電子書籍「摂津国守護代職を罷免しようとした細川政元に怒り挙兵した薬師寺元一、下京の民衆の土一揆一元化」の表紙

摂津国守護代職を罷免しようとした
細川政元に怒り挙兵した薬師寺元一、
下京の民衆の土一揆
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,499年10月9日〜1,504年10月27日
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,026年1月4日

足利義稙・畠山尚順の山城国飯岡着陣・薬師寺元一の誉田城救援出陣・赤沢朝経の槇島城落城と南山城征圧・足利義稙の坂本奇襲敗戦・畠山尚順の紀伊国退却・足利義澄の義稙死願文奉納・高橋光正殺害と安富元家伿世・細川政元の言動異常化・摂津国守護代罷免企図と足利義澄介入による取り止め・寺町又三郎の逐電・薬師寺元一の淀古城籠城と細川澄元擁立・下京民衆の土一揆と徳政令要求・下京の借用書・質札焼却・赤沢朝経の出奔・神足城合戦と寺町又三郎・安富元治討死・室町幕府徳政令発布・香西元長の半済条件兵募集・神足城落城・1,000名余の淀古城出陣・淀古城落城と四宮長能父子自害・薬師寺元一の香西元長捕縛と京都護送・赤沢朝経の槙島城没落と行方不明・薬師寺元一の一元寺切腹と「地獄にはよき我が主の在るやとて」若衆掛詞辞世の句──
「腹も一文字に切るべし」──主君を地獄に呼び込んだ守護代の挙兵と土一揆の5年を一本の時系列に貫く。

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本書について

西暦1499年10月9日、足利義稙・畠山尚順率いる軍が山城国飯岡に着陣した日から、西暦1504年10月27日、細川政元から摂津国守護代職を罷免されようとして挙兵し淀古城落城で捕縛された薬師寺元一が、自身の建立した一元寺で「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言って切腹した日まで。本書は、室町幕府第29代管領細川政元の幕政が晩年に向かって異常化していく中で、摂津国守護代職を巡って細川一族の中枢にて発生したクーデター未遂——薬師寺元一の挙兵——と、同時並行で下京の民衆が起こした徳政令要求の土一揆を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。本書の核となるのは、1504年10月の僅か18日間に発生する事件群——10月10日夜の寺町又三郎の逐電、10月11日の元一の淀古城籠城と細川澄元擁立企図、10月12日の下京民衆の土倉・酒屋襲撃、10月13日の下京の借用書・質札焼却、10月14日の赤沢朝経の出奔、10月17日の神足城合戦、10月18日の徳政令発布、10月23日の神足城落城、10月26日の淀古城落城、そして10月27日の薬師寺元一の一元寺切腹——です。元一の辞世の句「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」の「我が主」は若衆との掛詞で、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやる」と細川政元を地獄へ誘う呪詛が込められており、若衆と発音する様家臣に指示してすらいたという、密度の濃い5年を一冊に束ねます。

西暦1499年10月9日、足利義稙・畠山尚順は山城国飯岡に着陣、10月10日に薬師寺元一が細川政元の命を受け誉田城主畠山義英の救援の為出陣しました。10月14日、畠山尚順率いる河内国・大和国の筒井氏・十市氏勢は誉田城を孤立させる為木幡まで進軍するも赤沢朝経勢と交戦して劣勢、10月30日には赤沢が西一口城を焼き払い、10月31日には真木島氏の槇島城を落城、11月1日に水主城を落として南山城一帯の征圧を完了し、畠山義英は誉田城を守って総州家を存続させました。1499年12月、足利義稙は越前国府中から出陣して坂本に布陣、南方の畠山尚順との挟撃で上洛を狙うも、12月24日に六角高頼の坂本奇襲で敗れ比叡山に逃れ、1500年1月20日には畠山尚順も紀伊国へ退却しました。1503年1月23日、足利義澄は石清水八幡宮に義稙の死を願う自筆の願文を奉納、3月24日に真木島に下向して細川政元の饗応を受け3月27日帰洛。8月22日、安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が細川政元の命により殺害され、安富は不服として伿世、後任に赤沢朝経が就任。11月5日に細川が上洛して以降、家臣を遠ざける等言動の異常が見られる様になりました。1504年1月10日の参内では細川政元が天盃を拝領し1439年細川持之以来の名誉となりました。

西暦1504年5月2日、細川政元は薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとしましたが、足利義澄の介入により取り止めとなりました。翌5月3日、元一は前日の御礼として義澄に馬・太刀等を献上、5月8日には義澄が政元の為に和歌会を催し、表面上は和解が演出されました。8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が薬師寺元一の仲介により細川政元から宥免・召還され、8月9日には安富元家も召し返されました。8月24日、細川成之・細川澄元は周防国の大内義興に宛てて足利義稙からの御内書への御礼を送り、9月5日には周防国に居る足利義稙が上洛するとの噂が京都で流れました。9月8日、安富元家が死去。10月10日夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けて京都から逐電。10月11日、薬師寺元一は自身の謀反が政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵し、細川澄元を管領に擁立する狙いを掲げました。細川京兆家にも政元に背く者が多数発生し、政元は即座に元一の弟である薬師寺長盛弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣しました。

西暦1504年10月12日、下京の民衆が土一揆を起こし、徳政令の発布を要求して土倉や酒屋を襲撃しました。10月13日には西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応して神足城で挙兵、政元は上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣、同日下京の民衆は下京の町を借用書や質札を含めて焼き払いました。10月14日、赤沢朝経が元一に呼応して京都から出奔。10月17日、神足城にて元一方と政元方の合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治が討死。10月18日、室町幕府は下京の民衆の土一揆を受けて徳政令を発布しました。10月21日、香西元長が下京や京都近郊の村々の住民に半済を条件として元一征伐の兵を募集。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が神足城を落城させ、四宮長能父子と西岡被官衆は淀古城に逃亡。10月24日、薬師寺長忠等1,000名余が淀古城へ向けて出陣、10月26日に淀古城が落城、四宮長能父子は自害、元一は逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され京都に護送、同日赤沢朝経も槙島城から没落して行方不明となりました。10月27日、元一は自身の建立した一元寺にて切腹させられ、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言って腹を一文字に切り、辞世の句「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」を残しました。「我が主」は若衆との掛詞で「地獄にもいい若衆がいるから先に旅立って下見しておいてやる」と細川政元を地獄へ誘う意味が込められており、若衆と発音する様家臣に指示してすらいた、摂津国守護代職を巡る細川京兆家の内紛と下京の民衆の蜂起が同時並行で発生した瞬間の全貌を一冊に束ねた書です。


主要登場人物

  • 薬師寺元一 細川政元の摂津国守護代。1499年10月10日に細川政元の命を受け畠山義英の誉田城救援の為出陣した忠実な家臣であった。1504年5月2日、細川政元から摂津国守護代職を罷免されようとしたが足利義澄の介入で取り止め。8月7日には高野山逃亡中の赤沢朝経の細川政元からの宥免・召還を仲介した。10月11日に自身の謀反が露見した為淀古城に籠城し、西岡武士四宮長能父子と共に挙兵、細川澄元を管領に擁立する狙いを掲げた。10月26日の淀古城落城時、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され京都に護送された。10月27日、自身の建立した一元寺にて「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言って切腹し、辞世の句「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」を残した、本書の表題にして「我が主」を若衆との掛詞で細川政元を地獄に誘った守護代。
  • 細川政元 室町幕府第29代管領。1503年8月22日に安富元家の与力高橋光正を殺害させ、11月5日上洛以降は家臣を遠ざける等の言動異常を見せた。1504年5月2日に薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとして足利義澄の介入で取り止め、5月8日には義澄主催の和歌会で接待された。8月7日に高野山逃亡中の赤沢朝経を薬師寺元一の仲介で宥免・召還、8月9日には安富元家も召し返した。10月11日に薬師寺元一の謀反が露見すると即座に元一の弟薬師寺長忠を征伐に派遣した、本書で挙兵を誘発した管領にして元一の辞世の句で地獄に誘われた「我が主」。
  • 細川澄元 細川政元の養子。1504年8月24日に細川成之と共に周防国の大内義興へ足利義稙の御内書への御礼を送った。10月11日の薬師寺元一の挙兵では、管領擁立の対象として担ぎ上げられた、本書で挙兵者の旗印として担がれた養子。
  • 香西元長 細川政元の家臣。1504年10月21日、下京や京都近郊の村々の住民に半済を条件として薬師寺元一征伐の兵を募集して土一揆勢を反元一方に取り込んだ。10月23日の神足城落城に参戦、10月24日には1,000名余の淀古城出陣に加わり、10月26日の淀古城落城時に逃亡しようとした薬師寺元一を捕縛して京都に護送した、本書の元一捕縛の張本人。
  • 薬師寺長忠 薬師寺長盛の弐男にして薬師寺元一の弟。1504年10月11日、兄元一の謀反露見を受けて細川政元から元一征伐の為に派遣された。10月24日には1,000名余の淀古城出陣を率い、10月26日の淀古城落城に至った、本書で兄を討つ任に就いた弟。
  • 寺町又三郎 薬師寺長盛の参男にして薬師寺元一の弟。1504年10月10日夜、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けて京都から逐電し、10月11日からの兄元一の挙兵の引き金の一つとなった。10月17日の神足城合戦で安富元治と共に討死した、本書で挙兵の発端を成して合戦で散った弟。
  • 四宮長能 西岡の武士。1504年10月11日の薬師寺元一の挙兵に参男と共に呼応して淀古城で挙兵に加わった。10月23日の神足城落城時に父子で淀古城に逃亡、10月26日の淀古城落城時に父子で自害した、本書で薬師寺と運命を共にした西岡武士。
  • 赤沢朝経 細川政元の家臣。1499年10月14日からの南山城征圧で畠山尚順勢と交戦し、10月30日に西一口城を焼き払い、10月31日に槇島城を落城させ、11月1日に水主城を落として南山城一帯の征圧を完了させた。1503年8月22日に高橋光正の後任として兵庫津代官に就任。1504年8月7日には高野山逃亡中だった所を薬師寺元一の仲介で細川政元から宥免・召還されたが、10月14日に薬師寺元一の挙兵に呼応して京都から出奔、10月26日の淀古城落城同日に槙島城から没落して行方不明となった、本書で恩を仇で返す形で寝返り行方不明となった猛将。
  • 安富元家 細川政元の家臣。1503年8月22日に与力で兵庫津代官の高橋光正が細川政元の命により殺害された事を不服として伿世した。1504年8月9日に細川政元から召し返されたが、9月8日に死去した、本書で挙兵直前に世を去った重臣。
  • 安富元治 安富元家の嫡男。1504年10月13日、神足城での西岡被官衆の挙兵を受けて細川政元によって上野元治・上野政益・内藤貞正と共に派遣された。10月17日の神足城合戦で寺町又三郎と共に討死した、本書で父の死後直ぐに討死した嫡男。
  • 高橋光正 安富元家の与力で兵庫津代官。1503年8月22日に細川政元の命により殺害され、安富元家の伿世と赤沢朝経の兵庫津代官就任を招いた、本書で挙兵の遠因となった殺害された与力。
  • 上野元治 細川政元方の将。1504年10月13日に神足城での西岡被官衆の挙兵を鎮圧する為に派遣された。10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の主力の一人。
  • 上野政益 細川政元方の将。1504年10月13日に神足城での西岡被官衆の挙兵を鎮圧する為に派遣され、10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の主力の一人。
  • 内藤貞正 細川政元方の将。1504年10月13日に神足城での西岡被官衆の挙兵を鎮圧する為に派遣され、10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の主力の一人。
  • 山内就綱 細川政元方の将。1504年10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の一人。
  • 伊庭貞隆 細川政元方の将。1504年10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の一人。
  • 柳本長治 細川政元方の将。1504年10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の一人。
  • 波多野元清 細川政元方の将。1504年10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に参戦した、本書の鎮圧軍の一人。
  • 下京民衆 下京の町人。1504年10月12日に土一揆を起こし、徳政令の発布を要求して土倉や酒屋を襲撃。10月13日には下京の町を借用書や質札を含めて焼き払い、10月18日に室町幕府の徳政令発布を引き出した。10月21日には香西元長による半済条件の兵募集に応じ、10月23日の神足城落城・10月24日の淀古城出陣・10月26日の淀古城落城に「近郷の土一揆勢」として参戦した、本書で薬師寺の挙兵と並行して京都を揺るがした民衆。
  • 足利義稙 第10代室町幕府征夷大将軍。1499年10月9日に畠山尚順と共に山城国飯岡に着陣、12月に越前国府中から出陣して坂本に布陣するも12月24日に六角高頼の奇襲で比叡山に逃れた。1504年9月5日には周防国に居る義稙が上洛するとの噂が京都で流れ、薬師寺元一挙兵の伏線の一つとなった、本書で京都の不穏の源となり続けた流亡将軍。
  • 足利義澄 第11代室町幕府征夷大将軍。1503年1月23日に石清水八幡宮へ義稙の死を願う願文を奉納、3月24日に真木島下向で細川政元の饗応を受けた。1504年5月2日には細川政元による薬師寺元一の摂津国守護代職罷免企図に介入して取り止めさせ、5月8日には政元の為に和歌会を催した、本書で元一を一度は救うも10月の挙兵を止めるには至らなかった将軍。
  • 畠山尚順 畠山政長の嫡男。1499年10月9日に足利義稙と共に山城国飯岡に着陣、10月14日には河内国・大和国の筒井氏・十市氏等を率いて木幡まで進軍し誉田城を孤立させて上洛を狙うも赤沢朝経勢の優勢で頓挫、1500年1月20日に紀伊国へ退却した、本書の冒頭で上洛企図に挑み撤退した畠山家嫡男。
  • 畠山義英 誉田城主。1499年10月10日に薬師寺元一の救援を受け、11月1日の南山城一帯征圧後も誉田城を守り総州家を存続させた、本書で薬師寺の救援を受けた畠山一族。
  • 六角高頼 近江国の守護。1499年12月24日に坂本にて足利義稙率いる軍に奇襲攻撃を仕掛け敗走させ比叡山に逃れさせた、本書の足利義稙の上洛を再び阻んだ守護。

足利義稙・畠山尚順の山城国飯岡着陣・薬師寺元一の誉田城救援出陣・赤沢朝経の槇島城落城と南山城征圧・足利義稙の坂本奇襲敗戦・畠山尚順の紀伊国退却・足利義澄の義稙死願文奉納・高橋光正殺害と安富元家伿世・細川政元の言動異常化・摂津国守護代罷免企図と足利義澄介入による取り止め・寺町又三郎の逐電・薬師寺元一の淀古城籠城と細川澄元擁立・下京民衆の土一揆と徳政令要求・下京の借用書・質札焼却・赤沢朝経の出奔・神足城合戦と寺町又三郎・安富元治討死・室町幕府徳政令発布・香西元長の半済条件兵募集・神足城落城・1,000名余の淀古城出陣・淀古城落城と四宮長能父子自害・薬師寺元一の香西元長捕縛と京都護送・赤沢朝経の槙島城没落と行方不明・薬師寺元一の一元寺切腹と「地獄にはよき我が主の在るやとて」若衆掛詞辞世の句──
「腹も一文字に切るべし」──主君を地獄に呼び込んだ守護代の挙兵と土一揆の5年を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。