電子書籍「陶弘護一元化」の表紙

陶弘護一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,455年10月13日〜1,482年6月13日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
13ページ
最新更新日
西暦2,026年8月10日

十三歳で家督を継ぎ、二十六歳で宴席に斃れた──
大内家の留守を守り抜いた陶弘護の生涯を一元化。

JPY 200(税込)

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本書について

西暦1,455年10月13日、第7代陶家当主・陶弘房と仁保盛郷の娘との間に、陶弘護が生誕した。本書は、此の一人の男の生誕から、二十六年後に大内館の宴席で家宝の短刀に刺し貫かれるまでの生涯を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,467年6月11日、大内政弘が周防国・長門国を始めとする8ヶ国の数万の兵を率いて山口を出発する。河野通春と共に、陶弘房も其の中に居た。弘房は、家の事は陶弘護に任せていた。同年9月20日、弘護は龍文寺(現在の山口県周南市長穂門前)にて第3世龍文寺住職・器之為璠より受衣し、法名を「孝勲」、号を「忠建」と称す。そして西暦1,469年1月6日、陶弘房が京都の陣営にて死去した。大内政弘は京都にて従軍していた為、其の伱に豊前国・筑後国の賊徒等が蜂起する。其の後、陶弘護は大内政弘の命で加冠し、大内から「弘」の字を貰って元服した。斯うして弘護は、第8代陶家当主に就任する。未だ十三歳であった。

西暦1,470年、陶弘護は周防国守護代に就任する。同年3月頃、大内教幸が大内政弘の留守中に周防国を奪取する事を意図し、長門国赤間関(現在の山口県下関市赤間町)にて内藤武盛・仁保盛安・吉見信頼・周布和兼と共に挙兵した。教幸は百計を巡らせて陶弘護をも誘ったが、陶は応じなかった。同月11日、内藤武盛・豊田元秀・杉重隆・杉弘重・二保武安・間田弘縄・陶弘護が連署で、京都に居る吉見信頼へ書簡を送っている。足利義政に忠節を致せという細川勝元の書簡を頂いたが、大内教幸は老齢である為、其の息子・加嘉丸を奉公させるという事で一味同心したので、細川に取り次ぎ、速やかに公方の私信と室町幕府の安堵状を下される様にして頂きたい——という主旨であった。9月1日には益田兼堯・益田貞兼に対し、大内政弘に与して本意を達するべく計略を巡らし、疎意の無い事を誓う誓書を送っている。

西暦1,471年1月13日、陶弘護率いる軍が鞍掛山(現在の山口県岩国市玖珂町)にて大内教幸率いる軍を破った。教幸は残党を引き連れ、大内家の家臣・吉見信頼を頼って津和野(現在の島根県鹿足郡津和野町田二穂)へ敗走する。同月19日には江良城(現在の山口県萩市吉部上)にて残党を破った。教幸は其の後も吉見信頼の助けを借りて兵を集め、長門国阿武郡を攻撃したが、大内政弘の母の命により砦を築いていた陶弘護が之を防ぎ、教幸率いる軍は潰走する。同年12月13日、陶弘護は再度益田貞兼に誓書を送り、大内政弘方として同盟を結んだ。

西暦1,472年1月頃、吉見信頼率いる軍が嘉年城(現在の山口県山口市阿東嘉年下)に進軍する。吉見は大内教幸に長門国西部の諸城を攻略させる形で攻撃を開始し、陶弘護が之を迎撃した。同月17日、陶は京都の大内政弘宛に戦況報告の書簡を送る。吉見・三隅・周布・小笠原諸氏による嘉年城包囲、益田貞兼による高津城(現在の島根県益田市高津町上市)等の諸城の攻略、そして自軍による嘉年城攻略——という三点であった。2月5日、陶弘護率いる軍は長門国阿武郡(現在の山口県阿武郡阿武町)にて大内教幸率いる軍を破る。教幸は豊前国へ敗走して馬ヶ岳(現在の福岡県行橋市大谷)に入り、仁保盛安も厳島神領へ逃れた。同月11日、陶は益田貞兼へ近況を伝える書簡を送っている。仁保から吉見信頼へ宛てた書簡を途中で奪い取った事、其の書中に玖珂郡山代・佐波郡得地への加勢が書かれていた事、そして吉見勢が山代及び地福方面への進出を企んでいる為、之を牽制すべく背後から吉見領への進攻を急いで貰いたい事——情報を掴み、同盟者を動かそうとする指揮官の筆が、其処には残っている。

西暦1,474年、大内政弘は陶弘護の功績を称え、尾張権守に任じた。西暦1,476年1月頃、吉見信頼が元山城(現在の山口県山口市阿東徳佐下)を攻撃するが陶弘護に敗れ、吉賀(現在の島根県鹿足郡)・長野(現在の島根県益田市)・北九州の所領を奪われる。其の所領は益田貞兼や大内家の家臣に当てられた。吉見は其の後も長門国へ軍勢を送る等して威嚇したが、合戦には至らなかった。陶の正室は益田兼堯の娘であったが、益田家と吉見家は犬猿の仲であった。同年6月頃には、少弐政尚が旧領を回復すべく宗職盛・宗国久を始めとする4,000名の兵を率いて豊前国に入り、馬ヶ岳城・岩石城等の古城に籠城する。陶弘護は兵3,000名を率いて覗山城(現在の福岡県行橋市稲童)を築いて対陣し、合戦となった。大内方が60名、少弐方が6名の戦死者を出したが、勝負は付かなかった。

西暦1,478年、陶弘護は筑前国守護代に就任し、周防国守護代職と兼務する事となる。同年1月26日、大内政弘が周防国へ帰国した。陶弘護は柳井津(現在の山口県柳井市)にて大内を出迎え、富田保(現在の山口県周南市富田)の自身の屋敷で持て成す。大内は「国が平穏無事であったのは其方のお蔭である」と感謝し、大内と陶は義兄弟の契りを交わした。陶は、夜は大内政弘の寝所で控え、昼は饗応したという。同年4月頃には吉見信頼が大内政弘に謝罪して和睦を求め、大内は之を認めた。10月頃、大内政弘は豊前国・筑前国へ遠征を行い、陶弘護は先駆けとして戦う。同月20日、大内政弘率いる軍は太宰府にて少弐政資率いる軍を破り、少弐達は散り散りとなった。城井俊明・周防国分寺住持・馬ヶ岳城城督右田弘量・佐田忠景・仲間盛秀・彦山座主頼有・帥律師等が、祝言を述べる為にやって来る。同月28日から3日間、陶弘護は、頼有の計略により捕らえられた仁保弘名の首級を、博多土井町(現在の福岡県福岡市博多区店屋町)の称名寺の門前に梟首した。

西暦1,480年1月頃、陶弘護は筑前国守護代職を、自身の弟である右田弘詮に譲る。西暦1,481年には伊勢神宮を参詣し、同年10月頃、周防国へ帰国した。西暦1,482年4月頃、小笠原元長が大内政弘に拝謁した際、陶弘護は「武門にある以上、武芸を極めるのは当然であり、武は弓矢を以って要とする。今日、天下の弓矢の道は小笠原を以って規範とするものである」として、小笠原に師事し、奥義を学んだ。そして同年6月13日、大内館(現在の山口県山口市大殿大路)での宴会にて、吉見信頼が吉見家の家宝の短刀である鵜噬を用いて陶弘護を刺殺する。大内義興の家臣で長門国守護代の内藤弘矩は、直様吉見を斬殺した。吉見頼興は陶家の報復を予見して吉見家の書物を処分したが、報復は行われなかった。二十六年の生涯であった。本書は、其の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • 陶弘護 本書の中心人物。西暦1,455年10月13日、陶弘房と仁保盛郷の娘の間に生誕した。西暦1,467年9月20日に龍文寺で受衣して法名「孝勲」・号「忠建」を称し、西暦1,469年1月6日の父の死去を受けて十三歳で第8代陶家当主に就任。翌年周防国守護代となり、大内教幸の乱を鞍掛山・江良城・長門国阿武郡に破った。西暦1,474年に尾張権守、西暦1,478年に筑前国守護代を兼務。西暦1,482年6月13日、大内館の宴会にて吉見信頼に刺殺された。
  • 大内政弘 周防国の大名。西暦1,467年6月11日に8ヶ国の数万の兵を率いて上洛し、長く京都に在って留守を陶弘護に委ねた。西暦1,469年には陶弘護に加冠し「弘」の字を与えている。西暦1,474年には功績を称えて尾張権守に任じ、西暦1,478年1月26日の帰国に際して「国が平穏無事であったのは其方のお蔭である」と感謝し、義兄弟の契りを交わした。同年10月には豊前国・筑前国へ遠征し、太宰府にて少弐政資を破っている。
  • 陶弘房 第7代陶家当主。陶弘護の父。西暦1,467年6月11日の大内政弘の上洛に従い、家の事は陶弘護に任せていた。西暦1,469年1月6日、京都の陣営にて死去する。其の死が、十三歳の弘護に家督を委ねる事となった。
  • 大内教幸 西暦1,470年3月頃、大内政弘の留守中に周防国を奪取する事を意図し、長門国赤間関にて内藤武盛・仁保盛安・吉見信頼・周布和兼と共に挙兵した。百計を巡らせて陶弘護を誘ったが応じられず、西暦1,471年1月13日に鞍掛山で、同月19日に江良城で敗れて津和野へ敗走する。西暦1,472年2月5日、長門国阿武郡で再び破れて豊前国へ敗走し、馬ヶ岳に入った。
  • 吉見信頼 大内家の家臣。西暦1,470年3月頃の大内教幸の挙兵に加わり、敗走した教幸を津和野に迎えて再起を助けた。西暦1,472年1月頃には嘉年城へ進軍し、教幸に長門国西部の諸城を攻略させる形で攻撃を開始する。西暦1,476年1月頃の元山城攻撃に敗れて吉賀・長野・北九州の所領を奪われ、西暦1,478年4月頃に大内政弘へ謝罪して和睦するも、西暦1,482年6月13日、大内館の宴会で家宝の短刀・鵜噬を用いて陶弘護を刺殺した。
  • 益田兼堯 石見国の国人。陶弘護の正室は其の娘であった。西暦1,470年9月1日、嫡男の益田貞兼と共に、大内政弘に与して疎意の無い事を誓う誓書を陶弘護から送られている。益田家と吉見家は犬猿の仲であった。
  • 益田貞兼 益田兼堯の嫡男。西暦1,470年9月1日に陶弘護から誓書を送られ、西暦1,471年12月13日には再度の誓書によって大内政弘方として同盟を結んだ。西暦1,472年1月には高津城(現在の島根県益田市高津町上市)等の諸城を攻略し、同年2月11日には陶から吉見領への背後からの進攻を促す書簡を受け取っている。西暦1,476年には吉見信頼から没収された所領を当てられた。
  • 仁保盛安 西暦1,470年3月頃の大内教幸の挙兵に加わった。西暦1,472年2月5日の長門国阿武郡の敗戦を受けて厳島神領へ逃れ、玖珂郡山代・佐波郡得地へ加勢する計画を立てる。然し宮内村(現在の広島県廿日市市)では容れられず、安芸武田家の分領である伴(現在の広島県広島市安佐南区)へ退く積もりであった事が、陶弘護の書簡に記されている。
  • 内藤武盛 内藤弘矩の兄。西暦1,470年3月頃の大内教幸の挙兵に加わり、同月11日には陶弘護等と連署で京都の吉見信頼へ書簡を送った。大内教幸は老齢である為、其の息子・加嘉丸を奉公させるという事で一味同心した、という主旨の内容であった。
  • 内藤弘矩 大内義興の家臣で長門国守護代。西暦1,482年6月13日、大内館の宴会にて吉見信頼が陶弘護を刺殺すると、直様吉見を斬殺した。
  • 周布和兼 西暦1,470年3月頃、長門国赤間関にて大内教幸と共に挙兵した四名の一人。西暦1,472年1月には、周布氏として吉見・三隅・小笠原諸氏と共に嘉年城を包囲した事が、陶弘護の戦況報告に記されている。
  • 器之為璠 第3世龍文寺住職。西暦1,467年9月20日、龍文寺(現在の山口県周南市長穂門前)にて陶弘護に受衣し、弘護は法名を「孝勲」、号を「忠建」と称した。
  • 少弐政尚 西暦1,476年6月頃、旧領を回復すべく宗職盛・宗国久を始めとする4,000名の兵を率いて豊前国に入り、馬ヶ岳城・岩石城等の古城に籠城した。陶弘護が3,000名で覗山城を築いて対陣し合戦となったが、大内方60名・少弐方6名の戦死者を出して勝負は付かなかった。
  • 少弐政資 西暦1,478年10月20日、太宰府にて大内政弘率いる軍に破れ、其の勢は散り散りとなった。陶弘護は此の遠征で先駆けとして戦っている。
  • 右田弘詮 陶弘護の弟。西暦1,480年1月頃、兄から筑前国守護代職を譲られた。
  • 彦山座主頼有 西暦1,478年10月20日の太宰府での勝利を受け、息子の帥律師と共に祝言を述べる為に大内政弘の下を訪れた。其の計略により仁保弘名が捕らえられ、同月28日から3日間、陶弘護によって首級が梟首されている。
  • 仁保弘名 彦山座主頼有の計略により捕らえられた。西暦1,478年10月28日から3日間、其の首級が陶弘護によって博多土井町(現在の福岡県福岡市博多区店屋町)の称名寺の門前に梟首された。
  • 小笠原元長 西暦1,482年4月頃、大内政弘に拝謁した。陶弘護は「武門にある以上、武芸を極めるのは当然であり、武は弓矢を以って要とする。今日、天下の弓矢の道は小笠原を以って規範とするものである」として小笠原に師事し、奥義を学んでいる。弘護が刺殺される二ヶ月前の事であった。
  • 吉見頼興 西暦1,482年6月13日、吉見信頼が陶弘護を刺殺し内藤弘矩に斬殺された後、陶家の報復を予見して吉見家の書物を処分した。然し報復は行われなかった。
  • 河野通春 西暦1,467年6月11日、大内政弘が8ヶ国の数万の兵を率いて山口を出発した際、陶弘房と共に其の中に居た。

本書が記録する出来事

  • 陶弘護の生誕 西暦1,455年10月13日、第7代陶家当主・陶弘房と仁保盛郷の娘との間に陶弘護が生誕する。本書の起点。
  • 大内政弘の上洛と留守の家 西暦1,467年6月11日、大内政弘が周防国・長門国を始めとする8ヶ国の数万の兵を率い、河野通春・陶弘房を伴って山口を出発する。弘房は家の事を陶弘護に任せていた。本隊は海路で野上・柳井・屋代島・室津を経由して瀬戸内海を東上した。
  • 龍文寺の受衣 西暦1,467年9月20日、陶弘護が龍文寺(現在の山口県周南市長穂門前)にて第3世龍文寺住職・器之為璠より受衣し、法名を「孝勲」、号を「忠建」と称した。
  • 陶弘房の死去と第8代当主就任 西暦1,469年1月6日、陶弘房が京都の陣営にて死去する。大内政弘が京都で従軍していた伱に豊前国・筑後国の賊徒等が蜂起した。陶弘護は大内政弘の命で加冠し、「弘」の字を貰って元服、十三歳で第8代陶家当主に就任する。
  • 周防国守護代就任と大内教幸の挙兵 西暦1,470年、陶弘護が周防国守護代に就任。同年3月頃、大内教幸が大内政弘の留守中に周防国を奪取すべく、長門国赤間関にて内藤武盛・仁保盛安・吉見信頼・周布和兼と共に挙兵した。教幸は百計を巡らせて陶弘護も誘ったが、陶は応じなかった。
  • 連署書簡と益田家への誓書 西暦1,470年3月11日、内藤武盛・豊田元秀・杉重隆・杉弘重・二保武安・間田弘縄・陶弘護が連署で京都の吉見信頼へ書簡を送る。大内教幸は老齢である為、息子の加嘉丸を奉公させるという事で一味同心したので、細川勝元に取り次ぎ、公方の私信と幕府の安堵状を下されたい、という主旨であった。9月1日には益田兼堯・益田貞兼へ誓書を送っている。
  • 鞍掛山の戦い 西暦1,471年1月13日、陶弘護率いる軍が鞍掛山(現在の山口県岩国市玖珂町)にて大内教幸率いる軍を破る。教幸は残党を引き連れ、吉見信頼を頼って津和野(現在の島根県鹿足郡津和野町田二穂)へ敗走した。
  • 江良城と長門国阿武郡の防衛 西暦1,471年1月19日、陶弘護率いる軍が江良城(現在の山口県萩市吉部上)にて大内教幸の残党を破る。教幸は其の後も吉見信頼の助けで兵を集めて長門国阿武郡を攻撃したが、大内政弘の母の命により砦を築いていた陶弘護が之を防ぎ、教幸率いる軍は潰走した。12月13日には益田貞兼と同盟を結んでいる。
  • 嘉年城の攻防と戦況報告 西暦1,472年1月頃、吉見信頼率いる軍が嘉年城(現在の山口県山口市阿東嘉年下)に進軍し、陶弘護が迎撃する。同月17日、陶は京都の大内政弘宛に戦況報告の書簡を送った。吉見・三隅・周布・小笠原諸氏による嘉年城包囲、益田貞兼による高津城等の攻略、自軍による嘉年城攻略、の三点である。
  • 長門国阿武郡の決戦と情報戦 西暦1,472年2月5日、陶弘護率いる軍が長門国阿武郡(現在の山口県阿武郡阿武町)にて大内教幸率いる軍を破り、教幸は豊前国の馬ヶ岳へ敗走した。同月11日、陶は益田貞兼へ書簡を送り、仁保盛安から吉見信頼宛の書簡を途中で奪い取った事と、吉見勢の山代・地福方面への進出を牽制する為に背後からの進攻を急いで貰いたい事を伝えている。
  • 尾張権守への任官 西暦1,474年、大内政弘が陶弘護の功績を称え、尾張権守に任じた。留守を守り抜いた働きへの報いである。
  • 元山城の戦いと吉見領の没収 西暦1,476年1月頃、吉見信頼が元山城(現在の山口県山口市阿東徳佐下)を攻撃するが陶弘護に敗れ、吉賀・長野・北九州の所領を奪われた。其の所領は益田貞兼や大内家の家臣に当てられる。吉見は其の後も長門国へ軍勢を送って威嚇したが、合戦には至らなかった。
  • 覗山城の対陣 西暦1,476年6月頃、少弐政尚が旧領を回復すべく宗職盛・宗国久を始めとする4,000名の兵を率いて豊前国に入り、馬ヶ岳城・岩石城等に籠城する。陶弘護は兵3,000名を率いて覗山城(現在の福岡県行橋市稲童)を築いて対陣し、大内方60名・少弐方6名の戦死者を出したが勝負は付かなかった。
  • 筑前国守護代の兼務と義兄弟の契り 西暦1,478年、陶弘護が筑前国守護代に就任し周防国守護代職と兼務する。同年1月26日、周防国へ帰国した大内政弘を柳井津(現在の山口県柳井市)で出迎え、富田保(現在の山口県周南市富田)の自邸で持て成した。大内は「国が平穏無事であったのは其方のお蔭である」と感謝し、義兄弟の契りを交わす。陶は夜は大内の寝所で控え、昼は饗応した。
  • 太宰府の戦いと仁保弘名の梟首 西暦1,478年10月頃、大内政弘が豊前国・筑前国へ遠征し、陶弘護は先駆けとして戦った。同月20日、大内率いる軍が太宰府にて少弐政資率いる軍を破ると、城井俊明・右田弘量・佐田忠景・彦山座主頼有等が祝言を述べに訪れる。28日から3日間、陶弘護は頼有の計略で捕らえられた仁保弘名の首級を博多土井町の称名寺の門前に梟首した。
  • 守護代職の譲渡と伊勢神宮参詣 西暦1,480年1月頃、陶弘護が筑前国守護代職を弟の右田弘詮に譲る。西暦1,481年には伊勢神宮を参詣し、同年10月頃、周防国へ帰国した。
  • 小笠原元長への師事 西暦1,482年4月頃、小笠原元長が大内政弘に拝謁した際、陶弘護は「武門にある以上、武芸を極めるのは当然であり、武は弓矢を以って要とする。今日、天下の弓矢の道は小笠原を以って規範とするものである」として小笠原に師事し、奥義を学んだ。
  • 鵜噬による刺殺 西暦1,482年6月13日、大内館(現在の山口県山口市大殿大路)での宴会にて、吉見信頼が吉見家の家宝の短刀である鵜噬を用いて陶弘護を刺殺する。長門国守護代の内藤弘矩は直様吉見を斬殺した。吉見頼興は陶家の報復を予見して吉見家の書物を処分したが、報復は行われなかった。本書の到達点。

鞍掛山の勝利から、義兄弟の契り、そして鵜噬の一刺しへ──
陶弘護の二十六年の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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