電子書籍「長享の乱一元化」の表紙

長享の乱一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,486年8月25日〜1,505年4月頃
※旧暦は全て西暦に変換しています
最新更新日
西暦2,026年1月7日

太田道灌暗殺と「当方滅亡」の絶命・実蒔原の戦い・上杉定昌の自害・須賀谷原の戦い・高見原の戦い・上杉定正の荒川渡河時落馬死去・北条早雲と今川氏親の救援・立河原の戦いでの山内上杉軍2,000騎余の損失・長尾能景の到着・初沢城と真田城の落城・川越城開城と上杉朝良の出家幽閉・上杉朝興の第13代扇谷上杉家当主就任──
関東を二つに割った両上杉家の戦いの18年8箇月を一本の時系列に貫く。

JPY 200(税込)

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本書について

西暦1486年8月25日、上杉定正が太田道灌を扇谷上杉家の本拠糟屋館に招き、配下の曽我兵庫が入浴後に風呂場の小口から出た無防備な所を襲い、太田が「当方滅亡」と言って絶命した日から、西暦1505年4月、上杉顕定が川越城を包囲して上杉朝良を降伏させ、出家させて菅谷館に幽閉し、家督を甥の上杉朝興に譲らせた日まで。本書は、応仁の乱の終結期から戦国時代の幕開けにかけて、関東管領を世襲する両上杉家——山内上杉家と扇谷上杉家——が、家中筆頭の名臣太田道灌の暗殺を発端に18年8箇月に亙って繰り広げた、同族間の血の戦いを月日単位で時系列に一元化した電子書籍です。「当方滅亡」という太田道灌の絶命の言葉が予言した通り、扇谷上杉家を実質的に支えていた頭脳を失った上杉定正は、3度の合戦に勝ちながらも驕りで人心を失い、荒川渡河時の落馬で唐突に死去します。其の後10年を経て、上杉顕定の執念が北条早雲・今川氏親の介入を呼び込み、立河原の大敗を経てなお、長尾能景の援軍で再起を果たし、最終的に扇谷上杉家を屈服させるまでの長い物語を、一冊の書として束ねます。関東戦国時代の幕開けを告げた抗争の縮図を浮き彫りにします。

西暦1486年8月25日の太田道灌暗殺と「当方滅亡」の絶命に始まり、同年9月の太田資康の江戸城帰還と家督継承、西暦1487年1月の太田資康の江戸城追放と山内上杉家への合流、西暦1488年3月の上杉顕定・太田資康・三浦高救の鉢形城出陣を経て、同年3月18日には七沢城が落城して上杉朝昌が大庭城へ敗走、同日実蒔原で扇谷上杉軍200騎余が地形を熟知して山内上杉軍を撃破します。同年5月5日には越後国守護上杉房定の嫡男上杉定昌が自害。同年7月の上杉顕定・憲房による2,000名の鉢形城出陣に対し、定正は足利政氏・長尾景春・上杉朝良と700騎余で須賀谷原に布陣、7月16日の武蔵松山城攻撃を経て、7月26日朝の須賀谷原の戦いでは長尾景春の横槍と藤田三郎勢の撃破により扇谷上杉軍が勝利、戦死者700名余・馬数百頭を失いました。同年12月17日の高見原の戦いでは長尾景春が上杉定正の指示通り風上から夜襲を仕掛け、兵力で劣りながら3度目の勝利を収めます。然し3度勝った定正は驕り、太田道灌暗殺への疑念から離反者が出始め、家臣が言動を慎む様促す書簡を送る程となり、西暦1494年11月2日に荒川を渡河しようとして落馬、唐突に死去します。

10年を経た西暦1504年9月29日、上杉顕定が上戸に着陣し川越城を攻撃するも落とせず、白井城・鉢形城・上戸の出城に拠点を置いて扇谷上杉軍に対抗。同年10月、顕定は江戸城に目標を変え白子に布陣しますが、上杉朝良は韮山城の北条早雲と今川館の今川氏親に救援を求めます。10月22日に北条早雲が稲毛に到着し枡形山に布陣、10月27日からの4日間に亙って今川氏親軍が枡形山に到着すると、川越城を含めて山内上杉軍が包囲される形となり、顕定は江戸城攻撃を中止して立河原に布陣。11月3日12時頃、上杉朝良・北条早雲・今川氏親率いる軍が立河原に到着して山内上杉軍と交戦、山内上杉軍は2,000騎余を失い夕方には敗北が決定的となり、夜に上杉顕定は鉢形城へ敗走しました。然し12月、北条早雲・今川氏親が鎌倉経由で帰還して熱海で静養し韮山城で法要を行うと、越後国守護上杉房能が兄顕定の敗戦を聞いて越後国守護代長尾能景を鉢形城に派遣、顕定は守備が手薄となった川越城を奪還し立河原付近を押さえます。西暦1505年1月の初沢城落城、1月31日の小田原-川越同盟ラインを切断する真田城落城を経て、4月に顕定が川越城を包囲、上杉朝良は降伏して出家させられ菅谷館に幽閉、家督は甥の上杉朝興に譲らされ、朝興が第13代扇谷上杉家当主に就任しました。「当方滅亡」の予言が、太田道灌の死から18年8箇月を経て、扇谷上杉家の実質的崩壊として成就した瞬間です。関東戦国時代の幕開けを告げた長い抗争の全貌を一冊に束ねた書です。


主要登場人物

  • 上杉定正 扇谷上杉家当主。1486年8月25日に太田道灌を糟屋館に招いて曽我兵庫に暗殺させ、1487年1月には太田資康を江戸城から追放した。1488年3月18日の実蒔原の戦い、7月26日の須賀谷原の戦い、12月17日の高見原の戦いで上杉顕定率いる山内上杉軍を3度撃破するも、勝利の度に驕り家臣が離反、1494年11月2日に荒川を渡河しようとした際に落馬して死去した、本書前半の主人公にして自身の暗殺指示と慢心が後半の扇谷上杉家崩壊を準備した張本人。
  • 上杉顕定 第11代山内上杉家当主。1486年に上杉定正に「太田はお前の首を狙っているぞ」と讒言して太田道灌暗殺を裏で誘導した。1488年の三戦は全て敗北したが、1504年9月29日に上戸着陣以降に攻勢を再開、11月3日の立河原の戦いで2,000騎余を失う大敗を喫しながらも、北条早雲・今川氏親の帰還後に長尾能景の援軍を得て川越城を奪還、1505年4月に川越城を包囲して上杉朝良を降伏させた、本書を通じて執念で勝利を掴んだ最終勝者。
  • 太田道灌 扇谷上杉家の重臣。1486年8月25日、上杉定正の招きで糟屋館に赴き、入浴後に風呂場の小口から出た無防備な所を曽我兵庫に襲われ、「当方滅亡」と言って絶命した。自身の働きが正当に評価されていないと溢し、扇谷上杉家の躍進は自身のお蔭だとして憚らず定正の意見を軽んじていた、本書の悲劇の発端を成した名臣にして、其の絶命の予言が18年8箇月後に成就する事になった人物。
  • 太田資康 太田道灌の嫡男。1486年9月に父の死を受けて江戸城に帰還し家督を継承するも、1487年1月に上杉定正によって江戸城を追放され、山内上杉家を頼って甲斐国へ逃れ上杉顕定に付いた。1488年3月の上杉顕定の鉢形城出陣にも従軍した、父の仇を討つべく顕定陣営に身を投じた遺児。
  • 上杉朝良 上杉朝昌の弐男で上杉定正の養子。1488年7月の須賀谷原布陣に参加し、7月26日の戦いでは扇谷上杉軍の先陣を切った。1494年の定正死去後に扇谷上杉家を継承、1504年10月の上杉顕定の白子布陣に対して北条早雲・今川氏親に救援を要請、11月3日の立河原の戦いで顕定を撃破するも、1505年4月の川越城包囲で降伏、出家させられ菅谷館に幽閉された、本書後半の扇谷上杉家を率いて最終的に屈服させられた当主。
  • 上杉朝興 上杉朝良の甥。1505年4月の川越城開城に伴い、上杉顕定の強要によって扇谷上杉家の家督を上杉朝良から譲られ、第13代扇谷上杉家当主に就任した、本書の終幕で扇谷上杉家を引き継いだ甥。
  • 上杉憲房 上杉顕定の養子。1488年7月、顕定と共に2,000名の軍勢を率いて鉢形城から出陣し、上杉定正の居る川越城を攻める軍に参加した、顕定の右腕として戦った養子。
  • 上杉房定 第9代室町幕府越後国守護。自身の嫡男で白井城主の上杉定昌を通じて上杉顕定を支援、1488年12月17日の高見原の戦いでは上杉顕定の援軍要請を受けて山内上杉軍を支援した、顕定の越後からの軍事的支柱。
  • 上杉定昌 上杉房定の嫡男で白井城主。父房定を通じて上杉顕定の支援を担っていたが、1488年5月5日に従者と共に自害した、本書前半の山内上杉家側の悲劇。
  • 上杉房能 第10代室町幕府越後国守護。上杉顕定の弟。1504年12月、兄顕定の立河原の戦いでの敗戦を聞き、越後国守護代長尾能景率いる援軍を鉢形城に差し向けて顕定の再起を支えた、本書後半の戦況を逆転させた弟。
  • 長尾景春 上杉定正の盟友。1488年7月26日の須賀谷原の戦いでは横槍を入れて山内上杉軍を浮き足立たせ藤田三郎勢を撃破、12月17日の高見原の戦いでは定正の指示を受けて風上から夜襲を仕掛け、兵力で劣りながら山内上杉軍を撃破した、扇谷上杉家の三度の勝利を支えた将。
  • 長尾能景 越後国守護代。1504年12月、上杉房能から上杉顕定の援軍として鉢形城に派遣され、顕定と合流。1505年1月に初沢城を、1月31日に小田原城-川越城の北条家と扇谷上杉家の同盟ラインを崩す目的で真田城を落城させた、立河原の敗北後の山内上杉家を再起させた援将。
  • 足利政氏 第2代古河公方。1488年7月の須賀谷原布陣に参加、12月17日の高見原の戦いでは上杉定正の援軍要請に応じた、扇谷上杉家を関東公方の権威で支えた人物。
  • 北条早雲 韮山城を本拠とする戦国の風雲児。1504年10月22日に上杉朝良の救援要請に応じて稲毛に到着し枡形山に布陣、11月3日の立河原の戦いで上杉朝良・今川氏親と共に上杉顕定軍を撃破した。12月には今川氏親と共に鎌倉経由で帰還し熱海で静養、韮山城で法要を行った、関東への進出の端緒を開いた戦国大名。
  • 今川氏親 今川館を本拠とする駿河国の戦国大名。1504年10月27日からの4日間に亙って軍勢を続々と枡形山に到着させ、11月3日の立河原の戦いで上杉朝良・北条早雲と共に上杉顕定軍を撃破した。12月に北条早雲と鎌倉経由で熱海で静養し、韮山城の法要後に北条と別れて今川館へ帰還した、駿河から関東に救援軍を派遣した大名。
  • 曽我兵庫 上杉定正の配下。1486年8月25日、太田道灌が糟屋館で入浴後に風呂場の小口から出た無防備な所を襲って暗殺した、本書冒頭で「当方滅亡」の絶命を引いた実行犯。

太田道灌暗殺と「当方滅亡」の絶命・実蒔原の戦い・上杉定昌の自害・須賀谷原の戦い・高見原の戦い・上杉定正の荒川渡河時落馬死去・北条早雲と今川氏親の救援・立河原の戦いでの山内上杉軍2,000騎余の損失・長尾能景の到着・初沢城と真田城の落城・川越城開城と上杉朝良の出家幽閉・上杉朝興の第13代扇谷上杉家当主就任──
関東を二つに割った両上杉家の戦いの18年8箇月を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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