梅ヶ島金山の炭鉱夫によって
井水の水源が断たれ
陥落した曳馬城一元化
城を落としたのは、兵ではなく水であった──
浜松荘を巡る争いから曳馬城の陥落までの十七年を一元化。
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本書について
西暦1,501年、遠江国の浜松荘と、其の拠点である曳馬城(現在の静岡県浜松市中区元城町)を巡って、二人の男が争っていた。今川氏親の支持を受けた飯尾賢連と、斯波義達の支持を受けた大河内貞綱である。最終的に今川が大河内を追い落とし、飯尾が浜松荘代官に任じられた。だが、此の一件で決着が付いた訳ではなかった。以後十七年にわたり、曳馬城は今川方と斯波方の間を行き来し、幾度も落ち、幾度も奪い返される事になる。本書は、其の起点から終点までを年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,508年、今川氏親は遠江国へ侵攻する。同年7月28日、足利義稙が朝廷により第10代室町幕府征夷大将軍として再任され、同日、大内義興も管領代に就任した。足利は恩賞として、大内に相国寺崇寿院領である和泉国堺南荘(現在の大阪府堺市堺区)を与えようとしたが、大内は此れを辞退し、其の代替として第33代室町幕府山城国守護に任じられている。そして同じ日、今川氏親は第23代室町幕府遠江国守護に補任された。遠江国への侵攻は、幕府の職制によって追認されたのである。
黙って見ている斯波義達ではなかった。西暦1,511年11月、斯波は遠江国に出陣し、三岳城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町三岳)を本拠として、井伊直宗と大河内貞綱の二名と結ぶ。翌西暦1,512年5月、大河内貞綱は曳馬城を占拠した。其の勢いのまま堀江城(現在の静岡県浜松市中央区舘山寺町)攻めに向かったが、此れは失敗に終わる。同月17日、今川氏親率いる軍は浜名湖周辺で斯波義達と交戦し、其の後一旦休戦となった。
西暦1,513年4月12日、大河内貞綱は朝比奈泰煕の攻撃を受けて降伏し、曳馬城は陥落する。大河内は吉良義信の嘆願により助命された。翌西暦1,514年、今度は斯波義達の本拠・三岳城が朝比奈泰煕の総攻撃を受ける。斯波は応戦したものの及ばず、三岳城は陥落した。斯波は尾張国へ退却し、城に籠城していた井伊家は奥山城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町奥山)へ逃れて、今川氏親に降伏した。斯波方の遠江国での足場は、此処で一度失われた。
それでも大河内貞綱は諦めなかった。西暦1,516年4月、大河内は挙兵して曳馬城を奪取する。同年7月には、尾張国から駆けつけた斯波義達を曳馬城に招き入れ、共に籠城した。西暦1,517年4月、今川氏親は一旦駿河国へ帰国する。そして同年7月9日、今川は連日の雨で川幅の拡がった天竜川に300隻余の船橋を掛けて渡り、曳馬城を包囲した上で、籠城する大河内貞綱・斯波義達の二名に攻撃を仕掛けた。大河内達は曳馬城を堅く守り、兵糧攻めにも屈しなかった。
城を落としたのは、兵糧でも刃でもなかった。西暦1,517年9月4日、梅ヶ島金山(現在の静岡県静岡市葵区梅ヶ島)の炭鉱夫によって井水の水源が断たれ、曳馬城は陥落する。大河内貞綱と其の弟・巨海道綱は自害した。斯波義達は降伏し、足利家一門という事で助命されたものの捕縛され、其の後、普済寺(現在の静岡県浜松市中央区広沢)で出家して尾張国へ送還された。そして飯尾賢連は、吉良家家臣から今川家家臣に転じ、今川氏親から曳馬城主に任じられる。十七年前に浜松荘代官となった男が、争いの終わりに城の主となったのである。
登場人物
- 大河内貞綱 本書の中心人物。斯波義達の支持を受け、浜松荘と曳馬城を巡って飯尾賢連と争った。西暦1,512年5月に曳馬城を占拠し、西暦1,513年4月に朝比奈泰煕へ降伏。西暦1,516年4月に再び挙兵して曳馬城を奪い返したが、西暦1,517年9月4日、井水の水源を断たれた城の中で自害した。
- 今川氏親 西暦1,508年に遠江国へ侵攻し、同年7月28日、第23代室町幕府遠江国守護に補任された。西暦1,517年7月9日、増水した天竜川に300隻余の船橋を掛けて渡り、曳馬城を包囲。落城後、飯尾賢連を曳馬城主に任じた。
- 斯波義達 大河内貞綱を支持した遠江国争奪の当事者。西暦1,511年11月に遠江国へ出陣して三岳城を本拠とし、井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。西暦1,514年に三岳城を失って尾張国へ退却したが、西暦1,516年7月に曳馬城へ招かれて籠城。落城後は降伏し、足利家一門という事で助命され、普済寺で出家して尾張国へ送還された。
- 飯尾賢連 今川氏親の支持を受け、西暦1,501年に浜松荘代官へ任じられた人物。争いの決着後、吉良家家臣から今川家家臣に転じ、今川氏親から曳馬城主に任じられた。
- 朝比奈泰煕 今川方の武将。西暦1,513年4月12日に大河内貞綱を攻撃して降伏させ、曳馬城を陥落させた。翌西暦1,514年には三岳城へ総攻撃を掛け、斯波義達を尾張国へ退けた。
- 吉良義信 西暦1,513年4月、曳馬城の陥落で降伏した大河内貞綱の助命を嘆願し、これを実現させた。大河内が三年後に再び挙兵し得たのは、此の助命があったからである。
- 井伊直宗 西暦1,511年11月、遠江国へ出陣した斯波義達と結んだ。西暦1,514年に三岳城が陥落すると、籠城していた井伊家は奥山城へ逃れ、今川氏親に降伏した。
- 巨海道綱 大河内貞綱の弟。西暦1,517年9月4日、井水の水源を断たれて曳馬城が陥落した際、兄と共に自害した。
- 足利義稙 西暦1,508年7月28日、朝廷により第10代室町幕府征夷大将軍として再任された。大内義興へ恩賞として和泉国堺南荘を与えようとしたが辞退されている。
- 大内義興 西暦1,508年7月28日、管領代に就任した。恩賞である和泉国堺南荘を辞退し、其の代替として第33代室町幕府山城国守護に任じられた。
本書が記録する出来事
- 浜松荘代官職を巡る争い 西暦1,501年、本書が記録する攻防の起点。浜松荘と其の拠点である曳馬城(現在の静岡県浜松市中区元城町)を巡り、今川氏親が支持する飯尾賢連と、斯波義達が支持する大河内貞綱が争った。今川が大河内を追い落とし、飯尾が浜松荘代官に任じられた。
- 今川氏親の遠江国侵攻と遠江国守護補任 西暦1,508年、今川氏親が遠江国へ侵攻。同年7月28日、足利義稙の第10代室町幕府征夷大将軍再任・大内義興の管領代就任と同じ日に、今川は第23代室町幕府遠江国守護に補任された。
- 斯波義達の遠江国出陣と三岳城 西暦1,511年11月、斯波義達が遠江国へ出陣し、三岳城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町三岳)を本拠として井伊直宗・大河内貞綱と結んだ。今川方に対抗する陣営が、此処に形を成した。
- 大河内貞綱の曳馬城占拠と堀江城攻め 西暦1,512年5月、大河内貞綱が曳馬城を占拠。続く堀江城(現在の静岡県浜松市中央区舘山寺町)攻めは失敗に終わった。同月17日には今川氏親率いる軍と斯波義達が浜名湖周辺で交戦し、其の後一旦休戦となった。
- 曳馬城の第1次陥落 西暦1,513年4月12日、大河内貞綱が朝比奈泰煕の攻撃を受けて降伏し、曳馬城が陥落した。大河内は吉良義信の嘆願により助命され、此れが三年後の再挙兵へと繋がる。
- 三岳城の陥落 西暦1,514年、朝比奈泰煕の総攻撃により三岳城が陥落。斯波義達は応戦したものの及ばず尾張国へ退却し、籠城していた井伊家は奥山城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町奥山)へ逃れて今川氏親に降伏した。
- 大河内貞綱の曳馬城奪取 西暦1,516年4月、大河内貞綱が挙兵して曳馬城を奪取。同年7月には尾張国から駆けつけた斯波義達を城に招き入れ、共に籠城した。
- 天竜川の船橋と曳馬城包囲 西暦1,517年7月9日、今川氏親が連日の雨で川幅の拡がった天竜川に300隻余の船橋を掛けて渡り、曳馬城を包囲。籠城する大河内貞綱・斯波義達に攻撃を仕掛けたが、両名は城を堅く守り、兵糧攻めにも屈しなかった。
- 井水の水源断絶と曳馬城の陥落 西暦1,517年9月4日、梅ヶ島金山(現在の静岡県静岡市葵区梅ヶ島)の炭鉱夫によって井水の水源が断たれ、曳馬城が陥落。大河内貞綱と弟の巨海道綱は自害し、斯波義達は降伏して捕縛の後、普済寺(現在の静岡県浜松市中央区広沢)で出家し尾張国へ送還された。飯尾賢連が曳馬城主に任じられ、十七年の攻防は幕を閉じる。
浜松荘の代官職争いから、井水の水源断絶による落城まで──
今川氏親・斯波義達・大河内貞綱の十七年を一元化。
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