電子書籍「薬師寺元一一元化」の表紙

薬師寺元一一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,477年〜1,504年10月27日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
8ページ
最新更新日
西暦2,026年8月12日

西暦1,504年10月27日、一元寺──
主君を地獄へ誘って腹を一文字に切った男の二十七年を一元化。

JPY 200(税込)

購入する
決済サービスSquare/ご利用いただけるカードブランド:Visa・Mastercard・アメリカン・エキスプレス・JCB・Diners Club・Discover・UnionPay(銀聯)

お支払いはカード情報の入力だけで完了します

購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します

お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。


皇室献上品 高級トイレットペーパー
皇室献上品 高級トイレットペーパー

本書について

西暦1,477年、摂津の守護代を出す家に一人の男児が生まれた。父は薬師寺長盛、名は元一という。其の二十七年後、彼は自身の建立した寺で腹を一文字に掻き切り、主君を地獄へ誘う一首を残して死ぬ事になる。応仁の乱が終息した年に生を受け、細川京兆家の権力の只中で摂津国守護代にまで昇り、其の主君に叛いて僅か十五日で滅んだ——本書は、薬師寺元一の生誕から切腹までを、年月日単位で一元化した記録である。

元一が記録の上に現れるのは、西暦1,499年10月10日頃、細川政元の命を受けて、誉田城主畠山義英の救援の為に出陣した時である。次いで西暦1,501年頃、元一は摂津国守護代であり父長盛の兄でもある薬師寺元長の養子となった。元長には子が居らず、甥が其の家を継ぐ形となる。同じ時、元一は細川政元の偏諱を受けている。「元」の一字は、主君から与えられた物であった。そして西暦1,502年1月25日、養父元長が死去する。元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。

西暦1,503年6月14日、元一は上野政益・波々伯部盛郷と共に阿波国へ渡る。三名が持ち帰ったのは、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男・細川澄元を、細川政元の養子に迎えるという約定であった。子の無い主君に後継を用意する仕事である。同時に其れは、後年元一自身が管領へ担ぎ上げようとする人物を、京兆家の内側へ招き入れる行為でもあった。

西暦1,504年5月2日、細川政元が元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。然し足利義澄の介入により、此れは取り止めとなった。元一は翌5月3日、前日の御礼として足利義澄に馬・太刀等を献上している。同年8月7日には、高野山に逃れていた赤沢朝経が、元一の仲介によって政元から宥免・召還された。守護代の職を危うくされた男が、将軍に救われ、罪を得た武将の赦免を取り持つ——挙兵の、僅か数ヶ月前の姿である。

西暦1,504年10月11日、元一の謀反が細川政元に露見した。元一は淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有り、細川京兆家の内にも政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男——即ち元一の弟である薬師寺長忠を、兄の征伐の為に派遣する。13日には西岡被官衆の多くが元一に呼応して神足城(現在の京都府長岡京市東神足)で挙兵し、政元は上野元治・上野政益・安富元治・内藤貞正を鎮圧に向かわせた。14日、赤沢朝経が元一に呼応して京都から出奔する。八月に自らを赦免へ導いた男の許へ、朝経は走ったのである。

17日、神足城で両軍が衝突し、寺町又三郎と安富元治の二名が討死した。21日、香西元長は下京や京都近郊の村々の住民に対し、半済を条件として元一征伐の兵を募る。23日、上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清、そして近郷の土一揆勢によって神足城は落ち、四宮長能父子と西岡被官衆は淀古城へ逃れた。26日、其れに薬師寺長忠を加えた顔触れが、淀古城をも落とす。四宮長能父子は自害し、元一は逃亡しようとした所を香西に捕縛され、政元の指示で京都へ護送された。挙兵から、僅か十五日であった。

西暦1,504年10月27日、薬師寺元一は自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」——そう言って腹を一文字に切る前に、元一は一首を詠んだ。「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」。あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう、と読める。然し「我が主」は「若衆」との掛詞であり、元一は家臣に、若衆と発音する様指示していた。地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやる——主君細川政元を地獄へ誘う句である。本書は、此の一句に至るまでの二十七年を、一冊に束ねている。


登場人物

  • 薬師寺元一 本書の中心人物。摂津国守護代薬師寺長盛の嫡男として西暦1,477年に生誕した。西暦1,501年頃に伯父薬師寺元長の養子となり、細川政元の偏諱を受けて「元一」と名乗る。西暦1,502年1月25日に家督を継いで摂津国守護代に就任し、西暦1,504年10月11日、細川澄元を管領に擁立すべく淀古城で挙兵。26日に捕縛され、27日、自身の建立した一元寺にて「されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。
  • 細川政元 元一の主君。西暦1,499年10月10日頃に畠山義英の救援を命じ、西暦1,501年頃には元一に偏諱を与えた。然し西暦1,504年5月2日には其の摂津国守護代職を罷免しようとし、足利義澄の介入で取り止めとなっている。同年10月11日に元一の謀反が露見すると即座に薬師寺長忠を征伐に派遣し、捕縛された元一を京都へ護送させ、切腹させた。辞世の句で地獄へ誘われた当人である。
  • 薬師寺元長 摂津国守護代。薬師寺長盛の兄で、元一の伯父にあたる。子が居なかった為、西暦1,501年頃に甥の元一を養子に迎えた。西暦1,502年1月25日に死去し、元一が其の家督と守護代職を継いだ。
  • 薬師寺長盛 元一の実父。西暦1,477年に嫡男元一を儲けた。弐男は、後に兄の征伐に向かう薬師寺長忠である。
  • 薬師寺長忠 薬師寺長盛の弐男で、元一の弟。西暦1,504年10月11日、兄の謀反が露見すると細川政元から即座に元一征伐を命じられ、26日の淀古城落城に加わった。
  • 細川澄元 第10代室町幕府阿波国守護細川義春の弐男。西暦1,503年6月14日、阿波国へ入った薬師寺元一等の働きにより、細川政元の養子に迎える約定が結ばれた。西暦1,504年10月11日の元一の挙兵は、此の澄元を管領に擁立する事を狙った物であった。
  • 細川成之 阿波細川家の当主を務めた人物で、細川澄元の祖父にあたる。西暦1,503年6月14日、阿波国を訪れた薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷と、澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り結んだ。
  • 細川義春 第10代室町幕府阿波国守護。細川澄元の父。西暦1,503年6月14日、其の弐男澄元を細川政元の養子に出す約定が結ばれた。
  • 足利義澄 第11代室町幕府征夷大将軍。西暦1,504年5月2日、細川政元が元一の摂津国守護代職を罷免しようとした際に介入し、取り止めさせた。元一は翌3日、前日の御礼として馬・太刀等を献上している。
  • 赤沢朝経 高野山に逃れていた武将。西暦1,504年8月7日、元一の仲介によって細川政元から宥免・召還された。然し同年10月14日、元一の挙兵に呼応して京都から出奔している。
  • 四宮長能 西岡の武士。西暦1,504年10月11日、元一と共に淀古城で挙兵した。23日の神足城落城の後は淀古城へ逃れ、26日の落城に際して父子共に自害した。
  • 香西元長 細川政元方の武将。西暦1,504年10月21日、下京や京都近郊の村々の住民に対し、半済を条件として元一征伐の兵を募った。23日の神足城落城・26日の淀古城落城に加わり、逃亡しようとした元一を捕縛したのも香西である。
  • 上野政益 西暦1,503年6月14日、元一・波々伯部盛郷と共に阿波国へ入り、細川澄元養子化の約定に加わった。然し翌年10月13日以降は細川政元方の鎮圧軍として、神足城・淀古城の両落城に加わっている。
  • 上野元治 細川政元方の武将。西暦1,504年10月13日、神足城の鎮圧に派遣され、23日の神足城落城・26日の淀古城落城に加わった。
  • 内藤貞正 細川政元方の武将。西暦1,504年10月13日、神足城の鎮圧に派遣され、23日の神足城落城・26日の淀古城落城に加わった。
  • 安富元治 安富元家の嫡男。西暦1,504年10月13日、細川政元により神足城の鎮圧に派遣されたが、17日の合戦で討死した。
  • 寺町又三郎 西暦1,504年10月17日、神足城にて元一方と細川政元方の間に発生した合戦で討死した二名のうちの一人。
  • 波々伯部盛郷 西暦1,503年6月14日、薬師寺元一・上野政益と共に阿波国へ入り、細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付けて京都に戻った。
  • 畠山義英 誉田城主。西暦1,499年10月10日頃、細川政元の命を受けた元一が、救援の為に出陣した相手である。

本書が記録する出来事

  • 誉田城主畠山義英の救援出陣 西暦1,499年10月10日頃。細川政元の命を受けた薬師寺元一が、誉田城主畠山義英を救援する為に出陣した。本書が記録する、元一の最初の軍事行動である。
  • 薬師寺元長の養子入りと偏諱 西暦1,501年頃。子の無かった摂津国守護代薬師寺元長が、弟長盛の子である元一を養子に迎えた。元一は同時に細川政元の偏諱を受け、此処に「元一」の名が成る。
  • 家督相続と摂津国守護代就任 西暦1,502年1月25日。養父薬師寺元長の死去により、元一が家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。
  • 阿波国入りと細川澄元養子化の約定 西暦1,503年6月14日。薬師寺元一・上野政益・波々伯部盛郷の三名が阿波国に入り、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付けて京都に戻った。
  • 摂津国守護代職罷免の未遂 西暦1,504年5月2日。細川政元が元一の摂津国守護代職を罷免しようとしたが、足利義澄の介入により取り止めとなった。元一は翌3日、前日の御礼として足利義澄に馬・太刀等を献上している。
  • 赤沢朝経の宥免・召還 西暦1,504年8月7日。高野山に逃れていた赤沢朝経が、元一の仲介によって細川政元から宥免・召還された。此の朝経は、二ヶ月後に元一の挙兵へ呼応する事になる。
  • 淀古城の籠城と挙兵 西暦1,504年10月11日。謀反の露見した元一が淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵した。細川澄元を管領に擁立する狙いが有り、細川京兆家にも政元に背く者が多数発生する。政元は即座に、弟薬師寺長忠を征伐に派遣した。
  • 神足城の挙兵 西暦1,504年10月13日。西岡被官衆の多くが元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵した。細川政元は上野元治・上野政益・安富元治・内藤貞正を鎮圧に派遣する。翌14日には、赤沢朝経が京都から出奔した。
  • 神足城の合戦 西暦1,504年10月17日。神足城にて薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、寺町又三郎・安富元治の二名が討死した。
  • 半済を条件とした徴兵 西暦1,504年10月21日。香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に対し、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募った。
  • 神足城の落城 西暦1,504年10月23日。上野元治・上野政益・内藤貞正・香西元長・山内就綱・伊庭貞隆・柳本長治・武田衆・波多野元清・近郷の土一揆勢によって神足城が落城。元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城へ逃亡した。
  • 淀古城の落城と捕縛 西暦1,504年10月26日。薬師寺長忠を加えた同じ顔触れが、淀古城を落城させた。四宮長能父子は自害し、逃亡しようとした元一は香西に捕縛され、細川政元の指示で京都へ護送された。
  • 一元寺の切腹と辞世の句 西暦1,504年10月27日。元一は自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられた。「されば腹をも一文字に切るべし」と言って腹を一文字に切り、「地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな」の一首を残す。「我が主」は「若衆」との掛詞であり、主君細川政元を地獄へ誘う意が込められていた。

生誕から淀古城の落城、そして一元寺の辞世の句へ──
摂津国守護代薬師寺元一の二十七年の全過程を一元化。

JPY 200(税込)

購入する
決済サービスSquare/ご利用いただけるカードブランド:Visa・Mastercard・アメリカン・エキスプレス・JCB・Diners Club・Discover・UnionPay(銀聯)

お支払いはカード情報の入力だけで完了します

購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します

お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。


皇室献上品 高級トイレットペーパー
皇室献上品 高級トイレットペーパー

AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。