電子書籍「明応の政変一元化」の表紙

明応の政変一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,490年5月16日〜1,493年6月15日
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,026年1月28日

日野富子と細川政元の内談・足利義澄擁立の噂・畠山義就死去・細川政元と畠山義豊使者の接触・足利義稙の畠山義豊征伐出陣・善法律寺布陣・大和国国人衆の挙兵・正覚寺城布陣・高屋城包囲・細川政元の遊初軒挙兵・三宝院破壊・諸将の寝返り・廿山城落城・大和国国人衆の自焼没落・藤井寺の戦・正覚寺城総攻撃・畠山政長切腹・遊佐長直討死・畠山尚順の紀伊国脱出・足利義稙降伏・葉室光忠処刑・古い板輿による足利義稙の龍安寺幽閉──
現職の征夷大将軍が管領に廃された日本史上初の異常事態を告げた3年1箇月を一本の時系列に貫く。

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本書について

西暦1490年5月16日、日野富子が小川殿を足利義稙の従兄弟の足利義澄に与える事を決定し、細川政元との内談で義澄を征夷大将軍に擁立しようとしているという噂が立った日から、西暦1493年6月15日、上原元秀が足利義稙を伴い京都へ帰還し、義稙が古い板輿に乗せられ近臣6名のみを許され多数の見物人の居る中で龍安寺に幽閉された日まで。本書は、現職の第10代室町幕府征夷大将軍足利義稙が、自身が任じた管領細川政元の手によって河内国の陣中から将軍位を追われ、足利義澄に置き換えられるという、室町幕府の権威が音を立てて崩れた約3年1箇月——明応の政変——を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。征夷大将軍が出陣中の陣中で更迭され、後継将軍が御所で還俗して即位し、忠臣たる畠山政長が自身の城で切腹し、其の嫡男尚順が虎口を脱出して紀伊国で再挙を図り、降伏した将軍が古い板輿で見物人の前を通って寺に幽閉されるまでの、密度の高い3年1箇月を一冊に束ねます。日本史上初の現職将軍廃立事件にして、戦国時代の幕開けと評される政変の全貌を浮き彫りにします。

西暦1490年5月16日、日野富子が小川殿を足利義澄に与える事を決定し細川政元との内談による義澄擁立の噂が立った事に始まり、1491年1月21日に畠山義就が死去すると、宿敵を失った畠山政長は河内国奪回の機会と捉えました。1492年2月25日、細川政元が畠山義豊の使者と接触し政変への布石を打つ中、1493年2月、畠山政長は足利義稙に畠山義豊征伐を依頼。同年3月3日、義稙は畠山義豊配下の越智家栄・古市澄胤の寺社本所領侵略を理由に出陣し、八幡善法律寺に布陣しました。細川政元は義豊が義就と異なり室町幕府に表立って敵対していないとして反対し出陣せず、伊勢貞宗も反対に回りましたが、出陣前の祝宴では義稙を饗応するという二面性を見せました。同日筒井は郡山城を落城させ、成身院順盛は福住から筒井党を率いて挙兵、十市遠清は矢田から長安寺に進軍し矢木市を焼き払いました。3月12日に義稙率いる軍は正覚寺城に布陣、4月1日には野崎城・犬田城を征圧、4月6日には細川政元の密使が越智家栄を訪れクーデター計画を伝達しました。4月12日には誉田城・道明寺が焼け畠山義豊は高屋城に引籠り、4月15日に義稙率いる軍が高屋城を包囲・攻撃を開始しました。

西暦1493年5月7日夜、細川政元は遊初軒に足利義澄を迎え入れて保護した上で挙兵し、義澄を征夷大将軍として擁立する事と畠山政長の河内国守護職罷免を発表しました。翌5月8日、細川軍は義稙の屋敷や寺院を襲撃し三宝院・曇花院・慈照寺等を破壊、日野富子も細川支持を表明、義稙に付いていた諸将は伊勢貞宗の密書により義澄に従う様指示されました。5月10日に斯波義寛・武田元信・細川尚春が、5月13日には赤松政則・細川義春が細川方に転じ、同日足利義澄は還俗しました。5月16日、細川政元は細川元治・上原元秀・安富元家を河内国に派遣し義稙・政長征伐に向かわせます。5月21日、廿山城が落城、大和国の畠山政長方の筒井氏は筒井城を、十市氏は十市城を、箸尾氏は箸尾城をそれぞれ自焼して没落しました。同日から2日間の藤井寺の戦闘で上原元秀・安富元家は畠山尚順を破り、尚順は正覚寺城に退却しました。6月3日に根来寺衆を率いる斎藤氏が正覚寺城に到着、6月5日には赤松政則が堺付近で根来寺衆を破り、6月6日に畠山義豊・赤松政則率いる40,000名が正覚寺城を包囲。6月8日夕方の総攻撃を経て6月9日に正覚寺城は落城、畠山政長は嫡男尚順を紀伊国へ逃した上で切腹、遊佐長直は討死、足利義稙と葉室光忠は捕縛され上原元秀に降伏しました。6月13日に葉室光忠は処刑され、6月15日に義稙は古い板輿に乗せられ近臣6名のみを許され多数の見物人の中で龍安寺に幽閉されました。現職の征夷大将軍が自身が任じた管領に陣中で廃され、自身の側近と共に板輿で見物に晒される瞬間の全貌を一冊に束ねた書です。


主要登場人物

  • 足利義稙 第10代室町幕府征夷大将軍。1493年3月3日に畠山義豊配下の越智家栄・古市澄胤の寺社本所領侵略を理由に畠山義豊征伐の出陣を行い、八幡善法律寺に布陣。3月12日には正覚寺城に布陣し、4月15日に高屋城包囲を開始した。5月7日夜の細川政元のクーデターで将軍位を追われ、5月8日には屋敷や寺院を襲撃された。6月9日の正覚寺城落城で葉室光忠と共に捕縛され上原元秀に降伏、6月15日に古い板輿に乗せられ近臣6名のみを許され多数の見物人の中で龍安寺に幽閉された、本書の陣中で更迭された現職将軍。
  • 足利義澄 足利義稙の従兄弟。1490年5月16日に日野富子から小川殿を与えられ、細川政元との内談による征夷大将軍擁立の噂が立った。1493年5月7日夜に細川政元によって遊初軒に迎え入れられ保護され、5月13日に還俗した、本書のクーデターで担がれた新将軍。
  • 細川政元 室町幕府管領。1492年2月25日に畠山義豊の使者と接触し政変への布石を打った。1493年3月3日の足利義稙の出陣に反対するも祝宴では義稙を饗応する二面性を見せ、4月6日には密使を越智家栄に送りクーデター計画を伝達した。5月7日夜、遊初軒に足利義澄を迎え入れて保護した上で挙兵、義澄を征夷大将軍に擁立し畠山政長の河内国守護職を罷免。5月8日には義稙の屋敷や寺院を襲撃させ三宝院・曇花院・慈照寺等を破壊、5月16日に細川元治・上原元秀・安富元家を河内国に派遣して義稙・政長征伐に向かわせた、本書のクーデターの首謀者にして勝者。
  • 日野富子 1490年5月16日に小川殿を足利義稙の従兄弟の足利義澄に与える事を決定し、細川政元との内談による義澄擁立の噂を生じさせた。1493年5月8日の細川政元のクーデターでは細川支持を表明し、伊勢貞宗の密書と共に諸将を義澄方に引き寄せた、本書の影の擁立者にして政変の起点を成した存在。
  • 畠山政長 河内国守護。畠山義就と長らく対立してきた。1491年1月21日の義就死去を河内国奪回の機会と捉え、1493年2月に足利義稙に畠山義豊征伐を依頼した。3月3日の出陣で先陣として牧に布陣し、3月12日に正覚寺城に布陣。5月7日のクーデターで河内国守護職を罷免された。6月6日からの正覚寺城包囲・6月8日の総攻撃を経て6月9日の落城時、嫡男尚順を紀伊国へ逃した上で切腹し、越中衆も後に続いた、本書の主従と忠義を貫いて自害した老将。
  • 畠山尚順 畠山政長の嫡男。1493年4月16日には大田若林・野遠・野々瀬で越中国・安芸国・石見国の衆を率いた。5月21日からの2日間の藤井寺にて上原元秀・安富元家に敗れ正覚寺城に退却。6月9日の正覚寺城落城時に虎口を脱出し紀伊国で再挙を図る事となった、本書の家を継ぐ為に虎口を脱出した嫡男。
  • 畠山義豊 第17代室町幕府河内国守護。畠山政長の宿敵。1492年2月25日に細川政元と使者を介して接触した。1493年4月12日には誉田城・道明寺を焼かれ高屋城に軍勢を引き入れ、4月15日に高屋城を包囲・攻撃された。5月7日のクーデター後、6月6日には赤松政則と共に40,000名で正覚寺城を包囲、6月6日に上原元秀に河内国17ヶ所を拝領、6月8日夕方の総攻撃で6月9日に正覚寺城を落城させた、本書の劣勢から逆転勝利した宿敵。
  • 畠山義就 畠山政長の宿敵。1491年1月21日に死去した。其の死が政長による河内国奪回の動機となり、ひいては足利義稙の畠山義豊征伐出陣・細川政元のクーデターの引き金となった、本書の冒頭で世を去り全ての発端を成した人物。
  • 伊勢貞宗 室町幕府政所執事。1493年3月3日の足利義稙の出陣に反対した。5月8日のクーデターでは足利義澄に従う様記した密書を諸将に届け、義稙方諸将を義澄方へ転向させる工作を行った、本書の幕政官僚として裏で動いた要人。
  • 葉室光忠 公家。1493年3月3日の出陣で先陣を務めた義稙方の人物。6月9日の正覚寺城落城時に足利義稙と共に上原元秀に降伏し捕縛された。6月13日、上原元秀により細川政元の命で処刑された、本書で将軍と運命を共にしようとして処刑された公家。
  • 遊佐長直 畠山政長の家臣。1493年4月16日の時点で藤井寺に布陣。6月3日に根来寺衆を率いる斎藤氏が正覚寺城に到着した際の防衛にも参画した。6月9日の正覚寺城落城時に討ち取られた、本書で討死した畠山家の家臣。
  • 上原元秀 細川政元の丹波国守護代。1493年5月16日に細川元治・安富元家と共に河内国に派遣された。5月21日からの2日間の藤井寺の戦いで安富元家と共に畠山尚順を破り、6月5日には天王寺から正覚寺城西に進軍し義稙方と合戦の後、天王寺木村邊に逗留。6月9日の正覚寺城落城で足利義稙と葉室光忠を捕縛、6月13日には細川政元の命で葉室を処刑、6月15日には義稙を古い板輿に乗せ近臣6名のみを許して京都に帰還し龍安寺に幽閉した、本書のクーデター実働部隊長。
  • 安富元家 細川政元方の将。1493年5月16日に細川元治・上原元秀と共に河内国に派遣された。5月21日からの2日間の藤井寺の戦いで上原と共に畠山尚順を破った。其の指揮下にあった誉田氏は、6月3日に正覚寺城南口の構えから根来寺衆を率いる斎藤氏の下へ向かった、本書のクーデターを軍事的に支えた将。
  • 細川元治 細川政元方の将。1493年5月16日に上原元秀・安富元家と共に河内国に派遣され、足利義稙・畠山政長征伐の任に就いた、本書のクーデター実働部隊の一員。
  • 赤松政則 1493年3月3日の足利義稙の出陣に山崎布陣で従軍した義稙方の将であったが、5月13日に細川義春と共に誉田城に入って細川政元方に転じた。6月5日に堺付近で根来寺衆を破り、6月6日には畠山義豊と共に40,000名で正覚寺城を包囲、6月8日夕方の正覚寺城総攻撃を指揮した、本書で寝返って勝者側に立った武将。
  • 斯波義寛 1493年3月3日の足利義稙の出陣で後陣として薪に布陣し、4月16日には国府に布陣した義稙方の将であったが、5月10日に堺に入って武田元信・細川尚春と共に細川政元方に転じた、本書で寝返った後陣の将。
  • 武田元信 1493年3月3日の足利義稙の出陣で薪に布陣し、4月16日には八尾に布陣した義稙方の将であったが、5月10日に堺に入って斯波義寛・細川尚春と共に細川政元方に転じた、本書で寝返った将。
  • 大内政弘 1493年3月3日の足利義稙の出陣に従軍し、4月16日には丹下に布陣した義稙方の将、本書で義稙方として参陣した有力大名。
  • 越智家栄 畠山義豊配下。1493年3月3日に足利義稙の出陣の理由とされた寺社本所領侵略の張本人の一人。3月17日には十市遠清を撃退し宇陀に敗走させた。4月6日に細川政元の密使からクーデター計画を知らされて喜んだ、本書の畠山義豊方で活躍した武将。
  • 古市澄胤 畠山義豊配下。越智家栄と並んで足利義稙の出陣の理由とされた寺社本所領侵略の張本人の一人。1493年4月6日に細川政元の密使からクーデター計画を知らされて越智家栄と共に喜んだ、本書の畠山義豊方の有力武将。
  • 筒井氏 大和国国人。1493年3月3日に郡山城を落城させた義稙方の有力国人だったが、5月21日に細川方の優勢を悟って筒井城を自焼し東山内へ没落した、本書で義稙への呼応から自焼没落までを駆け抜けた大和国国人。
  • 成身院順盛 筒井の後見人。1493年3月3日に福住から筒井党を率いて挙兵し、越智・古市方の小城を次々と落城させた、本書で大和国の義稙方を支えた挙兵の主導者。
  • 十市遠清 京都に亡命していた大和国国人。1493年3月3日に足利義稙に呼応し矢田から長安寺に進軍し十市郷まで攻勢を掛け矢木市を焼き払った。3月17日に越智家栄方の反撃に遭い宇陀に敗走、5月21日には十市城を自焼して東山内へ没落した、本書で蜂起と没落の両方を経験した国人。

日野富子と細川政元の内談・足利義澄擁立の噂・畠山義就死去・細川政元と畠山義豊使者の接触・足利義稙の畠山義豊征伐出陣・善法律寺布陣・大和国国人衆の挙兵・正覚寺城布陣・高屋城包囲・細川政元の遊初軒挙兵・三宝院破壊・諸将の寝返り・廿山城落城・大和国国人衆の自焼没落・藤井寺の戦・正覚寺城総攻撃・畠山政長切腹・遊佐長直討死・畠山尚順の紀伊国脱出・足利義稙降伏・葉室光忠処刑・古い板輿による足利義稙の龍安寺幽閉──
現職の征夷大将軍が管領に廃された日本史上初の異常事態を告げた3年1箇月を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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