京極持清・多賀高忠vs
六角高頼・山内政綱の
近江国での一進一退の攻城戦一元化
本書について
西暦1467年11月13日、六角高頼が馬淵にて六角政堯と交戦した日から、西暦1475年11月26日、六角高頼が佐々木荘にて京極政経と延暦寺山門衆徒を破った日まで。本書は、応仁の乱の主戦場である京都を離れ、東軍京極持清・京極勝秀・京極政経・多賀高忠・六角政堯と、西軍六角高頼・山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆・佐治為重との間で繰り広げられた近江国を舞台とした一進一退の攻城戦を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。観音寺城を巡る三度の争奪、近江国守護職の京極持清→六角政堯→京極持清→京極政経への三度の交替、そして高野瀬城・長光寺城・守山城・押立城・梁瀬城・金剛寺城・慈恩寺城を巡る連続した城攻めを、約8年間に亙って追跡しています。
西暦1467年11月13日の馬淵での六角高頼と六角政堯の交戦に始まり、西暦1468年1月8日の京極持清による高野瀬城落城、同年4月17日の京極勝秀による観音寺城襲撃と六角高頼・陣代山内政綱不在中の伊庭行隆の迎撃、同年4月23日の伊庭行隆による開城と京極勝秀の甲賀郡侵攻による佐治為重への攻撃、同年5月18日の山内政綱による六角政尭築城の長光寺城落城、同年7月の六角高頼罷免と六角政堯の第19代室町幕府近江国守護就任、同年12月13日の弓削における信濃守討死と三沢彦四郎への太刀一振下賜・瑞光寺と七堂伽藍の全焼、同年12月18日の京極持清・六角政堯による守山城落城、同年12月の六角政堯方による垣見での六角高頼方撃破、同年12月21日の京極持清・六角政堯による観音寺城侵攻と山内政綱の自焼敗走へと続いていきます。京極勝秀の積極攻勢と、留守の六角高頼に代わって観音寺城を守った伊庭行隆・山内政綱の防戦が織りなす、初期の攻防です。
西暦1469年6月、六角高頼が観音寺城奪還のため出陣すると、室町幕府は六角政堯の近江国守護職を罷免し京極持清を第20代室町幕府近江国守護に据えました。激昂した高頼は観音寺城を奪還して修復・籠城し、京極持清は多賀高忠と六角政堯を派遣、対する高頼は山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と支城・砦に配置して東軍を撃退しました。然し東軍は同年9月1日に押立城、同年9月6日に梁瀬城、同年9月23日に多賀高忠が山内政綱の守備する金剛寺城を落城させ、佐治為重に付いて活躍した佐治氏は部下の戦死者を多数出し佐治為重の息子も戦死。同年9月25日の多賀高忠による慈恩寺城撃破、同年10月1日の観音寺城下石寺での六角高頼撃破と観音寺城落城、東軍による高頼追撃と多賀高忠への足利義政感状下賜、西暦1470年3月14日の観音寺城馬場での再撃破へと、多賀高忠が一気に攻勢を強めます。然し戦局は固定せず、西暦1473年10月21日に京極政経が第24代室町幕府近江国守護に就任、西暦1475年9月6日には六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が室町幕府に六角征伐を願い出て、同年10月、出雲国に落ち延びていた京極政経・多賀高忠が出雲国の国人衆を率いて上洛、京極政経は第19代室町幕府出雲国守護に補任され六角氏から近江国を奪還するよう命じられます。然し同年11月26日、六角高頼は佐々木荘にて京極政経・延暦寺山門衆徒を破り、近江国の攻防は決着を見ないまま閉じられました。応仁の乱本戦の影で、近江国の戦線が独自の論理で延々と続いた8年間の物語です。
主要登場人物
- 京極持清 東軍。1468年1月8日に高野瀬城を落城、同年12月18日に守山城を落城、同年12月21日に観音寺城を山内政綱から奪取。1469年6月に第20代室町幕府近江国守護に補任され、多賀高忠・六角政堯を派遣して六角高頼方と争った、本書の主役の一人。
- 多賀高忠 侍所所司代。京極持清配下。1469年6月に観音寺城派遣、同年9月23日に金剛寺城落城、同年9月25日に慈恩寺城撃破、同年10月1日に観音寺城下石寺で六角高頼を破り観音寺城落城させて足利義政から感状を下賜。1470年3月14日にも観音寺城馬場で六角高頼方を破った、東軍の近江国攻防の中心人物。
- 六角高頼 西軍。観音寺城主。1467年11月13日に馬淵で六角政堯と交戦して以降、京都に出ていた留守中に観音寺城を京極勝秀に襲撃され、1468年7月に近江国守護職を罷免された後、1469年6月に観音寺城を奪還して修復・籠城。1475年11月26日に佐々木荘で京極政経・延暦寺山門衆徒を破った、本書の主役の一人。
- 山内政綱 六角高頼の陣代。1468年4月17日の京極勝秀による観音寺城襲撃時には六角高頼と共に京都にいたが、同年5月18日に六角政尭築城の長光寺城を落城させ、同年12月13日には弓削で京極持清・六角政堯を破る。1468年12月21日の観音寺城防衛では持ち堪えられず火を放って敗走、1469年9月23日には金剛寺城を多賀高忠に落とされた、本書の主役の一人。
- 六角政堯 六角氏の同族で東軍。1467年11月13日に馬淵で六角高頼と交戦、1468年7月に第19代室町幕府近江国守護に就任。同年12月18日の守山城落城・同年12月21日の観音寺城侵攻に京極持清と共に参加するも、1469年6月に守護職を罷免され多賀高忠の脇で六角高頼方と戦った。
- 京極勝秀 京極持清の嫡男。1468年4月17日に六角高頼の居城観音寺城を襲撃、同年4月23日に甲賀郡へ侵攻し佐治為重を攻撃した、東軍の積極攻勢の旗手。
- 京極政経 1473年10月21日に第24代室町幕府近江国守護に就任。1475年10月に出雲国国人衆を率いて多賀高忠と共に上洛、第19代室町幕府出雲国守護に補任され六角氏から近江国を奪還するよう命じられたが、同年11月26日に佐々木荘で六角高頼に敗れた。
- 伊庭行隆 六角高頼の家老。1468年4月17日の京極勝秀による観音寺城襲撃に対し、留守居役として迎撃するも同年4月23日に開城。1469年6月の六角高頼観音寺城奪還時には支城・砦に配置され、東軍を撃退した。
- 伊庭貞隆 六角高頼方。1469年6月の観音寺城奪還後、山内政綱・伊庭行隆と共に観音寺城と其の支城・砦に配置され、京極持清が派遣した多賀高忠・六角政堯を撃退した、伊庭一族の防戦の中心。
- 佐治為重 六角高頼方。近江国甲賀郡佐治荘の佐治城を本拠とする佐治氏の当主。1468年4月23日に京極勝秀の甲賀郡侵攻を受け攻撃された。1469年9月23日の金剛寺城攻防で部下を多数失い、息子も戦死。
- 信濃守 1468年12月13日の弓削の戦いで討死した武将。山内政綱が京極持清・六角政堯を破ったこの戦闘の象徴的死者で、瑞光寺と七堂伽藍が全焼する激戦の犠牲となった。
- 三沢彦四郎 1468年12月13日の弓削の戦いで太刀一振を下賜された武将。山内政綱との戦闘で武功を認められた。
- 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。1468年7月に六角高頼を罷免し六角政堯を、1469年6月に六角政堯を罷免し京極持清を、1473年10月21日に京極政経を順次近江国守護に据え、1469年10月1日には観音寺城下石寺の戦勝で多賀高忠に感状を下賜した。
- 延暦寺山門衆徒 1475年9月6日に六角高頼に山門領を押領されたとして室町幕府に六角征伐を願い出て、同年11月26日には佐々木荘で京極政経と共に六角高頼と戦ったが敗北した。