壬生晴富が憂えた風雨で
朽ちた文庫の惨状、
言語不明瞭で狂乱状態となった
壬生雅久が書筐の書物を
売り払う一元化
壬生晴富の劣化記録・宗祇と細川政元の大規模修繕・大内義興への援助依頼・後土御門天皇の勅命・三条西実隆の奏聞・壬生雅久の狂乱と書物売却・壬生于恒の田地論争勝訴・伊勢神宮と石清水八幡宮の文書紛失・川勝寺口の戦いの蓬屋破壊・後奈良天皇への裁断要請──
壬生家三代の文庫保全闘争56年を一本の時系列に貫く。
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本書について
西暦1,477年12月頃、官務壬生晴富は筆を執って記した——西暦1,471年12月頃に足利義政殿に命じられて文庫の屋根を葺き替えたが、既に数年が経ち、大きく損傷し、度重なる雨により壁が雪崩て、其の状態は言葉にならない程酷いものである、と。戦乱の後も暫くは平穏無事であったが、今後は湿損するであろう、とも書き添えている。本書は、此の一文を起点として、室町幕府の公文書庫である「文庫」が風雨に朽ちてゆく約56年間を、壬生晴富・壬生雅久・壬生于恒という壬生家三代の記録を通して年月日単位で一元化した書である。
西暦1,490年12月、修繕は一度だけ大きく動いた。18日、静円房・三郎五郎・七郎三郎が文庫の屋根の南側を葺き、翌19日に屋根は葺き上がる。21日には、前日に明静房が受け取りに行って持ち帰った粟田口(現在の京都府京都市東山区・左京区)の瓦が載せられた。文庫内の棚等が修繕され、番匠が作業に来て、河原者は壁土を塗る。南側の廂等の外側に在った竹垣が破損していた為、此の日から茂加利を結び始め、東側は元々茂加利であったものを結び直した。北側の棚は、柱や壁に垂木を入れて補強する為、一度破却されている。櫃も破損していた為に修理され、崩れ落ちていた土は補充された。然し、南東や南廂の竹垣が朽ちて壊れ、櫃を十数個取り出した所、文書は湿って損傷していた。同年、宗祇と細川政元の尽力により、葺と板戸の修繕も行われている。
資金は続かなかった。西暦1,493年、使者が周防国の大内館に派遣され、文庫等が破損した件に就いて大内義興に修繕費用の援助が依頼される。西暦1,494年3月5日、官務壬生晴富は記した——文庫の修繕には従来、諸国からの段銭・棟別銭、或いは御倉からの納銭・御物の寄付等によって毎回厳重な対応が為されて来たが、近年は其の措置が十分に行われず、土壁が崩れ落ち、庫内の柱が腐って朽ち、外からも内からも透けて見える状態となり、文書は日を追う毎に朽ちて損傷していた、と。同年2月20日には強風で仮屋が倒れ、風雨により漏湿は益々酷くなった。諸家の文籍は全て紛失し、文庫に残された物は天下の明鏡として備えておくべき物であったにも拘らず、此の様な事態に至って滅失してしまうのは誠に嘆かわしい限りです——晴富の筆は、其処まで踏み込んでいる。
西暦1,495年2月10日には台風が文庫の仮屋を破損させ、文書を雨や露から守る為の修繕が行われた。西暦1,496年5月頃、晴富は再び記す。近年資金不足の為に修繕を行う事が出来ず、日を追う毎に朽ちて損傷が進んでいる。此の為、後土御門天皇が足利義澄殿に勅命を出し、足利殿も費用の徴収を命じたが、捻出する事は出来なかった。仮屋は先日の大風雨で破損した後まだ修繕されておらず、漏湿が酷く、言葉に尽くせない程の惨状である、と。記した翌日、晴富は清元定・波々伯部氏に文庫の屋根の葺き替えを申し付けた。然し同年6月頃の時点でも修繕は為されず、風雨による漏湿は酷いままであった。9月18日に仮屋の葺き替えの指示が出て、20日、雨の中で作業を続けた3日間の末に上葺が完了する。10月6日、晴富は町広光に対して文庫の漏湿を報告した。西暦1,497年4月頃には三条西実隆が文庫の破損に就いて後土御門天皇に奏聞し、天皇は修繕の詳細や方法に就いて尋ねる様指示、三条西は内々に押小路師富経由で申し付けている。
そして西暦1,504年12月4日、文庫は最も静かな形で失われた。病により言語不明瞭で狂乱状態となった壬生雅久が、文庫の文書を売り払ったのである。書筐の中には、殆ど書物が残っていなかった。風雨でも戦火でもなく、守るべき職にあった者自身の手によって、記録は散逸した。
第三世代は、再び立て直そうとする。西暦1,518年10月27日、壬生于恒が記す。山城国の壬生(現在の京都府京都市中京区)にて東松軒と田地約991.74㎡に関する論争が起こり、此の田地は文庫の境内の下地に該当する為、公物に準ずるべきである、と。結論として、其の下地から得た収益物を返付させた上で田地を知行し、継続的に文庫の修繕に努める事を命じる奉書を賜った。然し失われた文書は戻らない。前年に官務に補任された于恒は、西暦1,521年3月20日、伊勢神宮の遷宮の沙汰に際して御装束の本様が選定されたにも拘らず記録が見当たらぬ事を書き留め、文庫が退転した為に紛失したのだろうか、只々神慮に委ねるばかりで有る、と結んだ。西暦1,525年には、石清水八幡宮の遷宮の日時を決める際、陣儀を行うか否かの準拠すべき例のうち石清水八幡宮の文書のみが見つからず、文書を紛失した為であるとして広橋守光殿に報告している。
西暦1,533年頃、于恒は再び筆を執った。新たに私邸を構える事、又文庫の修繕に準じる様仰せられた事に就いて、後奈良天皇のご慈悲が有るとはいえ、京都の混乱により此の件を放置する事は出来ない。何度も申し付け、書状を送り、2年1ヶ月が過ぎ、漸く太平の世となった今、ご裁断を賜りたく存じます——動乱の最中に文書は雑然と放置され、蓬屋は川勝寺口の戦いによって破壊された。其の後様々な場所で寄宿や術策に手を尽くしたが、全て尽きてしまった。恐れ多い事に阿保今雄殿以来の奉公を続ける様命じられた身であり、此の能力に非ずとも、益々家業に励むのが相応しいと存じます。文庫と共に朽ちてゆく家業を、それでも継ごうとする一文で、本書は幕を閉じる。
主要登場人物
- 壬生晴富 本書の第一世代の中心人物。室町幕府の官務。西暦1,477年12月頃から1,496年10月6日まで、文庫の劣化を繰り返し記録し続けた。西暦1,471年12月頃に足利義政の命で葺き替えた屋根が朽ちる様を憂え、西暦1,494年3月5日には土壁の崩落・庫内の柱の腐朽・諸家の文籍の紛失を「言葉に尽くせない程の惨状」と書き留めた。西暦1,496年5月頃には清元定・波々伯部氏へ屋根の葺き替えを申し付け、同年10月6日には町広光へ漏湿を報告している。
- 壬生雅久 本書の第二世代の中心人物。壬生晴富の後を継いだ官務。西暦1,504年12月4日、病により言語不明瞭で狂乱状態となり、文庫の文書を売り払った。書筐の中には、殆ど書物が残っていなかった。
- 壬生于恒 本書の第三世代の中心人物。西暦1,518年10月27日、山城国の壬生(現在の京都府京都市中京区)で東松軒と田地約991.74㎡を巡って論争し、其の下地から得た収益物を返付させた上で田地を知行し、継続的に文庫の修繕に努める事を命じる奉書を賜った。西暦1,520年に官務へ補任され、西暦1,521年3月20日には伊勢神宮遷宮の御装束の本様の記録紛失を、西暦1,525年には石清水八幡宮の文書紛失を広橋守光へ報告。西暦1,533年頃、川勝寺口の戦いで蓬屋を破壊された後、後奈良天皇へ裁断を要請した。
- 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。西暦1,471年12月頃、壬生晴富に文庫の屋根の葺き替えを命じた。其の葺き替えから数年で文庫は大きく損傷し、本書の記録はそこから始まる。
- 足利義澄 第11代室町幕府征夷大将軍。西暦1,496年5月頃、後土御門天皇の勅命を受けて文庫の修繕費用の徴収を命じたが、捻出する事は出来なかった。
- 後土御門天皇 第103代天皇。西暦1,496年5月頃、文庫の修繕の為に足利義澄へ勅命を出した。西暦1,497年4月頃には三条西実隆から文庫破損の奏聞を受け、修繕の詳細や方法に就いて尋ねる様指示している。
- 後奈良天皇 第105代天皇。西暦1,533年頃、壬生于恒から、川勝寺口の戦いで蓬屋を破壊された後の私邸の新造と文庫の修繕に関する裁断を求められた。動乱の最中に文書が雑然と放置されている状態を訴えられた、本書の最後に登場する天皇。
- 大内義興 周防国の大内館の当主。西暦1,493年、壬生家から派遣された使者により、文庫等が破損した件に就いて修繕費用の援助を依頼された。
- 細川政元 細川京兆家当主。西暦1,490年、宗祇と共に文庫の葺と板戸の修繕に尽力した。
- 宗祇 連歌師。西暦1,490年、細川政元と共に文庫の葺と板戸の修繕に尽力した、文庫の保全に手を差し伸べた数少ない文人。
- 三条西実隆 公家。西暦1,497年4月頃、文庫の破損に就いて後土御門天皇に奏聞し、天皇の指示を受けて内々に押小路師富経由で申し付けた。
- 押小路師富 公家。西暦1,497年4月頃、三条西実隆から文庫修繕の件に就いて内々に申し付けられた、奏聞の連絡を担った人物。
- 町広光 西暦1,496年10月6日、壬生晴富から文庫の漏湿に関する報告を受けた人物。
- 広橋守光 公家。西暦1,525年、壬生于恒から、石清水八幡宮の遷宮の日時を決める際に石清水八幡宮の文書のみが見つからなかった件の報告を受けた。
- 東松軒 西暦1,518年10月27日、山城国の壬生にて壬生于恒と田地約991.74㎡に関する論争を起こした相手。此の田地は文庫の境内の下地に該当し、論争の結末として于恒は文庫修繕の継続を命じる奉書を賜った。
- 清元定 西暦1,496年5月頃、壬生晴富から文庫の屋根の葺き替えに就いて申し付けられた人物。
- 波々伯部氏 西暦1,496年5月頃、清元定と共に、壬生晴富から文庫の屋根の葺き替えに就いて申し付けられた。
- 静円房 西暦1,490年12月18日、三郎五郎・七郎三郎と共に文庫の屋根の南側を葺いた。翌日は北側を葺く予定とされた。
- 三郎五郎 西暦1,490年12月18日、静円房・七郎三郎と共に文庫の屋根の南側を葺いた職人。
- 七郎三郎 西暦1,490年12月18日、静円房・三郎五郎と共に文庫の屋根の南側を葺いた職人。
- 明静房 西暦1,490年12月20日、粟田口(現在の京都府京都市東山区・左京区)から買い入れた瓦を受け取りに行き、持ち帰った。其の瓦は翌21日、文庫の屋根に載せられた。
- 阿保今雄 壬生家の祖。西暦1,533年頃の壬生于恒の記録に「阿保今雄殿以来の奉公を続ける様命じられました」と現れる、家業の起源を示す名。
文庫を巡る出来事の系譜
- 足利義政の命による葺き替え 西暦1,471年12月頃、壬生晴富が足利義政の命を受けて文庫の屋根を葺き替えた。本書の記録は、此の葺き替えが数年で朽ちた所から始まる。
- 西暦1,477年12月頃の劣化記録 壬生晴富が、文庫は既に大きく損傷し、度重なる雨により壁が雪崩て、其の状態は言葉にならない程酷いと記した。戦乱の後も平穏無事であったが、今後は湿損するであろうとも書き添えている。
- 西暦1,490年12月の大規模修繕 18日に静円房・三郎五郎・七郎三郎が屋根の南側を葺き、19日に屋根が葺き上がる。21日には明静房が持ち帰った粟田口の瓦が載せられ、棚の修繕、番匠の作業、河原者による壁土塗り、茂加利結び、櫃の修理、土の補充が行われた。同年、宗祇と細川政元の尽力により葺と板戸の修繕も為された。
- 櫃十数個の開封 西暦1,490年12月21日、文庫の南東や南廂の竹垣が朽ちて壊れ、櫃を十数個取り出した所、文書は湿って損傷していた。修繕の只中で確認された、劣化の実態。
- 西暦1,493年の大内義興への援助依頼 使者が周防国の大内館に派遣され、文庫等が破損した件に就いて、大内義興に修繕費用の援助を依頼した。
- 西暦1,494年3月5日の惨状記録 官務壬生晴富が、従来の段銭・棟別銭・御倉からの納銭・御物の寄付による厳重な対応が近年行われず、土壁が崩れ落ち、庫内の柱が腐って朽ちたと記す。同年2月20日の強風で仮屋が倒れ、漏湿は益々酷くなった。諸家の文籍は全て紛失し、天下の明鏡として備えておくべき物が滅失する事を「誠に嘆かわしい限り」と結んでいる。
- 西暦1,495年2月10日の台風 台風により文庫の仮屋が破損し、文書を雨や露から守る為の修繕が行われた。
- 西暦1,496年5月頃の勅命と費用捻出の失敗 資金不足で修繕が出来ぬ為、後土御門天皇が足利義澄に勅命を出し、足利も費用の徴収を命じたが、捻出する事は出来なかった。壬生晴富は記した翌日、清元定・波々伯部氏に屋根の葺き替えを申し付けている。
- 西暦1,496年9月の仮屋上葺 18日に仮屋の葺き替えを行い適切に取り計らう様指示が出て、20日に上葺が完了する。雨の中でも作業を行い、3日間で終えた。同年10月6日、壬生晴富は町広光へ文庫の漏湿を報告した。
- 西暦1,497年4月頃の奏聞 三条西実隆が文庫の破損に就いて後土御門天皇に奏聞し、天皇は修繕の詳細や方法に就いて尋ねる様指示。三条西は内々に押小路師富経由で申し付けた。
- 西暦1,504年12月4日の書物売却 病により言語不明瞭で狂乱状態となった壬生雅久が、文庫の文書を売り払う。書筐の中には、殆ど書物が残っていなかった。本書の書名が指す一幕。
- 西暦1,518年10月27日の田地論争 山城国の壬生(現在の京都府京都市中京区)で東松軒と田地約991.74㎡に関する論争が起こる。此の田地は文庫の境内の下地に該当する為、公物に準ずるべきとされ、収益物の返付と田地の知行、継続的な文庫修繕を命じる奉書が壬生于恒に下された。
- 遷宮に際しての文書紛失 西暦1,521年3月20日、伊勢神宮の遷宮で御装束の本様が選定されながら記録が見当たらず、壬生于恒は文庫が退転した為の紛失かと書き残した。西暦1,525年には石清水八幡宮の遷宮の日時を決める際、準拠すべき例のうち石清水八幡宮の文書のみが見つからず、広橋守光へ報告している。
- 西暦1,533年頃の裁断要請 川勝寺口の戦いで蓬屋を破壊された壬生于恒が、私邸の新造と文庫の修繕に関して後奈良天皇の裁断を求めた。2年1ヶ月に亙り書状を送り続けた末の要請であり、動乱の最中に文書が雑然と放置されている状態を訴えている。
壬生晴富の劣化記録・宗祇と細川政元の大規模修繕・大内義興への援助依頼・後土御門天皇の勅命・三条西実隆の奏聞・壬生雅久の狂乱と書物売却・壬生于恒の田地論争勝訴・伊勢神宮と石清水八幡宮の文書紛失・川勝寺口の戦いの蓬屋破壊・後奈良天皇への裁断要請──
壬生家三代の文庫保全闘争56年を一冊に。
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