電子書籍「武田信虎に反発して躑躅ヶ崎館を去った栗原信友・大井信達・今井信是一元化」の表紙

武田信虎に反発して
躑躅ヶ崎館を去った
栗原信友・大井信達・
今井信是
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,519年2月頃〜1,543年8月頃
ページ数
6ページ
文字数
977字
最新更新日
西暦2,026年10月7日

移住の命令から、自領への帰還へ──
武田信虎に反発した3名を一元化。

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本書について

西暦1,519年2月頃、今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井信是は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田信虎と交戦した。本書は、此の今井信是の反乱から、躑躅ヶ崎館の建設の鍬立式、武田信虎・大井の方の躑躅ヶ崎館への移住、武田信虎による有力国人領主への移住の命令、栗原信友・大井信達・今井信是の自領への帰還、武田信虎軍による栗原氏館の焼き討ち、今諏訪での武田信虎軍の大勝と大井信達・今井信是の降伏、栗原信友の死去を経て、西暦1,543年8月頃に大井信達が死去する迄を一元化した記録である。

西暦1,519年5月頃、今井信是が、武田信虎に降伏する。9月8日、甲斐国の国府移転に伴う、躑躅ヶ崎館(現在の山梨県甲府市古府中町)の建設の鍬立式が催される。9月9日、武田信虎が、躑躅ヶ崎館の建設地の見分を行う。

西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。此の時には、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っていた。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。4月頃、躑躅ヶ崎館の落慶法会が執り行われる。

西暦1,520年6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。栗原信友は秩父に逃亡し、後に武田信虎に許しを請うた。武田信虎は了承し、栗原信友は甲斐国に帰参した。6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪(現在の山梨県南アルプス市)にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。然し武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井信是は降伏した。信達は、武田信虎から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。

西暦1,529年12月5日、栗原信友が死去する。西暦1,537年、冷泉為和が、武田信虎から和歌会に招待される。大井信達も同席し、以降大井信達は、数度に亘って同席した。西暦1,543年8月頃、大井信達が死去する。今井信是の反乱から、躑躅ヶ崎館の建設の鍬立式、武田信虎・大井の方の躑躅ヶ崎館への移住、武田信虎による有力国人領主への移住の命令、栗原信友・大井信達・今井信是の自領への帰還、武田信虎軍による栗原氏館の焼き討ち、今諏訪での武田信虎軍の大勝と大井信達・今井信是の降伏、栗原信友の死去を経て、大井信達の死去に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 武田信虎 西暦1,519年2月頃、今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井信是は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田信虎と交戦した。5月頃、今井信是が、武田信虎に降伏する。9月9日、武田信虎が、躑躅ヶ崎館の建設地の見分を行う。西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。此の時には、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っていた。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館を焼き討ちにする。栗原信友は秩父に逃亡し、後に武田信虎に許しを請うた。武田信虎は了承し、栗原信友は甲斐国に帰参した。6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。然し武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井信是は降伏した。信達は、武田信虎から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。西暦1,537年、冷泉為和が、武田信虎から和歌会に招待される。大井信達も同席し、以降大井信達は、数度に亘って同席した。
  • 栗原信友 西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館を焼き討ちにする。栗原信友は秩父に逃亡し、後に武田信虎に許しを請うた。武田信虎は了承し、栗原信友は甲斐国に帰参した。西暦1,529年12月5日、栗原信友が死去する。
  • 大井信達 西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。然し武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井信是は降伏した。信達は、武田信虎から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。西暦1,537年、冷泉為和が、武田信虎から和歌会に招待される。大井信達も同席し、以降大井信達は、数度に亘って同席した。西暦1,543年8月頃、大井信達が死去する。
  • 今井信是 西暦1,519年2月頃、今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井信是は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田信虎と交戦した。5月頃、今井信是が、武田信虎に降伏する。西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。信達・今井信是は降伏した。
  • 大井の方 西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。
  • 板垣信方 西暦1,520年6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。
  • 曽根昌長 西暦1,520年6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。
  • 曽根大学助 西暦1,520年6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。然し武田軍は、曽根大学助が戦死した。
  • 大井信業 西暦1,520年6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。信達・今井信是は降伏した。信達は、武田信虎から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。
  • 諏訪頼満 西暦1,519年2月頃、今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井信是は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田信虎と交戦した。
  • 冷泉為和 西暦1,537年、冷泉為和が、武田信虎から和歌会に招待される。大井信達も同席し、以降大井信達は、数度に亘って同席した。

主要な地名・拠点

  • 躑躅ヶ崎館 西暦1,519年9月8日、甲斐国の国府移転に伴う、躑躅ヶ崎館(現在の山梨県甲府市古府中町)の建設の鍬立式が催される。9月9日、武田信虎が、躑躅ヶ崎館の建設地の見分を行う。西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。此の時には、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っていた。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。4月頃、躑躅ヶ崎館の落慶法会が執り行われる。
  • 川田館 西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。
  • 躑躅ヶ崎館の城下町 西暦1,520年1月10日、武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。
  • 甲斐国と信濃国の国境 西暦1,519年2月頃、今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井信是は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田信虎と交戦した。
  • 都塚 西暦1,520年6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。
  • 栗原氏館 西暦1,520年6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。
  • 秩父 西暦1,520年6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。栗原信友は秩父に逃亡し、後に武田信虎に許しを請うた。武田信虎は了承し、栗原信友は甲斐国に帰参した。
  • 今諏訪 西暦1,520年6月24日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪(現在の山梨県南アルプス市)にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。然し武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井信是は降伏した。

主要な事件・出来事

  • 今井信是の武田信虎に対する反乱(1,519年2月頃) 今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井信是は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田信虎と交戦した。
  • 今井信是の武田信虎への降伏(1,519年5月頃) 今井信是が、武田信虎に降伏する。
  • 躑躅ヶ崎館の建設の鍬立式(1,519年9月8日) 甲斐国の国府移転に伴う、躑躅ヶ崎館(現在の山梨県甲府市古府中町)の建設の鍬立式が催される。
  • 武田信虎による躑躅ヶ崎館の建設地の見分(1,519年9月9日) 武田信虎が、躑躅ヶ崎館の建設地の見分を行う。
  • 武田信虎・大井の方の川田館から躑躅ヶ崎館への移住(1,520年1月10日) 武田信虎・大井の方の2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。此の時には、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っていた。武田信虎は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、栗原信友・大井信達・今井信是の3名も、移住を余儀無くされた。
  • 躑躅ヶ崎館の落慶法会(1,520年4月頃) 躑躅ヶ崎館の落慶法会が執り行われる。
  • 栗原信友・大井信達・今井信是の自領への帰還(1,520年6月頃) 兼ねてから武田信虎から距離を置いていた栗原信友・大井信達・今井信是の3名が、公然と武田信虎に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。此れを受けて武田信虎は、配下の板垣信方・曽根昌長の2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。
  • 武田信虎軍の一手による栗原氏館の焼き討ち(1,520年6月22日) 三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。栗原信友は秩父に逃亡し、後に武田信虎に許しを請うた。武田信虎は了承し、栗原信友は甲斐国に帰参した。
  • 今諏訪での武田信虎軍の一手と大井信達・今井信是の交戦(1,520年6月24日) 三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪(現在の山梨県南アルプス市)にて、大井信達・今井信是の2名と交戦し、大勝する。然し武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井信是は降伏した。信達は、武田信虎から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。
  • 栗原信友の死去(1,529年12月5日) 栗原信友が死去する。
  • 武田信虎による冷泉為和の和歌会への招待(1,537年) 冷泉為和が、武田信虎から和歌会に招待される。大井信達も同席し、以降大井信達は、数度に亘って同席した。
  • 大井信達の死去(1,543年8月頃) 大井信達が死去する。本書の年表の最後の項目である。

栗原氏館の焼き討ちから、今諏訪へ──
武田信虎による征伐を一元化。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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