電子書籍「河野通春一元化」の表紙

河野通春一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,421年〜1,482年8月28日
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,026年3月9日

予州家河野通春の生誕・嘉吉の乱遅参を理由とする教通の征伐・細川勝元支援による第11代伊予国守護補任・細川成之軍の征伐と湯築城退却・大内教弘政弘父子の支援転向・応仁の乱西軍参戦・大物浦の戦いでの勝利・東軍帰順と第18代伊予国守護復帰・細川義春侵攻と教通との一時和睦・港山城病没──
室町期伊予国を揺るがせた61年を一本の時系列に貫く。

JPY 200(税込)

購入する

本書について

西暦1,421年、河野通元の嫡男河野通春が生誕した日から、西暦1,482年8月28日、通春が居城の港山城にて病没した日まで。本書は、室町期伊予国守護職を巡る予州家河野通春の生涯——嫡男としての生誕、嘉吉の乱での赤松家征伐に於ける遅参を理由とする河野教通の征伐開始、細川勝元の支援による第11代室町幕府伊予国守護職就任、河野教通方諸将による城郭20ヶ所余の奪取、細川勝元独断による第13代伊予国守護への改補、伊予国守護罷免と細川勝元の第14代就任、細川成之率いる軍の征伐と湯築城放棄・高縄山・港山城・忽那諸島・来島等の山間部島嶼部への退却、大内教弘・大内政弘父子の支援転向、応仁の乱に於ける西軍参戦と大物浦の戦いでの細川勝元・赤松政則軍の撃破、東軍への帰順と第18代室町幕府伊予国守護就任、河野通秋との和気郡交戦、細川義春の阿波国からの侵攻と河野教通との一時和睦、通春の港山城に於ける病没迄の約61年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。

西暦1,421年、河野通元の嫡男として河野通春が生誕した。1,441年8月14日、河野教通が、室町幕府の命を受けて、嘉吉の乱での赤松家征伐に於いて遅参した事を理由に、予州家当主通春の征伐を開始した。1,449年2月、通春は細川勝元の支援を受け、第11代室町幕府伊予国守護に就任した。1,451年7月、教通は、小早川盛景・重見通実・森山氏・竹原盛景・益田兼堯・吉川三郎・周布次郎の支援により、通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取した。1,452年11月、通春方の森山氏が森山城にて挙兵し、室町幕府は吉川経信に伊予国へ発向し教通を支援する形で森山氏を征伐する様命じた。1,453年6月、細川勝元は足利義政の意向を聞かず、通春を第13代室町幕府伊予国守護として改補した。其の後通春は京都から伊予国へ帰国し、其の際村上吉資が通春を援助した。細川の此の行動は足利との対立を生み、細川は管領職を辞任しようとしたが、足利の慰留により思い留まった。

西暦1,456年2月5日、室町幕府は通春の伊予国守護職を罷免し、細川勝元を第14代室町幕府伊予国守護に任命した。此れにより細川は土佐国守護職との兼任となり、又、予州家が河野氏宗家に対して優勢となった。1,461年1月、教通が室町幕府に対し、古代以来の先祖の勲功を列挙し、最後に近年の通春が細川勝元によって伊予国守護に据えられ、河野家の家督を継いだ不慮の儀を嘆き、伊予国守護職と御恩地の返還を要求する主旨の申状を提出した。1,462年6月、細川成之率いる軍が通春征伐の為、渡海して東予から進軍し、同時に南予の宇都宮安綱も北上した。圧倒的な兵力差を前に、通春は一旦湯築城を捨て、高縄山・港山城・忽那諸島・来島等の山間部や島嶼部に退却した。同年11月、教通率いる軍が桜三里付近にて細川成之の軍勢に合流し、包囲網を敷かれ窮地に立たされた通春は、海賊衆に細川率いる軍の補給路を断たせ、難を逃れた。1,464年12月11日、畠山政長が第19代管領に就任し、同日室町幕府は、相国寺の僧承勲を遣わせ、大内教弘に通春征伐を命じた。

西暦1,465年7月、室町幕府が細川勝元の申し出を受け入れ、細川賢氏・細川成之等に通春征伐を命じ、大内教弘率いる軍も伊予国に入った。大内は興居島に布陣して港山城を牽制していたが、突如通春を支援した。同年9月、細川勝元は讃岐国・土佐国の国人領主等を通じて伊予国へ影響力を与え、大野氏・森山氏・重見氏に通春を圧迫させて湯築城から追い払い、土佐国守護代新開遠江守を入城させた。通春は港山城に籠城し、教通の留守の為に伊予国に居た河野通生と繋がり細川勢と対峙した。同年9月23日、大内教弘が興居島にて病没し、大内政弘が家督を継ぎ、政弘も通春を支援し室町幕府と対峙した。同年10月、細川勝元方の兵が伊予国に進軍し通春率いる軍と交戦したが、通春は大内教弘の援軍を受けて細川方の兵を退けた。1,466年10月30日、室町幕府は通春の孤立を意図し、大内政弘に、河野の支援を止める様第18代相国寺鹿苑院僧録龍崗真圭に説得させた。

西暦1,467年6月11日、大内政弘は周防国・長門国を始めとする8ヶ国の数万の兵を率い、通春と陶弘房と共に山口を出発した。同年8月19日、大内率いる軍が20,000~30,000名の軍勢で播磨国兵庫津に入り、此の内2,000~3,000名は通春が率いていた。同年9月8日、大内は河野水軍・村上水軍・三島水軍等の瀬戸内水軍を率い、大物浦の難波・水堂にて、上陸を阻止しようとする細川勝元・赤松政則の軍と交戦し、撃破した。此の戦闘により通春等は戦功を挙げた。其の後大内率いる軍は、尼崎を焼き払い、10,000名の兵と2,000隻の船団と共に上洛し、東寺に布陣、後に梶井門跡に移り本陣とした。1,468年1月17日、通春は摂津国を進発するに当たり東寺に祈祷を依頼し、同年6月8日には東寺に温泉郡味酒郷内上方地頭職を安堵した。1,473年12月11日、教通が足利義政からの伊予国守護職の補任状を受け取り、第17代室町幕府伊予国守護に就任した。

西暦1,477年5月31日、通春は東軍に内通していた大内政弘の仲介によって東軍に下り、足利義尚の安堵を取り付けた。同年12月、通春は陣所を引き払って伊予国へ帰国し、此の頃第18代室町幕府伊予国守護に任じられた。1,478年1月15日、三島神社に禁制を掲げ、同年11月20日、通春は和気郡にて河野通秋と交戦し、大内政弘に支援を求めて大内は呉・能美・蒲刈に援軍を送らせた。1,479年、細川成之の弐男細川義春率いる軍が阿波国から伊予国に侵攻し、此れを受けて通春と教通は一時和睦した。河野通生は神途城に籠城して指揮を取り、浅海氏等が馳せ参じ、又、村上氏・忽那氏等の水軍が細川率いる軍の水軍の補給路や退路を断ち、此れにより細川は諸城の攻略を果たせない儘、阿波国へ潰走した。其の後、通春と教通は再び争う事となった。1,482年8月28日、通春が居城の港山城にて病没、本書の終結点。


登場人物

  • 河野通春 河野通元の嫡男で予州家当主。西暦1,421年に生誕、1,441年8月14日には嘉吉の乱での赤松家征伐遅参を理由に河野教通の征伐対象となった。1,449年2月、細川勝元の支援を受け第11代室町幕府伊予国守護に就任、1,453年6月には細川勝元により第13代伊予国守護として改補されたが、1,456年2月5日に罷免された。1,462年6月の細川成之軍の征伐により湯築城を捨てて退却、1,465年以降は大内教弘・政弘父子の支援を受け、1,467年の応仁の乱では大内政弘と共に上洛し西軍として戦った。1,477年5月31日に東軍に帰順、同年12月に第18代室町幕府伊予国守護に任じられた。1,482年8月28日、居城の港山城にて病没、本書の主人公。
  • 河野通元 通春の父。西暦1,421年、嫡男として通春を儲けた、本書の発端の人物。
  • 河野教通 河野家宗家。西暦1,441年8月14日、嘉吉の乱での赤松家征伐遅参を理由に、室町幕府の命を受けて予州家当主通春の征伐を開始した。1,451年7月には小早川盛景等の支援により通春方の城郭20ヶ所余を奪取、1,461年1月には幕府に伊予国守護職と御恩地の返還を求める申状を提出した。1,462年11月、桜三里付近にて細川成之軍と合流、1,473年12月11日、足利義政から伊予国守護職の補任状を受け取り第17代室町幕府伊予国守護に就任した。1,479年の細川義春侵攻時には通春と一時和睦したが、其の後再び争った、本書の通春の生涯に亙る最大の政敵。
  • 河野通生 河野教通の弟。西暦1,465年3月13日、通春と共に土居家分の地頭職を善応寺に寄進、1,465年9月の細川勝元方圧迫時には教通の留守の為伊予国に居り、港山城に籠城した通春と繋がり細川勢と対峙した。1,479年の細川義春侵攻時には神途城に籠城して指揮を取った、本書の和睦工作の仲介者。
  • 河野通秋・河野通光 西暦1,469年6月13日、西幕府が大野氏・通春に征伐を命じる御教書を発した対象の2名。通秋は1,478年11月20日、和気郡にて通春と交戦した、本書の予州家内紛の当事者。
  • 細川勝元 室町幕府管領。西暦1,449年2月の通春の第11代伊予国守護就任を支援した人物。1,453年6月には足利義政の意向を聞かず通春を第13代伊予国守護として改補、管領職を辞任しようとしたが足利の慰留により思い留まった。1,456年2月5日には自身が第14代伊予国守護に任命され、1,465年以降は通春征伐を主導、讃岐国・土佐国の国人領主等を通じて通春を湯築城から追い払い、1,467年9月8日の大物浦の戦いでは大内政弘・通春の軍に敗れた、本書の通春の運命を二度動かした管領。
  • 細川成之 西暦1,462年6月、通春征伐の為渡海して東予から進軍した軍の総大将。同年11月には桜三里付近で教通軍と合流し通春を湯築城から退却させた。1,479年には弐男細川義春が阿波国から伊予国に侵攻した、本書の細川方軍事介入の中核。
  • 細川賢氏 西暦1,465年5月25日、通春征伐の為に伊予国に下向し観念寺に禁制を掲げた人物。同年7月には細川成之と共に近国諸将として通春征伐を命じられた、本書の細川勢征伐の一翼。
  • 細川持益 土佐国一方守護代。西暦1,465年7月、通春に降伏した、本書の細川勢内部の離反者。
  • 細川義春 細川成之の弐男。西暦1,479年、阿波国から伊予国に侵攻したが、村上氏・忽那氏等の水軍に補給路や退路を断たれ、諸城の攻略を果たせない儘阿波国へ潰走した。此の侵攻が通春と教通の一時和睦を生んだ、本書の細川方最後の大規模介入の指揮官。
  • 大内教弘 西暦1,464年12月11日、畠山政長の管領就任と同日に室町幕府から通春征伐を命じられた人物。1,465年7月、伊予国へ向かう途上病に罹ったが室町幕府から派遣された板坂三位が治療し、其の後興居島に布陣して港山城を牽制していたが、突如通春を支援した。同年9月23日、興居島にて病没。其の死を伝え聞いた細川勝元は「上意に叛いたから天罰が下ったのだ」と語った、本書の通春陣営への最大の援軍転向者。
  • 大内政弘 大内教弘の嫡男。西暦1,465年9月23日、父の死を受けて家督を継ぎ、父と同様に通春を支援し室町幕府と対峙した。1,467年6月11日、周防国・長門国を始めとする8ヶ国の数万の兵を率い通春・陶弘房と共に山口を出発、同年9月8日の大物浦の戦いでは細川勝元・赤松政則の軍を撃破した。1,477年5月31日には東軍に内通しつつ通春を東軍に帰順させる仲介を行った、本書の通春の応仁期から晩年迄の庇護者。
  • 足利義政 室町幕府第8代将軍。西暦1,453年6月、細川勝元の独断による通春の第13代伊予国守護改補に対立したが、細川を慰留した。1,473年12月11日には教通に伊予国守護職の補任状を発し、教通は第17代室町幕府伊予国守護に就任した、本書の室町幕府側の最高権威。
  • 足利義尚 西暦1,477年5月31日、大内政弘の仲介によって東軍に下った通春の安堵を与えた人物、本書の通春の伊予国守護復帰を承認した将軍。
  • 畠山政長 西暦1,464年12月11日、第19代管領に就任し、同日室町幕府より大内教弘への通春征伐命令を発令させた人物、本書の幕府側征伐令の発出者。
  • 陶弘房 大内政弘の重臣。西暦1,467年6月11日、家の事を陶弘護に任せて大内政弘・通春と共に山口を出発した人物、本書の応仁の乱上洛軍の一員。
  • 村上吉資 西暦1,453年6月、京都から伊予国へ帰国する通春を援助し、細川勝元から同月21日付の賞する御教書を受けた人物、本書の通春帰国支援の功労者。
  • 忽那通光 西暦1,474年2月8日、河野道直から國永の所領と湯築を宛行われた人物。同年4月15日には通春の叔父河野通生の下を訪れ、3通の書簡を持参し河野通久自筆である事の証明を出された、本書の河野家周辺の文書管理者。
  • 新開遠江守 土佐国守護代。西暦1,465年9月、細川勝元により通春を追った後の湯築城に入城したが、通春との戦闘中に戦死した、本書の細川方の湯築城入城者。
  • 龍崗真圭 第18代相国寺鹿苑院僧録。西暦1,466年10月30日、室町幕府の意を受けて大内政弘に通春支援を止める様説得した人物、本書の幕府外交工作の担当者。
  • 宇都宮安綱 西暦1,462年6月、細川成之の渡海に合わせて南予から北上し、通春を挟撃した人物、本書の南予方面の細川方協力者。
  • 小早川盛景・重見通実・森山氏・竹原盛景・益田兼堯・吉川三郎・周布次郎 西暦1,451年7月、河野教通を支援し通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取した7名・氏族。小早川・重見・森山・竹原は連携して通春方抵抗勢力を制圧、益田は吉田で、吉川・周布は鐘挊尾・味酒にて戦功を挙げた、本書の教通方初動作戦の主要兵力。
  • 毛利豊元 西暦1,465年10月17日、細川勝元から通春征伐の支援を求められた人物。同月29日には、味方の土佐国守護代新開遠江守等の戦死と伊予国への出兵・援軍派遣の要請を受けた、本書の細川方援軍要請の対象。
  • 赤松政則 西暦1,467年9月8日、大物浦にて細川勝元と共に大内政弘・通春率いる瀬戸内水軍の上陸を阻止しようとしたが撃破された人物、本書の大物浦の戦いの敗者。
  • 南宮内少輔・得能三郎 西暦1,465年7月、大内教弘に呼応した通春方として、禅城寺(義安寺)にて自害した2名、本書の通春陣営の殉難者。

主要な地名・拠点

  • 伊予国 現在の愛媛県。通春が第11代・第13代・第18代室町幕府伊予国守護として三度就任した国。1,441年以降、河野家宗家教通と予州家通春の抗争、細川氏の介入、大内氏の支援を巡る長期に亙る戦場となった、本書の主舞台。
  • 湯築城 現在の愛媛県松山市道後公園。西暦1,462年6月、細川成之軍の進軍により通春が一旦放棄した城。1,465年9月には細川勝元の圧迫により通春が追われ、土佐国守護代新開遠江守が入城した、本書の河野家主城。
  • 港山城 現在の愛媛県松山市港山。西暦1,462年に湯築城から退却した通春が拠り、1,465年以降は籠城して細川勢と対峙した城。1,482年8月28日、通春が病没した終焉の地、本書の通春の晩年の居城。
  • 高縄山・忽那諸島・来島 現在の愛媛県松山市猿川、愛媛県今治市来島小島等。西暦1,462年6月、細川成之軍の進軍を受け、通春が湯築城を放棄して港山城と共に退却した山間部・島嶼部、本書の通春退避の四拠点。
  • 桜三里 現在の愛媛県東温市河之内周辺。西暦1,462年11月、河野教通率いる軍が細川成之の軍勢に合流し通春への包囲網を敷いた地、本書の教通細川連合の合流点。
  • 興居島 現在の愛媛県松山市。西暦1,465年7月、大内教弘が布陣して港山城を牽制していた島。同年9月23日、大内教弘が病没した地、本書の大内教弘最期の地。
  • 神途城 現在の愛媛県松山市猿川。西暦1,479年、細川義春の阿波国からの侵攻時に河野通生が籠城して指揮を取り、浅海氏等が馳せ参じた城、本書の最後の籠城戦の舞台。
  • 森山城 現在の愛媛県伊予市大平。西暦1,452年11月、通春方の森山氏が挙兵し、室町幕府が吉川経信に征伐を命じた城、本書の通春呼応勢力の拠点。
  • 禅城寺(義安寺) 現在の愛媛県松山市道後姫塚。西暦1,465年7月、大内教弘に呼応した通春方の南宮内少輔・得能三郎が自害した寺院、本書の通春陣営殉難の地。
  • 浄寂寺・善応寺・観念寺 現在の愛媛県今治市五十嵐・西条市上市等。浄寂寺は1,452年11月20日に通春が諸給人の干渉及び段銭等の課役を停止した寺、善応寺は1,465年3月13日に通春と河野通生が土居家分地頭職を寄進した寺、観念寺は1,465年5月25日に細川賢氏が禁制を掲げた寺、本書の通春期の宗教拠点群。
  • 大物浦 現在の兵庫県尼崎市西本町・立花町付近(難波・水堂)。西暦1,467年9月8日、大内政弘率いる瀬戸内水軍が細川勝元・赤松政則の軍と交戦し撃破した地。此の戦闘により通春等は戦功を挙げた、本書の応仁の乱海戦の決戦地。
  • 兵庫津・尼崎 現在の兵庫県神戸市兵庫区・尼崎市。西暦1,467年8月19日、大内政弘率いる軍が20,000~30,000名で入った兵庫津と、同年9月8日の大物浦の戦いの後に焼き払われた尼崎、本書の応仁の乱上洛ルートの要衝。
  • 東寺・梶井門跡 現在の京都府京都市。西暦1,467年9月、大内政弘率いる軍が上洛して布陣した東寺、後に移った梶井門跡(現在の京都府京都市北区紫野下築山町付近、後に焼失)。1,468年1月17日に通春が摂津国進発に当たり祈祷を依頼し、同年6月8日には温泉郡味酒郷内上方地頭職を安堵した、本書の応仁の乱西軍本陣。
  • 温泉郡味酒郷・三島神社 現在の愛媛県松山市味酒町等。味酒郷は1,468年6月8日に通春が東寺に上方地頭職を安堵した地、三島神社は1,478年1月15日に通春が禁制を掲げた社、本書の通春の伊予国内寄進・安堵の舞台。
  • 土佐国・阿波国 現在の高知県・徳島県。土佐国は1,456年以降細川勝元が伊予国と兼任した国で、1,465年7月には一方守護代細川持益が通春に降伏した地。阿波国は1,479年、細川義春が伊予国へ侵攻した発進地であり、村上氏・忽那氏の水軍により退路を断たれた細川が潰走した地、本書の四国勢力圏の外縁。
  • 山口・周防国・長門国 現在の山口県。西暦1,467年6月11日、大内政弘が通春・陶弘房等と共に周防国・長門国を始めとする8ヶ国の数万の兵を率い、山口を出発して瀬戸内海を東上した、本書の応仁の乱西軍出発地。
  • 和気郡 現在の愛媛県松山市。西暦1,478年11月20日、通春と河野通秋が交戦した地。通春は大内政弘に支援を求め、大内は呉・能美・蒲刈(現在の広島県呉市・江田島市)に援軍を送らせた、本書の予州家内紛の戦場。

主要な事件・出来事

  • 河野通春の生誕 西暦1,421年、河野通元の嫡男として河野通春が生誕した、本書の発端。
  • 河野教通の征伐開始 西暦1,441年8月14日、河野教通が室町幕府の命を受けて、嘉吉の乱での赤松家征伐に於いて遅参した事を理由に、予州家当主通春の征伐を開始した、本書の河野家両系抗争の開幕。
  • 第11代室町幕府伊予国守護就任 西暦1,449年2月、通春が細川勝元の支援を受け、第11代室町幕府伊予国守護に就任した、本書の通春最初の守護補任。
  • 河野教通方による城郭20ヶ所余の奪取 西暦1,451年7月、河野教通が小早川盛景・重見通実・森山氏・竹原盛景・益田兼堯・吉川三郎・周布次郎の支援により、通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取した、本書の教通方反攻の最大成果。
  • 細川勝元独断による第13代伊予国守護改補 西暦1,453年6月、細川勝元が足利義政の意向を聞かず、通春を第13代室町幕府伊予国守護として改補した。其の後通春は京都から伊予国へ帰国し、村上吉資が援助した。細川は此れを巡り管領職を辞任しようとしたが、足利の慰留により思い留まった、本書の細川勝元の独断による通春復帰。
  • 伊予国守護罷免と細川勝元の第14代就任 西暦1,456年2月5日、室町幕府が通春の伊予国守護職を罷免し、細川勝元を第14代室町幕府伊予国守護に任命した。此れにより細川は土佐国守護職との兼任となり、又、予州家が河野氏宗家に対して優勢となった、本書の通春失脚と細川直接支配の始点。
  • 細川成之軍の征伐と湯築城退却 西暦1,462年6月、細川成之率いる軍が通春征伐の為渡海して東予から進軍し、同時に南予の宇都宮安綱も北上した。圧倒的な兵力差を前に、通春は一旦湯築城を捨て、高縄山・港山城・忽那諸島・来島等の山間部や島嶼部に退却した。同年11月、教通軍が桜三里付近で細川軍に合流した後、通春は海賊衆に細川軍の補給路を断たせ難を逃れた、本書の通春最大の危機。
  • 大内教弘の支援転向と興居島での病没 西暦1,464年12月11日に通春征伐を命じられた大内教弘が、1,465年7月、伊予国へ向かう途上病に罹り板坂三位の治療を受けた後、興居島に布陣していたが突如通春を支援した。同年9月23日、興居島にて病没し、大内政弘が家督を継ぎ父と同様に通春を支援した、本書の通春陣営への最大の戦力転向。
  • 応仁の乱西軍参戦と山口出発 西暦1,467年6月11日、大内政弘が周防国・長門国を始めとする8ヶ国の数万の兵を率い、通春・陶弘房と共に山口を出発した。海路で野上・柳井・屋代島・室津を経由して瀬戸内海を東上、同年8月19日には20,000~30,000名で播磨国兵庫津に入り、此の内2,000~3,000名は通春が率いていた、本書の通春応仁期上洛作戦。
  • 大物浦の戦い 西暦1,467年9月8日、大内政弘が河野水軍・村上水軍・三島水軍等の瀬戸内水軍を率い、大物浦の難波・水堂にて、上陸を阻止しようとする細川勝元・赤松政則の軍と交戦し撃破した。此の戦闘により通春等は戦功を挙げた。其の後大内軍は尼崎を焼き払い、10,000名の兵と2,000隻の船団と共に上洛し東寺に布陣、後に梶井門跡を本陣とした、本書の応仁の乱海戦の決戦。
  • 河野教通の第17代伊予国守護就任 西暦1,473年12月11日、河野教通が足利義政から伊予国守護職の補任状を受け取り、第17代室町幕府伊予国守護に就任した、本書の応仁期中盤の教通復権。
  • 東軍帰順と第18代室町幕府伊予国守護就任 西暦1,477年5月31日、通春が東軍に内通していた大内政弘の仲介によって東軍に下り、足利義尚の安堵を取り付けた。同年12月、通春は陣所を引き払って伊予国へ帰国し、第18代室町幕府伊予国守護に任じられた、本書の通春の最後の伊予国守護復帰。
  • 河野通秋との和気郡交戦 西暦1,478年11月20日、通春と河野通秋が和気郡にて交戦した。通春は大内政弘に支援を求め、大内は呉・能美・蒲刈に援軍を送らせた、本書の予州家内紛の激化。
  • 細川義春侵攻と河野教通との一時和睦 西暦1,479年、細川成之の弐男細川義春率いる軍が阿波国から伊予国に侵攻し、此れを受けて通春と教通は一時和睦した。河野通生は神途城に籠城して指揮を取り浅海氏等が馳せ参じ、村上氏・忽那氏等の水軍が細川軍の補給路・退路を断ち、細川は諸城攻略を果たせない儘阿波国へ潰走した。其の後、通春と教通は再び争う事となった、本書の河野家両系最後の和睦。
  • 河野通春の死去 西暦1,482年8月28日、河野通春が居城の港山城にて病没した、本書の終結点。

予州家通春の生誕・嘉吉の乱遅参を理由とする教通の征伐・第11代伊予国守護補任・教通方による城郭20ヶ所余奪取・細川勝元独断による第13代改補・守護罷免・細川成之軍の征伐と湯築城退却・大内教弘政弘父子の支援転向・応仁の乱西軍参戦・大物浦の戦い・第18代伊予国守護復帰・和気郡交戦・細川義春侵攻と教通との一時和睦・港山城病没──
室町期伊予国の61年を一冊に。

JPY 200(税込)

購入する

AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。