壬生家と大宮家による
官務の奪い合い・
官文庫修繕・
領地を巡る相論一元化
官務の奪い合いから、領地の相論へ──
御判御教書の発給に至る迄を一元化。
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本書について
西暦1,431年、大宮長興が左大史に任命される。然し、官務の地位は壬生家が握り、大宮長興は任命されなかった。本書は、此の左大史の任命から、壬生晨照と大宮長興による官務の奪い合い、官文庫の修繕、領地を巡る相論を経て、西暦1,467年6月14日に足利義政による御判御教書が発給される迄を一元化した記録である。
西暦1,435年、壬生晨照が左大史に任命される。加えて、官務に任ぜられた。西暦1,445年3月頃、大宮長興が官務に任命される。室町幕府に訴えた結果であった。12月頃、壬生晨照が官務に任命される。大宮長興から官務の地位を奪い返した。大宮長興は、近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗しようとした。西暦1,449年11月頃、大宮長興が官務に任命される。壬生晨照から官務の地位を奪還した。
西暦1,450年1月13日、大宮長興が、大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴える。6月30日、大宮長興が、「私の文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として、昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有った。そして、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出された。播磨国と丹波国に就いては、守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有り、播磨国の費用として本日100疋が届いた。此れを担当するのは飯尾之種と飯尾之清の両名である。今回は初回なので、先ず130貫文が私の所に直接送られる事となり、本日到着した。此れは喜ばしい事だ」という主旨の発言をする。
9月14日の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し、使者が尾張国へまだ下向していなかった。11月25日、官文庫の修繕費用として、段銭500貫文が尾張国から届けられる。西暦1,465年、壬生晨照が官務に就任し、大宮長興から官務の地位を奪い返す。
西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。6月5日、前日の諏訪忠郷の提出した証文に理が有ると考えた飯尾貞有が、余酔と称し、花の御所での証文提出を欠席する。6月8日、飯尾貞有が、足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利義政は、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。
6月10日、2日前の裁許により、足利義政による御判御教書の発給が決定される。此の当時、斯波義廉が西軍に属していた為、御判御教書の発給が難渋し、前年から発給されていなかった。管領を介さず、御判奉行伊勢貞藤に直接下される事となった。6月14日、足利義政による御判御教書が発給される。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野富子が諏方忠郷に言い付け、発給に至った。大宮長興の左大史任命から、官務の奪い合い、官文庫の修繕、領地を巡る相論を経て、御判御教書の発給に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 壬生晨照 西暦1,435年、壬生晨照が左大史に任命される。加えて、官務に任ぜられた。西暦1,445年3月頃、大宮長興が官務に任命される。12月頃、壬生晨照が官務に任命される。大宮長興から官務の地位を奪い返した。西暦1,449年11月頃、大宮長興が官務に任命される。壬生晨照から官務の地位を奪還した。西暦1,450年9月14日の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し、使者が尾張国へまだ下向していなかった。西暦1,465年、壬生晨照が官務に就任し、大宮長興から官務の地位を奪い返す。西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。6月8日、飯尾貞有が、足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利義政は、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。
- 大宮長興 西暦1,431年、大宮長興が左大史に任命される。然し、官務の地位は壬生家が握り、大宮長興は任命されなかった。西暦1,445年3月頃、大宮長興が官務に任命される。室町幕府に訴えた結果であった。12月頃、壬生晨照が官務に任命される。大宮長興から官務の地位を奪い返した。大宮長興は、近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗しようとした。西暦1,449年11月頃、大宮長興が官務に任命される。壬生晨照から官務の地位を奪還した。西暦1,450年1月13日、大宮長興が、大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴える。6月30日、大宮長興が、「私の文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として、昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有った。そして、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出された。播磨国と丹波国に就いては、守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有り、播磨国の費用として本日100疋が届いた。此れを担当するのは飯尾之種と飯尾之清の両名である。今回は初回なので、先ず130貫文が私の所に直接送られる事となり、本日到着した。此れは喜ばしい事だ」という主旨の発言をする。9月14日の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し、使者が尾張国へまだ下向していなかった。西暦1,465年、壬生晨照が官務に就任し、大宮長興から官務の地位を奪い返す。西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。6月8日、飯尾貞有が、足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利義政は、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。
- 足利義政 西暦1,450年9月14日の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し、使者が尾張国へまだ下向していなかった。西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。6月8日、飯尾貞有が、足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利義政は、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。6月10日、2日前の裁許により、足利義政による御判御教書の発給が決定される。6月14日、足利義政による御判御教書が発給される。
- 日野富子 西暦1,467年6月14日、足利義政による御判御教書が発給される。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野富子が諏方忠郷に言い付け、発給に至った。
- 畠山持国 西暦1,450年6月30日、大宮長興が、自身の文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として、昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有り、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出されたという主旨の発言をする。9月14日の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し、使者が尾張国へまだ下向していなかった。
- 斯波義廉 西暦1,467年6月10日、2日前の裁許により、足利義政による御判御教書の発給が決定される。此の当時、斯波義廉が西軍に属していた為、御判御教書の発給が難渋し、前年から発給されていなかった。管領を介さず、御判奉行伊勢貞藤に直接下される事となった。
- 伊勢貞藤 御判奉行。西暦1,467年6月10日、2日前の裁許により、足利義政による御判御教書の発給が決定される。此の当時、斯波義廉が西軍に属していた為、御判御教書の発給が難渋し、前年から発給されていなかった。管領を介さず、御判奉行伊勢貞藤に直接下される事となった。
- 諏訪忠郷 西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。6月5日、前日の諏訪忠郷の提出した証文に理が有ると考えた飯尾貞有が、余酔と称し、花の御所での証文提出を欠席する。6月14日、足利義政による御判御教書が発給される。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野富子が諏方忠郷に言い付け、発給に至った。
- 飯尾貞有 西暦1,467年6月4日、領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。6月5日、前日の諏訪忠郷の提出した証文に理が有ると考えた飯尾貞有が、余酔と称し、花の御所での証文提出を欠席する。6月8日、飯尾貞有が、足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利義政は、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。
- 飯尾之種・飯尾之清 西暦1,450年6月30日、大宮長興が、播磨国と丹波国に就いては、守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有り、播磨国の費用として此の日100疋が届き、此れを担当するのは飯尾之種と飯尾之清の両名であるという主旨の発言をする。
- 広慶院 西暦1,467年6月14日、足利義政による御判御教書が発給される。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野富子が諏方忠郷に言い付け、発給に至った。
- 近衛家・一条家 西暦1,445年12月頃、壬生晨照が官務に任命される。大宮長興から官務の地位を奪い返した。大宮長興は、近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗しようとした。
本書が記録する出来事
- 大宮長興の左大史任命(1,431年) 大宮長興が左大史に任命される。然し、官務の地位は壬生家が握り、大宮長興は任命されなかった。
- 壬生晨照の左大史任命(1,435年) 壬生晨照が左大史に任命される。加えて、官務に任ぜられた。
- 大宮長興の官務任命(1,445年3月頃) 大宮長興が官務に任命される。室町幕府に訴えた結果であった。
- 壬生晨照の官務任命(1,445年12月頃) 壬生晨照が官務に任命される。大宮長興から官務の地位を奪い返した。大宮長興は、近衛家・一条家に家司として仕え、室町幕府との関係を維持する事で壬生家に対抗しようとした。
- 大宮長興の官務任命(1,449年11月頃) 大宮長興が官務に任命される。壬生晨照から官務の地位を奪還した。
- 大宮家の文庫造営の申し入れ(1,450年1月13日) 大宮長興が、大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴える。
- 大宮長興の発言(1,450年6月30日) 大宮長興が、「私の文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として、昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有った。そして、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出された。播磨国と丹波国に就いては、守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有り、播磨国の費用として本日100疋が届いた。此れを担当するのは飯尾之種と飯尾之清の両名である。今回は初回なので、先ず130貫文が私の所に直接送られる事となり、本日到着した。此れは喜ばしい事だ」という主旨の発言をする。
- 文庫の修理等の費用の徴収の予定(1,450年9月14日) 此の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。然し、使者が尾張国へまだ下向していなかった。
- 尾張国からの段銭の到着(1,450年11月25日) 官文庫の修繕費用として、段銭500貫文が尾張国から届けられる。
- 壬生晨照の官務就任(1,465年) 壬生晨照が官務に就任し、大宮長興から官務の地位を奪い返す。
- 証文等の提出(1,467年6月4日) 領地を巡って相論を起こしていた訴人の壬生晨照(担当奉行:諏訪忠郷)と論人の大宮長興(担当奉行:飯尾貞有)の2名が、担当奉行を通じて足利義政に証文等を提出する。
- 飯尾貞有の欠席(1,467年6月5日) 前日の諏訪忠郷の提出した証文に理が有ると考えた飯尾貞有が、余酔と称し、花の御所での証文提出を欠席する。
- 飯尾貞有による大宮長興の証文の提出(1,467年6月8日) 飯尾貞有が、足利義政に大宮長興の証文を提出する。然し足利義政は、飯尾貞有の対応を不快とし、壬生晨照の支証に分が有るとして、壬生方の勝訴の裁許を下した。
- 御判御教書の発給の決定(1,467年6月10日) 2日前の裁許により、足利義政による御判御教書の発給が決定される。此の当時、斯波義廉が西軍に属していた為、御判御教書の発給が難渋し、前年から発給されていなかった。管領を介さず、御判奉行伊勢貞藤に直接下される事となった。
- 御判御教書の発給(1,467年6月14日) 足利義政による御判御教書が発給される。広慶院が日野富子に口添えを依頼し、日野富子が諏方忠郷に言い付け、発給に至った。本書の年表の最後の項目である。
左大史の任命から、壬生方の勝訴へ──
官務・官文庫・相論の全過程を一元化。
127円(税込)
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