薬師寺元一一元化
生誕・畠山義英救援出陣・薬師寺元長の養子入り・摂津国守護代就任・阿波国入りと細川澄元養子化・足利義澄の罷免阻止・赤沢朝経宥免仲介・淀古城籠城・神足城合戦・淀古城落城・捕縛・一元寺での切腹と細川政元を地獄へ誘う辞世の句──
主君を地獄へ誘って腹を一文字に切った男の27年を一本の時系列に貫く。
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西暦1477年、薬師寺長盛の嫡男として薬師寺元一が生誕した日から、西暦1504年10月27日、自身の建立した一元寺にて切腹し「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」の辞世の句で主君細川政元を地獄へ誘った日まで。本書は、応仁の乱後の畿内秩序が崩壊していく戦国黎明期に、細川京兆家の摂津国守護代として家督を継ぎ、主君細川政元の信任を得ながら、同じ主君から守護代職を罷免されかかり、最終的に主君の養嗣子細川澄元を管領に擁立する事を目論んで挙兵し、僅か半月で敗北して切腹した一人の野心家の27年間を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言って腹を一文字に切ったその様式美と、辞世の句に「我が主」を「若衆」と発音させた事で「地獄にもいい若衆がいるから先に旅立って下見しておいてやるよ」と主君を地獄へ誘ったその毒気とを、一冊の書として束ねます。
西暦1477年の生誕から、西暦1499年10月10日の細川政元の命による誉田城主畠山義英救援出陣を経て、西暦1501年に摂津国守護代で伯父にあたる薬師寺元長の養子となり、子の無かった元長の家を継ぐ立場を得ると共に、細川政元から偏諱を受けて「元一」と名乗ります。西暦1502年1月25日に養父元長が死去し、元一が家督を継いで摂津国守護代に就任。西暦1503年6月14日には上野政益・波々伯部盛郷と共に阿波国に入り、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付けて京都に戻りました。西暦1504年5月2日、細川政元が元一の摂津国守護代職を罷免しようとしますが、足利義澄の介入により取り止めとなり、元一は翌5月3日に御礼として馬・太刀等を献上、同年8月7日には高野山に逃れていた赤沢朝経の細川政元からの宥免・召還を仲介するなど、政権中枢で活発に動きました。
然し西暦1504年10月11日、細川澄元を管領に擁立する狙いを胸に温めていた元一の謀反が細川政元に露見し、元一は淀古城に籠城、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵します。細川京兆家にも政元に背く者が多数発生しますが、政元は即座に元一の弟薬師寺長忠を派遣。10月13日に西岡被官衆が神足城で挙兵すると政元は上野元治・上野政益・安富元治・内藤貞正を派遣、10月14日には赤沢朝経が元一に呼応し京都を出奔、10月17日の神足城合戦では寺町又三郎・安富元治が討死、10月21日には香西元長が下京や近郊村々の住民に半済を条件として元一征伐の兵を募り、10月23日に神足城が落城、10月26日に淀古城が落城して四宮長能父子は自害し、元一は香西元長に捕縛されて京都に護送されました。同年10月27日、元一は自身の建立した一元寺にて切腹。「我は一文字好みにて」と腹を一文字に切り、辞世の句に「我が主」を「若衆」と発音させて主君細川政元を地獄へ誘ったのです。半年後の西暦1507年に細川政元が永正の錯乱で暗殺される運命を、元一は地獄から見届ける事となります。一文字に腹を切ったその短い27年の全貌を一冊に束ねた書です。
主要登場人物
- 薬師寺元一 摂津国守護代。1477年に薬師寺長盛の嫡男として生誕。1499年10月10日に細川政元の命で畠山義英救援出陣、1501年に伯父薬師寺元長の養子となり政元の偏諱を受け、1502年1月25日に養父の死で家督相続・摂津国守護代に就任。1503年6月14日に阿波国入りで細川澄元の細川政元養子化を取り付け、1504年10月11日に細川澄元擁立の謀反が露見して淀古城に籠城、10月26日の落城で捕縛され、10月27日に一元寺で切腹。「我は一文字好みにて」と腹を一文字に切り、辞世の句で主君細川政元を地獄へ誘った、本書の主人公。
- 細川政元 細川京兆家当主。本書における薬師寺元一の主君にして謀反の標的。1499年に元一に畠山義英救援を命じ、1501年には元一の養子化を許し偏諱を与え、1502年1月25日には元一の摂津国守護代就任を承認。1504年5月2日には元一の罷免を試みて足利義澄に阻止され、10月11日の元一の謀反露見後は薬師寺長忠等を派遣して鎮圧、10月27日に元一を一元寺で切腹させた、本書の敵役にして辞世の句で地獄へ誘われた当人。
- 細川澄元 第10代室町幕府阿波国守護細川義春の弐男。1503年6月14日に元一・上野政益・波々伯部盛郷の阿波国入りで細川政元の養子に迎える約定が取り付けられた。1504年10月11日の元一の挙兵では管領擁立の対象となった、本書の野望の象徴。
- 細川成之 阿波細川家の長老。1503年6月14日の薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の阿波国入りに際し、孫の細川澄元を細川政元の養子に迎える約定に同意した、京兆家養子化の協力者。
- 細川義春 第10代室町幕府阿波国守護。細川澄元の父。1503年6月14日の阿波国訪問で次男澄元を細川政元の養子に出す約定を結んだ、本書の謀反の野望が指し示す血筋を提供した人物。
- 薬師寺長盛 薬師寺元一の実父。1477年に元一を儲けた、本書の主人公の生家の当主。
- 薬師寺元長 摂津国守護代。長盛の兄で元一の伯父。子が無かった為、1501年に甥の元一を養子に迎えた、元一の運命を変えた義父。1502年1月25日に死去し、元一に家督と守護代職を譲った。
- 薬師寺長忠 薬師寺長盛の弐男。元一の弟。1504年10月11日の元一の謀反露見後、即座に細川政元から元一征伐の為に派遣され、10月26日の淀古城落城に参加した、兄を討つ立場に置かれた弟。
- 足利義澄 第11代室町幕府征夷大将軍。1504年5月2日、細川政元が元一の摂津国守護代職を罷免しようとした際、介入して取り止めにさせた、本書の元一を一度救った将軍。元一は翌5月3日に御礼として馬・太刀等を献上した。
- 赤沢朝経 武将。高野山に逃れていた所、1504年8月7日に薬師寺元一の仲介で細川政元から宥免・召還された。然し10月14日には元一の挙兵に呼応し、京都から出奔した、元一に恩を返した同調者。
- 四宮長能 西岡の武士。1504年10月11日に元一の淀古城籠城に父子で参加して挙兵、10月23日の神足城落城後に淀古城に逃亡し、10月26日の淀古城落城で父子共に自害した、元一に最後まで付き従った同志。
- 香西元長 細川政元方の重臣。1504年10月21日に下京や近郊村々の住民に半済を条件として元一征伐の兵を募り、10月23日の神足城落城・10月26日の淀古城落城に参加。淀古城落城時に逃亡しようとした元一を捕縛して京都に護送した、元一の最期を引いた人物。
- 上野政益 1503年6月14日の阿波国入りに薬師寺元一・波々伯部盛郷と共に参加し、細川澄元の養子化約定を取り付けた仲間でありながら、1504年10月13日には細川政元方の鎮圧軍として神足城・淀古城両落城に参加した、本書の二面性を象徴する武将。
- 上野元治 細川政元方の武将。1504年10月13日に神足城鎮圧軍として派遣され、10月23日の神足城落城・10月26日の淀古城落城に参加した、政元方の主力。
- 内藤貞正 細川政元方の重臣。1504年10月13日に神足城鎮圧軍として派遣され、神足城・淀古城の両落城に参加した、政元方の主力の一人。
- 畠山義英 誉田城主。1499年10月10日、細川政元の命を受けた薬師寺元一が救援の為出陣した相手、本書の冒頭を飾る元一の初陣の援護対象。
生誕・畠山義英救援出陣・薬師寺元長の養子入り・摂津国守護代就任・阿波国入りと細川澄元養子化・足利義澄の罷免阻止・赤沢朝経宥免仲介・淀古城籠城・神足城合戦・淀古城落城・捕縛・一元寺での切腹と細川政元を地獄へ誘う辞世の句──
主君を地獄へ誘って腹を一文字に切った男の27年を一冊に。
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