電子書籍「大内義興の傀儡である大聖院宗心の離間工作により引き裂かれた大友政親・大友義右父子の親子関係一元化」の表紙

大内義興の傀儡である
大聖院宗心の離間工作により
引き裂かれた
大友政親・大友義右父子の
親子関係一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,473年〜1,496年8月
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,026年1月3日

大友親繁の隠居・大聖院宗心の離間工作・義右の大内逐電・日田親胤の謀反・讒言による再対立・足利義澄義稙別支持・田原親宗府内侵攻・政親の臼杵出航と赤間関漂着・舟木地蔵院幽閉・義右の毒殺疑惑下での病死・政親の切腹と伴衆18名の自害・大友親治の第18代当主就任──
離間工作に引き裂かれた父子の23年を一本の時系列に貫く。

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本書について

西暦1473年、大友親繁が隠居し嫡男の大友政親に家督を譲って政親が第16代大友家当主に就任した日から、西暦1496年8月、大友親治が大友氏館にて市川親清・朽網繁貞等を鎮圧し第18代大友家当主に就任した日まで。本書は、応仁の乱の終盤から戦国時代の幕開けにかけて、九州の名門大友家を蝕んだ一人の僧の囁きと、其れに乗じた大内家の介入が、父政親と子義右という血を分けた父子をどれ程深く引き裂いていったかを、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。大聖院宗心という大友親綱の六男に過ぎない人物が、大内義興の傀儡として20年に亙って父子の間に楔を打ち込み続け、最終的に父子双方の死と大友本宗家の家督すら奪おうとして、大友親治の手で阻止されるまでの、一族崩壊の縮図を浮き彫りにします。

西暦1473年の大友親繁隠居と大友政親の第16代当主就任、足利義政からの偏諱、西暦1477年の豊後国・筑後国守護任命に始まり、大内家の干渉を嫌った政親が西暦1484年に大友義右へ家督を譲り義右が第17代当主に就任。然し西暦1485年、大友親綱の六男大聖院宗心が父子の離間を図って工作を始め、大内家の干渉も止まなかった事から父子は対立し、義右は叔父である大内政弘の下へ逐電します。政親の正室は大内教弘の娘でした。西暦1487年に父子は和解し義右が大友家に帰還しますが、西暦1489年、政親の異母弟日田親胤が肥後国にて謀反を起こし、政親が上洛中であった事から大友親治が鎮圧。間も無く大聖院宗心が義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言し、義右は激怒して再び政親と対立します。西暦1493年3月3日の足利義稙による畠山義豊征伐では政親が足利義澄を、義右が義稙を支持し、父子は中央政局でも別陣営に分かれました。

西暦1494年6月、政親派重臣の田原親宗が府内に侵攻し義右追放を狙うも撃破され、同年10月20日の足利義稙の放生津城挙兵には政親が呼応します。西暦1496年、大聖院宗心と市河親清・内宮内助・田北七郎兵衛・田原中務丞・小原新四郎の工作により父子の不和が再燃。同年3月に義右が軍船建造を進め、5月に発病。同年6月13日に政親が筑前国へ逐電し、6月23日に大内領侵攻の為立花山城を目指して豊後国臼杵から出航するも船は遭難して赤間関に流され、大内義興の家臣杉信濃守に捕えられて舟木地蔵院に幽閉されます。同年7月7日、義右が後継者の居ない儘病死し政親による毒殺の噂が流れると、大内義興は激怒して政親征伐の兵を差し向け、7月20日に政親は舟木地蔵院にて切腹に追い込まれ伴衆18名も後を追って自害しました。同年8月、大友親治率いる軍が大友氏館にて、大内義興が大聖院宗心を当主に擁立しようとする動きに加担した市川親清・朽網繁貞等を鎮圧、両軍合わせて約500名の戦死者を出して大聖院の家督継承を阻止し、第18代大友家当主に就任します。一人の僧の讒言と隣国大名の介入が、20年掛けて父子双方の命と一国の家督を呑み尽くした、戦国黎明期の九州を象徴する暗黒の親子劇の全容を一冊に束ねた書です。


主要登場人物

  • 大友政親 第16代大友家当主。1473年に父大友親繁の隠居を受けて家督を相続し足利義政から偏諱を賜った。1477年に豊後国・筑後国守護に任じられたが、大内家の干渉を嫌って1484年に嫡男義右へ家督を譲渡。1485年以降大聖院宗心の離間工作によって義右と対立・和解・再対立を繰り返し、1493年には足利義澄を支持。1496年6月13日に筑前国へ逐電、6月23日に臼杵から出航するも赤間関に漂着して舟木地蔵院に幽閉され、7月20日に同地で切腹に追い込まれた、本書の悲劇の父。
  • 大友義右 第17代大友家当主。1484年に父政親から家督を譲られて当主に就任。1485年に大聖院宗心の離間工作で政親と対立し叔父大内政弘の下へ逐電するも1487年に和解して帰還、1489年の日田親胤謀反を巡る大聖院の讒言で再対立。1493年には政親と対立して足利義稙を支持し、1494年6月には田原親宗の府内侵攻を撃破。1496年3月に軍船建造を進め5月に発病、7月7日に後継者の居ない儘病死、政親による毒殺の噂が流れた、本書の悲劇の子。
  • 大聖院宗心 大友親綱の六男。1485年に大友政親・大友義右父子の離間工作を始め、1489年の日田親胤謀反の際には義右の下にやって来て「謀反は政親の差し金」と讒言し再対立を引き起こした。1496年には市河親清等と再び工作を主導し、最終的に大内義興によって大友家当主に擁立される動きの中心となった、本書の親子関係を引き裂き続けた20年来の離間工作の首謀者。
  • 大内義興 大内政弘の嫡男。大聖院宗心を傀儡として大友家への影響力を行使し、1496年7月の大友義右の毒殺疑惑下での病死に激怒して大友政親征伐の兵を差し向け、家臣杉信濃守に政親を舟木地蔵院に幽閉させて切腹に追い込んだ。同年8月には大聖院宗心を大友家当主に擁立しようと動いたが大友親治に阻止された、本書の真の黒幕。
  • 大内政弘 大内家当主。大友義右の叔父にあたり(政弘の妹が政親の正室)、1485年に父政親と対立した義右の逐電先となった。大内家の大友家への干渉が、政親が義右に家督を譲る引き金にもなった、義右の母方の支柱。
  • 大内教弘 大内政弘の父。娘を大友政親の正室として嫁がせた、大友家と大内家の縁戚関係を築いた当主。此の縁戚関係こそが、後の大内家による大友家への干渉の名分となった。
  • 大友親繁 第15代大友家当主。1473年に隠居し嫡男政親に家督を譲った大友家の前当主。本書の親子関係崩壊の起点を成したが、1493年12月22日に死去し、其の後の父子の悲劇を見届ける事は無かった、政親と親治と日田親胤の父。
  • 大友親治 大友親繁の五男。政親の弟。1489年の日田親胤謀反を鎮圧して政親・義右を助けた。1496年8月、大友氏館にて大内義興が大聖院宗心を大友家当主に擁立しようとする動きに加担した市川親清・朽網繁貞等を鎮圧、両軍合わせて約500名の戦死者を出し大聖院の家督継承を阻止して第18代大友家当主に就任した、父子の悲劇の後の大友家を再建する勝者。
  • 日田親胤 大友政親の異母弟。1489年、政親の上洛中に肥後国にて謀反を起こすも、大友親治によって鎮圧された。其の謀反が大聖院宗心によって「政親の差し金」と讒言される材料となり、政親・義右父子の再対立を引き起こした、結果として親子離間に利用された人物。
  • 田原親宗 大友政親派の重臣で筑後国詰郡代。1494年6月、大友義右の追放を狙って府内に侵攻したが、義右に撃破され敗走した、政親派の武力行使の先鋒。
  • 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。1473年の大友政親の家督相続に際して偏諱を与え、1477年には政親の家督継承を正式に認めて豊後国・筑後国守護に任じた、政親の権威を支えた将軍。
  • 足利義稙 第10代室町幕府征夷大将軍。1493年3月3日に畠山義豊征伐の為出陣し、同年10月11日には越中国で細川政元軍を破り全国の諸将の支持を集めた。1494年10月20日に放生津城で挙兵した際には大友政親が呼応した、対立する父子のうち政親が支持する事で父子分裂を中央政局に持ち込んだ将軍。
  • 足利義澄 明応の政変で擁立された第11代室町幕府征夷大将軍。1493年の畠山義豊征伐における対立構図の中で大友政親が支持した、父政親が選んだ正統。父子はこの将軍選択においても分かれた。
  • 杉信濃守 大内義興の家臣。1496年6月23日、豊後国臼杵から出航して立花山城を目指すも遭難して赤間関に流れ着いた大友政親を捕え、舟木地蔵院に幽閉した、政親を死地へと追い込んだ実行者。
  • 市川親清 大友家重臣。1496年に大聖院宗心等と共に父子離間の工作を行ない、同年8月には大内義興が大聖院宗心を大友家当主に擁立しようとする動きに加担して大友親治に鎮圧された、宗心擁立派の中核。
  • 朽網繁貞 大友家重臣。1496年8月、大内義興が大聖院宗心を大友家当主に擁立しようとする動きに加担し、大友親治率いる軍に大友氏館にて鎮圧された、宗心擁立派のもう一人の中核。

大友親繁の隠居・大聖院宗心の離間工作・義右の大内逐電・日田親胤の謀反・讒言による再対立・足利義澄義稙別支持・田原親宗府内侵攻・政親の臼杵出航と赤間関漂着・舟木地蔵院幽閉・義右の毒殺疑惑下での病死・政親の切腹と伴衆18名の自害・大友親治の第18代当主就任──
離間工作に引き裂かれた父子の23年を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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