電子書籍「上杉定正一元化」の表紙

上杉定正
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,443年〜1,494年11月2日
最新更新日
西暦2,026年6月13日

西暦1,486年、定正は家宰を斬った──
応仁の乱から長享の乱を生きた扇谷上杉家当主・上杉定正の生涯を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,443年、扇谷上杉家当主上杉持朝の参男として、後に関東を揺るがす一人の武将が生を享けた。上杉定正、其の人である。室町幕府の関東統治を支えた両上杉家──山内・扇谷の二家のうち、扇谷上杉家に連なる定正は、家督相続の埒外にある三男の身でありながら、やがて家の命運を一身に背負う立場へと押し上げられてゆく。本書は、其の波瀾に満ちた生涯を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,467年、京で勃発した御霊合戦は、十一年に及ぶ応仁の乱の口火となった。畠山義就が畠山政長を上御霊神社に攻め、政長が拝殿に火を放って細川勝元の屋敷へ退いた此の戦で、定正は奮戦した神保長誠の武勇を激賞している。そして西暦1,473年、第10代扇谷上杉家当主上杉政真が五十子で戦死すると、子の無かった政真の跡を継ぐ者として、太田道灌ら重臣の評議により定正が選ばれた。此処に定正は、第11代扇谷上杉家当主の座に就く。

家を関東屈指の勢力へと押し上げたのは、家宰太田道灌の働きであった。江戸城を築き、数々の戦功を重ねた道灌の存在感は、軈て主君定正をも凌がんとする。自身の功を誇り、定正の意見を軽んじる道灌に対し、山内上杉家の上杉顕定は「太田はお前の首を狙っている」と讒言した。西暦1,486年8月25日、定正は道灌を糟屋館に招き、入浴後の無防備な所を曽我兵庫に襲わせる。「当方滅亡」──道灌が遺した此の一言は、扇谷上杉家の前途を暗示するものであった。翌年、定正は道灌の嫡男太田資康をも江戸城から追放した。

道灌謀殺は、両上杉家の全面抗争「長享の乱」を招いた。西暦1,488年、上杉顕定が攻勢を強める中、定正は実蒔原で地の利を活かし、寡兵ながら顕定軍を破る。続く須賀谷原では、長尾景春の横槍と高台からの采配で戦死者700名余の激戦を制し、同年末の高見原でも夜襲によって三たび勝利を収めた。だが連戦連勝は定正を驕らせ、道灌を謀殺した事への疑念も相俟って、麾下からは離反する者が現れ始める。家臣が言動を慎むよう諌める書簡を送るほど、其の専横は際立っていた。

西暦1,493年、定正は今川氏親・葛山氏と共に、伊豆へ討ち入らんとする北条早雲を援けた。新興の早雲との此の結び付きは、やがて関東の地図を塗り替える布石となる。西暦1,494年、定正は山内上杉家の上杉顕実が守る関戸城を陥れる一方、相模・武蔵へ北条早雲の軍を招き入れていた。同年10月、早雲と共に荒川を挟んで顕定と対陣した定正は、しかし11月2日、荒川を渡ろうとした際に落馬し、其の生涯を呆気なく閉じた。嫡子の無かった定正の後は、弟朝昌の子で養子の上杉朝良が継いだ。一代の梟雄が遺した波紋を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 上杉定正 本書の中心人物。扇谷上杉家当主上杉持朝の参男。第10代当主上杉政真の死を受けて第11代扇谷上杉家当主となった。家宰太田道灌を謀殺し、実蒔原・須賀谷原・高見原で山内上杉軍を三度破る。北条早雲を関東へ招いた末、西暦1,494年に荒川で落馬して死去した。
  • 上杉持朝 上杉定正の父。扇谷上杉家の当主を務め、関東における同家の地歩を築いた。
  • 上杉政真 第10代扇谷上杉家当主。定正の甥にあたる。西暦1,473年、五十子で戦死した。子が無かった為、叔父の定正が家督を継いだ。
  • 太田道灌 扇谷上杉家の家宰。江戸城を築き、主家を関東屈指の勢力へと押し上げた名将。西暦1,486年、定正に糟屋館へ招かれ、曽我兵庫の手で謀殺された。「当方滅亡」の一言を遺したと伝わる。
  • 太田資康 太田道灌の嫡男。父の死後、定正に江戸城を追われ、山内上杉家を頼って甲斐国へ逃れた。
  • 上杉顕定 第11代山内上杉家当主。太田道灌を定正に讒言した、定正の生涯にわたる宿敵。長享の乱で扇谷上杉家と抗争を繰り広げた。
  • 上杉朝昌 上杉定正の弟。七沢城を守るも上杉顕定の攻撃で落城し、大庭城へ敗走した。其の子朝良が定正の後を継いだ。
  • 上杉朝良 上杉朝昌の子で、嫡子の無かった定正の養子。須賀谷原の戦いで先陣を切り、定正の死後に扇谷上杉家の家督を継承した。
  • 長尾景春 定正に従った武将。須賀谷原では横槍を入れ、高見原では夜襲を進言するなど、定正の連勝を支えた。
  • 足利政氏 第2代古河公方。定正の求めに応じて援軍となり、須賀谷原・高見原の戦いに参陣した。
  • 上杉房定 第9代室町幕府越後国守護。山内上杉家の上杉顕定を支援し、高見原の戦いでは顕定に援軍を送った。
  • 北条早雲 伊豆・相模に台頭した新興勢力。西暦1,493年には定正の支援を受けて伊豆へ討ち入り、後に定正に招かれて関東へ進出した。
  • 今川氏親 駿河の戦国大名。北条早雲の伊豆討ち入りに際し、定正・葛山氏と共に早雲を支援した。

略年表

  • 西暦1,443年 扇谷上杉家当主上杉持朝の参男として生誕する。
  • 西暦1,467年 御霊合戦で奮戦した神保長誠の武勇を激賞する。此の合戦が応仁の乱の発端となった。
  • 西暦1,473年 五十子で戦死した甥の上杉政真に子が無く、太田道灌ら重臣の評議を経て第11代扇谷上杉家当主に就任する。
  • 西暦1,486年 功を誇る家宰太田道灌を糟屋館に招き、曽我兵庫の手で謀殺させる。
  • 西暦1,487年 太田道灌の嫡男太田資康を江戸城から追放し、城を占拠する。
  • 西暦1,488年 実蒔原・須賀谷原・高見原で、上杉顕定率いる山内上杉軍を三度にわたり撃破する。
  • 西暦1,493年 今川氏親・葛山氏と共に、北条早雲の足利茶々丸征伐(伊豆討ち入り)を支援する。
  • 西暦1,494年 上杉顕実の関戸城を攻略するも、北条早雲と共に顕定と対陣中、荒川を渡ろうとして落馬し死去する。

生誕から落馬死まで──
太田道灌を謀殺し北条早雲を招いた一代の梟雄・上杉定正の全生涯を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。