電子書籍「船田合戦一元化」の表紙

船田合戦
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,495年1月5日〜1,496年7月頃
ページ数
5ページ
最新更新日
西暦2,026年7月14日

西暦1,495年、美濃の実権は一人の重臣の反逆から揺らいだ──
石丸利光と斎藤妙純、船田合戦の二年を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,495年正月、美濃国の実権は、一人の重臣の反逆によって大きく揺らいだ。守護代を務める斎藤氏の中で絶大な力を握っていたのが持是院家の斎藤妙純であり、其の妙純に叛旗を翻したのが、船田城(現在の岐阜県岐阜市水主町)を居城とする石丸利光であった。利光は、大宝寺の開堂式へ向かう妙純を道中で暗殺しようと謀るが悪天候で失敗し、翌日には居城で兵を集め、加納城(現在の岐阜県岐阜市加納丸之内)の妙純を奇襲しようとしたが、西尾直教の密告により露見する。土岐成頼の仲介で一旦は和睦が成るものの、荒田川を挟んで数百mの距離に在った両者の緊張は、最早解けなかった──本書は、此の「船田合戦」の全軌跡を、年月日単位で一元化した記録である。

和睦は長く続かなかった。西暦1,495年五月、斎藤・石丸の両軍は正法寺(現在の岐阜県岐阜市薬師町)を挟んで対陣する。石丸利光は、惣領家の斎藤利藤の孫斎藤利春、其の末子日運、更には土岐元頼を次々と船田城へ迎え入れ、守護家の対立をも巻き込んでいった。七月、石丸方は加納城・川手城の交通を断って放火し、一族の石丸利定が先鋒として安養寺(現在の岐阜県岐阜市加納地区)を急襲して加納城を包囲する。しかし城を守る長井秀弘の反撃に遭い、利定は討死、五百名余の死傷者を出して退いた。斎藤方に織田寛広の援軍数千が加わると勝敗は傾き、利光は船田城に火を放って、六角高頼を頼り近江国へ落ち延びた。

戦いは、利光の子の代へと持ち越される。西暦1,496年五月、土岐政房が織田寛定征伐の為に尾張国へ出た伱を突き、石丸利光の息子石丸利高が兵を挙げた。父の中止命令を拒んだ利高は、細川政元・六角高頼・梅戸貞実の支援を受け、伊勢国から美濃国へと進軍する。六月、墨俣(現在の岐阜県大垣市)で待ち構える斎藤利綱を破った石丸勢は北上し、土岐成頼が門を開いた城田寺城(現在の岐阜県岐阜市城田寺)へ入城した。此れを受けた土岐政房は斎藤妙純を差し向け、妙純は朝倉貞景と京極高清に援軍を要請する。

包囲は日を追って狭まった。城田寺城の救援に向かった六角高頼の軍は、国境を扼する京極高清に敗れて五百名余を失い、梅戸貞実も長野氏の妨害に阻まれて美濃へ辿り着けなかった。織田寛広の尾張勢、朝倉貞景の越前勢が次々と包囲網に加わる中、敗北を悟った石丸利光は、自らの切腹と引き換えに土岐成頼と日運の助命を願い出て降伏する。西暦1,496年七月十日、なおも籠城を主張する弟石丸利元を宥めた利光は、利元と共に自害した。

城田寺城は落ちた。土岐政房の説得に応じて成頼が城を出ると、城には火が掛けられ、船田城以来利光と行を共にした土岐元頼も自害する。そして石丸方の敗北の後、惣領家の斎藤利藤は隠居させられ、持是院家・斎藤妙純の勝利が確定した。暗殺未遂に始まり、守護家をも二分して美濃一国を戦火に包んだ二年間の攻防を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 石丸利光 本書の中心人物。持是院家・斎藤妙純に仕える有力な重臣で、船田城主。妙純の暗殺・奇襲を謀って船田合戦の口火を切り、惣領家や土岐元頼を担いで守護家をも二分させた。一度は近江へ逃れ、子利高の再挙も実らず、西暦1,496年、自らの切腹と引き換えに土岐成頼らの助命を請うて自害した。
  • 斎藤妙純 石丸利光が叛旗を翻した相手。守護代斎藤氏の中で絶大な力を握った持是院家の当主で、加納城を拠点とした。土岐政房と結び、朝倉貞景・京極高清らの援軍を得て船田合戦を制し、美濃国の実権を掌握した。
  • 石丸利元 石丸利光の弟。正法寺に入って斎藤利綱と対陣するなど各地を転戦した。城田寺城の陥落に際してもなお籠城を主張したが、兄利光に宥められ、共に自害した。
  • 石丸利高 石丸利光の息子。父の中止命令を拒み、細川政元・六角高頼・梅戸貞実の支援を受けて伊勢国から美濃国へ侵攻した。墨俣で斎藤利綱を破り、城田寺城へと迫った。
  • 石丸利定 石丸利光の一族。先鋒として安養寺を急襲し加納城を包囲したが、守将長井秀弘の反撃に遭って討死。五百名余の死傷者を出して退いた。
  • 斎藤利藤 斎藤氏惣領家の当主。孫の利春と末子日運を石丸利光に擁された。船田合戦の帰趨により隠居させられ、惣領家は力を失った。
  • 日運 斎藤利藤の末子。石丸利光に船田城へ迎え入れられた。利光の降伏の条件として、土岐成頼と共に助命された。
  • 土岐成頼 美濃国守護。当初は斎藤・石丸の和睦を仲介したが、後に城田寺城の門を開いて石丸方を迎え入れた。利光の助命嘆願により赦され、土岐政房の説得を容れて城を出た。西暦1,495年十月に家督を政房へ譲り隠居していた。
  • 土岐政房 土岐成頼の嫡男。西暦1,495年十月、家督と美濃国守護職を継いだ。斎藤妙純を城田寺城へ差し向け、父成頼を説得して開城に導いた。
  • 土岐元頼 石丸利光に船田城・城田寺城へ擁された守護家の一人。美濃侵攻では総大将に据えられたが、城田寺城が焼かれるに及んで自害した。
  • 六角高頼 近江国守護。船田城を捨てた石丸利光を庇護し、子利高の美濃侵攻も支援した。城田寺城の救援に向かうも京極高清に敗れ、五百名余を失った。
  • 京極高清 斎藤妙純の要請に応じて出陣した武将。美濃と伊勢の国境を扼して六角高頼の救援軍を破り、斎藤方の勝利を大きく手繰り寄せた。
  • 朝倉貞景 越前国の大名。斎藤妙純の要請に応じ、城田寺城の包囲網へ軍勢を派遣した。
  • 細川政元 室町幕府の管領。近江の石丸利光から兵糧代の支援を頼まれ、其の子利高の美濃侵攻を後押しした。

主な城・舞台

  • 船田城 石丸利光の居城(現在の岐阜県岐阜市水主町)。合戦の名の由来となった。加納城とは荒田川を挟んで数百mの距離に在り、利光は自ら火を放って近江へ逃れた。
  • 加納城 斎藤妙純の拠点(現在の岐阜県岐阜市加納丸之内)。石丸利定に包囲されたが、長井秀弘の守りが固く、寄せ手を撃退した。
  • 正法寺 斎藤利綱と石丸利元が北と南に対陣した寺(現在の岐阜県岐阜市薬師町)。両軍激突の一つの起点となった。
  • 川手城 石丸方が交通を遮断し放火した城の一つ(現在の岐阜県岐阜市正法寺町)。守護土岐氏の本拠であった。
  • 安養寺 石丸利定が急襲し、後に斎藤方の織田寛広が布陣した地(現在の岐阜県岐阜市加納地区)。援軍の到着で斎藤方の優位が固まった。
  • 墨俣 石丸利高が斎藤利綱を破った地(現在の岐阜県大垣市)。伊勢国からの美濃侵攻の進軍路上の要衝であった。
  • 城田寺城 船田合戦最後の戦場(現在の岐阜県岐阜市城田寺)。土岐成頼が開門して石丸利高を迎え入れ、斎藤方の包囲の末に落城し、土岐元頼が自害した。
  • 中之元城 西郡の古田氏の城(現在の岐阜県揖斐郡大野町中之元)。斎藤・石丸両軍が激突した古田攻めの舞台となった。

暗殺未遂から城田寺城の落城まで──
土岐・六角・朝倉・京極を巻き込んだ船田合戦の全軌跡を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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