大友政親一元化
大友親繁嫡男政親の生誕・九州三ヶ国侵攻・足利義政による豊後筑後守護任命・大内家干渉忌避による義右への家督譲渡・大聖院宗心の離間工作・日田親胤の謀反・足利義稙義澄を巡る父子分裂・田原親宗の府内侵攻失敗・筑前国逐電と船遭難・舟木地蔵院幽閉・義右急死と毒殺疑惑・切腹──
九州大友家を率いた52年を一本の時系列に貫く。
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西暦1,444年、第15代大友家当主大友親繁と大友親隆の娘との間に大友政親が生誕した日から、西暦1,496年7月20日、政親が舟木地蔵院にて切腹に追い込まれた日まで。本書は、大友家第16代当主大友政親の生涯——親繁嫡男としての生誕、細川勝元のお触れと足利義政の命に基づく豊前国・筑前国・肥前国及び長門国・周防国への侵攻、室町幕府による内藤藤左衛門尉・仁保盛安合戦の調停と少弐家による仁保盛安殺害、足利義政による家督正式承認と豊後国・筑後国守護任命、大内家の干渉を嫌っての嫡男大友義右への家督譲渡、大友親綱六男大聖院宗心の離間工作と叔父大内政弘への義右逐電、両者の和解と異母弟日田親胤の肥後国謀反、大友親繁五男大友親治による鎮圧後の大聖院宗心による讒言と再対立、足利義稙・足利義澄を巡る父子の支持分裂、重臣田原親宗の府内侵攻失敗、足利義稙の放生津城挙兵への呼応、筑前国逐電と立花山城を目指した豊後国臼杵出航、船の遭難と赤間関漂着・大内義興家臣杉信濃守による捕縛、舟木地蔵院への幽閉、大友義右の後継者無き儘の急死と毒殺疑惑、大内義興の征伐軍派遣、舟木地蔵院切腹と伴衆18名自害迄の約52年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,444年、大友親繁が第15代大友家当主となり、同年親繁は大友親隆の娘を正室として迎え、此の2名の間に大友政親が産まれた。1,468年11月、細川勝元が大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第注進によって充て行う旨のお触れを出した事を受けて、大友親繁・大友政親父子は豊前国・筑前国・肥前国への侵攻を開始した。又足利義政は親繁に、長門国・周防国にも侵入する様命じた。1,476年9月、室町幕府が大友政親・大内教幸に対し、内藤藤左衛門尉・仁保盛安が豊前国にて合戦しているのを止めさせ、和睦する様命じた。1,477年、足利義政が大友政親の家督継承を正式に認め、豊後国・筑後国の守護に任じた。同年5月9日、室町幕府は大友政親等に対し、大内政弘の下知状を持って大内教幸が周防国・長門国へ渡海するので協力せよとのお触れを止めて上洛させよとの命を下した。1,478年1月18日、政親は自らの調停により合戦は止んだが、少弐方が仁保盛安を殺害した為国中が正体無き成り行きとなり、内藤氏に与した族は遺恨を止めたものの九州大乱の元になりかねないと記した。
西暦1,484年、大内家の干渉を受ける事を嫌った大友政親が、自身の嫡男大友義右に家督を譲り、此れにより義右は第17代大友家当主に就任した。1,485年、大友親綱の六男大聖院宗心が政親・義右の離間を図り工作していた事や、大内家による干渉が尚も続いた事から、政親は次第に義右を疎ましく感じる様になり、両者が対立した。そして義右は叔父の大内政弘の下へ逐電した。政親の正室は、大内教弘の娘であった。1,487年、政親と義右が和解し、義右は大内家から大友家に帰還した。1,489年、政親の異母弟である日田親胤が肥後国にて謀反を起こした。此の時政親は上洛中であった為、大友親繁の五男大友親治が鎮圧し、親治は政親・義右を助けた。間も無くして大聖院宗心が義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言した。此れを信じた義右は激怒し、政親と再び対立した。
西暦1,493年3月3日、足利義稙が畠山義豊征伐の為出陣した。対立する政親・義右に於いては、政親が足利義澄を支持し、義右は義稙を支持した。同年10月11日、越中国の足利義稙勢が細川政元の派遣した軍勢を破った事により義稙は越中国全域を掌握し、九州の大友政親等の遠方の大名からの支持も集めた。1,494年6月、政親派の重臣で筑後国詰郡代の田原親宗が府内に侵攻し大友義右追放を狙ったが、義右は此れを撃破し田原は敗走した。同年10月20日、足利義稙が放生津城に移り挙兵し、足利義澄・細川政元の打倒を宣言して全国の諸将に檄を飛ばし、政親も呼応した。1,496年、少弐家対大内家の争いや足利義稙の催促に如何に対応するかといった点での意見の対立を契機に、大聖院宗心・市河親清・内宮内助・田北七郎兵衛・田原中務丞・小原新四郎の工作によって政親・義右の不和が再び表面化した。
西暦1,496年6月13日、大友政親が筑前国へ逐電した。同月23日、政親が北九州の大内領侵攻の為挙兵し、立花山城を目指して豊後国臼杵から出航したが、船は遭難して赤間関に流され、大内義興の家臣杉信濃守に捕えられて舟木地蔵院に幽閉された。同年7月7日、大友義右が後継者の居ない儘病死した。此の際、政親が義右を毒殺したとの噂が流れた。同月、大内義興が此の話を聞いて激怒し、政親征伐の兵を差し向けた。同月20日、大友政親が舟木地蔵院にて切腹に追い込まれ、伴衆18名も後を追って自害し、本書の終結点となった。
登場人物
- 大友政親 大友親繁の嫡男で大友家第16代当主。西暦1,444年に親繁と大友親隆の娘との間に生誕、1,468年11月以降父と共に豊前国・筑前国・肥前国に侵攻。1,476年9月には室町幕府から内藤・仁保合戦調停を命じられ、1,477年に足利義政から家督継承を正式に認められ豊後国・筑後国守護に任じられた。1,484年に大内家の干渉を嫌い嫡男義右に家督を譲るも、1,485年には大聖院宗心の離間工作と大内家の干渉で義右と対立。1,487年に和解、1,489年の日田親胤謀反後は宗心の讒言で再対立、1,493年には足利義澄を支持した後義稙側に転じた。1,494年10月に足利義稙の放生津城挙兵に呼応、1,496年6月13日に筑前国へ逐電、同月23日に立花山城を目指し臼杵を出航するも遭難、赤間関で杉信濃守に捕えられ舟木地蔵院に幽閉された。同年7月20日、舟木地蔵院にて切腹に追い込まれ、伴衆18名も後を追って自害した、本書の主人公。
- 大友親繁 大友家第15代当主、政親の父。西暦1,444年に第15代大友家当主となり、同年大友親隆の娘を正室として迎え政親を儲けた。1,468年11月、細川勝元のお触れと足利義政の命を受けて政親と共に豊前国・筑前国・肥前国及び長門国・周防国への侵攻を開始した、本書の発端の父。
- 大友親隆の娘 西暦1,444年、大友親繁の正室として迎えられ、同年政親を儲けた大友親隆の娘、本書の発端の母。
- 大友義右 大友政親の嫡男で大友家第17代当主。西暦1,484年、大内家の干渉を嫌った政親から家督を譲られ第17代大友家当主に就任した。1,485年に大聖院宗心の離間工作と大内家干渉で政親と対立し叔父大内政弘の下へ逐電、1,487年に和解して大友家に帰還した。1,489年の日田親胤謀反後は宗心の讒言を信じて政親と再対立。1,493年には父が足利義澄を支持する中、自身は足利義稙を支持した。1,494年6月、政親派重臣田原親宗の府内侵攻を撃破した。1,496年7月7日、後継者の居ない儘病死し、政親による毒殺との噂が流れた、本書の父子対立の相手方。
- 大友親治 大友親繁の五男で政親の弟。西暦1,489年、政親が上洛中の折に異母兄弟日田親胤が肥後国で起こした謀反を鎮圧し、政親・義右を助けた、本書の大友家の支柱。
- 日田親胤 大友政親の異母弟。西暦1,489年、政親が上洛中であった折に肥後国にて謀反を起こしたが、大友親治に鎮圧された、本書の九州内戦の火種。
- 大聖院宗心 大友親綱の六男。西暦1,485年に大友政親・大友義右の離間を図り工作し、政親・義右対立の原因となった。1,489年の日田親胤謀反鎮圧後には義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言し、義右を激怒させ政親との再対立を引き起こした。1,496年にも政親・義右不和再燃の中心人物となった、本書の父子対立を煽動し続けた黒幕。
- 田原親宗 大友政親派の重臣で筑後国詰郡代。西暦1,494年6月、大友義右追放を狙って府内に侵攻したが義右に撃破され敗走した、本書の政親派重臣による敗戦。
- 市河親清・内宮内助・田北七郎兵衛・田原中務丞・小原新四郎 西暦1,496年、大聖院宗心と共に大友政親・大友義右の不和再燃の工作を行った5名、本書の父子最終対立の煽動者群。
- 大内教弘 大内家当主で政親の岳父。大友政親の正室は大内教弘の娘であった、本書の政親と大内家の姻戚関係の基。
- 大内政弘 大内家当主で大友義右の叔父。西暦1,485年、政親と対立した義右が逐電し身を寄せた人物。1,468年11月に細川勝元が大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第充て行う旨のお触れを出した事から、大友父子の九州侵攻の対象ともなった。1,477年5月9日、政弘が先年の下知状を持って大内教幸の周防国・長門国渡海への協力を促すお触れを出していた、本書の政親を取り巻く大内家中枢。
- 大内教幸 西暦1,476年9月、室町幕府により大友政親と共に内藤藤左衛門尉・仁保盛安の豊前国合戦を止め和睦する様命じられた人物。1,477年5月9日には大内政弘の下知状を持って周防国・長門国へ渡海しようとしていた、本書の周防・長門情勢の焦点。
- 大内義興 大内家当主。西暦1,496年6月23日、家臣杉信濃守に遭難した大友政親を捕縛させ舟木地蔵院に幽閉させた。同年7月、大友義右を政親が毒殺したとの話を聞いて激怒し、政親征伐の兵を差し向け、同月20日の舟木地蔵院切腹に追い込んだ、本書の政親終焉をもたらした大内家当主。
- 杉信濃守 大内義興の家臣。西暦1,496年6月23日、赤間関に流れ着いた大友政親を捕えて舟木地蔵院に幽閉した、本書の政親捕縛の実行者。
- 内藤藤左衛門尉・仁保盛安 西暦1,476年9月、豊前国にて合戦しており、室町幕府が大友政親・大内教幸に止めさせ和睦させる様命じた当事者の2名。仁保盛安は政親の調停により一度は合戦が止んだものの、少弐方に殺害され、国中が正体無き成り行きとなった、本書の九州大乱の発端。
- 少弐家 西暦1,478年1月以前、政親の調停で止んだ合戦の後に仁保盛安を殺害した勢力。此の殺害により国中が正体無き成り行きとなり、九州大乱の元と成りかねない状況を生み出した、本書の九州情勢悪化の要因。
- 足利義政 室町幕府第8代将軍。西暦1,468年11月、大友親繁に長門国・周防国侵入を命じた人物。1,477年には大友政親の家督継承を正式に認め、豊後国・筑後国の守護に任じた、本書の政親家督を承認した将軍。
- 足利義稙 室町幕府第10代将軍。西暦1,493年3月3日、畠山義豊征伐の為出陣した将軍で、大友義右が支持した。同年10月11日に越中国の足利義稙勢が細川政元の派遣軍を破って以降、大友政親等遠方の大名の支持も集めた。1,494年10月20日、放生津城に移って挙兵し足利義澄・細川政元打倒を宣言、政親も呼応した、本書の政親が最終的に味方した将軍。
- 足利義澄 室町幕府第11代将軍。西暦1,493年、対立する政親・義右に於いて政親が支持した人物。1,494年10月20日、足利義稙の放生津城挙兵による打倒宣言の対象となった、本書の政親が当初支持した将軍。
- 細川勝元 西暦1,468年11月、大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第注進によって充て行う旨のお触れを出し、大友父子の九州三ヶ国侵攻の契機を作った人物、本書の政親侵攻の契機を作った管領。
- 細川政元 西暦1,493年10月11日、越中国で大内政弘等と対峙し足利義稙勢に軍勢を破られた管領。1,494年10月20日には足利義稙の放生津城挙兵による打倒宣言の対象となった、本書の足利義稙側の障害。
- 畠山義豊・畠山政長 西暦1,493年3月3日、足利義稙が畠山義豊配下の越智家栄・古市澄胤を寺社本所領侵略の理由で征伐する為出陣した際の当事者。畠山政長は先陣として牧に布陣した、本書の政親・義右の支持分裂が表面化した河内情勢の軸。
主要な地名・拠点
- 豊後国・筑後国 大友家の本拠と本領。西暦1,477年、足利義政が大友政親の家督継承を正式に認めた際、守護に任じられた2ヶ国、本書の政親統治の基盤。
- 豊前国・筑前国・肥前国 西暦1,468年11月、細川勝元のお触れを受けた大友親繁・政親父子が侵攻を開始した3ヶ国。豊前国は1,476年9月に内藤藤左衛門尉・仁保盛安が合戦した舞台でもあった。筑前国は1,496年6月13日に政親が逐電した地、本書の九州戦線の主戦場。
- 長門国・周防国 西暦1,468年11月、足利義政が大友親繁に侵入を命じた大内家本拠2ヶ国。1,477年5月9日には大内政弘の下知状を持って大内教幸が渡海しようとしていた、本書の大内家領の中核。
- 肥後国 西暦1,489年、大友政親の異母弟日田親胤が謀反を起こした地。政親が上洛中であった為、大友親治が鎮圧した、本書の九州内戦の発火点。
- 府内 現在の大分県大分市。西暦1,494年6月、政親派重臣で筑後国詰郡代の田原親宗が大友義右追放を狙い侵攻したが、義右に撃破された地、本書の政親派敗戦の地。
- 立花山城 現在の福岡県福岡市東区下原。西暦1,496年6月23日、大友政親が北九州の大内領侵攻の為挙兵し豊後国臼杵から出航した際に目指した城、本書の政親最後の攻撃目標。
- 臼杵 豊後国の港。西暦1,496年6月23日、大友政親が立花山城を目指して出航した地、本書の政親最後の出撃地。
- 赤間関 西暦1,496年6月23日、臼杵を出航した大友政親の船が遭難して流された地。大内義興家臣杉信濃守に捕縛された、本書の政親捕縛の地。
- 舟木地蔵院 現在の山口県宇部市船木。西暦1,496年6月23日、赤間関で捕縛された大友政親が杉信濃守によって幽閉された寺院。同年7月20日、政親が切腹に追い込まれた地であり、伴衆18名も後を追って自害した、本書の終焉の地。
- 放生津城 現在の富山県射水市中新湊。西暦1,494年10月20日、足利義稙が此処に移り挙兵し足利義澄・細川政元打倒を宣言した城。大友政親も此の呼びかけに呼応した、本書の政親が呼応した反細川挙兵の発信地。
- 越中国 西暦1,493年10月11日、足利義稙勢が細川政元の派遣した軍勢を破った地。此れにより義稙が此の国全域を掌握し、大友政親等の遠方の大名からの支持も集めた、本書の義稙勢力拡大の転機の地。
主要な事件・出来事
- 大友政親の生誕 西暦1,444年、第15代大友家当主に就任した大友親繁と大友親隆の娘との間に大友政親が産まれた、本書の発端。
- 豊前国・筑前国・肥前国侵攻開始 西暦1,468年11月、細川勝元が大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第注進によって充て行う旨のお触れを出した事を受けて、大友親繁・大友政親父子が豊前国・筑前国・肥前国への侵攻を開始した。又足利義政は親繁に長門国・周防国にも侵入する様命じた、本書の大友家九州戦線の始まり。
- 内藤・仁保合戦の調停命令 西暦1,476年9月、室町幕府が大友政親・大内教幸に対し、内藤藤左衛門尉・仁保盛安が豊前国で合戦しているのを止めさせ和睦する様命じた、本書の政親が調停役を担った初期の重要局面。
- 家督正式承認と豊後国・筑後国守護任命 西暦1,477年、足利義政が大友政親の家督継承を正式に認め、豊後国・筑後国の守護に任じた。同年5月9日には室町幕府が政親等に対し、大内政弘の下知状を持って大内教幸が周防国・長門国へ渡海するので協力せよとのお触れを止めて上洛させよとの命を下した、本書の政親の正式な家督確立。
- 仁保盛安殺害と九州大乱の危機 西暦1,478年1月18日、大友政親が記した所によると、自らの調停により合戦は止んだが少弐方が仁保盛安を殺害した為国中が正体無き成り行きとなり、内藤氏に与した族は遺恨を止めたものの九州大乱の元になりかねない状況となった、本書の九州情勢悪化の記録。
- 大友義右への家督譲渡 西暦1,484年、大内家の干渉を受ける事を嫌った大友政親が、自身の嫡男大友義右に家督を譲り、義右が第17代大友家当主に就任した、本書の父子二重権力体制の始まり。
- 大聖院宗心の離間工作と義右の逐電 西暦1,485年、大友親綱の六男大聖院宗心が大友政親・大友義右の離間を図り工作していた事や大内家による干渉が尚も続いた事から、政親は次第に義右を疎ましく感じる様になり両者が対立、義右は叔父の大内政弘の下へ逐電した。政親の正室は大内教弘の娘であった、本書の父子対立の発端。
- 政親・義右の和解 西暦1,487年、大友政親・大友義右が和解し、義右は大内家から大友家に帰還した、本書の一時的な父子融和。
- 日田親胤の謀反と大聖院宗心の讒言 西暦1,489年、大友政親の異母弟日田親胤が肥後国にて謀反を起こした。此の時政親は上洛中であり、大友親繁の五男大友親治が鎮圧し政親・義右を助けた。間も無くして大聖院宗心が義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言し、此れを信じた義右は激怒して政親と再び対立した、本書の父子再対立の契機。
- 足利義稙・義澄を巡る父子の支持分裂 西暦1,493年3月3日、足利義稙が畠山義豊征伐の為出陣した際、対立する政親・義右に於いては政親が足利義澄を支持し、義右は義稙を支持した。同年10月11日、越中国の足利義稙勢が細川政元の派遣軍を破り、此れにより義稙が越中国全域を掌握し九州の大友政親等の遠方の大名からの支持も集めた、本書の中央政局が父子対立に持ち込まれた場面。
- 田原親宗の府内侵攻失敗 西暦1,494年6月、大友政親派の重臣で筑後国詰郡代の田原親宗が大友義右追放を狙って府内に侵攻したが、義右は此れを撃破し田原は敗走した、本書の政親派の敗戦。
- 足利義稙の放生津城挙兵への呼応 西暦1,494年10月20日、足利義稙が放生津城に移り挙兵し、足利義澄・細川政元打倒を宣言して全国の諸将に檄を飛ばした。畠山義統・朝倉貞景・上杉房定・富樫稙泰・大友政親が呼応した、本書の政親が反細川陣営へと転じた場面。
- 政親・義右不和の再燃 西暦1,496年、少弐家対大内家の争いや足利義稙の催促への対応といった点での意見の対立を契機に、大聖院宗心・市河親清・内宮内助・田北七郎兵衛・田原中務丞・小原新四郎の工作によって大友政親・大友義右の不和が再び表面化した、本書の最終的な父子決裂。
- 筑前国逐電と立花山城侵攻の船遭難 西暦1,496年6月13日、大友政親が筑前国へ逐電した。同月23日、北九州の大内領侵攻の為挙兵し立花山城を目指して豊後国臼杵から出航したが、船は遭難して赤間関に流され、大内義興の家臣杉信濃守に捕えられて舟木地蔵院に幽閉された、本書の政親捕縛に至る一連の失策。
- 大友義右の急死と毒殺疑惑 西暦1,496年7月7日、大友義右が後継者の居ない儘病死した。此の際、大友政親が義右を毒殺したとの噂が流れた、本書の政親終焉をもたらす致命的な疑惑。
- 大内義興の征伐軍派遣 西暦1,496年7月、大内義興が大友政親が大友義右を毒殺したとの話を聞いて激怒し、政親征伐の兵を差し向けた、本書の政親終焉の直接的契機。
- 大友政親の切腹と伴衆18名自害 西暦1,496年7月20日、大友政親が舟木地蔵院にて切腹に追い込まれ、伴衆18名も後を追って自害した、本書の終結点。
大友親繁嫡男政親の生誕・九州三ヶ国侵攻・内藤仁保合戦調停・足利義政による豊後筑後守護任命・大内家干渉忌避による義右への家督譲渡・大聖院宗心の離間工作と義右逐電・日田親胤の肥後国謀反と讒言・足利義稙義澄を巡る父子分裂・田原親宗の府内侵攻失敗・足利義稙挙兵呼応・筑前国逐電と臼杵出航・船遭難と赤間関捕縛・舟木地蔵院幽閉・義右急死と毒殺疑惑・大内義興征伐軍・切腹と伴衆18名自害──
九州大友家を率いた52年を一冊に。
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