電子書籍「北条早雲の伊豆討ち入り、神国大和の荘園が畠山尚順に切り取られ怒りを露わにする尋尊一元化」の表紙

北条早雲の伊豆討ち入り、
神国大和の荘園が
畠山尚順に切り取られ
怒りを露わにする尋尊一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,487年頃〜1,498年9月頃
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
9ページ
最新更新日
西暦2,026年8月10日

西暦1,487年、伊豆の土牢に一人の嫡男が落とされた──
関東と畿内で同時に中世が終わった十一年を一元化。

JPY 200(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,487年頃、初代堀越公方・足利政知が、嫡男の足利茶々丸を素行不良を理由に廃嫡し、土牢に幽閉した。代わりに後嗣に据えられたのは、参男の足利潤童子である。一つの家督の挿げ替えに過ぎない出来事が、伊豆国に何を呼び込む事になるのかを、此の時知る者は無かった。本書は、此処を起点として、関東と畿内で同時並行に進行した二つの地殻変動——伊豆国における北条早雲の堀越公方家簒奪と、大和国における荘園秩序の崩壊——の十一年余を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,491年5月11日、足利政知が病死する。足利茶々丸は其のどさくさに紛れて土牢から脱出し、同年8月6日、政知の側室・円満院と、其の子である足利潤童子の二名を殺害した。茶々丸は正室の子であり、政知の弐男・足利義澄と潤童子は円満院の子であった。武力で家督を奪った茶々丸は、第2代堀越公方を宣言する。

西暦1,493年7月頃、足利義澄は円満院と足利潤童子の敵討ちとして、茶々丸の近くに城を持つ北条早雲に征伐を命じた。北条は直ちには動かず、先ず下調べを行っている。茶々丸が横暴を振るい、足利政知の時からの堀越公方の重臣達と上手くいっておらず、領民が疲弊している事、そして堀越御所(現在の静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内)の内情を掴んだ上で、内部工作を行った。同年10月頃、居城の興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)にて作戦を練った北条は、今川氏親・葛山氏・上杉定正からの援軍を得、足利潤童子を支持していた伊豆国人を味方に付けて、500名の軍勢で出陣する。そして同年11月19日頃、伊豆国の兵が手薄になるタイミングを計り、堀越御所を夜襲した。茶々丸は上杉顕定や上杉を支持する伊豆国人等と共に応戦したが、北条が戦いを優位に進め、茶々丸は御所を捨てて守山(現在の静岡県伊豆の国市中條付近)方面へ逃亡する。北条は韮山城(現在の静岡県伊豆の国市韮山)を居城に定めた。

同じ頃、畿内では別の秩序が軋み始めていた。西暦1,493年4月頃、伊勢貞陸が第31代室町幕府山城国守護に就任する。同年10月17日、貞陸によって古市澄胤が綴喜郡・相楽郡の守護代に任じられると、古市は山城国を攻撃する大義名分を得た。同月21日、越智氏と古市氏の不和により古市氏の単独侵攻という形で山城国への侵攻が始まり、同月27日には、惣国の解体と守護による統治に反対する山城国人衆が籠城する稲八妻城(現在の京都府相楽郡精華町北稲八間城山付近)が陥落する。西暦1,494年11月頃、細川義春が山城国人衆を味方に付けて伊勢貞陸を守護職から追い落とそうとするが、細川政元は此れを認めず、古市氏による南山城支配は揺らぎ始めた。守護職就任を阻まれ怒った義春は同年12月25日に阿波国へ向けて京都を発ち、翌西暦1,495年1月17日に病死する。

西暦1,497年、畿内の均衡が一気に崩れた。8月頃、畠山義豊の家臣団である遊佐氏と誉田氏に内紛が発生すると、畠山尚順は此れに乗じて河内国に進軍し、筒井党の成身院順盛・筒井順賢も呼応して大和国に帰還した後に挙兵する。11月頃には、各地で合戦に及んでいた筒井党・古市氏・越智氏が敗退し、今市(現在の奈良県奈良市)の越智氏代官や堤氏は敗走、小泉氏・竜田氏といった越智党の主要国人達も自焼没落した。此れにより筒井氏は、西暦1,477年に畠山義就によって奪われた大和国の本領を奪還する。同年11月2日、尚順は高屋城(現在の大阪府羽曳野市古市)を落城させて河内国の大半を奪回し、畠山義豊は山城国へ逃亡した。同じ日、成身院順盛は越智郷(現在の奈良県高市郡高取町)に侵攻し、越智家栄と嫡男の越智家令は壷阪寺(現在の奈良県高市郡高取町壷阪)に逃れ、越智郷は戦火に包まれる。

そして西暦1,497年12月頃、十市遠治が壷阪寺を攻撃すると、越智家栄・家令は之に応戦して退けた。十市の援軍要請に応じた畠山尚順は、河内国から万歳平城(現在の奈良県大和高田市市場)に入り、家栄・家令は吉野へ逃亡する。此処で尚順は、奪取した万歳氏の所領を、自身の馬廻衆に恩賞として与えた。大和国の荘園が他国の衆に与えられたのは此れが初めてであり、興福寺は大変な衝撃を受ける。西暦1,498年3月頃、興福寺の学侶・六方衆の集会で此の件が議題に挙がった時、第20世大乗院門主・尋尊は「神国大和に武家の家臣が領地を持つなど前代未聞だ」と怒りを込めて記した。中世の不可侵の聖域が、恩賞の一片として切り取られた瞬間である。同年9月11日、南海トラフを震源とする明応地震が発生した。被害は会津から京都まで広範囲に及び、推定マグニチュードは8.2〜8.4、特に東海道一帯で甚大な被害を出し、5,000名以上が死亡している。大半は津波による犠牲者であった。北条早雲は救済の為、駿河国清水から西伊豆へ向かう。そして同月、北条は下田を攻撃し、足利茶々丸は身柄を武田方から北条方に引き渡された上で、深根城(現在の静岡県下田市堀之内)にて切腹した。関東と畿内、二つの物語が同じ年に幕を下ろす。本書は、其の十一年余の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • 北条早雲 本書の中心人物。興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)の城主。西暦1,493年7月頃、足利義澄から足利茶々丸征伐を命じられると、直ちには動かず堀越御所の内情を掴んで内部工作を行った。同年10月頃、今川氏親・葛山氏・上杉定正の援軍を得て500名の軍勢で出陣し、同年11月19日頃に堀越御所を夜襲して茶々丸を追い、韮山城を居城に定める。西暦1,498年9月には明応地震の救済の為に駿河国清水から西伊豆へ向かい、同月、下田を攻撃して茶々丸を深根城で切腹させた。
  • 尋尊 興福寺第20世大乗院門主。本書のもう一人の中心人物。西暦1,495年12月頃には遊佐弥六の南山城進駐を古市氏の援護ではないかと推測している。西暦1,498年3月頃、興福寺の学侶・六方衆の集会で畠山尚順による万歳氏所領の馬廻衆下賜が議題に挙がると、「神国大和に武家の家臣が領地を持つなど前代未聞だ」と怒りを込めて記した。荘園秩序の崩壊を最も鋭く見届けた記録者。
  • 足利茶々丸 足利政知の嫡男で正室の子。西暦1,487年頃に素行不良を理由に廃嫡され、土牢に幽閉された。西暦1,491年5月11日の政知の病死のどさくさに紛れて脱出し、同年8月6日に円満院と足利潤童子を殺害して武力で家督を奪い、第2代堀越公方を宣言する。西暦1,493年11月19日頃の夜襲で堀越御所を捨てて守山方面へ逃亡し、西暦1,498年9月、武田方から北条方へ引き渡されて深根城にて切腹した。
  • 足利政知 初代堀越公方。西暦1,487年頃、嫡男の足利茶々丸を素行不良を理由に廃嫡して土牢に幽閉し、参男の足利潤童子を後嗣とした。西暦1,491年5月11日に病死し、其の死が茶々丸の脱出と一連の惨劇の引き金となる。
  • 足利潤童子 足利政知の参男で円満院の子。西暦1,487年頃、廃嫡された足利茶々丸に代わって堀越公方家の後嗣とされたが、西暦1,491年8月6日、母の円満院と共に茶々丸に殺害された。伊豆国人の中には潤童子を支持する者があり、後に北条早雲の味方となる。
  • 円満院 足利政知の側室。足利義澄と足利潤童子の母。西暦1,491年8月6日、子の潤童子と共に足利茶々丸に殺害された。此の殺害が、西暦1,493年7月頃の足利義澄による茶々丸征伐命令の直接の理由となる。
  • 足利義澄 足利政知の弐男で円満院の子。西暦1,493年7月頃、母円満院と弟足利潤童子の敵討ちとして、茶々丸の近くに城を持つ北条早雲に茶々丸征伐を命じた。西暦1,497年11月2日には、湯河氏・玉置氏・山本氏の奉公衆に対し畠山尚順を攻撃する様御内書を発したが、畠山方であった湯河氏は之を無視している。
  • 今川氏親 西暦1,493年10月頃、足利茶々丸征伐に向かう北条早雲へ援軍を送った三者の一。葛山氏・上杉定正と共に、500名の軍勢の編成を支えた。
  • 上杉定正 西暦1,493年10月頃、北条早雲の足利茶々丸征伐に援軍を送った。同じ上杉でも、堀越御所で茶々丸と共に応戦した上杉顕定とは相対する立場にあった。
  • 上杉顕定 西暦1,493年11月19日頃の堀越御所夜襲に際し、足利茶々丸や上杉を支持する伊豆国人等と共に北条早雲の軍へ応戦した。戦いは北条が優位に進め、茶々丸は守山方面へ逃亡する。
  • 畠山尚順 西暦1,497年8月頃、畠山義豊の家臣団である遊佐氏と誉田氏の内紛に乗じて河内国に進軍し、同年10月頃には河内国奪回の為に挙兵した。同年11月2日に高屋城を落城させて河内国の大半を奪回。同年12月頃には十市遠治の要請に応じて万歳平城に入り、奪取した万歳氏の所領を自身の馬廻衆へ恩賞として与える。大和国の荘園が他国の衆に与えられた最初の例であり、興福寺と尋尊に衝撃を与えた。
  • 畠山義豊 畠山尚順と対立した武将。西暦1,495年12月頃には家臣の遊佐弥六が山城国守護を名乗って南山城に進駐している。西暦1,497年8月頃に家臣団の遊佐氏と誉田氏が内紛を起こすと尚順に付け込まれ、同年11月2日の高屋城落城を受けて山城国へ逃亡した。
  • 細川政元 畿内の政局を握った実力者。西暦1,494年11月頃には細川義春の山城国守護職就任を認めず、西暦1,496年9月には赤沢朝経を南山城へ派遣して畠山氏・古市氏に圧力を掛け、同年11月頃に両氏を撤退させた。西暦1,497年10月頃には再び赤沢を南山城へ送り、古市澄胤に代わる守護代としている。
  • 細川義春 西暦1,494年11月頃、山城国人衆を味方に付けて伊勢貞陸を山城国守護職から追い落とそうとしたが、細川政元に認められなかった。守護職就任を阻まれ怒って同年12月25日に阿波国へ向けて京都を発ち、翌西暦1,495年1月17日に病死する。其の動きは古市氏による南山城支配を揺るがせた。
  • 伊勢貞陸 西暦1,493年4月頃、第31代室町幕府山城国守護に就任した。同年10月17日、古市澄胤を綴喜郡・相楽郡の守護代に任じ、古市に山城国攻撃の大義名分を与えている。
  • 古市澄胤 西暦1,493年10月17日、伊勢貞陸によって綴喜郡・相楽郡の守護代に任じられ、同月21日に山城国への侵攻を開始した。越智氏との不和により単独侵攻となり、同月27日、山城国人衆が籠城する稲八妻城を陥落させる。西暦1,497年10月頃には赤沢朝経に守護代の座を取って代わられた。
  • 赤沢朝経 細川政元の配下。西暦1,496年9月に南山城へ派遣されて畠山氏・古市氏に圧力を掛け、両氏を撤退させた。西暦1,497年10月頃には再び南山城へ送られ、古市澄胤に代わる守護代となる。
  • 越智家栄 大和国の国人。西暦1,493年7月頃に細川政元方へ味方した功により伊賀守に任じられ、西暦1,494年には修理大夫に任じられた。西暦1,497年11月2日、成身院順盛の越智郷侵攻を受けて嫡男の越智家令と共に壷阪寺へ逃れ、同年12月頃の十市遠治の攻撃は退けたものの、畠山尚順の万歳平城入りを受けて吉野へ逃亡した。
  • 成身院順盛 筒井党。西暦1,497年8月頃、畠山尚順の河内国進軍に呼応して筒井順賢と共に大和国へ帰還した後に挙兵した。同年11月2日には越智郷へ侵攻し、越智家栄・家令を壷阪寺へ追っている。
  • 十市遠治 西暦1,497年12月頃、壷阪寺の越智家栄・家令を攻撃したが退けられ、成身院順盛と畠山尚順に援軍を要請した。此の要請が、畠山尚順の万歳平城入りと万歳氏所領の馬廻衆下賜、そして尋尊の激怒へと繋がってゆく。

本書が記録する出来事

  • 足利茶々丸の廃嫡と土牢幽閉 西暦1,487年頃、初代堀越公方・足利政知が嫡男の足利茶々丸を素行不良を理由に廃嫡し、土牢に幽閉した。代わりに参男の足利潤童子を後嗣とする。本書が記録する十一年余の起点。
  • 円満院・足利潤童子の殺害と第2代堀越公方の宣言 西暦1,491年5月11日の足利政知の病死に紛れて土牢を脱出した足利茶々丸が、同年8月6日、政知の側室・円満院と其の子である足利潤童子を殺害。武力で家督を奪い、第2代堀越公方を宣言した。
  • 茶々丸征伐の命令と北条早雲の内部工作 西暦1,493年7月頃、足利義澄が円満院と足利潤童子の敵討ちとして北条早雲に茶々丸征伐を命じた。北条は下調べを行い、茶々丸の横暴と重臣達との不和、領民の疲弊、堀越御所(現在の静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内)の内情を掴んだ上で内部工作を行った。
  • 興国寺城の作戦と500名の出陣 西暦1,493年10月頃、北条早雲が居城の興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)にて足利茶々丸征伐の作戦を練る。今川氏親・葛山氏・上杉定正からの援軍を得、足利潤童子を支持していた伊豆国人を味方に付けて、500名の軍勢で出陣した。
  • 堀越御所の夜襲と韮山城 西暦1,493年11月19日頃、北条早雲率いる軍が伊豆国の兵が手薄になるタイミングを計って堀越御所を夜襲した。足利茶々丸は上杉顕定や上杉を支持する伊豆国人等と応戦したが、北条が優位に進め、茶々丸は御所を捨てて守山(現在の静岡県伊豆の国市中條付近)方面へ逃亡。北条は韮山城(現在の静岡県伊豆の国市韮山)を居城に定めた。
  • 伊勢貞陸の山城国守護就任と古市澄胤の南山城侵攻 西暦1,493年4月頃、伊勢貞陸が第31代室町幕府山城国守護に就任。同年10月17日、貞陸によって古市澄胤が綴喜郡・相楽郡の守護代に任じられ、山城国を攻撃する大義名分を得た。同月21日、越智氏との不和により古市氏の単独侵攻が始まる。
  • 稲八妻城の陥落 西暦1,493年10月27日、古市澄胤が、惣国の解体と守護による統治に反対して籠城する山城国人衆の稲八妻城(現在の京都府相楽郡精華町北稲八間城山付近)を陥落させた。山城国一揆の終焉を刻む一戦。
  • 細川義春の守護職争いと病死 西暦1,494年11月頃、細川義春が山城国人衆を味方に付けて伊勢貞陸を守護職から追い落とそうとするが、細川政元は認めず、古市氏による南山城支配が揺らぎ始めた。義春は同年12月25日に阿波国へ向けて京都を発ち、翌西暦1,495年1月17日に病死する。
  • 遊佐弥六の南山城進駐と細川政元の圧力 西暦1,495年12月頃、畠山義豊の家臣・遊佐弥六が山城国守護を名乗って南山城に進駐した。尋尊は之を古市氏を援護する為ではないかと推測している。西暦1,496年9月、細川政元は赤沢朝経を南山城へ派遣して畠山氏・古市氏に圧力を掛け、同年11月頃、両氏は南山城から撤退した。
  • 遊佐氏・誉田氏の内紛と畠山尚順の挙兵 西暦1,497年8月頃、畠山義豊の家臣団である遊佐氏と誉田氏に内紛が発生。畠山尚順は此れに乗じて河内国へ進軍し、筒井党の成身院順盛・筒井順賢も呼応して大和国に帰還した後に挙兵した。同年10月頃、尚順は河内国奪回の為に改めて挙兵する。
  • 筒井党・古市氏・越智氏の敗退と筒井氏の本領奪還 西暦1,497年11月頃、各地で合戦に及んでいた筒井党・古市氏・越智氏が敗退。今市(現在の奈良県奈良市)の越智氏代官や堤氏が敗走し、小泉氏・竜田氏といった越智党の主要国人達も自焼没落した。此れにより筒井氏は、西暦1,477年に畠山義就によって奪われた大和国の本領を奪還する。
  • 高屋城の落城と河内国の奪回 西暦1,497年11月2日、畠山尚順が高屋城(現在の大阪府羽曳野市古市)を落城させ、河内国の大半を奪回した。畠山義豊は山城国へ逃亡し、足利義澄は湯河氏・玉置氏・山本氏の奉公衆に尚順攻撃の御内書を発したが、畠山方であった湯河氏は之を無視した。
  • 万歳氏所領の馬廻衆下賜 西暦1,497年12月頃、十市遠治の壷阪寺攻撃に端を発する援軍要請に応じた畠山尚順が、河内国から万歳平城(現在の奈良県大和高田市市場)に入り、奪取した万歳氏の所領を自身の馬廻衆へ恩賞として与えた。大和国の荘園が他国の衆に与えられたのは此れが初めてで、興福寺は大変な衝撃を受ける。
  • 尋尊の激怒——神国大和の荘園 西暦1,498年3月頃、興福寺の学侶・六方衆の集会が開かれ、畠山尚順が馬廻衆に万歳氏の所領を与えた件が議題に挙がった。第20世大乗院門主・尋尊は「神国大和に武家の家臣が領地を持つなど前代未聞だ」と怒りを込めて記す。本書の書名が採られた場面。
  • 明応地震 西暦1,498年9月11日、南海トラフを震源とする明応地震が発生。被害は会津から京都まで広範囲に及び、推定マグニチュードは8.2〜8.4であった。特に東海道一帯で甚大な被害を出し、5,000名以上が死亡。大半は津波による犠牲者であった。北条早雲は救済の為、駿河国清水から西伊豆へ向かった。
  • 下田攻撃と深根城の切腹 西暦1,498年9月頃、北条早雲が下田を攻撃する。足利茶々丸は身柄を武田方から北条方へ引き渡された上で、深根城(現在の静岡県下田市堀之内)にて切腹した。堀越公方家の終焉であり、本書が記録する十一年余の到達点。

堀越御所の夜襲から、神国大和の荘園切り取り、そして明応地震へ──
北条早雲・畠山尚順・尋尊が交差する十一年余の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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