西岡被官衆を率いる
野田泰忠一元化
上植野城への布陣から、勝龍寺城へ──
野田泰忠と西岡被官衆を一元化。
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本書について
西暦1,468年、野田泰忠が、京都から出て行く西軍を攻撃する為、上植野城(現在の京都府向日市上植野町北小路)に布陣する。本書は、此の上植野城への布陣から、寺戸城への布陣と鶏冠井城への攻撃、畠山義就率いる軍による谷ヶ堂の攻略、野田泰忠・安富又次郎による丸岡城の防備、野田泰忠率いる軍の山名是豊への合流、山崎城での砦の構築、畠山義就の勝龍寺入り、野田泰忠率いる西岡被官衆による上里館・石見城・井内館への放火、粟生での東軍と西軍の交戦を経て、西暦1,471年8月9日に勝龍寺城にて東軍と西軍が交戦する迄を一元化した記録である。
西暦1,468年11月6日、野田泰忠率いる山城国西岡(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の被官衆が、寺戸城(現在の京都府向日市寺戸町古城)に布陣し、鶏冠井城(現在の京都府向日市鶏冠井町御屋敷)を攻撃する。西暦1,469年5月30日、谷ヶ堂(現在の京都府京都市西京区松室地家山)を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。6月2日、畠山義就率いる軍が、谷ヶ堂を攻め落とす。西岡被官衆は丹波国へ逃亡した。7月24日、西軍が摂津国・丹波国に攻め込む。7月28日、野田泰忠と、細川勝元方の安富又次郎の2名が、丸岡城(現在の京都府亀岡市余部町古城)の防備に当たる。
西暦1,469年8月18日、東軍が籠城していた安照寺城(現在の大阪府高槻市真上町)が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、薬師寺長忠・四宮長能の2名の抱えている忍頂寺城(現在の大阪府茨木市)が苦戦しているとの報告が入った。9月2日、大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城である池田城(現在の大阪府池田市城山町)を落城させる。11月25日、大内政弘率いる軍が池田城を出発する。此の頃野田泰忠は丹波国に居た。
西暦1,470年1月14日、野田泰忠率いる軍が、山名是豊に合流する。其の後は、神呪寺(現在の兵庫県西宮市甲山町)・山田荘(現在の大阪府吹田市)・三宅館(現在の大阪府吹田市)等を転戦した。2月1日頃、野田泰忠が、西軍が山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)に出陣するとの報告を受け、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を出発し、山崎へ向かう。其の後は山崎城(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)に砦を構えた。2月15日、山崎城にて合戦が行われる。3月頃、畠山義就が勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)に入り、陣城とする。3月7日、勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)・植野(現在の京都府乙訓郡大山崎町下植野付近)に出陣していた西軍が、山崎にて東軍と交戦する。
西暦1,470年5月14日、勝龍寺城の搦手北の門で東軍と西軍が交戦する。安富又次郎が、お供を連れて馬場(現在の京都府長岡京市)・古市(現在の京都府長岡京市神足麦生付近)の2ヶ所を焼き払った。5月16日、山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。其の後、野田泰忠率いる西岡被官衆は、東軍の布陣する上里館(現在の京都府京都市西京区の上里地区)・石見城(現在の京都府京都市西京区大原野石見町)・井内館(現在の京都府長岡京市井ノ内地区)の3ヶ所に火を放った。そして、向日河原(小畑川の河原)で合戦が行われた。6月3日、山城国淀(現在の京都府京都市伏見区淀本町)にて東軍と西軍が交戦する。6月19日、摂津国茨木にて東軍と西軍が交戦する。
西暦1,471年1月14日、山名是豊が、備後国へ帰国する為の条件として、山崎城の守衛を命じられる。3月頃、粟生(現在の京都府長岡京市)にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。7月頃、粟生にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。8月9日、勝龍寺城にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。野田泰忠の上植野城への布陣から、寺戸城への布陣と鶏冠井城への攻撃、畠山義就率いる軍による谷ヶ堂の攻略、野田泰忠・安富又次郎による丸岡城の防備、野田泰忠率いる軍の山名是豊への合流、山崎城での砦の構築、畠山義就の勝龍寺入り、野田泰忠率いる西岡被官衆による上里館・石見城・井内館への放火、粟生での東軍と西軍の交戦を経て、勝龍寺城での東軍と西軍の交戦に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 野田泰忠 西暦1,468年、野田泰忠が、京都から出て行く西軍を攻撃する為、上植野城に布陣する。11月6日、野田泰忠率いる山城国西岡の被官衆が、寺戸城に布陣し、鶏冠井城を攻撃する。西暦1,469年5月30日、谷ヶ堂を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。6月2日、畠山義就率いる軍が、谷ヶ堂を攻め落とす。西岡被官衆は丹波国へ逃亡した。7月28日、野田泰忠と、細川勝元方の安富又次郎の2名が、丸岡城の防備に当たる。8月18日、東軍が籠城していた安照寺城が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、薬師寺長忠・四宮長能の2名の抱えている忍頂寺城が苦戦しているとの報告が入った。11月25日、大内政弘率いる軍が池田城を出発する。此の頃野田泰忠は丹波国に居た。西暦1,470年1月14日、野田泰忠率いる軍が、山名是豊に合流する。其の後は、神呪寺・山田荘・三宅館等を転戦した。2月1日頃、野田泰忠が、西軍が山崎に出陣するとの報告を受け、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を出発し、山崎へ向かう。其の後は山崎城に砦を構えた。5月16日、山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。其の後、野田泰忠率いる西岡被官衆は、東軍の布陣する上里館・石見城・井内館の3ヶ所に火を放った。そして、向日河原(小畑川の河原)で合戦が行われた。
- 山名是豊 西暦1,470年1月14日、野田泰忠率いる軍が、山名是豊に合流する。2月1日頃、野田泰忠が、西軍が山崎に出陣するとの報告を受け、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を出発し、山崎へ向かう。5月16日、山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。西暦1,471年1月14日、山名是豊が、備後国へ帰国する為の条件として、山崎城の守衛を命じられる。3月頃、粟生にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。7月頃、粟生にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。8月9日、勝龍寺城にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。
- 畠山義就 西暦1,469年6月2日、畠山義就率いる軍が、谷ヶ堂を攻め落とす。西岡被官衆は丹波国へ逃亡した。西暦1,470年3月頃、畠山義就が勝龍寺に入り、陣城とする。
- 鶏冠井政益 西暦1,469年5月30日、谷ヶ堂を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。
- 大内政弘 西暦1,469年9月2日、大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城である池田城を落城させる。11月25日、大内政弘率いる軍が池田城を出発する。
- 安富又次郎 西暦1,469年7月28日、野田泰忠と、細川勝元方の安富又次郎の2名が、丸岡城の防備に当たる。西暦1,470年5月14日、勝龍寺城の搦手北の門で東軍と西軍が交戦する。安富又次郎が、お供を連れて馬場・古市の2ヶ所を焼き払った。
- 薬師寺長忠 西暦1,469年8月18日、東軍が籠城していた安照寺城が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、薬師寺長忠・四宮長能の2名の抱えている忍頂寺城が苦戦しているとの報告が入った。
- 四宮長能 西暦1,469年8月18日、東軍が籠城していた安照寺城が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、薬師寺長忠・四宮長能の2名の抱えている忍頂寺城が苦戦しているとの報告が入った。
- 細川勝元 西暦1,469年7月28日、野田泰忠と、細川勝元方の安富又次郎の2名が、丸岡城の防備に当たる。
- 池田氏 西暦1,469年9月2日、大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城である池田城を落城させる。
- 三宅氏 西暦1,470年2月1日頃、野田泰忠が、西軍が山崎に出陣するとの報告を受け、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を出発し、山崎へ向かう。
本書が記録する城と戦場
- 上植野城 西暦1,468年、野田泰忠が、京都から出て行く西軍を攻撃する為、上植野城(現在の京都府向日市上植野町北小路)に布陣する。
- 寺戸城と鶏冠井城 西暦1,468年11月6日、野田泰忠率いる山城国西岡(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の被官衆が、寺戸城(現在の京都府向日市寺戸町古城)に布陣し、鶏冠井城(現在の京都府向日市鶏冠井町御屋敷)を攻撃する。西暦1,469年5月30日、谷ヶ堂(現在の京都府京都市西京区松室地家山)を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。
- 谷ヶ堂 西暦1,469年5月30日、谷ヶ堂(現在の京都府京都市西京区松室地家山)を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。6月2日、畠山義就率いる軍が、谷ヶ堂を攻め落とす。西岡被官衆は丹波国へ逃亡した。
- 丸岡城 西暦1,469年7月28日、野田泰忠と、細川勝元方の安富又次郎の2名が、丸岡城(現在の京都府亀岡市余部町古城)の防備に当たる。
- 安照寺城と忍頂寺城 西暦1,469年8月18日、東軍が籠城していた安照寺城(現在の大阪府高槻市真上町)が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、薬師寺長忠・四宮長能の2名の抱えている忍頂寺城(現在の大阪府茨木市)が苦戦しているとの報告が入った。
- 池田城 西暦1,469年9月2日、大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城である池田城(現在の大阪府池田市城山町)を落城させる。11月25日、大内政弘率いる軍が池田城を出発する。
- 神呪寺・山田荘・三宅館 西暦1,470年1月14日、野田泰忠率いる軍が、山名是豊に合流する。其の後は、神呪寺(現在の兵庫県西宮市甲山町)・山田荘(現在の大阪府吹田市)・三宅館(現在の大阪府吹田市)等を転戦した。
- 山崎城 西暦1,470年2月1日頃、野田泰忠が、西軍が山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)に出陣するとの報告を受け、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を出発し、山崎へ向かう。其の後は山崎城(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)に砦を構えた。2月15日、山崎城にて合戦が行われる。西暦1,471年1月14日、山名是豊が、備後国へ帰国する為の条件として、山崎城の守衛を命じられる。
- 勝龍寺城 西暦1,470年3月頃、畠山義就が勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)に入り、陣城とする。3月7日、勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)・植野(現在の京都府乙訓郡大山崎町下植野付近)に出陣していた西軍が、山崎にて東軍と交戦する。5月14日、勝龍寺城の搦手北の門で東軍と西軍が交戦する。安富又次郎が、お供を連れて馬場(現在の京都府長岡京市)・古市(現在の京都府長岡京市神足麦生付近)の2ヶ所を焼き払った。5月16日、山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。西暦1,471年8月9日、勝龍寺城にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。
- 上里館・石見城・井内館と向日河原 西暦1,470年5月16日、山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。其の後、野田泰忠率いる西岡被官衆は、東軍の布陣する上里館(現在の京都府京都市西京区の上里地区)・石見城(現在の京都府京都市西京区大原野石見町)・井内館(現在の京都府長岡京市井ノ内地区)の3ヶ所に火を放った。そして、向日河原(小畑川の河原)で合戦が行われた。
- 山城国淀と摂津国茨木 西暦1,470年6月3日、山城国淀(現在の京都府京都市伏見区淀本町)にて東軍と西軍が交戦する。6月19日、摂津国茨木にて東軍と西軍が交戦する。
- 粟生 西暦1,471年3月頃、粟生(現在の京都府長岡京市)にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。7月頃、粟生にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。
本書が記録する出来事
- 野田泰忠の上植野城への布陣(1,468年) 野田泰忠が、京都から出て行く西軍を攻撃する為、上植野城(現在の京都府向日市上植野町北小路)に布陣する。
- 野田泰忠率いる被官衆の寺戸城への布陣と鶏冠井城への攻撃(1,468年11月6日) 野田泰忠率いる山城国西岡(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の被官衆が、寺戸城(現在の京都府向日市寺戸町古城)に布陣し、鶏冠井城(現在の京都府向日市鶏冠井町御屋敷)を攻撃する。
- 野田泰忠率いる西岡被官衆による鶏冠井城への襲撃(1,469年5月30日) 谷ヶ堂(現在の京都府京都市西京区松室地家山)を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。
- 畠山義就率いる軍による谷ヶ堂の攻略(1,469年6月2日) 畠山義就率いる軍が、谷ヶ堂を攻め落とす。西岡被官衆は丹波国へ逃亡した。
- 西軍の摂津国・丹波国への侵攻(1,469年7月24日) 西軍が摂津国・丹波国に攻め込む。
- 野田泰忠・安富又次郎による丸岡城の防備(1,469年7月28日) 野田泰忠と、細川勝元方の安富又次郎の2名が、丸岡城(現在の京都府亀岡市余部町古城)の防備に当たる。
- 西軍による安照寺城の攻略と忍頂寺城の苦戦の報告(1,469年8月18日) 東軍が籠城していた安照寺城(現在の大阪府高槻市真上町)が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、薬師寺長忠・四宮長能の2名の抱えている忍頂寺城(現在の大阪府茨木市)が苦戦しているとの報告が入った。
- 大内政弘率いる軍による池田城の落城(1,469年9月2日) 大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城である池田城(現在の大阪府池田市城山町)を落城させる。
- 大内政弘率いる軍の池田城からの出発(1,469年11月25日) 大内政弘率いる軍が池田城を出発する。此の頃野田泰忠は丹波国に居た。
- 野田泰忠率いる軍の山名是豊への合流(1,470年1月14日) 野田泰忠率いる軍が、山名是豊に合流する。其の後は、神呪寺(現在の兵庫県西宮市甲山町)・山田荘(現在の大阪府吹田市)・三宅館(現在の大阪府吹田市)等を転戦した。
- 野田泰忠の山崎への出発(1,470年2月1日頃) 野田泰忠が、西軍が山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)に出陣するとの報告を受け、山名是豊率いる軍と共に三宅氏の陣営を出発し、山崎へ向かう。其の後は山崎城(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山崎)に砦を構えた。
- 山崎城での合戦(1,470年2月15日) 山崎城にて合戦が行われる。
- 畠山義就の勝龍寺入りと陣城化(1,470年3月頃) 畠山義就が勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)に入り、陣城とする。
- 山崎での西軍と東軍の交戦(1,470年3月7日) 勝龍寺(現在の京都府長岡京市勝竜寺)・植野(現在の京都府乙訓郡大山崎町下植野付近)に出陣していた西軍が、山崎にて東軍と交戦する。
- 勝龍寺城の搦手北の門での東軍と西軍の交戦(1,470年5月14日) 勝龍寺城の搦手北の門で東軍と西軍が交戦する。安富又次郎が、お供を連れて馬場(現在の京都府長岡京市)・古市(現在の京都府長岡京市神足麦生付近)の2ヶ所を焼き払った。
- 山名是豊率いる軍の勝龍寺城への出陣(1,470年5月16日) 山名是豊率いる軍が勝龍寺城に出陣する。其の後、野田泰忠率いる西岡被官衆は、東軍の布陣する上里館(現在の京都府京都市西京区の上里地区)・石見城(現在の京都府京都市西京区大原野石見町)・井内館(現在の京都府長岡京市井ノ内地区)の3ヶ所に火を放った。そして、向日河原(小畑川の河原)で合戦が行われた。
- 山城国淀での東軍と西軍の交戦(1,470年6月3日) 山城国淀(現在の京都府京都市伏見区淀本町)にて東軍と西軍が交戦する。
- 摂津国茨木での東軍と西軍の交戦(1,470年6月19日) 摂津国茨木にて東軍と西軍が交戦する。
- 山名是豊への山崎城の守衛の命令(1,471年1月14日) 山名是豊が、備後国へ帰国する為の条件として、山崎城の守衛を命じられる。
- 粟生での東軍と西軍の交戦(1,471年3月頃) 粟生(現在の京都府長岡京市)にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。
- 粟生での東軍と西軍の交戦(1,471年7月頃) 粟生にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。
- 勝龍寺城での東軍と西軍の交戦(1,471年8月9日) 勝龍寺城にて東軍と西軍が交戦する。山名是豊も東軍として参戦した。本書の年表の最後の項目である。
谷ヶ堂から丹波国、そして山崎城へ──
野田泰忠の足取りを一元化。
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