電子書籍「南山王国一元化」の表紙

南山王国一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,260年〜1,416年10月頃
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,025年12月27日

英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・承察度の南山王国建国・師惹による初進貢・三山並立・明皇帝朱元璋からの駝紐鍍金銀印及び海船下賜・汪英紫と汪応祖の治世・永楽帝への北京進貢・泉州来遠駅設立・他魯毎の冊封──
琉球南山の156年を一本の時系列に貫く。

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本書について

西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した日から、西暦1,416年5月6日、他魯毎の使者郭義才が明に対し南山王国として28度目の進貢を行った日まで。本書は、琉球南山の黎明と興隆——英祖王統の建国と五代に亙る治世、大里按司承察度による南山王国建国、師惹による初進貢と三山並立、初代明皇帝朱元璋からの駝紐鍍金銀印及び海船下賜、承察度の李氏朝鮮亡命、島添大里按司汪英紫の第2代南山王国国王即位、汪応祖の第3代即位、永楽帝への北京進貢と泉州来遠駅設立、汪応祖崩御と他魯毎の冊封迄の約156年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。

西暦1,260年、英祖が初代英祖王統王に即位し浦添城を築城、1,261年には巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受けた。1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着して仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺を開山した。1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが英祖王統軍が撃退した。1,299年8月31日、英祖が死去し長男大成が第2代英祖王統王に即位、1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられた。1,309年1月19日、大成が死去し弐男英慈が第3代英祖王統王に即位、1,313年10月10日、英慈が死去し参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位したが、玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。1,322年、怕尼芝が今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国、1,336年4月22日に玉城が死去し、1,337年に長男西威が第5代英祖王統王に即位したが、西威は幼かった為母が実権を握ったものの失った国威を回復する事が出来ず、同年、大里按司承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し初代南山王国国王に即位した。1,349年4月30日、西威が病死、1,350年、勝連按司の娘婿察度が「中山王国」を建国し英祖王統は滅亡、三山並立の時代が完成した。

西暦1,380年8月、承察度の使者師惹が進貢の為明へ向けて出港し、同年11月17日、師惹は明に対し南山王国として初めての進貢を行った。1,382年11月、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が進貢の為明へ向けて出港、1,383年2月3日には3名が明に進貢を行い、中山王国として8度目・南山王国として2度目・北山王国として初の進貢となった。1,385年2月10日、初代明皇帝朱元璋は師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印、亜蘭砲に海船1隻を賜い、三山三王国の権威を正式に公認した。以降、師惹・耶師姑・汪英紫・函寧寿・南都妹・不里結致・甚模結致・呉宜堪弥結致・宇座按司・渥周結致等の使者が次々と明へ派遣され、南山王国として歴代の進貢を重ねていった。1,393年1月26日には四太郎と承察度・察度の姪三五郎亹が明の最高学府国子監に留学、1,396年には察度が前年に死去し承察度は亡命して李氏朝鮮に居たが、汪英紫の使者呉宜堪弥結致等が進貢を継続した。1,398年、汪英紫が第2代南山王国国王に即位、1,402年に汪英紫が死去し汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。1,403年には承察度が死去。1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立し、同年李傑が国子監に留学した。1,409年7月11日、汪応祖の使者大グスク大親が永楽帝の居る北京まで出向き南山王国として23度目の進貢を行い、以降、南山王国の使者達も度々北京まで出向いて進貢を行う様になった。1,413年5月20日には呉是佳結制が北京にて永楽銭を賜った。1,415年4月28日、他魯毎の使者郭是佳結制が北京にて27度目の進貢を行った際、汪応祖が崩御した事を報告し冊封を請うた。1,416年5月6日、他魯毎の使者郭義才が明に対し南山王国として28度目の進貢を行い冊封に対し謝意を示した、本書の終結点。


登場人物

  • 承察度 大里按司。西暦1,337年、周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し初代南山王国国王に即位した。1,380年8月、使者師惹を明へ派遣、同年11月17日、師惹は明に対し南山王国として初めての進貢を行った。1,385年2月10日には朱元璋から師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻が賜られた。以降、師惹・耶師姑・汪英紫・函寧寿・南都妹・甚模結致等の使者を明に派遣し歴代の進貢を重ねた。1,396年には察度の前年の死去に伴い亡命し、李氏朝鮮に居た。1,403年に死去、本書の南山王国の始祖。
  • 汪英紫 島添大里(現在の沖縄県南城市大里字大里)按司で南山王国第2代国王。西暦1,387年11月以降、承察度の使者として函寧寿と共に明へ出港、1,391年8月には自身の使者耶師姑が承察度から借りた船で明へ出港、1,393年には不里結致、1,394年には耶師姑、1,396年には呉宜堪弥結致、1,396年12月には宇座按司・渥周結致を明に派遣した。1,398年、第2代南山王国国王に即位、1,402年に死去、本書の南山王国第2代。
  • 汪応祖 南山王国第3代国王。西暦1,402年、汪英紫の死去により第3代南山王国国王に即位、1,403年1月には使者宇座按司を察度の使者王茂と共に明へ派遣した。以降、隗谷結致・タキ・曵達姑耶・大グスク大親・呉是佳結制・李仲等の使者を明に派遣、1,404年5月21日には隗谷結致が海船を賜い、1,409年7月11日には大グスク大親が永楽帝の居る北京まで行き23度目の進貢を行い、1,412年4月1日には再度大グスク大親が海船を賜い、1,413年5月20日には呉是佳結制が北京にて永楽銭を賜った。1,415年に崩御、本書の南山王国第3代。
  • 他魯毎 南山王国第4代国王。西暦1,415年、汪応祖の崩御により南山王国国王となり、同年1月、使者郭是佳結制を明へ派遣、同年4月28日には郭是佳結制が永楽帝の居る北京で南山王国として27度目の進貢を行い汪応祖の崩御を報告し冊封を請うた。1,416年2月には使者郭義才を明へ派遣、同年5月6日、郭義才が南山王国として28度目の進貢を行い冊封に対し謝意を示した、本書の終結点の南山王国国王。
  • 英祖 伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位し其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。1,261年に巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受け、1,265年に漂着した禅鑑に帰依して極楽寺の開山を支援、1,291年には元の襲来を撃退した。1,299年8月31日に死去、本書の英祖王統始祖。
  • 大成 英祖の長男。西暦1,299年8月31日、英祖の死去により第2代英祖王統王に即位した。1,301年には五男を勝連按司に封じた。1,309年1月19日に死去、本書の英祖王統第2代。
  • 英慈 大成の弐男。西暦1,309年1月19日、大成の死去により第3代英祖王統王に即位した。1,313年10月10日に死去、本書の英祖王統第3代。
  • 玉城 英慈の参男で玉城城主。西暦1,313年10月10日、英慈の死去により第4代英祖王統王に即位した。自分の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為人心が離れていった。1,336年4月22日に死去、本書の英祖王統衰退の契機。
  • 西威 玉城の長男。西暦1,337年、第5代英祖王統王に即位したが幼かった為母が実権を握った。失った国威を回復する事が出来ず、1,349年4月30日に病死し5歳の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。1,350年、英祖王統は勝連按司の娘婿察度の中山王国建国により滅亡、本書の英祖王統最後の王。
  • 恵祖 伊祖城主で伊祖按司。英祖の父。其の息子英祖が西暦1,260年に英祖王統を開いた、本書の英祖王統の淵源。
  • 禅鑑 仏教の僧。西暦1,265年、現在の沖縄に漂着した。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、本書の琉球仏教の祖。
  • 怕尼芝 第2代湧川按司の息子で羽地按司。西暦1,322年、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し初代北山王国国王に即位した。1,382年11月には使者模結習を明へ派遣、1,383年2月3日、模結習が北山王国として初の進貢を行った、本書の三山並立の第一段階。
  • 察度 勝連按司の娘婿で中山王国初代国王。西暦1,350年、群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡した。1,382年11月には使者亜蘭砲を師惹・模結習と共に明へ派遣、1,393年11月には亜蘭砲を国相とした。1,395年に死去し承察度の亡命の契機となった、本書の三山並立期の中山王国国王。
  • 朱元璋 初代明皇帝(洪武帝)。西暦1,385年2月10日、亜蘭砲に海船1隻、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印を賜り、三山三王国の権威を公認した、本書の南山王国冊封の端緒。
  • 永楽帝 第3代明皇帝。西暦1,409年7月11日、汪応祖の使者大グスク大親を北京で迎え南山王国として23度目の進貢を受けた。1,412年4月1日には大グスク大親に海船を賜い、1,413年5月20日には呉是佳結制に永楽銭を賜った。1,415年4月28日には他魯毎の使者郭是佳結制から汪応祖崩御の報告を受け冊封を認めた、本書の終結期の明皇帝。
  • 師惹 承察度の使者。西暦1,380年8月、進貢の為明へ向けて出港、同年11月17日、明に対し南山王国として初めての進貢を行った。以降、1,382年・1,383年・1,384年と連続して進貢を重ね、1,383年2月3日の2度目の進貢時には文綺紗羅を賜った。1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印と海船1隻を賜った、本書の南山王国初進貢の立役者。
  • 耶師姑 承察度及び汪英紫の使者。西暦1,386年10月、承察度の使者として明へ出港、同年12月22日、南山王国として5度目の進貢を行い貢物は馬30頭であった。1,391年8月には島添大里按司汪英紫の使者として、汪が承察度から借りた船に乗り明へ出港、同年9月29日に7度目の進貢を行った。1,394年11月以降も汪英紫の使者として明へ出港し、1,395年1月22日に11度目の進貢を行った、本書の南山王国外交の主要使者。
  • 三五郎亹・四太郎・李傑 南山王国からの国子監留学生。西暦1,393年1月26日、承察度・察度の姪三五郎亹と四太郎が、南都妹の進貢に従って明の最高学府国子監に留学した。1,395年6月に四太郎と三五郎亹は南山王国に帰還。李傑は1,405年5月16日に汪応祖の使者タキの進貢に従って国子監に留学、1,408年7月に帰還、1,409年7月11日に再度国子監に留学し、1,413年9月12日には病を患った李仲を福州まで送った、本書の南山王国留学の主役。
  • 函寧寿・南都妹・不里結致・甚模結致 承察度期の南山王国歴代進貢使者。函寧寿は西暦1,387年11月に汪英紫と共に明へ出港し1,388年2月9日に6度目の進貢を行った。南都妹は1,392年11月に出港し1,393年1月26日に8度目の進貢を行った。不里結致は1,393年4月に汪英紫の使者として出港し同年7月5日に9度目の進貢を行った。甚模結致は1,393年11月に亜蘭砲の同乗で出港し1,394年2月25日に10度目の進貢を行った、本書の承察度期の外交の実務者。
  • 呉宜堪弥結致・宇座按司・渥周結致 汪英紫期の南山王国歴代進貢使者。呉宜堪弥結致は西暦1,396年3月に越来按司の同乗で出港、同年5月27日に12度目の進貢を行い馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgを貢いだ。宇座按司・渥周結致は1,396年12月に汪英紫の使者として出港、1,397年3月2日に13度目の進貢を行い貢物は馬と硫黄であった、本書の汪英紫期の外交の実務者。
  • 隗谷結致・タキ・曵達姑耶・大グスク大親 汪応祖期の南山王国歴代進貢使者。隗谷結致は西暦1,404年3月に汪応祖の使者として出港し同年5月21日に15度目の進貢を行い海船を賜った。タキは1,405年3月以降、18度目・19度目・21度目の進貢を担った。曵達姑耶は1,408年2月に出港し同年4月22日に22度目の進貢を行った。大グスク大親は1,409年3月に出港し同年7月11日に永楽帝の居る北京まで行き23度目の進貢を行い、1,412年4月1日にも再度24度目の進貢を行い海船を賜った、本書の汪応祖期の外交の実務者。
  • 呉是佳結制・李仲・郭是佳結制・郭義才 汪応祖末期及び他魯毎期の南山王国歴代進貢使者。呉是佳結制は西暦1,413年2月に出港し同年5月20日に永楽帝の居る北京で25度目の進貢を行い永楽銭を賜った。李仲は1,413年5月に出港し同年9月12日に北京で26度目の進貢を行ったが病を患い李傑が福州まで送った。郭是佳結制は他魯毎の使者として1,415年1月に出港し同年4月28日に北京で27度目の進貢を行い汪応祖崩御を報告し冊封を請うた。郭義才は1,416年2月に出港し同年5月6日に28度目の進貢を行い冊封に対し謝意を示した、本書の終結期の外交の実務者。
  • 亜蘭砲・模結習 三山同時進貢期の中山・北山両王国の使者。亜蘭砲は察度の使者として西暦1,382年11月以降、師惹・模結習と共に進貢の為明へ向けて出港、1,383年2月3日には中山王国として8度目の進貢を行い、1,385年2月10日には朱元璋から海船1隻を賜った。模結習は怕尼芝の使者として同時期に明へ派遣され、1,383年2月3日に北山王国として初の進貢を行い、1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印を賜った、本書の三山同時進貢期の他二王国の使者。

主要な地名・拠点

  • 伊祖城 英祖の父で伊祖按司の恵祖の居城。英祖は此の地に生まれ、西暦1,260年に英祖王統王に即位した、本書の英祖王統の発祥地。
  • 浦添城 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位した英祖が築城した城。1,265年には漂着した禅鑑が英祖の帰依を受けて城の西に極楽寺を開山した、本書の英祖王統の本拠地。
  • 極楽寺 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,265年、漂着した禅鑑が仏教を広め英祖の帰依を受けて浦添城の西に開山した寺、本書の琉球仏教の発祥地。
  • 勝連 現在の沖縄県うるま市勝連。西暦1,301年、大成の五男が勝連按司に封じられた地。後の西暦1,350年、此の勝連按司の娘婿察度が中山王国を建国して英祖王統を滅ぼした、本書の中山王国の淵源。
  • 玉城 現在の沖縄県南城市玉城。英慈の参男玉城が玉城城主を務めた地。西暦1,313年に玉城は第4代英祖王統王に即位したが、弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた、本書の英祖王統第4代の所縁の地。
  • 今帰仁城 現在の沖縄県国頭郡今帰仁村。西暦1,322年、怕尼芝が此の城を本拠として「北山王国」を建国した、本書の北山王国の本拠地。
  • 大里 現在の沖縄県南城市大里。西暦1,337年、此の地の按司である承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し初代南山王国国王に即位した、本書の南山王国の発祥地。
  • 島添大里 現在の沖縄県南城市大里字大里。汪英紫が按司を務めた地。西暦1,391年8月には汪の使者耶師姑が此の地から承察度に借りた船で明へ向けて出港した。1,398年、汪英紫は此の地より第2代南山王国国王に即位した、本書の南山王国第2代の所縁の地。
  • 西北諸島 西暦1,264年、英祖が朝貢を受けた地域、本書の英祖王統の勢力圏。
  • 宮古島 現在の沖縄県宮古島市。西暦1,382年11月、三山同時進貢の際に察度の使者亜蘭砲が進貢の為明へ向けて出港した船が一度漂着した地、本書の進貢航路の寄港地。
  • 明(応天府・北京) 応天府は現在の中華人民共和国江蘇省南京市、北京は現在の中華人民共和国北京市。西暦1,380年11月17日の師惹による南山王国初の進貢から1,416年5月6日の郭義才による28度目の進貢迄、歴代南山王国国王が進貢使節を派遣した地。1,399年4月には汪英紫の使者が戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還した。1,409年7月11日以降は永楽帝の居る北京で進貢が行われる様になった、本書の外交の主舞台。
  • 福州 現在の中華人民共和国福建省福州市。西暦1,413年9月12日、汪応祖の使者李仲が北京で26度目の進貢を行った後病を患い、李傑が此の地まで送った、本書の進貢航路の中継地。
  • 泉州・来遠駅 現在の中華人民共和国福建省泉州市。西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、本書の琉明外交の拠点。
  • 国子監 明の最高学府。西暦1,393年1月26日、南都妹の進貢に従って承察度・察度の姪三五郎亹と四太郎が留学、1,395年6月に両名は南山王国に帰還した。1,405年5月16日にはタキの進貢に従って李傑が留学、1,408年7月に帰還、1,409年7月11日に再度国子監に留学した、本書の南山王国留学の地。
  • 李氏朝鮮 現在の朝鮮半島。西暦1,396年、察度の前年の死去に伴い承察度が亡命した地。1,394年には察度が李氏朝鮮に承察度の引き渡しを要求した。1,403年、承察度は亡命先の李氏朝鮮にて死去した、本書の南山王国の承察度亡命の地。

主要な事件・出来事

  • 英祖の英祖王統王即位と浦添城築城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し、其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した、本書の発端。
  • 英祖の巡行と諸法の改定 西暦1,261年、英祖が巡行と諸法の改定を行った、本書の初期の内政整備。
  • 西北諸島からの朝貢 西暦1,264年、英祖が西北諸島から朝貢を受けた、本書の最初の対外的権威の発露。
  • 禅鑑の漂着と極楽寺開山 西暦1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着し仏教を広めて英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、本書の琉球仏教の始まり。
  • 元の襲来と英祖王統軍による撃退 西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが英祖王統軍が撃退した、本書の対外防衛の最大の武功。
  • 大成の第2代英祖王統王即位と勝連按司封建 西暦1,299年8月31日に英祖が死去し長男大成が第2代英祖王統王に即位、1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられた、本書の英祖王統継承と勝連の起源。
  • 英慈の第3代英祖王統王即位 西暦1,309年1月19日、大成が死去し弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した、本書の英祖王統継承。
  • 玉城の第4代英祖王統王即位と衰退の兆し 西暦1,313年10月10日、英慈が死去し参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位、自身の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった、本書の英祖王統衰退の起点。
  • 怕尼芝の北山王国建国 西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し初代北山王国国王に即位した、本書の三山並立の第一段階。
  • 玉城の死去と西威の第5代英祖王統王即位 西暦1,336年4月22日に玉城が死去し、1,337年に玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位したが、西威は幼かった為母が実権を握ったものの失った国威を回復する事が出来なかった、本書の英祖王統終末の王。
  • 承察度の南山王国建国 西暦1,337年、大里按司承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した、本書の発端となる南山王国建国。
  • 西威の病死 西暦1,349年4月30日、西威が病死、一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった、本書の英祖王統後継断絶の危機。
  • 察度の中山王国建国と英祖王統滅亡 西暦1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡し三山並立の時代が完成した、本書の歴史的転換点。
  • 師惹による南山王国初進貢 西暦1,380年8月、承察度の使者師惹が進貢の為明へ向けて出港、同年11月17日、師惹は明に対し南山王国として初めての進貢を行った、本書の南山王国明朝外交の開幕。
  • 三山同時進貢の開始 西暦1,382年11月、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が明へ出港、亜蘭砲の船は宮古島に漂着した。1,383年2月3日、3名が明に進貢を行い、中山王国として8度目、南山王国として2度目、北山王国として初の進貢となった、本書の三山明朝外交の本格開幕。
  • 朱元璋からの駝紐鍍金銀印及び海船下賜 西暦1,385年2月10日、亜蘭砲・師惹・模結習が明に進貢を行った際、初代明皇帝朱元璋から師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印、亜蘭砲に海船1隻を賜り、三山三王国の権威が正式に公認された、本書の南山王国冊封の象徴。
  • 三五郎亹・四太郎の国子監留学 西暦1,393年1月26日、南都妹が南山王国として8度目の進貢を行った際、承察度・察度の姪三五郎亹と四太郎の2名が明の最高学府国子監に留学した。1,395年6月には耶師姑の帰還と共に両名も南山王国に帰還した、本書の南山王国留学の起点。
  • 察度の死去と承察度の李氏朝鮮亡命 西暦1,395年に察度が死去し、翌1,396年には承察度が亡命して李氏朝鮮に居た。1,396年5月27日には汪英紫の使者呉宜堪弥結致が12度目の進貢を行い馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgを貢いだ、本書の承察度失脚の瞬間。
  • 汪英紫の第2代南山王国国王即位 西暦1,398年、島添大里按司汪英紫が第2代南山王国国王に即位した。1,398年11月には汪英紫の使者が進貢の為明へ向けて出港したが、1,399年4月、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還した、本書の南山王国第2代継承と靖難の変の影響。
  • 汪応祖の第3代南山王国国王即位 西暦1,402年、汪英紫の死去により汪応祖が第3代南山王国国王に即位した。1,403年1月には察度の使者王茂と共に汪応祖の使者宇座按司が明へ出港、同年4月5日に14度目の進貢を行い王は冠服を賜った、本書の南山王国第3代継承の瞬間。
  • 承察度の死去 西暦1,403年、亡命先の李氏朝鮮にて承察度が死去した、本書の南山王国始祖の終焉。
  • 隗谷結致への海船下賜 西暦1,404年5月21日、汪応祖の使者隗谷結致が南山王国として15度目の進貢を行った際、明より海船を賜った、本書の汪応祖期の権威の象徴。
  • 泉州来遠駅の設立 西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、本書の琉明外交の制度化。
  • 大グスク大親の北京進貢と海船下賜 西暦1,409年3月、汪応祖の使者大グスク大親が進貢の為明へ向けて出港、同年7月11日、大グスク大親は永楽帝の居る北京まで出向き南山王国として23度目の進貢を行い、李傑が再度国子監に留学した。1,412年4月1日にも再度24度目の進貢を行い海船を賜った、本書の南山王国北京進貢の開始。
  • 呉是佳結制の北京進貢と永楽銭下賜 西暦1,413年2月、汪応祖の使者呉是佳結制が進貢の為明へ向けて出港、同年5月20日、呉是佳結制は永楽帝の居る北京で南山王国として25度目の進貢を行い永楽銭を賜った、本書の汪応祖期北京外交の頂点。
  • 汪応祖崩御と他魯毎の冊封請願 西暦1,415年1月、他魯毎の使者郭是佳結制が進貢の為明へ向けて出港、同年4月28日、郭是佳結制は永楽帝の居る北京まで出向き南山王国として27度目の進貢を行った際、汪応祖が崩御した事を報告し冊封を請うた、本書の南山王国第4代継承の瞬間。
  • 郭義才の28度目進貢 西暦1,416年2月、他魯毎の使者郭義才が進貢の為明へ向けて出港、同年5月6日、郭義才が明に対し南山王国として28度目の進貢を行い冊封に対し謝意を示した、本書の終結点。

英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・承察度の南山王国建国・師惹による初進貢・三山並立・明皇帝朱元璋からの駝紐鍍金銀印及び海船下賜・汪英紫と汪応祖の治世・永楽帝への北京進貢・泉州来遠駅設立・他魯毎の冊封──
琉球南山の156年を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。