梅ヶ島金山の炭鉱夫によって
井水の水源が断たれ
陥落した曳馬城一元化
曳馬城は、井水の水源を断たれて陥落した──
浜松荘を巡る争いからの全過程を一元化。
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本書について
西暦1,501年、今川氏親の支持を受けた飯尾賢連と、斯波義達の支持を受けた大河内貞綱が、浜松荘と其の拠点である曳馬城(現在の静岡県浜松市元城町)を巡って争っていた。最終的に、今川が大河内を追い落とし、飯尾が浜松荘代官に任じられた。本書は、此の浜松荘と曳馬城を巡る争いから、西暦1,517年9月4日に曳馬城が梅ヶ島金山の炭鉱夫によって井水の水源を断たれ、陥落する迄を一元化した記録である。
西暦1,508年、今川氏親が、遠江国へ侵攻する。7月28日、足利義稙が、朝廷により、第10代室町幕府征夷大将軍として再任される。又此の日、大内義興も管領代に就任した。其の後、足利は、恩賞として、大内に相国寺崇寿院領である和泉国堺南荘(現在の大阪府堺市堺区)を与えようとしたが、大内は此れを辞退した。其の代替として大内は、第33代室町幕府山城国守護に任じられた。又、今川氏親が、第23代室町幕府遠江国守護に補任された。
西暦1,511年11月頃、斯波義達が、遠江国に出陣する。斯波は、三岳城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町三岳)を本拠とし、井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。西暦1,512年5月頃、大河内貞綱が、曳馬城を占拠する。其の後、大河内は堀江城(現在の静岡県浜松市中央区舘山寺町)攻めを行うが、失敗に終わった。5月17日、今川氏親率いる軍が、浜名湖周辺にて、斯波義達と交戦する。其の後、一旦休戦となった。
西暦1,513年4月12日、大河内貞綱が、朝比奈泰煕の攻撃を受け、降伏する。曳馬城は陥落した。吉良義信の嘆願により、大河内は助命された。西暦1,514年頃、三岳城が、朝比奈泰煕の総攻撃を受ける。斯波義達は此れに応戦したものの及ばず、三岳城は陥落した。斯波は尾張国へ退却し、三岳城に籠城していた井伊家は、奥山城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町奥山)に逃れ、今川氏親に降伏した。
西暦1,516年4月頃、大河内貞綱が、挙兵して曳馬城を奪取する。7月頃、大河内は、尾張国から駆けつけた斯波義達を曳馬城に招く。大河内達は籠城した。西暦1,517年4月頃、今川氏親が、駿河国へ帰国する。7月9日、今川は、連日の雨で川幅が拡がった天竜川に300隻余の船橋を掛けて渡り、曳馬城を包囲した上で、籠城する大河内貞綱・斯波義達に対し、攻撃を仕掛ける。大河内達は、曳馬城を堅く守り、兵糧攻めにも屈しなかった。
西暦1,517年9月4日、曳馬城が、梅ヶ島金山(現在の静岡県静岡市葵区梅ヶ島)の炭鉱夫によって井水の水源が断たれ、陥落する。大河内貞綱と、大河内の弟巨海道綱は自害した。斯波義達は降伏し、足利家一門という事で助命されたものの、捕縛された。其の後、斯波は、普済寺(現在の静岡県浜松市中央区広沢)で出家し、尾張国へ送還された。飯尾賢連は、吉良家家臣から今川家家臣に転じ、今川氏親から、曳馬城主に任じられた。浜松荘と曳馬城を巡る争いから、三岳城の陥落、大河内による曳馬城の奪取、天竜川の船橋を経て、井水の水源の断絶に至る迄——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 大河内貞綱 西暦1,501年、斯波義達の支持を受け、浜松荘と曳馬城を巡って、今川氏親の支持を受けた飯尾賢連と争っていた。最終的に、今川に追い落とされた。西暦1,511年11月頃、斯波義達が、遠江国に出陣する。斯波は、三岳城を本拠とし、井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。西暦1,512年5月頃、大河内は、曳馬城を占拠する。其の後、堀江城攻めを行うが、失敗に終わった。西暦1,513年4月12日、朝比奈泰煕の攻撃を受け、降伏する。吉良義信の嘆願により、助命された。西暦1,516年4月頃、大河内は、挙兵して曳馬城を奪取する。7月頃、尾張国から駆けつけた斯波義達を曳馬城に招き、籠城した。西暦1,517年7月9日、今川氏親に曳馬城を包囲され、攻撃を仕掛けられたが、曳馬城を堅く守り、兵糧攻めにも屈しなかった。9月4日、梅ヶ島金山の炭鉱夫によって井水の水源が断たれ、曳馬城が陥落すると、弟の巨海道綱と共に自害した。
- 今川氏親 西暦1,501年、浜松荘と曳馬城を巡る争いで飯尾賢連を支持し、最終的に大河内貞綱を追い落とした。西暦1,508年、遠江国へ侵攻する。又、第23代室町幕府遠江国守護に補任された。西暦1,512年5月17日、今川氏親率いる軍が、浜名湖周辺にて、斯波義達と交戦する。其の後、一旦休戦となった。西暦1,514年頃、三岳城が朝比奈泰煕の総攻撃を受けて陥落し、三岳城に籠城していた井伊家が、奥山城に逃れ、今川に降伏した。西暦1,517年4月頃、今川は、駿河国へ帰国する。7月9日、連日の雨で川幅が拡がった天竜川に300隻余の船橋を掛けて渡り、曳馬城を包囲した上で、籠城する大河内貞綱・斯波義達に対し、攻撃を仕掛ける。9月4日、曳馬城が陥落する。其の後、今川は、吉良家家臣から今川家家臣に転じた飯尾賢連を、曳馬城主に任じた。
- 斯波義達 西暦1,501年、浜松荘と曳馬城を巡る争いで大河内貞綱を支持した。西暦1,511年11月頃、遠江国に出陣する。三岳城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町三岳)を本拠とし、井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。西暦1,512年5月17日、浜名湖周辺にて、今川氏親率いる軍と交戦する。其の後、一旦休戦となった。西暦1,514年頃、三岳城が朝比奈泰煕の総攻撃を受ける。斯波は此れに応戦したものの及ばず、三岳城は陥落した。斯波は尾張国へ退却した。西暦1,516年7月頃、尾張国から駆けつけ、大河内貞綱に曳馬城に招かれる。西暦1,517年7月9日、大河内と共に籠城する曳馬城を今川氏親に包囲され、攻撃を仕掛けられた。9月4日、曳馬城が陥落すると、斯波は降伏し、足利家一門という事で助命されたものの、捕縛された。其の後、普済寺(現在の静岡県浜松市中央区広沢)で出家し、尾張国へ送還された。
- 飯尾賢連 西暦1,501年、今川氏親の支持を受け、浜松荘と曳馬城を巡って、斯波義達の支持を受けた大河内貞綱と争っていた。最終的に、今川が大河内を追い落とし、飯尾が浜松荘代官に任じられた。西暦1,517年9月4日、曳馬城が陥落する。其の後、飯尾は、吉良家家臣から今川家家臣に転じ、今川氏親から、曳馬城主に任じられた。
- 朝比奈泰煕 西暦1,513年4月12日、大河内貞綱が、朝比奈泰煕の攻撃を受け、降伏する。曳馬城は陥落した。西暦1,514年頃、朝比奈は、三岳城に総攻撃を掛ける。斯波義達は此れに応戦したものの及ばず、三岳城は陥落した。
- 井伊直宗 西暦1,511年11月頃、斯波義達が、遠江国に出陣する。斯波は、三岳城を本拠とし、井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。西暦1,514年頃、三岳城が朝比奈泰煕の総攻撃を受けて陥落すると、三岳城に籠城していた井伊家は、奥山城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町奥山)に逃れ、今川氏親に降伏した。
- 巨海道綱 大河内貞綱の弟。西暦1,517年9月4日、梅ヶ島金山の炭鉱夫によって井水の水源が断たれ、曳馬城が陥落すると、兄の大河内貞綱と共に自害した。
- 吉良義信 西暦1,513年4月12日、大河内貞綱が、朝比奈泰煕の攻撃を受け、降伏する。吉良義信の嘆願により、大河内は助命された。
- 足利義稙 西暦1,508年7月28日、朝廷により、第10代室町幕府征夷大将軍として再任される。又此の日、大内義興も管領代に就任した。其の後、足利は、恩賞として、大内に相国寺崇寿院領である和泉国堺南荘(現在の大阪府堺市堺区)を与えようとしたが、大内は此れを辞退した。
- 大内義興 西暦1,508年7月28日、足利義稙が、朝廷により、第10代室町幕府征夷大将軍として再任される。又此の日、大内義興も管領代に就任した。其の後、足利から、恩賞として相国寺崇寿院領である和泉国堺南荘を与えられようとしたが、大内は此れを辞退した。其の代替として大内は、第33代室町幕府山城国守護に任じられた。
本書が記録する出来事
- 浜松荘と曳馬城を巡る争い(1,501年) 今川氏親の支持を受けた飯尾賢連と、斯波義達の支持を受けた大河内貞綱が、浜松荘と其の拠点である曳馬城(現在の静岡県浜松市元城町)を巡って争っていた。最終的に、今川が大河内を追い落とし、飯尾が浜松荘代官に任じられた。
- 今川氏親の遠江国侵攻(1,508年) 今川氏親が、遠江国へ侵攻する。
- 足利義稙の将軍再任と大内義興の管領代就任(1,508年7月28日) 足利義稙が、朝廷により、第10代室町幕府征夷大将軍として再任される。又此の日、大内義興も管領代に就任した。其の後、足利は、恩賞として、大内に相国寺崇寿院領である和泉国堺南荘(現在の大阪府堺市堺区)を与えようとしたが、大内は此れを辞退した。其の代替として大内は、第33代室町幕府山城国守護に任じられた。又、今川氏親が、第23代室町幕府遠江国守護に補任された。
- 斯波義達の遠江国出陣(1,511年11月頃) 斯波義達が、遠江国に出陣する。斯波は、三岳城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町三岳)を本拠とし、井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。
- 大河内貞綱の曳馬城占拠(1,512年5月頃) 大河内貞綱が、曳馬城を占拠する。其の後、大河内は堀江城(現在の静岡県浜松市中央区舘山寺町)攻めを行うが、失敗に終わった。
- 浜名湖周辺での交戦(1,512年5月17日) 今川氏親率いる軍が、浜名湖周辺にて、斯波義達と交戦する。其の後、一旦休戦となった。
- 大河内貞綱の降伏と曳馬城の陥落(1,513年4月12日) 大河内貞綱が、朝比奈泰煕の攻撃を受け、降伏する。曳馬城は陥落した。吉良義信の嘆願により、大河内は助命された。
- 三岳城の陥落(1,514年頃) 三岳城が、朝比奈泰煕の総攻撃を受ける。斯波義達は此れに応戦したものの及ばず、三岳城は陥落した。斯波は尾張国へ退却し、三岳城に籠城していた井伊家は、奥山城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町奥山)に逃れ、今川氏親に降伏した。
- 大河内貞綱の曳馬城奪取(1,516年4月頃) 大河内貞綱が、挙兵して曳馬城を奪取する。
- 大河内貞綱による斯波義達の招聘(1,516年7月頃) 大河内貞綱が、尾張国から駆けつけた斯波義達を曳馬城に招く。大河内達は籠城した。
- 今川氏親の駿河国帰国(1,517年4月頃) 今川氏親が、駿河国へ帰国する。
- 天竜川の船橋と曳馬城の包囲(1,517年7月9日) 今川氏親が、連日の雨で川幅が拡がった天竜川に300隻余の船橋を掛けて渡り、曳馬城を包囲した上で、籠城する大河内貞綱・斯波義達に対し、攻撃を仕掛ける。大河内達は、曳馬城を堅く守り、兵糧攻めにも屈しなかった。
- 井水の水源の断絶と曳馬城の陥落(1,517年9月4日) 曳馬城が、梅ヶ島金山(現在の静岡県静岡市葵区梅ヶ島)の炭鉱夫によって井水の水源が断たれ、陥落する。大河内貞綱と、大河内の弟巨海道綱は自害した。斯波義達は降伏し、足利家一門という事で助命されたものの、捕縛された。其の後、斯波は、普済寺(現在の静岡県浜松市中央区広沢)で出家し、尾張国へ送還された。飯尾賢連は、吉良家家臣から今川家家臣に転じ、今川氏親から、曳馬城主に任じられた。本書の年表の最後の項目である。
天竜川の船橋から、梅ヶ島金山の炭鉱夫へ──
曳馬城を巡る争いの全過程を一元化。
126円(税込)
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