電子書籍「多久宗時に自害を勧められた少弐政資一元化」の表紙

多久宗時に自害を勧められた
少弐政資
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,496年12月26日〜1,497年5月
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,025年12月1日

少弐政資の大友政親・大友親治を伴った筑前国侵攻・宗像氏佐の重代宝物強奪・室町幕府の少弐征伐命令・大内義興20,000騎余の九州出陣・少弐高経の杉興正討ち取り・聖福寺の戦・筑紫村合戦・高鳥居城落城・大内軍50,000騎余への膨張と筥崎宮進軍・岩門城落城と少弐政資の晴気城逃亡・朝日山城攻略・勝尾城落城・江上興種の内通による勢福寺城落城・千葉胤資の進言・小城城包囲・大内義興の周防国一宮〜五宮戦勝祈願・千葉胤資の脱出支援・小城城落城・少弐頼隆討死・千葉胤資打って出ての討死と晴気城落城・少弐政資の梶峰城到着と多久宗時の匿い拒否と自害勧告・専称寺境内切腹・少弐高経の市の川山中切腹・千葉興常の肥前国守護代任命・筑紫満門と東尚盛の降伏・大内義興の太宰少弐任官──
側室の父に匿いを乞うて自害を勧められた一族滅亡の5箇月を一本の時系列に貫く。

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本書について

西暦1496年12月26日、少弐政資が大友政親・大友親治の援軍を伴い筑前国へ侵攻し、大内家の領地を攻撃して旧領回復を狙った日から、西暦1497年5月、大内義興が朝廷から太宰少弐に任じられた月まで。本書は、九州の名族・少弐家最後の当主少弐政資が、大内領への一夜の侵攻から始まり、大内義興率いる20,000騎余後に50,000騎余の大軍に追い詰められ、岩門城・勝尾城・勢福寺城・晴気城・小城城と立て籠もった城を次々に落とされ、最後に頼った側室の父——梶峰城主多久宗時——から「大内方の追撃を恐れて匿いを拒否され、自害を勧められた」末に専称寺境内で切腹する迄の、約5箇月——名族の血が一夜で絶える時代——を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。本書では、政資・嫡男少弐頼隆・息子少弐高経の三代が、同一の5月21日と5月23日に相次いで命を落とし、彼等を匿った千葉胤資が打って出て討死し、勢福寺城主江上興種が内通で寝返り、晴気城も小城城も落城し、千葉興常が肥前国守護代に任じられ、筑紫満門・東尚盛が大内に降伏し、大内義興が太宰少弐に任じられて九州北部の支配を確立する迄の、密度の高い5箇月を一冊に束ねます。「血縁が血縁を見捨てる」瞬間の全貌を浮き彫りにします。

西暦1496年12月26日、少弐政資は大友政親・大友親治の援軍を伴って筑前国へ侵攻し、第72代宗像大宮司氏佐の下に在った重代の宝物を強奪、肥前国青山城主留守氏を追放し、飯盛山城・高鳥居城等で防戦する河津氏等の筑前国人衆を攻撃しました。1497年1月、大内義興は室町幕府から少弐家の征伐を命じられ、1月16日に陶興房(大将)・吉見頼興・熊谷膳直・小早川弘平・仁保護郷・杉弘依・内藤氏等20,000騎余を率いて九州へ出陣。同年4月に筑前国へ侵攻すると、4月15日には少弐政資の息子少弐高経が大内軍が博多に到着して陣を固めようとした隙を突いて奇襲し先鋒の杉興正を討ち取りましたが、二陣の陶興房・熊谷膳直等が直ちに入れ替わり、聖福寺にて少弐政資・大友政親・大友親治率いる軍と大内軍の戦闘となり、陶を先鋒とした圧倒的兵力で攻勢を掛けた大内側が撃破、少弐・大友父子は太宰府方面へ敗走しました。4月17日、退却中の少弐・大友父子は追撃して来た大内軍と筑紫村にて戦闘となり、再び敗北して河津氏等が守備する高鳥居城も落城、少弐・大友父子は肥前国へ逃亡し、大内軍は50,000騎余まで膨れ上がって筥崎宮付近まで進軍しました。4月18日、政資と高経は軍を二手に分け、政資は岩門城に、高経は勝尾城に入って迎え撃ちました。4月19日、大内義興は太宰府を本陣とし、陶弾正忠20,000名を岩門城へ、陶興房・右田弘詮20,000名を勝尾城へ差し向け、4月20日に岩門城が落城して少弐家10名余が討死、雑兵の大半も討たれ、政資は密かに脱出して千葉胤資の居る晴気城へ逃亡。4月25日には朝日山城が攻略され、4月26日には勝尾城も落城して少弐高経は勢福寺城へ落ち延びました。

西暦1497年5月5日、第13代江上家当主で勢福寺城主の江上興種が大内義興方と内通し、これを把握した少弐高経が江上を勢福寺城から追放したものの、江上の裏切りにより勢福寺城は陶興房・右田弘詮率いる軍によって容易く落とされ、高経は晴気城へ向かいました。5月10日、高経が晴気城に入って政資と合流。5月15日、千葉興常勢等の大内方が晴気城を攻撃し、千葉胤資は防ぎ切れないと考え、政資の側室の父である梶峰城主多久宗時を頼る様政資に申し出ました。5月16日、大内義興率いる軍は政資の居城である小城城を包囲。5月18日、一旦山口に戻っていた義興は周防国の一宮玉祖神社・二宮出雲神社・三宮仁壁神社・四宮赤田神社・五宮朝田神社に参詣して戦勝祈願し神馬を寄進、其の後小城城包囲の自軍へ帰還しました。5月20日夜、千葉胤資は政資・嫡男少弐頼隆・少弐高経を晴気城から逃し、同日小城城も落城。翌5月21日、頼隆は千葉興常勢に討たれ、千葉胤資も晴気城から打って出て討死し晴気城は落城、そして同日、政資は梶峰城に到着し多久宗時に匿って欲しい旨を伝えるも、宗時は大内方の追撃を恐れてこれを拒否し自害を勧め、政資は専称寺境内で切腹しました。5月23日、落ち延びる途上で追手に市の川で追い付かれた高経も、最早逃れ得ぬと考えて市の川の山中にて切腹し、少弐家三代は5月21日と5月23日の僅か3日間に相次いで命を落としました。同月、義興は千葉興常を肥前国守護代に任じ、筑紫満門・東尚盛等が降伏、義興は筑紫に三根郡・神埼郡の守備を命じ、東に佐賀郡を与え、陶弾正忠を博多に配置して山口に帰陣、朝廷から太宰少弐に任じられ、九州北部の名族・少弐家を滅ぼして大内家の九州支配が確立した瞬間の全貌を一冊に束ねた書です。


主要登場人物

  • 少弐政資 九州の名族・少弐家当主。1496年12月26日に大友政親・大友親治の援軍を伴い筑前国へ侵攻し、大内家の領地を攻撃して旧領回復を狙った。1497年4月15日の聖福寺の戦と4月17日の筑紫村の合戦で大内軍に敗れて肥前国へ逃亡、4月18日に岩門城に籠城した。4月20日の岩門城落城で密かに脱出し千葉胤資の居る晴気城へ逃亡、5月10日には少弐高経と合流。5月20日夜、千葉胤資の手引きで晴気城を脱出し、5月21日に側室の父である梶峰城主多久宗時の下に到着して匿いを乞うも、大内方の追撃を恐れた宗時に拒否され自害を勧められ、専称寺境内で切腹した、本書の血縁に見捨てられて自害した名族の最後の当主。
  • 多久宗時 梶峰城主にして少弐政資の側室の父。1497年5月21日、晴気城を脱出して梶峰城に到着した政資から匿って欲しい旨を伝えられたものの、大内義興方の追撃を恐れて拒否し、自害を勧めた。其の結果、政資は専称寺境内で切腹した、本書の表題にして血縁を見捨てた義父。
  • 少弐高経 少弐政資の息子。1497年4月15日、大内軍が博多に到着して陣を固めようとした隙を突いて奇襲し、先鋒の杉興正を討ち取った。4月18日に父政資と軍を分けて勝尾城に籠城、4月26日の勝尾城落城で勢福寺城へ落ち延びた。5月5日に勢福寺城主江上興種の内通を察知して追放するも、江上の裏切りで勢福寺城が落とされ晴気城へ向かい、5月10日に父と合流。5月20日夜に晴気城を脱出するも、5月23日に追手に市の川で追い付かれ、最早逃れ得ぬと考えて市の川の山中にて切腹した、本書の父と同月に切腹した息子。
  • 少弐頼隆 少弐政資の嫡男。1497年5月20日夜に千葉胤資の手引きで晴気城を脱出するも、翌5月21日に千葉興常勢に討たれた、本書で父と同日に命を落とした嫡男。
  • 大内義興 周防国の戦国大名。1497年1月に室町幕府から少弐家の征伐を命じられ、1月16日に陶興房を大将とする20,000騎余を率いて九州へ出陣した。4月の筑前国侵攻、聖福寺の戦と筑紫村の合戦を経て軍を50,000騎余に膨らませ筥崎宮付近まで進軍。4月19日に太宰府を本陣として陶弾正忠を岩門城・陶興房と右田弘詮を勝尾城に派遣、5月18日には周防国の一宮玉祖神社・二宮出雲神社・三宮仁壁神社・四宮赤田神社・五宮朝田神社に参詣して戦勝祈願し神馬を寄進した。少弐家を滅ぼした後、千葉興常を肥前国守護代に任じ、筑紫満門に三根郡・神埼郡の守備を命じ、東尚盛に佐賀郡を与え、陶弾正忠を博多に配置して山口に帰陣、朝廷から太宰少弐に任じられた、本書の少弐家を滅ぼし九州北部支配を確立した大名。
  • 陶興房 大内義興率いる軍の大将。1497年1月16日の九州出陣で陣の中心を担った。4月15日の聖福寺の戦では杉興正討死後の二陣として熊谷膳直と共に入れ替わり、先鋒として圧倒的兵力で少弐・大友父子率いる軍を撃破した。4月19日からは右田弘詮と共に20,000名を率いて勝尾城を攻撃、4月26日に陥落させた。5月5日には江上興種の内通を機に勢福寺城も容易く攻略した、本書の大内軍の主力指揮官。
  • 陶弾正忠 大内義興方の将。1497年4月19日に太宰府本陣の大内義興から20,000名を与えられ岩門城に差し向けられ、4月20日に岩門城を落城させた。少弐家10名余を討ち取り雑兵の大半も殲滅したが、政資の脱出は許してしまった。5月の少弐家滅亡後、大内義興によって博多に配置された、本書の岩門城落城の主将。
  • 右田弘詮 大内義興方の将。1497年4月19日から陶興房と共に20,000名を率いて勝尾城を攻撃、4月26日に陥落させた。5月5日には陶興房と共に江上興種の内通後に勢福寺城を容易く攻略した、本書で陶興房と二人三脚で城を落とした将。
  • 杉興正 大内義興率いる軍の先鋒。1497年4月15日、博多に到着して陣を固めようとした隙を少弐高経の奇襲で突かれ討ち取られた、本書の冒頭の合戦で討死した先鋒。
  • 熊谷膳直 大内義興率いる軍の将。1497年4月15日の聖福寺の戦で杉興正討死後、陶興房と共に二陣として入れ替わり、少弐・大友父子率いる軍を撃破する一翼を担った、本書で先鋒交代を成立させた将。
  • 大友政親 豊後国の大名。1496年12月26日の少弐政資による筑前国侵攻に大友親治と共に援軍として加わった。1497年4月15日の聖福寺の戦と4月17日の筑紫村の合戦で大内軍に敗れて肥前国へ逃亡した、本書で少弐家と運命を共にした援軍の大名。
  • 大友親治 大友家の人物。1496年12月26日の少弐政資による筑前国侵攻に大友政親と共に援軍として加わり、1497年4月15日の聖福寺の戦と4月17日の筑紫村の合戦で大内軍に敗れて肥前国へ逃亡した、本書で少弐家と運命を共にした援軍。
  • 千葉胤資 晴気城主。1497年4月20日の岩門城落城で逃亡してきた少弐政資を匿い、5月15日には大内方の千葉興常勢の攻撃を受け、防ぎ切れないと考えて政資に多久宗時を頼る様申し出た。5月20日夜には政資・少弐頼隆・少弐高経を晴気城から逃し、5月21日に晴気城から打って出て討死し晴気城は落城した、本書で少弐家を匿って共に滅んだ城主。
  • 千葉興常 大内義興方の千葉氏。1497年5月15日に晴気城を攻撃し、5月21日には少弐頼隆を討ち取った。同月、大内義興によって肥前国守護代に任じられた、本書で少弐家を追い詰めて肥前国守護代の地位を得た千葉氏。
  • 江上興種 第13代江上家当主にして勢福寺城主。1497年5月5日、大内義興方と内通したものの、これを察知した少弐高経に勢福寺城から追放された。然るに其の裏切りにより、勢福寺城は陶興房・右田弘詮率いる軍によって容易く落とされた、本書の内通による勢福寺城落城の張本人。
  • 筑紫満門 少弐家方の人物。1497年5月の少弐家滅亡後、東尚盛と共に大内義興に降伏し、義興から三根郡・神埼郡の守備を命じられた、本書で大内方に組み込まれた地頭。
  • 東尚盛 少弐家方の人物。1497年5月の少弐家滅亡後、筑紫満門と共に大内義興に降伏し、義興から佐賀郡を与えられた、本書で大内方に組み込まれた地頭。
  • 河津氏 筑前国国人。1496年12月26日の少弐政資による筑前国侵攻に対し、飯盛山城・高鳥居城等で防戦した。1497年4月17日の筑紫村の合戦に伴って高鳥居城が落城した、本書の冒頭で侵攻を受け終盤で城を落とされた筑前国人。
  • 宗像氏佐 第72代宗像大宮司。1496年12月26日の少弐政資による筑前国侵攻時に、其の下に在った重代の宝物を強奪された、本書の冒頭で家伝を奪われた宗像大宮司。
  • 留守氏 肥前国青山城主。1496年12月26日の少弐政資による筑前国侵攻に伴い、城を追放された、本書で侵攻の余波で居城を失った城主。

少弐政資の大友政親・大友親治を伴った筑前国侵攻・宗像氏佐の重代宝物強奪・室町幕府の少弐征伐命令・大内義興20,000騎余の九州出陣・少弐高経の杉興正討ち取り・聖福寺の戦・筑紫村合戦・高鳥居城落城・大内軍50,000騎余への膨張と筥崎宮進軍・岩門城落城と少弐政資の晴気城逃亡・朝日山城攻略・勝尾城落城・江上興種の内通による勢福寺城落城・千葉胤資の進言・小城城包囲・大内義興の周防国一宮〜五宮戦勝祈願・千葉胤資の脱出支援・小城城落城・少弐頼隆討死・千葉胤資打って出ての討死と晴気城落城・少弐政資の梶峰城到着と多久宗時の匿い拒否と自害勧告・専称寺境内切腹・少弐高経の市の川山中切腹・千葉興常の肥前国守護代任命・筑紫満門と東尚盛の降伏・大内義興の太宰少弐任官──
側室の父に匿いを乞うて自害を勧められた一族滅亡の5箇月を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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