椿城の防衛に成功した大井信達、
今川氏親と武田信虎の和睦を
成立させた連歌師宗長一元化
西暦1,515年、椿城を囲んだ武田勢は深田に沈んだ──
甲斐国を巡る今川と武田の攻防と、宗長が結んだ和睦を一元化。
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本書について
西暦1,515年、椿城(現在の山梨県南アルプス市上野)主大井信達は、甲斐国へ勢力を拡大しようとしていた駿河国の大名今川氏親と通じた。同年11月22日、武田信虎率いる軍が、大井信達の居城である椿城へ攻め寄せる。然し武田勢は椿城の周辺の地形を把握しておらず、深田に馬を乗り入れて身動きが取れなくなった。其の所を、今川氏親からの援軍を含む大井勢に襲われ、小山田大和守・今井信房・於曽備州・板垣伯耆守・飯富道悦・飯富源四郎・甘利衆を含む大将格20騎が討ち取られ、将兵も100名以上が戦死する大敗を喫した——本書は、此の椿城の防衛戦を起点として、甲斐国を舞台に繰り広げられた今川と武田の攻防の全過程を、年月日単位で一元化した記録である。
椿城での勝利を受けて、今川氏親率いる軍は甲斐国へ進軍した。此れを受けて武田信虎は、恵林寺(現在の山梨県甲州市塩山小屋敷)へ逃亡する。今川は駿河国と甲斐国の国境を封鎖した上で、勝山城(現在の山梨県甲府市上曽根町)に布陣した。此の封鎖は、後に和睦が成るまで続き、甲斐国では物資が不足し、撰銭も行われ、相場が高値で推移して領民は困窮する事となる。城を守り抜いた一戦が、そのまま一国の兵糧攻めへと転じたのである。
西暦1,516年10月23日、今川氏親勢は甲斐国中に火を掛けた。円楽寺(現在の山梨県甲府市右左口町)・大蔵経寺(現在の山梨県笛吹市石和町松本)・普賢寺(現在の山梨県山梨市北の大井俣窪八幡神社)等が焼失している。そして今川勢は、万力(現在の山梨県山梨市)にて武田信虎率いる軍と交戦し、此れを破った。武田は再び恵林寺へ敗走し、同年11月に川田館(現在の山梨県甲府市川田町)へ帰還する。椿城に続く二度目の敗北であった。
西暦1,517年、戦線は都留郡へ移る。1月18日、今川氏親勢は、西海右近進・西海平八郎を含む三兄弟や、大石与五郎等を討ち取った。然し同月21日、武田信虎の家臣小林道光の息子小林昌喜が出陣し、吉田城(現在の山梨県富士吉田市上吉田東)の今川氏親勢と交戦すると、形勢は反転してゆく。今川勢は次第に孤立し、民衆は河口湖の鵜島(現在の山梨県南都留郡富士河口湖町大石)に逃れて越年した。22日には小林道光と小林昌喜が新倉(現在の山梨県富士吉田市)へ進軍し、23日、小林道光が吉田城を攻撃する。2月2日、吉田城の今川氏親勢は撤退を始めた。
そして西暦1,517年2月12日、今川氏親は連歌師宗長に、武田信虎との和睦の斡旋を依頼し、宗長を武田の下へ遣わせた。武人ではなく、連歌を業とする一人の文人が、両国の間に立つ事となったのである。同月17日、小林道光が吉田城を落城させ、今川氏親勢は退路を断たれた。18日、宗長は甲府の知人の屋敷に到着し、其の後武田信虎と交渉して和睦を成立させる。今川氏親勢は駿河国へ撤退した。大井信達は此の和睦を受けて武田信虎に降伏し、大井の方を武田の正室として差し出している。武田は川田館へ帰還し、今川氏親による駿河国と甲斐国の国境の封鎖も解かれた。
和睦の後、事態は速やかに収束してゆく。3月23日、勝山城に籠城していた今川氏親勢2,000名余が駿河国へ帰国した。同月30日、武田信虎は広厳院(現在の山梨県笛吹市一宮町金沢)と其の末寺に禁制を与える。4月には今川氏親自身も駿河国へ帰国し、23日、武田信虎は一蓮寺(現在の山梨県甲府市太田町)領を安堵した。椿城の深田に始まり、焼き討ちと吉田城の攻防を経て、宗長の斡旋による和睦と戦後処理に至る一連の経緯を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 大井信達 本書の中心人物。椿城(現在の山梨県南アルプス市上野)主。西暦1,515年、甲斐国へ勢力を拡大しようとしていた今川氏親と通じ、同年11月22日に攻め寄せた武田信虎の軍を椿城周辺の深田に嵌め、今川からの援軍と共に大将格20騎を討ち取って大敗させた。西暦1,517年2月18日の和睦成立を受けて武田信虎に降伏し、大井の方を武田の正室として差し出した。
- 今川氏親 駿河国の大名。西暦1,515年に大井信達と通じて甲斐国へ勢力を拡大しようとし、椿城へ援軍を送って武田信虎を破った。其の後甲斐国へ進軍して駿河国と甲斐国の国境を封鎖し、勝山城に布陣する。西暦1,516年には甲斐国中に火を掛け、万力で武田を破った。西暦1,517年2月12日、連歌師宗長に和睦の斡旋を依頼し、同年4月に駿河国へ帰国した。
- 武田信虎 甲斐国の大名。西暦1,515年11月22日、大井信達の居城である椿城を攻撃したが、周辺の地形を把握しておらず深田に馬を乗り入れ、身動きの取れなくなった所を襲われて大敗した。西暦1,516年には万力でも今川勢に敗れ、二度に亘って恵林寺へ逃れている。西暦1,517年2月18日、宗長との交渉を経て今川氏親との和睦を成立させ、川田館へ帰還した。
- 宗長 連歌師。西暦1,517年2月12日、今川氏親から武田信虎との和睦の斡旋を依頼され、武田の下へ遣わされた。同月18日に甲府の知人の屋敷へ到着し、其の後武田信虎と交渉して和睦を成立させた。此の和睦により今川氏親勢は駿河国へ撤退し、大井信達は武田に降伏し、駿河国と甲斐国の国境の封鎖も解かれた。
- 小林道光 武田信虎の家臣。西暦1,517年1月22日、息子の小林昌喜と共に新倉(現在の山梨県富士吉田市)へ進軍し、翌23日に吉田城を攻撃した。同年2月17日、吉田城を落城させ、今川氏親勢の退路を断った。
- 小林昌喜 小林道光の息子。西暦1,517年1月21日に出陣し、吉田城(現在の山梨県富士吉田市上吉田東)の今川氏親勢と交戦した。此れにより今川勢は次第に孤立し、民衆は河口湖の鵜島に逃れて越年した。翌22日には父と共に新倉へ進軍している。
- 大井の方 大井信達が武田信虎への降伏に際して差し出した女性。西暦1,517年2月18日、宗長の斡旋による和睦が成立すると、大井信達は武田信虎に降伏し、大井の方を武田の正室として差し出した。
- 小山田大和守・今井信房・於曽備州・板垣伯耆守・飯富道悦・飯富源四郎 西暦1,515年11月22日の椿城攻めで討ち取られた武田信虎方の面々。此の戦いでは、甘利衆を含む大将格20騎が討ち取られ、将兵も100名以上が戦死した。
- 西海右近進・西海平八郎 都留郡の三兄弟に含まれる人物。西暦1,517年1月18日、今川氏親勢によって、大石与五郎等と共に討ち取られた。
本書が記録する出来事
- 椿城の戦い 西暦1,515年11月22日、本書が記録する攻防の起点。武田信虎率いる軍が大井信達の居城である椿城を攻撃したが、周辺の地形を把握しておらず深田に馬を乗り入れ、身動きが取れなくなった所を今川氏親からの援軍を含む大井勢に襲われた。大将格20騎が討ち取られ、将兵も100名以上が戦死する大敗となった。
- 駿河国と甲斐国の国境封鎖 椿城の戦いの後、甲斐国へ進軍した今川氏親が敷いた封鎖。此れにより甲斐国では物資が不足し、撰銭も行われ、相場が高値で推移して領民は困窮した。封鎖は西暦1,517年2月18日の和睦成立まで続いた。
- 勝山城への布陣 西暦1,515年、国境を封鎖した今川氏親が勝山城(現在の山梨県甲府市上曽根町)に布陣した。西暦1,517年3月23日、此処に籠城していた今川氏親勢2,000名余が駿河国へ帰国している。
- 甲斐国の焼き討ち 西暦1,516年10月23日、今川氏親勢が甲斐国中に火を掛け、円楽寺(現在の山梨県甲府市右左口町)・大蔵経寺(現在の山梨県笛吹市石和町松本)・普賢寺(現在の山梨県山梨市北の大井俣窪八幡神社)等が焼失した。
- 万力の戦い 西暦1,516年10月23日、焼き討ちに続いて今川勢が万力(現在の山梨県山梨市)で武田信虎率いる軍と交戦し、此れを破った。武田は恵林寺へ敗走し、同年11月に川田館(現在の山梨県甲府市川田町)へ帰還した。
- 吉田城の攻防 西暦1,517年1月21日の小林昌喜の出陣に始まり、23日の小林道光による攻撃、2月2日の今川氏親勢の撤退開始を経て、同月17日に落城した。此れにより今川氏親勢は退路を断たれた。
- 河口湖の鵜島への避難 西暦1,517年1月、吉田城の戦いで今川氏親勢が次第に孤立してゆく中、民衆は河口湖の鵜島(現在の山梨県南都留郡富士河口湖町大石)へ逃れ、其処で越年した。
- 宗長による和睦の斡旋 西暦1,517年2月12日、今川氏親が連歌師宗長に武田信虎との和睦の斡旋を依頼し、宗長を武田の下へ遣わせた。同月18日、甲府の知人の屋敷に到着した宗長は武田信虎と交渉し、和睦を成立させた。今川氏親勢は駿河国へ撤退し、大井信達は武田信虎に降伏、国境の封鎖も解かれた。
- 広厳院への禁制と一蓮寺領の安堵 和睦後の甲斐国で武田信虎が行った措置。西暦1,517年3月30日に広厳院(現在の山梨県笛吹市一宮町金沢)と其の末寺へ禁制を与え、同年4月23日には一蓮寺(現在の山梨県甲府市太田町)領を安堵した。本書が記録する最後の出来事である。
椿城の深田から、宗長が結んだ和睦へ──
大井信達の防衛戦と甲斐国を巡る攻防の全過程を一元化。
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