電子書籍「足利義稙の上原元秀の屋敷からの脱走、越中公方樹立、そして朝倉貞景を頼り一乗谷へ一元化」の表紙

足利義稙の
上原元秀の屋敷からの脱走、
越中公方樹立、
そして朝倉貞景を頼り一乗谷へ
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,493年6月9日〜1,498年11月9日
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,026年1月8日

正覚寺城落城・畠山政長切腹・足利義稙の龍安寺幽閉・日野富子の夕食毒盛・薬による一命取り留め・上原元秀屋敷移送・小豆島配流決定・嵐の中の上原元秀屋敷脱走・近江国経由越中国下向・神保長誠による放生津迎え入れ・正光寺改装の将軍御座所と越中公方樹立・細川軍撃破と越中国全域掌握・大友政親等遠方大名の支持・放生津城挙兵と義澄政元打倒宣言・足利義澄元服延期と第11代征夷大将軍就任・細川政元第29代管領就任・倉川兵庫助の上洛と工作費数千貫散蒔き・吉見義隆の和平交渉と細川政賢の反対による決裂・種村視久と杉川平左衛門の妨害工作・足利義稙改名・越中国見切りと一乗谷入りによる越中公方崩壊・吉見義隆の越中国切腹──
幽閉から脱走、流亡政権、そして再びの没落迄の5年5箇月を一本の時系列に貫く。

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本書について

西暦1493年6月9日、正覚寺城が落城し、畠山政長が切腹し、足利義稙と葉室光忠が捕縛され上原元秀に降伏した日から、西暦1498年11月9日、吉見義隆が足利義稙に細川政元方との過度な接触を理由に内通を疑われ越中国にて切腹に追い込まれた日まで。本書は、明応の政変で将軍位を追われた第10代室町幕府征夷大将軍足利義稙が、龍安寺での日野富子の毒盛を薬で凌ぎ、上原元秀の屋敷に移されて小豆島配流が決定された後、嵐の夜に屋敷から脱走して越中国へ下向し、放生津で神保長誠に迎えられて「越中公方」を樹立し、放生津城で挙兵して全国の諸将に檄を飛ばした上で和平交渉を試み、最終的に軍事協力の得られない越中国に見切りを付けて越前国の朝倉貞景を頼り一乗谷に入る迄の、約5年5箇月——日本史上初の「並立する二つの将軍」の時代——を、月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。一国の将軍が、自国の管領に廃され、毒を盛られ、配流を決定され、嵐の夜に近臣数名のみを連れて屋敷を脱走し、越中の国人に迎えられて流亡政権を樹立し、其の挙兵に呼応した諸将と挙兵し、和平交渉を試みて反対派に阻まれ、再び見切りを付けて越前へ下向するまでの、密度の高い5年5箇月を一冊に束ねます。京都の細川政元・足利義澄政権と、越中の足利義稙・神保長誠政権が並び立った時代の全貌を浮き彫りにします。

西暦1493年6月9日、正覚寺城落城で足利義稙が上原元秀に捕縛された事に始まり、6月13日に葉室光忠が処刑され、6月15日に義稙は古い板輿に乗せられ近臣6名のみを許され多数の見物人の中で龍安寺に幽閉されました。6月19日夜、義稙の夕食に日野富子が毒を盛らせるも、義稙は苦悶の末に薬によって一命を取り留めました。7月1日、義稙の身柄は龍安寺から上原元秀の屋敷に移され、7月24日には細川政元等により小豆島への配流が決定されました。然るに8月11日夜、嵐の中、数名の近臣を連れた義稙は上原元秀の屋敷から脱走し、近江国を経由して越中国へ下向、放生津にて神保長誠に迎えられ、神保が改装した正光寺を将軍御座所として「越中公方」を樹立しました。10月11日には越中国の義稙勢が細川政元の派遣した軍勢を破り、越中国全域を掌握、周辺諸将の支持を集め、九州の大友政親等の遠方の大名も支持を表明しました。1494年10月20日、義稙は放生津城に移って挙兵し、足利義澄・細川政元の打倒を宣言、全国の諸将に檄を飛ばし、畠山義統・朝倉貞景・上杉房定・富樫稙泰・大友政親が呼応しました。

西暦1495年1月16日、足利義澄の元服の儀が執り行われる予定でしたが、加冠役の細川政元が烏帽子を被る事を嫌がった為、義澄は花の御所で1日中待たされ、1月23日に延期となりました。同日5時、義澄の元服の儀が挙行され、朝廷からの将軍宣下により義澄は第11代室町幕府征夷大将軍に就任、細川政元は第29代管領に就任し、政所執事の伊勢貞宗と共に若年の義澄に代わって政務を担いました。1497年7月29日、足利義稙と細川政元の和平交渉が開始され、神保長誠を中心に進められ、神保の家臣倉川兵庫助が上洛して工作費として数千貫を各方面に散蒔きました。8月12日、倉川は細川政元の屋敷を訪れ和平交渉に漕ぎ着けましたが、其の後吉見義隆も足利義稙方として交渉に当たるも、最終的に細川政賢の反対に遭い交渉は決裂しました。1498年3月、吉見義隆は活動を活発化させ、細川政元・畠山尚順の双方に和平交渉を重ねた為、公家達は義稙の京都帰還を予測し贈り物を送って吉見に接近、一方で足利方の和平反対派の種村視久は家臣の杉川平左衛門を尋尊に派遣して義稙の意向を伝え交渉妨害工作を展開しました。同年7月、吉見義隆は和平を実現出来ない儘越中国へ帰国、細川政元側でも細川政賢が再び強く反対しました。同年9月に義稙は改名を行い、10月、軍事協力の得られない越中国に見切りを付け、越前国の朝倉貞景を頼り一乗谷に入り、越中公方は事実上崩壊しました。11月9日、吉見義隆は足利義稙に細川政元方との過度な接触から内通を疑われ、越中国にて切腹に追い込まれました。一国の将軍が、廃位・幽閉・毒・配流・脱走・流亡政権樹立・挙兵・和平・崩壊・再下向の全てを5年5箇月の中に経験した瞬間の全貌を一冊に束ねた書です。


主要登場人物

  • 足利義稙 第10代室町幕府征夷大将軍。1493年6月9日の正覚寺城落城で上原元秀に降伏・捕縛、6月15日に古い板輿で龍安寺に幽閉、6月19日夜に日野富子の毒を薬で凌ぎ、7月1日に上原元秀の屋敷に移送、7月24日に小豆島配流が決定された。8月11日夜、嵐の中、数名の近臣を連れて上原元秀の屋敷から脱走し、近江国を経由して越中国へ下向、放生津で神保長誠に迎えられ、正光寺を改装した御座所で「越中公方」を樹立した。1494年10月20日に放生津城で挙兵し義澄・政元の打倒を宣言、1497年7月29日には政元との和平交渉を開始するも1498年7月に決裂、同年9月に改名、10月には軍事協力の得られない越中国に見切りを付け越前国の朝倉貞景を頼り一乗谷に入った、本書の流亡将軍。
  • 上原元秀 細川政元の丹波国守護代。1493年6月9日の正覚寺城落城で足利義稙と葉室光忠を捕縛、6月13日に葉室を処刑、6月15日に古い板輿で京都へ伴った義稙を龍安寺に幽閉した。7月1日には義稙の身柄を龍安寺から自身の屋敷に移して管理した。然るに8月11日夜、嵐に紛れて義稙が其の屋敷から脱走するのを許してしまった、本書の冒頭で前段の勝者として君臨するも将軍を取り逃した警護役。
  • 細川政元 室町幕府管領。1493年7月24日に足利義稙の小豆島配流を決定。1495年1月16日の足利義澄元服の儀予定日には加冠役として烏帽子を被るのを嫌がり、義澄を花の御所で1日中待たせて延期に追い込んだ。1月23日5時の元服の儀で第29代管領に就任し、政所執事の伊勢貞宗と共に若年の義澄に代わり政務を担った。1497年7月29日からの足利義稙との和平交渉では、最終的に細川政賢の反対を受けて交渉を決裂させた、本書のクーデター後体制を仕切った管領。
  • 日野富子 1493年6月19日夜、龍安寺に幽閉された足利義稙の夕食に毒を盛らせた。義稙は苦悶の末に薬によって一命を取り留めた、本書で旧将軍の暗殺を試みた人物。
  • 葉室光忠 公家。1493年6月9日の正覚寺城落城時に足利義稙と共に上原元秀に降伏し捕縛された。6月13日、上原元秀により細川政元の命で処刑された、本書の冒頭で将軍と運命を共にしようとして処刑された公家。
  • 神保長誠 越中国の武将。1493年8月11日夜の足利義稙脱走後、近江国経由で越中国へ下向した義稙を放生津で迎え、正光寺を改装し将軍御座所として整え、「越中公方」の物理的基盤を提供した。1497年7月29日からの足利義稙と細川政元の和平交渉では中心となり、家臣倉川兵庫助を上洛させて工作費数千貫を散蒔かせた、本書の越中公方を支えた最大の重臣。
  • 足利義澄 1495年1月16日に元服の儀の予定であったが、加冠役の細川政元が烏帽子を被る事を嫌がった為、花の御所で1日中待たされ1月23日に延期。同日5時に元服の儀を挙行し、朝廷からの将軍宣下により第11代室町幕府征夷大将軍に就任した、本書で正式に前将軍を継承した若年の新将軍。
  • 伊勢貞宗 室町幕府政所執事。1495年1月23日の足利義澄の征夷大将軍就任後、第29代管領細川政元と共に若年の義澄に代わり政務を担った、本書で幕政を陰で支えた要人。
  • 倉川兵庫助 神保長誠の家臣。1497年の和平交渉で上洛し、工作費として数千貫を各方面に散蒔いた。8月12日には細川政元の屋敷を訪れ、政元との和平交渉に漕ぎ着けた、本書の和平交渉の最初の橋渡しを成し遂げた家臣。
  • 吉見義隆 足利義稙方の人物。1497年8月12日の倉川兵庫助による細川政元との和平交渉漕ぎ着け後、足利義稙方として交渉に当たった。1498年3月に活動を活発化させ、細川政元・畠山尚順の双方の下に赴いて和平交渉を重ねた為、公家達は義稙の京都帰還を予測し贈り物を送って接近した。同年7月、和平を実現出来ない儘越中国へ帰国。同年11月9日、足利義稙に細川政元方との過度な接触から内通を疑われ、越中国にて切腹に追い込まれた、本書の和平に殉じた交渉役。
  • 細川政賢 1497年8月12日の倉川兵庫助による細川政元との和平交渉漕ぎ着け後の決裂、1498年7月の吉見義隆の和平不成立後にも再び強く反対し、和平を阻止し続けた、本書の細川一族における和平反対派の重鎮。
  • 種村視久 足利義稙方の和平反対派。1498年3月、家臣の杉川平左衛門を尋尊の下に派遣して足利義稙の意向を伝え、和平交渉を妨害する工作を展開した、本書の越中公方側の和平反対派。
  • 杉川平左衛門 種村視久の家臣。1498年3月、種村の命を受けて尋尊の下に派遣され、足利義稙の意向を伝えて和平交渉を妨害する工作に従事した、本書の和平妨害工作の実働役。
  • 朝倉貞景 越前国の戦国大名。1494年10月20日の足利義稙の放生津城挙兵に呼応した諸将の一人。1498年10月、軍事協力の得られない越中国に見切りを付けた義稙を一乗谷に迎え入れた、本書で流亡将軍の最後の頼みの綱となった大名。
  • 畠山義統 能登国守護。1494年10月20日の足利義稙の放生津城挙兵に呼応した諸将の一人、本書の挙兵に応えた守護。
  • 上杉房定 越後国守護。1494年10月20日の足利義稙の放生津城挙兵に呼応した諸将の一人、本書の挙兵に応えた東国の守護。
  • 富樫稙泰 加賀国守護。1494年10月20日の足利義稙の放生津城挙兵に呼応した諸将の一人、本書の挙兵に応えた隣国の守護。
  • 大友政親 九州の大名。1493年10月11日の越中国足利義稙勢による細川政元軍勢撃破後、遠方の大名として越中公方を支持を表明、1494年10月20日の放生津城挙兵にも呼応した、本書で遥か九州から流亡政権を支えた大名。
  • 畠山尚順 畠山政長の嫡男。1493年6月9日の正覚寺城落城時に虎口を脱出し紀伊国で再挙を図っていた。1498年3月には吉見義隆が細川政元と並んで尚順の下にも和平交渉のため赴いた、本書で再起を図り和平交渉の対象にもなった畠山家の嫡男。

正覚寺城落城・畠山政長切腹・足利義稙の龍安寺幽閉・日野富子の夕食毒盛・薬による一命取り留め・上原元秀屋敷移送・小豆島配流決定・嵐の中の上原元秀屋敷脱走・近江国経由越中国下向・神保長誠による放生津迎え入れ・正光寺改装の将軍御座所と越中公方樹立・細川軍撃破と越中国全域掌握・大友政親等遠方大名の支持・放生津城挙兵と義澄政元打倒宣言・足利義澄元服延期と第11代征夷大将軍就任・細川政元第29代管領就任・倉川兵庫助の上洛と工作費数千貫散蒔き・吉見義隆の和平交渉と細川政賢の反対による決裂・種村視久と杉川平左衛門の妨害工作・足利義稙改名・越中国見切りと一乗谷入りによる越中公方崩壊・吉見義隆の越中国切腹──
幽閉から脱走、流亡政権、そして再びの没落迄の5年5箇月を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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