電子書籍「京極持清・多賀高忠vs六角高頼・山内政綱の近江国での一進一退の攻城戦一元化」の表紙

京極持清・多賀高忠vs
六角高頼・山内政綱の
近江国での一進一退の
攻城戦一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,467年11月13日〜1,475年11月26日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
7ページ
文字数
1,634字
最新更新日
西暦2,026年10月5日

観音寺城を巡る攻防と、相次ぐ落城──
近江国での一進一退の攻城戦を一元化。

133円(税込)

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本書について

西暦1,467年11月13日、六角高頼が、馬淵(現在の滋賀県近江八幡市)にて六角政堯と交戦する。本書は、此の馬淵での交戦から、京極持清方と六角高頼方の城を巡る攻防を経て、西暦1,475年11月26日に六角高頼が佐々木荘にて京極政経・延暦寺山門衆徒を破る迄を一元化した記録である。

西暦1,468年1月8日、京極持清が、六角高頼方の高野瀬城(現在の滋賀県犬上郡豊郷町高野瀬)を落城させる。4月17日頃、京極持清の嫡男京極勝秀が、六角高頼の居城である観音寺城(現在の滋賀県近江八幡市安土町石寺)を襲撃する。此の時、六角高頼・六角の陣代山内政綱は京都に居り、代わりに留守居役の家老伊庭行隆が迎撃した。4月23日、伊庭行隆が、観音寺城を開城する。又4月23日頃、京極勝秀が甲賀郡に侵攻し、六角高頼方の佐治為重を攻撃する。5月18日、六角高頼方の山内政綱が、六角政尭が築城させた長光寺城(現在の滋賀県近江八幡市長光寺町)を落城させる。7月頃、六角高頼に代わり、六角政堯が第19代室町幕府近江国守護に就任する。

12月13日、弓削にて、信濃守が討死し、三沢彦四郎に太刀一振が与えられる。此の戦いに於いて、六角高頼方の山内政綱に敗れた京極持清・六角政堯は、軍備を整えた。此の戦いで瑞光寺(現在の滋賀県蒲生郡竜王町弓削)・七堂伽藍が全焼した。12月18日、京極持清・六角政堯が、六角高頼方の守山城(現在の滋賀県守山市守山)を落城させる。12月頃、六角政堯方が、垣見(現在の滋賀県東近江市)にて、六角高頼方を破る。12月21日、京極持清・六角政堯率いる軍が観音寺城へ侵攻する。山内政綱は持ち堪える事が出来ず、火を放って敗走した。

西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。此れを受けて室町幕府は、六角政堯の近江国守護職を罷免し、京極持清を第20代室町幕府近江国守護に据えた。此れに激昂した高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。京極持清は、多賀高忠・六角政堯を観音寺城に派遣した。対する高頼は、山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。9月1日、京極持清方が、六角高頼方の押立城(現在の滋賀県東近江市下里町)を落城させる。9月6日頃、京極持清方が、六角高頼方の梁瀬城(現在の滋賀県東近江市五個荘簗瀬町)を落城させる。9月23日、京極持清方の多賀高忠が、六角高頼方の山内政綱の守備する金剛寺城(現在の滋賀県近江八幡市)を攻め、落城させる。近江国甲賀郡佐治荘(現在の滋賀県甲賀市甲賀町小佐治付近)の佐治城を本拠とする佐治氏は、山内に付いて活躍したものの、部下の戦死者を多数出し、佐治為重の息子も戦死した。9月25日、多賀高忠が、慈恩寺城(現在の滋賀県近江八幡市)に於いて、六角高頼方を破る。10月1日、多賀高忠が、観音寺城下石寺に於いて、六角高頼方を破る。多賀高忠率いる軍は、観音寺城を落城させ、其の後、東軍は、六角高頼を追撃した。多賀は足利義政から感状を受け取った。

西暦1,470年3月14日、多賀高忠が、観音寺城馬場に於いて、六角高頼方を破る。西暦1,473年10月21日、京極政経が、第24代室町幕府近江国守護に就任する。西暦1,475年9月6日、六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が、室町幕府に六角征伐を願い出る。10月頃、出雲国に落ち延びていた京極政経・多賀高忠が、出雲国の国人衆を率いて上洛する。東軍に付いていた京極政経は、第19代室町幕府出雲国守護に補任され、六角氏から近江国を奪還する様命じられた。11月26日、六角高頼が、佐々木荘(現在の滋賀県近江八幡市安土町地区)にて京極政経・延暦寺山門衆徒を破る。馬淵での交戦から、高野瀬城・長光寺城・守山城・押立城・梁瀬城・金剛寺城の落城と、観音寺城を巡る攻防を経て、佐々木荘での戦いに至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 京極持清 西暦1,468年1月8日、六角高頼方の高野瀬城を落城させる。12月13日、弓削にて、六角政堯と共に六角高頼方の山内政綱に敗れ、軍備を整えた。12月18日、六角政堯と共に、六角高頼方の守山城を落城させる。12月21日、京極持清・六角政堯率いる軍が観音寺城へ侵攻する。山内政綱は持ち堪える事が出来ず、火を放って敗走した。西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。此れを受けて室町幕府は、六角政堯の近江国守護職を罷免し、京極持清を第20代室町幕府近江国守護に据えた。此れに激昂した高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。京極持清は、多賀高忠・六角政堯を観音寺城に派遣した。
  • 多賀高忠 京極持清方。西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。京極持清は、多賀高忠・六角政堯を観音寺城に派遣した。9月23日、多賀は、六角高頼方の山内政綱の守備する金剛寺城を攻め、落城させる。9月25日、慈恩寺城に於いて、六角高頼方を破る。10月1日、観音寺城下石寺に於いて、六角高頼方を破る。多賀高忠率いる軍は、観音寺城を落城させ、其の後、東軍は、六角高頼を追撃した。多賀は足利義政から感状を受け取った。西暦1,470年3月14日、観音寺城馬場に於いて、六角高頼方を破る。西暦1,475年10月頃、出雲国に落ち延びていた京極政経・多賀高忠が、出雲国の国人衆を率いて上洛する。
  • 六角高頼 西暦1,467年11月13日、馬淵にて六角政堯と交戦する。西暦1,468年4月17日頃、京極勝秀が、六角高頼の居城である観音寺城を襲撃する。此の時、六角高頼・六角の陣代山内政綱は京都に居り、代わりに留守居役の家老伊庭行隆が迎撃した。7月頃、六角高頼に代わり、六角政堯が第19代室町幕府近江国守護に就任する。西暦1,469年6月頃、高頼は、観音寺城奪還の為出陣する。此れを受けて室町幕府は、六角政堯の近江国守護職を罷免し、京極持清を第20代室町幕府近江国守護に据えた。此れに激昂した高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。高頼は、山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。10月1日、六角高頼方は、観音寺城下石寺に於いて、多賀高忠に破られる。多賀高忠率いる軍は、観音寺城を落城させ、其の後、東軍は、六角高頼を追撃した。西暦1,475年9月6日、六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が、室町幕府に六角征伐を願い出る。11月26日、高頼は、佐々木荘にて京極政経・延暦寺山門衆徒を破る。
  • 山内政綱 六角高頼方。六角の陣代。西暦1,468年4月17日頃、京極勝秀が観音寺城を襲撃した際、六角高頼と共に京都に居た。5月18日、山内政綱は、六角政尭が築城させた長光寺城を落城させる。12月13日、弓削にて、京極持清・六角政堯を破る。12月21日、京極持清・六角政堯率いる軍が観音寺城へ侵攻する。山内政綱は持ち堪える事が出来ず、火を放って敗走した。西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。高頼は、山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。9月23日、山内政綱の守備する金剛寺城を、京極持清方の多賀高忠が攻め、落城させる。佐治城を本拠とする佐治氏は、山内に付いて活躍したものの、部下の戦死者を多数出し、佐治為重の息子も戦死した。
  • 六角政堯 西暦1,467年11月13日、馬淵にて六角高頼と交戦する。西暦1,468年7月頃、六角高頼に代わり、第19代室町幕府近江国守護に就任する。12月13日、弓削にて、京極持清と共に六角高頼方の山内政綱に敗れ、軍備を整えた。12月18日、京極持清と共に、六角高頼方の守山城を落城させる。12月頃、六角政堯方が、垣見にて、六角高頼方を破る。12月21日、京極持清・六角政堯率いる軍が観音寺城へ侵攻する。西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。此れを受けて室町幕府は、六角政堯の近江国守護職を罷免した。高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。京極持清は、多賀高忠・六角政堯を観音寺城に派遣した。
  • 京極勝秀 京極持清の嫡男。西暦1,468年4月17日頃、六角高頼の居城である観音寺城を襲撃する。此の時、六角高頼・六角の陣代山内政綱は京都に居り、代わりに留守居役の家老伊庭行隆が迎撃した。4月23日、伊庭行隆が、観音寺城を開城する。又4月23日頃、京極勝秀は、甲賀郡に侵攻し、六角高頼方の佐治為重を攻撃する。
  • 京極政経 西暦1,473年10月21日、第24代室町幕府近江国守護に就任する。西暦1,475年10月頃、出雲国に落ち延びていた京極政経・多賀高忠が、出雲国の国人衆を率いて上洛する。東軍に付いていた京極政経は、第19代室町幕府出雲国守護に補任され、六角氏から近江国を奪還する様命じられた。11月26日、佐々木荘にて、延暦寺山門衆徒と共に、六角高頼に破られる。
  • 伊庭行隆 留守居役の家老。西暦1,468年4月17日頃、京極勝秀が観音寺城を襲撃する。此の時、六角高頼・六角の陣代山内政綱は京都に居り、代わりに伊庭行隆が迎撃した。4月23日、観音寺城を開城する。西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。高頼は、山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。
  • 伊庭貞隆 西暦1,469年6月頃、六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。高頼は、山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。
  • 佐治為重 六角高頼方。西暦1,468年4月23日頃、甲賀郡に侵攻した京極勝秀に攻撃される。西暦1,469年9月23日、京極持清方の多賀高忠が、山内政綱の守備する金剛寺城を攻め、落城させる。近江国甲賀郡佐治荘(現在の滋賀県甲賀市甲賀町小佐治付近)の佐治城を本拠とする佐治氏は、山内に付いて活躍したものの、部下の戦死者を多数出し、佐治為重の息子も戦死した。
  • 信濃守 西暦1,468年12月13日、弓削にて討死する。此の戦いに於いて、京極持清・六角政堯は、六角高頼方の山内政綱に敗れた。
  • 三沢彦四郎 西暦1,468年12月13日、弓削にて、信濃守が討死し、三沢彦四郎に太刀一振が与えられる。
  • 足利義政 西暦1,469年10月1日、多賀高忠が、観音寺城下石寺に於いて、六角高頼方を破る。多賀高忠率いる軍は、観音寺城を落城させ、其の後、東軍は、六角高頼を追撃した。多賀は足利義政から感状を受け取った。
  • 延暦寺山門衆徒 西暦1,475年9月6日、六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が、室町幕府に六角征伐を願い出る。11月26日、六角高頼が、佐々木荘にて京極政経・延暦寺山門衆徒を破る。

本書が記録する出来事

  • 馬淵での交戦(1,467年11月13日) 六角高頼が、馬淵(現在の滋賀県近江八幡市)にて六角政堯と交戦する。
  • 高野瀬城の落城(1,468年1月8日) 京極持清が、六角高頼方の高野瀬城(現在の滋賀県犬上郡豊郷町高野瀬)を落城させる。
  • 観音寺城の襲撃(1,468年4月17日頃) 京極持清の嫡男京極勝秀が、六角高頼の居城である観音寺城(現在の滋賀県近江八幡市安土町石寺)を襲撃する。此の時、六角高頼・六角の陣代山内政綱は京都に居り、代わりに留守居役の家老伊庭行隆が迎撃した。
  • 観音寺城の開城(1,468年4月23日) 伊庭行隆が、観音寺城を開城する。
  • 甲賀郡への侵攻(1,468年4月23日頃) 京極勝秀が甲賀郡に侵攻し、六角高頼方の佐治為重を攻撃する。
  • 長光寺城の落城(1,468年5月18日) 六角高頼方の山内政綱が、六角政尭が築城させた長光寺城(現在の滋賀県近江八幡市長光寺町)を落城させる。
  • 六角政堯の近江国守護就任(1,468年7月頃) 六角高頼に代わり、六角政堯が第19代室町幕府近江国守護に就任する。
  • 弓削での戦い(1,468年12月13日) 弓削にて、信濃守が討死し、三沢彦四郎に太刀一振が与えられる。此の戦いに於いて、六角高頼方の山内政綱に敗れた京極持清・六角政堯は、軍備を整えた。此の戦いで瑞光寺(現在の滋賀県蒲生郡竜王町弓削)・七堂伽藍が全焼した。
  • 守山城の落城(1,468年12月18日) 京極持清・六角政堯が、六角高頼方の守山城(現在の滋賀県守山市守山)を落城させる。
  • 垣見での戦い(1,468年12月頃) 六角政堯方が、垣見(現在の滋賀県東近江市)にて、六角高頼方を破る。
  • 観音寺城への侵攻(1,468年12月21日) 京極持清・六角政堯率いる軍が観音寺城へ侵攻する。山内政綱は持ち堪える事が出来ず、火を放って敗走した。
  • 六角高頼の出陣(1,469年6月頃) 六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。此れを受けて室町幕府は、六角政堯の近江国守護職を罷免し、京極持清を第20代室町幕府近江国守護に据えた。此れに激昂した高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。京極持清は、多賀高忠・六角政堯を観音寺城に派遣した。対する高頼は、山内政綱・伊庭貞隆・伊庭行隆を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。
  • 押立城の落城(1,469年9月1日) 京極持清方が、六角高頼方の押立城(現在の滋賀県東近江市下里町)を落城させる。
  • 梁瀬城の落城(1,469年9月6日頃) 京極持清方が、六角高頼方の梁瀬城(現在の滋賀県東近江市五個荘簗瀬町)を落城させる。
  • 金剛寺城の落城(1,469年9月23日) 京極持清方の多賀高忠が、六角高頼方の山内政綱の守備する金剛寺城(現在の滋賀県近江八幡市)を攻め、落城させる。近江国甲賀郡佐治荘(現在の滋賀県甲賀市甲賀町小佐治付近)の佐治城を本拠とする佐治氏は、山内に付いて活躍したものの、部下の戦死者を多数出し、佐治為重の息子も戦死した。
  • 慈恩寺城での戦い(1,469年9月25日) 多賀高忠が、慈恩寺城(現在の滋賀県近江八幡市)に於いて、六角高頼方を破る。
  • 観音寺城下石寺での戦い(1,469年10月1日) 多賀高忠が、観音寺城下石寺に於いて、六角高頼方を破る。多賀高忠率いる軍は、観音寺城を落城させ、其の後、東軍は、六角高頼を追撃した。多賀は足利義政から感状を受け取った。
  • 観音寺城馬場での戦い(1,470年3月14日) 多賀高忠が、観音寺城馬場に於いて、六角高頼方を破る。
  • 京極政経の近江国守護就任(1,473年10月21日) 京極政経が、第24代室町幕府近江国守護に就任する。
  • 延暦寺の衆徒の願い出(1,475年9月6日) 六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が、室町幕府に六角征伐を願い出る。
  • 京極政経・多賀高忠の上洛(1,475年10月頃) 出雲国に落ち延びていた京極政経・多賀高忠が、出雲国の国人衆を率いて上洛する。東軍に付いていた京極政経は、第19代室町幕府出雲国守護に補任され、六角氏から近江国を奪還する様命じられた。
  • 佐々木荘での戦い(1,475年11月26日) 六角高頼が、佐々木荘(現在の滋賀県近江八幡市安土町地区)にて京極政経・延暦寺山門衆徒を破る。本書の年表の最後の項目である。

馬淵での交戦から、佐々木荘での戦いへ──
近江国で城を奪い合った全過程を一元化。

133円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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