南朝の末裔を天皇として
擁立した山名宗全一元化
西暦1,469年、吉野と熊野に南朝の血が立った──
山名宗全が擁立した西陣南帝の四十五年を一元化。
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本書について
西暦1,469年12月24日、南朝皇胤の末裔を称する兄弟が、吉野と熊野の二ヶ所で同時に兵を挙げた。吉野に立ったのが兄——後に「西陣南帝」と呼ばれる人物であり、熊野に立ったのが其の弟である。南北朝の合一から既に久しく、後南朝の血脈は歴史の表舞台から退いていた筈であった。然し応仁の乱の最中、其の血は再び京都の政争の只中へと引き出される。本書は、此の蜂起を起点として、西軍の総大将・山名宗全が小倉宮の血を引く西陣南帝を新たな天皇として擁立し、其の擁立が山名の死と共に崩れ去った後、天皇候補であった一人の男が東国を彷徨って尾張国一宮に果てるまでの四十五年を、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,470年4月1日頃、西陣南帝は紀伊国有田郡(現在の和歌山県)にて挙兵する。同月9日には紀伊国海草郡藤白(現在の和歌山県海南市)に入り、郡の者の大半が西陣南帝に味方した。同月30日、一行は大和国に入る。南朝の記憶が濃く残る紀伊・大和の地が、擁立の足場となっていった。
そして西暦1,470年6月10日頃、山名宗全を始めとする西軍諸将が西陣南帝を天皇に擁立し、京都御所に迎え入れようとしているとの風聞が立ち始める。山名の狙いは明白であった。東軍は後土御門天皇・後花園上皇・足利義政の三者を味方に付けており、其の「正統」という一点において西軍は劣勢に立たされていた。ならば此方にも天皇を立てればよい——西陣南帝の擁立は、軍事ではなく権威の領域で戦を仕掛ける試みだったのである。然し西軍の内部からも反対の声が上がった。後南朝と所領が重なっていた畠山義就である。同年7月23日、足利義視を始めとする西軍諸将の説得によって、畠山は漸く擁立を了承した。
西暦1,471年9月10日、西軍諸将の要請を受けた西陣南帝が北野天満宮松梅院に入り、天皇として擁立された。山名宗全は、自身の妹の居る西陣(現在の京都府京都市上京区薬師町付近)の近くに所在する比丘尼寺・安山院を行在所として、西陣南帝を迎える。四条氏が其の身辺に奉仕した。京都に二人の天皇が並び立った瞬間である。
然し擁立の土台は脆かった。西暦1,472年頃、擁立に賛成していた足利義視が反対に回る。朝倉孝景の寝返りによって東軍が勢いを取り戻しつつあった事が、其の変心の理由であった。そして西暦1,473年4月15日、山名宗全が病死する。擁立の張本人を失った西陣南帝は、其の後西軍諸将によって追放された。和睦交渉は山名政豊が引き継ぎ、天皇候補は用済みとなったのである。
追放の後に残されたのは、漂泊であった。西暦1,478年12月8日、西陣南帝は京都から東海を経由して、甲斐国の小石沢(現在の山梨県笛吹市石和町小石和)の観音寺に入る。翌西暦1,479年8月6日には、国人等に送られて越後国から越中国を経由し、越前国北ノ庄(現在の福井県福井市)に入った。其の後、奥州へ下向した西陣南帝は、自らを「熊沢現覚坊」と称して身分を秘匿する。天皇として擁立された男が、名を捨てて生きる道を選んだのである。西暦1,499年12月頃、西陣南帝は伊豆国三島に流れ着く。北条早雲は、西陣南帝を諌めて相模国へ向かわせた。そして西暦1,514年、西陣南帝は尾張国一宮にて死去する。蜂起から数えて四十五年、南朝最後の天皇候補の生涯は、其処で閉じた。本書は、此の四十五年の全過程を一冊に束ねている。
登場人物
- 西陣南帝 本書の中心人物。小倉宮の血を引く南朝皇胤。西暦1,469年12月24日、弟と共に蜂起して吉野に立った。西暦1,470年4月には紀伊国有田郡で挙兵し、藤白・大和国へと進む。西暦1,471年9月10日、北野天満宮松梅院に入り、安山院を行在所として天皇に擁立された。山名宗全の死後に西軍諸将から追放され、甲斐国・越前国・奥州・伊豆国・相模国を転々とした末、西暦1,514年に尾張国一宮で死去した。
- 山名宗全 西軍の総大将。後土御門天皇・後花園上皇・足利義政を味方に付けている東軍の権威に対抗する為、西陣南帝の天皇擁立を画策した。西暦1,471年9月10日には、自身の妹の居る西陣(現在の京都府京都市上京区薬師町付近)近くの比丘尼寺・安山院を行在所として、西陣南帝を迎えている。西暦1,473年4月15日に病死し、其の死と共に擁立は崩れた。本書のもう一人の中心人物。
- 西陣南帝の弟 南朝皇胤の末裔を称する兄弟の弟。西暦1,469年12月24日、兄が吉野で蜂起したのと同じ日に、熊野で兵を挙げた。二ヶ所同時の蜂起を成り立たせた人物。
- 後土御門天皇 第103代天皇。後花園上皇・足利義政と共に、東軍が味方に付けていた三者の一。山名宗全が西陣南帝の擁立によって対抗しようとした、正統の権威そのものであった。
- 後花園上皇 後土御門天皇の父。東軍が味方に付けていた三者の一として、山名宗全の天皇擁立画策が向けられた対象となった。
- 足利義政 第8代室町幕府征夷大将軍。後土御門天皇・後花園上皇と共に東軍の権威を構成し、山名宗全は此の構図に対抗する為に西陣南帝の擁立を画策した。
- 足利義視 足利義政の弟。西暦1,470年7月23日、西軍諸将と共に畠山義就を説得し、西陣南帝の天皇擁立を了承させた。然し西暦1,472年頃には、朝倉孝景の寝返りによって東軍が勢いを取り戻しつつあった事から反対に回っている。西陣南帝の運命を二度動かした人物。
- 畠山義就 西軍の武将。後南朝と所領が重なっていた事から、西暦1,470年6月の段階では西陣南帝の天皇擁立に反対した。同年7月23日、足利義視を始めとする西軍諸将の説得により了承する。擁立の最大の障害から協力者へと転じた人物。
- 山名政豊 山名宗全の後継者。西暦1,473年4月15日の宗全の病死を受けて、東軍との和睦交渉を引き継いだ。
- 朝倉孝景 西軍から東軍へ寝返った武将。其の寝返りによって東軍が勢いを取り戻しつつあった事が、西暦1,472年頃に足利義視を擁立反対へ転じさせる契機となった。
- 四条氏 公家。西暦1,471年9月10日、安山院を行在所として擁立された西陣南帝に奉仕した。
- 北条早雲 西暦1,499年12月頃、伊豆国三島に流れ着いた西陣南帝を諌め、相模国へ向かわせた。応仁の乱が残した南朝の血筋と、戦国の幕開けとが交差した場面。
本書が記録する出来事
- 吉野と熊野の同時蜂起 西暦1,469年12月24日、南朝皇胤の末裔を称する兄弟が二ヶ所で蜂起した。兄である西陣南帝が吉野に、弟が熊野に立ち、本書が記録する四十五年の起点となった。
- 紀伊国有田郡の挙兵と藤白入り 西暦1,470年4月1日頃、小倉宮の血を引く西陣南帝が紀伊国有田郡(現在の和歌山県)にて挙兵。同月9日に紀伊国海草郡藤白(現在の和歌山県海南市)へ入ると、郡の者の大半が味方に付いた。同月30日には大和国に入っている。
- 天皇擁立の風聞と東軍の権威 西暦1,470年6月10日頃、山名宗全を始めとする西軍諸将が西陣南帝を天皇に擁立し、京都御所へ迎え入れようとしているとの風聞が立ち始めた。後土御門天皇・後花園上皇・足利義政の三者を味方に付けた東軍の権威に対抗する為の画策であった。
- 畠山義就の反対と了承 後南朝と所領が重なっていた畠山義就は、西陣南帝の天皇擁立に反対した。西暦1,470年7月23日、足利義視を始めとする西軍諸将の説得により了承する。西軍内部の亀裂が一旦は塞がれた場面。
- 北野天満宮松梅院への入御と安山院の行在所 西暦1,471年9月10日、西軍諸将の要請を受けた西陣南帝が北野天満宮松梅院に入り、天皇として擁立された。山名宗全は、自身の妹の居る西陣近くの比丘尼寺・安山院を行在所として西陣南帝を迎え、四条氏が奉仕した。京都に二人の天皇が並び立った瞬間。
- 足利義視の転向 西暦1,472年頃、天皇擁立に賛成していた足利義視が反対に回る。朝倉孝景の寝返りによって東軍が勢いを取り戻しつつあった事が、態度を変えた理由であった。
- 山名宗全の病死と西陣南帝の追放 西暦1,473年4月15日、山名宗全が病死する。其の後、西陣南帝は西軍諸将によって追放された。和睦交渉は山名政豊が引き継ぎ、擁立の企図は支柱を失って崩れた。
- 甲斐国小石沢観音寺への下向 西暦1,478年12月8日、西陣南帝が京都から東海を経由して、甲斐国の小石沢(現在の山梨県笛吹市石和町小石和)の観音寺に入った。追放後の漂泊の始まり。
- 越前国北ノ庄と奥州潜行——熊沢現覚坊 西暦1,479年8月6日、西陣南帝は国人等に送られ、越後国から越中国を経由して越前国北ノ庄(現在の福井県福井市)に入った。其の後は奥州へ下向し、自らを「熊沢現覚坊」と称して身分を秘匿した。
- 伊豆国三島の漂着と北条早雲 西暦1,499年12月頃、西陣南帝が伊豆国三島に流れ着く。北条早雲は西陣南帝を諌めて、相模国へ向かわせた。
- 尾張国一宮の死去 西暦1,514年、西陣南帝が尾張国一宮にて死去する。吉野・熊野の蜂起から四十五年、南朝最後の天皇候補の生涯が閉じた到達点。
北野天満宮松梅院の擁立から、尾張国一宮の最期へ──
南朝最後の天皇候補が辿った四十五年の全過程を一元化。
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