電子書籍「壬生家と大宮家による官務の奪い合い・官文庫修繕・領地を巡る相論一元化」の表紙

壬生家と大宮家による
官務の奪い合い・官文庫修繕・
領地を巡る相論一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,431年〜1,467年6月14日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
8ページ
最新更新日
西暦2,026年8月12日

壬生家による官務独占・大宮長興の幕府訴訟・四度に亙る官務の奪い合い・大宮家文庫造営の申し入れ・畠山持国への管理委託・尾張国からの段銭500貫文・領地相論の証文提出・飯尾貞有の余酔欠席・壬生方勝訴の裁許・御判奉行伊勢貞藤への直接下達・広慶院と日野富子の口添え──
官務職を巡る公家二家の36年を一本の時系列に貫く。

JPY 200(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,431年、大宮長興が左大史に任命された。然し、官務の地位は壬生家が握っており、大宮は任命されなかった。本書は、此の一事を起点として、西暦1,467年6月14日に足利義政の御判御教書が発給されるまでの約36年間——朝廷の実務を担う官務の座と、公文書庫たる官文庫の修繕費、そして領地を巡って、壬生家と大宮家が争い続けた歳月——を、年月日単位で一元化した記録である。合戦ではなく、任命と訴訟と証文によって行われた、公家二家の抗争の全過程が此処に並ぶ。

西暦1,435年、壬生晨照が左大史に任命され、加えて官務にも任ぜられた。之に対し西暦1,445年3月頃、大宮長興が官務に任命される。室町幕府に訴えた結果であった。然し同年12月頃、壬生晨照が官務に任命され、大宮長興から地位を奪い返す。大宮は近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗しようとした。そして西暦1,449年11月頃、大宮長興が官務に任命され、壬生晨照から地位を奪還する。任命は、そのまま勝敗を刻む記録となっていた。

官務の座を得た大宮長興は、次に文庫へ手を伸ばす。西暦1,450年1月13日、大宮長興は大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴えた。同年6月30日、長興は次の主旨の発言をしている——私の文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として、昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有った。其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出され、播磨国と丹波国に就いては守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有り、播磨国の費用として本日100疋が届いた。之を担当するのは飯尾之種と飯尾之清の両名である。今回は初回なので、先ず130貫文が私の所に直接送られる事となり、本日到着した。之は喜ばしい事だ、と。

同年9月14日の時点では、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。此処で大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねている。修繕という一点に於いてすら、両家は並び立っていた。然し、使者は尾張国へまだ下向していなかった。同年11月25日、官文庫の修繕費用として、段銭500貫文が尾張国から届けられる。西暦1,465年、壬生晨照が官務に就任し、大宮長興から地位を奪い返した。四度目の交代である。

そして西暦1,467年6月4日、争いの場は領地の相論へ移る。訴人壬生晨照(担当奉行は諏訪忠郷)と論人大宮長興(担当奉行は飯尾貞有)が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出した。翌5日、前日に諏訪忠郷が提出した証文に理が有ると考えた飯尾貞有は、余酔と称して花の御所での証文提出を欠席する。自らが担当する側の分の悪さを見て取っての事であった。8日、飯尾貞有は足利義政に大宮長興の証文を提出した。然し足利は飯尾の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。

10日、2日前の裁許により、足利義政による御判御教書の発給が決定される。此の当時、斯波義廉が西軍に属していた為、御判御教書の発給に難渋し、前年から発給されていなかった。そこで管領を介さず、御判奉行伊勢貞藤に直接下される事となる。14日、足利義政による御判御教書が発給された。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野が諏訪忠郷に言い付けての事であった。応仁の乱が始まったその年、公家二家の36年に及ぶ争いは、大御台所の一言によって決着を見る。本書は、此の日を以て筆を擱く。


主要登場人物

  • 壬生晨照 本書の中心人物の一人。西暦1,435年に左大史に任命され、加えて官務に任ぜられた。西暦1,445年12月頃に大宮長興から官務の地位を奪い返し、西暦1,449年11月頃に奪還されるも、西暦1,465年に再び官務へ就任している。西暦1,450年には大宮長興と並んで官文庫修繕を申し出た。西暦1,467年6月の領地相論では訴人として証文を提出し、同月8日、支証に分が有るとして足利義政から勝訴の裁許を得た。
  • 大宮長興 本書のもう一人の中心人物。西暦1,431年に左大史に任命されたが、官務の地位は壬生家が握っており任命されなかった。西暦1,445年3月頃、室町幕府に訴えた結果として官務に任命されるが、同年12月頃に壬生晨照へ奪い返される。以後は近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗し、西暦1,449年11月頃に官務を奪還した。西暦1,450年1月13日には大宮家の文庫造営を朝廷に申し入れている。西暦1,465年に再び官務を失い、西暦1,467年6月の領地相論では論人として敗訴した。
  • 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。西暦1,450年9月14日、官文庫の修繕費用の管理を自ら畠山持国に委ねた。西暦1,467年6月8日には、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして壬生方の勝訴の裁許を下し、同月14日に御判御教書を発給した。
  • 日野富子 西暦1,467年6月14日、広慶院から口添えを依頼され、諏訪忠郷に言い付けて御判御教書の発給に至らせた。前年から難渋していた発給を動かした人物。
  • 畠山持国 第17代管領。西暦1,450年、文庫の修繕や宿所の整備の費用の管理を委ねられた。同年6月30日の大宮長興の発言では、其の管理を委ねる旨の御教書が出された事が語られ、同年9月14日には足利義政自身が改めて管理を委ねている。
  • 斯波義廉 西暦1,467年6月10日の時点で西軍に属していた為、御判御教書の発給が難渋し、前年から発給されていなかった。之により、発給は管領を介さず御判奉行へ直接下される事となった。
  • 伊勢貞藤 御判奉行。西暦1,467年6月10日、斯波義廉が西軍に属していた事で御判御教書の発給が難渋していた為、管領を介さず直接下される事となった。
  • 諏訪忠郷 西暦1,467年6月の領地相論に於ける訴人壬生晨照の担当奉行。同月4日に証文を提出し、其の証文に理が有ると見た論人方の飯尾貞有を翌日の欠席へ追い込んだ。同月14日には日野富子から言い付けられ、御判御教書の発給に関わっている。
  • 飯尾貞有 西暦1,467年6月の領地相論に於ける論人大宮長興の担当奉行。同月4日に証文等を提出したが、翌5日、前日に諏訪忠郷が提出した証文に理が有ると考え、余酔と称して花の御所での証文提出を欠席した。同月8日に大宮長興の証文を提出したものの、足利義政は其の対応を不快とし、壬生方の勝訴の裁許を下した。
  • 飯尾之種・飯尾之清 西暦1,450年6月30日の大宮長興の発言に現れる両名。播磨国から届いた100疋を担当するとされた。
  • 広慶院 西暦1,467年6月14日、日野富子に口添えを依頼し、足利義政による御判御教書の発給を実現させた。
  • 近衛家・一条家 西暦1,445年12月頃、壬生晨照に官務の地位を奪い返された大宮長興が、家司として仕えた両家。大宮は之により室町幕府との関係を維持し、壬生家に対抗しようとした。

官務と官文庫を巡る出来事の系譜

  • 大宮長興の左大史任命と壬生家の官務独占 西暦1,431年、大宮長興が左大史に任命される。然し官務の地位は壬生家が握っており、大宮は任命されなかった。本書の起点。
  • 壬生晨照の左大史任命と官務補任 西暦1,435年、壬生晨照が左大史に任命され、加えて官務にも任ぜられた。
  • 大宮長興の官務初任命 西暦1,445年3月頃、大宮長興が官務に任命される。室町幕府に訴えた結果であった。
  • 壬生晨照の官務奪還と大宮長興の家司仕官 西暦1,445年12月頃、壬生晨照が官務に任命され、大宮長興から地位を奪い返した。大宮は近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗しようとした。
  • 大宮長興の官務奪還 西暦1,449年11月頃、大宮長興が官務に任命され、壬生晨照から地位を奪還した。
  • 大宮家文庫造営の申し入れ 西暦1,450年1月13日、大宮長興が大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴えた。
  • 畠山持国への管理委託と播磨国からの到着 西暦1,450年6月30日、大宮長興が、文庫の修繕や宿所の整備の費用として昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有り、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出された事を語った。播磨国と丹波国に就いては守護職が請け負う事とされ、播磨国の費用として100疋が届き、飯尾之種・飯尾之清の両名が担当。初回として130貫文が直接送られ、同日到着した。
  • 諸国の段銭による徴収の予定 西暦1,450年9月14日の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し使者は尾張国へまだ下向していなかった。
  • 尾張国からの段銭500貫文 西暦1,450年11月25日、官文庫の修繕費用として、段銭500貫文が尾張国から届けられた。
  • 壬生晨照の官務再奪還 西暦1,465年、壬生晨照が官務に就任し、大宮長興から地位を奪い返した。本書に記される四度目の交代。
  • 領地相論の証文提出 西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人壬生晨照(担当奉行は諏訪忠郷)と論人大宮長興(担当奉行は飯尾貞有)が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出した。
  • 飯尾貞有の余酔と称した欠席 西暦1,467年6月5日、前日に諏訪忠郷が提出した証文に理が有ると考えた飯尾貞有が、余酔と称し、花の御所での証文提出を欠席した。
  • 壬生方勝訴の裁許 西暦1,467年6月8日、飯尾貞有が足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利は飯尾の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。
  • 御判奉行伊勢貞藤への直接下達 西暦1,467年6月10日、2日前の裁許により御判御教書の発給が決定される。此の当時、斯波義廉が西軍に属していた為に発給は難渋し、前年から発給されていなかった。之により、管領を介さず御判奉行伊勢貞藤に直接下される事となった。
  • 御判御教書の発給 西暦1,467年6月14日、足利義政による御判御教書が発給された。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野が諏訪忠郷に言い付けての事であった。本書の終着点。

左大史の任命から官文庫の段銭へ、そして花の御所の相論へ──
壬生家と大宮家が争った36年を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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