薬師寺元一一元化
謀反の露見から、淀古城の落城へ──
薬師寺元一の生誕から切腹迄を一元化。
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本書について
西暦1,477年、薬師寺長盛の嫡男薬師寺元一が生誕する。本書は、此の生誕から、摂津国守護代への就任、淀古城での挙兵、神足城と淀古城の落城を経て、西暦1,504年10月27日に薬師寺元一が自身の建立した一元寺にて切腹させられる迄を一元化した記録である。
西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。西暦1,501年頃、薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。元長は子供が居なかった。又元一は、細川政元の偏諱を受けた。西暦1,502年1月25日、薬師寺元長が死去する。薬師寺元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。
西暦1,504年5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月3日、薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。10月頃、薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。赤沢朝経は、此れと結託した。然し、薬師寺長忠等によって鎮圧され、赤沢朝経は捕らえられた。
西暦1,504年10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月14日、赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。10月21日、香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。
西暦1,504年10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。四宮長能父子は自害した。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。
西暦1,504年10月27日、薬師寺元一が、自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺元一は、「若衆」と発音する様家臣に指示していた。薬師寺元一の生誕から、摂津国守護代への就任、淀古城での挙兵、神足城と淀古城の落城を経て、一元寺での切腹に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 薬師寺元一 西暦1,477年、薬師寺長盛の嫡男薬師寺元一が生誕する。西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。西暦1,501年頃、薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。元長は子供が居なかった。又元一は、細川政元の偏諱を受けた。西暦1,502年1月25日、薬師寺元長が死去する。薬師寺元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。西暦1,504年5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月3日、薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。10月頃、薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。10月27日、薬師寺元一が、自身の建立した一元寺にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。
- 細川政元 西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。西暦1,501年頃、薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。又元一は、細川政元の偏諱を受けた。西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。西暦1,504年5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。10月頃、薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。10月27日、薬師寺元一が、自身の建立した一元寺にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。
- 薬師寺元長 西暦1,501年頃、薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。元長は子供が居なかった。西暦1,502年1月25日、薬師寺元長が死去する。薬師寺元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。
- 薬師寺長盛 西暦1,477年、薬師寺長盛の嫡男薬師寺元一が生誕する。西暦1,501年頃、薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。西暦1,504年10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。
- 薬師寺長忠 西暦1,504年10月頃、薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。赤沢朝経は、此れと結託した。然し、薬師寺長忠等によって鎮圧され、赤沢朝経は捕らえられた。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
- 細川澄元 西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。西暦1,504年10月頃、薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。
- 細川成之 西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。
- 細川義春 西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。
- 足利義澄 西暦1,504年5月2日、細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。5月3日、薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。
- 赤沢朝経 西暦1,504年8月7日、高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。10月頃、薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。赤沢朝経は、此れと結託した。然し、薬師寺長忠等によって鎮圧され、赤沢朝経は捕らえられた。10月14日、赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。
- 四宮長能 西暦1,504年10月11日、薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。四宮長能父子は自害した。
- 香西元長 西暦1,504年10月21日、香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。
- 上野政益 西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
- 上野元治 西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
- 内藤貞正 西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。10月26日、薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。
- 安富元治 西暦1,504年10月13日、西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。
- 寺町又三郎 西暦1,504年10月17日、神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。
- 波々伯部盛郷 西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。
- 畠山義英 西暦1,499年10月10日頃、薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。
本書が記録する出来事
- 薬師寺元一の生誕(1,477年) 薬師寺長盛の嫡男薬師寺元一が生誕する。
- 畠山義英の救援の為の出陣(1,499年10月10日頃) 薬師寺元一が、細川政元の命を受け、誉田城主畠山義英の救援の為出陣する。
- 薬師寺元一の養子入り(1,501年頃) 薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。元長は子供が居なかった。又元一は、細川政元の偏諱を受けた。
- 薬師寺元長の死去(1,502年1月25日) 薬師寺元長が死去する。薬師寺元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。
- 薬師寺元一等の阿波国入り(1,503年6月14日) 薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の3名等が阿波国に入る。3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。
- 摂津国守護代職の罷免の試み(1,504年5月2日) 細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し、足利義澄の介入により取り止めとなった。
- 足利義澄への献上(1,504年5月3日) 薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。
- 赤沢朝経の宥免・召還(1,504年8月7日) 高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。
- 細川澄元の擁立の企て(1,504年10月頃) 薬師寺元一が、細川政元を廃し、細川澄元を擁立しようと企てる。赤沢朝経は、此れと結託した。然し、薬師寺長忠等によって鎮圧され、赤沢朝経は捕らえられた。
- 淀古城での挙兵(1,504年10月11日) 薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。
- 神足城での挙兵(1,504年10月13日) 西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に上野元治・上野政益・安富元家の嫡男安富元治・内藤貞正等を派遣した。
- 赤沢朝経の出奔(1,504年10月14日) 赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。
- 神足城での合戦(1,504年10月17日) 神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の2名が討死する。
- 半済を条件とした兵の募集(1,504年10月21日) 香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。
- 神足城の落城(1,504年10月23日) 上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、神足城を落城させる。薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。
- 淀古城の落城(1,504年10月26日) 薬師寺長忠・上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢が、淀古城を落城させる。四宮長能父子は自害した。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西元長に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。
- 薬師寺元一の切腹(1,504年10月27日) 薬師寺元一が、自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。薬師寺元一は、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)という辞世の句を詠み、「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。「我が主」は、「若衆」との掛詞となっており、「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺元一は、「若衆」と発音する様家臣に指示していた。本書の年表の最後の項目である。
家督の相続から、一元寺での切腹へ──
薬師寺元一の全過程を一元化。
132円(税込)
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