電子書籍「明応の政変一元化」の表紙

明応の政変一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,490年5月16日〜1,493年6月15日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
7ページ
最新更新日
西暦2,026年8月12日

日野富子と細川政元の内談・畠山義就の死去・足利義稙の畠山義豊征伐出陣・高屋城包囲・細川政元の遊初軒挙兵・三宝院の破壊・諸将の寝返り・大和国国人衆の自焼没落・正覚寺城総攻撃・畠山政長の切腹・古い板輿での龍安寺幽閉──
現職の征夷大将軍が陣中で廃された3年1ヶ月を一本の時系列に貫く。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,490年5月16日、日野富子が小川殿を足利義稙の従兄弟である足利義澄に与える事を決定した。之により、日野が細川政元と内談して義澄を征夷大将軍に擁立しようとしているという噂が立つ。本書は、此の噂を起点として、西暦1,493年6月15日に足利義稙が古い板輿に乗せられ、多数の見物人の中を運ばれて龍安寺(現在の京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町)に幽閉されるまでの約3年1ヶ月——現職の征夷大将軍が管領によって陣中で廃された、明応の政変——を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,491年1月21日、畠山義就が死去する。宿敵の死を、畠山政長は河内国奪回の機会と捉えた。一方の細川政元は、西暦1,492年2月25日に畠山義豊の使者と接触している。西暦1,493年2月頃、畠山政長は、自身と敵対する第17代室町幕府河内国守護畠山義豊の征伐を足利義稙に依頼した。

同年3月3日、足利義稙が、畠山義豊配下の越智家栄・古市澄胤が寺社本所領を侵略しているとの理由により出陣する。畠山政長が先陣として牧(現在の京都府久世郡久御山町御牧地区)に、嫡男の畠山尚順、畠山政近、斯波義寛が後陣として薪(現在の京都府京田辺市薪地区)に、赤松政則が山崎に布陣し、大内政弘・大内義興・武田元信・土岐成頼・葉室光忠・細川義春・根来寺(現在の和歌山県岩出市根来)衆も参陣した。義稙は八幡(現在の京都府)まで進軍し、善法律寺(現在の京都府八幡市八幡馬場)に布陣する。然し細川政元は、義豊が畠山義就と異なり室町幕府に表立って敵対的な行動を取っていないとして反対し、出陣しなかった。出陣前の祝宴では義稙を饗応しながら、である。伊勢貞宗も反対に回った。同日、筒井は郡山城(現在の奈良県大和郡山市城内町)を落城させ、福住から筒井党を率いて挙兵した後見人の成身院順盛は越智・古市方の小城を次々と落とし、京都に亡命していた十市遠清も矢田(現在の奈良県大和郡山市)から長安寺へ進軍して矢木市(現在の奈良県橿原市)を焼き払った。

3月12日、義稙率いる軍は正覚寺城(現在の大阪府大阪市平野区加美正覚寺)に布陣する。14日には義稙方の斎藤氏が藤井寺に打ち入り、17日頃には十市遠清が越智家栄方の反撃に遭って宇陀(現在の奈良県)へ敗走した。4月1日頃、義稙率いる軍が野崎城(現在の大阪府大東市野崎)・犬田城(現在の大阪府枚方市印田町)を征圧する。然し其の5日後、4月6日、細川政元の密使が越智家栄の下を訪れた。細川のクーデター計画を知った越智・古市澄胤は喜んだという。戦場では義稙方が勝ち続けていた。9日頃には雪宮城(現在の大阪府羽曳野市軽里付近)を落として城衆4名を殺害し、12日の合戦では畠山方の誉田城・道明寺(現在の大阪府藤井寺市)が焼け、義豊は軍勢を高屋城(現在の大阪府羽曳野市古市)へ引き入れた。15日頃、義稙率いる軍が高屋城の包囲と攻撃を開始する。16日時点の布陣は、正覚寺の義稙を中心に、行基の宮の畠山政長、大田若林・野遠・野々瀬の畠山尚順、藤井寺の遊佐長直、国府の斯波義寛、丹下の大内政弘、南庄の赤松政則、八尾の武田元信と、河内国一円に広がっていた。

そして5月7日夜、京都が動く。細川政元が遊初軒(現在の京都府京都市上京区)に足利義澄を迎え入れて保護した上で挙兵し、義澄を征夷大将軍として擁立する事と、畠山政長の河内国守護職を罷免する事の2点を発表した。翌8日、細川率いる軍は義稙の屋敷や寺院を襲撃し、三宝院・曇花院(現在の京都府京都市右京区嵯峨北堀町)・慈照寺等が破壊される。日野富子は細川支持を表明し、義稙に付いていた諸将の下には、足利義澄に従う様記した伊勢貞宗の密書が届いた。10日には斯波義寛・武田元信・細川尚春が堺に入って細川に付き、13日には足利義澄が還俗し、同日、赤松政則・細川義春も誉田城に入って細川方に転じる。16日頃、細川政元は細川元治・丹波国守護代上原元秀・安富元家を、足利義稙・畠山政長征伐の為に河内国へ派遣した。攻める側であった義稙の軍は、包囲される側へ立場を変えていた。

5月21日、畠山政長方が籠城していた廿山城(現在の大阪府富田林市)が落城する。同日頃、大和国の畠山政長方の国人が相次いで自焼没落した——筒井氏は筒井城(現在の奈良県大和郡山市筒井町)を焼いて東山内へ、十市氏は十市城(現在の奈良県橿原市十市町)を焼いて東山内へ、箸尾氏は箸尾城(現在の奈良県北葛城郡広陵町弁財天)を焼いて多武峰へ落ちていった。同日から2日間、藤井寺で義稙方と細川方が戦い、上原元秀・安富元家が畠山尚順を破る。尚順は正覚寺城へ退却し、足利義稙・畠山政長・遊佐長直等と合流した。6月3日、根来寺衆を率いる斎藤氏が正覚寺城に到着し、南口に構えていた安富元家方の誉田氏が直ちに向かう。5日、赤松政則率いる軍が堺付近で根来寺衆を破り、同日頃には上原元秀率いる軍が天王寺から正覚寺城の西へ進軍して合戦に及んだ。

6月6日、細川政元が派遣した畠山義豊・赤松政則率いる40,000名が、足利義稙の本陣である正覚寺城を包囲する。同日、上原元秀は畠山義豊から河内国17ヶ所を拝領した。8日夕方、畠山義豊・赤松政則率いる軍が総攻撃を仕掛ける。9日、正覚寺城は落城した。畠山政長は畠山尚順を紀伊国へ逃した上で切腹し、部下の越中衆も後に続く。尚順は虎口を脱出し、紀伊国で再挙を図る事となった。遊佐長直は討ち取られ、足利義稙と葉室光忠は捕縛されて上原元秀に降伏する。越中国の神保家・椎名家も、此の政変により打撃を受けた。13日、上原元秀は細川政元の命により葉室光忠を処刑した。そして15日、上原元秀は足利義稙を伴って京都へ帰還する。義稙は古い板輿に乗せられ、付ける事を許されたのは近臣6名のみであった。多数の見物人が見守る中、征夷大将軍は龍安寺へ幽閉された。本書は、此の日を以て筆を擱く。


主要登場人物

  • 足利義稙 第10代室町幕府征夷大将軍で、本書の中心人物の一人。西暦1,493年2月頃に畠山政長から畠山義豊征伐を依頼され、同年3月3日に出陣。八幡の善法律寺、次いで正覚寺城に布陣し、同年4月15日頃には高屋城の包囲を開始した。然し同年5月7日夜の細川政元の挙兵により陣中で将軍位を追われ、6月9日の正覚寺城落城で捕縛されて上原元秀に降伏。同月15日、古い板輿に乗せられ近臣6名のみを許されて京都へ戻り、多数の見物人の中で龍安寺に幽閉された。
  • 細川政元 本書のもう一人の中心人物。西暦1,490年5月16日には日野富子と内談して足利義澄を擁立しようとしているとの噂が立ち、西暦1,492年2月25日には畠山義豊の使者と接触した。西暦1,493年3月3日の足利義稙の出陣には、義豊が畠山義就と異なり室町幕府に表立って敵対していないとして反対し出陣しなかったが、祝宴では義稙を饗応している。同年4月6日に越智家栄へ密使を送り、5月7日夜、遊初軒に足利義澄を迎え入れて挙兵。義澄の征夷大将軍擁立と畠山政長の河内国守護職罷免を発表した。
  • 足利義澄 足利義稙の従兄弟。西暦1,490年5月16日、日野富子から小川殿を与えられる事が決定した。西暦1,493年5月7日夜、細川政元に遊初軒へ迎え入れられて保護され、征夷大将軍として擁立される事が発表された。同月13日に還俗している。
  • 日野富子 西暦1,490年5月16日、小川殿を足利義澄に与える事を決定し、細川政元と内談して義澄を征夷大将軍に擁立しようとしているという噂を招いた。西暦1,493年5月8日には細川支持を表明している。
  • 畠山政長 西暦1,491年1月21日の畠山義就の死を河内国奪回の機会と捉え、西暦1,493年2月頃に畠山義豊の征伐を足利義稙に依頼した。同年3月3日の出陣では先陣として牧に布陣。同年5月7日には細川政元により河内国守護職を罷免され、6月9日の正覚寺城落城に際して嫡男畠山尚順を紀伊国へ逃した上で切腹した。部下の越中衆も後に続いている。
  • 畠山尚順 畠山政長の嫡男。西暦1,493年3月3日の出陣に参陣し、同年4月16日時点では越中国・安芸国・石見国の衆を率いて大田若林・野遠・野々瀬に布陣していた。同年5月21日からの藤井寺の戦闘で上原元秀・安富元家に破られて正覚寺城へ退却。6月9日の落城に際して父に紀伊国へ逃され、虎口を脱出して再挙を図る事となった。
  • 畠山義豊 第17代室町幕府河内国守護。西暦1,492年2月25日に細川政元と使者を通じて接触した。西暦1,493年3月3日、配下の越智家栄・古市澄胤の寺社本所領侵略を理由に足利義稙の征伐を受け、同年4月12日には軍勢を高屋城へ引き入れて包囲された。政変後は攻守を替え、6月6日には赤松政則と共に40,000名で正覚寺城を包囲、8日夕方に総攻撃を仕掛けている。
  • 畠山義就 畠山政長の敵対者。西暦1,491年1月21日に死去し、政長が河内国奪回を図る契機となった。細川政元は、畠山義豊が義就と異なり室町幕府に表立って敵対的な行動を取っていないとして、征伐に反対した。
  • 畠山政近 西暦1,493年3月3日、足利義稙の畠山義豊征伐に参陣した。
  • 伊勢貞宗 西暦1,493年3月3日の足利義稙の出陣に、細川政元と共に反対に回った。同年5月8日には、義稙に付いていた諸将へ足利義澄に従う様記した密書を送っている。
  • 葉室光忠 西暦1,493年3月3日の出陣に先陣として参陣した。同年6月9日の正覚寺城落城に際して足利義稙と共に捕縛されて上原元秀に降伏し、同月13日、細川政元の命により処刑された。
  • 遊佐長直 畠山政長方の武将。西暦1,493年4月16日時点では藤井寺に布陣していた。同年5月21日からの藤井寺の戦闘の後、正覚寺城で足利義稙・畠山政長・畠山尚順と合流したが、6月9日の落城に際して討ち取られた。
  • 上原元秀 丹波国守護代。西暦1,493年5月16日頃、細川政元により足利義稙・畠山政長征伐の為に河内国へ派遣された。同月21日からの藤井寺の戦闘で安富元家と共に畠山尚順を破り、6月5日頃には天王寺から正覚寺城の西へ進軍。6月6日に畠山義豊から河内国17ヶ所を拝領し、9日には足利義稙・葉室光忠の降伏を受け、13日に葉室を処刑、15日には義稙を伴って京都へ帰還した。
  • 安富元家 西暦1,493年5月16日頃、細川政元により河内国へ派遣された。同月21日からの藤井寺の戦闘で上原元秀と共に畠山尚順を破っている。6月3日には其の方の誉田氏が正覚寺城南口に構えていた。
  • 細川元治 西暦1,493年5月16日頃、上原元秀・安富元家と共に、足利義稙・畠山政長征伐の為に河内国へ派遣された。
  • 細川義春 西暦1,493年3月3日の足利義稙の出陣には後陣として参陣したが、同年5月13日、赤松政則と共に誉田城に入って細川政元に付いた。
  • 細川尚春 西暦1,493年5月10日、斯波義寛・武田元信と共に堺へ入り、細川政元に付いた。
  • 赤松政則 西暦1,493年3月3日の出陣では山崎に布陣し、4月16日時点では南庄に在った。同年5月13日に細川義春と共に誉田城へ入って細川政元に付き、6月5日には堺付近で根来寺衆を破り、6日には畠山義豊と共に40,000名で正覚寺城を包囲、8日夕方の総攻撃を担った。
  • 斯波義寛 西暦1,493年3月3日の出陣では後陣として薪に布陣し、4月16日時点では国府に在った。同年5月10日、武田元信・細川尚春と共に堺へ入って細川政元に付いた。
  • 武田元信 西暦1,493年3月3日の出陣では薪に布陣し、4月16日時点では八尾に在った。同年5月10日、斯波義寛・細川尚春と共に堺へ入って細川政元に付いた。
  • 大内政弘・大内義興 西暦1,493年3月3日の足利義稙の畠山義豊征伐に参陣した。大内政弘は同年4月16日時点で丹下に布陣していた。
  • 土岐成頼 西暦1,493年3月3日、足利義稙の畠山義豊征伐に参陣した。
  • 越智家栄 畠山義豊の配下。西暦1,493年3月3日、古市澄胤と共に寺社本所領を侵略しているとして足利義稙の出陣の名分とされた。同年3月17日頃には反撃して十市遠清を宇陀へ敗走させ、4月6日には細川政元の密使を迎えてクーデター計画を知り、古市澄胤と共に喜んだ。
  • 古市澄胤 畠山義豊の配下。西暦1,493年3月3日、越智家栄と共に足利義稙の出陣の名分とされ、4月6日には細川政元のクーデター計画を知って喜んだ。
  • 筒井氏・成身院順盛 大和国の畠山政長方。西暦1,493年3月3日、筒井が郡山城を落城させ、後見人の成身院順盛は福住から筒井党を率いて挙兵し、越智・古市方の小城を次々と落城させた。然し同年5月21日頃、筒井氏は筒井城を自焼して東山内へ没落した。
  • 十市遠清 京都に亡命していたが、西暦1,493年3月3日に足利義稙へ呼応し、矢田から長安寺へ進軍して十市郷まで攻勢を掛け、矢木市を焼き払った。同月17日頃、越智家栄方の反撃に遭って宇陀へ敗走。同年5月21日頃、十市氏は十市城を自焼して東山内へ没落した。
  • 箸尾氏 大和国の畠山政長方の国人。西暦1,493年5月21日頃、箸尾城を自焼して多武峰へ没落した。
  • 斎藤氏・根来寺衆 足利義稙方。西暦1,493年3月14日、斎藤氏が畠山義豊方との合戦の末に藤井寺へ打ち入った。同年6月3日には根来寺衆を率いて正覚寺城に到着している。根来寺衆は同月5日、赤松政則率いる軍に堺付近で破られた。
  • 誉田氏 安富元家方。西暦1,493年6月3日、正覚寺城南口に構えていたが、斎藤氏の到着を受けて直ちに其の下へ向かった。
  • 大友政親・大友義右 西暦1,493年3月3日、対立する此の父子のうち、政親は足利義澄を、義右は足利義稙を支持した。中央の政局が九州の父子対立に及んだ場面。
  • 神保家・椎名家 越中国の勢力。此の政変により打撃を受けた。

明応の政変を巡る出来事と拠点の系譜

  • 小川殿の譲渡と足利義澄擁立の噂 西暦1,490年5月16日、日野富子が小川殿を足利義稙の従兄弟である足利義澄に与える事を決定した。之により、日野が細川政元と内談して義澄を征夷大将軍に擁立しようとしているという噂が立った。本書の起点。
  • 畠山義就の死去 西暦1,491年1月21日、畠山義就が死去する。畠山政長は之を河内国奪回の機会と捉えた。
  • 細川政元と畠山義豊の使者の接触 西暦1,492年2月25日、細川政元が畠山義豊の使者と接触した。政変への布石が、此の時点で打たれている。
  • 畠山義豊征伐の依頼 西暦1,493年2月頃、畠山政長が、自身と敵対する第17代室町幕府河内国守護畠山義豊の征伐を足利義稙に依頼した。
  • 足利義稙の出陣と善法律寺布陣 西暦1,493年3月3日、足利義稙が、畠山義豊配下の越智家栄・古市澄胤による寺社本所領侵略を理由に出陣。八幡(現在の京都府)まで進軍して善法律寺(現在の京都府八幡市八幡馬場)に布陣した。細川政元は反対して出陣せず、伊勢貞宗も反対に回った。同日、筒井が郡山城(現在の奈良県大和郡山市城内町)を落城させ、成身院順盛が挙兵、十市遠清は矢木市(現在の奈良県橿原市)を焼き払った。
  • 正覚寺城への布陣 西暦1,493年3月12日、足利義稙率いる軍が正覚寺城(現在の大阪府大阪市平野区加美正覚寺)に布陣した。以後、此の城が義稙方の本陣となる。
  • 野崎城・犬田城の征圧 西暦1,493年4月1日頃、足利義稙率いる軍が野崎城(現在の大阪府大東市野崎)・犬田城(現在の大阪府枚方市印田町)を征圧した。
  • 細川政元の密使とクーデター計画 西暦1,493年4月6日、細川政元の密使が越智家栄の下を訪れる。細川のクーデター計画を知った越智・古市澄胤は喜んだ。戦場での勝敗とは別の所で、政変の準備が進んでいた事を示す一日。
  • 高屋城の包囲 西暦1,493年4月9日頃に雪宮城(現在の大阪府羽曳野市軽里付近)が落ち、12日の合戦で畠山方の誉田城・道明寺(現在の大阪府藤井寺市)が焼けて畠山義豊は高屋城(現在の大阪府羽曳野市古市)へ引き籠った。15日頃、足利義稙率いる軍が高屋城の包囲と攻撃を開始する。
  • 遊初軒での挙兵 西暦1,493年5月7日夜、細川政元が遊初軒(現在の京都府京都市上京区)に足利義澄を迎え入れて保護した上で挙兵し、義澄を征夷大将軍として擁立する事と畠山政長の河内国守護職を罷免する事を発表した。明応の政変の中心となる一夜。
  • 三宝院・曇花院・慈照寺の破壊 西暦1,493年5月8日、細川政元率いる軍が足利義稙の屋敷や寺院を襲撃し、三宝院・曇花院(現在の京都府京都市右京区嵯峨北堀町)・慈照寺等が破壊された。日野富子は細川支持を表明し、義稙に付いていた諸将には足利義澄に従う様記した伊勢貞宗の密書が届いた。
  • 諸将の細川方への転向 西暦1,493年5月10日、斯波義寛・武田元信・細川尚春が堺に入って細川政元に付いた。13日には足利義澄が還俗し、同日、赤松政則・細川義春も誉田城へ入って細川方に転じた。
  • 河内国への追討軍派遣 西暦1,493年5月16日頃、細川政元が細川元治・丹波国守護代上原元秀・安富元家を、足利義稙・畠山政長征伐の為に河内国へ派遣した。
  • 廿山城の落城と大和国国人衆の自焼没落 西暦1,493年5月21日、畠山政長方が籠城していた廿山城(現在の大阪府富田林市)が落城。同日頃、大和国の畠山政長方の国人が相次いで自焼没落し、筒井氏は筒井城(現在の奈良県大和郡山市筒井町)を、十市氏は十市城(現在の奈良県橿原市十市町)を焼いて東山内へ、箸尾氏は箸尾城(現在の奈良県北葛城郡広陵町弁財天)を焼いて多武峰へ落ちた。
  • 藤井寺の戦闘 西暦1,493年5月21日から2日間、藤井寺で足利義稙方と細川政元方が戦い、上原元秀・安富元家が畠山尚順を破った。尚順は正覚寺城へ退却し、足利義稙・畠山政長・遊佐長直等と合流した。
  • 正覚寺城の包囲と総攻撃 西暦1,493年6月6日、細川政元が派遣した畠山義豊・赤松政則率いる40,000名が、足利義稙の本陣である正覚寺城を包囲した。同日、上原元秀は畠山義豊から河内国17ヶ所を拝領している。8日夕方、総攻撃が仕掛けられた。
  • 正覚寺城の落城と畠山政長の切腹 西暦1,493年6月9日、正覚寺城が落城する。畠山政長は畠山尚順を紀伊国へ逃した上で切腹し、部下の越中衆も後に続いた。尚順は虎口を脱出して紀伊国で再挙を図る事となる。遊佐長直は討ち取られ、足利義稙と葉室光忠は捕縛されて上原元秀に降伏した。越中国の神保家・椎名家も打撃を受けた。
  • 葉室光忠の処刑と足利義稙の龍安寺幽閉 西暦1,493年6月13日、上原元秀が細川政元の命により葉室光忠を処刑。同月15日、上原は足利義稙を伴って京都へ帰還した。義稙は古い板輿に乗せられ、6名の近臣を付ける事しか許されず、多数の見物人の居る中で龍安寺(現在の京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町)に幽閉された。本書の終着点。

小川殿の噂から高屋城へ、そして正覚寺城の落城と龍安寺へ──
明応の政変の3年1ヶ月を一冊に。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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