朝倉孝景と甲斐敏光が繰り広けた
殿下・桶田・波着寺・半助谷の戦い、
足利義政に反発し国領を渡さない
北畠政郷・細川成之に対する
一色義春の反撃一元化
日野川・杣山城・殿下・桶田・波着寺・半助谷の戦い・三河国守護代東条国氏の自害・伊勢国北半国守護職争奪・一色義春の病死──
越前国争奪戦と一色義春の領国奪還戦の10年7箇月を一本の時系列に貫く。
JPY 200(税込)
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西暦1474年2月、朝倉孝景が日野川の合戦で斯波義廉の家臣増沢祐徳を破り、杣山城に籠城していた越前国守護代甲斐敏光をも撃破した日から、西暦1484年9月23日、一色義春が病死した日まで。本書は、応仁の乱の終結期から戦国時代の幕開けにかけて、越前国の支配権を巡って繰り広げられた朝倉孝景と甲斐敏光の壮絶な争奪戦と、足利義政の御内書に反発して国領を渡さない北畠政郷・細川成之に対し、一色義春が三河国・伊勢国・丹後国の領国奪還を図った反撃劇という、二つの戦いが並行して進行する約10年7箇月間の物語を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。応仁の乱本戦の後始末として各地で同時多発した、領国の再分配を巡る武力衝突の連鎖を浮き彫りにします。
西暦1474年2月の朝倉孝景による日野川合戦と杣山城攻略に始まり、同年4月19日に細川政元と山名政豊が武田国信の仲介により単独和睦を結び、東陣と山名陣を隔てる空堀に橋が架けられ商人達の往来が再開されます。同年5月31日、甲斐敏光率いる軍が坂井郡や甲斐国に逃れた牢人と合流し九頭竜川を越えて岡保に進軍、殿下と桶田で激戦が繰り広げられ朝倉氏景が敵を多数討ち取りました。同年6月15日、足利義政が一色義春を引見し、戦闘は波着寺周辺へと移動。同年6月21日、足利義視が一色氏の領国を分配し、三河国は讃州細川家、伊勢国・丹後国は一色義春、若狭国は武田国信に与えられ、一色義春は第22代室町幕府丹後国守護に就任しましたが、伊勢国半国返付を命じられた第26代室町幕府伊勢国守護北畠政郷は此れを拒否しました。同年6月29日、武田国信と細川政国が丹後国で一色勢と交戦する一方、朝倉孝景は富樫幸千代と連携し波着寺周辺の半助谷で甲斐氏・千福中書増沢・甲斐法花院舎弟を悉く討ち取って勝利、平泉寺の衆も多くが損害を受けます。真盛は卒塔婆を大畔縄手に建設し、岡ノ西光寺で百万遍の回向を行いました。同年7月、斎藤妙椿が数千騎を率いて越前国に入り、朝倉孝景と甲斐敏光を調定の末和解させます。
西暦1476年、足利義政が一色氏の三河国の旧領を改めて一色義春に与えますが、第11代室町幕府三河国守護細川成之は此れを拒み国領を渡さず、同年9月、一色義直と一色義春が三河国に出陣し三河国守護代東条国氏を自害に追い込みました。西暦1477年6月、室町幕府が伊勢国北半国守護職を一色義春に与えますが、北畠政郷を罷免しない儘の補任であった為、現地の代官同士が揉め一色義春は奪還を意図し現地入り、合戦に発展した結果北畠政郷が勝利し、伊勢国北半国守護職に再任されました。然し西暦1479年9月、北畠政郷が上意を違えたという理由により伊勢国守護職を罷免され、伊勢国は一色義春の手に戻ります。西暦1484年9月23日、一色義春は病死しました。応仁の乱という総力戦の灰の中から、戦国の地方分権が芽吹いていく過渡期の十年。朝倉孝景という越前一国を奪い取る守護代の野心と、一色義春という父祖伝来の領国を取り戻そうと奔走しながら病で倒れた室町守護家の悲願。其の二つの軌跡が交錯した約10年7箇月の全貌を一冊に束ねた書です。
主要登場人物
- 朝倉孝景 越前国を実効支配しつつあった武将。1474年2月に日野川の合戦で斯波義廉の家臣増沢祐徳を破り、杣山城に籠城していた越前国守護代甲斐敏光をも撃破。1474年5月31日には殿下・桶田で甲斐軍と激戦を繰り広げ、1474年6月29日には富樫幸千代と連携し波着寺周辺の半助谷で甲斐氏・千福中書増沢・甲斐法花院舎弟を悉く討ち取って勝利した、本書の越前国争奪戦における主人公。
- 甲斐敏光 越前国守護代。1474年2月の日野川合戦と杣山城攻防戦で朝倉孝景に敗れた後、坂井郡や甲斐国に逃れた牢人と合流し1474年5月31日に九頭竜川を越えて岡保に進軍し戦闘を再開、殿下・桶田・波着寺と戦域を移しつつ抵抗するも、1474年6月29日の半助谷の戦いで親しい武将を全て失い決定的な敗北を喫した、本書の越前国争奪戦における敗者。
- 朝倉氏景 朝倉孝景の子。1474年5月31日の殿下・桶田の戦いに於いて敵を多数討ち取り、朝倉軍の勝利に大きく貢献した、戦場での実働を担った若き武将。
- 一色義春 室町幕府の名門一色氏の当主。1474年6月15日に足利義政に引見され、同月21日には足利義視の領国分配により伊勢国・丹後国を与えられ第22代室町幕府丹後国守護に就任。其の後北畠政郷・細川成之による国領拒否に対抗し、1476年9月の三河国出陣による東条国氏の自害、1477年6月の伊勢国北半国を巡る合戦と敗北、1479年9月の北畠政郷罷免による伊勢国奪還を経るも、1484年9月23日に病死した、本書の領国奪還戦における主人公。
- 一色義直 一色義春の父。1476年9月、息子の義春と共に三河国に出陣し、三河国守護代東条国氏を自害に追い込んだ、息子の領国奪還戦に並び立った父。
- 北畠政郷 第26代室町幕府伊勢国守護。1474年6月21日の足利義政の伊勢国半国返付命令を拒否し、1477年6月には現地入りした一色義春と合戦に及び勝利、伊勢国北半国守護職に再任されたが、1479年9月に上意を違えたという理由で伊勢国守護職を罷免された、本書の領国奪還戦における第一の敵役。
- 細川成之 第11代室町幕府三河国守護(讃州細川家当主)。1474年6月21日の足利義視の領国分配で三河国を与えられたが、1476年に足利義政が三河国の旧領を一色義春に与え直した際、此れを拒み国領を渡さず、1476年9月の一色父子の三河国出陣を招いた、本書の領国奪還戦における第二の敵役。
- 東条国氏 三河国守護代。1476年9月、一色義直・一色義春の三河国出陣を受けて自害に追い込まれた、細川成之の代官として領国を守ろうとして散った武将。
- 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。1474年6月15日に一色義春を引見し、北畠政郷に伊勢国半国の一色への返付を命じたが拒否される。1476年には三河国の旧領を改めて一色義春に与えるが、細川成之にも拒否された、御内書を発しつつ其の権威の限界を晒した将軍。
- 足利義視 足利義政の弟。1474年6月21日に一色氏の知行していた領国を其々の忠誠に応じて三河国は讃州細川家・伊勢国と丹後国は一色義春・若狭国は武田国信と分配する決定を下した、領国再分配の差配人。
- 細川政元 細川京兆家当主。1474年4月19日、武田国信の仲介により山名政豊と単独和睦を結んだ、応仁の乱の終結に向けた一歩を踏み出した東軍の主将。
- 山名政豊 山名氏当主。1474年4月19日、武田国信の仲介により細川政元と単独和睦を結んだ、応仁の乱の終結に向けた一歩を踏み出した西軍の主将。
- 武田国信 若狭国守護。1474年4月19日の細川政元と山名政豊の単独和睦の仲介を務め、其の和睦条件として若狭国を獲得。1474年6月29日には細川政国と共に丹後国で一色勢と交戦した、和平の仲介者でありながら丹後国を巡っては武力衝突の当事者となった人物。
- 斎藤妙椿 美濃国の実力者。1474年7月、数千騎を率いて越前国に入り、朝倉孝景と甲斐敏光の間を調定の末和解させた、越前国争奪戦に終止符を打った仲裁者。
- 真盛 天台宗の僧。1474年6月29日の半助谷の戦いで甲斐敏光方が多く討たれた事を知り、卒塔婆を大畔縄手に建設し、岡ノ西光寺にて百万遍の回向を行なった、戦死者の魂を弔った人物。
- 富樫幸千代 富樫成春の弐男。1474年6月29日に西軍方として朝倉孝景と連携し、波着寺周辺の半助谷の戦いで甲斐敏光方を撃破した、朝倉の勝利を支えた援軍の将。
日野川・杣山城・殿下・桶田・波着寺・半助谷の戦い・三河国守護代東条国氏の自害・伊勢国北半国守護職争奪・一色義春の病死──
越前国争奪戦と一色義春の領国奪還戦の10年7箇月を一冊に。
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