電子書籍「加賀一向一揆の緒戦・富樫政親の高尾城籠城戦一元化」の表紙

加賀一向一揆の緒戦・
富樫政親の
高尾城籠城戦一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,487年9月28日〜1,488年7月17日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
5ページ
最新更新日
西暦2,026年8月13日

西暦1,488年、一国の守護が自らの領民に囲まれた──
加賀一向一揆の緒戦となった高尾城籠城戦の九ヶ月余を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,487年9月28日、第9代室町幕府征夷大将軍足利義尚が、六角高頼征伐の為に坂本(現在の滋賀県大津市坂本・坂本本町・下阪本)へ向けて出陣した。香の袷、白綾の腹巻、赤地金襴に桐唐草の模様の直垂、重藤弓、粟田口吉光の太刀——着飾った将軍を一目見ようと、見物人が集まったという。391騎・8,000名の軍勢には京極政経・京極高清等が加わり、坂本では細川政元・斯波義寛・畠山政長・武田国信等と合流する。其の中に、加賀国守護富樫政親も居た。此の華やかな出陣が、政親自身の首を絞める事となる——本書は、室町幕府の権威が最後に光を放った遠征を起点として、加賀国で同時並行に進んだ一向一揆の緒戦、富樫政親の高尾城籠城戦の九ヶ月余を、年月日単位で一元化した記録である。

出陣に際し、加賀国守護代山川高藤は、富樫政親の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課した。等持院は此れに反発し、山川と繋がりの有る等持院の人間が減免を請うた結果、15貫200文を納めた他は免除されている。同年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清・仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸等の率いる軍が、六角氏の要衝である伊庭氏の拠点八幡山(現在の滋賀県近江八幡市南津田町)と、九里氏の拠点金剛寺(現在の滋賀県近江八幡市)を攻撃した。伊庭氏・九里氏は逃亡し、室町幕府軍は此れ等を陥落させて観音寺城攻略を目指す。政親は、遠征の只中に居た。

然し、出陣に際して兵粮米・軍費を領国である加賀国の民衆に課した事から、国許では反富樫の機運が高まっていた。西暦1,488年1月頃、富樫政親は帰国し、高尾城(現在の石川県金沢市高尾町)に入る。一揆方は家老の山川高藤を介して和睦を伝えたが、富樫は受け入れず、高尾城を修築して戦いに備えた。2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した被官の松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し、槻津上野で越前国の軍勢を待つ。だが今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められ、松坂は討ち取られた。3月頃には山川高藤が越中国からの援軍を迎える為に1,500名を率いて出陣したが、馬飼氏・浦上氏の夜襲を受けて高尾城へ戻っている。

西暦1,488年6月頃、包囲が始まる。富樫政親に討たれた弟富樫幸千代——本願寺門徒を味方に付けていた——の敵を打つ為に擁立された富樫泰高が、本願寺門徒を始めとする一揆方を率い、10,000名余の兵と共に籠城する政親の高尾城を囲んだ。7月5日、足利義尚は越前国の朝倉孝景等に富樫政親への援軍派遣を命じる。朝倉は応じて加賀国へ援軍を派遣したが、一揆方が越前国との国境を封鎖して入国を阻んだ。9日、一揆方は大乗寺(現在の石川県金沢市長坂町)に本陣を構え、包囲を本格化させる。政親は高尾城から出て打って出たが、一揆方を破る事は出来なかった。

7月13日、救援は悉く潰える。遊佐氏・神保氏率いる2,000名の軍は倶利伽羅峠(現在の石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市)で一揆方に敗れ、畠山義統が差し向けた援軍も河北郡黒津船地内(現在の石川県河北郡内灘町宮坂)で本願寺門徒に敗れた。同じ日、富樫方の将本郷春親が一揆方に高尾城の包囲を解く様促したが失敗し、其の後、富樫方と一揆方で小競り合いが発生する。外からの手は、もう届かなかった。

7月15日6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃した。富樫政親率いる1,500名は、大手門を松山左近、搦手の額谷口を森宗三郎が守将として固め、斎藤八郎・安江弥太郎・小早川半弥・新倉将監・浅井九八等が将兵を指揮する。本郷春親は河合藤左衛門の部隊を攻めて河合を討とうとしたが、河合は先陣に居らず、代わりに伊藤久内に捕縛された。其処へ春親の息子本郷松千代丸が攻め出て伊藤を斬殺したものの、木村八郎九郎と組み打ちになり捕縛される。小川隼人成定は寺井豊後の部隊を攻撃し、寺井の息子を斬殺した後、丘に登って休憩していた所を矢の雨に襲われ、斬首された。昼に休戦した時、政親の軍は本郷春親・額景春・額親家・林正蔵坊・高尾若狭守・槻橋弥次郎を始めとする200名余の戦死者を出していた。政親の家臣57名や城兵達は、高尾城からの脱出を始める。

同じ日、山川高藤は政親の正室巴を、一揆方の光徳寺(現在の石川県金沢市玉川町)と申し合わせて高尾城から脱出させた。山川の妹おわんが、一揆方の安吉城(現在の石川県白山市安吉町)主大窪家長に嫁いでいた事から実現した工作である。そして山川自身も、政親を裏切って高尾城を脱出した。7月17日、富樫政親は嫡男富樫家延と共に自害し、高尾城は落城する。宮永八郎三郎・勝見与四郎・福光弥三郎・槻橋豊前守等も、政親の後を追って自害した。山川高藤は一揆方の将三池掃部率いる軍に捕縛されて祇陀寺(現在の石川県白山市吉野付近)に幽閉されたが、夕闇に紛れて脱出し、越前国大野(現在の福井県)へ向かっている。政親の自害を聞いた足利義尚は激怒し、第8世本願寺宗主蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。政親の首級は、富樫泰高によって灰の中から探し出され、大乗寺に葬られる。一国の守護が自らの領民に囲まれて滅びた九ヶ月余の一部始終を、本書は一冊に束ねている。


主要登場人物

  • 富樫政親 本書の中心人物。加賀国守護。西暦1,487年9月28日の足利義尚の坂本出陣に参陣し、守護代山川高藤を介して兵粮米・軍費を加賀国の民衆に課した事で、反富樫の機運を招いた。西暦1,488年1月頃に帰国して高尾城(現在の石川県金沢市高尾町)に籠城し、一揆方の和睦を退けて城を修築する。6月頃から包囲を受け、7月15日の総攻撃で200名余の戦死者を出し、17日に嫡男富樫家延と共に自害した。
  • 富樫家延 富樫政親の嫡男。西暦1,488年7月17日、父政親と共に高尾城にて自害した。
  • 富樫泰高 一揆方に擁立された富樫氏の一族。西暦1,488年6月頃、富樫政親に討たれた政親の弟富樫幸千代の敵を打つ為に擁立され、本願寺門徒を始めとする一揆方を率いて高尾城の包囲を開始した。7月15日6時の総攻撃を指揮し、政親自害の後、其の首級を灰の中から探し出して大乗寺に葬っている。
  • 富樫幸千代 富樫政親の弟。本願寺門徒を味方に付けていたが、政親に討たれた。其の敵を打つという名分が、西暦1,488年の富樫泰高擁立と高尾城包囲の発端となった。
  • 山川高藤 加賀国守護代。富樫政親の家老。西暦1,487年9月の坂本出陣に際し、政親の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課した。西暦1,488年3月頃には越中国からの援軍を迎える為に1,500名を率いて出陣したが夜襲を受けて敗走。7月15日には政親の正室巴を脱出させ、自らも政親を裏切って高尾城を脱出した。捕縛後、祇陀寺から夕闇に紛れて脱出し越前国大野へ向かっている。
  • 富樫政親の正室。西暦1,488年7月15日、山川高藤が一揆方の光徳寺(現在の石川県金沢市玉川町)と申し合わせ、高尾城から脱出させた。山川の妹おわんが安吉城主大窪家長に嫁いでいた縁が、此の工作を可能にした。
  • おわん・大窪家長 山川高藤の妹おわんと、其の嫁ぎ先である一揆方の安吉城(現在の石川県白山市安吉町)主大窪家長。此の縁戚関係により、富樫政親の正室巴の高尾城脱出が実現した。
  • 本郷春親 富樫政親方の将。西暦1,488年7月13日、本願寺門徒等の一揆方に高尾城の包囲を解く様促したが失敗した。15日の総攻撃では部下を率いて河合藤左衛門の部隊を攻めたが、河合は先陣に居らず、代わりに伊藤久内に捕縛され戦死している。
  • 本郷松千代丸 本郷春親の息子。西暦1,488年7月15日、父が伊藤久内に捕縛された場面へ攻め出て伊藤を斬殺したが、木村八郎九郎と組み打ちになり捕縛された。
  • 小川隼人成定 富樫政親方の将。西暦1,488年7月15日の総攻撃で寺井豊後の部隊を攻撃し、寺井の息子を斬殺した後、丘に登って休憩していた所を矢の雨に襲われ、斬首された。
  • 松山左近・森宗三郎 西暦1,488年7月15日の高尾城総攻撃において、それぞれ大手門と搦手の額谷口を固めた富樫政親方の守将。
  • 斎藤八郎・安江弥太郎・小早川半弥・新倉将監・浅井九八 西暦1,488年7月15日の高尾城総攻撃において、富樫政親方の将兵を指揮した面々。
  • 松坂信遠 富樫政親の被官。西暦1,488年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した上で2,000騎余を率いて高尾城を出陣し、槻津上野で越前国の軍勢を待った。然し今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められ、討ち取られた。
  • 今江兼治 一揆方の将。加賀国江沼郡の7,000騎余を率い、西暦1,488年2月25日、槻津上野で越前国からの援軍を待つ松坂信遠を攻めて討ち取った。
  • 河合藤左衛門・伊藤久内・木村八郎九郎・寺井豊後 西暦1,488年7月15日の高尾城総攻撃で、富樫政親方と直接刃を交えた一揆方の面々。伊藤久内は本郷春親を捕縛した後に本郷松千代丸に斬殺され、木村八郎九郎は其の松千代丸を捕縛した。寺井豊後は小川隼人成定に息子を斬殺されている。
  • 三池掃部 一揆方の将。西暦1,488年7月17日の高尾城落城後、脱出した山川高藤を捕縛し、祇陀寺(現在の石川県白山市吉野付近)に幽閉した。
  • 足利義尚 第9代室町幕府征夷大将軍。西暦1,487年9月28日、六角高頼征伐の為に着飾って坂本へ出陣し、富樫政親等を従えた。西暦1,488年7月5日には朝倉孝景等に富樫救援を命じたが、一揆方の国境封鎖により実現していない。政親の自害を聞いて激怒し、蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。
  • 蓮如 第8世本願寺宗主。西暦1,488年7月17日の富樫政親自害を受け、激怒した足利義尚から本願寺門徒等の破門を迫られた。
  • 朝倉孝景 越前国の大名。西暦1,488年2月25日に松坂信遠から援軍を要請され、7月5日には足利義尚から加賀国への援軍派遣を命じられて応じたが、一揆方が越前国との国境を封鎖した為、援軍は高尾城に届かなかった。
  • 畠山義統 能登国守護。西暦1,488年7月13日、富樫政親へ援軍を差し向けたが、河北郡黒津船地内(現在の石川県河北郡内灘町宮坂)で本願寺門徒に敗れた。
  • 六角高頼 近江国守護。西暦1,487年9月28日、足利義尚が征伐の為に坂本へ出陣した相手。10月10日には要衝の八幡山・金剛寺を室町幕府軍に陥落させられている。
  • 細川政元 室町幕府の重鎮。西暦1,487年9月28日の足利義尚の坂本出陣に合流し、10月10日には武田国信・富樫政親・京極高清等と共に八幡山・金剛寺を攻撃した。

本書が記録する出来事

  • 足利義尚の坂本出陣 西暦1,487年9月28日、本書が記録する九ヶ月余の起点。第9代室町幕府征夷大将軍足利義尚が、香の袷・白綾の腹巻・赤地金襴に桐唐草の模様の直垂・重藤弓・粟田口吉光の太刀を身に纏い、六角高頼征伐の為に坂本(現在の滋賀県大津市坂本・坂本本町・下阪本)へ出陣した。391騎・8,000名の軍勢に、加賀国守護富樫政親も加わっている。
  • 加賀粟津保への課役 西暦1,487年9月、坂本出陣に際し、加賀国守護代山川高藤が富樫政親の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課した。等持院は反発し、山川と繋がりの有る等持院の人間が減免を請うた結果、15貫200文を納めた他は免除された。
  • 八幡山・金剛寺の攻略 西暦1,487年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清・仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸等の率いる軍が、伊庭氏の拠点八幡山(現在の滋賀県近江八幡市南津田町)と九里氏の拠点金剛寺(現在の滋賀県近江八幡市)を攻撃した。伊庭氏・九里氏は逃亡し、室町幕府軍は観音寺城攻略を目指す。
  • 富樫政親の帰国と籠城 西暦1,488年1月頃、坂本出陣に際して兵粮米・軍費を加賀国の民衆に課した事で反富樫の機運が高まり、富樫政親は帰国して高尾城(現在の石川県金沢市高尾町)に入った。一揆方は山川高藤を介して和睦を伝えたが、富樫は受け入れず、高尾城を修築して戦いに備えた。
  • 槻津上野の戦い 西暦1,488年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した富樫政親の被官松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し、槻津上野で越前国の軍勢を待った。然し今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められ、松坂は討ち取られた。
  • 越中国援軍の迎撃失敗 西暦1,488年3月頃、山川高藤が越中国からの援軍を迎える為に1,500名を率いて高尾城を出陣したが、馬飼氏・浦上氏の夜襲を受けて高尾城へ戻った。
  • 高尾城の包囲開始 西暦1,488年6月頃、富樫政親に討たれた弟富樫幸千代の敵を打つ為に擁立された富樫泰高が、本願寺門徒を始めとする一揆方を率い、10,000名余で籠城する政親の高尾城の包囲を開始した。
  • 越前国境の封鎖 西暦1,488年7月5日、足利義尚が越前国の朝倉孝景等に富樫政親への援軍派遣を命じた。朝倉は応じて加賀国へ援軍を派遣したが、一揆方が越前国との国境を封鎖して入国を阻んだ。
  • 大乗寺への本陣設置 西暦1,488年7月9日、一揆方が大乗寺(現在の石川県金沢市長坂町)に本陣を構え、高尾城の包囲を本格化させた。富樫政親は高尾城から出て打って出たが、一揆方を破る事は出来なかった。
  • 倶利伽羅峠の敗北 西暦1,488年7月13日、富樫政親の救援に向かっていた遊佐氏・神保氏率いる2,000名の軍が、倶利伽羅峠(現在の石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市)で一揆方に敗れた。
  • 河北郡黒津船地内の敗北 西暦1,488年7月13日、畠山義統が富樫政親へ差し向けた援軍が、河北郡黒津船地内(現在の石川県河北郡内灘町宮坂)で本願寺門徒に敗れた。
  • 包囲解除交渉の失敗 西暦1,488年7月13日、富樫政親方の将本郷春親が本願寺門徒等の一揆方に高尾城の包囲を解く様促したが失敗し、其の後、富樫方と一揆方で小競り合いが発生した。
  • 高尾城の総攻撃 西暦1,488年7月15日6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃した。富樫政親率いる1,500名は大手門を松山左近、搦手の額谷口を森宗三郎が守将として固めたが、昼の休戦までに本郷春親・額景春・額親家を始めとする200名余の戦死者を出し、家臣57名や城兵達が脱出を始めた。
  • 正室巴の脱出工作 西暦1,488年7月15日、山川高藤が一揆方の光徳寺(現在の石川県金沢市玉川町)と申し合わせ、富樫政親の正室巴を高尾城から脱出させた。山川の妹おわんが安吉城(現在の石川県白山市安吉町)主大窪家長に嫁いでいた縁により実現している。山川自身も政親を裏切って脱出した。
  • 高尾城の落城と富樫政親父子の自害 西暦1,488年7月17日、富樫政親が嫡男富樫家延と共に自害し、高尾城が落城した。宮永八郎三郎・勝見与四郎・福光弥三郎・槻橋豊前守等も後を追って自害している。
  • 山川高藤の捕縛と脱出 西暦1,488年7月17日、山川高藤が一揆方の将三池掃部率いる軍に捕縛され、祇陀寺(現在の石川県白山市吉野付近)に幽閉された。其の後、夕闇に紛れて脱出し、越前国大野(現在の福井県)へ向かった。
  • 蓮如への破門要求と政親の埋葬 西暦1,488年7月17日、富樫政親の自害を聞いた足利義尚は激怒し、第8世本願寺宗主蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。政親の首級は富樫泰高によって灰の中から探し出され、大乗寺に葬られた。本書が記録する最後の出来事である。

坂本への出陣から、高尾城の落城へ──
富樫政親父子の自害に至る全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。