応仁の乱一元化
本書について
西暦1467年1月30日、畠山義就が山名宗全の支援の下5,000名を率いて上洛し、相国寺に布陣して足利義政に圧力を掛けた日から、西暦1478年1月26日、大内政弘が11年の在京を終えて周防国へ帰国し、柳井津で陶弘護に出迎えられ義兄弟の契りを交わした日まで。本書は、畠山政長と畠山義就による畠山家家督争いに端を発し、細川勝元と山名宗全、斯波義敏と斯波義廉、武田信賢と一色義直といった諸大名の対立が京都を舞台に束ねられ、瞬く間に全国規模の戦乱へと拡大していった応仁の乱の全過程を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。
西暦1467年2月21日深夜、畠山政長が春日万里小路の自邸を焼き払い、神保長誠の助言に従って2,000名の兵と共に上御霊神社に布陣。翌22日、畠山義就が3,000名余と山名宗全・朝倉孝景を率いて襲撃し、一日の合戦の末に政長が拝殿に放火して退却した上御霊神社の戦いから、同年6月、細川勝元の東軍と山名宗全の西軍が京都市中に布陣して構図が確立、同年6月27日の武田信賢・成身院光宣による一色義直邸の襲撃と細川の花の御所占拠、同年9月の大内政弘30,000名による上洛と東寺布陣、同年9月21日の足利義視による伊勢国への逃亡と北畠教具による保護、同年10月30日の相国寺を30,000名の西軍が包囲・炎上させた大規模市街戦、同年10月31日の畠山政長による4,000名の逆襲と西軍6,000名の死者、西暦1468年4月13日の骨皮道賢による下京焼き討ちと稲荷山での女装敗走・斬首、西暦1469年1月7日の足利義視の西軍寝返りと「西幕府」成立、西暦1471年9月10日の西陣南帝の北野天満宮松梅院入りと天皇擁立、同年朝倉孝景の東軍帰属と越前国守護職補任による斯波義廉陣営の瓦解、西暦1473年の山名宗全・細川勝元の相次ぐ病死、西暦1477年10月29日の畠山義就による河内国下向と若江城・八尾城・誉田城攻略、同年12月16日の大内政弘による陣所撤収と伊予国への河野通春帰国、足利義視の足利義稙を伴う美濃国亡命、同年12月25日の室町幕府による天下静謐の祝宴に至る迄を収録しています。
大内政弘率いる周防国・長門国・河野水軍・村上水軍の大物浦の戦いと尼崎焼き討ち、陶弘房の京都陣没と陶弘護の大内家第8代当主就任、大内教幸の長門国赤間関での挙兵と鞍掛山の戦いにおける陶弘護による撃破、少弐教頼の筑前国侵攻、六角高頼と京極持清・六角政堯の観音寺城・押立城・梁瀬城・金剛寺城・守山城を巡る近江国の攻防、山名是豊と垣屋宗忠の九日城・富辺羅山・普甲寺の戦い、一色義直の丹後国守護職罷免と武田信賢・細川政国による丹後国侵攻、武田元綱の大内政弘への与同、富樫政親と富樫幸千代の加賀国蓮台寺城攻防と本願寺蓮如の介入、三河国守護代東条国氏の自害と東条修理亮の大和国逃亡、畠山義就方の越智氏・古市氏・吐田氏による嶽山城・往生院城陥落と筒井順尊・箸尾為国の福住没落、伊勢貞親による朝倉孝景東軍勧誘工作、日野富子による畠山義就への1,000貫文貸付と大内政弘赦免仲介といった、京都周辺のみならず西国・近江国・畿内・九州に亙る全戦線を同一の時間軸で追跡しています。畠山義就による河内国・大和国の略掌握が残した火種、足利義視・足利義稙の美濃国下向、大内政弘の四ヶ国守護職承認という戦後処理までを一貫して辿る、応仁の乱の完全な一元化資料です。
主要登場人物
- 細川勝元 東軍総大将。管領。畠山政長を支援し、1467年6月末に花の御所を占拠して足利義政を保護、征伐の大義名分を得た。1473年6月6日に死去。
- 山名宗全 西軍総大将。畠山義就・斯波義廉を支援。本陣を五辻通大宮東に置き、西陣南帝擁立を画策。1472年6月に切腹未遂、1473年4月15日に病死。
- 畠山政長 東軍。前管領。上御霊神社の戦いで畠山義就と戦い敗走、細川邸に退却。1467年10月31日の相国寺逆襲で西軍6,000名を討ち取る。
- 畠山義就 西軍の主力。山名宗全の支援で上洛し、畠山家家督を実質的に奪取。1477年10月29日に河内国へ下向し、若江城・嶽山城・誉田城を次々と攻略。
- 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。両軍に停戦を命じるも実効なく、1474年1月7日に征夷大将軍職を足利義尚に譲位、小川殿に隠居。
- 足利義視 足利義政の弟。東軍の主将として牙旗を下されるも、伊勢貞親の復帰に失望し1467年9月8日に出奔、伊勢国へ逃亡。1469年1月7日に西軍に寝返り「西幕府」を形成。
- 足利義尚 足利義政と日野富子の子。1474年1月7日に第9代室町幕府征夷大将軍に補任。花の御所を継承。
- 日野富子 足利義政の正室。1477年の和睦仲介で畠山義就に1,000貫文を貸し付け撤退を促し、大内政弘赦免交渉も主導。
- 斯波義廉 第20代室町幕府管領。西軍。足利義政による御判御教書発給を難渋させ、朝倉孝景・甲斐敏光を引き連れて細川邸を攻撃。
- 斯波義敏 東軍。細川勝元の派遣により越前国で斯波義廉方を圧迫、朝倉孝景勢を一度越前国から追い出した。
- 朝倉孝景 西軍の猛将。南禅寺山・相国寺・稲荷山等で奮戦。後に伊勢貞親の工作で東軍に寝返り、1471年6月9日に第18代室町幕府越前国守護に補任。
- 大内政弘 西軍の主力。1467年6月11日に周防国等8ヶ国の数万の兵と共に山口を出発、瀬戸内水軍を率いて上洛。相国寺の戦い・尼崎焼き討ちで活躍。1477年に室町幕府から四ヶ国守護職を承認され、1478年1月26日に帰国。
- 陶弘房 大内家家臣。家督を陶弘護に任せて大内政弘に従軍。1469年1月6日に京都の陣営にて死去。
- 陶弘護 陶家第8代当主。大内教幸の反乱を鞍掛山の戦い(1471年1月13日)・長門国阿武郡(1472年2月5日)で撃破。益田貞兼との同盟を通じて大内家領国を守護し、大内政弘帰国時に柳井津で義兄弟の契りを交わす。
- 一色義直 西軍。丹後国・伊勢国守護職罷免。1467年6月27日に武田信賢・成身院光宣の襲撃で屋敷を焼かれ、東軍の大義名分を与えた。
- 武田信賢 東軍。若狭武田氏当主。武田信繁の弐男。丹後国・勧修寺・如意ヶ嶽城等を転戦。1471年6月20日に病死。
- 赤松政則 東軍。赤松家旧領の播磨国・備前国・美作国を数日で奪回。相国寺の戦いで武田国信と共に西軍の花の御所侵入を阻止。
- 京極持清 東軍。第20代室町幕府近江国守護。六角高頼方の高野瀬城・押立城・梁瀬城・守山城を次々と落城させる。
- 六角高頼 西軍。観音寺城主。1468年4月に京極勝秀により観音寺城を開城されるも、1469年6月に奪還。山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を配置し籠城した。
- 骨皮道賢 侍所所司代多賀高忠配下の目付。細川勝元に金品で勧誘され、300名余の足軽で下京焼き討ち。1468年4月13日に稲荷山で山名宗全率いる30,000名に包囲され、女装して脱出を図るも朝倉孝景に斬首された。
- 伊勢貞親 政所執事。1467年7月に足利義政に呼び戻されて上洛、足利義視孤立の契機となる。朝倉孝景の東軍寝返り工作を担当。
- 神保長誠 畠山政長家臣。上御霊神社布陣を政長に進言。神保家越中国家老の鞍川氏反乱鎮定後、射水郡・婦負郡の守護代に就任。
- 成身院光宣 東軍。畠山政長方で上御霊神社に布陣。1467年6月27日に武田信賢と共に一色義直の屋敷を襲撃し占拠。
- 浦上則宗 赤松政則家臣。秋庭元明と共に南禅寺山で孤立しながら大内政弘・山名宗全・甲斐氏・朝倉孝景の四度の攻撃を撃退した奮戦で知られる。
- 河野通春 西軍。大内政弘に同行し瀬戸内水軍2,000〜3,000名を率いて上洛。大物浦の戦いで戦功。1477年に東軍に下り、伊予国へ帰国。
- 河野教通 東軍。1473年12月11日に東幕府から伊予国守護職の補任状を受け取り、第17代室町幕府伊予国守護に就任。
- 後花園上皇 1467年10月18日に花の御所にて出家。西軍征伐の綸旨発給を拒否する一方、両軍に勅使を派遣し和平を命じた。
- 後土御門天皇 第103代天皇。1467年2月19日の御所巻で花の御所に避難。
- 西陣南帝 小倉宮の血を引く南朝皇胤。1470年4月に紀伊国有田郡で挙兵、1471年9月10日に山名宗全の安山院を行在所として天皇擁立されるも、山名死後の1473年に西軍諸将によって追放された、本書の終盤を飾る異色の存在。