富樫政親一元化
富樫成春嫡男政親の第15代加賀国南半国守護就任・応仁の乱東軍参加・釘貫門に於ける足利義視通行阻止未遂・朝倉孝景支援拒否と富樫幸千代擁立画策・蓮台寺城攻めと本願寺門徒弾圧・六角征伐従軍と八幡山金剛寺攻略・反富樫機運による帰国と高尾城籠城・松坂信遠敗死・富樫泰高率いる一揆方の高尾城包囲・倶利伽羅峠と黒津船地内に於ける援軍敗戦・総攻撃と200名余戦死・山川高藤の裏切りと正室巴脱出・嫡男家延と共なる自害──
加賀国南半国守護富樫政親の24年を一本の時系列に貫く。
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西暦1,464年、富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥である富樫政親が家督を継いで第15代加賀国南半国守護に就任した日から、西暦1,488年7月17日、政親が嫡男富樫家延と共に自害し高尾城が落城した日まで。本書は、第15代加賀国南半国守護富樫政親の生涯——富樫成春嫡男としての家督相続、応仁の乱に於ける細川勝元率いる東軍への参加、釘貫門に於ける足利義視通行阻止未遂と伊勢国国司木造教親の合伴による通過、斯波義廉の朝倉孝景一乗谷攻撃への支援拒否と朝倉による赤松政則経由の富樫幸千代擁立画策、蓮台寺城攻めに於ける富樫幸千代討伐と本願寺第8世蓮如の政親方介入・其の後の本願寺門徒弾圧開始、足利義尚の六角高頼征伐出陣への従軍と八幡山・金剛寺攻撃に於ける伊庭氏・九里氏拠点陥落、加賀国領民への兵粮米・軍費課税による反富樫機運高揚を受けての帰国と高尾城籠城、松坂信遠の槻津上野出陣と今江兼治率いる7,000騎余の攻撃による敗死、富樫泰高率いる本願寺門徒一揆方の高尾城包囲開始、大乗寺本陣設営と包囲本格化、遊佐氏・神保氏率いる2,000名援軍の倶利伽羅峠敗戦と畠山義統援軍の黒津船地内敗戦・本郷春親による和睦交渉失敗、6時からの高尾城総攻撃と本郷春親・松千代丸以下200名余の戦死及び家臣57名の脱出、山川高藤の裏切りと正室巴の光徳寺経由脱出、嫡男富樫家延と共なる自害と伴衆多数殉死・足利義尚の激怒と蓮如への本願寺門徒破門要求・首級の富樫泰高による灰中からの回収と大乗寺埋葬迄の約24年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,464年、富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥である富樫政親が家督を継いだ。此れにより政親は第15代加賀国南半国守護に就任した。1,467年6月、細川勝元が諸大名に上洛を要請し、畠山政長等が参集した。細川の屋敷と花の御所を中心とした京都北部から東に布陣した細川方と、堀川西岸の山名宗全の屋敷及び京都中央の斯波義廉の屋敷を拠点とする山名方の構図がはっきりし、前者が東軍・後者が西軍と呼称された。東軍には細川・足利義視・政長・斯波義敏・武田信繁の弐男武田信賢・成身院光宣・細川勝久・京極持清・赤松政則・富樫政親が、西軍には山名宗全・足利義尚・畠山義就・斯波義廉・一色義直・朝倉孝景・甲斐敏光・六角高頼・土岐成頼が参じた。
西暦1,467年9月21日、足利義視が伊勢国国司木造教親の陣所である中山殿に入った。木造は足利に「北畠教具を頼りなさい」と助言し、足利は軍事力・経済力を保持しながら幕政に不干渉で中立の立場を取り和歌等の貴族的文化を持っていた北畠に惹かれ伊勢国への逃亡を決意した。足利は木造に警護され武者小路通を東へ、蛸薬師通を経由して一条通へ向かった。釘貫門は東軍の富樫政親の兵が守っていたが、木造が「三条公敦殿は病気で東山に居り足利殿が見舞いに参るのである。開門せよ」と告げても富樫は不審がって開けず「伴が無い」と答えた為、木造は予て準備した合伴で開門させた。足利は近江国坂本の石川次郎の館にてお忍びで来ていた日野富子と暇乞いをし、北条早雲を伴って伊賀国を経由し伊勢国に入った。1,471年8月、斯波義廉が朝倉孝景を一乗谷付近にて攻撃し、朝倉は富樫政親に支援を求めたが、富樫にとって朝倉は旧敵であった事から拒否された。此れに怒った朝倉は、第14代加賀国北半国守護赤松政則経由で、富樫成春の弐男富樫幸千代の擁立を画策した。
西暦1,474年11月23日未明、富樫政親が籠城していた蓮台寺城主富樫幸千代を攻め、陥落させた。此の際、第8世本願寺宗主蓮如が見返りとして保護して貰う事を意図して政親方として介入した。しかし政親は本願寺門徒の勢いを恐れ、弾圧を始めた。幸千代は京都へ敗走し加賀国守護職の奪回工作を行なった。1,487年9月28日、足利義尚が香の袷・白綾の腹巻・赤地金襴に桐唐草の模様の直垂・重藤弓・粟田口吉光の太刀を身に纏い、六角高頼征伐の為坂本へ向けて出陣した。着飾った足利を一目見ようと見物人が集まった。兵力は391騎・8,000名で、京極政経・京極高清・田中兵衛尉・土肥刑部少輔・大原政重・大原尚親・伊勢又六・吉田源四郎・岩室弥四郎が加わった。坂本では細川政元・斯波義寛・畠山政長・山名氏・一色氏・富樫政親・京極氏・武田国信等と合流した。此の際加賀国守護代山川高藤は富樫の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を命じ、等持院は反発し山川と繋がりの有る等持院の人間が減免を請い、結果15貫200文を納めた他は免除された。同年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清・仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸・安富氏・上原氏・物部氏等率いる軍が、六角氏の要衝である伊庭氏の拠点八幡山・九里氏の拠点金剛寺を攻撃し、伊庭氏・九里氏は逃亡、室町幕府軍は此れ等を陥落させた。次に室町幕府軍は観音寺城攻略を目指した。
西暦1,488年1月、足利義尚の坂本出陣に際し富樫政親が兵粮米・軍費を領国である加賀国の民衆に課した事で反富樫の機運が高まり、富樫は帰国し高尾城に入った。一揆方は富樫の家老山川高藤を介して和睦を伝えたが、富樫は受け入れず高尾城を修築して戦いに備えた。同年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した富樫政親の被官松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し槻津上野にて越前国の軍勢を待っていた所、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余の軍勢に攻められ松坂は討ち取られた。同年6月、富樫政親に討たれた政親の弟富樫幸千代の敵を打つ為に擁立された富樫泰高率いる本願寺門徒を始めとする一揆方が、政親が10,000名余の兵を率いて籠城する高尾城の包囲を開始した。幸千代は本願寺門徒を味方に付けていた。同年7月5日、足利義尚が越前国の朝倉孝景等に富樫政親の下へ援軍を派遣する様命じ朝倉は応じたが、一揆方が越前国との国境を封鎖して入国を阻んだ。同月9日、一揆方が大乗寺に本陣を構え高尾城の包囲を本格化させ、富樫政親は高尾城から出て打って出たが、一揆方を破る事は出来なかった。
西暦1,488年7月13日、富樫政親の救援に向かっていた遊佐氏・神保氏率いる2,000名の軍が倶利伽羅峠にて一揆方に敗れ、同日畠山義統が差し向けた援軍も河北郡黒津船地内にて本願寺門徒に敗れた。同日、富樫政親方の将本郷春親が本願寺門徒等の一揆方に高尾城の包囲を解く様促したが失敗し、其の後富樫方と一揆方で小競り合いが発生した。同月15日6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃し、富樫政親率いる1,500名の軍は大手門を松山左近・搦手の額谷口を森宗三郎が守将とし、斎藤八郎・安江弥太郎・小早川半弥・新倉将監・浅井九八等が将兵を指揮した。政親方の本郷春親は河合藤左衛門の部隊を攻め河合を討とうとしたが河合は先陣には居らず代わりに伊藤久内が本郷を捕縛、其処に春親の息子本郷松千代丸が攻め出て伊藤を斬殺したが木村八郎九郎と組み打ちし木村に捕縛された。政親方の小川隼人成定は寺井豊後の部隊を攻撃し寺井の息子を斬殺した後丘に登って休憩していた所、矢の雨を浴び斬首された。昼に休戦したが政親の軍は本郷春親・額景春・額親家・林正蔵坊・同弟林六郎二郎・高尾若狭守・槻橋弥次郎・斎藤彦八郎・安江・安江三郎・宇佐美八郎左衛門・山田弥五郎・広瀬源左衛門・広瀬又七・徳光次郎・松本新五郎・阿曽孫六・霜田伊豆坊・奈良与八郎・松原彦四郎・多田源六・石田帯刀・和田次郎三郎・越前国の溝口兄弟・越前国の一木兄弟・松千代丸・板倉喜内・森勝介・岡豊後守・佐々木志摩助・柏原与市・古沢勘七・同朋衆の知阿弥を始めとする200名余の戦死者を出し、政親の家臣57名や城兵達は高尾城からの脱出を始めた。同日、山川高藤は政親の正室巴を一揆方の光徳寺と申し合わせて高尾城から脱出させた。此れは山川の妹おわんが一揆方の安吉城主大窪家長に嫁いでいた事から実現した。又山川自身も政親を裏切り高尾城から脱出した。
西暦1,488年7月17日、富樫政親が自身の嫡男富樫家延と共に自害し、高尾城が落城した。又山川高藤は一揆方の将三池掃部率いる軍に捕縛され祇陀寺に幽閉されたが、其の後山川は夕闇に紛れて脱出し越前国大野へ向かった。更に政親の後を追って宮永八郎三郎・勝見与四郎・福光弥三郎・那波氏・吉田氏・小河氏・白河氏・進藤氏・黒川氏・興津屋五郎・谷屋入道・徳光西坊林・金子氏・田上入道・八屋藤左衛門入道・立入加賀入道・長田三郎左衛門・宮永左京進・沢奈井彦八郎・安江和泉守・神戸七郎・御園筑前守・御園五郎・槻橋豊前守・槻橋近江守・槻橋三郎左衛門・槻橋式部丞・槻橋弥六・槻橋弥次郎・槻橋三位坊・山川又次郎・本郷春興坊・本郷駿河守も自害した。政親の自害を聞いた足利義尚は激怒し、蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。政親の首級は富樫泰高によって灰の中から探し出され、大乗寺に葬られ、本書の終結点となった。
登場人物
- 富樫政親 富樫成春の嫡男で第15代加賀国南半国守護。西暦1,464年、大叔父富樫泰高の隠居に伴い家督相続。応仁の乱では細川勝元率いる東軍に参加し、1,467年9月21日には釘貫門の警備で足利義視の通行を阻もうとしたが木造教親の合伴で通過された。1,471年8月に朝倉孝景の支援要請を旧敵として拒否、1,474年11月23日未明に蓮台寺城を攻めて弟富樫幸千代を討ち、以降本願寺門徒を弾圧した。1,487年9月28日の足利義尚の六角征伐に従軍、同年10月10日には八幡山・金剛寺を攻撃、1,488年1月に反富樫機運で帰国して高尾城に籠城、同年7月15日の総攻撃では1,500名の軍を率いて防戦したが200名余の戦死者を出し家臣57名が脱出、同月17日に嫡男富樫家延と共に自害した。首級は富樫泰高によって灰中から探し出され大乗寺に葬られた、本書の主人公。
- 富樫泰高 富樫政親の大叔父。西暦1,464年に隠居し大甥政親に家督を譲った。1,488年6月、政親に討たれた弟富樫幸千代の敵を打つ為擁立され、本願寺門徒を始めとする一揆方を率いて高尾城包囲を開始、同年7月15日6時の総攻撃を率いた。同月17日の政親自害後は其の首級を灰の中から探し出して大乗寺に葬った、本書の政親の出発と終焉の双方に関わった大叔父。
- 富樫成春 富樫政親の父。西暦1,464年、長男政親が家督を継いで第15代加賀国南半国守護となった、本書の発端の父。
- 富樫幸千代 富樫成春の弐男で政親の弟。西暦1,471年8月、朝倉孝景が赤松政則経由で擁立を画策した人物。1,474年11月23日未明の蓮台寺城攻めにて政親に討たれ(本願寺門徒を味方に付けていた)京都へ敗走、加賀国守護職の奪回工作を行なった、本書の政親最大の血縁の敵。
- 富樫家延 富樫政親の嫡男。西暦1,488年7月17日、高尾城落城に際し政親と共に自害した、本書の終結点に於ける政親と運命を共にした嫡男。
- 巴 富樫政親の正室。西暦1,488年7月15日、山川高藤と一揆方の光徳寺との申し合わせによって高尾城から脱出した、本書の終戦間近に救出された正室。
- 山川高藤 富樫政親の家老で加賀国守護代。西暦1,487年9月28日の六角征伐に際し等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課した人物。1,488年1月には一揆方から政親への和睦を取り次ぎ、同年7月15日には政親の正室巴を自身の妹おわんが安吉城主大窪家長に嫁いでいた縁で光徳寺と申し合わせて脱出させ、自身も政親を裏切って脱出した。同月17日には一揆方の三池掃部に捕縛され祇陀寺に幽閉されたが夕闇に紛れて脱出し越前国大野へ向かった、本書の政親側近から裏切り者へと転じた家老。
- おわんと大窪家長 おわんは山川高藤の妹、大窪家長は一揆方の安吉城主でおわんを妻とした。此の縁が、1,488年7月15日の正室巴の高尾城脱出を可能にした、本書の正室脱出の鍵となった婚姻関係。
- 松坂信遠 富樫政親の被官。西暦1,488年2月25日、政親の要請で越前国朝倉孝景の援軍を待つ為2,000騎余で高尾城を出陣し槻津上野にて待ったが、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められ討ち取られた、本書の高尾城防衛戦初期の最初の大敗。
- 今江兼治 一揆方。西暦1,488年2月25日、加賀国江沼郡の7,000騎余を率いて槻津上野にて松坂信遠を討ち取った、本書の一揆方初期の勝利を決めた将。
- 本郷春親と本郷松千代丸 春親は富樫政親方の将、松千代丸はその息子。1,488年7月13日に春親が一揆方に包囲解除を促すも失敗、同月15日の高尾城攻撃では春親が河合藤左衛門の部隊を攻めたが伊藤久内に捕縛され、松千代丸が伊藤を斬殺したが木村八郎九郎に捕縛された。春親・松千代丸共に此の日の戦死者200名余に含まれる、本書の高尾城攻防に殉じた父子。
- 小川隼人成定 富樫政親方の将。西暦1,488年7月15日の高尾城攻撃にて寺井豊後の部隊を攻撃し寺井の息子を斬殺したが、丘に登り休憩していた所を矢の雨を浴びて斬首された、本書の高尾城攻防に勇戦した将。
- 松山左近・森宗三郎 富樫政親方の守将。西暦1,488年7月15日の高尾城総攻撃に於いて、松山は大手門の、森は搦手の額谷口の守将となった、本書の高尾城門口の最終防衛者。
- 斎藤八郎・安江弥太郎・小早川半弥・新倉将監・浅井九八 富樫政親方の将兵指揮官。西暦1,488年7月15日の高尾城総攻撃に於いて将兵を指揮した5名、本書の高尾城総攻撃時の指揮官。
- 河合藤左衛門・伊藤久内・木村八郎九郎・寺井豊後 一揆方。西暦1,488年7月15日の高尾城攻撃に於いて、河合は本郷春親の攻撃目標となった部隊の長、伊藤は本郷を捕縛、木村は松千代丸を組み打ちで捕縛、寺井は息子を小川隼人成定に斬殺された、本書の高尾城攻撃に於ける一揆方最前線の武将達。
- 三池掃部 一揆方の将。西暦1,488年7月17日、山川高藤を捕縛し祇陀寺に幽閉した、本書の裏切り者山川を捕らえた一揆方の将。
- 蓮如 第8世本願寺宗主。西暦1,474年11月23日未明の蓮台寺城攻めに際し、見返りの保護を期待して富樫政親方として介入したが、其の後政親が本願寺門徒を弾圧した。1,488年7月17日の政親自害後には、激怒した足利義尚から本願寺門徒等の破門を迫られた、本書の政親との関係が恩顧から対立へと転じた宗教指導者。
- 足利義政 室町幕府第8代将軍。西暦1,467年6月の応仁の乱開戦期、細川勝元の上洛要請により両軍の構図が成立した時期の将軍、本書の応仁の乱期の公方。
- 足利義視 応仁の乱東軍に属する人物。西暦1,467年9月21日、伊勢国国司木造教親の陣所中山殿に入り、北畠教具を頼って伊勢国へ逃亡を決意。武者小路通・蛸薬師通・一条通を経由し釘貫門では富樫政親の兵に阻止されたが、木造の合伴で通過、近江国坂本の石川次郎の館で日野富子と暇乞いをし北条早雲を伴って伊賀国経由で伊勢国に入った、本書の釘貫門事件の主役。
- 足利義尚 室町幕府第9代将軍。西暦1,467年6月の応仁の乱期には西軍に名を連ねた人物。1,487年9月28日、香の袷・白綾の腹巻・赤地金襴の直垂・重藤弓・粟田口吉光の太刀を纏い六角高頼征伐の為坂本へ出陣、富樫政親等を合流させた。1,488年7月5日には朝倉孝景等に富樫への援軍派遣を命じ、同月17日の政親自害を聞き激怒し蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った、本書の政親従軍の主君。
- 細川勝元 応仁の乱東軍の首魁。西暦1,467年6月、諸大名に上洛を要請し政親等を参集させた、本書の政親が仕えた東軍総帥。
- 山名宗全 応仁の乱西軍の首魁。西暦1,467年6月、堀川西岸の自身の屋敷と京都中央の斯波義廉の屋敷を拠点とした、本書の政親が敵対した西軍総帥。
- 細川政元 西暦1,487年9月28日以降、足利義尚の六角征伐で富樫政親等と共に坂本で合流、同年10月10日には富樫政親・武田国信・京極高清・仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸・安富氏・上原氏・物部氏等と共に八幡山・金剛寺を攻撃した、本書の六角征伐期の政親の同陣者。
- 畠山政長 応仁の乱東軍。西暦1,467年6月の上洛要請に応じて参集、1,487年9月28日の足利義尚の六角征伐でも坂本で合流した、本書の政親と並び東軍を形成した畠山当主。
- 畠山義就 応仁の乱西軍、本書の政親が敵対した畠山当主。
- 畠山義統 西暦1,488年7月13日、富樫政親へ援軍を差し向けたが、其の援軍は河北郡黒津船地内にて本願寺門徒に敗れた、本書の高尾城攻防に於ける政親救援者の一人。
- 斯波義廉 応仁の乱西軍。西暦1,471年8月、朝倉孝景を一乗谷付近にて攻撃し、朝倉からの富樫政親への支援要請が拒否されたことにより、朝倉の富樫幸千代擁立画策に繋がった、本書の幸千代擁立の遠因を作った人物。
- 斯波義敏・斯波義寛 義敏は西暦1,467年6月の応仁の乱東軍参加者。義寛は1,487年9月28日の足利義尚の六角征伐で坂本にて合流した、本書の応仁の乱及び六角征伐期の斯波氏。
- 武田信賢・武田国信 信賢は武田信繁の弐男で1,467年6月の応仁の乱東軍参加者。国信は1,487年9月28日の足利義尚の六角征伐で坂本にて合流し、同年10月10日には富樫政親等と共に八幡山・金剛寺攻撃に参加した、本書の応仁の乱及び六角征伐期の武田氏。
- 京極持清・京極政経・京極高清 持清は1,467年6月の応仁の乱東軍参加者。政経と高清は1,487年9月28日の足利義尚の六角征伐出陣に加わり、高清は同年10月10日の八幡山・金剛寺攻撃にも参加した、本書の応仁の乱及び六角征伐期の京極氏。
- 赤松政則 第14代加賀国北半国守護で応仁の乱東軍参加者。西暦1,471年8月、朝倉孝景が富樫幸千代擁立画策の仲介経路として用いた人物、本書の幸千代擁立の経路となった同時期の加賀国北半国守護。
- 朝倉孝景 応仁の乱西軍。西暦1,471年8月、斯波義廉に一乗谷付近を攻撃され富樫政親に支援を求めたが旧敵として拒否され、赤松政則経由で富樫幸千代擁立を画策した。1,488年7月5日には足利義尚から富樫政親への援軍派遣を命じられて応じたが、援軍は一揆方に越前国境を封鎖され入国を阻まれた、本書の政親と敵味方を行き来した越前国の雄。
- 遊佐氏・神保氏 西暦1,488年7月13日、富樫政親の救援に2,000名を率いて向かったが倶利伽羅峠にて一揆方に敗れた2勢力、本書の高尾城攻防に於ける政親援軍の主要敗北者。
- 一色義直・甲斐敏光・六角高頼・土岐成頼 1,467年6月の応仁の乱西軍参加者。六角高頼は1,487年9月28日に足利義尚が征伐の為出陣した対象でもあった、本書の応仁の乱西軍及び六角征伐の対象。
- 成身院光宣・細川勝久 1,467年6月の応仁の乱東軍参加者、本書の応仁の乱東軍の一員。
- 仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸・安富氏・上原氏・物部氏 西暦1,487年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清等と共に八幡山・金剛寺攻撃に加わった諸将、本書の六角征伐八幡山・金剛寺攻撃の参加者。
- 田中兵衛尉・土肥刑部少輔・大原政重・大原尚親・伊勢又六・吉田源四郎・岩室弥四郎 西暦1,487年9月28日、足利義尚の坂本出陣に加わった諸将、本書の六角征伐出陣に加わった諸将。
- 伊庭氏・九里氏 六角氏の要衝の拠点主。西暦1,487年10月10日、細川政元・富樫政親等の攻撃を受け、伊庭氏は八幡山・九里氏は金剛寺から逃亡し両城は陥落した、本書の六角征伐に於ける敗将。
- 北畠教具・木造教親 木造教親は伊勢国国司、西暦1,467年9月21日、中山殿の陣所で足利義視を迎え北畠教具を頼る様助言、釘貫門では富樫政親の兵を欺いて合伴で開門させ義視を通過させた。北畠教具は軍事力・経済力を保持しながら幕政に不干渉・和歌等の貴族的文化を持つ人物で、足利義視が頼った、本書の釘貫門事件に於ける伊勢国の実力者。
- 日野富子・北条早雲・三条公敦 西暦1,467年9月21日の足利義視伊勢国逃亡に関わる3名。富子は近江国坂本の石川次郎の館にてお忍びで義視と暇乞いをした人物、早雲は義視に伴って伊賀国経由で伊勢国へ同行した人物、公敦は木造教親が富樫政親に対して開門の為の口実として「東山に居て病気である」と語った人物、本書の釘貫門事件の周辺登場人物。
主要な地名・拠点
- 加賀国 富樫政親の領国。西暦1,464年に第15代南半国守護に就任した地。1,488年1月、足利義尚の坂本出陣に伴う兵粮米・軍費賦課により反富樫の機運が高まり、政親の帰国・籠城を招いた、本書の始終を通じた政親の主要活動領域。
- 高尾城 現在の石川県金沢市高尾町。西暦1,488年1月、帰国した富樫政親が入り修築した城。同年6月以降、富樫泰高率いる一揆方に包囲され、同月7月9日以降大乗寺を本陣とする包囲が本格化、同月15日の総攻撃で200名余の戦死者を出し、同月17日の政親と嫡男家延の自害により落城した、本書の終焉の地。
- 蓮台寺城 現在の石川県小松市蓮代寺町。西暦1,474年11月23日未明、富樫政親が攻めて弟富樫幸千代を討ち陥落させた城。此の戦いに蓮如が政親方として介入し、後の本願寺門徒弾圧の契機となった、本書の兄弟相争いの地。
- 大乗寺 現在の石川県金沢市長坂町。西暦1,488年7月9日、一揆方が高尾城包囲の本陣を構えた地。同月17日の政親自害後は、富樫泰高が灰の中から探し出した政親の首級を葬った地、本書の高尾城攻防本陣と政親首級埋葬の地。
- 祇陀寺 現在の石川県白山市吉野付近。西暦1,488年7月17日、政親を裏切った山川高藤が一揆方の三池掃部に捕縛され幽閉された寺院。山川は其の後夕闇に紛れて脱出した、本書の山川高藤の短期幽閉地。
- 光徳寺・安吉城 光徳寺は現在の石川県金沢市玉川町、安吉城は現在の石川県白山市安吉町。西暦1,488年7月15日、山川高藤が光徳寺と申し合わせて正室巴を高尾城から脱出させた。山川の妹おわんが安吉城主大窪家長に嫁いでいたことから此の正室脱出が可能となった、本書の正室脱出の仲介拠点と婚姻の実家。
- 釘貫門 京都。西暦1,467年9月21日、東軍の富樫政親の兵が守る中、木造教親が足利義視を通過させようとして富樫が当初不審がって開けず「伴が無い」と答え、木造が予て準備していた合伴で開門させた門、本書の釘貫門事件の舞台。
- 武者小路通・蛸薬師通・一条通 武者小路通は現在の京都府京都市上京区、蛸薬師通は同中京区、一条通は同右京区。西暦1,467年9月21日、木造教親に警護された足利義視が釘貫門に至る迄に東へ進んだ経路、本書の足利義視京都脱出の行程。
- 近江国坂本 現在の滋賀県大津市坂本・坂本本町・下阪本。西暦1,467年9月21日、足利義視が石川次郎の館にてお忍びで来ていた日野富子と暇乞いをした地。又1,487年9月28日に足利義尚が六角高頼征伐の為出陣した目的地でもあり、細川政元・富樫政親等が合流した、本書の応仁の乱及び六角征伐両期の舞台。
- 一乗谷 現在の福井県福井市城戸ノ内町。西暦1,471年8月、斯波義廉が朝倉孝景を攻撃した地。朝倉の富樫政親への支援要請と富樫による拒否の発端、本書の朝倉孝景敗戦の地。
- 八幡山・金剛寺 八幡山は現在の滋賀県近江八幡市南津田町、金剛寺は現在の滋賀県近江八幡市。西暦1,487年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親等率いる軍が攻撃して伊庭氏・九里氏を逃亡させ陥落させた六角氏の要衝、本書の六角征伐で政親が参加した攻略戦の地。
- 槻津上野 西暦1,488年2月25日、富樫政親の被官松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し、越前国の援軍を待っていた所、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余に攻められ討ち取られた地、本書の政親側の緒戦敗北の地。
- 倶利伽羅峠 現在の石川県河北郡津幡町・富山県小矢部市。西暦1,488年7月13日、富樫政親の救援に向かった遊佐氏・神保氏率いる2,000名の軍が一揆方に敗れた地、本書の援軍敗戦の第一の地。
- 黒津船地内 現在の石川県河北郡内灘町宮坂。西暦1,488年7月13日、畠山義統が差し向けた富樫政親への援軍が本願寺門徒に敗れた地、本書の援軍敗戦の第二の地。
- 越前国大野 現在の福井県。西暦1,488年7月17日、祇陀寺から夕闇に紛れて脱出した山川高藤が向かった地、本書の裏切り家老山川の逃走先。
主要な事件・出来事
- 富樫政親の家督相続と第15代加賀国南半国守護就任 西暦1,464年、富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥である富樫政親が家督を継ぎ第15代加賀国南半国守護に就任した、本書の発端。
- 応仁の乱東軍参加 西暦1,467年6月、細川勝元が諸大名に上洛を要請し、畠山政長等が参集した。細川の屋敷と花の御所を中心とした京都北部から東の細川方(東軍)、山名宗全の屋敷及び斯波義廉の屋敷を拠点とする山名方(西軍)の構図が成立し、富樫政親は東軍に属した、本書の政親が応仁の乱に参加した場面。
- 釘貫門事件 西暦1,467年9月21日、伊勢国国司木造教親の陣所中山殿に入った足利義視が北畠教具を頼る助言を受け伊勢国への逃亡を決意、武者小路通・蛸薬師通・一条通を経て釘貫門に至った。東軍富樫政親の兵が守る釘貫門で、木造が「三条公敦殿は病気で東山に居り足利殿が見舞いに参るのである。開門せよ」と告げたが、富樫は不審がって「伴が無い」と答えて開けず、木造は予て準備していた合伴で開門させた。足利は近江国坂本にて日野富子と暇乞いをし、北条早雲を伴って伊賀国経由で伊勢国に入った、本書の政親と足利義視が交差した一幕。
- 朝倉孝景支援拒否と富樫幸千代擁立画策 西暦1,471年8月、斯波義廉が朝倉孝景を一乗谷付近にて攻撃し、朝倉は富樫政親に支援を求めたが、富樫にとって朝倉は旧敵であった事から拒否された。此れに怒った朝倉は、第14代加賀国北半国守護赤松政則経由で、富樫成春の弐男富樫幸千代の擁立を画策した、本書の兄弟対立の火種となった外交失策。
- 蓮台寺城攻略と富樫幸千代討伐・本願寺門徒弾圧開始 西暦1,474年11月23日未明、富樫政親が籠城していた蓮台寺城主富樫幸千代を攻め陥落させた。第8世本願寺宗主蓮如が見返りの保護を意図して政親方として介入したが、政親は本願寺門徒の勢いを恐れ弾圧を始めた。幸千代は京都へ敗走し加賀国守護職の奪回工作を行なった、本書の加賀一向一揆の遠因を作った戦い。
- 足利義尚の六角高頼征伐出陣への従軍 西暦1,487年9月28日、足利義尚が香の袷・白綾の腹巻・赤地金襴に桐唐草の模様の直垂・重藤弓・粟田口吉光の太刀を身に纏い、六角高頼征伐の為坂本へ出陣した。兵力は391騎・8,000名で京極政経・京極高清・田中兵衛尉・土肥刑部少輔・大原政重・大原尚親・伊勢又六・吉田源四郎・岩室弥四郎が加わり、坂本で細川政元・斯波義寛・畠山政長・山名氏・一色氏・富樫政親・京極氏・武田国信等が合流した。此の際加賀国守護代山川高藤が富樫の命で等持院領加賀粟津保に兵糧200石・人夫100名を課し、等持院の反発を経て15貫200文納付と免除で決着した、本書の政親の六角征伐従軍。
- 八幡山・金剛寺攻撃 西暦1,487年10月10日、細川政元・武田国信・富樫政親・京極高清・仁木貞長・細川元治・伊勢貞陸・安富氏・上原氏・物部氏等率いる軍が、六角氏の要衝である伊庭氏の拠点八幡山・九里氏の拠点金剛寺を攻撃し、伊庭氏・九里氏は逃亡、室町幕府軍は此れ等を陥落させた。次に室町幕府軍は観音寺城攻略を目指した、本書の政親が六角征伐に於いて参戦した攻略戦。
- 反富樫機運の高揚と帰国・高尾城籠城 西暦1,488年1月、足利義尚の坂本出陣に際し富樫政親が兵粮米・軍費を領国加賀国の民衆に課した事から反富樫の機運が高まり、富樫は帰国して高尾城に入った。一揆方は富樫の家老山川高藤を介して和睦を伝えたが、富樫は受け入れず高尾城を修築して戦いに備えた、本書の政親没落の発端。
- 松坂信遠の敗死 西暦1,488年2月25日、越前国の朝倉孝景に援軍を要請した富樫政親の被官松坂信遠が2,000騎余で高尾城を出陣し槻津上野にて越前国の軍勢を待っていた所、今江兼治率いる加賀国江沼郡の7,000騎余の軍勢に攻められ討ち取られた、本書の政親側の緒戦敗北。
- 富樫泰高率いる一揆方の高尾城包囲開始 西暦1,488年6月、富樫政親に討たれた弟富樫幸千代(本願寺門徒を味方に付けていた)の敵を打つ為擁立された富樫泰高率いる本願寺門徒を始めとする一揆方が、政親が10,000名余の兵を率いて籠城している高尾城の包囲を開始した、本書の加賀一向一揆による高尾城包囲戦の開始。
- 朝倉援軍派遣命令と越前国境封鎖 西暦1,488年7月5日、足利義尚が越前国の朝倉孝景等に富樫政親の下へ援軍を派遣する様命じ、朝倉は応じて加賀国へ援軍を派遣したが、一揆方が越前国との国境を封鎖して入国を阻んだ、本書の幕府救援の頓挫。
- 大乗寺本陣と包囲本格化 西暦1,488年7月9日、一揆方が大乗寺に本陣を構え高尾城の包囲を本格化させた。富樫政親は高尾城から出て打って出たが、一揆方を破る事は出来なかった、本書の包囲戦の転換点。
- 倶利伽羅峠及び黒津船地内での援軍敗戦 西暦1,488年7月13日、富樫政親の救援に向かった遊佐氏・神保氏率いる2,000名の軍が倶利伽羅峠にて一揆方に敗れ、同日畠山義統が差し向けた援軍も河北郡黒津船地内にて本願寺門徒に敗れた。更に同日、富樫政親方の将本郷春親が本願寺門徒等の一揆方に高尾城の包囲を解く様促すも失敗、其の後富樫方と一揆方で小競り合いが発生した、本書の援軍壊滅と和睦交渉破綻の日。
- 高尾城総攻撃と200名余戦死 西暦1,488年7月15日6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃した。政親率いる1,500名の軍は大手門を松山左近・搦手の額谷口を森宗三郎が守将とし、斎藤八郎等が将兵を指揮した。政親方の本郷春親は河合藤左衛門の部隊を攻めたが伊藤久内に捕縛、息子本郷松千代丸が伊藤を斬殺するも木村八郎九郎に捕縛された。政親方の小川隼人成定は寺井豊後の部隊を攻撃し寺井の息子を斬殺したが丘で矢の雨を浴び斬首された。昼に休戦したが、本郷春親・額景春・額親家・林正蔵坊以下200名余の戦死者を出し、政親の家臣57名や城兵達は高尾城からの脱出を始めた、本書の終焉直前の決戦。
- 正室巴の脱出と山川高藤の裏切り 西暦1,488年7月15日、山川高藤は政親の正室巴を一揆方の光徳寺と申し合わせて高尾城から脱出させた。此れは山川の妹おわんが一揆方の安吉城主大窪家長に嫁いでいた事から実現した。又山川自身も政親を裏切り高尾城から脱出した、本書の内部瓦解の局面。
- 富樫政親の自害と高尾城落城 西暦1,488年7月17日、富樫政親が嫡男富樫家延と共に自害し高尾城が落城した。山川高藤は一揆方の将三池掃部率いる軍に捕縛され祇陀寺に幽閉されたが夕闇に紛れて脱出し越前国大野へ向かった。政親の後を追って、宮永八郎三郎・勝見与四郎・福光弥三郎以下を始めとする者達も自害した。政親の自害を聞いた足利義尚は激怒し、蓮如に本願寺門徒等の破門を迫った。政親の首級は富樫泰高によって灰の中から探し出され、大乗寺に葬られた、本書の終結点。
富樫泰高隠居に伴う第15代加賀国南半国守護就任・応仁の乱東軍参加・釘貫門に於ける足利義視通行阻止未遂・朝倉孝景支援拒否と富樫幸千代擁立画策・蓮台寺城攻略と富樫幸千代討伐・本願寺門徒弾圧開始・足利義尚の六角高頼征伐従軍と八幡山金剛寺攻略・反富樫機運による帰国と高尾城籠城・松坂信遠の槻津上野敗死・富樫泰高率いる一揆方の高尾城包囲開始・大乗寺本陣と包囲本格化・遊佐神保倶利伽羅峠敗戦と畠山義統黒津船地内援軍敗戦・6時からの高尾城総攻撃と本郷春親松千代丸以下200名余戦死・家臣57名脱出・山川高藤の裏切りと正室巴光徳寺経由脱出・嫡男家延と共なる自害と伴衆多数殉死・足利義尚激怒と蓮如への本願寺門徒破門要求・首級の富樫泰高による灰中からの回収と大乗寺埋葬──
加賀国南半国守護富樫政親の24年を一冊に。
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