電子書籍「摂津国守護代職を罷免しようとした細川政元に怒り挙兵した薬師寺元一、下京の民衆の土一揆一元化」の表紙

摂津国守護代職を
罷免しようとした
細川政元に怒り挙兵した
薬師寺元一、
下京の民衆の土一揆一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,499年10月9日〜1,504年10月27日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
7ページ
文字数
2,674字
最新更新日
西暦2,026年10月7日

罷免の企てから、一元寺での切腹へ──
薬師寺元一の挙兵を一元化。

153円(税込)

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本書について

西暦1,499年10月9日、足利義稙・畠山尚順の2名率いる軍が、山城国飯岡(現在の京都府京田辺市)に着陣する。本書は、此の足利義稙・畠山尚順の飯岡への着陣から、赤沢朝経率いる軍による南山城一帯の征圧、細川政元による薬師寺元一の摂津国守護代職の罷免の企て、薬師寺元一の淀古城での挙兵、下京の民衆の土一揆、室町幕府による徳政令の発布、薬師寺長忠等による淀古城の落城を経て、西暦1,504年10月27日に薬師寺元一が一元寺にて切腹させられる迄を一元化した記録である。

西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。10月14日、畠山尚順率いる軍が、誉田城を孤立させる事を意図し、木幡(現在の京都府宇治市)まで進軍する。此の軍は、畠山尚順が動員した、河内国から筒井氏や十市氏等の大和国人衆で構成されていた。畠山尚順は、河内国を征圧して上洛するという算段を立てていた。そして畠山尚順率いる軍は、赤沢朝経率いる軍と交戦した。赤沢勢が優位に戦いを進めた。10月30日、赤沢朝経率いる軍が、西一口城(現在の京都府久世郡久御山町西一口)を焼き払う。10月31日、赤沢朝経率いる軍が、真木島氏の居城である槇島城(現在の京都府宇治市槇島町薗場)を落城させ、複数名の首級を挙げる。11月1日、赤沢朝経率いる軍が、水主城(現在の京都府城陽市水主北垣内)を落城させる。此れにより赤沢朝経は、南山城一帯の征圧を完了した。此れにより畠山義英は、誉田城を守り、総州家を存続させた。

西暦1,499年12月頃、足利義稙が、越前国府中(現在の福井県越前市国府)から出陣する。其の後足利義稙は、坂本に布陣した。南方からの畠山尚順の軍と連携して、京都の細川政元・足利義澄方を挟撃し、上洛を狙う算段を立てていた。12月24日、六角高頼が、坂本にて、足利義稙率いる軍に奇襲攻撃を仕掛ける。足利義稙は敗れ、比叡山に逃れた。西暦1,500年1月20日、畠山尚順が、紀伊国へ退却する。

西暦1,503年1月23日、足利義澄が、足利義稙の死を願う自筆の願文を、石清水八幡宮に奉納する。3月24日、足利義澄が真木島(現在の京都府宇治市)に下向する。細川政元の饗応を受けた。3月27日、足利義澄が帰洛する。8月22日、安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。安富元家は此れを不服とし、遁世した。後任として、赤沢朝経が兵庫津代官に就任した。11月5日、細川政元が上洛する。以降家臣を遠ざける等、細川政元の言動に異常が見られる様になった。

西暦1,504年1月10日、足利義澄が、新年の参賀式の為参内する。宴の後、細川政元は召し出されて、天盃を拝領した。西暦1,439年の細川持之以来の、非常に稀な事であった。政元は御礼に、万疋を進上した。5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月3日、薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。5月8日、足利義澄が、細川政元の為に和歌会を催す。

西暦1,504年8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。8月9日頃、細川政元が、安富元家を召し返す。8月24日、細川成之・細川澄元の2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。9月5日、周防国に居る足利義稙が上洛するとの噂が京都で流れる。9月8日頃、安富元家が死去する。

西暦1,504年10月10日夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けた為、京都から逐電する。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月12日、下京の民衆が土一揆を起こす。徳政令の発布を要求し、土倉や酒屋を襲撃した。10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。又此の日、下京の民衆が、下京の町を、借用書や質札を含めて焼き払う。10月14日、赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。

西暦1,504年10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。10月18日、室町幕府が徳政令を発布する。此れは、下京の民衆の土一揆を受けたものであった。10月21日、香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。10月24日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。四宮長能父子は自害した。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。又此の日、赤沢朝経が、槇島城から没落し、行方不明となる。

西暦1,504年10月27日、薬師寺元一が、自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺元一は、「若衆」と発音する様家臣に指示していた。足利義稙・畠山尚順の飯岡への着陣から、赤沢朝経率いる軍による南山城一帯の征圧、細川政元による薬師寺元一の摂津国守護代職の罷免の企て、薬師寺元一の淀古城での挙兵、下京の民衆の土一揆、室町幕府による徳政令の発布、薬師寺長忠等による淀古城の落城を経て、薬師寺元一の一元寺での切腹に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 薬師寺元一 西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。西暦1,504年5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月3日、薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。10月14日、赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。10月21日、香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。10月27日、薬師寺元一が、自身の建立した一元寺にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺元一は、「若衆」と発音する様家臣に指示していた。
  • 細川政元 西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。12月頃、足利義稙が、越前国府中から出陣する。足利義稙は、南方からの畠山尚順の軍と連携して、京都の細川政元・足利義澄方を挟撃し、上洛を狙う算段を立てていた。西暦1,503年3月24日、足利義澄が真木島に下向する。足利義澄は、細川政元の饗応を受けた。8月22日、安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。安富元家は此れを不服とし、遁世した。後任として、赤沢朝経が兵庫津代官に就任した。11月5日、細川政元が上洛する。以降家臣を遠ざける等、細川政元の言動に異常が見られる様になった。西暦1,504年1月10日、足利義澄が、新年の参賀式の為参内する。宴の後、細川政元は召し出されて、天盃を拝領した。西暦1,439年の細川持之以来の、非常に稀な事であった。政元は御礼に、万疋を進上した。5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月8日、足利義澄が、細川政元の為に和歌会を催す。8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。8月9日頃、細川政元が、安富元家を召し返す。10月10日夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けた為、京都から逐電する。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。此の挙兵には、細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。10月27日、薬師寺元一が、自身の建立した一元寺にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。
  • 細川澄元 西暦1,504年8月24日、細川成之・細川澄元の2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。此の挙兵には、細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。
  • 細川成之 西暦1,504年8月24日、細川成之・細川澄元の2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。
  • 香西元長 西暦1,504年10月21日、香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。10月24日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。
  • 薬師寺長忠 西暦1,504年10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月24日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
  • 寺町又三郎 西暦1,504年10月10日夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けた為、京都から逐電する。10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。
  • 四宮長能 西暦1,504年10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。四宮長能父子は自害した。
  • 赤沢朝経 西暦1,499年10月14日、畠山尚順率いる軍が、誉田城を孤立させる事を意図し、木幡まで進軍する。そして畠山尚順率いる軍は、赤沢朝経率いる軍と交戦した。赤沢勢が優位に戦いを進めた。10月30日、赤沢朝経率いる軍が、西一口城を焼き払う。10月31日、赤沢朝経率いる軍が、真木島氏の居城である槇島城を落城させ、複数名の首級を挙げる。11月1日、赤沢朝経率いる軍が、水主城を落城させる。此れにより赤沢朝経は、南山城一帯の征圧を完了した。西暦1,503年8月22日、安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。後任として、赤沢朝経が兵庫津代官に就任した。西暦1,504年8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。10月14日、赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。10月26日、赤沢朝経が、槇島城から没落し、行方不明となる。
  • 安富元家 西暦1,503年8月22日、安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。安富元家は此れを不服とし、遁世した。西暦1,504年8月9日頃、細川政元が、安富元家を召し返す。9月8日頃、安富元家が死去する。10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。
  • 安富元治 西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。
  • 高橋光正 西暦1,503年8月22日、安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。安富元家は此れを不服とし、遁世した。後任として、赤沢朝経が兵庫津代官に就任した。
  • 上野元治・上野政益 西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。10月24日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
  • 内藤貞正 西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。10月24日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
  • 山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・波多野元清 西暦1,504年10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。10月24日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
  • 下京の民衆 西暦1,504年10月12日、下京の民衆が土一揆を起こす。徳政令の発布を要求し、土倉や酒屋を襲撃した。10月13日、下京の民衆が、下京の町を、借用書や質札を含めて焼き払う。10月18日、室町幕府が徳政令を発布する。此れは、下京の民衆の土一揆を受けたものであった。10月21日、香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。
  • 足利義稙 西暦1,499年10月9日、足利義稙・畠山尚順の2名率いる軍が、山城国飯岡に着陣する。12月頃、足利義稙が、越前国府中から出陣する。其の後足利義稙は、坂本に布陣した。南方からの畠山尚順の軍と連携して、京都の細川政元・足利義澄方を挟撃し、上洛を狙う算段を立てていた。12月24日、六角高頼が、坂本にて、足利義稙率いる軍に奇襲攻撃を仕掛ける。足利義稙は敗れ、比叡山に逃れた。西暦1,503年1月23日、足利義澄が、足利義稙の死を願う自筆の願文を、石清水八幡宮に奉納する。西暦1,504年8月24日、細川成之・細川澄元の2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。9月5日、周防国に居る足利義稙が上洛するとの噂が京都で流れる。
  • 足利義澄 西暦1,499年12月頃、足利義稙が、越前国府中から出陣する。足利義稙は、南方からの畠山尚順の軍と連携して、京都の細川政元・足利義澄方を挟撃し、上洛を狙う算段を立てていた。西暦1,503年1月23日、足利義澄が、足利義稙の死を願う自筆の願文を、石清水八幡宮に奉納する。3月24日、足利義澄が真木島に下向する。細川政元の饗応を受けた。3月27日、足利義澄が帰洛する。西暦1,504年1月10日、足利義澄が、新年の参賀式の為参内する。宴の後、細川政元は召し出されて、天盃を拝領した。西暦1,439年の細川持之以来の、非常に稀な事であった。政元は御礼に、万疋を進上した。5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月3日、薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。5月8日、足利義澄が、細川政元の為に和歌会を催す。
  • 畠山尚順 西暦1,499年10月9日、足利義稙・畠山尚順の2名率いる軍が、山城国飯岡に着陣する。10月14日、畠山尚順率いる軍が、誉田城を孤立させる事を意図し、木幡まで進軍する。此の軍は、畠山尚順が動員した、河内国から筒井氏や十市氏等の大和国人衆で構成されていた。畠山尚順は、河内国を征圧して上洛するという算段を立てていた。そして畠山尚順率いる軍は、赤沢朝経率いる軍と交戦した。赤沢勢が優位に戦いを進めた。12月頃、足利義稙が、越前国府中から出陣する。足利義稙は、南方からの畠山尚順の軍と連携して、京都の細川政元・足利義澄方を挟撃し、上洛を狙う算段を立てていた。西暦1,500年1月20日、畠山尚順が、紀伊国へ退却する。
  • 畠山義英 西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。11月1日、赤沢朝経率いる軍が、水主城を落城させる。此れにより赤沢朝経は、南山城一帯の征圧を完了した。此れにより畠山義英は、誉田城を守り、総州家を存続させた。
  • 六角高頼 西暦1,499年12月24日、六角高頼が、坂本にて、足利義稙率いる軍に奇襲攻撃を仕掛ける。足利義稙は敗れ、比叡山に逃れた。
  • 大内義興 西暦1,504年8月24日、細川成之・細川澄元の2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。
  • 筒井氏・十市氏 西暦1,499年10月14日、畠山尚順率いる軍が、誉田城を孤立させる事を意図し、木幡まで進軍する。此の軍は、畠山尚順が動員した、河内国から筒井氏や十市氏等の大和国人衆で構成されていた。
  • 真木島氏 西暦1,499年10月31日、赤沢朝経率いる軍が、真木島氏の居城である槇島城を落城させ、複数名の首級を挙げる。

本書が記録する出来事

  • 足利義稙・畠山尚順の2名率いる軍の山城国飯岡への着陣(1,499年10月9日) 足利義稙・畠山尚順の2名率いる軍が、山城国飯岡(現在の京都府京田辺市)に着陣する。
  • 畠山義英の救援の為の薬師寺元一の出陣(1,499年10月10日頃) 薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。
  • 畠山尚順率いる軍の木幡への進軍と赤沢朝経率いる軍との交戦(1,499年10月14日) 畠山尚順率いる軍が、誉田城を孤立させる事を意図し、木幡(現在の京都府宇治市)まで進軍する。此の軍は、畠山尚順が動員した、河内国から筒井氏や十市氏等の大和国人衆で構成されていた。畠山尚順は、河内国を征圧して上洛するという算段を立てていた。そして畠山尚順率いる軍は、赤沢朝経率いる軍と交戦した。赤沢勢が優位に戦いを進めた。
  • 赤沢朝経率いる軍による西一口城の焼き払い(1,499年10月30日) 赤沢朝経率いる軍が、西一口城(現在の京都府久世郡久御山町西一口)を焼き払う。
  • 赤沢朝経率いる軍による槇島城の落城(1,499年10月31日) 赤沢朝経率いる軍が、真木島氏の居城である槇島城(現在の京都府宇治市槇島町薗場)を落城させ、複数名の首級を挙げる。
  • 赤沢朝経率いる軍による水主城の落城と南山城一帯の征圧(1,499年11月1日) 赤沢朝経率いる軍が、水主城(現在の京都府城陽市水主北垣内)を落城させる。此れにより赤沢朝経は、南山城一帯の征圧を完了した。此れにより畠山義英は、誉田城を守り、総州家を存続させた。
  • 足利義稙の越前国府中からの出陣と坂本への布陣(1,499年12月頃) 足利義稙が、越前国府中(現在の福井県越前市国府)から出陣する。其の後足利義稙は、坂本に布陣した。南方からの畠山尚順の軍と連携して、京都の細川政元・足利義澄方を挟撃し、上洛を狙う算段を立てていた。
  • 六角高頼による坂本での足利義稙率いる軍への奇襲攻撃(1,499年12月24日) 六角高頼が、坂本にて、足利義稙率いる軍に奇襲攻撃を仕掛ける。足利義稙は敗れ、比叡山に逃れた。
  • 畠山尚順の紀伊国への退却(1,500年1月20日) 畠山尚順が、紀伊国へ退却する。
  • 足利義澄による石清水八幡宮への願文の奉納(1,503年1月23日) 足利義澄が、足利義稙の死を願う自筆の願文を、石清水八幡宮に奉納する。
  • 足利義澄の真木島への下向(1,503年3月24日) 足利義澄が真木島(現在の京都府宇治市)に下向する。細川政元の饗応を受けた。
  • 足利義澄の帰洛(1,503年3月27日) 足利義澄が帰洛する。
  • 細川政元の命による高橋光正の殺害(1,503年8月22日) 安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。安富元家は此れを不服とし、遁世した。後任として、赤沢朝経が兵庫津代官に就任した。
  • 細川政元の上洛(1,503年11月5日) 細川政元が上洛する。以降家臣を遠ざける等、細川政元の言動に異常が見られる様になった。
  • 足利義澄の参賀式の為の参内と細川政元の天盃の拝領(1,504年1月10日) 足利義澄が、新年の参賀式の為参内する。宴の後、細川政元は召し出されて、天盃を拝領した。西暦1,439年の細川持之以来の、非常に稀な事であった。政元は御礼に、万疋を進上した。
  • 細川政元による薬師寺元一の摂津国守護代職の罷免の企て(1,504年5月2日) 細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。
  • 薬師寺元一による足利義澄への馬・太刀等の献上(1,504年5月3日) 薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。
  • 足利義澄による細川政元の為の和歌会の開催(1,504年5月8日) 足利義澄が、細川政元の為に和歌会を催す。
  • 薬師寺元一の仲介による赤沢朝経の宥免・召還(1,504年8月7日) 高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。
  • 細川政元による安富元家の召し返し(1,504年8月9日頃) 細川政元が、安富元家を召し返す。
  • 細川成之・細川澄元による足利義稙からの御内書への御礼の送付(1,504年8月24日) 細川成之・細川澄元の2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。
  • 足利義稙の上洛の噂(1,504年9月5日) 周防国に居る足利義稙が上洛するとの噂が京都で流れる。
  • 安富元家の死去(1,504年9月8日頃) 安富元家が死去する。
  • 寺町又三郎の京都からの逐電(1,504年10月10日) 夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けた為、京都から逐電する。
  • 薬師寺元一の淀古城での挙兵(1,504年10月11日) 薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。
  • 下京の民衆の土一揆(1,504年10月12日) 下京の民衆が土一揆を起こす。徳政令の発布を要求し、土倉や酒屋を襲撃した。
  • 西岡被官衆の多くによる神足城での挙兵(1,504年10月13日) 西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。
  • 下京の民衆による下京の町の焼き払い(1,504年10月13日) 下京の民衆が、下京の町を、借用書や質札を含めて焼き払う。
  • 赤沢朝経の京都からの出奔(1,504年10月14日) 赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。
  • 神足城での薬師寺元一方と細川政元方の合戦(1,504年10月17日) 神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。
  • 室町幕府による徳政令の発布(1,504年10月18日) 室町幕府が徳政令を発布する。此れは、下京の民衆の土一揆を受けたものであった。
  • 香西元長による半済を条件とした兵の募集(1,504年10月21日) 香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。
  • 上野元治・上野政益等による神足城の落城(1,504年10月23日) 上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。
  • 薬師寺長忠等1,000名余の淀古城への出陣(1,504年10月24日) 薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。
  • 薬師寺長忠等による淀古城の落城と香西元長による薬師寺元一の捕縛(1,504年10月26日) 薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。四宮長能父子は自害した。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。
  • 赤沢朝経の槇島城からの没落(1,504年10月26日) 赤沢朝経が、槇島城から没落し、行方不明となる。
  • 薬師寺元一の一元寺での切腹(1,504年10月27日) 薬師寺元一が、自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺元一は、「若衆」と発音する様家臣に指示していた。本書の年表の最後の項目である。

淀古城の挙兵と、下京の土一揆──
薬師寺元一と下京の民衆を一元化。

153円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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