電子書籍「西岡被官衆を率いる野田泰忠一元化」の表紙

西岡被官衆を率いる
野田泰忠一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,468年〜1,471年8月9日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
5ページ
最新更新日
西暦2,026年8月13日

西暦1,468年、上植野城に旗が立った──
応仁の乱の周縁を駆け抜けた西岡被官衆の三年八ヶ月を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,468年、京都から出て行く西軍を攻撃する為、一人の武将が上植野城(現在の京都府向日市上植野町北小路)に布陣した。野田泰忠——山城国西岡(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の被官衆を率いる、地縁に根を張った在地の指揮官である。応仁の乱といえば京都市街の主戦場が語られるが、その西南の郊外では、家郷の地形を知り尽くした者達による、別の戦いが続いていた。本書は、此の上植野城布陣を起点として、西暦1,471年8月9日の勝龍寺城の合戦に至るまでの三年八ヶ月を、年月日単位で一元化した記録である。

同年11月6日、野田泰忠率いる西岡被官衆は寺戸城(現在の京都府向日市寺戸町古城)に布陣し、鶏冠井城(現在の京都府向日市鶏冠井町御屋敷)を攻撃する。翌西暦1,469年5月30日には、谷ヶ堂(現在の京都府京都市西京区松室地家山)を本拠とする被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍の籠城する鶏冠井城を再び襲撃した。然し反撃は速かった。6月2日、畠山義就率いる軍が谷ヶ堂を攻め落とし、西岡被官衆は丹波国へ逃亡する。本拠を失った軍勢が、其れでも解体しなかった事が、以後の転戦を可能にした。

7月24日、西軍は摂津国と丹波国の二方面へ攻め込む。其の4日後、野田泰忠は細川勝元方の安富又次郎と共に、丸岡城(現在の京都府亀岡市余部町古城)の防備に当たった。8月18日、東軍が籠城していた安照寺城(現在の大阪府高槻市真上町)が西軍に落とされ、薬師寺長忠・四宮長能の抱える忍頂寺城(現在の大阪府茨木市)が苦戦しているとの報告が、野田泰忠の下に入る。9月2日には、大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城・池田城(現在の大阪府池田市城山町)を落城させた。11月25日に大内政弘が池田城を出発した時、野田泰忠は未だ丹波国に居た。戦場から退いた場所で、周辺の戦況が刻々と伝えられていた事が判る。

西暦1,470年1月14日、野田泰忠率いる軍は山名是豊に合流し、神呪寺(現在の兵庫県西宮市甲山町)・山田荘・三宅館(いずれも現在の大阪府吹田市)等を転戦する。2月1日頃、西軍が山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)へ出陣するとの報を受けた野田泰忠は、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を発ち、山崎へ向かった。其の後、山崎城に砦を構える。2月15日には其の山崎城で合戦が行われた。3月頃、畠山義就が勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)に入って陣城とし、3月7日には勝龍寺と植野(現在の京都府乙訓郡大山崎町下植野付近)に出陣していた西軍が、山崎にて東軍と交戦する。以後、戦線は勝龍寺城を軸として回り始めた。

5月14日、勝龍寺城の搦手北の門で東軍と西軍が交戦し、安富又次郎はお供を連れて馬場・古市(いずれも現在の京都府長岡京市)を焼き払った。5月16日には山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。其の後、野田泰忠率いる西岡被官衆は、東軍の布陣する上里館(現在の京都府京都市西京区の上里地区)・石見城(現在の京都府京都市西京区大原野石見町)・井内館(現在の京都府長岡京市井ノ内地区)の三ヶ所に火を放ち、そして向日河原(小畑川の河原)で合戦が行われた。城を落とすのではなく、館と河原を焼いて動かす——地縁を知る者ならではの戦い方が、此処に現れている。6月3日には山城国淀(現在の京都府京都市伏見区淀本町)、6月19日には摂津国茨木でも東軍と西軍が交戦した。

西暦1,471年1月14日、山名是豊は備後国へ帰国する為の条件として、山崎城の守衛を命じられる。帰る為に守れ、という条件である。3月頃と7月頃、粟生(現在の京都府長岡京市)で東軍と西軍が交戦し、山名是豊も東軍として参戦した。そして8月9日、勝龍寺城にて東軍と西軍が交戦する——本書が記録する最後の一日である。上植野城に布陣した日から、勝龍寺城の合戦まで。野田泰忠と西岡被官衆が、京都の南西で戦い続けた三年八ヶ月の全過程を、本書は一本の時系列に束ねている。


登場人物

  • 野田泰忠 本書の中心人物。山城国西岡(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の被官衆を率いた武将。西暦1,468年、京都から出て行く西軍を攻撃する為に上植野城へ布陣し、同年11月6日には寺戸城に布陣して鶏冠井城を攻撃した。谷ヶ堂を本拠としたが西暦1,469年6月2日に畠山義就へ攻め落とされ丹波国へ逃亡。其の後は丸岡城の防備、山名是豊との合流、山崎城への築砦、上里館・石見城・井内館への放火と、京都南西部の戦線を転戦し続けた。
  • 山名是豊 東軍方の武将。西暦1,470年1月14日、野田泰忠率いる軍が合流した相手であり、以後は神呪寺・山田荘・三宅館を共に転戦した。同年2月1日頃には野田泰忠と共に三宅氏の陣営を発って山崎へ向かい、5月16日には勝龍寺城へ出陣する。西暦1,471年1月14日、備後国へ帰国する為の条件として山崎城の守衛を命じられた後も、同年3月頃・7月頃の粟生、8月9日の勝龍寺城の合戦に東軍として参戦し続けた。
  • 畠山義就 西軍方の武将。西暦1,469年6月2日、軍を率いて西岡被官衆の本拠・谷ヶ堂を攻め落とし、彼等を丹波国へ逃亡させた。西暦1,470年3月頃には勝龍寺に入って陣城とし、以後の戦線を勝龍寺城を軸に動かした人物。
  • 鶏冠井政益 西軍方の武将。鶏冠井城に籠城し、西暦1,469年5月30日、谷ヶ堂を本拠とする野田泰忠率いる西岡被官衆の襲撃を受けた。
  • 大内政弘 西軍方の武将。西暦1,469年9月2日、軍を率いて、東軍に帰順した池田氏の居城・池田城を落城させた。同年11月25日に池田城を出発しており、其の頃、野田泰忠は丹波国に居た。
  • 安富又次郎 細川勝元方の武将。西暦1,469年7月28日、野田泰忠と共に丸岡城の防備に当たった。西暦1,470年5月14日、勝龍寺城の搦手北の門での合戦に際しては、お供を連れて馬場・古市を焼き払っている。
  • 薬師寺長忠 四宮長能と共に忍頂寺城を抱えていた武将。西暦1,469年8月18日、東軍が籠城していた安照寺城が西軍に落とされた事により、忍頂寺城が苦戦しているとの報告が野田泰忠の下へ届いた。
  • 四宮長能 薬師寺長忠と共に忍頂寺城を抱えていた武将。安照寺城の陥落に続く忍頂寺城苦戦の報告に、其の名が記されている。
  • 細川勝元 丸岡城の防備に当たった安富又次郎が属した陣営の主。野田泰忠は、其の細川勝元方の武将と組んで西岡の戦線を担った。
  • 池田氏 摂津国の池田城を居城とした一族。東軍に帰順したが、西暦1,469年9月2日、大内政弘率いる軍によって居城を落とされた。
  • 三宅氏 摂津国吹田の三宅館を構えた一族。西暦1,470年2月1日頃、野田泰忠と山名是豊率いる軍が山崎へ向けて発った陣営の主。

本書が記録する城と戦場

  • 上植野城 現在の京都府向日市上植野町北小路。西暦1,468年、京都から出て行く西軍を攻撃する為に野田泰忠が布陣した城であり、本書が記録する戦いの起点。
  • 寺戸城と鶏冠井城 西暦1,468年11月6日、野田泰忠率いる西岡被官衆が寺戸城(現在の京都府向日市寺戸町古城)に布陣し、鶏冠井城(現在の京都府向日市鶏冠井町御屋敷)を攻撃した。鶏冠井城は西暦1,469年5月30日にも、籠城する鶏冠井政益率いる軍ごと襲撃を受けている。
  • 谷ヶ堂 現在の京都府京都市西京区松室地家山。野田泰忠率いる西岡被官衆の本拠であったが、西暦1,469年6月2日、畠山義就率いる軍に攻め落とされ、被官衆は丹波国へ逃亡した。
  • 丸岡城 現在の京都府亀岡市余部町古城。西暦1,469年7月28日、野田泰忠と細川勝元方の安富又次郎の二名が防備に当たった城。同月24日には西軍が摂津国と丹波国へ攻め込んでいる。
  • 安照寺城と忍頂寺城 西暦1,469年8月18日、東軍が籠城していた安照寺城(現在の大阪府高槻市真上町)が西軍に落とされた。此れにより、薬師寺長忠・四宮長能の抱える忍頂寺城(現在の大阪府茨木市)が苦戦しているとの報告が、野田泰忠の下に入った。
  • 池田城 現在の大阪府池田市城山町。東軍に帰順した池田氏の居城。西暦1,469年9月2日、大内政弘率いる軍によって落城し、同年11月25日には大内政弘率いる軍が此処を出発した。其の頃、野田泰忠は丹波国に居た。
  • 神呪寺・山田荘・三宅館 西暦1,470年1月14日に山名是豊と合流した野田泰忠率いる軍が転戦した先。神呪寺は現在の兵庫県西宮市甲山町、山田荘と三宅館は現在の大阪府吹田市に当たる。三宅氏の陣営は、同年2月1日頃の山崎出陣の起点となった。
  • 山崎城 現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎。西暦1,470年2月1日頃、西軍出陣の報を受けて山崎へ向かった野田泰忠が砦を構えた城。同年2月15日には合戦が行われ、西暦1,471年1月14日には山名是豊が備後国へ帰国する条件として其の守衛を命じられた。
  • 勝龍寺城 現在の京都府長岡京市勝竜寺。西暦1,470年3月頃、畠山義就が入って陣城とした。同年5月14日には搦手北の門で東軍と西軍が交戦し、安富又次郎が馬場・古市を焼き払っている。同年5月16日には山名是豊率いる軍が出陣し、西暦1,471年8月9日の合戦が本書の最後の項目となる。
  • 上里館・石見城・井内館と向日河原 西暦1,470年5月16日、山名是豊率いる軍の勝龍寺城出陣に続き、野田泰忠率いる西岡被官衆が、東軍の布陣する上里館(現在の京都府京都市西京区の上里地区)・石見城(現在の京都府京都市西京区大原野石見町)・井内館(現在の京都府長岡京市井ノ内地区)の三ヶ所に火を放った。そして向日河原(小畑川の河原)で合戦が行われた。
  • 山城国淀と摂津国茨木 西暦1,470年6月3日、山城国淀(現在の京都府京都市伏見区淀本町)にて東軍と西軍が交戦し、同月19日には摂津国茨木でも交戦が行われた。勝龍寺城周辺の攻防が、南と西へ広がった月である。
  • 粟生 現在の京都府長岡京市。西暦1,471年3月頃と7月頃の二度にわたり、東軍と西軍が交戦した。いずれも山名是豊が東軍として参戦している。

上植野城から谷ヶ堂、山崎城、そして勝龍寺城へ──
野田泰忠率いる西岡被官衆の転戦の全過程を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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