、察度の使者亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者甚模結致も同乗した。亜蘭砲は国相となった。

西暦1,394年2月25日、亜蘭砲(中山王国として22度目)・甚模結致(南山王国として10度目)の2名が進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・甚模結致の2名が帰還する。11月頃、汪英紫の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,395年1月22日、耶師姑が明に対し、南山王国として11度目の進貢を行う。6月頃、耶師姑が南山王国に帰還する。国子監に留学していた四太郎・三五郎亹の2名も同時に帰還した。

西暦1,396年3月頃、察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。然し、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。5月27日、越来按司(中山王国として26度目)と、使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として12度目)の2名が明に進貢を行う。使者・官生の貢物は馬21頭・方物であった。又、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。9月頃、越来按司と、使者・官生と呉宜堪弥結致が帰還する。12月頃、汪英紫の使者の宇座按司・渥周結致の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。

西暦1,397年3月2日、宇座按司・渥周結致の2名が明に対し、南山王国として13度目の進貢を行う。貢物は馬と硫黄であった。6月頃、宇座按司・渥周結致の2名が帰還する。西暦1,398年、汪英紫が第2代南山王国国王に即位する。11月頃、汪英紫の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,399年4月頃、汪英紫の使者が、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還する。西暦1,402年、汪英紫が死去する。此れにより、汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。

西暦1,403年、承察度が死去する。1月頃、察度の使者王茂が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者宇座按司も同乗した。4月5日、王茂(中山王国として34度目)と、使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として14度目)の2名が明に進貢を行う。官生の貢物は、馬21頭と方物、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。又、王は冠服を賜った。7月頃、王茂と、宇座按司と、使者・官生と、呉宜堪弥結致が帰還する。

西暦1,404年3月頃、汪応祖の使者隗谷結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月21日、隗谷結致が明に対し、南山王国として15度目の進貢を行う。此の際隗谷結致は、海船を賜った。9月頃、隗谷結致が南山王国に帰還する。又9月頃、武寧の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者も同乗した。11月29日、武寧の使者(中山王国として37度目)と、汪応祖の使者(南山王国として16度目)の2名が明に進貢を行う。

西暦1,405年、明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立する。2月頃、武寧の使者と、汪応祖の使者の2名が帰還する。3月頃、汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。5月16日、タキが明に対し、南山王国として18度目の進貢を行う。又、李傑が国子監に留学した。8月頃、タキが南山王国に帰還する。11月頃、汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。

西暦1,406年1月16日、タキが明に対し、南山王国として19度目の進貢を行う。2月頃、武寧の使者三五郎亹が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者も同乗した。3月21日、三五郎亹(中山王国として41度目)と、汪応祖の使者(南山王国として20度目)の2名が明に進貢を行う。6月頃、タキが南山王国に帰還する。8月頃、三五郎亹と、汪応祖の使者の2名が帰還する。

西暦1,407年2月頃、武寧の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。4月8日、タキが明に対し、南山王国として21度目の進貢を行う。7月頃、タキが南山王国に帰還する。西暦1,408年2月頃、汪応祖の使者曵達姑耶が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月22日、曵達姑耶が明に対し、南山王国として22度目の進貢を行う。其の後李傑が、帰国の為、南山王国行きの船に同乗した。7月頃、曵達姑耶・李傑の2名が南山王国に帰還する。

西暦1,409年3月頃、汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。又、李傑が再度国子監に留学した。10月頃、大グスク大親が南山王国に帰還する。西暦1,412年1月頃、汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月1日、大グスク大親が明に対し、南山王国として24度目の進貢を行う。此の際大グスク大親は、海船を賜った。6月頃、大グスク大親が南山王国に帰還する。

西暦1,413年2月頃、汪応祖の使者呉是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月頃、汪応祖の使者李仲が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月20日、呉是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として25度目の進貢を行う。此の際呉是佳結制は、永楽銭を賜った。8月頃、呉是佳結制が南山王国に帰還する。9月12日、李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。李仲は病を患い、李傑が福州まで送った。12月頃、李仲が南山王国に帰還する。

西暦1,415年1月頃、他魯毎の使者郭是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月28日、郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。7月頃、郭是佳結制が南山王国に帰還する。西暦1,416年2月頃、他魯毎の使者郭義才が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月6日、郭義才が、明に対し、南山王国として28度目の進貢を行う。此の際郭義才は、冊封に対し謝意を示した。10月頃、郭義才が南山王国に帰還する。英祖の初代英祖王統王への即位から、怕尼芝の「北山王国」の建国、承察度の「南山王国」の建国、察度の「中山王国」の建国と英祖王統の滅亡、師惹による南山王国として初めての進貢、初代明皇帝朱元璋による亜蘭砲・師惹・模結習への下賜、汪英紫の第2代南山王国国王への即位、汪英紫の死去と汪応祖の第3代南山王国国王への即位、大グスク大親による永楽帝の居る北京での進貢、郭是佳結制による汪応祖の崩御の報告と冊封の請願を経て、郭義才の南山王国への帰還に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 承察度 西暦1,337年頃、大里按司承察度が、周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位する。西暦1,380年8月頃、承察度の使者の師惹が、進貢の為、明へ向けて出港する。11月17日、師惹が明に対し、南山王国として初めての進貢を行う。西暦1,386年10月頃、承察度の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,387年11月頃、承察度の使者の汪英紫・函寧寿の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,391年8月頃、島添大里按司汪英紫の使者耶師姑が、汪英紫が承察度から借りた船に乗り、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,392年11月頃、承察度の使者南都妹が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,393年1月26日、南都妹が明に対し、南山王国として8度目の進貢を行う。又、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹の2名が、明の最高学府である国子監に留学した。11月頃、察度の使者亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者甚模結致も同乗した。西暦1,396年3月頃、察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。然し、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。西暦1,403年、承察度が死去する。
  • 汪英紫 西暦1,387年11月頃、承察度の使者の汪英紫・函寧寿の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,388年2月9日、汪英紫・函寧寿の2名が明に対し、南山王国として6度目の進貢を行う。6月頃、汪英紫・函寧寿の2名が南山王国に帰還する。西暦1,391年8月頃、島添大里按司汪英紫の使者耶師姑が、汪英紫が承察度から借りた船に乗り、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,393年4月頃、汪英紫の使者不里結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,394年11月頃、汪英紫の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,396年3月頃、察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。12月頃、汪英紫の使者の宇座按司・渥周結致の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,398年、汪英紫が第2代南山王国国王に即位する。11月頃、汪英紫の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,399年4月頃、汪英紫の使者が、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還する。西暦1,402年、汪英紫が死去する。此れにより、汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。
  • 汪応祖 西暦1,402年、汪英紫が死去する。此れにより、汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。西暦1,403年1月頃、察度の使者王茂が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者宇座按司も同乗した。西暦1,404年3月頃、汪応祖の使者隗谷結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月21日、隗谷結致が明に対し、南山王国として15度目の進貢を行う。此の際隗谷結致は、海船を賜った。西暦1,405年3月頃、汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,408年2月頃、汪応祖の使者曵達姑耶が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,409年3月頃、汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。西暦1,412年1月頃、汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月1日、大グスク大親が明に対し、南山王国として24度目の進貢を行う。此の際大グスク大親は、海船を賜った。西暦1,413年2月頃、汪応祖の使者呉是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月頃、汪応祖の使者李仲が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,415年4月28日、郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際郭是佳結制は、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。
  • 他魯毎 西暦1,415年1月頃、他魯毎の使者郭是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月28日、郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際郭是佳結制は、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。西暦1,416年2月頃、他魯毎の使者郭義才が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月6日、郭義才が、明に対し、南山王国として28度目の進貢を行う。此の際郭義才は、冊封に対し謝意を示した。
  • 英祖 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が、初代英祖王統王に即位する。其の後浦添城を築城した。西暦1,261年、英祖が、巡行と諸法の改定を行う。西暦1,264年、英祖が、西北諸島から朝貢を受ける。西暦1,265年頃、禅鑑が、現在の沖縄に漂着する。其の後禅鑑は、仏教を広め、英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺を開山した。西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍が撃退する。西暦1,299年8月31日、英祖が死去する。此れにより長男大成が第2代英祖王統王に即位した。
  • 大成 西暦1,299年8月31日、英祖が死去する。此れにより長男大成が第2代英祖王統王に即位した。西暦1,301年頃、大成の五男が勝連按司に封じられる。西暦1,309年1月19日、大成が死去する。此れにより大成の弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した。
  • 英慈 西暦1,309年1月19日、大成が死去する。此れにより大成の弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した。西暦1,313年10月10日、英慈が死去する。此れにより英慈の参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位した。
  • 玉城 西暦1,313年10月10日、英慈が死去する。此れにより英慈の参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位した。玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし、拡張修築工事を行わせた。又、玉城は酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。西暦1,336年4月22日、玉城が死去する。西暦1,337年、玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位する。
  • 西威 西暦1,337年、玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位する。然し、西威は幼かった為、母が実権を握ったが、失った国威を回復する事が出来なかった。西暦1,349年4月30日、西威が病死する。一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。
  • 恵祖 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が、初代英祖王統王に即位する。
  • 禅鑑 西暦1,265年頃、禅鑑が、現在の沖縄に漂着する。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺を開山した。
  • 怕尼芝 西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位する。西暦1,382年11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,383年2月3日、亜蘭砲(中山王国として8度目)・師惹(南山王国として2度目)・模結習(北山王国として初)の3名が明に対し進貢を行う。
  • 察度 西暦1,350年、勝連按司の娘婿察度が、群臣から推され、「中山王国」を建国し、初代中山王国国王に即位する。此れにより英祖王統は滅亡した。西暦1,382年11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。だが、亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着した。西暦1,393年11月頃、察度の使者亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者甚模結致も同乗した。亜蘭砲は国相となった。西暦1,396年3月頃、察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。然し、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。
  • 朱元璋 西暦1,385年2月10日、亜蘭砲(中山王国として11度目)・師惹(南山王国として4度目)・模結習(北山王国として3度目)の3名が明に対し進貢を行う。此の際3名は、初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲は海船1隻を、師惹は駝紐鍍金銀印・海船1隻を、模結習は駝紐鍍金銀印を賜った。
  • 永楽帝 西暦1,409年7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。西暦1,413年5月20日、呉是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として25度目の進貢を行う。此の際呉是佳結制は、永楽銭を賜った。9月12日、李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。西暦1,415年4月28日、郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際郭是佳結制は、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。
  • 師惹 西暦1,380年8月頃、承察度の使者の師惹が、進貢の為、明へ向けて出港する。11月17日、師惹が明に対し、南山王国として初めての進貢を行う。西暦1,381年6月頃、師惹が南山王国に帰還する。西暦1,382年11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,383年2月3日、亜蘭砲(中山王国として8度目)・師惹(南山王国として2度目)・模結習(北山王国として初)の3名が明に対し進貢を行う。此の際師惹は文綺紗羅を賜った。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,384年1月23日、亜蘭砲(中山王国として9度目)・師惹(南山王国として3度目)・模結習(北山王国として2度目)の3名が明に対し進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,385年2月10日、亜蘭砲(中山王国として11度目)・師惹(南山王国として4度目)・模結習(北山王国として3度目)の3名が明に対し進貢を行う。此の際3名は、初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲は海船1隻を、師惹は駝紐鍍金銀印・海船1隻を、模結習は駝紐鍍金銀印を賜った。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。
  • 耶師姑 西暦1,386年10月頃、承察度の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。12月22日、耶師姑が明に対し、南山王国として5度目の進貢を行う。貢物は馬30頭であった。西暦1,387年6月頃、耶師姑が南山王国に帰還する。西暦1,391年8月頃、島添大里按司汪英紫の使者耶師姑が、汪英紫が承察度から借りた船に乗り、進貢の為、明へ向けて出港する。9月29日、耶師姑が明に対し、南山王国として7度目の進貢を行う。西暦1,392年6月、耶師姑が南山王国に帰還する。西暦1,394年11月頃、汪英紫の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,395年1月22日、耶師姑が明に対し、南山王国として11度目の進貢を行う。6月頃、耶師姑が南山王国に帰還する。国子監に留学していた四太郎・三五郎亹の2名も同時に帰還した。
  • 四太郎・三五郎亹・李傑 西暦1,393年1月26日、南都妹が明に対し、南山王国として8度目の進貢を行う。又、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹の2名が、明の最高学府である国子監に留学した。西暦1,395年6月頃、耶師姑が南山王国に帰還する。国子監に留学していた四太郎・三五郎亹の2名も同時に帰還した。西暦1,405年5月16日、タキが明に対し、南山王国として18度目の進貢を行う。又、李傑が国子監に留学した。西暦1,406年2月頃、武寧の使者三五郎亹が、進貢の為、明へ向けて出港する。3月21日、三五郎亹(中山王国として41度目)と、汪応祖の使者(南山王国として20度目)の2名が明に進貢を行う。8月頃、三五郎亹と、汪応祖の使者の2名が帰還する。西暦1,408年4月22日、曵達姑耶が明に対し、南山王国として22度目の進貢を行う。其の後李傑が、帰国の為、南山王国行きの船に同乗した。7月頃、曵達姑耶・李傑の2名が南山王国に帰還する。西暦1,409年7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。又、李傑が再度国子監に留学した。西暦1,413年9月12日、李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。李仲は病を患い、李傑が福州まで送った。
  • 函寧寿・南都妹・不里結致・甚模結致 西暦1,387年11月頃、承察度の使者の汪英紫・函寧寿の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,388年2月9日、汪英紫・函寧寿の2名が明に対し、南山王国として6度目の進貢を行う。6月頃、汪英紫・函寧寿の2名が南山王国に帰還する。西暦1,392年11月頃、承察度の使者南都妹が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,393年1月26日、南都妹が明に対し、南山王国として8度目の進貢を行う。貢物は方物であった。4月頃、南都妹が南山王国に帰還する。又4月頃、汪英紫の使者不里結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。7月5日、不里結致が明に対し、南山王国として9度目の進貢を行う。10月頃、不里結致が南山王国に帰還する。11月頃、察度の使者亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者甚模結致も同乗した。西暦1,394年2月25日、亜蘭砲(中山王国として22度目)・甚模結致(南山王国として10度目)の2名が進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・甚模結致の2名が帰還する。
  • 呉宜堪弥結致・宇座按司・渥周結致 西暦1,396年3月頃、察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。5月27日、越来按司(中山王国として26度目)と、使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として12度目)の2名が明に進貢を行う。使者・官生の貢物は馬21頭・方物であった。又、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。9月頃、越来按司と、使者・官生と呉宜堪弥結致が帰還する。12月頃、汪英紫の使者の宇座按司・渥周結致の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,397年3月2日、宇座按司・渥周結致の2名が明に対し、南山王国として13度目の進貢を行う。貢物は馬と硫黄であった。6月頃、宇座按司・渥周結致の2名が帰還する。西暦1,403年1月頃、察度の使者王茂が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者宇座按司も同乗した。4月5日、王茂(中山王国として34度目)と、使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として14度目)の2名が明に進貢を行う。官生の貢物は、馬21頭と方物、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。7月頃、王茂と、宇座按司と、使者・官生と、呉宜堪弥結致が帰還する。
  • 隗谷結致・タキ・曵達姑耶・大グスク大親 西暦1,404年3月頃、汪応祖の使者隗谷結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月21日、隗谷結致が明に対し、南山王国として15度目の進貢を行う。此の際隗谷結致は、海船を賜った。9月頃、隗谷結致が南山王国に帰還する。西暦1,405年3月頃、汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。5月16日、タキが明に対し、南山王国として18度目の進貢を行う。8月頃、タキが南山王国に帰還する。11月頃、汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,406年1月16日、タキが明に対し、南山王国として19度目の進貢を行う。6月頃、タキが南山王国に帰還する。西暦1,407年2月頃、武寧の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。4月8日、タキが明に対し、南山王国として21度目の進貢を行う。7月頃、タキが南山王国に帰還する。西暦1,408年2月頃、汪応祖の使者曵達姑耶が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月22日、曵達姑耶が明に対し、南山王国として22度目の進貢を行う。7月頃、曵達姑耶・李傑の2名が南山王国に帰還する。西暦1,409年3月頃、汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。10月頃、大グスク大親が南山王国に帰還する。西暦1,412年1月頃、汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月1日、大グスク大親が明に対し、南山王国として24度目の進貢を行う。此の際大グスク大親は、海船を賜った。6月頃、大グスク大親が南山王国に帰還する。
  • 呉是佳結制・李仲・郭是佳結制・郭義才 西暦1,413年2月頃、汪応祖の使者呉是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月頃、汪応祖の使者李仲が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月20日、呉是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として25度目の進貢を行う。此の際呉是佳結制は、永楽銭を賜った。8月頃、呉是佳結制が南山王国に帰還する。9月12日、李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。李仲は病を患い、李傑が福州まで送った。12月頃、李仲が南山王国に帰還する。西暦1,415年1月頃、他魯毎の使者郭是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。4月28日、郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。7月頃、郭是佳結制が南山王国に帰還する。西暦1,416年2月頃、他魯毎の使者郭義才が、進貢の為、明へ向けて出港する。5月6日、郭義才が、明に対し、南山王国として28度目の進貢を行う。此の際郭義才は、冊封に対し謝意を示した。10月頃、郭義才が南山王国に帰還する。
  • 亜蘭砲・模結習 西暦1,382年11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。だが、亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着した。西暦1,383年2月3日、亜蘭砲(中山王国として8度目)・師惹(南山王国として2度目)・模結習(北山王国として初)の3名が明に対し進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,384年1月23日、亜蘭砲(中山王国として9度目)・師惹(南山王国として3度目)・模結習(北山王国として2度目)の3名が明に対し進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,385年2月10日、亜蘭砲(中山王国として11度目)・師惹(南山王国として4度目)・模結習(北山王国として3度目)の3名が明に対し進貢を行う。此の際3名は、初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲は海船1隻を、師惹は駝紐鍍金銀印・海船1隻を、模結習は駝紐鍍金銀印を賜った。6月頃、亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。西暦1,393年11月頃、察度の使者亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者甚模結致も同乗した。亜蘭砲は国相となった。西暦1,394年2月25日、亜蘭砲(中山王国として22度目)・甚模結致(南山王国として10度目)の2名が進貢を行う。6月頃、亜蘭砲・甚模結致の2名が帰還する。

主要な地名・拠点

  • 伊祖城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が、初代英祖王統王に即位する。其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。
  • 浦添城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が、初代英祖王統王に即位する。其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。西暦1,265年頃、禅鑑が、現在の沖縄に漂着する。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した。
  • 極楽寺 西暦1,265年頃、禅鑑が、現在の沖縄に漂着する。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した。
  • 勝連 西暦1,301年頃、大成の五男が勝連按司に封じられる。西暦1,350年、勝連按司の娘婿察度が、群臣から推され、「中山王国」を建国し、初代中山王国国王に即位する。此れにより英祖王統は滅亡した。
  • 玉城 西暦1,313年10月10日、英慈が死去する。此れにより英慈の参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位した。玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし、拡張修築工事を行わせた。
  • 今帰仁城 西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位する。
  • 大里 西暦1,337年頃、大里按司承察度が、周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位する。
  • 島添大里 西暦1,391年8月頃、島添大里(現在の沖縄県南城市大里字大里)按司汪英紫の使者耶師姑が、汪英紫が承察度から借りた船に乗り、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 西北諸島 西暦1,264年、英祖が、西北諸島から朝貢を受ける。
  • 宮古島 西暦1,382年11月頃、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。だが、亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着した。
  • 明(応天府・北京) 西暦1,380年8月頃、承察度の使者の師惹が、進貢の為、明へ向けて出港する。11月17日、師惹が明に対し、南山王国として初めての進貢を行う。西暦1,398年11月頃、汪英紫の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。西暦1,399年4月頃、汪英紫の使者が、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還する。西暦1,409年7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。西暦1,413年5月20日、呉是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として25度目の進貢を行う。9月12日、李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。西暦1,415年4月28日、郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。西暦1,416年5月6日、郭義才が、明に対し、南山王国として28度目の進貢を行う。
  • 福州 西暦1,413年9月12日、李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。李仲は病を患い、李傑が福州まで送った。
  • 泉州・来遠駅 西暦1,405年、明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立する。
  • 国子監 西暦1,393年1月26日、南都妹が明に対し、南山王国として8度目の進貢を行う。又、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹の2名が、明の最高学府である国子監に留学した。西暦1,395年6月頃、耶師姑が南山王国に帰還する。国子監に留学していた四太郎・三五郎亹の2名も同時に帰還した。西暦1,405年5月16日、タキが明に対し、南山王国として18度目の進貢を行う。又、李傑が国子監に留学した。西暦1,409年7月11日、大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。又、李傑が再度国子監に留学した。
  • 李氏朝鮮 西暦1,396年3月頃、察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。然し、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。

本書が記録する出来事

  • 英祖の初代英祖王統王への即位(1,260年) 伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が、初代英祖王統王に即位する。其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。
  • 英祖による巡行と諸法の改定(1,261年) 英祖が、巡行と諸法の改定を行う。
  • 英祖による西北諸島からの朝貢の受け入れ(1,264年) 英祖が、西北諸島から朝貢を受ける。
  • 禅鑑の現在の沖縄への漂着(1,265年頃) 禅鑑が、現在の沖縄に漂着する。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した。
  • 元による現在の沖縄への侵攻と英祖王統軍による撃退(1,291年) 元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍が撃退する。
  • 英祖の死去と大成の第2代英祖王統王への即位(1,299年8月31日) 英祖が死去する。此れにより長男大成が第2代英祖王統王に即位した。
  • 勝連按司に封じられた大成の五男(1,301年頃) 大成の五男が勝連按司に封じられる。
  • 大成の死去と英慈の第3代英祖王統王への即位(1,309年1月19日) 大成が死去する。此れにより大成の弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した。
  • 英慈の死去と玉城の第4代英祖王統王への即位(1,313年10月10日) 英慈が死去する。此れにより英慈の参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位した。玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし、拡張修築工事を行わせた。又、玉城は酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。
  • 怕尼芝の「北山王国」の建国と初代北山王国国王への即位(1,322年) 第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位する。
  • 玉城の死去(1,336年4月22日) 玉城が死去する。
  • 西威の第5代英祖王統王への即位(1,337年) 玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位する。然し、西威は幼かった為、母が実権を握ったが、失った国威を回復する事が出来なかった。
  • 承察度の「南山王国」の建国と初代南山王国国王への即位(1,337年頃) 大里按司承察度が、周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位する。
  • 西威の病死(1,349年4月30日) 西威が病死する。一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。
  • 察度の「中山王国」の建国と英祖王統の滅亡(1,350年) 勝連按司の娘婿察度が、群臣から推され、「中山王国」を建国し、初代中山王国国王に即位する。此れにより英祖王統は滅亡した。
  • 承察度の使者師惹の明へ向けての出港(1,380年8月頃) 承察度の使者の師惹が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 師惹による南山王国として初めての進貢(1,380年11月17日) 師惹が明に対し、南山王国として初めての進貢を行う。
  • 師惹の南山王国への帰還(1,381年6月頃) 師惹が南山王国に帰還する。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習の明へ向けての出港(1,382年11月頃) 亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。だが、亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着した。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習による明への進貢(1,383年2月3日) 亜蘭砲(中山王国として8度目)・師惹(南山王国として2度目)・模結習(北山王国として初)の3名が明に対し進貢を行う。此の際師惹は文綺紗羅を賜った。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習の帰還(1,383年6月頃) 亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習の明へ向けての出港(1,383年11月頃) 亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習による明への進貢(1,384年1月23日) 亜蘭砲(中山王国として9度目)・師惹(南山王国として3度目)・模結習(北山王国として2度目)の3名が明に対し進貢を行う。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習の帰還(1,384年6月頃) 亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習の明へ向けての出港(1,384年11月頃) 亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習による明への進貢と朱元璋からの下賜(1,385年2月10日) 亜蘭砲(中山王国として11度目)・師惹(南山王国として4度目)・模結習(北山王国として3度目)の3名が明に対し進貢を行う。此の際3名は、初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲は海船1隻を、師惹は駝紐鍍金銀印・海船1隻を、模結習は駝紐鍍金銀印を賜った。
  • 亜蘭砲・師惹・模結習の帰還(1,385年6月頃) 亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還する。
  • 承察度の使者耶師姑の明へ向けての出港(1,386年10月頃) 承察度の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 耶師姑による南山王国として5度目の進貢(1,386年12月22日) 耶師姑が明に対し、南山王国として5度目の進貢を行う。貢物は馬30頭であった。
  • 耶師姑の南山王国への帰還(1,387年6月頃) 耶師姑が南山王国に帰還する。
  • 承察度の使者汪英紫・函寧寿の明へ向けての出港(1,387年11月頃) 承察度の使者の汪英紫・函寧寿の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 汪英紫・函寧寿による南山王国として6度目の進貢(1,388年2月9日) 汪英紫・函寧寿の2名が明に対し、南山王国として6度目の進貢を行う。
  • 汪英紫・函寧寿の南山王国への帰還(1,388年6月頃) 汪英紫・函寧寿の2名が南山王国に帰還する。
  • 汪英紫の使者耶師姑の明へ向けての出港(1,391年8月頃) 島添大里(現在の沖縄県南城市大里字大里)按司汪英紫の使者耶師姑が、汪英紫が承察度から借りた船に乗り、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 耶師姑による南山王国として7度目の進貢(1,391年9月29日) 耶師姑が明に対し、南山王国として7度目の進貢を行う。
  • 耶師姑の南山王国への帰還(1,392年6月) 耶師姑が南山王国に帰還する。
  • 承察度の使者南都妹の明へ向けての出港(1,392年11月頃) 承察度の使者南都妹が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 南都妹による南山王国として8度目の進貢と四太郎・三五郎亹の国子監への留学(1,393年1月26日) 南都妹が明に対し、南山王国として8度目の進貢を行う。貢物は方物であった。又、四太郎と、承察度・察度の姪三五郎亹の2名が、明の最高学府である国子監に留学した。
  • 南都妹の南山王国への帰還(1,393年4月頃) 南都妹が南山王国に帰還する。
  • 汪英紫の使者不里結致の明へ向けての出港(1,393年4月頃) 汪英紫の使者不里結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 不里結致による南山王国として9度目の進貢(1,393年7月5日) 不里結致が明に対し、南山王国として9度目の進貢を行う。
  • 不里結致の南山王国への帰還(1,393年10月頃) 不里結致が南山王国に帰還する。
  • 察度の使者亜蘭砲の明へ向けての出港と承察度の使者甚模結致の同乗(1,393年11月頃) 察度の使者亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者甚模結致も同乗した。亜蘭砲は国相となった。
  • 亜蘭砲・甚模結致による進貢(1,394年2月25日) 亜蘭砲(中山王国として22度目)・甚模結致(南山王国として10度目)の2名が進貢を行う。
  • 亜蘭砲・甚模結致の帰還(1,394年6月頃) 亜蘭砲・甚模結致の2名が帰還する。
  • 汪英紫の使者耶師姑の明へ向けての出港(1,394年11月頃) 汪英紫の使者耶師姑が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 耶師姑による南山王国として11度目の進貢(1,395年1月22日) 耶師姑が明に対し、南山王国として11度目の進貢を行う。
  • 耶師姑の南山王国への帰還と四太郎・三五郎亹の帰還(1,395年6月頃) 耶師姑が南山王国に帰還する。国子監に留学していた四太郎・三五郎亹の2名も同時に帰還した。
  • 察度の使者越来按司の明へ向けての出港(1,396年3月頃) 察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際承察度の使者・官生と、汪英紫の使者呉宜堪弥結致の2名も同乗した。然し、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。
  • 越来按司と、使者・官生と呉宜堪弥結致による明への進貢(1,396年5月27日) 越来按司(中山王国として26度目)と、使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として12度目)の2名が明に進貢を行う。使者・官生の貢物は馬21頭・方物であった。又、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。
  • 越来按司と、使者・官生と呉宜堪弥結致の帰還(1,396年9月頃) 越来按司と、使者・官生と呉宜堪弥結致が帰還する。
  • 汪英紫の使者宇座按司・渥周結致の明へ向けての出港(1,396年12月頃) 汪英紫の使者の宇座按司・渥周結致の2名が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 宇座按司・渥周結致による南山王国として13度目の進貢(1,397年3月2日) 宇座按司・渥周結致の2名が明に対し、南山王国として13度目の進貢を行う。貢物は馬と硫黄であった。
  • 宇座按司・渥周結致の帰還(1,397年6月頃) 宇座按司・渥周結致の2名が帰還する。
  • 汪英紫の第2代南山王国国王への即位(1,398年) 汪英紫が第2代南山王国国王に即位する。
  • 汪英紫の使者の明へ向けての出港(1,398年11月頃) 汪英紫の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 戦乱の為応天府に行く事が出来なかった汪英紫の使者の帰還(1,399年4月頃) 汪英紫の使者が、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還する。
  • 汪英紫の死去と汪応祖の第3代南山王国国王への即位(1,402年) 汪英紫が死去する。此れにより、汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。
  • 承察度の死去(1,403年) 承察度が死去する。
  • 察度の使者王茂の明へ向けての出港と汪応祖の使者宇座按司の同乗(1,403年1月頃) 察度の使者王茂が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者宇座按司も同乗した。
  • 王茂と、使者・官生と呉宜堪弥結致による明への進貢(1,403年4月5日) 王茂(中山王国として34度目)と、使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として14度目)の2名が明に進貢を行う。官生の貢物は、馬21頭と方物、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。又、王は冠服を賜った。
  • 王茂と、宇座按司と、使者・官生と、呉宜堪弥結致の帰還(1,403年7月頃) 王茂と、宇座按司と、使者・官生と、呉宜堪弥結致が帰還する。
  • 汪応祖の使者隗谷結致の明へ向けての出港(1,404年3月頃) 汪応祖の使者隗谷結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 隗谷結致による南山王国として15度目の進貢と海船の下賜(1,404年5月21日) 隗谷結致が明に対し、南山王国として15度目の進貢を行う。此の際隗谷結致は、海船を賜った。
  • 隗谷結致の南山王国への帰還(1,404年9月頃) 隗谷結致が南山王国に帰還する。
  • 武寧の使者の明へ向けての出港と汪応祖の使者の同乗(1,404年9月頃) 武寧の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者も同乗した。
  • 武寧の使者・汪応祖の使者による明への進貢(1,404年11月29日) 武寧の使者(中山王国として37度目)と、汪応祖の使者(南山王国として16度目)の2名が明に進貢を行う。
  • 明王朝による泉州での「来遠駅」の設立(1,405年) 明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立する。
  • 武寧の使者・汪応祖の使者の帰還(1,405年2月頃) 武寧の使者と、汪応祖の使者の2名が帰還する。
  • 汪応祖の使者タキの明へ向けての出港(1,405年3月頃) 汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • タキによる南山王国として18度目の進貢と李傑の国子監への留学(1,405年5月16日) タキが明に対し、南山王国として18度目の進貢を行う。又、李傑が国子監に留学した。
  • タキの南山王国への帰還(1,405年8月頃) タキが南山王国に帰還する。
  • 汪応祖の使者タキの明へ向けての出港(1,405年11月頃) 汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • タキによる南山王国として19度目の進貢(1,406年1月16日) タキが明に対し、南山王国として19度目の進貢を行う。
  • 武寧の使者三五郎亹の明へ向けての出港と汪応祖の使者の同乗(1,406年2月頃) 武寧の使者三五郎亹が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際汪応祖の使者も同乗した。
  • 三五郎亹・汪応祖の使者による明への進貢(1,406年3月21日) 三五郎亹(中山王国として41度目)と、汪応祖の使者(南山王国として20度目)の2名が明に進貢を行う。
  • タキの南山王国への帰還(1,406年6月頃) タキが南山王国に帰還する。
  • 三五郎亹・汪応祖の使者の帰還(1,406年8月頃) 三五郎亹と、汪応祖の使者の2名が帰還する。
  • 武寧の使者タキの明へ向けての出港(1,407年2月頃) 武寧の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • タキによる南山王国として21度目の進貢(1,407年4月8日) タキが明に対し、南山王国として21度目の進貢を行う。
  • タキの南山王国への帰還(1,407年7月頃) タキが南山王国に帰還する。
  • 汪応祖の使者曵達姑耶の明へ向けての出港(1,408年2月頃) 汪応祖の使者曵達姑耶が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 曵達姑耶による南山王国として22度目の進貢(1,408年4月22日) 曵達姑耶が明に対し、南山王国として22度目の進貢を行う。其の後李傑が、帰国の為、南山王国行きの船に同乗した。
  • 曵達姑耶・李傑の南山王国への帰還(1,408年7月頃) 曵達姑耶・李傑の2名が南山王国に帰還する。
  • 汪応祖の使者大グスク大親の明へ向けての出港(1,409年3月頃) 汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 大グスク大親による北京での南山王国として23度目の進貢(1,409年7月11日) 大グスク大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として23度目の進貢を行う。又、李傑が再度国子監に留学した。
  • 大グスク大親の南山王国への帰還(1,409年10月頃) 大グスク大親が南山王国に帰還する。
  • 汪応祖の使者大グスク大親の明へ向けての出港(1,412年1月頃) 汪応祖の使者大グスク大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 大グスク大親による南山王国として24度目の進貢と海船の下賜(1,412年4月1日) 大グスク大親が明に対し、南山王国として24度目の進貢を行う。此の際大グスク大親は、海船を賜った。
  • 大グスク大親の南山王国への帰還(1,412年6月頃) 大グスク大親が南山王国に帰還する。
  • 汪応祖の使者呉是佳結制の明へ向けての出港(1,413年2月頃) 汪応祖の使者呉是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 汪応祖の使者李仲の明へ向けての出港(1,413年5月頃) 汪応祖の使者李仲が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 呉是佳結制による北京での南山王国として25度目の進貢と永楽銭の下賜(1,413年5月20日) 呉是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として25度目の進貢を行う。此の際呉是佳結制は、永楽銭を賜った。
  • 呉是佳結制の南山王国への帰還(1,413年8月頃) 呉是佳結制が南山王国に帰還する。
  • 李仲による北京での南山王国として26度目の進貢(1,413年9月12日) 李仲が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として26度目の進貢を行う。李仲は病を患い、李傑が福州まで送った。
  • 李仲の南山王国への帰還(1,413年12月頃) 李仲が南山王国に帰還する。
  • 他魯毎の使者郭是佳結制の明へ向けての出港(1,415年1月頃) 他魯毎の使者郭是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 郭是佳結制による北京での南山王国として27度目の進貢と汪応祖の崩御の報告(1,415年4月28日) 郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。
  • 郭是佳結制の南山王国への帰還(1,415年7月頃) 郭是佳結制が南山王国に帰還する。
  • 他魯毎の使者郭義才の明へ向けての出港(1,416年2月頃) 他魯毎の使者郭義才が、進貢の為、明へ向けて出港する。
  • 郭義才による南山王国として28度目の進貢と冊封に対する謝意(1,416年5月6日) 郭義才が、明に対し、南山王国として28度目の進貢を行う。此の際郭義才は、冊封に対し謝意を示した。
  • 郭義才の南山王国への帰還(1,416年10月頃) 郭義才が南山王国に帰還する。本書の年表の最後の項目である。

大里から、永楽帝の居る北京へ──
明へ進貢を重ねた南山王国を一元化。

216円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。