家督を譲らず駿府今川館に居座り続けた小鹿範満、円満院・足利潤童子の敵討ちとして足利茶々丸を切腹に追い込んだ北条早雲一元化
今川義忠の塩買坂戦死・小鹿範満の駿府今川館居座り・浅間神社和睦・足利義政名義御教書の発出・足利茶々丸廃嫡と潤童子後嗣指定・上杉政憲自害・太田道灌暗殺・駿府今川館急襲と範満自害・足利政知病死と茶々丸の土牢脱出・円満院と潤童子殺害・堀越御所夜襲・深根城における茶々丸切腹──
北条早雲興起の22年を一本の時系列に貫く。
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本書について
西暦1,476年4月29日、今川義忠が塩買坂(現在の静岡県菊川市高橋)にて横地氏・勝間田氏の残党に討たれて戦死した日から、西暦1,498年9月、北条早雲が下田を攻撃し、足利茶々丸が深根城(現在の静岡県下田市堀之内)にて切腹した日まで。本書は、北条早雲の興起——今川義忠戦死を発端とする今川家家督相続争い、小鹿範頼の嫡男小鹿範満による家督代行と駿府今川館居座り、太田道灌・上杉政憲の駿河国出兵と浅間神社(現在の静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町)での和睦、北条早雲の工作による足利義政名義の今川氏親の家督継承を約束する御教書の発出、足利政知による足利茶々丸の廃嫡と参男足利潤童子の後嗣指定、上杉政憲の自害、足利義澄の天龍寺香厳院(現在の京都府京都市右京区嵯峨天龍寺佄ノ馬場町付近)跡取り決定、上杉定正による糟屋館(現在の神奈川県伊勢原市上粕屋)での太田道灌暗殺、北川殿の助力要請と足利義尚の承認を受けた北条早雲による駿府今川館急襲と範満自害、今川氏親の家督相続、足利政知病死と茶々丸の土牢脱出、円満院・足利潤童子殺害と第2代堀越公方僭称、足利義澄からの茶々丸征伐命令、興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)での作戦会議、堀越御所(現在の静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内)夜襲と茶々丸の守山(現在の静岡県伊豆の国市中條付近)逃亡、韮山城(現在の静岡県伊豆の国市韮山)居城化、深根城における茶々丸切腹迄の約22年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,476年4月29日、今川義忠が、横地城(現在の静岡県菊川市東横地)と勝間田城(現在の静岡県牧之原市勝田)を落として凱旋している最中に、塩買坂にて、横地氏・勝間田氏の残党に討たれて戦死した。其の後、家督相続を巡り、小鹿範頼の嫡男小鹿範満と今川氏親の2名が対立し、小鹿は太田道灌と扇谷上杉家の支援を受けて家督を代行した。氏親は北川殿と共に、小川城(現在の静岡県焼津市西小川)主長谷川正宣の下に身を寄せた。同年5月、太田道灌が上杉定正の命により300名の兵を率いて駿河国へ出陣し、上杉政憲も足利政知の命により300名の兵を率いて駿河国に入った。太田は八幡山城(現在の静岡県静岡市駿河区八幡山)、上杉は狐ヶ崎(現在の静岡県静岡市葵区川合付近)に布陣した。其の後、北条早雲が室町幕府の意向を受けて駿河国へ下向し、今川氏親が成人する迄小鹿範満が家督を代行するという案で、浅間神社にて和睦した。
西暦1,480年2月1日、北条早雲の工作により、足利義政名義の、今川氏親の家督継承を約束する御教書が発せられた。しかし、小鹿範満は家督を譲らず、駿府今川館に居座り続けた。同年7月、足利政知が、足利義澄を上洛させ、足利義政と対面させた。又政知は、自身の嫡男である足利茶々丸を廃嫡し、自身の参男で義澄の同母弟の足利潤童子を後継者に定めた。上杉政憲は、茶々丸の廃嫡を諫めたが聞き入れられず、上杉は自害した。1,485年の時点で、足利義澄は、足利政知の家督継承者が足利茶々丸の儘であった為、天龍寺香厳院の跡取りとなる事が決まっていた。1,486年8月25日、上杉定正が太田道灌を扇谷上杉家の本拠である糟屋館に招き、太田の功績を妬んで謀反の疑いを掛けた上で、配下曽我兵庫が太田の入浴後の無防備な所を襲い、太田は「当方滅亡」と言って絶命した。又、第11代山内上杉家当主上杉顕定は、定正に「太田はお前の首を狙っているぞ」と讒言していた。
西暦1,487年、足利政知が足利茶々丸を素行不良を理由に廃嫡し、土牢に幽閉し、代わりに自身の参男足利潤童子を後嗣とした。同年11月24日、北川殿からの助力の要請を受け、足利義尚からの承認を得た北条早雲が、同志と共に、駿府今川館に居た小鹿範満を急襲した。追い詰められた範満は、小鹿範頼の弐男小鹿範慶と共に自害し、小鹿今川家は断絶、今川氏親が家督を相続する事となった。今川は其の後元服し、自身の叔父である北条を後見役として領国経営を進めた。1,491年5月11日、足利政知が病死し、足利茶々丸は其のどさくさに紛れ土牢から脱出した。同年8月6日、足利茶々丸が足利政知の側室円満院と足利潤童子の2名を殺害した。茶々丸は正室の子であったが、政知の弐男足利義澄と潤童子は円満院の子であった。茶々丸は武力で家督を奪い、第2代堀越公方を宣言した。
西暦1,493年7月、足利義澄が、円満院と足利潤童子の2名の敵討ちとして、足利茶々丸の近くに城を持つ北条早雲に対し、茶々丸征伐を命じた。北条は下調べを行い、茶々丸が横暴を振るい、足利政知の時からの堀越公方の重臣達と上手くいっておらず、領民が疲弊している事や、堀越御所の内情を掴み、内部工作を行なった。同年10月、北条は自身の居城である興国寺城にて足利茶々丸征伐の作戦を練り、今川氏親・葛山氏・上杉定正からの援軍を得て、足利潤童子を支持していた伊豆国人を味方に付け、500名の軍勢で出陣した。同年11月19日、北条早雲率いる軍が、伊豆国の兵が手薄になるタイミングを計って堀越御所を夜襲した。足利茶々丸は、上杉顕定や上杉を支持する伊豆国人等と共に応戦したが、北条は戦いを優位に進め、足利は堀越御所を捨て守山方面に逃亡した。北条は、韮山城を居城に定めた。1,498年9月、北条早雲が下田を攻撃し、足利茶々丸は身柄を武田方から北条方に引き渡された上で、深根城にて切腹、本書の終結点。
登場人物
- 北条早雲 西暦1,476年5月、室町幕府の意向を受けて駿河国へ下向し、今川氏親が成人する迄小鹿範満が家督を代行するという案で浅間神社にて和睦を成立させた人物。1,480年2月1日には工作により足利義政名義の今川氏親家督継承を約束する御教書を発せさせ、1,487年11月24日には北川殿からの助力要請と足利義尚の承認を受けて駿府今川館の小鹿範満を急襲し自害に追い込んだ。1,493年7月には足利義澄から茶々丸征伐を命じられ、興国寺城で作戦を練り、同年11月19日に堀越御所を夜襲して茶々丸を守山方面に逃亡させ韮山城を居城に定めた。1,498年9月には下田を攻撃し茶々丸を深根城にて切腹に追い込んだ、本書の主人公。
- 今川義忠 西暦1,476年4月29日、横地城と勝間田城を落として凱旋している最中に、塩買坂にて横地氏・勝間田氏の残党に討たれて戦死した今川家当主、本書の発端の人物。
- 小鹿範満 小鹿範頼の嫡男。西暦1,476年4月29日の今川義忠戦死後、今川氏親と対立し、太田道灌と扇谷上杉家の支援を受けて家督を代行した。1,476年5月の浅間神社和睦により今川氏親が成人する迄家督を代行する事となったが、1,480年2月1日に足利義政名義の御教書が発せられた後も家督を譲らず、駿府今川館に居座り続けた。1,487年11月24日、北条早雲の急襲を受け、小鹿範頼の弐男小鹿範慶と共に自害し、小鹿今川家は断絶した、本書の家督争いの中心人物。
- 小鹿範頼 小鹿範満と小鹿範慶の父、本書の小鹿今川家の家長。
- 小鹿範慶 小鹿範頼の弐男。西暦1,487年11月24日、北条早雲の駿府今川館急襲を受け、兄範満と共に自害した、本書の小鹿今川家断絶の犠牲者。
- 今川氏親 今川義忠の嫡男。西暦1,476年4月29日の父義忠戦死後、北川殿と共に小川城主長谷川正宣の下に身を寄せた。1,487年11月24日、北条早雲の駿府今川館急襲による小鹿範満自害を受けて家督を相続し、其の後元服し、叔父北条早雲を後見役として領国経営を進めた。1,493年10月には北条の足利茶々丸征伐に援軍を送った、本書の今川家の家督継承者。
- 北川殿 今川氏親の母で北条早雲の姉。西暦1,476年4月29日の今川義忠戦死後、氏親と共に小川城主長谷川正宣の下に身を寄せた。1,487年、北条早雲に駿府今川館の小鹿範満討伐の助力を要請した、本書の北条早雲駿府介入の依頼者。
- 長谷川正宣 小川城主。西暦1,476年4月29日の今川義忠戦死後、今川氏親と北川殿を匿った人物、本書の今川氏親一族の庇護者。
- 太田道灌 西暦1,476年5月、上杉定正の命により小鹿範満の支援の為300名の兵を率いて駿河国へ出陣し、八幡山城に布陣した人物。1,486年8月25日、扇谷上杉家本拠の糟屋館に招かれた際、定正の配下曽我兵庫が太田の入浴後の無防備な所を襲い、「当方滅亡」と言って絶命した。又、自身の働きが正当に評価されていないと溢し、扇谷上杉家が躍進したのは私のお蔭だとして憚らず、定正の意見を軽んじる始末であった、本書の小鹿範満の最大の支援者。
- 上杉定正 扇谷上杉家当主。西暦1,476年5月、太田道灌に小鹿範満支援の為駿河国出陣を命じた人物。1,486年8月25日、太田の功績を妬み謀反の疑いを掛けて糟屋館に招き、配下曽我兵庫に太田を襲わせ絶命させた。1,493年10月には北条早雲の足利茶々丸征伐に援軍を送った、本書の太田道灌暗殺の主犯。
- 曽我兵庫 上杉定正の配下。西暦1,486年8月25日、糟屋館にて太田道灌が入浴後に風呂場の小口から出た無防備な所を襲い絶命させた人物、本書の太田道灌暗殺の実行犯。
- 上杉顕定 第11代山内上杉家当主。上杉定正に「太田はお前の首を狙っているぞ」と讒言し、太田道灌暗殺を後押しした人物。西暦1,493年11月19日の堀越御所夜襲時には足利茶々丸方として、上杉を支持する伊豆国人等と共に応戦した、本書の太田道灌讒言者にして堀越御所夜襲応戦者。
- 上杉政憲 西暦1,476年5月、足利政知の命により300名の兵を率いて駿河国に入り、狐ヶ崎に布陣した人物。1,480年7月、足利政知による足利茶々丸の廃嫡を諫めたが聞き入れられず自害した、本書の茶々丸廃嫡を諫めた殉死者。
- 足利政知 初代堀越公方。西暦1,476年5月、上杉政憲に300名の兵を率いた駿河国入りを命じた人物。1,480年7月、足利義澄を上洛させて足利義政と対面させ、自身の嫡男足利茶々丸を廃嫡し参男足利潤童子を後継者に定めた。1,487年には茶々丸を素行不良を理由に廃嫡し土牢に幽閉、参男潤童子を後嗣とした。1,491年5月11日に病死、本書の堀越公方家家督混乱の発端の人物。
- 足利茶々丸 足利政知の嫡男で正室の子。西暦1,480年7月に政知により廃嫡され、1,487年には素行不良を理由に再び廃嫡され土牢に幽閉された。1,491年5月11日の政知病死のどさくさに紛れて土牢から脱出し、同年8月6日に円満院と足利潤童子を殺害して武力で家督を奪い、第2代堀越公方を宣言した。1,493年11月19日、北条早雲率いる軍の堀越御所夜襲を受け、守山方面に逃亡。1,498年9月、深根城にて切腹した、本書の堀越公方僭称者にして主人公の最大の敵。
- 足利潤童子 足利政知の参男で円満院の子、足利義澄の同母弟。西暦1,480年7月、足利茶々丸の廃嫡に伴い政知の後継者に定められ、1,487年にも茶々丸の再廃嫡に伴い後嗣とされた。1,491年8月6日、土牢から脱出した茶々丸により殺害された、本書の茶々丸の敵討ちの対象。
- 円満院 足利政知の側室で足利義澄・足利潤童子の母。西暦1,491年8月6日、土牢から脱出した足利茶々丸により足利潤童子と共に殺害された、本書の茶々丸の敵討ちの対象。
- 足利義澄 足利政知の弐男で円満院の子、足利潤童子の同母兄。西暦1,480年7月、足利政知により上洛させられて足利義政と対面した。1,485年時点で、足利政知の家督継承者が茶々丸の儘であった為、天龍寺香厳院の跡取りとなる事が決まっていた。1,493年7月、円満院と足利潤童子の敵討ちとして、足利茶々丸の近くに城を持つ北条早雲に対し茶々丸征伐を命じた、本書の茶々丸征伐の命令者。
- 足利義政 室町幕府第8代将軍。西暦1,480年2月1日、北条早雲の工作により其の名義で今川氏親の家督継承を約束する御教書が発せられた。1,480年7月には足利政知と足利義澄を対面させた、本書の御教書を発した将軍。
- 足利義尚 室町幕府第9代将軍。西暦1,487年11月24日、北川殿からの助力要請を受けた北条早雲の駿府今川館急襲を承認した人物、本書の北条早雲駿府介入の承認者。
- 葛山氏 西暦1,493年10月、北条早雲の足利茶々丸征伐に対し援軍を送った勢力、本書の茶々丸征伐の援軍提供者。
主要な地名・拠点
- 駿河国 現在の静岡県中部。今川家の本拠地で、西暦1,476年5月、太田道灌と上杉政憲が出陣・入国した国、本書の今川家家督争いの主戦場。
- 駿府今川館 今川家の居館。西暦1,480年2月1日の御教書発出後も小鹿範満が居座り続け、1,487年11月24日に北条早雲の急襲を受けて範満・範慶兄弟が自害した、本書の家督代行と急襲の舞台。
- 塩買坂 現在の静岡県菊川市高橋。西暦1,476年4月29日、今川義忠が横地氏・勝間田氏の残党に討たれて戦死した地、本書の発端の地。
- 横地城 現在の静岡県菊川市東横地。西暦1,476年4月29日以前に今川義忠が落とした城、本書の今川義忠戦死直前の戦場。
- 勝間田城 現在の静岡県牧之原市勝田。西暦1,476年4月29日以前に今川義忠が落とした城、本書の今川義忠戦死直前の戦場。
- 小川城 現在の静岡県焼津市西小川。西暦1,476年4月29日の今川義忠戦死後、長谷川正宣が城主として今川氏親と北川殿を匿った城、本書の今川氏親の避難先。
- 八幡山城 現在の静岡県静岡市駿河区八幡山。西暦1,476年5月、太田道灌が小鹿範満支援の為に布陣した城、本書の太田道灌の駿河出陣布陣地。
- 狐ヶ崎 現在の静岡県静岡市葵区川合付近。西暦1,476年5月、上杉政憲が小鹿範満支援の為に布陣した地、本書の上杉政憲駿河入り布陣地。
- 浅間神社 現在の静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町。西暦1,476年5月、北条早雲の下向を受けて、今川氏親が成人する迄小鹿範満が家督を代行するという案で和睦が成立した地、本書の駿河家督争い和睦の舞台。
- 天龍寺香厳院 現在の京都府京都市右京区嵯峨天龍寺佄ノ馬場町付近。西暦1,485年時点で、足利政知の家督継承者が茶々丸の儘であった為、足利義澄が其の跡取りとなる事が決まっていた寺院、本書の足利義澄の予定された行き先。
- 糟屋館 現在の神奈川県伊勢原市上粕屋。扇谷上杉家の本拠で、西暦1,486年8月25日、上杉定正に招かれた太田道灌が、配下曽我兵庫により入浴後の無防備な所を襲われ絶命した地、本書の太田道灌暗殺の現場。
- 伊豆国 現在の静岡県東部の伊豆半島。堀越公方の所領で、西暦1,493年10月に北条早雲が足利潤童子を支持していた此の国の国人を味方に付け、同年11月19日には兵が手薄になるタイミングを計って堀越御所を夜襲した、本書の北条早雲台頭の舞台。
- 興国寺城 現在の静岡県沼津市根古屋。北条早雲の居城で、西暦1,493年10月、北条が足利茶々丸征伐の作戦を練り、今川氏親・葛山氏・上杉定正からの援軍を得て500名の軍勢で出陣した城、本書の茶々丸征伐の出撃拠点。
- 堀越御所 現在の静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内。堀越公方の御所で、西暦1,493年11月19日、北条早雲率いる軍の夜襲を受け、足利茶々丸が上杉顕定や上杉を支持する伊豆国人等と共に応戦したが、捨てて守山方面に逃亡した、本書の堀越公方の本拠。
- 守山 現在の静岡県伊豆の国市中條付近。西暦1,493年11月19日の堀越御所夜襲後、足利茶々丸が逃亡した方面、本書の茶々丸の逃亡先。
- 韮山城 現在の静岡県伊豆の国市韮山。西暦1,493年11月19日の堀越御所夜襲勝利後、北条早雲が新たに居城に定めた城、本書の北条早雲伊豆制圧の象徴。
- 下田 現在の静岡県下田市。西暦1,498年9月、北条早雲が攻撃を仕掛けた地、本書の茶々丸切腹直前の戦場。
- 深根城 現在の静岡県下田市堀之内。西暦1,498年9月、足利茶々丸が身柄を武田方から北条方に引き渡された上で切腹した城、本書の終結点の地。
主要な事件・出来事
- 今川義忠の塩買坂戦死 西暦1,476年4月29日、今川義忠が横地城と勝間田城を落として凱旋している最中に、塩買坂にて横地氏・勝間田氏の残党に討たれて戦死した。其の後、家督相続を巡り、小鹿範頼の嫡男小鹿範満と今川氏親が対立、小鹿は太田道灌と扇谷上杉家の支援を受けて家督を代行し、氏親は北川殿と共に小川城主長谷川正宣の下に身を寄せた、本書の発端。
- 太田道灌・上杉政憲の駿河出陣と浅間神社和睦 西暦1,476年5月、太田道灌が上杉定正の命により300名の兵を率いて駿河国へ出陣し八幡山城に、上杉政憲も足利政知の命により300名の兵を率いて駿河国に入り狐ヶ崎に布陣した。其の後、北条早雲が室町幕府の意向を受けて駿河国へ下向し、今川氏親が成人する迄小鹿範満が家督を代行するという案で浅間神社にて和睦した、本書の北条早雲駿河介入の初手。
- 足利義政名義の御教書発出と範満の駿府今川館居座り 西暦1,480年2月1日、北条早雲の工作により、足利義政名義の、今川氏親の家督継承を約束する御教書が発せられた。しかし、小鹿範満は家督を譲らず、駿府今川館に居座り続けた、本書の駿府今川館居座りの始点。
- 足利茶々丸廃嫡と潤童子後嗣指定・上杉政憲自害 西暦1,480年7月、足利政知が、足利義澄を上洛させ足利義政と対面させた。又政知は自身の嫡男足利茶々丸を廃嫡し、参男で義澄の同母弟の足利潤童子を後継者に定めた。上杉政憲は茶々丸の廃嫡を諫めたが聞き入れられず自害した、本書の堀越公方家家督混乱の始点。
- 足利義澄の天龍寺香厳院跡取り決定 西暦1,485年、足利政知の家督継承者が足利茶々丸の儘であった為、足利義澄が天龍寺香厳院の跡取りとなる事が決まっていた、本書の義澄の予定された行く末。
- 上杉定正による太田道灌暗殺 西暦1,486年8月25日、上杉定正が太田道灌を扇谷上杉家本拠の糟屋館に招き、太田の功績を妬んで謀反の疑いを掛けた上で、配下曽我兵庫が太田の入浴後の無防備な所を襲わせ、太田は「当方滅亡」と言って絶命した。又、第11代山内上杉家当主上杉顕定は定正に「太田はお前の首を狙っているぞ」と讒言していた。又太田は自身の働きが正当に評価されていないと溢し、扇谷上杉家が躍進したのは私のお蔭だとして憚らず、定正の意見を軽んじる始末であった、本書の小鹿範満最大の支援者の最期。
- 茶々丸の再廃嫡と土牢幽閉 西暦1,487年、足利政知が足利茶々丸を素行不良を理由に廃嫡し土牢に幽閉、代わりに参男足利潤童子を後嗣とした、本書の茶々丸土牢幽閉の確定。
- 駿府今川館急襲と小鹿範満自害 西暦1,487年11月24日、北川殿からの助力要請を受け、足利義尚からの承認を得た北条早雲が、同志と共に駿府今川館に居た小鹿範満を急襲した。追い詰められた範満は、小鹿範頼の弐男小鹿範慶と共に自害し、小鹿今川家は断絶、今川氏親が家督を相続する事となった。今川は其の後元服し、叔父北条を後見役として領国経営を進めた、本書の今川家家督争いの決着。
- 足利政知病死と茶々丸の土牢脱出 西暦1,491年5月11日、足利政知が病死した。足利茶々丸は其のどさくさに紛れ土牢から脱出した、本書の茶々丸復活の契機。
- 円満院・足利潤童子殺害と第2代堀越公方僭称 西暦1,491年8月6日、足利茶々丸が足利政知の側室円満院と足利潤童子の2名を殺害した。茶々丸は正室の子であったが、政知の弐男足利義澄と潤童子は円満院の子であった。茶々丸は武力で家督を奪い、第2代堀越公方を宣言した、本書の堀越公方僭称の瞬間。
- 足利義澄からの茶々丸征伐命令と内部工作 西暦1,493年7月、足利義澄が円満院と足利潤童子の敵討ちとして、足利茶々丸の近くに城を持つ北条早雲に対し茶々丸征伐を命じた。北条は下調べを行い、茶々丸が横暴を振るい、政知の時からの堀越公方の重臣達と上手くいっておらず、領民が疲弊している事や堀越御所の内情を掴み、内部工作を行なった、本書の茶々丸征伐の発令。
- 興国寺城での作戦会議と出陣 西暦1,493年10月、北条早雲が居城興国寺城にて足利茶々丸征伐の作戦を練り、今川氏親・葛山氏・上杉定正からの援軍を得て、足利潤童子を支持していた伊豆国人を味方に付け、500名の軍勢で出陣した、本書の征伐軍編成の頂点。
- 堀越御所夜襲と韮山城居城化 西暦1,493年11月19日、北条早雲率いる軍が、伊豆国の兵が手薄になるタイミングを計って堀越御所を夜襲した。足利茶々丸は上杉顕定や上杉を支持する伊豆国人等と共に応戦したが、北条は戦いを優位に進め、足利は堀越御所を捨て守山方面に逃亡した。北条は韮山城を居城に定めた、本書の北条早雲伊豆制圧の決定打。
- 下田攻撃と深根城における足利茶々丸切腹 西暦1,498年9月、北条早雲が下田を攻撃した。足利茶々丸は身柄を武田方から北条方に引き渡された上で、深根城にて切腹した、本書の終結点。
今川義忠塩買坂戦死・家督相続争い・浅間神社和睦・足利義政名義御教書発出・小鹿範満の駿府今川館居座り・茶々丸廃嫡と潤童子後嗣指定・上杉政憲自害・太田道灌暗殺・駿府今川館急襲と範満自害・政知病死と茶々丸の土牢脱出・円満院と潤童子殺害と堀越公方僭称・興国寺城作戦会議・堀越御所夜襲・韮山城居城化・深根城における茶々丸切腹──
北条早雲興起の22年を一冊に。
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