足利義稙の
征夷大将軍返り咲き一元化
大船70隻を率いて、上洛を目指した──
足利義稙の返り咲きを一元化。
132円(税込)
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本書について
西暦1,507年8月2日、細川澄之・香西元長・薬師寺長忠が、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃した。三好は澄元を守って青地城(現在の滋賀県草津市青地町)に逃れ、其の後、山中為俊を頼って甲賀郡に落ち延びて、山中の下で在地勢力を味方に引き入れ、近江国人衆を取り込んだ。16日、細川澄之が丹波国から上洛する。足利義澄は、御内書を下して、澄之を細川京兆家の当主として承認した。しかし9月7日、近江国甲賀の国人等と共に京都に戻った三好之長が、細川高国・細川政賢・細川尚春等と共に澄之の屋敷を襲撃する。澄之は自害し、香西・薬師寺は討死した。9月8日、細川澄元は足利義澄に拝謁し、京兆家の家督を承認される。本書は、此の細川澄元・三好之長の屋敷への攻撃から、西暦1,508年8月14日に細川高国が第32代管領に就任する迄を一元化した記録である。
西暦1,507年12月28日、足利義稙と大内義興は上洛を意図し、大船70隻を中心とした艦隊を率いて三田尻(現在の山口県防府市)を出発した。大内は、右田弘詮等に本国の留守を任せた上での出発であった。足利・大内は、西国の有力守護に味方になる様要請しつつ、防府に入る。艦隊は、西暦1,508年2月27日に大畠(現在の山口県柳井市)に到着し、3月23日に蒲刈(現在の広島県呉市の上蒲刈島・下蒲刈島)に入った。4月16日に蒲刈を出航して瀬戸内海を東へ進み、25日に鞆(現在の広島県福山市)、5月15日に牛窓(現在の岡山県瀬戸内市)に到着して、23日には兵庫津に入る。
西暦1,508年4月30日、細川高国は清水寺に、自軍が乱暴狼藉・山林伐採・課役賦課を行う事を禁じる禁制を発した。5月8日には、細川高国方が優勢となった為、細川澄元が京都から甲賀(現在の滋賀県)に退去する。そして5月15日の夜、大内義興軍に対抗する軍事力を持っていない為、足利義澄は畠山澄重・細川高久・一色七郎等の近臣と共に京都を脱出し、其の後、九里信隆が城主を務める水茎岡山城(現在の滋賀県近江八幡市牧町)に入った。
5月26日、足利義稙と大内義興は堺に到着した。足利・大内は引摂寺(現在の大阪府堺市堺区宿院町西)に入り、畿内平定に当たっていた細川高国の降伏を受け入れ、畠山尚順等の参礼を受ける。そして細川との連携を強め、上洛の準備を進めた。6月3日、足利義稙は、細川高国を細川京兆家当主と認める御内書を発する。
7月3日、足利義稙と大内義興は堺を出発し、5日、8,000名の兵を率いて上洛した。義稙は一条室町(現在の京都府京都市上京区)の吉良義信の屋敷に入り、其処を仮御所とする。7月28日、足利義稙は朝廷により第10代室町幕府征夷大将軍として再任され、同日、大内義興も管領代に就任した。其の後、義稙は恩賞として、相国寺崇寿院領である和泉国堺南荘(現在の大阪府堺市堺区)を大内に与えようとしたが、大内は此れを辞退し、其の代替として第33代室町幕府山城国守護に任じられる。又、今川氏親が第23代室町幕府遠江国守護に補任された。そして8月14日、細川高国が第32代管領に就任する——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 足利義稙 本書の中心人物。西暦1,507年12月28日、大内義興と共に上洛を意図し、大船70隻を中心とした艦隊を率いて三田尻を出発した。1,508年5月26日に堺に到着した。引摂寺では細川高国の降伏を受け入れ、6月3日、高国を細川京兆家当主と認める御内書を発する。7月5日、8,000名の兵を率いて上洛し、28日、朝廷により第10代室町幕府征夷大将軍として再任された。
- 大内義興 西暦1,507年12月28日、足利義稙と共に三田尻を出発した。右田弘詮等に本国の留守を任せた上での出発であった。1,508年7月28日、管領代に就任する。其の後、恩賞の和泉国堺南荘は辞退し、其の代替として第33代室町幕府山城国守護に任じられた。
- 足利義澄 西暦1,507年8月16日に丹波国から上洛した細川澄之に御内書を下し、細川京兆家の当主として承認した。9月8日には、拝謁した細川澄元の京兆家の家督を承認した。1,508年5月15日の夜、大内義興軍に対抗する軍事力を持っていない為、近臣等と共に京都を脱出し、其の後、水茎岡山城に入った。
- 細川澄元 西暦1,507年8月2日、細川澄之等に屋敷を攻撃された。9月8日、足利義澄に拝謁し、京兆家の家督を承認される。1,508年5月8日、細川高国方が優勢となった為、京都から甲賀に退去した。
- 細川澄之 西暦1,507年8月2日、香西元長・薬師寺長忠と共に、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃した。16日、丹波国から上洛する。足利義澄は、御内書を下して澄之を細川京兆家の当主として承認した。9月7日、三好之長等が澄之の屋敷を襲撃する。澄之は自害した。
- 細川高国 西暦1,507年9月7日、三好之長等と共に細川澄之の屋敷を襲撃した。1,508年4月30日、清水寺に禁制を発する。畿内平定に当たっていたが、堺に到着した足利義稙・大内義興に降伏し、6月3日、義稙の御内書で細川京兆家当主と認められた。8月14日、第32代管領に就任した。
- 三好之長 西暦1,507年8月2日、細川澄之等に屋敷を攻撃される。三好は細川澄元を守って青地城に逃れ、其の後、山中為俊を頼って甲賀郡に落ち延びた。山中の下で在地勢力を味方に引き入れ、近江国人衆を取り込む。近江国甲賀の国人等と共に京都に戻り、9月7日、細川高国等と共に細川澄之の屋敷を襲撃した。
- 香西元長 西暦1,507年8月2日、細川澄之・薬師寺長忠と共に、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃した。9月7日、三好之長等が細川澄之の屋敷を襲撃する。澄之は自害し、香西は薬師寺長忠と同じく討死した。
- 薬師寺長忠 西暦1,507年8月2日、細川澄之・香西元長と共に、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃した。9月7日、三好之長等が細川澄之の屋敷を襲撃する。澄之は自害し、薬師寺は香西元長と同じく討死した。
- 細川政賢 西暦1,507年9月7日、三好之長・細川高国・細川尚春等と共に、細川澄之の屋敷を襲撃した。
- 細川尚春 西暦1,507年9月7日、三好之長・細川高国・細川政賢等と共に、細川澄之の屋敷を襲撃した。
- 山中為俊 細川澄元を守って青地城に逃れた三好之長が、其の後、頼って甲賀郡に落ち延びた人物。三好は山中の下で在地勢力を味方に引き入れ、近江国人衆を取り込んだ。
- 右田弘詮 大内義興から本国の留守を任された人物。大内は、右田等に此れを任せた上で、西暦1,507年12月28日に三田尻を出発した。
- 畠山尚順 西暦1,508年、堺の引摂寺に入った足利義稙・大内義興に参礼した。
- 吉良義信 一条室町(現在の京都府京都市上京区)に屋敷があった人物。西暦1,508年7月5日に上洛した足利義稙は、其の屋敷に入り、仮御所とした。
- 九里信隆 水茎岡山城(現在の滋賀県近江八幡市牧町)の城主。西暦1,508年5月15日の夜に京都を脱出した足利義澄が、其の後、此の城に入った。
- 今川氏親 第23代室町幕府遠江国守護に補任された人物。本書では、足利義稙が征夷大将軍に再任された西暦1,508年7月28日の項に記される。
- 畠山澄重 足利義澄の近臣。西暦1,508年5月15日の夜、細川高久・一色七郎等と共に、義澄の京都脱出に随った。
本書が記録する出来事
- 細川澄元・三好之長の屋敷への攻撃(1,507年8月2日) 細川澄之・香西元長・薬師寺長忠が、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃する。三好之長は、細川澄元を守って青地城に逃れた。
- 細川澄之の上洛(1,507年8月16日) 細川澄之が丹波国から上洛する。足利義澄は、御内書を下して澄之を細川京兆家の当主として承認した。
- 細川澄之の屋敷の襲撃(1,507年9月7日) 京都に戻った三好之長が、細川高国・細川政賢・細川尚春等と共に細川澄之の屋敷を襲撃する。澄之は自害し、香西元長・薬師寺長忠は討死した。
- 細川澄元の家督承認(1,507年9月8日) 細川澄元が足利義澄に拝謁し、京兆家の家督を承認される。
- 三田尻からの出発(1,507年12月28日) 足利義稙と大内義興が上洛を意図し、大船70隻を中心とした艦隊を率いて三田尻を出発する。
- 瀬戸内海の東航(1,508年2月27日〜5月23日) 艦隊は2月27日に大畠に到着し、3月23日に蒲刈に入る。4月16日に蒲刈を出航して、25日に鞆、5月15日に牛窓に到着し、23日に兵庫津に入った。
- 清水寺への禁制(1,508年4月30日) 細川高国が、自軍が乱暴狼藉・山林伐採・課役賦課を行う事を禁じる禁制を、清水寺に発する。
- 細川澄元の甲賀退去(1,508年5月8日) 細川高国方が優勢となった為、細川澄元が京都から甲賀に退去する。
- 足利義澄の京都脱出(1,508年5月15日) 夜、足利義澄が近臣等と共に京都を脱出し、其の後、水茎岡山城に入る。
- 堺到着(1,508年5月26日) 足利義稙と大内義興が堺に到着する。引摂寺に入り、細川高国の降伏を受け入れて、上洛の準備を進めた。
- 細川高国の京兆家当主承認(1,508年6月3日) 足利義稙が、細川高国を細川京兆家当主と認める御内書を発する。
- 8,000名の上洛(1,508年7月5日) 7月3日に堺を出発した足利義稙と大内義興が、8,000名の兵を率いて上洛する。義稙は吉良義信の屋敷に入り、仮御所とした。
- 征夷大将軍への再任(1,508年7月28日) 足利義稙が朝廷により第10代室町幕府征夷大将軍として再任され、同日、大内義興も管領代に就任する。其の後、大内は恩賞の和泉国堺南荘を辞退し、代替として第33代室町幕府山城国守護に任じられた。
- 細川高国の管領就任(1,508年8月14日) 細川高国が第32代管領に就任する。本書の年表の最後の項目である。
大畠・蒲刈・鞆・牛窓・兵庫津を経て堺へ──
瀬戸内海を東へ進んだ上洛の道程を一元化。
132円(税込)
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