電子書籍「富樫政親一元化」の表紙

富樫政親一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,464年〜1,488年7月17日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
9ページ
最新更新日
西暦2,026年8月11日

第15代加賀国南半国守護への就任・応仁の乱東軍参加・釘貫門での足利義視通行阻止・朝倉孝景への支援拒否・蓮台寺城攻めと本願寺門徒弾圧・六角征伐従軍・反富樫機運と高尾城籠城・一揆方の包囲・山川高藤の裏切り・嫡男家延と共なる自害──
加賀国南半国守護富樫政親の24年を一本の時系列に貫く。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,464年、富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥にあたる富樫政親が家督を継いだ。之により政親は、第15代加賀国守護(南半国守護)に就任する。本書は、此の家督相続から、西暦1,488年7月17日に政親が嫡男富樫家延と共に自害して高尾城が落城するまでの約24年間を、年月日単位で一元化した記録である。応仁の乱の東軍に列し、弟を討ち、幕府の六角征伐に従い、そして領国の民衆と本願寺門徒に囲まれて果てた——加賀一向一揆の前に倒れた守護の生涯が、此処に一本の時系列として並ぶ。

西暦1,467年6月頃、細川勝元が諸大名に上洛を要請し、畠山政長等が参集した。細川の屋敷と花の御所を中心に京都北部から東へ布陣した細川方と、堀川西岸の山名宗全の屋敷・京都中央の斯波義廉の屋敷を拠点とする山名方の構図がはっきりし、前者は東軍、後者は西軍と呼ばれる。東軍には細川・足利義視・畠山政長・斯波義敏・武田信繁の弐男武田信賢・成身院光宣・細川勝久・京極持清・赤松政則と共に富樫政親が名を連ね、西軍には山名宗全・足利義尚・畠山義就・斯波義廉・一色義直・朝倉孝景・甲斐敏光・六角高頼・土岐成頼が並んだ。

同年9月21日、足利義視が伊勢国国司木造教親の陣所である中山殿に入る。木造は「北畠教具を頼りなさい」と助言し、足利は、軍事力・経済力を保持しながら幕政には不干渉で中立の立場を取り、和歌等の貴族的文化を持つ北畠に惹かれて伊勢国への逃亡を決意した。木造に警護された足利は、武者小路通(現在の京都府京都市上京区)を東へ、蛸薬師通(現在の京都府京都市中京区)を経て一条通(現在の京都府京都市右京区)へ向かう。釘貫門を守っていたのは東軍の富樫政親の兵であった。木造が「三条公敦殿は病気で東山に居り、足利殿が見舞いに参るのである。開門せよ」と告げても、富樫は不審がって開けず「鍵が無い」と答えた為、木造は予てから準備していた合鍵で門を開けた。足利は近江国坂本(現在の滋賀県大津市坂本・坂本本町・下阪本)の石川次郎の館で、お忍びで来ていた日野富子と暇乞いをし、北条早雲を伴って伊賀国を経由し伊勢国へ入った。

西暦1,471年8月頃、斯波義廉が朝倉孝景を一乗谷(現在の福井県福井市城戸ノ内町)付近で攻撃する。朝倉は富樫政親に支援を求めたが、富樫にとって朝倉は旧敵であった事から拒否された。之に怒った朝倉は、第14代加賀国守護(北半国)赤松政則を経由して、富樫成春の弐男富樫幸千代の擁立を画策する。西暦1,474年11月23日未明、政親は籠城していた蓮台寺城(現在の石川県小松市蓮代寺町)主の富樫幸千代を攻め、陥落させた。此の際、第8世本願寺宗主蓮如が、見返りとして保護して貰う事を意図して政親方として介入している。然し政親は本願寺門徒の勢いを恐れ、弾圧を始めた。此の弾圧が、14年後に自らを滅ぼす事となる。幸千代は京都へ敗走し、加賀国守護職の奪回工作を行った。

西暦1,487年9月28日、足利義尚が六角高頼征伐の為、坂本へ向けて出陣した。香の袷・白綾の腹巻・赤地金襴に桐唐草の模様の直垂・重藤弓・粟田口吉光の太刀を身に纏った義尚を一目見ようと、見物人が集まったという。兵力は391騎・8,000名。坂本では細川政元・斯波義寛・畠山政長・山名氏・一色氏・京極氏・武田国信等と共に、富樫政親も合流した。此の際、加賀国守護代の山川高藤は富樫の命により等持院領加賀粟津保へ兵糧200石・人夫100名を課したが、等持院は反発し、山川と繋がりのある等持院の人間が減免を請うて、15貫200文を納めた他は免除された。同年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清等の率いる軍が、六角氏の要衝である伊庭氏の拠点八幡山(現在の滋賀県近江八幡市南津田町)と九里氏の拠点金剛寺(現在の滋賀県近江八幡市)を攻撃し、両氏は逃亡、室町幕府軍は之を陥落させた。

然し、其の出陣の代価は領国が払っていた。西暦1,488年1月頃、坂本への出陣に際して富樫政親が兵粮米・軍費を加賀国の民衆に課した事から反富樫の機運が高まり、政親は帰国して高尾城(現在の石川県金沢市高尾町)に入る。一揆方は家老の山川高藤を介して和睦を伝えたが、政親は受け入れず、高尾城を修築して戦いに備えた。同年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した被官の松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し、槻津上野で越前国の軍勢を待つ所を、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められて討ち取られる。同年6月頃、政親に討たれた弟富樫幸千代の敵を打つ為に擁立された富樫泰高が、本願寺門徒を始めとする一揆方を率いて、10,000名余で籠城する高尾城の包囲を開始した。かつて家督を譲った大叔父が、包囲する側に立ったのである。

西暦1,488年7月5日、足利義尚が朝倉孝景等に援軍の派遣を命じ、朝倉は応じたが、一揆方が越前国との国境を封鎖して入国を阻んだ。9日、一揆方は大乗寺(現在の石川県金沢市長坂町)に本陣を構えて包囲を本格化させる。政親は城から打って出たが、破る事は出来なかった。13日、救援に向かっていた遊佐氏・神保氏率いる2,000名の軍が倶利伽羅峠(現在の石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市)で敗れ、畠山義統が差し向けた援軍も河北郡黒津船地内(現在の石川県河北郡内灘町宮坂)で本願寺門徒に敗れた。同日、政親方の将本郷春親が包囲を解く様促したが失敗し、小競り合いが起こる。15日6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃した。政親率いる1,500名は、大手門を松山左近、搦手の額谷口を森宗三郎が守り、斎藤八郎・安江弥太郎・小早川半弥・新倉将監・浅井九八等が将兵を指揮した。本郷春親は河合藤左衛門の部隊を攻めたが、河合は先陣におらず、代わりに伊藤久内に捕縛される。息子の本郷松千代丸が攻め出て伊藤を斬殺したものの、木村八郎九郎と組み打ちの末に捕えられた。小川隼人成定は寺井豊後の部隊を攻めて其の息子を斬殺した後、丘で休憩していた所へ矢の雨を浴び、斬首された。昼に休戦した時、政親の軍は本郷春親・額景春・額親家・林正蔵坊・高尾若狭守・槻橋弥次郎を始めとする200名余の戦死者を出し、家臣57名や城兵達は脱出を始めた。

同日、山川高藤は政親の正室巴を、一揆方の光徳寺(現在の石川県金沢市玉川町)と申し合わせて高尾城から脱出させた。山川の妹おわんが、一揆方の安吉城(現在の石川県白山市安吉町)主大窪家長に嫁いでいた事から実現した脱出である。山川自身も、政親を裏切って城を出た。7月17日、富樫政親は嫡男富樫家延と共に自害し、高尾城は落城する。山川高藤は一揆方の将三池掃部率いる軍に捕縛されて祇陀寺(現在の石川県白山市吉野付近)に幽閉されたが、夕闇に紛れて脱出し越前国大野(現在の福井県)へ向かった。政親の後を追って、宮永八郎三郎・勝見与四郎・福光弥三郎を始めとする多数が自害している。政親の自害を聞いた足利義尚は激怒し、蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。そして政親の首級は、包囲する側に立っていた富樫泰高によって灰の中から探し出され、大乗寺に葬られた。本書は、此の一行を以て筆を擱く。


主要登場人物

  • 富樫政親 本書の中心人物。富樫成春の嫡男で、富樫泰高の大甥。西暦1,464年に家督を継いで第15代加賀国守護(南半国守護)に就任した。応仁の乱では東軍に属し、西暦1,467年9月21日には釘貫門で足利義視の通行を阻もうとしている。西暦1,474年11月23日に弟の富樫幸千代を蓮台寺城に攻めて陥落させた後、本願寺門徒の勢いを恐れて弾圧を始めた。西暦1,487年には足利義尚の六角高頼征伐に従軍するが、其の軍費を加賀国の民衆に課した事で反富樫の機運を招き、西暦1,488年に高尾城へ籠城。同年7月17日、嫡男富樫家延と共に自害した。
  • 富樫泰高 富樫政親の大叔父。西暦1,464年に隠居して政親に家督を譲った。西暦1,488年6月頃には、政親に討たれた富樫幸千代の敵を打つ為に擁立され、本願寺門徒を始めとする一揆方を率いて高尾城を包囲。同年7月15日には総攻撃を指揮した。政親の自害後、其の首級を灰の中から探し出して大乗寺に葬った、本書の始まりと終わりの両方に立つ人物。
  • 富樫成春 富樫政親・富樫幸千代の父。政親は其の嫡男、幸千代は其の弐男として本書に現れる。
  • 富樫幸千代 富樫成春の弐男で、政親の弟。西暦1,471年8月頃、支援を拒まれた朝倉孝景により、第14代加賀国守護(北半国)赤松政則を経由して擁立が画策された。西暦1,474年11月23日、籠城していた蓮台寺城を政親に攻められて陥落し、京都へ敗走して加賀国守護職の奪回工作を行った。本願寺門徒を味方に付けており、其の敵討ちが西暦1,488年の一揆方蜂起の名分となった。
  • 富樫家延 富樫政親の嫡男。西暦1,488年7月17日、父と共に自害し、高尾城は落城した。
  • 富樫政親の正室。西暦1,488年7月15日、山川高藤が一揆方の光徳寺と申し合わせて高尾城から脱出させた。
  • 山川高藤 加賀国守護代で、富樫政親の家老。西暦1,487年、政親の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課した。西暦1,488年1月頃には一揆方の和睦の意向を政親へ取り次いだが容れられず、同年7月15日、正室巴を光徳寺と申し合わせて脱出させた上で、自らも政親を裏切って高尾城を出た。落城後は三池掃部率いる軍に捕縛されて祇陀寺に幽閉されるが、夕闇に紛れて脱出し越前国大野へ向かった。
  • おわん・大窪家長 山川高藤の妹おわんは、一揆方の安吉城(現在の石川県白山市安吉町)主大窪家長に嫁いでいた。此の縁により、西暦1,488年7月15日の正室巴の脱出が実現した。
  • 松坂信遠 富樫政親の被官。西暦1,488年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した上で2,000騎余を率いて高尾城を出陣し、槻津上野で越前国の軍勢を待っていた所、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められて討ち取られた。
  • 今江兼治 加賀国江沼郡の7,000騎余を率い、西暦1,488年2月25日に槻津上野で松坂信遠を討ち取った。
  • 本郷春親・本郷松千代丸 富樫政親方の将と其の息子。西暦1,488年7月13日、春親は一揆方に高尾城の包囲を解く様促したが失敗。同月15日には河合藤左衛門の部隊を攻めるも、河合は先陣におらず伊藤久内に捕縛された。松千代丸は攻め出て伊藤を斬殺したが、木村八郎九郎と組み打ちの末に捕えられた。両名とも同日の戦死者に名を連ねている。
  • 小川隼人成定 富樫政親方の将。西暦1,488年7月15日、寺井豊後の部隊を攻撃して其の息子を斬殺した後、丘に登って休憩していた所へ矢の雨を浴び、斬首された。
  • 松山左近・森宗三郎 西暦1,488年7月15日の高尾城総攻撃に際し、松山左近が大手門、森宗三郎が搦手の額谷口の守将を務めた。
  • 斎藤八郎・安江弥太郎・小早川半弥・新倉将監・浅井九八 西暦1,488年7月15日の高尾城防戦で、富樫政親率いる1,500名の将兵を指揮した面々。
  • 河合藤左衛門・伊藤久内・木村八郎九郎・寺井豊後 一揆方の将。西暦1,488年7月15日、伊藤久内が本郷春親を捕縛し、木村八郎九郎が本郷松千代丸を捕縛した。伊藤は松千代丸に斬殺され、寺井豊後は息子を小川隼人成定に斬殺されている。
  • 三池掃部 一揆方の将。西暦1,488年7月17日、高尾城から脱出していた山川高藤を捕縛し、祇陀寺に幽閉した。
  • 蓮如 第8世本願寺宗主。西暦1,474年11月23日の蓮台寺城攻めに際し、見返りとして保護して貰う事を意図して富樫政親方として介入した。然し政親は本願寺門徒の勢いを恐れて弾圧を始める。西暦1,488年の政親自害の後には、激怒した足利義尚から本願寺門徒等の破門を迫られた。
  • 足利義視 西暦1,467年9月21日、伊勢国国司木造教親の陣所である中山殿に入り、伊勢国への逃亡を決意した。釘貫門を守る富樫政親の兵に阻まれたが、木造が用意していた合鍵によって門を抜け、近江国坂本を経て伊勢国へ入った。応仁の乱では東軍に属した。
  • 足利義尚 西暦1,487年9月28日、六角高頼征伐の為に坂本へ出陣し、富樫政親も之に従軍した。西暦1,488年7月5日には朝倉孝景等に政親への援軍派遣を命じている。政親の自害を聞いて激怒し、蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。応仁の乱では西軍に属した。
  • 細川勝元 西暦1,467年6月頃、諸大名に上洛を要請し、畠山政長等を参集させた。細川の屋敷と花の御所を中心に布陣した細川方が東軍と呼ばれ、富樫政親も之に属した。
  • 山名宗全 堀川西岸に建てられた屋敷を拠点とし、斯波義廉の屋敷と共に山名方=西軍の中核を成した。
  • 細川政元 西暦1,487年9月28日、坂本で足利義尚の軍と合流し、同年10月10日には富樫政親・武田国信等と共に八幡山・金剛寺を攻撃した。
  • 斯波義廉 西軍。京都中央の屋敷が山名方の拠点となった。西暦1,471年8月頃、朝倉孝景を一乗谷付近で攻撃し、朝倉が富樫政親へ支援を求める発端を作った。
  • 斯波義敏・斯波義寛 斯波義敏は応仁の乱で東軍に属した。斯波義寛は西暦1,487年9月28日、坂本で足利義尚の軍に合流している。
  • 朝倉孝景 西軍。西暦1,471年8月頃、斯波義廉に一乗谷付近を攻撃されて富樫政親に支援を求めたが、旧敵であった事から拒否された。之に怒って赤松政則経由で富樫幸千代の擁立を画策する。西暦1,488年7月5日には足利義尚の命で政親への援軍を派遣したが、一揆方の国境封鎖に阻まれた。
  • 赤松政則 第14代加賀国守護(北半国)。応仁の乱では東軍に属した。西暦1,471年8月頃、朝倉孝景による富樫幸千代擁立の画策を仲介する立場にあった。
  • 畠山政長 西暦1,467年6月頃の細川勝元の上洛要請に参集し、東軍に属した。西暦1,487年9月28日には坂本で足利義尚の軍に合流している。
  • 畠山義就 西軍に属した武将。
  • 畠山義統 西暦1,488年7月13日、富樫政親へ援軍を差し向けたが、河北郡黒津船地内(現在の石川県河北郡内灘町宮坂)で本願寺門徒に敗れた。
  • 遊佐氏・神保氏 西暦1,488年7月13日、2,000名を率いて富樫政親の救援に向かったが、倶利伽羅峠(現在の石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市)で一揆方に敗れた。
  • 武田信賢・武田国信 武田信賢は武田信繁の弐男で、応仁の乱では東軍に属した。武田国信は西暦1,487年9月28日に坂本で足利義尚の軍に合流し、同年10月10日には富樫政親等と共に八幡山・金剛寺を攻撃している。
  • 京極持清・京極政経・京極高清 京極持清は応仁の乱で東軍に属した。京極政経・京極高清は西暦1,487年9月28日の足利義尚の坂本出陣に加わり、高清は同年10月10日の八幡山・金剛寺攻撃にも参加した。
  • 成身院光宣・細川勝久 応仁の乱で東軍に属し、富樫政親と同じ陣営に列した面々。
  • 一色義直・甲斐敏光・六角高頼・土岐成頼 応仁の乱で西軍に属した面々。六角高頼は西暦1,487年、足利義尚の征伐の対象となり、其の要衝である伊庭氏・九里氏の拠点が富樫政親等に攻め落とされた。
  • 伊庭氏・九里氏 六角氏の要衝を担った両氏。西暦1,487年10月10日、伊庭氏の拠点八幡山と九里氏の拠点金剛寺が細川政元・武田国信・富樫政親等に攻められ、両氏は逃亡して拠点は陥落した。
  • 仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸・安富氏・上原氏・物部氏 西暦1,487年10月10日、富樫政親等と共に八幡山・金剛寺の攻撃に加わった面々。
  • 田中兵衛尉・土肥刑部少輔・大原政重・大原尚親・伊勢又六・吉田源四郎・岩室弥四郎 西暦1,487年9月28日、足利義尚の六角高頼征伐の出陣に加わった諸将。
  • 北畠教具・木造教親 木造教親は伊勢国国司で、西暦1,467年9月21日に足利義視を陣所の中山殿に迎え、「北畠教具を頼りなさい」と助言した。釘貫門では富樫政親の兵に阻まれたが、予て準備していた合鍵で開門している。北畠教具は、軍事力・経済力を保持しながら幕政に不干渉で中立の立場を取り、和歌等の貴族的文化を持つ人物として足利義視を惹き付けた。
  • 日野富子・北条早雲・三条公敦 日野富子は西暦1,467年9月21日、近江国坂本の石川次郎の館へお忍びで訪れ、足利義視と暇乞いをした。北条早雲は足利義視に伴われて伊賀国を経由し伊勢国へ入った。三条公敦は、釘貫門を開けさせる為に木造教親が持ち出した名——病気で東山に居り、足利義視が見舞いに参るのだという口実に使われた。

富樫政親を巡る出来事と拠点の系譜

  • 家督相続と第15代加賀国南半国守護就任 西暦1,464年、富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥である富樫政親が家督を継いだ。之により政親は第15代加賀国守護(南半国守護)に就任した。本書の起点。
  • 応仁の乱・東軍への参加 西暦1,467年6月頃、細川勝元の上洛要請に畠山政長等が参集し、細川方=東軍と山名方=西軍の構図がはっきりした。富樫政親は東軍に列し、以後の去就を決定付けられた。
  • 釘貫門と足利義視の伊勢国逃亡 西暦1,467年9月21日、伊勢国への逃亡を決意した足利義視の一行が釘貫門に至る。門を守っていたのは東軍の富樫政親の兵であった。木造教親が三条公敦の見舞いを口実に開門を求めても富樫は「鍵が無い」と応じず、木造は予て準備していた合鍵で門を開けた。足利は近江国坂本を経て伊勢国へ入った。
  • 朝倉孝景への支援拒否と富樫幸千代の擁立画策 西暦1,471年8月頃、斯波義廉に一乗谷(現在の福井県福井市城戸ノ内町)付近を攻撃された朝倉孝景が富樫政親に支援を求めたが、旧敵であった事から拒否された。怒った朝倉は、第14代加賀国守護(北半国)赤松政則を経由して、富樫成春の弐男富樫幸千代の擁立を画策した。
  • 蓮台寺城攻めと本願寺門徒弾圧の開始 西暦1,474年11月23日未明、富樫政親が籠城していた蓮台寺城(現在の石川県小松市蓮代寺町)主の富樫幸千代を攻めて陥落させた。此の際、第8世本願寺宗主蓮如が見返りとしての保護を意図して政親方に介入したが、政親は本願寺門徒の勢いを恐れて弾圧を始めた。幸千代は京都へ敗走し、加賀国守護職の奪回工作を行った。
  • 足利義尚の六角高頼征伐への従軍 西暦1,487年9月28日、足利義尚が391騎・8,000名を率いて坂本(現在の滋賀県大津市坂本・坂本本町・下阪本)へ出陣。坂本で細川政元・斯波義寛・畠山政長等と共に富樫政親も合流した。此の際、加賀国守護代山川高藤が富樫の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課し、等持院の反発により15貫200文を納めた他は免除された。
  • 八幡山・金剛寺の攻撃 西暦1,487年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清等の率いる軍が、六角氏の要衝である伊庭氏の拠点八幡山(現在の滋賀県近江八幡市南津田町)と九里氏の拠点金剛寺(現在の滋賀県近江八幡市)を攻撃した。両氏は逃亡し、室町幕府軍は之を陥落させ、次に観音寺城の攻略を目指した。
  • 反富樫機運の高揚と高尾城籠城 西暦1,488年1月頃、坂本への出陣に際して富樫政親が兵粮米・軍費を加賀国の民衆に課した事で反富樫の機運が高まり、政親は帰国して高尾城(現在の石川県金沢市高尾町)に入った。一揆方は家老山川高藤を介して和睦を伝えたが、政親は受け入れず、高尾城を修築して戦いに備えた。
  • 松坂信遠の敗死 西暦1,488年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した被官の松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し、槻津上野で越前国の軍勢を待つも、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められて討ち取られた。
  • 富樫泰高率いる一揆方の高尾城包囲 西暦1,488年6月頃、政親に討たれた富樫幸千代の敵を打つ為に擁立された富樫泰高が、本願寺門徒を始めとする一揆方を率い、10,000名余で籠城する政親の高尾城の包囲を開始した。
  • 援軍派遣命令と越前国境の封鎖 西暦1,488年7月5日、足利義尚が越前国の朝倉孝景等に富樫政親への援軍派遣を命じ、朝倉は応じて加賀国へ援軍を送ったが、一揆方が越前国との国境を封鎖して入国を阻んだ。
  • 大乗寺の本陣と包囲の本格化 西暦1,488年7月9日、一揆方が大乗寺(現在の石川県金沢市長坂町)に本陣を構えて高尾城の包囲を本格化させた。富樫政親は城から打って出たが、一揆方を破る事は出来なかった。
  • 倶利伽羅峠・黒津船地内での援軍敗戦 西暦1,488年7月13日、救援に向かっていた遊佐氏・神保氏率いる2,000名が倶利伽羅峠(現在の石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市)で敗れ、畠山義統の差し向けた援軍も河北郡黒津船地内(現在の石川県河北郡内灘町宮坂)で本願寺門徒に敗れた。同日、本郷春親による包囲解除の交渉も失敗している。
  • 高尾城総攻撃と200名余の戦死 西暦1,488年7月15日6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃。政親率いる1,500名は大手門を松山左近、搦手の額谷口を森宗三郎が守った。本郷春親は伊藤久内に捕縛され、其の息子本郷松千代丸は伊藤を斬殺した後に木村八郎九郎に捕えられ、小川隼人成定は矢の雨を浴びて斬首された。昼に休戦した時、政親の軍は200名余の戦死者を出し、家臣57名や城兵達は脱出を始めた。
  • 正室巴の脱出と山川高藤の裏切り 西暦1,488年7月15日、山川高藤が政親の正室巴を一揆方の光徳寺(現在の石川県金沢市玉川町)と申し合わせて高尾城から脱出させた。山川の妹おわんが一揆方の安吉城主大窪家長に嫁いでいた事から実現した。山川自身も政親を裏切って城を出た。
  • 富樫政親の自害と高尾城落城 西暦1,488年7月17日、富樫政親が嫡男富樫家延と共に自害し、高尾城が落城した。山川高藤は三池掃部率いる軍に捕縛されて祇陀寺(現在の石川県白山市吉野付近)に幽閉されたが、夕闇に紛れて脱出し越前国大野(現在の福井県)へ向かった。政親の後を追って多数が自害している。
  • 足利義尚の激怒と首級の埋葬 政親の自害を聞いた足利義尚は激怒し、蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。政親の首級は、包囲する側に立っていた富樫泰高によって灰の中から探し出され、大乗寺に葬られた。本書の終着点。

加賀国の守護職から、応仁の乱の京都へ、そして高尾城の灰の中へ──
富樫政親の家督相続から自害までの24年を一冊に。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。